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なぜ、毛利は長州に移されたのか

1 :日本@名無史さん:04/02/28 17:19
関が原後、敗者の徳川による領土削減は周知のとおり。
でも、毛利が長州に。どうせ転封するのなら、もっと不便なところに、と思うのだが。
交通の要所、長州に。
なぜなぜ・・


2 :日本@名無史さん:04/02/28 17:19
sage

3 :日本@名無史さん:04/02/28 19:48
>>1
家康は毛利をぶっ潰して家老の吉川広家に与えるつもりだった。
しかし、広家が主に譲ってくれと固辞したのが真相らしい。
ちなみに、当初は山口に築城したかったのだが拒否され、結局不便な萩に城を構え
させられたのだからその点、決して便利ではなかったよ

4 :日本@名無史さん:04/02/28 19:53
しかし、毛利輝元は吉川広家をよく許したね。

5 :日本@名無史さん:04/02/28 19:55
許したというか吉川広家を切腹でもさせようなら
それこそ毛利家は取り潰しになっていたから
我慢しただけじゃないの?

6 :日本@名無史さん:04/02/28 20:01
3本の矢の教えが家訓として生きていたんだろ

7 :日本@名無史さん:04/02/28 20:01
>3
吉川広家は家老じゃないぞ。一族だぞ。

8 :日本@名無史さん:04/02/28 20:44
毛利家としては、どうせ領地削減されるなら発祥の地の安芸を
残してくれる方がよかったのかな?

9 :日本@名無史さん:04/02/28 20:47
>6
吉川にしろ小早川にしろ当主が西軍の大将なのに足を引っ張りまくり。
三本の矢も何もあったもんじゃないと思うが。

10 :日本@名無史さん:04/02/28 20:49
NHKでやったよね。
大外様の扱いには、いくら家康でも気を使ったということかな。

11 :日本@名無史さん:04/02/28 20:49
関ヶ原終了後、毛利・小早川あわせて80万石。
負けた側の一族としてはまぁまぁではないか。

12 :日本@名無史さん:04/02/28 21:05
>>11
小早川宗家はすでに赤の他人で毛利家が主家ではないだろう。

元々、小早川は毛利元就が隆景を強引に養子入りさせて乗っ取った家だが、
それを今度は豊臣に強引に養子入りさせられて乗っ取られただけ。

13 :日本@名無史さん:04/02/28 21:06
あと、関ヶ原の頃の毛利両川は
吉川広家と毛利秀元という事になってたよ。

14 :日本@名無史さん:04/02/28 21:23
>12
養子といっても婿養子だから全くアカの他人というわけでもないだろうし、
家臣団の多くは隆景時代から入れ替わっているわけでないので毛利系の人脈が多いし。

15 :日本@名無史さん:04/02/28 21:27
小早川隆景も婿養子だったような。
小早川家は代々婿を迎える女系家族と考えれば
乗っ取り云々はナンセンスということになるが。

16 :日本@名無史さん:04/02/28 21:36
まあ、元春は吉川家の当主親子を殺して強引に吉川家の家督を奪ったが、
隆景は平和的に小早川家に婿養子として入っていったけどな。

元就の四男の元清なんかも穂田家に養子に入ってるけど
強引な手段で?それとも穏便に?

17 :日本@名無史さん:04/02/28 23:33
毛利元就は自分の勢力拡大のため養子大作戦を決行。
次男以下の男子を殆ど養子に出している。
それで一番効果的だったのが、吉川家と小早川家の毛利両川と呼ばれた二家。
しかし、養子先で当主となった毛利一族のその殆どは年齢に関係なく関ヶ原の戦いまでに亡くなっている。
特に吉川家に至っては九州征伐時、引退した元春と跡を継いだ吉川家当主の元長が
相次いで亡くなった。(それで三男の広家が当主になった)
毛利家の勢力を畏れた豊臣又は徳川の陰謀があったかもしれない。

18 :日本@名無史さん:04/02/29 00:52
>>12
家と血筋はあんまり関係ないよ。
そもそも乗っ取るために送ったわけでもないし。

19 :日本@名無史さん:04/02/29 03:40
>>12
だったとしても秀秋以降の小早川を毛利一派と見る意見なんてほとんどない。

20 :日本@名無史さん:04/02/29 04:20
まあ元々は別だったんだから、いいんでねぇーの。

21 :日本@名無史さん:04/02/29 07:01
>19
んなこたない。

22 :日本@名無史さん:04/02/29 13:33
江戸時代の毛利・吉川両家

毛利:「関ヶ原の裏切り者めが」
吉川:「誰のおかげで毛利家が存続できたと思ってるんじゃゴルァ」

仲は良くなかったようですな。

23 :日本@名無史さん:04/02/29 13:37
>>1
みなもと太郎「風雲児たち」を読めw
関が原後の毛利への処置は苛烈そのもの。
萩なんて何も無いところだぞ。
ましてや400年前の今ごろときたら・・・・

24 :日本@名無史さん:04/02/29 14:11
>>3,>>23
そりゃ、長州国内の地理的条件のことだろ。
>>1が言っているのは、日本、あるいは毛利の領地におけるいて長州という国は
交通の要所であったと言っていると思われ。
戦国期から周防・長門は豊かな土地であり文化的にも高いものがあり、戦国初期から
中期にかけての日本の三大都市といえば、小田原・京都・山口といわれるぐらい人口も多かった。
坂本龍馬も馬関(下関)が将来、大阪・江戸のような要衝になると推測している。
もっとも、交通機関が急速に発展したため、交通の中間地点としての役割がなくなり
龍馬が想像したようにはならなかったがな。

25 :日本@名無史さん:04/02/29 16:03
萩は別に悪いところじゃないよ。毛利にすればそのまま施設が
使える山口がよかったには違いないけど。

結局のところ山口の建物をほとんど萩に移築した。二度手間だなぁ・・・。

26 :日本@名無史さん:04/02/29 20:19
元就の孫同士とはいえ、広家(吉川元春の子)と秀元(虫けらの子)で、確執があったんだろうな。
で明治維新のときのそうせい公も虫けらの子孫だったと思う。

27 :日本@名無史さん:04/02/29 20:51
虫けら ってどういう事?
身分の低い娘との子であるとかそういう意味の蔑称?

28 :日本@名無史さん:04/02/29 21:12
元就の遺言状(隆元の子 輝元、元春、隆景 娘婿 宍戸隆家の4人宛)に
「ただいま虫ケラのようなる子供そうろう。心身とも不都合なく育ったら、
憐憫そうらいて、いずこの遠境などにも置かるべくそうろう」なんてあるわけで


29 :日本@名無史さん:04/02/29 21:17
>>28
それは正室と側室の子供の立場の差をきちんと区別する事で後の兄弟争いを防ぎその「虫けら
の子」を守るために言った言葉だ

30 :日本@名無史さん:04/02/29 21:22
>江戸時代の毛利・吉川両家

>毛利:「関ヶ原の裏切り者めが」
>吉川:「誰のおかげで毛利家が存続できたと思ってるんじゃゴルァ」

>仲は良くなかったようですな。

関ヶ原の戦場に輝元が出て来なかったのが全て
大体、家康が関ヶ原に来なかった場合の東軍の勝利
なんて想像がつくかね?


31 :日本@名無史さん:04/02/29 21:24
そもそも長門・周防は
かつての日本屈指の大勢力、大内氏の本拠だし、
大内が文弱に流れたというのあるが
山口は小京都の文化の花開いた地だしね。
もともと、本腰入れて開発すればなかなかの土地だと思うよ。

毛利にとっては十ヶ国から二ヶ国に削られたのは不幸だっただろうけど、
今の広島県、山口県にとっては結果的にこうなって良かったと思うよ。
毛利が十ヶ国のままだったら広島が突出して発展しただろうし。

32 :日本@名無史さん:04/02/29 21:27
山口は朝鮮人が多い町

33 :日本@名無史さん:04/02/29 21:36
>>8
東軍の大名でも転封されずに済んだ大身の外様っている?

34 :日本@名無史さん:04/02/29 21:44
>29
ところが、長州藩は虫けらの子 秀元の子孫
徳山藩が輝元の子孫 なんだかねぇ。

35 :日本@名無史さん:04/02/29 21:45
>>33
伊達 前田  

36 :日本@名無史さん:04/02/29 21:51
黒田 立花  細川

37 :日本@名無史さん:04/02/29 21:52
池田 山内 佐竹

38 :日本@名無史さん:04/02/29 21:53
あ、佐竹は茨城から秋田だったな。除外

39 :日本@名無史さん:04/02/29 22:54
>38
山内も掛川から高知、池田も姫路から岡山と鳥取に、それに池田の鳥取は親藩だからね。
家康がネコ可愛がりした次女の子孫だから外様じゃない扱い。
細川も小倉から熊本に 立花はいったん浪人になったけど家臣が宗茂から離れなく
浪人軍団が集ってるのも治安上いかがなものかと東北で大名に復帰だったと思うけど

40 :日本@名無史さん:04/02/29 23:35
つまり伊達前田島津黒田立花はガチじゃん
立花なんか改易後の大藩復活だぞ。


41 :日本@名無史さん:04/03/01 00:57
>>伊達前田島津黒田立花
前田以外は当主や隠居が一癖あるところだな。

42 :日本@名無史さん:04/03/01 11:15
山内は掛川の弱小藩から出世したわけで懲罰的な転封が多い江戸初期では
栄転じゃないのか?
>>33はあくまでもマイナスイメージでかたっているわけなんだからさ。
しかし佐竹はなぜ改易されなかったのかなぁ。
個人的にも三成と親しく関が原でも大奮戦しまくりだったわけで大谷のように
藩主戦死、改易食らうわけでもないし、福島のようにイチャモンつけられて改易でも
ないし、上杉のように米沢30万石後世では15万石にまで弱小にされたわけでも
ないしな。豊臣恩顧の武将を中心に狙われただけであって大藩の改易、転封が
難しいのなら、最上なんておかしくねーか?つぶすのなら反骨ありありの伊達だろ
なぜに最上よ?
藤堂高虎はなんども領土変遷しているけど、桑名藩なんてえらく重要な所に配置されて
いるしな。忠誠度を考慮したにしては鳥羽伏見で寝返ったのは有名だしな。
肥前の鍋島なんてもっと不思議。長崎にちかく、幕末でも出島関連から洋軍装備に
改革して江戸にむけて軍事パレードまでやっているのに長州のように征討の戦
おこされてないよね。
よくかんがえたら南部、津軽ら土着系の諸大名もつぶされていない所が多いし
問題ないと看過したにしては上にあげたところは大半が動乱の震源地になっている
じゃん。
徳川は圧倒的な石高を誇ったが、諸大名のことごとくを粛清し、フランスのような
絶対王政ほど権力は強くなかったという事になるのかね。
あるいは皇帝独裁の宋や明でもいいが、あれよりは将軍の権威よわいというか、
実際明治維新にいたる50年間ぐらいは将軍職もなんか権威ない感じよねー
大老や老中の方がよほど権力あるよね。
御三家の殿様でも平気で謹慎させられるもんなぁ。


43 :日本@名無史さん:04/03/01 13:00
いくら反骨ありありでも辺境まで攻めるメリットがないだろう。
伊達にせよ島津にせよ、改易申し付けたら確実に反乱起こす。
制圧に掛かる時間とコストを考えたら外様で置いておいた方がいい。
結局、家康は豊臣政権を相続したに過ぎず、そもそも絶対王政なんて
志向していないのさ。
それを望んだのは信長だけだろう。


44 :日本@名無史さん:04/03/01 16:15
そうかぁ?
幕府は容赦ないぞ。
最上なんか辺境だけど一発取り潰しじゃん。
反乱おこすというけどさ徳川の親藩なんかも
越前(結城秀康系)、駿河系(家光の弟)など
かなりの大半でもつぶされているのになぁ。
ましてやコストといっても島原の乱でもわかるように
兵働きはまず周辺諸国の任務だったわけなんだしね。

最上はお家そうどう原因といわれるが、それ言い出したら
伊達も島津もお家騒動おこしているしな。
いくらでもつぶせる機会あったのに何かんがえてんだろうね。


45 :日本@名無史さん:04/03/01 16:21
辺境まで攻めるメリットを考えてみる。

・改易で大量に出現した浪人の失業対策

・太平の世にあえて徳川家の威光&示威行動

・直参旗本などの困窮対策、あるいは幕府財政改革の為に
 直轄地の増加

46 :日本@名無史さん:04/03/01 16:55
伊達、毛利、島津は、そんなに江戸初期は徳川家と
関係悪くないよ。伊達の擦り寄り様はちょっと異常だが・・・

毛利は大阪の陣でまっさきに駆けつけてるし。
島津は明との交渉で徳川家の窓口。琉球支配も徳川家の
支持のもとで行われてる。

47 :日本@名無史さん:04/03/01 16:59
幕藩体制初期の大名達の動向と、幕末の鳥羽伏見戦以降の
諸藩の動向を見ると、人の世の移ろいを感じるよ。

48 :日本@名無史さん:04/03/01 17:00
しかしその毛利と島津に討幕されるんだから世話ないなぁ。

49 :日本@名無史さん:04/03/01 17:06
>>47
人は恩を30年で忘れる。
人は恨みを300年忘れない。

50 :日本@名無史さん:04/03/01 17:17
シセンの戦いで鬼島津とまで言われた島津って感情的にあれなんでは?
大陸との交渉は基本的に宗氏では?



51 :日本@名無史さん:04/03/01 17:31
しかしなんだな。教科書でよく改易、転(ぷう)←字でない読み方がちがうのか?
は諸大名の統制策と説明されているけどあれおかしくねぇ?

改易されたのは豊臣恩顧系あるいは親藩が中心でデカイ外様で改易されたつーと
上でいわれている最上ぐらいなんだよな。

むしろ幕府首脳陣や御三家をのぞく親藩らの方がよっぽとあちこち移されていないか?
減ぷうも2度けずられた外様といえば上杉ぐらいしかおもいつかんしなー

現に力あったから、幕末になるとあっというまに外様や親藩が政治に口だして
将軍の権威なんかほとんどなくなってる。
政治の主導権を握った最後の将軍らしい将軍って徳川家斉で最後なんじゃないか?


52 :日本@名無史さん:04/03/01 18:42
>>51
上杉は世継ぎが絶えて女系相続だから、
半分に削られて存続したのはむしろ寛大な措置なんだが。

>>48
うーん、幕末の件は
島津家と毛利家というより、
薩摩藩と長州藩に討伐されたのだが。
特に当時の毛利家なんて政治からほとんど離れてたし。

>>46
それにしては毛利は家臣を大阪に浪人として入場させわずかながら、金米を送っているが。

53 :日本@名無史さん:04/03/01 22:29
小倉を譜代で抑えてしまえば袋のネズミ


54 :日本@名無史さん:04/03/01 22:36
http://wolfpac.press.ne.jp/haizetsu06.html
江戸後期の大名への懲罰を見ると面白いね。
大半が親藩、譜代への減封、廃絶なんだよな。
どう考えても脅威は雄藩なのに身内ばかり懲罰
与えている。
こりゃあかんわ。

55 :日本@名無史さん:04/03/02 00:05
>>43
自分の寿命と秀忠以下の子孫の能力を考えると、家康も
島津や伊達には手を出せなかったのかな。
家康も、秀忠では島津一族や政宗を討伐できないと
考えていたのだろう。

56 :日本@名無史さん:04/03/02 03:27
島津、毛利、伊達、前田などの主力本体とまともに戦ってない家康に
すれば、あんまり強硬なこともできかねたのかな。
連鎖的に反抗されたら、さすがにやばいと思うだろ。
(問いかけ)
家康は、島津、毛利、伊達、前田などの大外様を潰す気が
あったのか、否か。

57 :日本@名無史さん:04/03/02 05:54
>56
君臣が一体化している家は潰すとやっかいだったからと思われる。
毛利や上杉の石高減ったけど家臣みんな付いて来ちゃったってことで、
本当に取り潰すと立花みたいに主君が浪人になっても家臣が付いて行って
社会不安の元になりそうなってことで存在を許したと思われる。
ただ、前田はそう君臣一体化していたのかが疑問。


58 :日本@名無史さん:04/03/02 10:08
>50 対馬の宗は朝鮮半島専門だよ。明は島津。家康と連名で
使節送ってるし。家康が薩摩潰そうかどうかって時にうまい具合に
帰国しそうになってる。関ヶ原も島津本体は兵だしてないしね。

島津は捕虜返還とかで意外と大陸とつながりがある。

59 :日本@名無史さん:04/03/02 15:34
>>55>>56
長宗我部はどうなる?
土佐一国の主にすぎない。家督争いなどもあり反抗されたとしても脅威でない。
当主が若い。なんてこともあったんだろうか。

60 :日本@名無史さん:04/03/02 20:19
>>59
長宗我部は、そもそも大外様といえるとかどうか。

61 :日本@名無史さん:04/03/02 21:20
島津、毛利、伊達、前田にくらべれば長宗我部は土佐一国の小身だからねえ
それに家中がゴタゴタしてたから

62 :日本@名無史さん:04/03/02 22:51
長宗我部は土佐の検地で過少報告してて、9万石しかないと嘘付いていたからな。
簡単に潰せると思われたんだろ。
だからこそ、禄に功績もない山内が移れた。
そして検地したら、24万石もあったとさ。

島津は逆に過大報告したから助かったんじゃないかな。
薩摩、大隈とその他が少ししかない、実は江戸初期は73万石どころか、その半分強しかなかったそうな。


63 :日本@名無史さん:04/03/03 00:05
>>62
そうだよなあ?
島津家の本領は火山灰だらけの土地で米の生産高なんて期待できないもんなあ
その分、明貿易とかの収入があったから他家に比べると米生産高の重要性は低かったのかも
ん?でもその石高には貿易から上がる利益も入っているのかな?

64 :日本@名無史さん:04/03/03 00:12
毛利が廃絶されなかったのは、
吉川の取り成しに尽きる。
あれがなければ、取り潰し。

65 :日本@名無史さん:04/03/03 00:37
>>63
石高の算出は藩によって違うからなんとも言えない。
産業や貿易まで石高に入れている藩もあれば、
雑穀すら入れない藩もあったみらいだから。

>>64
120万石の日本屈指の大藩を潰せるかというとどうかなあ。
豊臣を除けば最大の大名だし、小早川などの一門(確か九州の方にもあったような?)
も含めればもっと膨らむ、そして関が原ではほぼ無傷。
完全に潰すとなったら徹底交戦をするかもしれん。
関が原直後は豊臣恩顧の将など、徳川に帰順していない大名も多く、
秀頼を旗頭に交戦をする可能性は高いよ。
それを考えたら、家を存続する事を許す代りに、小藩に押しこめるのがベストと思う。

66 :日本@名無史さん:04/03/03 00:59
>>65
そうなると吉川は約束を反故にされたことになるから
死に物狂いで戦いそう。

67 :日本@名無史さん:04/03/03 01:19
信長、秀吉を見てきた家康にすれば、まさにアメとムチの
使い分けという感じだな。
体制が固まってきた二代三代では、ムチばっかしだもんな。


68 :日本@名無史さん:04/03/03 01:23
>>65
九州の小早川って筑前一国の小早川秀秋のことかな?
筑前一国のほかに、肥前に一部・筑後の一部も領有していたはず。結構でかいよ...

69 :日本@名無史さん:04/03/03 11:44
>>42
最上は家老のほとんどが殿様のリコールやったからな。内部崩壊している所を潰す
のはさほど時間はかからないと思われ。
黒田は騒動主は栗山大膳と出頭人だったし、伊達は綱宗をリコールしたけどその後
は別に綱基をどうこうすると言うよりは中央集権・地方分権という政治路線の対立
による争いというのが近年の学説であって、幕府が一方に肩入れするならまだしも
取り潰しと言うことになれば政争を一時棚上げして協力する可能性もある。

70 :日本@名無史さん:04/03/03 12:38
「萩市史第1巻」を読むと萩に本拠を移した一番の理由は軍事的な事情から。
徳川との再戦を強く意識していた頃の話なので仕方ないか。あとこの当時海上交通
網が陸より発展していた時代なので、海の側で新規に城下町がデザインできる所
が良いと言う話になったそうだ。山口は新規に城下町を作るには色々ありすぎ
なのでトータルコストの面で疑問が出たらしい。

71 :日本@名無史さん:04/03/03 12:55
ま。山口の方が便利ではあるのだが・・不便なほうを
選択したほうが徳川家への心証がよかろうという
判断もあったらしい。ただ新規に施設を構築するコストで
問題があった。だが山口のものをすべて持っていけば同じ
規模でやれるという名案(?)で解決。
事実山口の施設をそのまま移築。本来は防府に近い山口が
かなり有利なのだが・・・。防府とその港、三田尻。
瀬戸内海の拠点である三田尻は山口の直下で要。江戸時代
通して重要拠点。

72 :日本@名無史さん:04/03/03 14:15
>>69
それは、全てあなたの思い込みです。

73 :日本@名無史さん:04/03/03 14:28
>>72
おまえ、このスレをあれさせようと挑発しているんだろ?

74 :日本@名無史さん:04/03/03 16:22
>>73
それは、全てあなたの思い込みです。

75 :日本@名無史さん:04/03/03 16:30
鸚鵡返しは低能の証明

76 :日本@名無史さん:04/03/03 16:40
>>62
山内が率先して関が原で発言したから豊臣恩顧系の武将が家康に靡いているでしょ。
あれが無かったら、裏切られたのは石田ではなく、家康かもしれんぞ?

豊臣恩顧系が裏切ったら形勢を見極めていた吉川や島津が雪崩うって奮戦しだすぞ。
家康あぼーんだよ?


77 :日本@名無史さん:04/03/03 16:57
家康といい、小泉といい、強運の持ち主でないとTopにはなれないということです。
これは私の思い込みではないぞ。


78 :日本@名無史さん:04/03/03 22:02
>>75
それは、全てあなたの思い込みです。

79 :日本@名無史さん:04/03/03 22:53
一定の語句に反応する人工無能は無視しる

80 :日本@名無史さん:04/03/04 09:47
>>79
それは、全てあなたの思い込みです。

81 :日本@名無史さん:04/03/04 21:20
それは、全てあなるの重り込みです。


82 :日本@名無史さん:04/03/05 11:24
>>80
馬鹿のせいで寂れてしまった。
氏ね

83 :日本@名無史さん:04/03/05 12:58
>>82
それは、全てあなたの思い込みです。

84 :日本@名無史さん:04/03/18 01:06
スレの復活を期待してあげ

85 :日本@名無史さん:04/03/18 09:37
たしか、幕府は最上を潰す気なかったのでは?
時の老中が寛大な裁きをしたが、結局家臣がそれを呑まず、取り潰したのでは?
そのときの裁きは、
・6万石に一時封じそこで5年間家臣が、藩主を支えて、政を行えば、
 元の57万石の領地に戻す。
とかだったと思う。
幕府は、最上の初代藩主が、「最上を頼む」と家康、秀忠に頼んだから、
面子とかもあったのかも。

86 :日本@名無史さん:04/03/18 13:27
>>85
で、家老連中が「こんな馬鹿殿に仕えたくありません」と言い出したので藩主は1
万石に減らし、家老たちはそれぞれ大名家にお預けになりました。
後に有名どころでは鮭延が古河土井家、山野辺が水戸徳川家、松根が宇和島伊達家
に仕えてます。
いったん家臣団が崩壊しちゃった後の大森時代の最上家の家老って、譜代の連中な
んだろか? 同じように出羽の生駒や岩城や織田とかの家臣には興味あります。

つーか、伊達騒動の時にも一門・家老連中が「こんな馬鹿殿〜」と言ってたら取り
潰しになってたんでしょうかね。

87 :日本@名無史さん:04/03/18 13:55
>>86
君の思い込みや想像を聞いているんじゃないよ

88 :85:04/03/18 18:35
上記の最上家のところは当てますよ。
何かで読んだことあるし。
ただ、家臣としては、別の一門の者を殿様にしようとしていたとか。

89 :日本@名無史さん:04/03/18 23:59
>>88
>>86の思い込みや想像に騙されてんじゃないよ

90 :日本@名無史さん:04/03/21 00:58
ちょっと古い話題に戻るんだけど。
防長2ヶ国に領地を減れされた後に萩を本拠地に選んだのは毛利側なんですか?
ソースが漫画で悪いんですが風雲児たちって漫画では毛利は山口にしたかったんだが
徳川家から指定されたって話になってました。
輝元とかは「自分の領地だけど萩とか聞いたことないぞ」とか言ってました。


91 :日本@名無史さん:04/03/21 03:30
>>90
「候補三ヶ所の伝説」つーのもあるよ。
幕府に「山口・三田尻・指月山(萩)のどれかを選んでください」と申し出て一番不本意な萩
に決まってしまったというの。
似たような話が加藤嘉明の松山城、伊達政宗の仙台城にもあるから、事実かどうかは不明
だけど。

92 :日本@名無史さん:04/03/22 17:59
>>91
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃないよ

93 :日本@名無史さん:04/03/22 21:14
>>90
それ俺もみた
そのときの怨念が幕末にうんぬんって奴ね。

>>91それはしらなかった。

じっさいどうなんだろうなぁ。
漫画や伝説とちがうまともな歴史学者の意見を聞いてみたいよね。

94 :日本@名無史さん:04/03/22 21:21
>>93
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃないよ

95 :日本@名無史さん:04/03/22 22:05
結構いいスレだったのに

96 :日本@名無史さん:04/03/22 23:05
>>95
君の思い込みや想像を聞いてるんじゃないよ

97 :日本@名無史さん:04/03/23 18:16
あれ、毛利は最初に当時の交通の要所であった
三田尻(防府市)の桑山に築城する予定が幕府に拒否され、
次に大内氏ゆかりの山口市の亀山に築城しようとして拒否され、
結局、第三候補の萩になったんじゃなかったっけ?

98 :日本@名無史さん:04/03/23 23:45
>>97
君の思いやりや想像を聞いてるんじゃないよ

99 :日本@名無史さん:04/03/24 00:02
キタワァ.*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!!☆

100 :日本@名無史さん:04/03/24 00:14
誰とはいわんがNGワード設定するように。
折角の良スレを何の意図があってかしらんが
潰そうとする人がいるようだ。
馬鹿は無視。相手にするな。
無視が一番。

101 :日本@名無史さん:04/03/24 02:39
「毛利が自分から選んだ」とか「家康が命じた」っていうより、日本的に
お互いにはっきりは言わずとも腹の探り合いの結果、萩に落ちついたんじゃないかな。
どっちにしろ、毛利にもそれ以外に現実的な選択肢はなかったのだろうし。


102 :日本@名無史さん:04/03/24 10:09
>>100
良スレ!?(w

103 :日本@名無史さん:04/03/24 11:54
毛利家は内々で”荻出府”てのがあったくらい。
本家と徳山の方は相当”確執”はあった模様。
それが後々になって・・・・


104 :日本@名無史さん:04/03/24 14:27
私、毛利の家臣の末裔だよ。
マジで。家系図あるし。

105 :日本@名無史さん:04/03/24 14:50
で?

106 :日本@名無史さん:04/03/24 17:04
毛利って毎年正月に重臣「殿、倒幕の準備整いました」藩主「いやまだ時期尚早じゃ」
とかいうバカな慣習があったって本当?

107 :日本@名無史さん:04/03/24 23:45
徳川って毎年正月に重臣「殿、薩長征討の準備整いました」徳川宗家当主「いやまだ時期尚早じゃ」
とかいう慣習があるって本当?

108 :日本@名無史さん:04/03/24 23:47
薩長なんてとっくに自滅してるけど?

109 :日本@名無史さん:04/03/24 23:56
>>108
ワラタ

そういや薩長・明治帝国は、末期は仇敵の東北人にのっとられていたな。

薩長人って、ほんとバカなんだな。(ワラ

徳川政権は、幕末でも、中枢は、親藩・譜代藩出身者のみで固めていたのに。

110 :日本@名無史さん:04/03/25 00:00
豊かな恵みを齎す佐波川が作った広い平野といい、海上交通の要衝であった点といい、
かつては周防の国府であった点といい、防府こそが山口県の中心であり、今なおその資格は
充分にある、と思っている防府市民は多いんですよ。

だから、現在の合併論議で問題になる。

111 :日本@名無史さん:04/03/25 00:07
朝鮮で鳥インフルエンザが流行ると、
真っ先に飛び火する呪われた地、それが防府!

112 :日本@名無史さん:04/03/25 05:09
>>109
>徳川政権は、幕末でも、中枢は、親藩・譜代藩出身者のみで固めていたのに。
これが崩壊の一因でもあるだろ。


113 :日本@名無史さん:04/03/25 05:36
>>113
全然。

崩壊の原因は、錦旗が敵に渡り、朝敵となった徳川慶喜が、ひきこもりになって全てを放棄したから。

松平容保や、西郷隆盛は、朝敵になりながらも、さいごまで戦っているのに、
朝敵になっただけで、ひきこもりになって戦うのをやめたのは、徳川慶喜くらいじゃないか。

徳川慶喜が大阪城から、部下と、初代・徳川家康から使われている馬印を置き去りにして、
逃げたという事は、その時点で、全てを捨てていた事を意味する。

実際、錦旗が敵に渡るまでは、旧幕府軍は善戦していて、
海上は旧幕府海軍が封鎖中、佐幕派諸藩の援軍も向かっており、勝機は完全に旧幕府側にあった。


それに徳川に恨みを持つような奴を中枢に置いたら、何をされるかわからんだろ。

大阪の陣で、淀君は、豊臣が滅ぶような策を取り続けたが、豊臣秀吉への恨みとしか思えん。

114 :日本@名無史さん:04/03/25 05:39
訂正
>>113>>112

115 :日本@名無史さん:04/03/25 05:50
>>113
慶喜ほどの人物が水戸出身でさえなかったら・・・。
(尾張でもいいし、さらに言えば紀州出身で家茂と立場が逆だったらもっと面白い)

この一点に尽きるね。


116 :日本@名無史さん:04/03/25 06:04
318 :番組の途中ですが名無しです :04/03/22 14:02 ID:dJm4+h2W
山本56が尊敬していたのが河井継之介

117 :日本@名無史さん:04/03/25 06:52
>>113
一因といってるんだが。それにその一因とは
戦闘で敗北したことについて言ってるわけではないんだけどな。

118 :日本@名無史さん:04/03/25 07:30
>>117
一因かもしれんな。

薩摩と長州以外には、門戸を開いても問題なかったかもしれん。

119 :日本@名無史さん:04/03/26 15:20
最終的に徳川家はあんま敵対してないよ。

120 :日本@名無史さん:04/03/28 12:04
>>113
政治工作は会津藩と庄内藩の暴走でぶち壊し
無能、命令無視、首にできないの三十苦の旗本八万旗
この期に及んで財政カットさせてくれない大奥&それと手を組む反慶喜系家臣

以上の理由でただでさえうっぷんがたまっていたところに、
鳥羽伏見で綺麗なくらいにボロ負けしたもんだから
「もうやってらんない」って気分になったんじゃね?

121 :日本@名無史さん:04/04/17 15:13
幕府は単純に弱かっただけらしいよ。
最強装備の幕府歩兵は、いきなり指揮官が死亡。
後ろから撃たれたって噂が流れるほど歩兵の忠誠心
は低く命令は守られず脱走が相次いだという。

122 :日本@名無史さん:04/04/17 15:20
>>120
賛成1票。

123 :日本@名無史さん:04/04/17 15:24
榎本や容保の忠告を無視して京都を明け渡した慶喜がマヌケ。
京都を制圧しとけばよかっただけ。

124 :日本@名無史さん:04/04/17 15:35
>>123
土佐藩や越前藩の政治裏工作を知らないヤツらしい発言だね。乙だよw。

125 :日本@名無史さん:04/04/17 20:44
>>113
鳥羽伏見って、先発隊を送っていただけなのに、何故か薩長が勝ってしまった珍事の事だろ。
大村さんは、後詰めというか本体を後から送る予定だったのに、それまでに決着がついてしまった為、
恥をかいたらしいよ。

126 :日本@名無史さん:04/04/18 12:04
大村は、的確に計画してただけ。江戸の時もそうだけど
あらゆる局面を想定して計画を立てている。

最悪の場合も考慮しておくのは基本。実際には、幕府側が
あんまりにもマヌケだったので必要なかった。

127 :日本@名無史さん:04/04/18 13:15
>>126
戦略家は可能な限りのIF−PLANを立てて、それに対する対策を考える。
だからこそ、敵が予想以上に弱すぎるとせっかく用意した作戦が余っちゃうだよね。
秋山真之も何段にも構えた計画を用意したけど、バルチック艦隊があっさり全滅したので
拍子抜けしたそうだ。

128 :日本@名無史さん:04/04/23 18:20
勝はマヌケだったよ。なんだかんだ言って小栗っぽい迎撃案とか
もってたみたいだけど要の甲州を新撰組に任せたばっかりに
あっさり行き詰った(東海道を箱根と軍艦で押さえても甲州街道
から進撃されたら終わり)。

129 :日本@名無史さん:04/04/23 20:17
>>109
それにしても、薩長といい、東北といい、見事に産業化から取り残されたなー。
カクエイは、北に農業、南に工業の配置は、薩長の陰謀と言っていたが・・。

130 :日本@名無史さん:04/04/24 04:28
>>14
秀秋が家督を継いだ時点で毛利系の家臣の大半は、小早川から毛利本家に戻っている。
だから、かえって関ヶ原のときは、付家老として小早川家に来ていた稲葉正成(春日局の夫)なんかが大きな発言力を持てた。


131 :日本@名無史さん:04/04/24 04:40
>>28
まあ、元就の場合、それ以上に正妻に対してかなり思い入れがあったらしいのも事実だから。
特に、その宛所のなかに正妻所生の娘婿の宍戸隆家まで入っているあたり、
正妻所生の子女を素直に特別扱いしたいという意味合いも多少はあったと言われている。
それに、元就の側室は、すべて正妻の死後にかかえたもので、側室所生の子供は、元就の晩年においてもまだ小さい。


132 :日本@名無史さん:04/04/24 04:43
>>34
毛利公爵家は、敬親(そうせい公)の次の元徳の代で、輝元の血統に戻っているよ。

133 :日本@名無史さん:04/04/24 04:48
>>59-61
家中がゴタゴタしていたというのなら、大大名で唯一潰された最上にも同様のことが言える。

134 :日本@名無史さん:04/04/24 05:16
>>22
江戸時代の毛利家は、確執のため、吉川家(岩国6万石)を支藩として立藩しなかった。
そのため、明治維新後の華族制度創設に際して、吉川家は陪臣扱いとされ、男爵しか授爵されなかった。
ただ、明治期の当主経健の維新後の勲功により、のち子爵に昇格したが。
それでも、もし仮に吉川家が維新前に支藩として立藩されていれば、6万石なら最初から伯爵相当だったので、結局損をしていることに変わりはない。

ちなみに、毛利両川のもう一方の小早川家に就いては、明治維新後に毛利公爵家側から、「毛利両川を再生したい」という嘆願があり、その結果、ときの当主元徳の子の一人に小早川姓を名乗らせ、男爵家として小早川家を再興した。


135 :日本@名無史さん:04/04/24 18:46
小早川男爵家再興の件について。
それ以前に島津久光の機嫌を取るために明治政府が久光を薩摩藩主家とは別に公爵家とした例があるため、
毛利両川を復活させたいという毛利公爵家からの要求を断れなかった。


136 :日本@名無史さん:04/04/25 00:57
あgえ!

137 :竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :04/04/25 01:52
>>54
鎌倉将軍も室町将軍も実権を家臣に奪取されている 家康はそういう
勉強(机上の)はしていたと思われ
更に、家康の祖父も親父も家臣に殺されている 自身も何度も家臣に
裏切られている 織田家は信長が死んだら家臣である羽柴に実権を
奪取された 家臣なんぞ全然信用できんし、それなりに統制せんとな

138 :日本@名無史さん:04/04/25 18:25
あげ!

139 :日本@名無史さん:04/04/26 08:29
>>137
なるほど。内部さえ統制がとれていれば、外様に勝てるもんなー。
家康は、鳥居元忠など、あんまり功が大きい奴は、重要な戦いに連れて行かなかった
みたいだし。

140 :日本@名無史さん:04/04/26 14:27
結局明治維新のときは、譜代筆頭の彦根藩井伊家をはじめ、多くの譜代が朝廷側についてしまったわけだが。

141 :日本@名無史さん:04/04/26 14:52
井伊家については直弼が殺された後に10万石減封されたのを恨んでじゃないのでしょうか。
真面目に働いた結果暗殺されて、別に幕府に対して悪事は働いてないのに、
そんな仕打ちを受けたら恨んでも当然でしょう。

一般論としては西日本の場合周りを敵に囲まれて仕方がなかった為かと。
混乱状態になると外様の中に監視役の譜代小藩を置いてあっても、
実質的にはあまり効果はなかったってところでしょうね。

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