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【石田】 関ヶ原の戦い W 【三成】

1 : ◆0gHjoNa/tU :04/05/11 16:43
前スレ
http://academy.2ch.net/history/kako/1029/10297/1029702262.html
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043182426/l50

【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1056815897/l50


2 : ◆0gHjoNa/tU :04/05/11 16:45
新スレたてました

3 :日本@名無史さん:04/05/11 16:47


4 :日本@名無史さん:04/05/11 17:54
>>1
スレ立て乙

5 :日本@名無史さん:04/05/11 19:59
前スレ
埋めようぜ

6 :日本@名無史さん:04/05/12 00:33
「三戦板に行け」「思い込みです」「うざい」は使用禁止です。
放置して下さい

7 :日本@名無史さん:04/05/12 00:40
>>1
立てたからには
なんかネタふってくれ


8 :日本@名無史さん:04/05/12 00:45
>>6
おまえ目障り。

9 :日本@名無史さん:04/05/12 00:53
>>8
それは、全てあなたの空想です。




10 : ◆0gHjoNa/tU :04/05/12 17:56
じゃあネタ
島津隊はなぜ最後まで動かなかったか

11 :日本@名無史さん:04/05/12 18:03
三成と喧嘩していたから

12 :日本@名無史さん:04/05/12 18:07

うわーつまんねぇー

13 :日本@名無史さん:04/05/12 19:46
>>9
それは、全てあなたの妄想です。

14 :日本@名無史さん:04/05/12 22:54
>>9
ネタふり 乙
自分の考え言ってみて

15 :日本@名無史さん:04/05/13 00:02
>>10
島津は傍観してたのではなく、石田勢に続く「二番備」であったということらしいよ。

http://frontierside.cool.ne.jp/selection/sekigahara/shimazu.shtml

16 : ◆0gHjoNa/tU :04/05/13 11:54
島津が西軍にいたのは家康とコミュニケーションがとれなかったからだろ
だからしょうがないから西軍についた
まあそういうことがあったから動かないのはしょうがないと思う
で、最後に家康本陣を狙ったのは家康に裏切られたと勘違いしたから


17 :日本@名無史さん:04/05/13 19:33
age

18 :日本@名無史さん:04/05/13 22:15
>>16
要するに島津はやる気がなかったと。
でも最後の最後に「家康に裏切られたと勘違い」って・・・・これはどーゆーこと?

19 :金吾秀秋:04/05/14 00:53
やる気がないヤシは何やってもダメ(´・ω・`)

20 :日本@名無史さん:04/05/14 01:14
いみがわからねぇ

21 :日本@名無史さん:04/05/14 09:36
>>19
おまえうざい。

22 :日本@名無史さん:04/05/14 15:07
>>19
お前のせいだろ、氏ね

23 : ◆0gHjoNa/tU :04/05/14 17:59
>>18
つまり伏見城の守備のやつです
あれを裏切られたと勘違いしたんだと思いますよ

24 :日本@名無史さん:04/05/14 21:20
あげ



25 :日本@名無史さん:04/05/14 21:31
島津は関ケ原前夜に、闇討ちを提案したけど、戦況を甘く見ていた三成が反対した。だからやる気が無くなったらしいよ。

26 :日本@名無史さん:04/05/14 22:06
三成は、福島ら七将の追及から逃れたいだけ、関ヶ原では黒田、細川と馴れ合いの合戦ごっこ。いつでも、家康にしっぽ振って、
守ってくれるなら西軍の他の連中を裏切りマース。途中で話まとまりかけて、佐和山城に引き返した。
 ホンとの中心人物は、小西行長と明石全登のキリシタンと東軍の元宇喜多の戸川肥後、浮田左京ら法華門徒だ。


27 : ◆0gHjoNa/tU :04/05/14 22:59
すいませんが先に前スレ埋立ましょうか

28 :日本@名無史さん:04/05/14 23:00
>>23 >>25
行き違いがあったり、自分の意見が通らなかったりして、
やる気をなくしてしまうのは実社会ではよくあることだけど・・・。
でも、義弘が真に名将なら、与えられた状況で後悔のないよう
全力を尽くすことを考えるんじゃないかな?

29 :日本@名無史さん:04/05/14 23:02
>>26
八切止男だっけ?

30 :日本@名無史さん:04/05/15 06:00
秀忠軍が間に合っていたら徳川勢主体で戦って徳川系大名の所領拡大が防げたろうか?

31 :日本@名無史さん:04/05/15 12:02
>30
?

32 :日本@名無史さん:04/05/15 12:15
秀忠軍が間に合っていたら前線指揮官の数が揃うので前面に押し出して使ったのでは?

史実では間に合わなかったので豊臣系の各大名を前線で戦わせた結果、
恩賞によって豊臣系大名の勢力が拡大された。

33 :日本@名無史さん:04/05/16 11:03
吉継が三成に忠告したと伝えられる発言について、
「へいくゎい」を「横柄」などと漢字を当てているけど、違うんだよな。

へい‐かい【平懐】
へいかい(‥クヮイ)
(「へいがい」とも)
1 ふだん思っていること。平素の考え。また、それを述べること。
2 (形動)無遠慮なこと。とりつくろわないこと。
3 (形動)歌学で、発想や表現などが平俗で陳腐であること。連歌・俳諧でもいう。

三成は「思ったことを口にしてしまう性格」ってことらしい。
確かに残された書状を見る限りでは、
計画をぎりぎりまで知らせなかったことを素直に謝ったり(真田あて書状)、
家康を討ち果たす秘策ありと威勢のいいことをいった(佐竹あて書状)と思えば、
増田長盛を信じ切ってくどくどと愚痴をこぼしたり(増田あて書状)している。

傲岸不遜というより、むしろ率直でお調子者な印象を受ける。
三成が傲慢だったのは捕虜になり処刑されるまでのエピソードぐらいじゃないかな。

34 :日本@名無史さん:04/05/16 11:12
没収した西軍領の80%が豊臣系東軍大名に加増された。

徳川系大名が戦っていれば潜在的敵対勢力の成長を許すことはなかったであろう。

35 :日本@名無史さん:04/05/16 21:18
ここらで問題を整理したいのですが
実際三成首謀説というのはどこまで真実なんですかね?
ほとんどが家康方に有利なように話が捏造されているんでしょうが
三成程度の大名が役職も追われた上であの戦闘をプロデュースできたとは
どうしても信じられないのですが

山城が上杉挙兵により家康を挟撃するという策をどこまで推したのか?
伊達に後ろを脅かされて動けなくなるのは戦闘以前に分かり切ったこと
だと思うのですが、その上杉にどのような勝算があったのかも謎
そもそも三成案では上杉が動かなければ戦線維持さえ困難ですよね?

三成の力量で毛利を動かすことは不可能であり
曲がりなりにも西軍総大将の任に付きながら
大阪城から一歩も出ずに撤退してしまうという愚挙も謎
戦況眺めであるならばそもそも戦闘前に仲介するほうが
政権全体にとってもコスト面からもずっと得策だと思うのですが・・

結局三成の描いた家康打倒策とは真実どういったものだったのか
その策に乗ってどの勢力がなにを目的に動いたのか
そのへんがどうも釈然としないのです
もしほとんどの大名が家康の勝利を初めから予測していたなら
あれほどの大イベントにはならず、最初から家康に組するほうが
保身を考えてもずっと良策だと思うんですよね
つまり裏切りを画策して心身を消耗させるより
初めから家康支持に回っていれば戦う必要もないわけで
もっと言えば最初から三成ごときの策に乗る必要性もないですよね

36 :日本@名無史さん:04/05/19 18:56
>>35
確かに上杉と毛利の愚挙は結果論的にみれば謎だな
三成は上杉と呼応して挙兵したはずだが
実際には上杉は動けず、なんの戦力にもならなかったからね
毛利も戦わずして大幅に減封される始末だし
たんにヘタレだったってことか?
このへんはよく分からん

37 :日本@名無史さん:04/05/19 22:58
関ヶ原が一日で解決するという意外性故の誤算

38 :日本@名無史さん:04/05/19 23:19
>>37
実際はどのくらいの期間を見込んでたんだろうね
そしてその場合のグランドデザインは実質誰が描いていたんだろうか

39 :日本@名無史さん:04/05/19 23:22
当時の決戦は平地に出た場合い短期決戦だと思う。

40 :日本@名無史さん:04/05/21 15:12
だいたいやねー三成は文官じゃないの
文官が前線に出てきたことが間違いじゃないの
前線には島左近を当ててたらよかったんじゃないの
三成は大坂城に居座って毛利のケツを叩いたらよかった

41 :日本@名無史さん:04/05/21 17:34
三成は実戦経験あるよ


42 :日本@名無史さん:04/05/21 17:41
ああ、あの忍城で
 女子供だけの軍勢にしたいようにやられたという
あれねw

43 :日本@名無史さん:04/05/21 18:24
忍城攻めは仕方がないよ
あれは甲斐姫が異常に強かっただけ
真田親子ですら蹴散らされたんだから   

44 :日本@名無史さん:04/05/21 18:24
朝鮮で激戦を戦い抜いてるっつーの

45 :日本@名無史さん:04/05/21 18:34
ちゃんと勝ってるのか?
小西行長みたいに
裏金は送ってるは+しかも取られ損だわでは目も当てられねえぞ。

46 :日本@名無史さん:04/05/21 19:27
小西は自らの失態を隠すために
先駆け一番乗りを目指してただけ
あれを戦っていたといえるか?

47 :日本@名無史さん:04/05/21 19:30
>>40>>35と微妙にリンクしてるね
なぜ三成は自ら前線に張り付いたのか?
毛利とともに全軍の指揮を支えるべきだったのに

これって、やはり三成が主軸ではなかったってこと?


48 :日本@名無史さん:04/05/21 19:36
三成が前線いて目を光らせないとただでさえやるき無し男続出の西軍さらにやるきなしおになるだろ。
名将左近といえども身分が低いから前線の指揮は握りにくい。

49 :日本@名無史さん:04/05/21 20:36
三成は奉行職には復帰しなかったのかな?
公職についていた方が何かと便利だったと思うのだが

そんな気さらさらなかったのか、復帰させてもらえなかったのか

50 :日本@名無史さん:04/05/22 11:18
>>49
奉行に復帰させる権限(そんなものがあるのか不明だが、
増田・長束・玄似の三奉行にはないはず)のある人間が
大阪にいなかった。

五大老の過半の要請があれば叶うのかもしれないが、
三成の隠居は自発的なものだったと思われる。

そもそも、隠居を撤回させ、家督を戻させるなどという荒業は
秀吉以外には無理っぽいな。

51 :日本@名無史さん:04/05/22 11:48
>>50
家督?
じゃぁ、石田家の家督は誰だったのさ?

非常時で家康もいないから、二大老・三奉行が同意し
秀頼の名で発すれば奉行復帰くらいできんことはないだろ

52 :日本@名無史さん:04/05/22 13:22
8月2日付けの真田昌幸あての連署状は、
宇喜多秀家・毛利輝元・前田玄以・石田三成・増田長盛・長束正家
の署名順となっている。
それ以前に「大老」と「奉行」が同一文書に連署した事例はなく、
「内府ちがいの条々」もそうだが、同趣旨でも書状は分けて書かれるのが普通。
三成が奉行に復職したというより、西軍挙兵・伏見落城を受けて、
この六人衆による新体制に移行したと考えるべきなんだろうな。

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