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明治維新とは一体なんだったのか?3

1 :日本@名無史さん:04/05/10 09:43
需要がありそうなので建てました

過去スレ
明治維新とは一体なんだったのか?1
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1045723543/l50

明治維新とは一体なんだったのか?2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053405956/l50


2 :日本@名無史さん:04/05/10 09:44
革命

3 :日本@名無史さん:04/05/10 10:30
…ではない改革。
天皇を打倒していないのだから、革命とは言えない。

4 :日本@名無史さん:04/05/10 10:38
地球に凄い力を持った宇宙人がきてアメリカが対応したがはっきりしない、他の国がアメリカは頼りにならんからいらんとか、この機械に一旗あげようとかいろいろでできた。中東地域など反アメリカの国が手を結び宇宙人に武器をもらいアメリカは潰れた。

5 :日本@名無史さん:04/05/10 10:47
王政復古という名のクーデター。
ようは薩長の日本支配の恒久化に必要な大義名分さ。

6 :日本@名無史さん:04/05/10 10:48
>>3
実質的な権力は幕府が握っていたんだからなー

7 :日本@名無史さん:04/05/10 11:25
実権の在り処は関係ない。
革命とは体制の交代であり、頂点の天皇が継承する君主の地位が温存されているのにも関わらず革命と称するのは無知のきわみ。
実権を握る面子が入れ替わっただけの事を革命と混同するなら、共和制国家が選挙で大統領が交代しても革命という事になる。

8 :日本@名無史さん:04/05/10 12:52
実験の在り処は関係ない。

プッ

9 :日本@名無史さん:04/05/10 12:53
実権を握る面子が入れ替わっただけの事を革命と混同するなら、共和制国家が選挙で大統領が交代しても革命という事になる。

厨房だなー
実験→実権と訂正。


10 :日本@名無史さん:04/05/10 13:35
頭の悪い奴だな。
実権の移行は革命か否かとは無関係なんだよ。
征夷大将軍が幕府を開く事は、革命じゃないだろ?

11 :日本@名無史さん:04/05/10 13:41
つまり
伊達家の倒幕は失敗に終ったが

薩長は成功した

ただそれだけ

12 :日本@名無史さん:04/05/10 14:04
>>10
ばっかじゃないの?

13 :日本@名無史さん:04/05/10 14:09
革命というのは支配されていたものが支配していた体制を覆して
人心を一新することだよ。

共和制国家が選挙で大統領が交代しても革命という事になる。

ならん。選挙による政権交代だろ。

征夷大将軍が幕府を開く事は、革命じゃないだろ?

ぜんぜん関係ない
実権を握った権力者が朝廷工作し、将軍位を貰って
政府を樹立することだ。



14 :日本@名無史さん:04/05/10 14:24
王政復古とかいってるけど結局、王政も帝政も布かなかった。

君主はある程度の権力を回復したけど、薩長も藩閥として影響力をもった。庶民も
権力の中枢を担わないまでも区以前と比べれば格段に権力をもった。
(代々百姓の俺の祖父、曾祖父ですら官僚になったり、軍人に成ったり出来た)

明治維新とは
士族→痛みを伴う改革
庶民→棚ぼた

だと思ふ。

15 :日本@名無史さん:04/05/10 14:34
明治帝による絶対君主制度は元から薩長首脳陣の脳裏には毛ほども
過ぎっていないだろう。
元々天皇を担いだのは当初は水戸ら勤皇思想の発露であったんだろうが
倒幕が現実的になるにつれて政治的な思惑へと変動していったことは
想像に難くない。
孝明天皇など毒殺説が当時から根強かったし、幼帝を擁立したことからも
考慮すると天皇は倒幕の大義名分であり、薩長による徳川打倒後の
政局の求心力を高める目的以上の事を天皇に与える意図は無いだろう。
ちょうどよく立憲君主の動きが欧米で起こっていた事も薩長には都合
良かったと思う。

16 :日本@名無史さん:04/05/10 14:41
明治維新とは

薩長→改革
幕府→革命

17 :日本@名無史さん:04/05/10 15:54
物分かりの悪い奴だな。
実権の有無とは無関係に、所詮征夷大将軍は天皇のいち臣下に過ぎない。
明治維新は、用済みになった役人が更迭されただけ。
無能な役人がクビになって役所が統廃合されるだけの事が、革命の訳ないだろ。

18 :日本@名無史さん:04/05/10 16:36
実権の有無とは無関係に、所詮征夷大将軍は天皇のいち臣下に過ぎない。

革命は支配されていた層が従来の秩序を覆して新たな秩序を打ち立てる事だといっとろうが。
江戸期が幕藩体制という秩序により形成された社会秩序であった事は
理解できているんだろう?
その秩序を覆し臣従していた薩長が明治政府を樹立し藩閥政治を行った。
これなら理解できるだろう?理解できないなら出来なくてもよろしい。
痴呆は痴呆でも生きるのは別段困らないだろうし。

19 :日本@名無史さん:04/05/10 16:43
>>18
江戸開幕を革命扱いしてる馬鹿発見

20 :日本@名無史さん:04/05/10 16:46
薩長閥が最も蔓延った時でさえ安政期におけるテロルは見られなかったと思うが。


21 :日本@名無史さん:04/05/10 16:46
>>19
お前の頭の中身どうなってんだか。

22 :日本@名無史さん:04/05/10 16:47
>>20
大久保利通が暗殺されたのはテロルじゃないのか?

23 :日本@名無史さん:04/05/10 16:50
>>18
征夷大将軍が天皇の臣下で無かった事など無いが、
いつ支配層の交代が?
それに薩摩も長州も、天皇にとって変わって幕府を支配したりなどしとらんよ。

お前は維新と革命の区別がつかない痴呆だというだけ。
分かるか?
それとも分からないか?

24 :日本@名無史さん:04/05/10 16:52
>>21
お前は自分が言ってる寝言の矛盾をからかわれているだけだよw

25 :日本@名無史さん:04/05/10 16:53
明治政府の藩閥が蔓延った時期の薩長閥による独裁ですら
幕府の安政期における南紀閥の独裁に比べれば穏健だと思うが。


26 :日本@名無史さん:04/05/10 17:01
>>23
古の承久の乱から久しく天皇家は実権を奪われ傀儡と化していたが。
足利義満は日本国王と自認し明に勘合貿易を迫ったが。
君は形式を強弁するが、日本国内の政治認識は天皇<<<<将軍で
あった事を如実に物語っているが。
そもそも王政復古のクーデターの前に「大政奉還」がおこったわけだわけだ。
政事を返したわけだ。
日本を支配していたのが武家政権であり、朝廷に返すから大政奉還と
あいなったわけだ。
君の理屈では支配層が交代していないんだよな。
実際は交代しているんだよ。わかったかい。僕?


27 :日本@名無史さん:04/05/10 17:01
>>25
大久保利通はテロルでやられた事の返答にはなってないですね♪

28 :日本@名無史さん:04/05/10 17:10
薩長の藩閥政治を批判する事で幕府の安政期のようなテロルを肯定するのなら、
それは筋違いだろう。


29 :日本@名無史さん:04/05/10 17:11
実権の有無など無関係だという事が分からない幼児がいるな。
日本国王の印綬など、中華皇帝の支配が及ばない日本国内では単なるガラクタなんだよ。
征夷大将軍が日本国王の印綬を振りかざして天皇に臣下の礼をとらせた事など一度も無い。
つまり、どうあがいても征夷大将軍は天皇の前で臣下として平伏するいち役人以上の存在ではないのだ。
江戸開幕以前も、大政奉還以後もな。

どこが革命なんだか

30 :日本@名無史さん:04/05/10 17:19
>>29
紫衣事件で秀忠は幕府の許可無く住持任免権を行使できないように
しているけどねぇ。

壇ノ浦では入水しているし、
承久の乱では執権に退位、遠島されているし
臣下というより傀儡ですな。

武家政治になってから軍事行動を起こし一時的にしろ天皇親政を
実現したのは後醍醐天皇ぐらいしかいないしねぇ。

そもそも天皇自体名目にすぎず実際は孝明まで暗殺説が出ており
幼児であった明治を樹立したのだけどねw


31 :日本@名無史さん:04/05/10 17:20
大政奉還というのは、政治の全権限を奉りながら返還するという事だ。
将軍が大政奉還以前から天皇の臣下であり続けていた立場に過ぎない事は、政権を奉りながら返還する事で示されている。

明治維新の本質は、役所の統廃合、役人の更迭、人事異動に過ぎない。

32 :日本@名無史さん:04/05/10 17:24
>>30
お前の脳内基準では、誰かが臣下としての分際を逸脱した事件が発生したら例外なく革命扱いなのかね?

それは単なる職権濫用の範疇だろ

33 :日本@名無史さん:04/05/10 17:24
>>31
幕府は「消滅」したんだよ。
明治政府はまったくの新規政府だし
そもそも従来の朝廷の関与をきらった薩長はコントロールしやすい
幼帝を立て、京か江戸に遷都して東京としてまで徹底して人心一新を
図っているんだけどねw

34 :日本@名無史さん:04/05/10 17:26
>>32
単なる職権乱用の範疇ねぇ。
で。誰が処罰するの?
君の脳内で位人臣を極めた天皇様ですかw
実際に承久の乱や紫衣事件で逆に手ひどくやられたのは
時の天皇や上皇たちですがw

35 :日本@名無史さん:04/05/10 17:27
>>33
運輸省が廃止されて、代わりに国土交通省が創設されるのが革命ですか?

36 :日本@名無史さん:04/05/10 17:28
>>35
全然話の事件が違うなぁ。
武家政権が消滅して
幼帝を担いだ(実際は傀儡だけどね)
薩長中心の藩閥政府が出来たんだけどね。


37 :日本@名無史さん:04/05/10 17:29
次元と訂正。
どうでもいいけどね。

38 :日本@名無史さん:04/05/10 17:29
まあ、右翼のオナニーにつきあってらんないや。


39 :日本@名無史さん:04/05/10 17:30
>>34
天皇は、処罰しない事にしたんだよ。
当時は実権が無かったからな。
お前の脳内基準によると、処罰出来なかった時には革命扱いなのかね?

40 :日本@名無史さん:04/05/10 17:31
朝廷は権力は無いが、幕府の権力の裏付としては欠かせなかった。
孝明天皇が水戸藩に勅錠を下した事は幕府の権力にとって政治的には大打撃だった。
朝廷が幕府を支配しているわけではないが、幕府が朝廷をどうにでもできるというわけでもなかった。


41 :日本@名無史さん:04/05/10 17:34
天皇は、征夷大将軍から実権を剥奪して薩長に与えた。
その際幕府を廃止して新政府を創設した。

いったいどう曲解すれば革命なんだかね。

42 :日本@名無史さん:04/05/10 17:34
>>39
せんせ〜遠島はりっぱな処罰ですよー
江戸期も遠島配流ってよく聞くでしょ。
君も喜界ヶ島や八丈島に流されたら気持ちよくわかるよ。
承久の乱おこした後鳥羽上皇なんて一生京に帰してくれなかったん
だけどね♪

43 :日本@名無史さん:04/05/10 17:39
職権濫用で主君に反逆したら革命扱いかね。
当の反逆者はと言えば、あくまで自分が天皇位に即位するでもなく、
あくまで天皇の臣下としての地位に留まっているにも関わらず?

44 :日本@名無史さん:04/05/10 17:40
>>40
権力は無いという事は日本を支配していたのは幕府ですねw
頼朝開闢以来数百年の歴史を何度も時の朝廷が覆そうとするも
果たせなかったんだけどね。
何よりも天皇や上皇自身が幕府つぶしてやる!といきまいて
奪還できたのは後醍醐だけという事実をみとめようね。


朝廷が幕府を支配しているわけではないが、幕府が朝廷をどうにでもできるというわけでもなかった。

公家諸法度は何のためにできたのかなー臣下に行動を束縛されているなー
紫衣事件でも特権剥奪されているしねぇ

45 :日本@名無史さん:04/05/10 17:40
明治天皇睦仁は、即位のとき15歳だった。
幼帝と呼ばれるにはトウが立ちすぎている。
しかし、あふぉで意思無能力者だったので、
幼帝扱いされても納得するしかなかった。

46 :日本@名無史さん:04/05/10 17:43
実権は無いが、将軍は常に天皇の臣下だよ。
革命など発生してはいない。

47 :日本@名無史さん:04/05/10 17:47
>>43
話かえんなよ。
反逆しているのは時の支配者に反抗した朝廷側でしょ僕♪

帝が「謀反」したと取り上げられているでしょ♪

48 :日本@名無史さん:04/05/10 17:48
最高実力者が誰であれ、革命かどうかとは無関係。
維新から明治10年までの最高実力者は大久保利通だが、
だからといって大久保による革命が行われたという解釈を人前で公言したら笑い者にされるから気をつけろ。

49 :日本@名無史さん:04/05/10 17:50
諸侯にすぎないが、薩長は将軍より位が下だよ。
薩長の天下になってはじめて毛利、島津が徳川と同列に並んだんだよ。
下位にたつ者ないし勢力が上位の将軍を覆しているのだがねw
権力の中枢から遠さがって久しい朝廷や天皇を担ぎ出したのは
天下取りの名目だしなー
そもそも真に尊敬していたなら孝明を暗○するわけねーw

50 :日本@名無史さん:04/05/10 17:51
それは謀反という表現が不適切で間違っていただけだよ、ボクちゃん。

51 :日本@名無史さん:04/05/10 17:51
>>48
おまえ馬鹿だろ。

52 :日本@名無史さん:04/05/10 17:53
>>50
不適切で間違っていると考えているのは君だけのようだが。
たとえば後鳥羽で検索してみろ

http://www.google.com/search?num=100&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=%8C%E3%92%B9%89H%81@%96d%94%BD&lr=lang_ja

53 :日本@名無史さん:04/05/10 17:53
>>51
馬鹿はお前。
天皇の臣下の役人が更迭され、役所の統廃合があっただけ。
革命なんかじゃないんだよ。

54 :日本@名無史さん:04/05/10 17:56
天皇の臣下が天皇にむかって反逆すれば謀反だが、
天皇が臣下と対立するのを臣下が謀反と呼ぶのは本来おかしいんだよ。

55 :日本@名無史さん:04/05/10 17:57
>>53
天皇の臣下の役人が更迭され、役所の統廃合があっただけ。

お前が可哀相な頭だという事は良くわかった。
反論につまると鸚鵡返しの連続。
天皇は処罰できなかったという嘘ロジックや大久保に対するテロルの件を
指摘されるなど散々負けているのにスルーするんだもんなw


56 :日本@名無史さん:04/05/10 17:58
>>54
おかしいと思っているのはあんたでしょ
どう考えてもあんたよりは頭よさそうな人々がみな謀反と
呼称しているんだけどなw


57 :日本@名無史さん:04/05/10 18:00
>>55
反論できずに矛盾だらけの詭弁を繰り返すお前が気の毒でな。
まだ分からないのかね?

58 :日本@名無史さん:04/05/10 18:00
はぁ疲れた。3時間もお前の相手をしたからもう十分だろ。
>>54
暇人はいいよなw


59 :日本@名無史さん:04/05/10 18:03
露骨に朝廷に弾圧を加えた井伊は国賊として斬殺された。
確かに権力が幕府にあったが、露骨にそれを振りかざすとしっぺ返しを食らう。


60 :日本@名無史さん:04/05/10 18:03
>>57
天皇が処罰されないとか明治政府はテロないとか全部論破されている
のは君でしょ。
反論できなくなると

天皇の臣下の役人が更迭され、役所の統廃合があっただけ。
の繰り返し。
一生やってろ。 ネットに書き込まずに壁に向かって一人でつぶやいてろw
誰にも迷惑かけんなよw

おれはでかけんぜ。 おまえは暇そうだから一日中できるんだろうがなw


61 :日本@名無史さん:04/05/10 18:04
>>56
それは唯の慣習。本来は誤りだが、定着した特例的な用語
制度として将軍が天皇の臣下である事を否定する根拠にはならない。

62 :日本@名無史さん:04/05/10 18:05
幕府の弾圧は善で、薩長閥の独裁は悪であるという論理は成り立たない。


63 :日本@名無史さん:04/05/10 18:06
>>59
井伊直弼は四方八方に政敵がいたし、あるいは桜田門の変の背後には
険悪であった慶喜の意向があったかもしれんな。
事実、直弼死後、彦根に辛く当たっていたからな。
そもそあんな浪士など不逞の輩以外の何者でもないがw
じゃなーバイバイw


64 :日本@名無史さん:04/05/10 18:07
>>62
2元論で片つく話などしてねえよ。
話すりかえんなよ。 じゃーマジで家でるわ!

65 :日本@名無史さん:04/05/10 18:09
>>60
無理に勝利宣言なんか書かなくても、
お前の出鱈目なへ理屈など誰にも通用しないから無駄だぞ。
まともな主張を書けなければ、邪魔だからどこへなりと消え失せろ

66 :日本@名無史さん:04/05/10 18:10
南紀閥の独裁肯定の根拠として薩長閥の跋扈を非難するのは見当はずれだろう。


67 :日本@名無史さん:04/05/10 18:12
南紀閥による安政大獄に匹敵するようなテロルを薩長閥が引き起こしたという見地はあるのだろうか。


68 :日本@名無史さん:04/05/10 18:13
実権の移行を革命扱いしてる馬鹿は逃げたか?

69 :日本@名無史さん:04/05/10 20:31
革命違い

70 :日本@名無史さん:04/05/10 23:29
天皇に関する本音と建前の議論の区別がついていないように思う。
簡単にいえば、革命とは「王(皇帝)」が更迭されるのである。

まず天皇制の絶対性を強く主張すれば、明治維新は革命と規定できない。
ただし天皇が傀儡だ、と称して実質的支配者の交代を革命と議論することは出来る。
しかしそれは当然同時代的な認識としてありえない。
さらに現在からの視点としても、結局いまなお存在する天皇をどう規定するのかに疑問が残る。
結局傀儡であろうとも天皇が(形式的)国家元首であり続けたことを認める議論が妥当であろう。

ちなみに、上皇(天皇)が処罰された例はあっても、
正統(しょうとう)が途絶えた事は一度も無い(とされていた)ことも留意すべきである。

71 :70:04/05/10 23:38
書いたあとにふと思ったが、
革命はどういう意義で用いられているのだろうか。
中国的な意味だろうか。revolutionだろうか。
まあ、後者にしたって実権移行だけでは厳しいと思うが。

さらにいえば、仮に実権移行を革命と定義し、
明治維新を革命とした所で、ただのイデオロギー論争に過ぎず、
いまどき流行らない無意味な議論である事は変わらない。

72 :日本@名無史さん:04/05/10 23:48
易姓革命の場合、革命とは王朝の交代。
レヴォリューションの場合、革命とは君主制を廃止して共和制等の別な体制を発足させる事。
明治維新は天皇の王朝交代は無く、臣下の役所が改革されただけ。


73 :日本@名無史さん:04/05/11 00:42
簡単にいえば、革命とは「王(皇帝)」が更迭されるのである。

陽成天皇がDQN行為の数々で庇護していた藤原氏によって
帝位を追われたように時の権力者によって退位に追い込まれて
事実上の更迭になった人多いと思うよ。
王朝の交代につながっていないとはおもうけども、
近江朝の弘文天皇のように(大友皇子。明治になってからおくられたね)
天武にヌッころされたしなぁ。

74 :日本@名無史さん:04/05/11 00:45
あと大化の改新で蘇我イルカが天皇であったのに
ぬっころされて天武〜持統朝期に日本書紀らを改ざんした疑惑もあるね。


75 :日本@名無史さん:04/05/11 00:46
イギリス名誉革命は?
フランス7月革命は?

ともに王権は維持されたんだけど

76 :日本@名無史さん:04/05/11 00:56
英吉利は共和制後、王政復古した
仏蘭西は結局共和制に再度戻った。

歴史の一面で語るのは感心しないな。

77 :日本@名無史さん:04/05/11 01:02
革命には打倒した相手に対する徹底的な血の粛清があるが、
明治維新は革命というにはあまりにも粛清が少ない。
しかし無血革命というには惨劇が多すぎた。

78 :日本@名無史さん:04/05/11 01:02
名誉革命で共和制になったわけじゃないじゃん。

79 :日本@名無史さん:04/05/11 01:07
7月革命では当初実権を握った新勢力によって、君主制の維持が図られた。
この段階で事態が進行しなければ、維新と同程度の改革に留まったといえるだろう。
しかし国王は翌月亡命を試みて捕らえられ、翌年処刑された。
この一連の流れを総合的に捉えれば、君主制の廃止という結果を招いた。
よって単なる維新に留まらず、共和制への移行という革命に到ったのだ。

80 :日本@名無史さん:04/05/11 01:10
というか明治維新までそれこそ長州から函館まで日本列島ローラーで
内戦の連続だからな。トータルで何万人死んだんだろうか?
完全に動乱が収まるのは西南戦争まで待たないといかんしなー
よく外国につけこまれなかったものだ。
つーかロシアはその時期によくこなかったもんだ。

81 :日本@名無史さん:04/05/11 01:10
だから名誉革命は?

82 :日本@名無史さん:04/05/11 01:15
新政府は降伏した旧幕府軍捕虜の大量処刑はしていない。


83 :日本@名無史さん:04/05/11 01:15
ありゃ娘の旦那がイギリスを乗っ取ったという事だよね。


84 :日本@名無史さん:04/05/11 01:17
名誉革命は清教徒革命以降の流れと合わせてイギリス革命と総称されるが、
問題の本質を考察するにあたっては清教徒革命から切り離しては誤解を招く。

清教徒革命も名誉革命も、時の国王の施政に不満を持つ勢力が国王を攻撃して実権を奪った。
名誉革命の場合は殺される前に国王が亡命して命を奪われる事がなかったが、本質的に王権への攻撃が行なわれた事では変わりない。
王朝の交代とは言えないが、これは本来クーデターと言える政変だ。
しかしラテン諸国では頻繁に発生するクーデターという概念は、当時のイギリスにはなじみがなかったのでレヴォリューションと混同されたように考えられる。
つまりイギリス革命の場合は、本質的にレヴォリューションとは異質な出来事なのだ。


85 :日本@名無史さん:04/05/11 01:18
>>80
あのころの露西亜海軍で海を渡るのはちょっと。
対馬が限界だろう。

86 :日本@名無史さん:04/05/11 01:19
そういや王政復古は慶喜に対するクーデターという形容をよく聞くね。
レヴォリューションというよりクーデターか。

87 :日本@名無史さん:04/05/11 01:20
流血・惨劇の伴った政界再編という程度のものだろう。
革命というには手ぬるすぎる。


88 :日本@名無史さん:04/05/11 01:29
王政復古が実現するに当たっては、最も肝心な政権移譲のプロセスが大政奉還という形で旧勢力の方から合法的かつ自発的に行なわれた。
クーデターというのは法を逸脱して実権を強奪する事なので、明治維新の場合クーデターというのもしっくりしない。


89 :日本@名無史さん:04/05/11 01:36
いや慶喜が大政奉還したのは新政府の中核になろうという思惑が
あったからでそれを察知した薩長が王政復古を3ヶ月後に打って出て
慶喜の動きを封じたというのがタダじい
自発的というのはちがうんじゃないか。
慶喜は幕府は無くすが実をとるという戦略だったのだから。

90 :日本@名無史さん:04/05/11 01:41
慶喜にどのような思惑があるにしろ、一旦政権を合法的かつ自発的に返上してしまってる以上、
その後は正式には唯の人。
新たに実権を握った薩長は、手に入れた実権を慶喜に渡さない為の予防策として、幕府側の勢力を完全に潰す事に着手したに過ぎない。
つまり実権の移譲は済んだ後の出来事なので、その後の武力衝突はクーデターとは異質な出来事。


91 :日本@名無史さん:04/05/11 01:46
>>90
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/keiki.html
読んで見れ。

92 :70:04/05/11 01:52
>>73-74
論旨としては、事実上の更迭が多い→革命がおきている事になる、
ということでしょうか。

しかし明治維新は、結局そのような事例には該当しません。
また、余談であり、独断でありますが、個人的にはそれまでの正統(しょうとう)が断絶する事は、
革命と主張しても構わないと思っています。少なくとも明治維新よりは革命だと思っております。
(ただしrevolutionではないと思います)

つまり、陽成も弘文も更迭時点では「革命」であっても、
維新時における正統(しょうとう)(この時点では万世一系)からは外れているので、
問題になりません。

93 :日本@名無史さん:04/05/11 01:54
>>91
大政奉還が受理された後の征夷大将軍には、武家の棟梁としての権限は正式に無くなっている。
つまり、この時点での将軍職は手続き上単なる飾り、名誉職程度の空名となった訳だ。
薩長はこれに飽き足らず、いつでも実権を取り戻せる立場にあり続けようともくろんだ慶喜を再起不能にしようとしたのだよ。


94 :日本@名無史さん:04/05/11 02:00
蘇我馬子が黒幕といわれる祟峻天皇暗殺はどうなんだろう。
孫の入鹿が聖徳太子の一族を改新の1年前に滅ぼしたように
蘇我氏は大君を簒奪もしくは帝位についていた可能性があるが、
天智・天武期に歴史から抹殺されたとされているし、

仮に帝位についていないといしても時の天皇を暗殺するほど
実権を掌握していた蘇我氏討伐は革命といえなくはないか

95 :日本@名無史さん:04/05/11 02:03
>>93

それが証拠に、10月24日、慶喜が提出した「将軍職辞任の上表」は、
朝廷によって「却下」されているのです。(慶喜が実際に将軍職を
辞任したのは、12月9日の「王政復古」の大号令の時) と書いてある。
つまり辞職願を出したが朝廷によって慰留さており武家の棟梁としての
権限は喪失しておりません。
正式になくなったのは王政復古当日ですよ。
無論薩長がこの日に実権を掌握したからですが。



96 :日本@名無史さん:04/05/11 02:03
仮に蘇我馬子が帝位についていたとしたら、れっきとした易姓革命。
ただし旧勢力の巻き返しを受けて痕跡を抹消された事実という事になるね。


97 :日本@名無史さん:04/05/11 02:05
ついでにいえば>>91のサイトで慶喜は諸国に対しても自分が主権者だと
明言してる。

引用してみる

。慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝」(
エンペラー Emperor)として承認されていました。その彼が、
12月9日の「王政復古」の政変による幕府廃止に伴い、将軍職
を辞任(と言うよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、
大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、慶喜は引き続き
「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達も
それを支持していたと言う事実です。更に重要な事は、
「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=新政府(薩長主体の)
には、発足当初、日本を統治する何らの実力も無かったと言う事です。「
大政奉還」を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理
については「衆議を尽くす」事、その他の案件については「召しの
諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷か
ら上京命令が発せられたのですが、譜代大名(徳川家の直接の家臣)
の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようと
した事実です。つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達
の主権者であり、外様(とざま)である薩長が主体の新政権=朝廷に指
図を受ける筋合いは無い、と考えた訳です。だからこそ、上京命令無視
・官位返上と言う挙に出ようとした訳です。これが意味するものは、
例え将軍職(列強諸国が言う所の「エンペラー」)を辞したとしても、
慶喜が「日本の主権者」である事に何ら変わりがなかったと言う事です。

98 :日本@名無史さん:04/05/11 02:10
>>97
慶喜が将軍でエンペラーは別などと言う事は欧米諸国は承知だ。
欧州では王とキリスト教の関係を知っているだけに分かりやすいシステムだよ。

99 :日本@名無史さん:04/05/11 02:16
当時の諸外国は、日本の権力構造について正確な理解を持たない。
天皇が任命した臣下である正一位征夷大将軍という役職をエンペラーとして承認していたのは、完全に不適切。
エンペラーというのは文明圏の代表者というべき存在であり、天皇から外国人討伐担当の役所を任命されていたに過ぎない将軍はエミール程度以上の存在ではないからだ。
おそらく西洋諸国は当初将軍をエンペラーだと誤解したが、後に天皇との主従関係に気づき、その間違いに気づいた形跡がある。
アーネスト・サトウの手記にも、その誤解を自覚して以降は将軍をタイクーンと呼ばないように改めた旨の記述がある。

結論を言えば、慶喜が大政奉還して以降の自分を日本の主権者と名乗ったのは僭称であり、唯の違法行為。


100 :日本@名無史さん:04/05/11 02:16
>>98
そういう意味ではなく、諸国の認識はいまだ将軍に実権があると
していた事。朝廷自身が慶喜の将軍辞職を慰留しているので
彼はまだ将軍であるという事実に加え、譜代らが朝廷の権威を
認めず官位すら返上している。
王政復古までは薩長は新政府をぶちあげたものの、実体が
無かったという事。
慶喜はそれまで将軍であったし、外国の公使たちも慶喜を支持しており、
譜代らも同調していた。
誰が見ても外様の薩長主導の「新政府」に権威を認めていなかった。
当然だろう。権威も何も王政復古でクーデターを図り巻き返すまで
慶喜の思惑で動いていたのだから。

101 :日本@名無史さん:04/05/11 02:18
>>95
大政奉還以後の将軍職は名誉職なので、その辞任が受理された時期は実権のありかとは無関係。


102 :日本@名無史さん:04/05/11 02:19
>>99
朝廷は慶喜の将軍辞職を認めていない。
違法行為も何もあたらない。
将軍位が事実上の主権者であるという認識は日本では
常識であったし、外国勢力も理解していた(つまり国際的承認を得ていた)
王政復古まで将軍位を維持し、譜代も諸国も慶喜を支持していたのだが。

103 :日本@名無史さん:04/05/11 02:20
>>100
外国の誤解は、慶喜の画策もあって日本国内での実権のありかとはズレが生じていたというだけ。
実際の実権は、すでに薩長が手にしていた。

104 :日本@名無史さん:04/05/11 02:21
>>101
名誉職?
日本各地に居を構える諸侯大名らは朝廷の権威に従っていないのだが。
京への上洛命令を無視し、官位すら返上の動きがある。
同じ事を何度も言わせるなよ・・・・。
誰がどうみても将軍の権威をみとめているし、政府の権威は無視されて
いるでしょうが。

105 :日本@名無史さん:04/05/11 02:22
疲れた寝よ。

106 :日本@名無史さん:04/05/11 02:23
>>102
大政奉還という合法的な手続きが施行された結果、征夷大将軍からは実権が朝廷に返上されている。
それ以降の征夷大将軍は単なる名誉職。
事実上の主権者は、大政奉還以降天皇をかついだ薩長の手に渡っている。
外国の承認は薩長から実権を剥奪する力を持たないので、ここでは関係ない。



107 :日本@名無史さん:04/05/11 02:26
>>104
権威と実権は異なる。
天皇は実権を失って久しいが、一度たりとも権威を失った事はない。
征夷大将軍は、大政奉還で実権を薩長に明け渡したのだよ。
権威の方の返上は、王政復古まで待たねばならなかったがね。

108 :日本@名無史さん:04/05/11 02:27
>>106
あのね。名誉職という根拠は何?
朝廷は慰留してる。
譜代も公使らも慶喜を率先している。名誉職でひとびとはうごいていないのだが。
明治政府なるものが実体をもったのは王政復古以降だよ。

109 :日本@名無史さん:04/05/11 02:29
>>107
おいおい暗殺されるわ、退位させられるわ、入水自殺するわ
江戸期の川柳に歌われるぐらい道鏡との情事がかたられるわで
権威失墜は幾度も起こってますが?

110 :日本@名無史さん:04/05/11 02:30
江戸時代の政権運営は、基本的に天皇に委任された幕府が行うものであり、
独断的に政権運営を行う権威・家格は薩長にない。
しかし、12月8・9日の朝議、小御所会議では、薩長の思惑が前面に押し出された。

つまり、王政復古が「クーデター」と称されるのは
政権を扱う資格のない薩長が本来政権を扱う幕府を朝敵としたためであり、
この「クーデター」というのはあくまで、実質的な意味合いである。
よって形式的な職掌の議論をしてもあまり意味はないと思われる。

111 :日本@名無史さん:04/05/11 02:32
>>108
大政奉還というのは、征夷大将軍に委任されていた政権を朝廷に返上するという手続き。
この手続きが正式に行なわれたのなら、その時以降征夷大将軍は手続き上名前だけの存在と化す。
その状態を名誉職と言っている。
慶喜は実際には名誉職に堕した事実を誤魔化しつつ、実権をなし崩しに取り戻そうという小細工に走った。
それを阻止したのが、小御所会議での決定だ。


112 :日本@名無史さん:04/05/11 02:34
>>109
日本の君主であるという天皇の権威が、そんな事で失墜する訳ないだろ。



113 :日本@名無史さん:04/05/11 02:35
つまり、王政復古が「クーデター」と称されるのは
政権を扱う資格のない薩長が本来政権を扱う幕府を朝敵としたためであり、


この「クーデター」というのはあくまで、実質的な意味合いである。
よって形式的な職掌の議論をしてもあまり意味はないと思われる。

文脈が繋がっていないように思われるが。


114 :日本@名無史さん:04/05/11 02:37
>>110
実権は大政奉還によって正式に天皇に返上された。
その時の天皇に返上すると言う事は、実態において天皇をかつぐ薩長への移譲を意味する。
薩長は天皇の臣下なので、政権運営を行なうも行なわないも天皇の命令次第。
天皇の命令をコントロールするのは、その時既に薩長が行なっている事だ。
つまり、実権は薩長に渡っていたのだよ。

115 :日本@名無史さん:04/05/11 02:38
>>>111
だから、朝廷は辞職を拒否しているでしょ。
慶喜もそれをしっているからわざわざ大阪城に公使あつめているわけですし、
将軍の命には従うが、朝廷の命に譜代らは従っていないでしょ。
何をこだわっているのかわからん。
繰り返すが、名誉職も糞も周囲が権威を認めているし、薩長も慶喜を
害する事すら出来なかったわけでね。

じゃ寝るよ。お休み。

116 :日本@名無史さん:04/05/11 02:39
>>114
それいくらないんでも説明として苦しいよ。
無理がありすぎると思うよ

117 :日本@名無史さん:04/05/11 02:41
>>114
委譲を朝廷がみとめずに慶喜を慰留しているわけだがね。
実権も何もいっていないよ。

118 :110:04/05/11 02:43
付言すると、
慶喜が政権を朝廷に返上する事と、
薩長が主導権を握る事は、即座には結びつかない、本来別次元の話である。

朝幕関係の本来の姿からすれば、大政奉還により
旧幕府が政権を放棄しても、公議政体的に再び政治参加できるのが当然。
しかしながら、破格の薩長土が主導し、旧幕府を追い出す、という事態が
生じており、これが「クーデター」なのである。

>>113
すみません、確かに飛躍しました。
眠いので、今はとりあえず下の二文は削除して下さい。

119 :日本@名無史さん:04/05/11 02:43
>>115
辞職を許さなかったのは、「名誉職・征夷大将軍」だよ。
実権が既に無いことには変わり無い
>>116
苦しくないよ。
実権が薩長に渡っているのでなくては、そもそも大政奉還する必要すら無い筈。


120 :日本@名無史さん:04/05/11 02:47
>>117
>>118
朝廷が薩長の事実上の支配下に入ったからこそ、将軍が大政奉還という小細工で時間稼ぎを図る必要が生じたのだよ。
つまり、実権は薩長に移った事を天皇に返上するという形で認めるのが、大政奉還だった訳だ。



121 :日本@名無史さん:04/05/11 02:49
>>119
よくわからないのですが、
ならば慶喜は何のために大政奉還したのですか。
まさか薩長へ政権移譲したかったのですか…


122 :日本@名無史さん:04/05/11 02:53
眠いので今晩はこれにさいごにするが1つ問題提起をしておく。
本当に慶喜は実権がなかったのか?
幕府の軍事力は慶喜がやる気さえあれば巻き返せた。
海軍の充実振りは薩長を圧倒していたし、朝廷の権威に服していない
譜代は実際多かった。御三家や彦根が薩長よりになったのは確かだが、
徳川に準じる人々もまた多かった。
思うに慶喜は権力を捨てるつもりは無かった。
だが、江戸を焦土にしても諸外国の餌食になる。
ならば将軍位という名をすて>>91のリンク先にある大君という新たな
職につく事で江戸は焦土にならず、薩長の顔を立てつつ自分は
主権者でありつづける事ができると踏んだから大政奉還したので
あって、軍事力の裏づけは放棄したわけでも何でもないのではないか。
実際大阪城で自分は主権者であると公使に宣言したのは根拠無き事
ではないのではないか?
そう提起してみる。



123 :日本@名無史さん:04/05/11 02:54
慶喜は、実際の行政を朝廷に任せても音を上げるだけだと予測した。
そこで一旦政権を返上して、「やっぱり幕府は必要だ」と言わせたかった。
しかし薩長は、一旦唯の人に戻った慶喜に実権を再び戻そうという流れに持ち込まれる事を阻止した。
その為に必要だった武力行使が、鳥羽伏見の戦い以降の内戦だ。


124 :日本@名無史さん:04/05/11 02:56
>>120
納得がいかない。
薩長が朝廷を事実上支配化においたのなら慶喜の返上を
受理すれば良い話だ。
王政復古する理由が無い。
朝廷が将軍位返上を拒否したからこそ慶喜は自由に動けたし、
実権=軍事力も無いのでは大阪城で公使ら引見などできやしない。
当の昔に大久保か西郷あたりが屠っていたろう。

125 :日本@名無史さん:04/05/11 02:57
>>122
慶喜はやる気満々だったが、実際には巻き返しに失敗した。
つまり、既に実権を失っていた証拠だ。
大政奉還しても暫くすれば政権を再び委任されると読んでいたが、薩長に阻止された。
つまり、事実の上でも既に自称しているような主権者では無くなっていた訳だ。


126 :日本@名無史さん:04/05/11 03:00
>>124
薩長は幕府を完全に叩き潰す方針だったが、朝廷側には幕府を温存する意見もあった。
小御所会議が紛糾したのはその為だ。
しかし結局は薩長の主張が強引に通り、倒幕の方針に決定した。
つまり、薩長の決定を覆すような力を持つ者は、既に存在しなかったのだよ。


127 :日本@名無史さん:04/05/11 03:18
幕府にあの段階では勝ち目がなかろう。
海軍力が圧倒してても、陸戦で勝てなければ意味ない。
海をわたるわけじゃあるまいしね。
それに幕府より圧倒的に上回る海軍を誇る欧米でさえ、薩長に攻撃をかけた時は、
どちらも薩長より多くの死傷者をだしてしまった。
ましてや幕府の海軍で、十二分に戦果をだせるのかな?
むしろ長州征伐の時の幕府海軍のようになる可能性の方が高くないか?

128 :日本@名無史さん:04/05/11 03:22
イギリスが背後にいたからなw<薩長
幕府がそれに対抗する為にフランスに支援を求めたらどうなっていた事か。
日本中が戦禍の渦の中に巻き込まれる事になっただろう。
グラバー等が期待した様に。
そういう視点でそれ以後の歴史を見ても中々面白いと思うが。

129 :110,118:04/05/11 09:04
>>113
削除した二文を、以下と差し替えます。

この「クーデター」は形式上疎外されていた薩長が、実質的な政権運営を行うため、
企てたといえる。
しかし別に、薩長が形式上何かに任命されたわけではなく、
あくまで、形式上は天皇が政権を握ったに過ぎない。
(正確には握ったのが大政奉還であり、行使の宣言が王政復古)
よって慶喜の形式的な職掌の議論をしてもあまり意味はないと思われる。

また、王政復古前に薩長が朝廷を掌握していたとするならば、
なぜ長州の復飾がこの時なのかと、
御所を取り巻く薩土の藩兵の位置付けに疑問が残る。

130 :日本@名無史さん:04/05/11 10:59
>>128
もう幕府はすでにフランスの援助を受けているよ。
イギリスが幕府につかなかったのは、そのフランスが幕府の援助と引き換えに、貿易の独占を狙っていた為。
ついでに後ろについたって言っても、フランスのように援助しているわけじゃないんだよね。

131 :日本@名無史さん:04/05/11 11:34
これをクーデターと称するなら薩摩長州による新幕府が誕生してるはず。
政治・経済・社会体制を根本的に変革したこの出来事は革命そのもの。
(ただし幕府を王とみるなら)

薩長にすれば革命という言葉を用いてしまうと、幕府側を王と認めてしまうようなものであり
彼らの大義名分と矛盾が生じる。故に「維新」という言葉を用いた。

こんな感じかのぉ?

132 :日本@名無史さん:04/05/11 13:20
薩長が実権を掌握していたとする根拠は、薩長同盟だからだよ。
土佐は小御所会議まで倒幕反対を貫いていた。
しかし薩長と岩倉は、倒幕反対を強固に訴える山内容堂に対しては暗殺をほのめかしてまで黙らせた。
これは議論の範疇を超え、すでに純然たるテロリズムに他ならない。
ひらたく言えば、容堂は倒幕に反対したら殺されると感じて泣く泣く薩長に従う事にした訳だ。
この一件を見ても、既に薩長が実権を掌握していると見なすのは妥当であろう。


133 :日本@名無史さん:04/05/11 13:50
>>131
>これをクーデターと称するなら薩摩長州による新幕府が誕生してるはず。
王政復古の瞬間は、実質薩長政権と言ってよいと思いますが、如何でしょうか。

>>132
意味がわかりません。
クーデターにより実権を掌握した、としても山内の話は筋が通ります。
薩長同盟により実権を掌握していた、という根拠を示せますか。

134 :日本@名無史さん:04/05/11 14:25
>>133
ああ、一般的にクーデターって使われてるのね
スマネ、ワスレテクレ(´・ω・`)

135 :日本@名無史さん:04/05/11 16:34
慶喜が自発的に大政奉還に踏み切った動機は、
「実際に朝廷の方で政務を執り行って見るが良い。どうせたちまち手に負えなくなって、
再び幕府に泣き付いて来るのがオチだ。
その後は二度と幕府のする事に文句を言わさないからな」
という考えあっての事。

つまり大政奉還が正式な実権返上でなくては、慶喜にとって意味が無い事だ。
実権を返上されても朝廷がそれを持て余す事を証明して、
幕府の発言力を回復するのが目的なんだから。

136 :日本@名無史さん:04/05/11 16:42
>>135
では、そうした朝廷と幕府の間の実権委譲に、
横からはいってきた薩長の行為は「クーデター」という理解でよろしいな。

137 :日本@名無史さん:04/05/11 16:48
>>135
> 慶喜が自発的に大政奉還に踏み切った動機は、
> 「実際に朝廷の方で政務を執り行って見るが良い。どうせたちまち手に負えなくなって、
> 再び幕府に泣き付いて来るのがオチだ。
> その後は二度と幕府のする事に文句を言わさないからな」
> という考えあっての事。

あなたは慶喜氏の生まれ変わりでしょうか?

138 :日本@名無史さん:04/05/11 16:49
クーデターというのは超法規的に政権を奪取する事。
薩長は幕府が正式に返上してきた実権の下請を合法的に朝廷から引き受けた形なので、
クーデターとは異なる。

139 :日本@名無史さん:04/05/11 16:52
当時に合法も非合法もねーだろ

140 :日本@名無史さん:04/05/11 16:52
>>137
その見解は、一般にも広く知られている常識だよ。

141 :日本@名無史さん:04/05/11 16:55
朝廷から命じられた仕事を引き受ける事は、非合法とは言えない。
つまり合法。

142 :日本@名無史さん:04/05/11 16:56
>>141 どんな仕事?

143 :日本@名無史さん:04/05/11 17:00
>>140 長州一藩も潰せない幕府が、なんでそんなに強気なの?

144 :日本@名無史さん:04/05/11 17:03
>>143
おそらく慶喜は、大政奉還で
幕府の単独政権運営を放棄して、
公議政体路線への乗り換えを企図しているので、
>>135の文面ほどの強気のニュアンスではないと思う。

145 :日本@名無史さん:04/05/11 17:05
>>140
じゃ、ちょっとあやしいですねw<その常識

明治維新は一般に流布してる話は不充分なものばかりですから。
坂本竜馬スレでもそうだったがw

146 :日本@名無史さん:04/05/11 17:08
>>144 違うたろ。
幕府の威厳を保つ為だろ。
言い訳だよ

147 :日本@名無史さん:04/05/11 17:12
>>138
たしかに、形式的には御説の通りなので、
「クーデター」という語を嫌う人もいるでしょう。

しかし、実質としては政権を完全放棄したわけでない
幕府勢力を追い落として朝敵としたのは、
慣習(法)上、朝幕で行うべき政権授受に容喙した
「クーデター」ともいえるわけです。

よって、形式的にはクーデターではないが、実質的クーデターである、
というのが私の主張です。

148 :日本@名無史さん:04/05/11 17:14
明治維新を語るってのは結構難しいな。

・外国と薩長・幕府の関係。
・当時の世界情勢と国内情勢。
・海・陸援隊は本当は何をやっていたのか。
・明治維新の時の所謂勝ち組、後に三菱を創業した岩崎などは何をしていたか。

このあたりを一つ一つ検証していかないと、
「俺は・・と思う」
だけで終わってしまうだろうなw
それが目的ならそれでいいんだが。

149 :日本@名無史さん:04/05/11 17:15
>>142
行政の実務
>>145
怪しくないよ。
慶喜が幕府権力を現状で可能な限り温存、あわよくば拡大したいと考えていると推定する事の当然だ。
あの時点での大政奉還に何らかの目的があるとする限り、
幕府の発言力を強化する意図が伴っている事に疑問の余地は無い。

それ以外の可能性があるとすれば、「何もかも嫌になった」しか有り得ない

150 :日本@名無史さん:04/05/11 17:15
てか、当時の日本で考えると、クーデターってもんは朝廷に向けられてなければ成り立たないのでは?

151 :日本@名無史さん:04/05/11 17:15
>>146
一会桑で公武合体に向けて活動していた慶喜が、
幕府単独路線で行くつもりだったとお考えか?

152 :日本@名無史さん:04/05/11 17:15
>>149


153 :日本@名無史さん:04/05/11 17:16
大政奉還って限界にきてた幕政の放棄ができて意外とおいしいよね
薩長の動きも一時的に止められるし
スバラスィ裏技だ

154 :日本@名無史さん:04/05/11 17:17
>>149 行政の実務?
何時の話よ?

155 :日本@名無史さん:04/05/11 17:18
>>149
> 怪しくないよ。
> 慶喜が幕府権力を現状で可能な限り温存、あわよくば拡大したいと考えていると推定する事の当然だ。
悪いが賛同できない。
いったん武装解除したら、あらたに戦闘準備を整えるのは大変だ。
何故ならば、解除させた側はまず装備を取り上げ、部隊を解散させるからだ。
それらはやっている<薩長
そんな事は幕府側だってわかっていた事だろう。
単に温存、あるいは拡大なら一合戦やってとりあえず押し戻してからが筋。

156 :日本@名無史さん:04/05/11 17:20
>>153 そのわりには、その後の策がなかったな

157 :日本@名無史さん:04/05/11 17:22
>>156
いや、慶喜に優勢になりかけてたからこそクーデターっていう更なる裏技が出た

158 :日本@名無史さん:04/05/11 17:28
基本的に薩長の主流派は常に最後には暴力でケリをつける傾向がある。
一時はもてはやした西郷などに対しても都合があわなくなった段階で、
あっさりと軍隊を差し向けている。
そういう薩長の暴力的な体質は幕府も承知していたはず。
権力を温存、あるいは拡大しようなんてのは、夢物語でしょうなw
最後の最後じゃ、暴力>>>>>>>金力・その他、なんだから。
実際その後の旗本達はどうなったんだよw?
でもそれは驚くには当たらない。驚く事もなかったから連中も従ったんだろうし。

159 :日本@名無史さん:04/05/11 17:31
>>157 では、薩長が武力をもって倒幕を考えたのは大政奉還以降だと?

160 :日本@名無史さん:04/05/11 17:35
てか、なんで大政奉還してるのにクーデターなの?

161 :日本@名無史さん:04/05/11 17:37
>>159
薩長ははじめから武力での倒幕狙いで一貫してるともうよ
大政奉還の前後を問わず
狙ってなきゃあんなタイミングでクーデターできなそうだもの

朝敵になった時点で外交で収める事は可能だったと思うけど
西郷はご存知の通りだし

162 :日本@名無史さん:04/05/11 17:51
>>160
大政奉還は薩長より幕府側にメリットがあったってことよ
ガタガタの幕府存続にこだわらない、良策であったと思う
朝廷内には幕府側の人間も多かったから復権の可能性も高いと見ていただろうし

163 :日本@名無史さん:04/05/11 18:10
>>162 結果を見てから言えよw
何処が良策なの?大政奉還したら丸く治まると徳川君は思っていたのかい??

164 :日本@名無史さん:04/05/11 18:17
>>163
漏れは毛利信者な罠。釣る対象が間違ってます。

165 :日本@名無史さん:04/05/11 18:31
毛利信者ってなんだよw
そうせい公なんぞ「よきにはからえ」体質で
何もやってねえぞ。
下級藩士に藩の主導権を当の昔ににぎられておるわw

166 :日本@名無史さん:04/05/20 08:39
日韓合邦の核にある思想は、「アジア全体」のための理想などではなく、
日本や天皇はチョソ由来だとするトンデモ説だった。
樽井藤吉は「日本の号は、東方の義に基き、韓人、都怒我阿羅斯および新羅王渡沙寐錦に始まる」
などと大東合邦論で主張し、
日鮮同祖論で皇国史観を支えた金沢庄三郎にいたっては、
「朝鮮は神国なり」とし国家神道の原点を朝鮮に見いだしている。

日韓合邦という狂気の根底には、日本にもぐり込んだ朝鮮人集団とその子孫による
潜在的な祖国回復願望が強い動機として働いており、ある種シオニズム運動に近いような気がする。
明治維新で朝鮮系の長州人に権力を握らせたことが誤りだったね。

167 :日本@名無史さん:04/05/20 10:47
世界的な視点で言えば日本という国のウチゲバってことか

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