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血統研究所<第二章>

1 :日本@名無史さん:04/04/26 20:55
歴史上の人物の血筋がどのように受け継がれているのかをさらに考察してみませう。


2 :日本@名無史さん:04/04/26 20:56
2

3 :日本@名無史さん:04/04/26 20:58
前スレ

血統研究所<勝利の方程式>
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1075048855/


4 :血統研究所 ◆b0.PHWt3zk :04/04/26 20:58
前スレ
血統研究所<勝利の方程式>
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1075048855/l50

5 :日本@名無史さん:04/04/26 21:12
織田信秀−苗木勘太郎室−武田勝頼室−武田信勝
武田信勝って信秀の曾孫ってことでいいんでしょ?

6 :日本@名無史さん:04/04/26 21:56
NHKの日本気象協会の半井小絵さんは、典薬頭の丹波家(先祖は国宝「医心方」を編纂した丹波康頼)が和気家(先祖は宇佐八幡宮のお告げを伝えて道鏡を失脚させた和気清麻呂)の養子となって出来た半井(なからい)家のご子孫ですか?という事は丹波哲郎の遠縁?

7 :日本@名無史さん:04/04/26 23:38
>>6
正しくは、宇佐八幡神のお告げ「天つ日嗣は必ず皇緒(こうちょ)を立てよ」を伝えて道鏡が天皇になるのを阻止した和気清麻呂。

8 :日本@名無史さん:04/04/27 00:36
前スレで、荒木村重の話題が出てたけどここにも村重子孫の話が書いてるよ。
http://homepage2.nifty.com/murashige/kosyo/ichizoku.htm

9 :日本@名無史さん:04/04/27 14:33
佐竹義敦・義和の子孫ってまだ続いているか、知りませんか?
幕末の佐竹義堯で全くとぎれたのは知っているんですけど
確か孫かなんかが宇和島の伊達宗徳に嫁いでるんですよ
で、宗徳を調べてみたら子供はたくさんいて、ただ誰の子供かわからない。

10 :日本@名無史さん:04/04/27 22:46
>>8
三春藩荒木家について。小説三春猫騒動のホームページ。
http://www.soyusya.com/rekishi/pages/sakuhin.html
【作品を読んでいただく前に】
 三春で古くから伝えられる、悪家老によるお家乗っ取り事件。そして、それに端を発した「化け猫騒動」の伝説。しかし、実際に猫が化けることなどは、あり得ない。では実際の事件は何であったのか?
それらを、歴史の事実から書き起こした小説。


11 :日本@名無史さん:04/04/27 23:18
前スレ落ちたね。

栗山利安−栗山利章(大膳)−内山利政−利久−光隆−武英=務(汲川守衛の弟)−栗山光雄(栗山復姓)−龍麿(断絶)
栗山利安は赤松諸流の出で黒田孝高(官兵衛)に仕えた。
栗山利章(大膳)は黒田騒動で知られる。
配流先で生まれた大膳三男の利政は母方の内山姓を名乗り南部家臣となった。
明治に入って栗山姓に復姓したが、龍麿に子が無く栗山家は断絶した。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/681.html
鴎外の「栗山大膳」に脇役で黒田孝高の隠し子が出てる。

12 :日本@名無史さん:04/04/28 11:46
山県昌景−上村昌久−笹治正時−正次−良次−正方−正香−正昆−正俊−正興−正任−山県牧夫−昌彦
笹治氏は福井松平家の家老を務めた。後に山県復姓。

前のスレの山県昌景関連の転載
172 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/02/11(水) 14:47
山本勘助−略−義質−義方−美礼=義和(義方の弟)=帯刀(義路)=山本五十六
高野秀右衛門−高野貞吉−山本五十六
山本家は長岡藩(牧野家)の家老。武田信玄の臣山本勘助の子が牧野家に仕えたことに始まる
その名跡が途絶えるのを惜しんで高野五十六が家を継いだ
高野秀右衛門は長岡藩の儒学者

山県昌景=太郎右衛門(野沢豊後の子)−惣左衛門−太郎右衛門−沢右衛門=山三郎(沢右衛門の婿)−山県大弐(昌貞)
太郎右衛門は昌景の猶子

どっちも血は繋がってないね

791 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/04/08(木) 18:43
庄内藩・松平武右衛門家
酒井忠次−松平久恒(甚三郎)−久次−久義(武右衛門)=久寛(久義の弟)=久映(久義の子)−久長=久中(酒井吉之丞の子)−久茂−久彰=久継(塚原権平の子、穆堂)
山県昌景−酒井忠次側室−松平久恒(甚三郎)
松平久恒は酒井忠次の四男、母は山県三郎兵衛昌景の娘。
松平(福釜)左馬助親俊の養子となるが、実子が産まれたため実家に戻る。
養父の意向で松平姓を名乗り、家紋は山県家のものを用いた。
子孫は松平甚三郎家、松平武右衛門家、松平舎人家に分かれ、庄内藩酒井家家老を務めた。

13 :日本@名無史さん:04/04/28 22:19
報道ステーションに出てる細川隆三記者って、熊本の細川家と関係あるのかな?
ぐぐったら細川隆元の孫じゃ?とか出てきたけど。

14 :日本@名無史さん:04/04/29 11:32
>>8
荒木村重とか佐々成政の子孫って多いけど、一族や家臣が子供と名乗ってるケースもあるんだろうね。

15 :日本@名無史さん:04/04/29 19:16
>>4
とりあえず前スレの残骸
http://snapshot.publog.net/html/history/2004/01/26/014055.html
http://64.233.167.104/search?q=cache:GdGOXjrOfI0J:academy2.2ch.net/test/r.i/history/1075048855/i+%E8%A1%80%E7%B5%B1%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%EF%BC%9C%E5%8B%9D%E5%88%A9%E3%81%AE%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F%EF%BC%9E&hl=ja&lr=lang_ja&ie=UTF-8&inlang=ja

16 :日本@名無史さん:04/04/29 19:40
>>13
前スレ465と489に細川隆元・隆一郎氏の系図があるよ。纏めると

細川氏長岡内膳家(の一部)

細川忠興─忠隆┬忠恒
          └忠春─忠季─忠英─忠昌─忠虎┬忠寿─忠穀(男爵)─忠雄─忠督─和彦
                                └忠顕─隆虎┬隆志(二男)─隆一郎
                                         └隆元(三男)
1忠隆は忠興の長男、母は明智光秀女玉子(ガラシャ)

関係があるのは確かですが、肥後熊本藩主家との繋がりは、何と初代藩主の細川忠興まで
辿らなくてはなりません。

この忠隆というのは嫡子でありながら当主になれませんでしたが、理由はガラシャ絡みです。
中津藩主時代、忠興が息子忠隆に対し、正室の千代(前田利家七女)を実家に帰すよう要求
しました。傍にいながらガラシャを救うことが出来なかったというのが理由。しかし忠隆は拒否。
前田家などとのコネクションを重視したのでしょう。結果、勘当されたのです。
後に子孫は六千石を分地され長岡内膳家を立ち上げました。

17 :日本@名無史さん:04/04/30 02:09
>>14
佐々成政は甥や娘婿がみんな成政の養子を名乗ってるもんな。
実際はそんなに沢山、養子にはしてないんだろうけど。

18 :日本@名無史さん:04/04/30 21:06
高円宮妃久子さんって鷹司家とどんな風に繋がるの?
↓の子爵家って鷹司じゃないよね?
http://www.fusosha.co.jp/senden/2003/042481.html
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/meiji-shouwa/goraireki.htm
母方の曾祖母は五摂家の一つである鷹司家のご出身で、
五摂家の一つである九條家ご出身の貞明皇后(大正天皇の皇后)とはいとこ同士のご関係。
母方の祖母は、子爵家の第二女。

19 :日本@名無史さん:04/04/30 23:34
>>11
さすが森鴎外、「栗山大膳」には感動しました。
文中の「博多(はかた)の町人が浮世又兵衞の屏風(びやうぶ)を持つてゐる」の浮世又兵衞とは荒木村重の子の絵師岩佐又兵衛(1578〜1650)の事です。
岩佐又兵衛は元和2年(1616)ころに京都から北庄に移住し、38歳から59歳のほぼ20年間を越前ですごしています。
福井では、多くの画工を抱え藩主や寺社・豪商の求めに応じて作画活動をするいわば工房を主催しました。
寛永14年(1637)に将軍家の調度品作成のために福井から妻子を残して出府し江戸で没しました。
「栗山大膳」では寛永3年(1626)に十太夫が浮世又兵衞の屏風(びやうぶ)を博多(はかた)の町人から家來を遣つて強奪させていますが、疑問が残ります。
十太夫が直接福井の岩佐又兵衛に同じ絵を描いてくれと注文すれば良かったわけですから。
注文のルートがみつからずその町人に仲介を依頼して断られたとか?
ちなみに岩佐又兵衛の子荒木村光(弥助)は福岡藩主黒田忠之に400石で召し抱えらますが、寛永20年(1643)20歳の時ですので、この事件には無関係です。
松本清張の小説  岩佐又兵衛
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/kwg1840/geitan.html#nazokinsei29

20 :日本@名無史さん:04/05/01 01:59
>>18
貞明皇后から辿ってみた。
この「母方の曾祖母」に該当する、鷹司姓を名乗った貞明皇后の従姉妹は二人。
一人は鷹司熙通侯爵の娘、房子。
もう一人は松園尚嘉子爵の娘で、鷹司熙通侯爵の養女になった晃子。
系図にすると

九条尚忠┬九条道孝(公爵)─貞明皇后節子
      ├松園尚嘉(子爵)─晃子(曽我祐邦夫人)
      │             ↓
      └鷹司熙通(侯爵)┬=晃子
                  └房子(上杉憲章伯爵夫人)

房子は伯爵夫人だから多分違うだろう。
晃子は曽我子爵家に嫁いだのか?ならばこちらであろうが・・・
これ以上は手元に資料が無いので判らん。すまん。

21 :日本@名無史さん:04/05/01 02:48
>>18
>>20
たぶんこんな感じじゃないですかね。
九条尚忠−松園尚嘉−曾我晃子(鷹司熙通養女)−友田某室−鳥取二三子−高円宮妃久子
九条尚忠−九条道孝−貞明皇后節子−三笠宮崇仁親王−高円宮憲仁親王
曾我祐興−曾我祐準(子爵)−曾我祐邦−友田某室−鳥取二三子−高円宮妃久子
曾我家は旧柳川藩士で祐準の代に子爵。
高円宮妃の外祖父母(友田氏)の名前は知りません。
九条尚忠は幕末の関白で、高円宮家はご夫妻とも尚忠の血を引いています。

22 :日本@名無史さん:04/05/01 03:57
鷹司熙通侯爵 ×
鷹司熙通公爵 ○

ケアレスミスとは言い難い >>20

23 :日本@名無史さん:04/05/01 08:53
ちんちんまんまん最強伝説

24 :日本@名無史さん:04/05/01 10:17
タカマドの奥さんの母方の家系なんか調べて何の意味があるのだw

25 :日本@名無史さん:04/05/01 11:17
松園家って九条家の分家で男爵だったと思います。鵜殿家なんかも九条の分家ですね。
分家で爵位をもらってるのはだいたい男爵です。

26 :日本@名無史さん:04/05/01 11:38
>>17
妹の息子ってのは前スレで見たけど他にも居たっけ?<養子

27 :日本@名無史さん:04/05/01 11:50
分家でしかも女系の女系じゃ、摂関家の子孫なんて言えないな>タカマド妻

28 :日本@名無史さん:04/05/01 14:05
>>20-21
どうもありがとです。それだと曾祖母が鷹司で貞明皇后の従姉妹。祖母が子爵家でぴったりです。

29 :日本@名無史さん:04/05/01 14:20
ていうか、明らかに鳥取さんと友田さんの遺伝子が濃厚なわけで、
鷹司の血なんて微々たるもんじゃん。
その程度のつながりで摂関家の親族っていうのもねえ。

30 :日本@名無史さん:04/05/01 17:27
上杉先生は宿敵武田家の子孫でもある。
武田信虎−今川義元室−今川氏真−吉良義定妻−吉良義弥−吉良義冬−吉良義央−上杉綱憲−上杉吉憲−上杉重定−上杉勝煕−上杉斉定−上杉斉憲−上杉茂憲−上杉憲章−上杉隆憲−上杉邦憲
上杉邦憲氏
http://www.isas.jaxa.jp/j/about/pb/professor/a/uesugikuninori.html
弟の隆治氏
http://www.mmjp.or.jp/mitaka-orc/profile_uesugi.html

31 :日本@名無史さん:04/05/01 21:28
>>30
例の「お公家さんの子孫には、作家、舞踏家、研究者…など一人で活躍される方が多いのに、
大名の子孫にはあまり見当たらないのです」って本
上杉家だけで科学者、指揮者が居るのにね。あと上杉は画家になった人も居るね。

32 :日本@名無史さん:04/05/01 22:45
有馬頼義一人だけでも十分活躍してると思うのだが>華族作家

33 :日本@名無史さん:04/05/01 23:04
>>31
徳川武定(とくがわ たけさだ)(1885〜1957)
水戸藩分家の当主、子爵。海軍軍人、造船技術研究者。
水戸藩主・徳川昭武の次男。明治25年、分家し、子爵に叙爵。
東京帝国大学造船科を卒業後、海軍 に進み、海軍大学枚教官、海軍技術研究所造船研究部長を歴任し、技術系将官の最高位である海軍造船 中将に昇進している。
母校の東京帝国大学工学部教授もつとめた。
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/m348.html

学習院大学教授で言語学者だった徳川宗賢(とくがわ むねまさ)氏は田安家9代当主だった。
http://www.yotsuya-benri.net/spcial/yotsuya4.html

また、確か東京大学の教養学部長も勤めた生物学の毛利秀雄名誉教授は、毛利の殿様の末裔で、実家が金持ちなので実家の援助で金にならない生物学を専攻できた、と言う噂だった(真偽不明)。


34 :日本@名無史さん:04/05/01 23:23
公家で有名なのって誰?

35 :日本@名無史さん:04/05/01 23:26
>>33
追加
大河内正敏(おおこうち まさとし)(1878〜1952)
 三河吉田藩(豊橋藩/7万石)元藩主家の当主、子爵。科学者、企業経営者。
この家は長沢松平家嫡流の断絶後、大河内正網、信頼らが入って名跡を嗣いだ家。
特に信網は第3代将軍・ 家光に重用されて老中となり、「知恵伊豆」と呼ばれたことで名高い。
維新後、松平から、大河内に復姓・ 正敏は一族の上総大喜多藩主・大河内家からの養子で、東京帝国大学造船学科を卒業後、工学博士号を 取得。
母校の教授となり、造兵学を講じた。
また、理化学研究所を創設して、これを基幹とする 「理研コンツェルン」を短期間に巨大な新興財閥に成長させ、同時に数多くの科学者を育てた。
のちには、 海軍省参事官、軍需省顧問等の軍事関係の要職や、貴族院議員にも就任している。


36 :日本@名無史さん:04/05/01 23:53
黒田長禮侯爵、蜂須賀正氏侯爵は鳥類学者。
http://www.museum.pref.gifu.jp/gifu1map/guid_evt/kouza/tyouruigakusya.htm
昭和のはじめ、日本の鳥類学は山階芳麿、黒田長禮、蜂須賀正氏など皇族や華族といった「殿様」の子孫による「帝王の学問」でした。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/tbsj/BSJ02.htm

37 :日本@名無史さん:04/05/02 00:13
>>34
近衛秀麿(音楽家)・武者小路実篤(作家)・中條百合子(作家)

ってスレの趣旨からずれそうなのでこの辺にしておく(w

38 :日本@名無史さん:04/05/02 00:23
佐竹家中だった徳川氏の系譜と有名な松平郷の「徳阿弥」とかいう人の主張していた
先祖って、どの辺で結びつくのか分かる人いませんか?
少々の本を見ても載っていなかったりするので。

39 :日本@名無史さん:04/05/02 18:06
六角義治の子孫って続いてるの?高家の六角家って関係ないんでしょ?旗本にはなってないのかな。

40 :日本@名無史さん:04/05/03 01:16
スケートの八木沼純子って松方正義の子孫だってね。

41 :日本@名無史さん:04/05/03 13:05
>>37
中條百合子は佐倉藩士族西村茂樹の娘と建築家の中條某の子供で華族ではない。

42 :日本@名無史さん:04/05/03 13:55
中條百合子の実家って米沢上杉家の家老でしょ?
他にも同姓同名の

43 :日本@名無史さん:04/05/03 13:57
中條百合子の実家って米沢上杉家の家老でしょ?
他にも同姓同名の人がいるのかな。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/e_nakajo.html

44 :日本@名無史さん:04/05/03 14:29
http://shomon.net/maga/ma49.htm
本名中條ユリ。父は、米沢藩の家老で後に福島県下で開拓の事業にあたった
人の子として生まれ、後に有名な建築家となった中條精一郎であり、母は
これもまた、佐倉藩の重役で明治時代の有名な学者である西村茂樹の娘であった。

45 :日本@名無史さん:04/05/03 14:30
簿簿

46 :日本@名無史さん:04/05/03 17:27
中条何とかって名前の武将「信長の野望」にもいたな。

47 :日本@名無史さん:04/05/03 18:58
中條資種のこと?

48 :日本@名無史さん:04/05/03 19:37
景資とかな

49 :日本@名無史さん:04/05/03 21:33
>>39
他所のスレに書いてたよ。

18 名前:バロン曽志崎 投稿日:2004/01/04(日) 20:37
義治の系統は、義治の弟・義定の孫・定治が継いで、加賀前田藩士となった
との所伝があります。
人持組二千五十石の佐々木家がそれです。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1072894766/l50

50 :46:04/05/04 00:53
>>48
そうそう、景資。

51 :日本@名無史さん:04/05/04 14:26
>>39
>>49
六角義賢−義治=定治(婿養子)−定之−定賢−定明−定国−定則−定正−定舒
佐々木定舒の代で明治を迎えている。

52 :日本@名無史さん:04/05/04 22:31
秋月種実−秋月種長−秋月種貞室−秋月種春−秋月種信−秋月種封−松浦信秀−平塚為善室−於萬の方−溶姫−前田慶寧−近衛衍子−近衛文麿−細川温子−細川護熙
松浦隆信−松浦鎮信−松浦久信−松浦隆信−秋月種信室−秋月種封−松浦信秀−平塚為善室−於萬の方−溶姫−前田慶寧−近衛衍子−近衛文麿−細川温子−細川護熙
有馬晴純−大村純忠−松浦久信室−松浦隆信−秋月種信室−秋月種封−松浦信秀−平塚為善室−於萬の方−溶姫−前田慶寧−近衛衍子−近衛文麿−細川温子−細川護熙

まだ九州の大名で繋がってないのは宗氏、伊東氏ぐらい?他にあったっけ?

53 :日本@名無史さん:04/05/05 00:01
ふーん。
俺も秋月の血が混じっているので上記の三大名の子孫でもあるのだが
徳川溶姫に秋月種封の血が入っているというのは初めて知ったよ。


54 :53:04/05/05 00:28
ちょっと調べてみたけど
http://wolfpac.press.ne.jp/tokugawa11.html
ここを見ると溶姫の母親は内藤造酒允就相の女となってるけど?

55 :52:04/05/05 00:49
>>54
すんません。まちがえちゃった。淑姫と勘違いしちゃったです。

溶姫の母の出自に関してはこんなのを見つけますた。
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~s-juku/fieldhockey5_2moneburarin.html
溶姫の母お万の方は家斉後年の寵姫で家斉41歳の時に溶姫、更に43歳、45歳の時に2姫をあげている。
絶世の美人で、その容貌をもって家斉の鼻の下の寸法を随分引き伸ばした。側室にあがる前は中野播磨守清茂養女とあるが、
武士の家の子ではない。中山法華経寺派の堕落坊主日啓の破戒の産物としてこの世に生まれてきたようである。
中野清茂の屋敷に奉公に出ることとなったが、家斉の寵臣であった清茂はさらに思し召しを得るべく、新参の奉公人の器量に着眼、
自身の養女に仕立て上げ、千代田の大奥に差し出すこととした。好色将軍家斉を釣るにはまたとない餌で、まんまと成功、
これが中野の出世に繋がったのみならず、親爺日啓のその後の開運にをも大きく役立つこととなった。

56 :日本@名無史さん:04/05/05 01:02
淑姫の爺ちゃんはとんでもない破戒僧だよ
http://www5c.biglobe.ne.jp/~cibakon/92507934/

57 :日本@名無史さん:04/05/05 01:05
↑溶姫の爺ちゃんはとんでもない破戒僧だよ です
http://www5c.biglobe.ne.jp/~cibakon/92507934/

58 :日本@名無史さん:04/05/05 12:46
>>51
20 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/01/04(日) 23:34
義定の系統が青地氏をついで、これも加賀藩士だった気がする。←この青地氏の系譜わかりますか?

59 :日本@名無史さん:04/05/05 14:17
現存する豊臣氏の血統
木下弥右衛門━瑞龍院━豊臣秀勝━豊臣完子━九条道房━逸姫━浅野綱長━吉長━
宗恒━重晟━斎賢━斎粛━慶熾=長訓=長勲

長訓は、七代浅野重晟の四男浅野右京長懋(ながとし)の九男
長勲は、七代浅野重晟の四男浅野右京長懋(ながとし)の八男浅野式部懋昭(としてる)の長男

60 :日本@名無史さん:04/05/05 21:43
豊臣完子さんは豊臣家の血をなんとか残して偉いねぇ。

61 :日本@名無史さん:04/05/05 22:57
日本人種の血統の純度がいかにも低いように見せかける三国人の工作が
2chには頻繁に見られるが、世界中、純粋な人種などは極めて少ない事など
は当然ある。

問題なのはその純度であり、日本人は、中国人や朝鮮人などと比べて、
極めて純度の高い北方モンゴロイドである事をgm遺伝子が証明している。

日本人種は、純度の高い北方モンゴロイドであり、コーカソイドと
分かれた頃の古モンゴロイド形質を残しているという世界でも珍しい
とても貴重な人種。

世界の宝たる日本人種の血統を絶対に汚してはいけない。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

62 :日本@名無史さん:04/05/05 23:25
ウィキペディアに出てた

秀頼の遺児国松は、同じ1615年(慶長二十年)五月二三日(グレゴリオ暦1615年6月19日)、徳川氏の手によって殺され、ここに秀吉の興した豊臣氏は滅亡した。

なお、国松は薩摩に逃れて島津家にかくまわれ、豊後国日出藩木下家の分家である交代寄合木下家の祖、木下延次になったのであるという異説がある。その子孫は現在豊臣の姓を名乗っているという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/


63 :日本@名無史さん:04/05/05 23:57
>>62
木下延次家だが、まぁここを見てくれ。
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kinosita.htm

64 :日本@名無史さん:04/05/05 23:59
>>62
>その子孫は現在豊臣の姓を名乗っているという。

つーか、交代寄合家に限らず、北政所つながりの木下家ってみんな豊臣姓でしょ。

65 :日本@名無史さん:04/05/06 00:38
今現在のミヨジが豊臣ってことじゃないの?

66 :日本@名無史さん:04/05/06 01:00
>65
>立石木下家は11代俊清の時に明治を迎えますが、12代俊明(俊)が大正五年に
>没し、彼の代で同家は断絶したと同書には書いてありましたので私もそう思っ
>ていましたが、『旅とルーツ』第78号によると御子孫がいるという話で、
>現在は豊臣姓を名乗っておられると書いてありました。

たしかに63で紹介のサイトに書いてあるね。だけど、この文章読んで
大垣ニセ有栖川の由来説明を思い出すのよね。そっくりなんで。

67 :日本@名無史さん:04/05/06 01:44
有栖川もいろいろ研究したんだろうな

68 :日本@名無史さん:04/05/06 21:06
足利家(平島公方)
足利尊氏−義詮−義満−義教−政知−義澄−義冬−義助−義種−義次−義辰−義武−義宣−義根−義俊−義孝−義廉−進悟

69 :日本@名無史さん:04/05/07 04:19
>>19
荒木村重の謀反を描いた、遠藤周作の「反逆」に村重の遺児が絵師になったって話が出てました。
あと村重が一族郎党を見殺しにしたのを恥じて、道糞(みちばたの犬のふん)と名乗ったって話も。

70 :日本@名無史さん:04/05/07 20:58

朝鮮人は日本人の倍くらい南方モンゴロイドの遺伝子が多い。

満州人、華北人に至っては日本人とは比較にならないくらい
南方モンゴロイドの遺伝子が多い。

華南人、東南アジア人においてはその遺伝子のほとんどが
南方モンゴロイドで占められていてもう真っ赤である。

そう、我々日本人は純度の高い北方モンゴロイドなのである。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

71 :日本@名無史さん:04/05/07 21:46
586 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/14(日) 13:41
真田昌幸−真田幸村−顕性院(岩城宣隆室)−岩城重隆(亀田藩主)−岩城景隆−岩城秀隆
豊臣秀次−隆清院(真田幸村側室)−顕性院(岩城宣隆側室)−岩城重隆(亀田藩主)−岩城景隆−岩城秀隆


この岩城の血筋もどっかに残ってるんじゃ。一応豊臣家の血入ってるけど。

72 :日本@名無史さん:04/05/07 22:14
>68
足利も健在ですか
臣戚降下したとはいえこの家も
皇統の一つですね。

皇統は不滅です

73 :日本@名無史さん:04/05/07 22:17
正統源氏頼光流の子孫の方は
健在でしょうか?

74 :日本@名無史さん:04/05/08 00:43
石田三成ー岡重政室ーお振の方(徳川家光側室)ー徳川光友室ー徳川綱誠ー宗春=宗勝ー宗睦=斉朝=斉温=斉荘=慶臧=慶勝=茂徳=義宜

75 :日本@名無史さん:04/05/08 18:10
>>39
高家の六角は、公家の烏丸光広の次男広賢に始まる家で藤原氏。

76 :日本@名無史さん:04/05/08 23:26
>>73
美濃守護の土岐頼芸の子孫は、頼芸嫡男の頼次の家と四男頼元の家が高家として残った。
頼次の子孫は、泥酔して市中で刃傷沙汰を起こし改易断絶。頼元の子孫は続いてるんじゃないの。

77 :日本@名無史さん:04/05/09 15:08
某アーカイブにある画像ファイルって見れないのかね。昔、紀州藩、西条藩、宇和島藩等の藩士系譜を掲載されてたサイトが書庫にあるけど、
肝心の系図がGIFなんだよね。

78 :日本@名無史さん:04/05/09 20:12
>>75
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/yaku1.htm
ここのリストにある高家の出自ってわかります?

79 :日本@名無史さん:04/05/09 21:30
>58
加賀藩士青地家

元珍=等定(佐々木高定の四男)=定政(本多朝政の子)−斎賢−蕃宣−愛親=親久(伊藤適の二男)=順信(伴某の子)−順行−順次

元珍=等定=定政−礼幹−忠愛=基時(佐藤治兵衛の二男)−基明=基治(順行の弟)


80 :日本@名無史さん:04/05/10 14:55
>>78
畠山飛騨守義宣は能登畠山家、畠山左衛門基利は管領家の出。

81 :日本@名無史さん:04/05/10 17:37
test

82 :日本@名無史さん:04/05/10 20:57
>>79
青地等定の六角氏との関係
蒲生定秀−青地茂綱−青地光綱(元珍)
青地茂綱は蒲生氏郷の叔父
六角義賢−佐々木承漢(大原高定)−青地等定(光綱の婿養子)

83 :日本@名無史さん:04/05/10 23:27
>>78
高家の前田は押小路家と高辻家の分家。
戸田家は六条家の分家。有馬家は久我家の分家。

84 :日本@名無史さん:04/05/11 20:47
>>78
畠山左衛門基利は↓の系統
政長─尚順─政国─政頼─貞政─政信(高家に)─基玄…

85 :日本@名無史さん:04/05/12 00:25
>>78
吉良中務義房は蒔田吉良氏。東条吉良氏は断絶しちゃったのかね?

86 :日本@名無史さん:04/05/12 12:49
島勝猛(左近)−柳生利厳(兵庫助)室−柳生厳包(連也斎)

87 :日本@名無史さん:04/05/12 20:10
>>79
加賀藩士の跡目相続で実子が継ぐ割合は58%。弟や甥、従兄弟が継ぐのが7%。血を繋ぐのも大変。

88 :日本@名無史さん:04/05/12 20:21
>85
おそらく。江戸時代前に。
あるいは東条城前の畑耕してる
じいさんは子孫かも。

89 :日本@名無史さん:04/05/12 21:50
モー。加護は公家の末裔

90 :日本@名無史さん:04/05/13 01:21
常陸宮妃華子さまの母、津軽久子さん死去
http://www.asahi.com/obituaries/update/0512/003.html
毛利元就−穂井田元清−毛利秀元(長府藩)−毛利元知(清末藩)−毛利匡広(長府藩)−毛利重就(萩藩)−毛利匡芳(長府藩)−毛利元義−毛利元運−毛利元敏−毛利元雄−津軽久子

91 :日本@名無史さん:04/05/13 01:49
>>90
今の津軽家って藩祖の血がどっかから入ってるんですかね。養子続きだけど。

92 :日本@名無史さん:04/05/13 02:26
>>91
南部

93 :日本@名無史さん:04/05/13 19:49
>>90
喪主ってだれがやるのかね。娘は全員他家に嫁いでるはず。孫娘がホークスの中内オーナーの嫁だよ。

94 :日本@名無史さん:04/05/13 19:54
>>93
URL読んだ?
「喪主は久子さんの子で津軽家当主の晋(しん)さん。」

95 :日本@名無史さん:04/05/13 21:00
津軽晋さんって誰の子供なんだろうね。久子さんの実子ではないよね。
娘が嫁いでる家から養子を取ったのかな。高野家とか。

96 :日本@名無史さん:04/05/14 09:12
>>91
藩祖津軽為信と現当主の津軽晋さんは血縁関係はないです。
津軽為信の血の繋がった男系子孫は他家に居ます。

97 :日本@名無史さん:04/05/14 15:56
>>95
やっぱり孫だって
喪主は孫で、津軽家当主の晋氏
http://www.nikkei.co.jp/news/okuyami/20040513AS1G1300U13052004.html

98 :日本@名無史さん:04/05/15 14:36
>>96
亀井とか真田、宇和島伊達なんかも藩祖の子孫は他家にいるよ。

99 :日本@名無史さん:04/05/15 15:34
華族の子孫ネタはキモイ。

ていうか、華族ヲタって30過ぎた無職童貞パラサイトが大半を占めることは
オマエらが一番よく知っているだろ。社会を構成するピラミッドで言うなら
底辺も底辺、土方かチンピラ(価値観もそんなモンだろ)。
一般の社会に出てきてないで自分たちの第三世界で派閥争いでもやってろや。

100 :日本@名無史さん:04/05/15 15:37
口は悪いがそのとおりだな。
口が悪いが。

101 :日本@名無史さん:04/05/15 15:46
>>99
コピペの方がキモイ。


102 :日本@名無史さん:04/05/15 16:11
>>98
松代藩士の中に真田信之の男系子孫が居るのかな?

103 :日本@名無史さん:04/05/15 21:26
たしか真田勘解由家があったよね。旗本→松代藩士の。

104 :日本@名無史さん:04/05/15 22:08
自民党の亀井静香と津和野藩主家の子孫の亀井久興は先祖が同じなんですって。しってましたか

105 :日本@名無史さん:04/05/15 22:15
遠い先祖が共通だったかもしれないが、普通の意味での一族ではないでしょう。

106 :日本@名無史さん:04/05/15 23:53
津和野藩主亀井家初代の慈矩と亀井静香の先祖吉助は兄弟だから元はおなじ。片方は江戸時代殿様となり片方は農民となった。うそだとおもうなら亀井吉助で検索してみな

107 :日本@名無史さん:04/05/16 00:03
いや、そういうのは「普通」は「一族」とは言わないんでは?
津和野藩の一門ならともかく、江戸時代以前に分かれて農民になったんじゃねw

そもそも、その家系伝承が事実かどうかも怪しいわけだし。

108 :日本@名無史さん:04/05/16 18:27
>103
前田の家臣に真田勘解由がいる。色んなとこに真田さんがいるね。
http://www.library.pref.ishikawa.jp/ipl/dglib/samurai/doc/kanei4/kanei4Page26.htm

109 :日本@名無史さん:04/05/17 03:41
>>91
津軽義孝氏は尾張徳川家分家からの養子で、その血筋は水戸徳川→高須松平→尾張徳川→尾張分家
この系統には津軽為信の血は入っていないんじゃないかな。

110 :日本@名無史さん:04/05/17 18:36
細川幽斎の子孫じゃない細川家
http://wolfpac.press.ne.jp/hosokawa.html

111 :日本@名無史さん:04/05/17 23:39
立石木下(羽柴)家は、子孫が続いてるんですかね?豊臣は姓であり、現在豊臣を名乗っておられるなら、これは苗字の豊臣であり、違和感があるが・・・。
たとえフィクションの家伝だとしても、明治維新後、日出・足守両木下氏が、豊国神社を明治政府公認で復活したのを考えても、江戸時代を通し、両家及び立石家には、それなりの複雑な感慨があったのでは。
ニセ有栖川と一緒にするのは、酷だ。 但し、立石家の子孫なら、羽柴を名乗っている方が自然ですね。


112 :日本@名無史さん:04/05/18 16:35
>>111
以前読んだ本に、旧日出藩主家の方が「立石木下家は絶えている」ってコメントされてたけど
現在も家が続いてるのなら両家に付き合いがないのかな。
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/kinosita.htm ←ここには続いてると書いてるけど。

113 :日本@名無史さん:04/05/18 23:27
))112 なるほど。立石木下家自体は、この俊明氏で断絶か?女子の血統は残ると見た。
見れば、その間(江戸期)も女子の血筋はたくさん出ているし、養子に入った男子もある。
これらが、のち豊臣を名乗ってるのかもしれない。

114 :日本@名無史さん:04/05/18 23:33
庶流が勝手に豊臣を名乗っただけか

115 :日本@名無史さん:04/05/18 23:37
))114
そんな気もします。

116 :日本@名無史さん:04/05/19 04:05
有馬頼底さん、書いた掛け軸をネット通販してる。値段みてみて。
http://www.forumkaya.co.jp/artist/sakuhin/AK-AR/AK-AR01/

117 :日本@名無史さん:04/05/19 20:39
金田一先生死去
http://www.sankei.co.jp/news/040519/bun088.htm
金田一氏は南部氏の一族。金田一少年の先祖も新羅三郎義光なのだ。じっちゃんの名にかけて。

118 :日本@名無史さん:04/05/20 01:23
前スレより
572 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/13(土) 15:43
赤穂藩五代藩主の森忠洪の血筋がわからん。
父親の家老森縫殿正典って何処の家の人なんや?
とりあえず、赤穂藩主、三日月藩主、新見藩主の系図と森主税家、森続之丞家、
家老各務家、森次郎家、森才兵衛家、森半十郎家、森左兵衛家の系図も見たが判らんかった。

597 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/15(月) 18:57
>>572
森忠政−関成次室−森正方室−森某−森正典−森忠洪(赤穂藩5代)
こんな感じで繋がるんじゃないかな、あんまり自信ないけど…


↑の某の名前が判ったので補足
森所左衛門正方−森兵右エ門−森門十郎正典

119 :日本@名無史さん:04/05/20 03:00
うひゃひゃ

120 :日本@名無史さん:04/05/20 21:36
裏千家の親子が高額納税者の六位と八位にランクインしてますね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040518-00000003-mai-l26
裏千家は千利休の外孫の家ですけど、現在も利休の血筋は続いてるんですかね?

121 :日本@名無史さん:04/05/21 03:42
高橋鎮種−立花種次−立花種明−立花貫長−立花長煕−立花種周−立花種道−加納久宣−麻生夏子−麻生太賀吉−麻生太郎

122 :日本@名無史さん:04/05/21 04:11
>>109
津軽って本家(伯爵)も分家(男爵)も細川家の血が入ってるね。
細川立之−細川斉護−津軽承昭−津軽寛子−津軽義孝
細川立之−細川行芬−細川行眞−津軽行雅−津軽承靖

123 :日本@名無史さん:04/05/21 14:57
日本で血統といえば男子血統だろう。
女子で血が繋がっていてもそれは血統とは言わない。



124 :日本@名無史さん:04/05/21 16:44
>123
日本史板の血統スレにいってみ、勉強になるから

125 :日本@名無史さん:04/05/21 17:26
女系オタ必死だなw

126 :日本@名無史さん:04/05/21 17:31
昔は政略結婚が多かったから、女系でつながってることなど珍しくもない。
それより、養子で意外なところに意外な人物の男系子孫が残ってることの方が
スレの趣旨にふさわしい。

127 :日本@名無史さん:04/05/21 17:58
>>123
広辞苑には血統について「血のつながり」と書いてるので男系、女系は関係ないですな。

128 :日本@名無史さん:04/05/21 18:17
74 :日本@名無史さん :04/05/08 00:43
石田三成ー岡重政室ーお振の方(徳川家光側室)ー徳川光友室ー徳川綱誠ー宗春=宗勝ー宗睦=斉朝=斉温=斉荘=慶臧=慶勝=茂徳=義宜

前スレにも有りましたが、お振の方を岡重政の娘とするのは兎も角、三成の孫娘とするには無理が有るのでは無いでしょうか?
1.岡重政は蒲生家の重臣で活躍年代からすると1580年以前の生まれと考えられる。
2.お振の方の生年は未詳ですが、娘の千代姫は1637年誕生なので、1620年頃生まれと思われる。
3.岡重政が三成の婿となったのは関ヶ原以前と考えられるので、三成の娘も80年代の生まれと思われる。
以上の3点から考えると三成の娘は1620年には30代後半となり、不可能では無いが無理が有るのでは無いでしょうか。
もし、お振の方が三成の血を引く可能性が有るとすれば、異説で父とされる岡吉右衛門が重政の息子であり、石田氏腹の場合だけでは
無いでしょうか?
※春日局の側近祖心尼がお振の方の祖母という話があるようですが、どこに絡んでくるのかな・・重政か吉右衛門の姑?

事実誤認など有りましたら指摘していただけると有り難いです。
以上長文失礼しました。


129 :日本@名無史さん:04/05/21 18:32
>>128
たしか「徳川実記」には重政の息子と祖心尼の娘の間の子とあったような<お振の方

前スレより
557 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/11(木) 18:39
祖心尼は将軍家光に仕えた尼僧で血縁関係は以下のとおり
稲葉通則−稲葉一鉄−稲葉重通−牧村利貞(外祖父牧村助定養子)−祖心尼(前田直知室、後に町野幸和室)
牧村利貞は利休七哲の一人、キリシタン大名
祖心尼−岡吉右衛門室(父は町野幸和)−お振の方(徳川家光側室)−千代姫(徳川光友室)−徳川綱誠(尾張藩主)
岡重政−岡吉右衛門−お振の方(徳川家光側室)
稲葉通則−稲葉一鉄−稲葉重通=稲葉正成(正室は春日局)−正勝(母は春日局、小田原藩主)
稲葉通則−稲葉通明−斎藤利三室−お福(春日局)
芳春院(お松、前田利家室)−幸(前田長種室)−前田直知(加賀藩家老)−前田直正(母は祖心尼)−前田考貞
祖心尼の養子として前田直知の孫直良が旗本牧村家を継いでいる
前田長種−前田直知−前田直成(母は祖心尼)−牧村直良(祖母の名跡を継ぐ)
祖心尼の墓には孫前田考貞修造と刻まれている
関連 >>19 >>392


558 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/03/11(木) 18:57
祖心尼は姑の幸(前田長種室)と折り合いが悪く、前田直知と離別することになった。
再婚相手の町野幸和は蒲生家の家臣。
お振の方(徳川家光側室、祖心尼孫)の祖父岡重政も蒲生家の同僚だった。
祖心尼の父牧村利貞と蒲生氏郷は共に千利休の弟子で、氏郷をキリスト教に勧誘したのは利貞。

130 :日本@名無史さん:04/05/21 19:42
じゃあ、やっぱりお振の方は重政の孫娘なのですね。
そうすると残る問題は吉右衛門の母が三成の娘かどうかですが、どなたかご存じな方はおられないでしょうか


131 :日本@名無史さん:04/05/21 20:33
>>128
引用している尾張家の系図は養子だらけでズタズタに寸断されている。
三成の血統など、途中で完全に途切れているのに幕末の藩主まで書く必要があるのか?

132 :日本@名無史さん:04/05/21 20:51
俺も>>128みたいなのはまったく無意味だと思う。
血統スレなのだから女系でもなんでも繋がってればオッケーだと
思ってるけどね。

133 :日本@名無史さん:04/05/21 21:59
>>130
三成の長女が岡重政に嫁いで吉右衛門を産んだって話をなにかで読んだんだけど、何だったかな。「石田三成のすべて」だったかな。
>>132
>>74>>128とは別人なんじゃない?ただ三成とお振の方の関係が知りたかったんじゃないの?

134 :日本@名無史さん:04/05/22 00:40
今更だけど、前スレのログ
http://mimizun.com/cgi/dattohtml.pl?http://mimizun.com:81/log/2ch/history/academy2.2ch.net/history/kako/1075/10750/1075048855.dat


135 :128:04/05/22 03:04
74さんとは別ですよ。
もとのレスをコピーしただけなのであしからず。
三成とお振の方が繋がれば元総理まで繋がるので気になったのです。


136 :日本@名無史さん:04/05/22 11:04
>>135
お振りの方に三成の血が入ってるって話は、学研歴史群像シリーズ「石田三成」に出てます。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia7s-nki/knsh/denki/shisyo.htm

137 :日本@名無史さん:04/05/22 20:20
赤井悪右衛門キター

138 :日本@名無史さん:04/05/22 21:06
伊達政宗ー忠宗ー綱宗ー綱村ー吉村ー綱村ー堀田正敦ー正衡ー北条氏恭
堀田正敦は、伊達宗村の八男
北条氏恭は、堀田正衡の三男

139 :日本@名無史さん:04/05/22 21:37
伊達政宗ー忠宗ー綱宗ー宗贇ー村年ー村侯ー宗紀ー松平忠淳
松平忠淳は島原藩主

140 :日本@名無史さん:04/05/22 21:42
伊達宗村ー堀田正敦ー毛利元世
              (清末藩主)

141 :日本@名無史さん:04/05/22 21:49
>>138-140
こういう書き込みを待っていた。
伊達の男系子孫が北条くんや毛利くんになってるみたいなネタね。

142 :日本@名無史さん:04/05/22 22:40
》132
左様。血統は男女関係なく続いているといえる。
男系が問題とされるは、「家」という概念に立つ時だ。特に武家は家の考えが強い。
男系が絶えれば、その家は断絶となる。
たとえ、血がつながらなくても、養子を迎えれば、その家は、続く。家紋も、家宝も継承される。
それはやむを得ぬ場合で、出来れば血を繋げたいからその養子に娘(女子)を娶わせる。
そこに血統の意識が確実に働いている。


143 :日本@名無史さん:04/05/22 22:51
だから女系で続いてるなんてネタは珍しくもないから、もういいよ。
それより意外なところに意外な人物の男系子孫がいるってネタの方が面白い。

144 :日本@名無史さん:04/05/22 22:59
男系だろうが女系だろうが好きに書けば良いじゃん。スレ主も変な制約はしたくないって言ってたっしょ。


145 :日本@名無史さん:04/05/22 23:08
大名の系図を見ていて思うことがある。
確かに「血」を受け継がせるという意識は強いけれど、それ以上に
「家族」を繋げていきたいという意識のほうが強い感じがする。

藩主家の場合、実際には男の子がいるにも拘わらず娘婿や小舅
に継がせるというケースも多い。藩主の場合は継ぐべき者が年齢
と能力を持っていなければダメということもあるし、また血統大事と
分家から迎え入れるのも、分家同士の勢力争いが既に在れば忌
避されるということもある。また、血縁の無い者でも迎え入れるこ
とがあるが、これには二つ三つ、特別な理由がある。

藩主の場合はまた特別なのかもしれないけれど、その他の家でも、
縁がなかったら敢えて迎え入れようとする感じはない。武家に限っ
たことではないだろうが、血縁は「できるならば」繋げたいという考
え方なのだろうと思う。

146 :日本@名無史さん:04/05/23 00:09
>藩主家の場合、実際には男の子がいるにも拘わらず娘婿や小舅
に継がせるというケースも多い。

男子がいるのに娘婿に継がせるなんていう例が多いなんて言えないでしょう?
娘婿がいても男子に継がせた(ごくごく当たり前の)ケースがその何十・何百倍も
あることを無視して、例外的なケースをもって「多い」と言ってしまうのは
いかがなものかと思う。

147 :日本@名無史さん:04/05/23 02:25
伊達宗城ー松平信廣ー松平信鑰   小島藩
伊達宗城ー蒔田廣城ー蒔田廣靖━━蒔田光弘  浅尾藩
伊達宗徳ー丹羽長徳ー丹羽孝一━━丹羽長聡  二本松藩




148 :日本@名無史さん:04/05/23 02:42
徳川吉宗ー田安宗武ー松平定信ー松平定永ー板倉勝静




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