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論理を語ろう

1 :ハァ?(゚Д゚)y─┛~~:04/03/01 00:33
自分の論理を語りましょう

2 :考える名無しさん:04/03/01 00:36
「自分の論理」って……何だソレ?

3 :考える名無しさん:04/03/01 00:40
前提1 A=B である。
前提2 B=C である。

結論  A=C である。

を非論理的な部分に依存せずに、論理的に説明するにはどうすれば
いいのでしょうか?

4 :☆キキ+キ゚Д゚♪ ◆ooOooooopo :04/03/01 00:44

≧(´▽`)≦アハハハ

僕みたいにってな≧(´▽`)≦アハハハ

5 :考える名無しさん:04/03/01 00:47
三段論法を弁えない香具師は語る資格なし

6 :考える名無しさん:04/03/01 00:54
>>5
あなたは

前提1 A=B である。
前提2 B=C である。

結論  A=C である。

を非論理的な部分に依存せずに、論理的に説明できるのですか?


7 :考える名無しさん:04/03/01 01:01
ていうか
非論理的な部分に依存せずに、論理的に説明・・・
って、一体何がいいたいのかさっぱりわからんw

8 :考える名無しさん:04/03/01 01:12
>>7
アキレスは、頭の回転の遅いカメに、ある命題が論理的に正しいことを説明しようとしていた。

前提1 A=B である。
前提2 B=C である。

結論  A=C である。

アキレス「というわけだ。つまり、論理的にこうなるのさ。」
カメ「ん〜、わからないよ。」
アキレス「論理的に考えたら、間違いなくこうなるだろ!」
カメ「ん〜、なんで間違いなく言えるの?僕もそんなに馬鹿じゃない。
   A=Bはわかった。B=Cもわかった。
   でも、A=B、B=Cだったら、どうしてA=Cになるの?何の必然性もないじゃない。
   ちゃんと、説明してよ。」
アキレス「だから、A=B、B=Cが正しければ、A=Cが成り立つんだってば!」
カメ「そんなこと どこにも書いてないじゃないか。そんな前提があるんなら、それをちゃんと追加してよ。」
アキレスは、仕方なく、それを追加する。

前提1 A=B である。
前提2 B=C である。
前提3 前提1、前提2が正しいとき、A=Cが成り立つ。

結論  A=C である。

9 :考える名無しさん:04/03/01 01:13
>>7
アキレス「どうだ?これでわかっただろ!」
カメ「ん〜、やっぱりさっきと同じだよ。前提1,2,3はそれぞれ理解したよ。
   でも、それでなんでA=Cになるのかわからないよ。どうして?」
アキレス「だ・か・ら〜、論理的に考えれば、そうなるだろ!」
カメ「どうして?論理的だからとか、そんなお題目はいいから、ちゃんと説明してよ。」
アキレス「よく、みろよ!『前提1、前提2が正しいとき、A=Cが成り立つ』って、
     前提3で言っているだろ!」
カメ「なるほどね、前提1と前提2が正しいという条件が付けば、A=Cになるんだね。」
アキレス「そうだ。」
カメ「じゃあ、そうするとさぁ〜、
   前提1と2と3の全部が正しく成り立つときに、初めてA=Cになるって言えるんじゃないの?」
アキレス「う……。ま、まあそのとおりだが。」
カメ「さっきと同じだね。そんなこと どこにも書いてないじゃないか。ちゃんと、厳密にやってよ〜。
   それが論理的ということじゃないの〜?」
アキレス「……………」

こうして、アキレスは、さらに
「前提1、前提2、前提3が成り立つなら、A=Cが成り立つ」という新しい前提4を
追加するハメになり、それが永遠と繰り返されるのであった。

さて。
このルイスキャロルの物語は、つまるところ
「A=B、B=Cならば、A=C」という基本的な論理に対しても、そうなるべき必然性などなく、
 それを論理的だと信じている人も、結局は、
「だ・か・ら〜、成り立つんだってば!」という非論理的な部分に依存している
ということを示している。


10 :考える名無しさん:04/03/01 01:14
そもそもこの推論は=という二項述語の意味に依存しており、論理的に
妥当な推論じゃないんだがなあ・・・。

11 :考える名無しさん:04/03/01 01:18
アキレス萌え(*´Д`)ハァハァ

12 :考える名無しさん:04/03/01 01:20
論理的とは一体どういうことだろう?
たとえば、「A=B,B=C、ならば、A=C」というのは論理的な思考の結果だ。

だが、そもそも 「A=B」 つまり 「AはBである」 というのは一体どういうことだろう?
何を持って、「AとBが同じ」 だと見なしているのだろう?
そもそも、世の中に完全に同じものなんてあるのだろうか?

いや、仮に百歩譲って「AとBがまったく同じだった」としよう。
そうすると、「A=B」とは、「A」を「B」という別の言葉で言い換えているだけであり、
本質的には「A=A」ということにすぎなくなる。
(だって、AとBはまったく同じなのだから。)

そうであれば、結局のところ、「A=B,B=Cならば、A=C」というのは、
「A=A=A。Aは、Aであり、Aである」と言っていることになり、何も意味を成さない。



13 :考える名無しさん:04/03/01 01:20
三段論法を意識するってのは方法論だね
いいんじゃない

14 :考える名無しさん:04/03/01 01:21
>>12の続き

つまり、
「A=B」や「AはBである」という言葉が意味を成すのは、あくまで「AとBが違う」ときだけである。
(だって、もし、どこにも違いは無く、まったく同じものの言い換えに過ぎないのだとしたら、
「AはAである」と言っているのとまったく変わらないことになる。それは無意味な宣言だ。)

そうなのだ。
僕らが論理的思考の名のもとに、「AはBである」と宣言したとき、
それは、あくまでも「AはBではない」ということが前提として成り立っている言葉なのである。
結局のところ、
「AとBは、厳密には違うものだけど、この際、同じだと決め付けちゃおう♪」ということであり、
この飛躍した決め付けによって、初めて「意味」が生じているのである。

僕らが「AはBである」というとき、そこには確実に「飛躍」と「矛盾」があるのだ。
それが論理的思考の正体である。


15 :考える名無しさん:04/03/01 01:22
>>12
あなたは現象学に興味をお持ちの様ですね?

16 :考える名無しさん:04/03/01 01:23
前回は、「AはBである」という言葉について、「A=B」という観点で考えてきた。
だが、一般的には、「AはBである」は、「AはBに含まれる」という意味で使われることが多い。
たとえば、「僕は人間である」は、
「 『僕』 が 『人間』 というカテゴリに含まれている」という意味だ。

だが、ちょっと待ってほしい。
「僕が人間というカテゴリに含まれている」と何故そんなことが言えるんだろうか?
一体、何の根拠があって、そんなことを言ってんだろうか?

たとえばだ。
脳死した体は人間だろうか?胎児は人間だろうか?卵細胞は人間だろうか?
と考えてみたときに
そこに 「人間」 と 「人間でないもの」 を分ける明確な境界線などないことに気がつく。

何百年も大昔なら
「異教徒は人間ではない」「黒人は人間ではない」という文化を持つ国もあった。
これらの言葉にも、「客観的な根拠」なんかない。
それは国とか社会とかが、伝統的に「そういうもんです」と「決めつけた」だけである。



17 :考える名無しさん:04/03/01 01:25
これは「僕は人間である」という言葉に限ったものではない。
人間が使っている あらゆる言葉がそうなのだ。

これは、哲学史最大の言語哲学者であるウィトゲンシュタインの結論でもある。

言葉とは、客観的な根拠によって成りなっておらず
「伝統的文化的に決められた生活様式というルール」を根拠として述べているにすぎない。
このことを ウィトゲンシュタインは「言語ゲーム」と表現した。

「僕は人間である」という一見正しそうな言葉でさえ、客観的な根拠を持たず
それを「正しい」としているのは、文化的伝統的なルール、つまり「決め付け」である。
だから、ある言葉の根拠を示そうとして、いくら言葉を尽くそうとも、
その説明のための言葉すら、根拠のないルールをもとに述べられているにすぎない。
そうすると、言葉を使って論理的に何かを述べたと思っていても、その正しさの根拠は
結局のところ「決め付け」によるものである。
自分自身で決めたルールのなかで、自分自身を正しいとしているのであるから
つまるところ「論理」というものは、「自作自演」なのだ。



18 :考える名無しさん:04/03/01 01:25
「百歩譲る」もなにも、A=Bの一番普通の解釈は、Aという言葉と
Bという言葉は同一の対象を指示している、ということなんだが。
こういう問題を論じたいのなら、最低でも、フレーゲとクリプキの説
を読んでおいた方がいい。

19 :考える名無しさん:04/03/01 01:25
何かスレ違いになってきてるような気が。
それを大前提に論理を語るんだろ?

20 :考える名無しさん:04/03/01 01:43
満月=三日月てか?

21 :考える名無しさん:04/03/06 16:58
>>19
大前提が正しいかどうか論議しなくていいのか?

22 : :04/03/07 10:10
"Mathematics and logic, historically speaking, have been entirely distinct studies.
Mathematics has been connected with science, logic with Greek.
But both have developed in modern times: logic has become more mathematical and mathematics has become more logical.
The consequence is that it has now become wholly impossible to draw a line between the two; in fact, the two are one.
They differ as boy and man: logic is the youth of mathematics and mathematics is the manhood of logic."

Bertrand Russell.Introduction to Mathematical Philosophy. 2nd ed.G. Allen & Unwin,1920, p. 194.

23 : :04/03/07 19:22
論理的にはレイプは暴力よりも愛に近い

24 :Sophia ◆8ADoZCl6.k :04/03/07 20:18
>have been entirely distinct studies
>Mathematics has been connected with science, logic with Greek.
科学の大元はギリシャじゃないの?

ラッセル間違ってるじゃん。
ラッセル自身も数学者じゃないの?

25 :考える名無しさん:04/03/07 23:38
こっちで全く同じ問題をやっていますが。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1078638259/l50

26 : :04/03/22 23:27
ホワイトヘッド、マンセ〜

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