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【ドゥルーズ】『意味の論理学』を読む

1 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:01
ジル・ドゥルーズ『意味の論理学 Logique du sens』
 原著 1969年 LES EDITIONS SE MINUIT ISBN 2-7073-0152-3
 邦訳 1987年 法政大学出版局(岡田 弘・宇波 彰訳) ISBN 4588002198

を読んでいきましょう。
関連スレッドなどは>>2以降に。

2 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:02
関連スレッド(現行スレ)
【存在論的】ドゥルーズ【欲望的】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1077608981/l50
ドゥルーズ『ベルクソニスム』を勝手に訳すスレ2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1074527660/l50

3 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:03
どうやってやっていきましょう?
少しずつ訳しながらやっていく程度の速度が良いと
個人的には思うのですが。

とりあえずスレの即死判定は避けたいので
ネタとして、以下に序文の拙訳を貼っておきます。

4 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:04
【序文】 (ルイス・キャロルからストア派へ)

【P.1 pr.1】
ルイス・キャロルの著作には、現代の読者を喜ばせるすべてがそろっている。
子供向け、とりわけ女の子向けの本。
華麗にして、とっぴ、そして秘教的な言葉の数々。
暗号格子、コード、解読。
デッサンと写真。
精神分析的に奥深い内容、形式主義論理学、非の打ち所のない言語学。
そして〔こうした〕現代的な喜びの向こう側に、何か別のもの、意味と無意味の戯れ、
カオス-コスモスがある。
だが、言語と無意識の婚礼は、すでに〔ほかの場所でも〕
十分に多様な形で成就され、祝福されている。
だから、探求されるべきは次のことだ。
ルイス・キャロルにおいて、厳密にその婚礼がどのようなものであったのか。
そして、その婚礼は何と関係することになったのか、
婚礼は、何を彼の元で祝福していたのか、である。

5 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:06
【P.1 pr.2-a】
私たちは、意味の理論を形作る一連のパラドックスを提示することにする。
意味の理論がパラドックスから切り離すことができないことは
容易に説明することができる。
というのは、意味とは、実在しないある種の存在物entiteであり、
無意味と特殊な関係をもつものだからである。

# sens:後の章で、意味、方向(感覚)、感覚という複数の意味を
往復しながら使われることになるが、そのつど指摘するということにしたい。
カタカナ転写で残すということも考えたのだが。

6 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:07
【P.1 pr.2-b】
ルイス・キャロルの特権的な位置は次のことに由来する。
それは、彼が始めて、意味のパラドックスを
収集したり、書き換えたり、ないし新しく作り出したりして
大きく扱い、舞台に引き上げたからである。

ストア派の特権的な位置は次のことに由来する。
それは、彼らが、哲学者の新しいイメージを、
ソクラテス以前の哲学者たち、ソクラテス主義、プラトン主義などから
切り離された形で創り出したからである。
そして、この新しいイメージは、意味の理論のパラドックスをはらんだ
構成と、それ自体すでに緊密に結び合わされている。


7 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:08
【p.1 pr.2-c】
そうしたわけで、単に歴史的であるだけでなく、トポス的でもあり
論理的でもある〔人物の〕形象figures〔音型〕は、
それぞれのセリー〔音列〕へと対応している。
純粋表面におけるように、あるセリーにおける形象のいくつかの点は、
他の形象における他の点へと差し送られている。
賽の投擲が織り成す星座=問題群は、様々な歴史と場所、
複合されたトポスに対応するのだが、
その総体であるこの書物は、一種の論理学的・精神分析的ロマンの
試みである。

(以下はappendicesの初出なので省略。)

8 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:09
今後、どうやってやっていくかは
追々決めるとして、とりあえずの素材として
序文から、でした。

9 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:12
まだ序文だと話すほどの素材もないけれど、
訳文の問題、邦訳の問題等々、大歓迎。

10 :考える名無しさん:04/03/06 11:16
乙ー。期待してます。貢献できるか分かりませんが、
長寿スレになるよう地道に続けましょう!

11 :考える名無しさん:04/03/06 11:17
フランス語できないから話題には参加できないが、ドゥルーズは好き。
がんばってくれ  >>1


12 :考える名無しさん:04/03/06 11:18
乙。サンスは一応カタカナにしたうえで「サンス(意味)」でいいかと。
文脈によりカッコ内を変更すればどうでしょう。

13 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:19
>>12
なるほど、それが良いかもしれませんね。

14 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:23
>>11
(使えるかどうかはともかく)邦訳もあるし、
「ここ、どういうこと?」「邦訳と違うんだけれど?」
といった形で参加してくれるのも良いかと。

『ベルクソニスム』を訳すスレがあるので
こちらは、もう少しフランス語自体の勉強とは離れた形で
やるのが良いのでは?と思っています。

15 :12:04/03/06 11:29
と上に書いたものの、通常は「意味」でいいとは思いますが。
>>14みたいな感じのノリでいいと思いますよ。
とりあえず>>5
「意味とは、実在しないある種の存在物entiteであり、
無意味と特殊な関係をもつものだからである」
というところが重要ではないかと。

16 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:33
>>15
まあたしかに、全部「サンス」にするとちょっとくどいことは確かで、
大体の箇所では「意味」で良いでしょうからね。

17 :11:04/03/06 11:36
「意味の論理学」、どこかに埋もれてしまった・・。探し出して参加しまつ。。。


18 :考える名無しさん:04/03/06 11:38
>>15
たしかに、この序文で重要な点は、

>私たちは、意味の理論を形作る一連のパラドックスを提示することにする。
>意味の理論がパラドックスから切り離すことができないことは
>容易に説明することができる。
>というのは、意味とは、実在しないある種の存在物entiteであり、
>無意味と特殊な関係をもつものだからである。

という部分でしょうね。

・なぜ意味の理論を提示するのにパラドックスの形を使わなければいけないか?

という説明として。
つまり意味とは何か、という説明のひとつとして。

19 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 11:44
訳文提示の時以外はトリップはうるさい気もするので
はずそうかとも思うのだけれど。

>>15
たしかに、そこが重要でしょうね。
原文も示しておきます。

Que cette theorie [ theorie du sens ] ne soit pas separable de
paradoxes s'explique facilement:
le sens est une entite non existante,
il a meme avec le non-sens des rapports tres particuliers.


20 :考える名無しさん:04/03/06 12:08
>>7の原文もお願いできますか?

21 :考える名無しさん:04/03/06 12:13
必然も自由とトレ、パルティキュリエールな諸関係があるんだよね。


22 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 12:38
>>7 >>20 原文を打っていたら訳し落としと誤訳に気づきました。
さらに誤読しているかもしれません。
A chaque serie correspondent donc des figures qui sont non seulement historiques,
mais topiques et logiques.
Comme sur une surface pure,
certains points de telle figure dans une serie renvoient a d'autres points de telle figure:
l'ensemble des constellations-problemes avec les coups de des
correspondants, les histoires et les lieux, un lieu complexe, une <<histoire embrouillee>>
--- ce livre est un essai de roman logique et psychanalytique.

【p.1 pr.2-c】
そうしたわけで、単に歴史的であるだけでなく、トポス的でもあり
論理(学)的でもある〔人物の〕形象figuresは、それぞれのセリーへと対応している。

純粋表面におけるようにcomme sur une surface pure、
あるセリー中の形象がもつ諸々の点は、
他の形象の諸々の点へと差し送られることになる。
〔それは〕賽の投擲と呼応する星座=問題群の総体、
様々な歴史と場所、複合的なトポス、「錯綜した物語」
〔といった形をとることになるものであり〕
-- この書物は、一種の論理学的・精神分析的小説の試みである。

23 :考える名無しさん:04/03/06 12:49
>>15
>「意味とは、実在しないある種の存在物entiteであり、
>無意味と特殊な関係をもつものだからである」
>というところが重要ではないかと。

重要。それはドゥルーズの構造主義理解からきている。
構造は非物体的意味を生産する機械だ。
意味をナンセンスとの不断の転移による生産、贈与の現場ととらる。
このもくろみは、意味を原理や起源から解き放つことにある。

24 :考える名無しさん:04/03/06 12:54
DSENS.QlUs は、少し電波がかってるけど、一応フランス語も
少しは読めるみたいだから、哲学的な知識の欠如をおぎなえば
、ましなスレになるかもよ。

25 :考える名無しさん:04/03/06 13:01
>>22

ちょっとフランス語の訳が逐語訳すぎないか?あと、もう少し
フランス語の文章読解力がほしいな・・。

26 :20:04/03/06 13:10
こっちはしばらくsage進行でマッタリと。
17さんは今『意味の論理学』を引っ張り出しているようなんで。

>>22
原文を打っているんですね。オツカレさまでした。
「錯綜した物語」はキャロルの『もつれっ話A Tangled Tale』ではと
思いましたが。とりあえずこれにて。

27 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 13:21
>>25
逐語訳すぎますか?
もっと説明的に訳した方が良いでしょうか?

>フランス語の文章読解力がほしいな

構文の取り方、どこか間違っていました?

28 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 13:22
>>26
>「錯綜した物語」はキャロルの『もつれっ話A Tangled Tale』ではと
>思いましたが。

なるほど、どうもありがとうございます。
キャロル関係を、よく調べないまま始めてしまったので参考になります。
もう少しキャロル関係のことを調べないといけませんね。

29 :考える名無しさん:04/03/06 13:28
柳瀬による「フィネガンズウェイク」の文庫版がでているけど、あれ、あまり
笑えないね・・・。笑えないナンセンスってイミなくねぇ? それともスレ違いだった?


30 :考える名無しさん:04/03/06 13:35
お、スレ立ったね
おれも本を掘り出せたら参加しますです

31 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 13:38
訳しただけではあれなので、要約とコメントなど。

最初の段落では、ルイス・キャロルにおける、
意味と無意味というテーマの重要性の指摘。
ただし、言語と無意識のつながり(本文中では婚礼nocesと表現)については、
19世紀末から20世紀の作家や哲学者、精神分析家たちにみられるように、
彼だけが問題にしたわけではない。
では、そこでキャロルの作品の単独性とは何か?という話。

32 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 13:39
次の段落では、意味の理論におけるパラドックスの重要さについて。
(ここで、paradoxeという言葉から、カントのアンチノミー論を思い出しておくべきか?)
意味sensは、実在するexisterのではない存在物entite
(実質とするとsubstanceを思い出しそうだしどう訳すべきか?)であり、
無-意味non-sensと特別な関係を持つがゆえにパラドックスから切り離せない。
以下、なぜキャロルが、ストア派が特権的に扱われるかについての記述。
そうした本書での登場人物figuresは、単に歴史的な人物として扱われるのではないということ。
また、それは本のセリーとしての構成
(各章には、「パラドックスの第一のセリー」、「第二のセリー」
といった形でタイトルがつけられている)と関係していること。
そうした登場人物figuresたちは、20世紀音楽のセリエリスム(音列主義)におけるように、
ある音列figureの各点が、別の音列の中の各点に対応付けられて変形していくように、
本書の中で存在していること。

33 :考える名無しさん:04/03/06 13:43
entiteは訳語としては「存在者」がわりと普通じゃないかな

34 :考える名無しさん:04/03/06 13:47
訳乙かれー
少しずつ読んでるけど、>>4での

>精神分析的に奥深い内容、形式主義論理学、非の打ち所のない言語学

て箇所は、「奥深い精神分析的内容、模範的な論理的・言語学的形式主義」ては
ところじゃないかな?
別に細かいところまで目くじらを立てようというのではないが。

35 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 13:48
自明なのかもしれないのだけれど、
この序論の最後でちょっとかたく訳してしまった

>l'ensemble des constellations-problemes avec les coups de des
>correspondants

このあたりは、マラルメの「賽子一擲 un coup de des」と
アドルノの「星座=布置 Konstelation」両方に言及しているということで
良いのかな?


36 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 13:49
>>35
すいません、Konstellationのつづり間違い・・・

37 :考える名無しさん:04/03/06 13:54
あと、もう一つ気付いた点。
>>7

>単に歴史的であるだけでなく、トポス的でもあり
>論理的でもある〔人物の〕形象figures〔音型〕

という言い方があるけど、「論理的」なfigureと言うと、普通は推論の「格」が
言われるので、そうした意味合いが重ね合わせられているのでは?
あと、「トポス的」というのがどういった意味で言われてるのか、おれにはよく
分からんないけど、もしアリストテレスの『トピカ』が考えられているとすれば、
この場合のfigureはレトリカルな文飾ということにもなると思う。

38 :考える名無しさん:04/03/06 13:59
音写、真言、エンティティと10回言ってみてください。


39 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 14:00
>>33
なるほど、そうでしたか。そうすると etant とは特に訳し分けないのでしょうか?

>>34
はい、linguistique以下、たしかに取り間違えていました。
logiqueとともに、formalismeにかかっていますね。
(先の訳文で形式主義的論理学としたのは、後者を、言語学と取ってしまったため
それにあわせました)

formalismeの内実としては、
「論理学的、言語学的に、模範的といってもよい形式化がみられる」
というような軽い意味でしょうか、
それとも、もう少し厳密にformalisme形式主義を指しているととった方がよいのでしょうか、
ということを思いました。

40 :考える名無しさん:04/03/06 14:06
>>39
一般には、entiteとetantとの区別はそれほど重要じゃないように思う。
entiteはもともとensから来てるし、ensはetantとぴったり対応するから。

formalismは、ここではキャロルについて言われてるわけだから、現代的な
「厳密な形式主義」を帰すとアナクロニズムにはなると思う。

あとそれから、もう一つ気付いたんだけど、existerに「実在する」という訳語を
充てると、realとの区別があとあと難しくなってくるような感じがする。
「実在」という言葉はむしろrealの訳語として使う方が便利だと思うので、
existerは「現実存在」くらいの訳語ではどうやろか?

41 :考える名無しさん:04/03/06 14:16
>>35
マラルメの場合は「一擲 un coup」だけど、ドゥルーズが言ってるのは les coups
でんな。
たぶんマラルメ−ニーチェの「サイコロ」問題については、いろいろ言いたい人がたくさん
いるじゃないかなあ

42 :考える名無しさん:04/03/06 14:19
>>40
>formalismは、ここではキャロルについて言われてるわけだから、現代的な
>「厳密な形式主義」を帰すとアナクロニズムにはなると思う。

この本は論理学にものすごい対抗意識をもって書かれたのは明らかだ。



43 :考える名無しさん:04/03/06 14:22
うん、だからそこにはかなりアイロニカルな響きがこめられてる

44 :考える名無しさん:04/03/06 14:26
>40
existerは外exに立つist、すなわち「外に立つもの=実存」て
ことになるんじゃない?

45 :考える名無しさん:04/03/06 14:27
序文にあんまりこだわって停滞するのもまずいかもしれないけど、もう一つだけ。
>>4
>〔こうした〕現代的な喜び
てところだけど、le plaisir actuelの“actuel”は、ちょっと注意しておいた方が
いいんじゃないかな。ここはやっぱり、現実的なものと潜在的なもの、という区別が
示唆されてるように思うんだが。

46 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 14:28
>>37
なるほど、論理学における格figureまでかけているとは気づきませんでした。
トピカ的な、で考えていたことは、たしかにアリストテレスの『トピカ論』のような伝統です。

そうすると、

 この本で出てくる登場人物figuresは、単に歴史的な登場人物としてのそれが問題なのではなく、
 topiqueな、つまりアリストテレスの『トピカ』におけるような、説得の議論を構成する文飾となるようなものとして
 logiqueな、つまり三段論法における格のように、推論を規定する型のようなものとして
 問題とされるのである

ということになって、意味が通るように思います。
(つまり、単に歴史的な人物としてではなく、段落の最後で言われているような
ある種の問題圏、問題構成として、キャロルやストア派が論じられるのだ、ということです)

あとは上に書いたように、音楽のセリエリスムとの関係もあると思いますが。

47 :考える名無しさん:04/03/06 14:32
いってみれば、論理とか意味に関わる事柄をみんなぶち込もう、てな意気込みなんでしょうなあ

48 :考える名無しさん:04/03/06 14:37
部外者の質問なんですが、そういう語呂合わせというか、かけことばと
いうか、言葉遊びというか、フランスの哲学者って何でそういうのが好
きなの? そして、日本人のあなたがたが、そういうのをありがたがる
のはなぜなの?

49 :考える名無しさん:04/03/06 14:38
『意味の論理学』は分析哲学〜ウィトゲンシュタインというラインへの攻撃の書である。
最大の標的はウィトゲンシュタイン。
後期ウィトゲンシュタイン流の乗り越えはドゥルーズには不愉快そのものだった。
しかし分析哲学からやればどうしてもウィトゲンシュタイン流になってしまう。
ではどうすればウィトゲンシュタインを抹殺できるか。
出発点を別物に入れ替える、コレである。
その入れ替え物が『意味の論理学』である。

50 :考える名無しさん:04/03/06 14:43
>>48
言語てものの実定性とゆうかesseとゆうか、そうしたものについて考えた方がよいのでは。

51 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 14:43
>>40
まあ、たしかに、ここでは
ens -> entitas -> entite の系列が持つ、ensであるということ、ens性とでも言うべき用法は
おいておいて(ensよりもより抽象的な存在者を示すことが多いということはあるにせよ)
ほぼensと同じように訳しても良いのかもしれません。

たしかに、考えてみればreelの訳語の問題も出てきますね。
「現実存在」という中世文脈の訳語は、かたいかなと思って避けていたのですが
そうしておいたほうが良いかもしれません。

52 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 14:48
>>45
なるほど、とも思うのですが、
そこは、冒頭の
L'oeuvre de Lewis Caroll a tout plaire au lecteur actuel
から続いているので、読み込みすぎという気もするのですが
どうでしょう?

53 :考える名無しさん:04/03/06 14:56
>>52
にゃるほど。冒頭の所は見落としてた。
でも今の問題の箇所は、「意味と非意味との戯れ」とか「カオス−コスモス」だとか、
マジな話と関わってくるところなので、少し読み込みたくもなる。
まあ、それほど拘る所でもないかも

54 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 14:58
>>48
>そういう語呂合わせというか、かけことばというか、
>言葉遊びというか、フランスの哲学者って何でそういうのが好きなの?

まず事実確認からすれば、それは別にフランスの哲学者だけがやっていることではなくて、
20世紀のそれに関して言えば、
むしろ、ハイデガー(部分的にはフッサール)に由来するドイツの哲学者の影響下に行われていると
言うべきでしょう。

ただ、たとえば現代の日本語を使っているときに
生命のあるものについて「いる」を使い、生命のないものについて「ある」を使うように
言葉には、ある種の世界の把握の仕方が書き込まれています。
そうした意味で、自分が使っている言葉に働いている論理を、
たとえば言葉遊びといった形で使用することで見えてくるものがあります。

自分の母語でないもので行われている探求を、どう受け取るかは、また別の問題ですが。

55 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 15:01
>>53
うーん、たしかにそうかも知れません。
ますます、(普通に)読める日本語には訳しにくいですねえ・・・

56 :考える名無しさん:04/03/06 15:07
意味と非意味との戯れがここでも渦巻いてるわけやね

んで、序文についてはこんぐらいにして、これからの進行を考えといた方がいいんじゃ
ないかな

57 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 15:07
>>44
記憶が間違っていなければ、だけれど
「実存」という言葉自体が「現実存在」のある種の略語ではなかったでしたっけ?
existo(exister)の訳語としては、実存する、現実存在する、は
両方同じように使われていたと思います。
(実存は、実存主義的なコノテーションがあるのでといって避ける人もいたように
思います)

58 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 15:17
>>56
>これからの進行を考えといた方がいいんじゃないかな

そうですね。

序文だけでも結構問題がでてきたので(もちろん訳をした自分がへぼだからというのもあるんですが)
しばらくは、こんな感じでゆっくりやっていきたいかなと思っています。

普通の読書会形式で、レジメにしてしまっても良いのですが。

あと、ひとつ気になっているのは、
実は手元に邦訳がないのですが、邦訳は使える訳なのでしょうか?
多分、フランス語原本は読まずに来ている人もいるでしょうし、
といって、そういう人たちを排除してしまいたくもないので。

59 : ◆DSENS.QlUs :04/03/06 15:20
進行については、晩に来る人たちもいると思うので、
また何か意見があるかもしれません。

自分の話しをすれば、とりあえず、しばらくは自分の勉強もかねて
全訳に近いものを出そうと思っています(質はともかく)。

この書き込みで、落ちます。

60 :考える名無しさん:04/03/06 15:25
邦訳は悩ましい。意味と非意味が戯れまくってるし(藁
でも、全く使えないわけでもないので、適当に誤訳チェック入れてく、という風にして
進度をかせぐ手もあるかも。

まあ、ベタっと全訳してくれるとやっぱり便利だし、おれ個人としては歓迎しますです。

61 :考える名無しさん:04/03/06 15:27
>>57
「実在」て訳語の由来はよく知らないけど、訳語として使いにくいことは確かやね

62 :考える名無しさん:04/03/06 15:29
とゆうわけで、俺様も落ちまつ

63 :考える名無しさん:04/03/06 15:41
>>61は「実在」じゃなくて「実存」の間違いだった。がっくし..._| ̄|○

64 :考える名無しさん:04/03/06 16:00
>>49氏の言われていることって本当ですか?
本当なら読んでみたいのですが


65 :考える名無しさん:04/03/06 17:02
>>49の言うことはあまりまじめにとらないほうがいい。
そこらのドゥルーズ紹介者が言ってることをいいなお
しているのにすぎないから。ま、DQNに近いよ。

66 :考える名無しさん:04/03/06 17:08
>意味の論理学』は分析哲学〜ウィトゲンシュタインというラインへの攻撃
って何んだ?ラインって(藁)何言ってるの?また、電波が始まったか・・。

67 :考える名無しさん:04/03/06 17:21
>>59

こんなとこで、まじめに翻訳なんて紹介しないほうがいいよ。
自分の論文のために使っておいたほうがマシだよ。

ここらへんで読んでいるたり書いてたりするやつに、どうせ
シッタカの知識をひけらかせるネタ提供するだけだからさ。

ちゃんと関心あるんだったら原文で読むのが筋でしょ。
そんなことはあたりまえのことだ。

最後にひとつ、あまり語義の定義や出所にこだわると
訳が堅くなるし、ドゥルーズが厳密に出所をただすよ
うな書き方をしていないしね。

68 :考える名無しさん:04/03/06 17:23
>>23
>>「意味とは、実在しないある種の存在物entiteであり、
>>無意味と特殊な関係をもつものだからである」
>>というところが重要ではないかと。

>重要。それはドゥルーズの構造主義理解からきている。
>構造は非物体的意味を生産する機械だ。
>意味をナンセンスとの不断の転移による生産、贈与の現場ととらる。
>このもくろみは、意味を原理や起源から解き放つことにある。

プッ、コイツもひどい電波だ。
ドゥルーズの真価が全くわからんやつが偉そうに。

69 :考える名無しさん:04/03/06 17:28
>>51
フランス語のentiteとetantにまつわる問題に関しては、ジルソンが L'etre et l'essence
でも色々と論じてたんじゃなかったっけ。(忘れたけど)

それはともかくとして、フランス語のentiteは、ラテン語で言えばentitasよりもむしろensの方に
近い使い方するんじゃないかな。別に抽象的な含みというのは無いように思う。
もっとも、ドゥルーズがentiteとetantとをどういう風に使っているかは知らないので、
これはあくまでも一般的な用法ということだけど。

70 :考える名無しさん:04/03/06 17:50
>>59
全訳みたいな形でできるなら、おれもそれキボン
とりあえず出来る範囲でやってくれるとうれしい。

71 :考える名無しさん:04/03/06 18:01
>>64

>>49で書かれている事柄にどんな意味があるかはよく分からないけど、ドゥルーズが
「意味」に関する英米系の研究を意識してることは確かだと思う。
でも、フーコーの『知の考古学』の場合もそうだけど、そこにどういった関係があるかは
かなり微妙な問題だと思う。
だいたいフランスの場合、ウィトゲンシュタインの『論考』が、クロソウスキーによって
仏訳されている(!)、といった不思議な事情もあるし。

72 :考える名無しさん:04/03/06 18:05
でもまあ、>>49

>分析哲学からやればどうしてもウィトゲンシュタイン流になってしまう

とかいったのは、かなりのデンコちゃん


73 :考える名無しさん:04/03/06 18:17
でもドゥルーズはどっかの対談で、ウィトゲンシュタインは間違っていることを言ってい
ない、ただ哲学の生き生きとしたところを殺した、という感じの批判していた。

74 :考える名無しさん:04/03/06 18:30
要するに、ドゥルーズは英米系の哲学をやればどうしても自分もウィト
を認めるところに逝ってしまうけどウィトは大嫌いだということだろ。

75 :考える名無しさん:04/03/06 18:41
具体的な指摘も無しに電波と言いまくってる香具師がドゥルーズスレに最近粘着してるけど
そいつは放置していきましょう。なんらスレにとって役に立ちませんので。

76 : ◆wz1/FGWAMI :04/03/06 18:59
電波レスは一目瞭然だがスルーできない人もいるのは仕方ないか・・・。
ちなみに74は電波ね。
とりあえず序文ではウィトゲンシュタインの話題は出ていないわけだから
このスレでは『意味の論理学』に即して話すべき。
最も重要なフィギュールはルイス・キャロルなんだし、
その意味で>>26のような指摘はいい。
また>>46の「音楽のセリエリスムとの関係」はその通りだね。
#あと、打ち間違いだろうけどEditions 「de」 Minuitね>1

77 :考える名無しさん:04/03/06 19:02
>>76
>ちなみに74は電波ね。

どうして?

78 :考える名無しさん:04/03/06 19:04
>このスレでは『意味の論理学』に即して話すべき。


79 :考える名無しさん:04/03/06 19:09
>>76
なるほど、そういうことかよくわかりました。

80 :考える名無しさん:04/03/06 19:13
>>73
そうだ。いっていない。その生き生きとしたものと
概念についての関係が重要

81 :考える名無しさん:04/03/06 20:47
A travers des series de paradoxes antiques et modernes, ce
livre cherche a determiner le statut du sens et du non-sens, et
d'abord leur lieu. Ou se passe exactement ce qu'on appelle un
<<evenement>>? La profondeur, la hauteur et la surface entrent
dans des rapports complexes constitutifs de la vie. Les stoiciens
furent un nouveau type de philosophes, Lewis Carroll fut un
nouveau type d'ecrivain, parce qu'ils partaient a la conquete des
surface. Il se peut que cette conquete soit le plus grand effort
de la vie psychique, dans la sexualite comme dans la pensee. Et
que, dans le sens et dans le non-sens, <<le plus profond, c'est
le peau>>.

82 ::04/03/06 20:49
裏表紙の宣伝文句(?)ね
暇だからupしてみた

83 :考える名無しさん:04/03/06 21:38
誰か訳してちょ

84 :12:04/03/07 01:58
>>32
>paradoxeという言葉から、カントのアンチノミー論を思い出しておくべきか?
とあるけれど、ここはそこまで読み込まずにルイス・キャロル参照でいいかと。
キャロル著・柳瀬尚紀編訳『不思議の国の論理学』所収で
「論理のパラドクス A Logical Paradox」 (1894)あり。

あと、「言語と無意識の婚礼」は「論理的・精神分析的小説の試み」に対応。
つまり言語/論理学と精神分析学を通底させたという趣旨ではないだろうか。

85 :12:04/03/07 01:59
>>37
>figures qui sont non seulement historiques,
>mais topiques et logiques
>単に歴史的であるだけでなく、トポス的でもあり
>論理的でもある〔人物の〕形象figures〔音型〕
のところだけどフィギュールはカタカナ表記を残して
フィギュール(形象)としたほうが無難かと。
というのも「フィギュールfigures」には
歴史的historiques、トポス的topiques、論理的logiques
という3つの形容がかかわり多義性を孕んでると思うから。

で、「論理的・精神分析的小説の試み」を踏まえると
フィギュールfiguresを「登場人物」としてもいいわけだけど
そうなるとhistoriquesは歴史的というより「物語的」になるのかな、
とちょっと思った。

86 :考える名無しさん:04/03/07 03:41
スレ違いだが、一言いわせてくれ

おれは「保坂和志的なもの」が嫌いだあ〜

御清聴ありがとう御座いました

87 :考える名無しさん:04/03/07 05:38
constellationsはふつう、「布置」と訳されます。
なので、constellations-problemesは、諸問題の布置、ですね。

entiteは一般的には、「実体」と訳します。これは確かにens起源でしょうが、
現在のフランス語では、抽象的実体」という意味らしい。

88 :考える名無しさん:04/03/07 10:25
>>84>>85
その理解でほぼいいでしょう。文脈的には、宇波訳でも十分いける。


89 :考える名無しさん:04/03/07 10:28
>paradoxeという言葉から、カントのアンチノミー論を思い出しておくべきか?

それを言うならフレーゲでしょ。


90 :考える名無しさん:04/03/07 10:38
>paradoxeという言葉から、カントのアンチノミー論を思い出しておくべきか?

決定的なのはラカンと思われ。

91 :考える名無しさん:04/03/07 10:49
ドゥルーズはラッセルに対抗して自分はどういう独自の場所を確保
できるかということを気にしていたと思うな。
ラッセルに対抗するといっても、真っ向から批判するわけではない。
というか論理的与件として受け入れる身振りを示して直接批判を
回避しながら、別の論理学をつくることで対抗する戦術だよ。

92 :考える名無しさん:04/03/07 13:31
スルーした方がいいかもしれないけど、誤解する人もいるかもしれないので言っとくと、
>>87

>entiteは一般的には、「実体」と訳します

というのは全くの嘘。少なくとも、「実体」ということで、アリストテレス的なsubstance
を考えてるのであれば、ということだけど。
substanceつうと、アリストテレス風に言えば「第一の意味で存在するもの」、
「真に存在するもの」ということだけど、ensとかentiteと言われるのは、もっと広く、
「とにかく何らかの意味で存在する(esse)もの」ということになる。
だから、実体以外にも、偶有性(accidens)とかens rationisなんてものまでも、
みんなens, entiteに含まれることになる。

93 :考える名無しさん:04/03/07 14:41
『意味の論理学』の邦訳はパラパラのぞいて見たけど、けっこう悲惨っぽい。
例えば、よりにもよってプラトンを論じた付論の中で(314ページ)、
participerが「参加する」て訳されてるもんだから、全く意味不明な
訳文になっちまってる。

悲惨な訳文の実例↓
「そこから、有名なネオプラトニズムの三つの項、つまり、参加できないもの、
参加させられたもの、参加するものが生ずる。」

94 :考える名無しさん:04/03/07 14:55
>>92
entiteを「実体」と訳しても間違いではないと思うよ。
substanceの方は「実質」と訳すことも多いから。
文脈にもよるけど「実体」=substance と即断する方が
悪いんじゃないかな。

95 :考える名無しさん:04/03/07 15:09
>>94
うん、けっきょくは「文脈による」としか言いようがないわけだけど、
「実体」という日本語表現自体は、哲学的な文脈ではやっぱりsubstanceを
強く連想させると思うし、できたら避けた方がいい場合も多いと思う。
特に、『意味の論理学』のような著作の場合には、sujetとかsubstanceといった
概念にまつわる論理学−形而上学の伝統が問題になってるわけだし。

96 :考える名無しさん:04/03/07 15:14
あとそれから、キャロルつながりで「パラドックス」と言ったら、
例えば「アキレスが亀に言ったこと」(だっけ?)で述べられているような
論理的なパラドックスが真っ先に思い浮かぶわけだけど。

97 :考える名無しさん:04/03/07 15:22
>>96みたいなことは、>>84でガイシュツやったね。スマソ

98 :考える名無しさん:04/03/07 16:21
>>81
><<le plus profond, c'est le peau>>
「最も深いものとは皮膚である」
って、たしかヴァレリーの言葉だよね?
誰か出典知ってる人いる?


99 :考える名無しさん:04/03/07 18:46
『意味の論理学』の訳本を掘り返して読んでみたけど、
やっぱダメだねえ。
最初の二つのセリーの所はまあいいとしても、第三のセリーに入ると、
一気に日本語がメロメロになってるし。
だいたい、"demonstration"の意味すらちゃんと取れてない。
この翻訳を見ただけだと内容はほとんど理解できないっしょ。

100 :考える名無しさん:04/03/07 19:59
第三のセリーはサパーリ分からず
宇波節が炸裂しまくり
この人って「真理条件」て言葉すら知らないんだな

101 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 06:05
とりあえず、いろいろと出てきた意見を基にした
修正訳を貼っておきます。

【序文】 (ルイス・キャロルからストア派へ)

【P.1 pr.1】
ルイス・キャロルの著作には、今日の読者を喜ばせるすべてがそろっている。
子供向け、とりわけ女の子向けの本。
華麗にして、とっぴ、そして秘教的な言葉の数々。
暗号格子、コード、解読。デッサンと写真。
奥深い精神分析的内容、模範的な論理学的・言語学的形式。
そして〔こうした〕現代的な喜びplaisir actuelの向こう側に、
何か別のもの、意味と無意味の戯れ、カオス-コスモスがある。
だが、言語と無意識の婚礼は、すでに〔ほかの場所でも〕
十分に多様な形で成就され、祝福されている。
だから、探求されるべきは次のことだ。
ルイス・キャロルにおいて、厳密にその婚礼がどのようなものであったのか。
そして、彼の元で、彼のおかげで、その婚礼は何と関係することになったのか、
婚礼は何を祝福することになったのか、である。

102 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 06:05
【P.1 pr.2】
私たちは、意味の理論を形作る一連のパラドックスを提示することにする。
意味の理論がパラドックスから切り離すことができないことは
容易に説明される。
というのも、意味とは、現実存在existerしないある種の存在者entiteであり、
無意味と特殊な関係をもつものだからである。
〔本書での〕ルイス・キャロルの特権的な位置は次のことに由来する。
それは、彼が始めて、意味のパラドックスを
収集し、書き換え、ないし新しく作り出したりと
大きく扱い、舞台に引き上げたからである。
ストア派の特権的な位置は次のことに由来する。
それは、彼らが、哲学者の新しいイメージを、
ソクラテス以前の哲学者たち、ソクラテス主義、プラトン主義などから
切り離された形で創り出したからである。
そして、この新しいイメージは、意味の理論のパラドックスをはらんだ
構成と、それ自体すでに緊密に結び合わさっている。
そうしたわけで、単に歴史・物語的であるだけでなく、トポス的でもあり
論理学的でもある諸フィギュール〔三段論法の格、音列、文飾にたとえられる
これらの登場人物たち〕は、それぞれのセリーへと対応することになる。
純粋表面におけるようにcomme sur une surface pure、
あるセリー中のフィギュールがもつ諸々の点は、
他のフィギュールの諸々の点へと差し送る。
〔それは〕賽の投擲に呼応する問題群の星座=布置の総体、
様々な歴史と場所、複合的なトポス、『もつれっ話』
〔といった形をとることになる〕
-- この書物は、一種の論理学的・精神分析的小説の試みである。
(以下はappendicesの初出なので省略。)

# (une) histoire embrouilleeが、A Tangled Tale の仏訳題名であることを
確認しました。

103 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 06:56
>>76
出版社はそのとおり、打ち間違えました。>>1にあるだけに恥ずかしい…

【paradoxes】
>>84 >キャロルでは?
>>89 >フレーゲでは?
>>90 >ラカンでは?

もちろん、直接的には序文で指摘されているようにキャロルだと思います。
たしかに読み込め出せば、ストア派についての情報源の一つであるキケロに
『ストア派のパラドックス』という書物があったりすることまで出てきそうなので、
とりあえず、今後の課題の一つということで。

>>84
>あと、「言語と無意識の婚礼」は「論理的・精神分析的小説の試み」に対応。
>つまり言語/論理学と精神分析学を通底させたという趣旨ではないだろうか。

つまり、キャロルの作品において、すでにそれらが見られるので
その解明を通して、この書物の目的を成し遂げようとということは
その通りだと思うのですが、
Mais les noces 〜 の文にある(Mais 〜) deja がキャロル以外(以前)のことを
念頭においているのかが、ちょっとひっかかるのでした。

>>85
figure については、カタカナで残しました。
historique については、logique、linguistique と言った(現代的な意味では)
共時的なものに対比されているので、基本的には歴史的と言うことかと。
とはいえ、無論、キャロルやストア派について、歴史上の登場人物として
扱うだけでない、ということなので、意味としては、物語としての歴史において、
つまり歴史的逸話としてのみ扱うのではない、ということになると
思います(日本語ではうまくニュアンスがでませんが)。

104 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 06:58
>>87
coups de des (たしかに>>41さんの言われるように、複数になっていますが)
-> constellation というのは、マラルメの『賽子一擲』の構成の基本になっているので
布置で済ましてしまうのも、さびしいかと。

【exister】
>>40 >>44 >>51
考えてみると、この本でも、
後で in-sister という表現も出てきたと思うので
その時点で、訳語を考え直したほうが良いかもしれません。


105 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 06:59
【entite】
>33 >39 >40 >51 >69
>69 >87 >92 >94-95
(アンカー張りすぎといわれたので > で代用)

ジルソンの本では、まだ確認できていないのですが、
substance との対比について言えば(言語学の文脈などではなく)
哲学の文脈では
現代でも「実質」よりも「実体」と訳したほうが良い場面が多い気が
するのですが。
sujet とかは、対象となっている時代によって、
訳語が違ってくるので悩ましいです。

106 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 07:39
>>81
一応、序文と関係しそうなのと、プラトンの確認で手間取っていて
今すぐ次の訳文が貼れないので、簡単に訳しておきます。
(そういえば、向こうでは、この手の文章は誰が書くのでしょうか)

【意味の論理学 (表4)】

この書物は、
古代の、そして現代の様々なパラドックスの諸セリーを通して、
意味 sens と無意味 non-sens の地位 statut を、
まずは、それらの〔起こる〕場所 lieu を決定する試みである。
人が「出来事 evenement」と呼ぶものは、
厳密には、どこで起こる se passer のか?
深み profondeur、高み hauteur、表面 surface は、
生を構成する複合的な諸関係の内にある
〔それらの諸関係の一部として存在している〕。
ストア派は、哲学者の一つの新しいタイプであった。
ルイス・キャロルは、作家の新しいタイプであった。
というのも、彼らは、表面の探求 conquete にのりだしたからだ。
この表面の探求というのは、
思惟におけるように、性 sexualite においても、
心的生のなす最も偉大な努力 effort であるかもしれない。
そしてまた、意味においても、無意味においても、
「最も深いもの、それは肌である」〔であるかもしれない〕

107 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 07:48
>>106
最後のヴァレリーの
「最も深いもの、それは肌 peau である」
は、普通は
「〜、それは皮膚である」
と訳されているようですね。

108 :考える名無しさん:04/03/08 08:01
>>104
existerの訳は悩ましいっすね。
ちなみに、関連しそうなところを少し引いてみると──

Considerons le statut complexe du sens ou de l'exprime.
D'une part il n'existe pas hors de la proposition qui l'exprime.
L'exprime n'existe pas hors de son expression. C'est pourquoi
le sens ne peut pas etre dit exister, mais seulment insister ou
subsister... (p.33)

ちなみに、これが宇波訳だと(28ページ)、
「意味は存在するとは言えず、単に主張されるとか存続するとしか言えない
のはこのためである」となりまつ(藁

109 :考える名無しさん:04/03/08 08:03
>>106
「場所 lieu」は、ちょっとカッコつけて訳すと「トポス」てな風になるんじゃないかな

110 : ◆DSENS.QlUs :04/03/08 09:22
>>108
とりあえず、以下のような組があると。
 in-sister
 ex-(s)ister
 sub-sister
接頭辞に関して言えば、他に、
 sub-venir (p.10)
なんていう表現も出てきたりして、
これらの接頭辞の系が、できればわかる訳語を
選択したいものです。

しかし、宇波訳はすごいですねー。
そんな風に訳せたら、この世に悩みもなくなるかも(笑)

>>109
それも少し考えたのですが、その後が、普通に場所の話で
続くので、とりあえず場所にしておいた次第。
でも、背表紙の宣伝文句としては、カッコつけるべきかもしれません(笑)

111 :考える名無しさん:04/03/08 10:20
宇波大先生の超訳の場合、訳者に悩みがない分、読者が苦悩させられる
(あるいはバカになる devenir-fou)。

それはともかく、existとsubsistとゆうと、いわゆるnon-existent(丸い三角とか黄金の山)
に関するマイノングとかラッセルの議論の場合には、「存在」と「存立」て風に
訳すのがほぼ通例みたいだし、このあたりで妥協するしかないかも。

112 :考える名無しさん:04/03/08 19:19
『意味の論理学』て難しそおー
フランス語を出すときは出来たら訳もいっしょにおながいします
おいらフランス語みると(゚Д゚)ポカーン

113 :考える名無しさん:04/03/08 21:46
◆DSENS.QlUsさんの訳が仕上がるまで時間がかかるかもしんないんで、
第一のセリーの所について参考までに小見出し(翻訳には載ってない)を
掲げておくと――

 Distinction platonicienne des choses mesurees et du devenir-fou
L'identite infinie
Les aventures d'Alice ou <<evenements>>

最初の見出しはどう訳したらいいのかよく分かんないけど、オレなりに「超訳」
してみると、
「イデアの支配の下にある個物(イデアのコピー)と、イデアの支配の及ばない
純粋生成(シミュラークル)、というプラトン主義的区別」
てなところか。
それに続いて、「無限の同一性」、そりから「アリスの冒険、あるいは《出来事》」
ということですな。

この第一のセリーのとこは宇波訳もまだそれなりに読めるみたいだけど、
ともかく早く訳文できあがるのキボン


114 :考える名無しさん:04/03/09 03:31
キボンキボン

115 :考える名無しさん:04/03/09 05:05
更新進んでいませんが、ブックマークしてくれると嬉しいです。
カウンタ貼ってないけど。w
http://luzifer.hp.infoseek.co.jp/index.html

116 :考える名無しさん:04/03/09 06:10
明らかに板違いなスレ・荒らし目的のスレや荒らし目的のコピペなどを見つけたら
自分からすすんで削除依頼しに行くようにしてください。
「私がやらなくても誰かがやるだろうから、別に構わないだろう」と思っていたのでは、
結局誰も削除依頼に行かず、駄スレ・クソスレは減らないままです。
哲学板の環境改善のために、皆様の自発的な努力をお願いいたします。

削除整理
http://qb2.2ch.net/saku/
philo:哲学[スレッド削除]
http://qb2.2ch.net/test/read.cgi/saku/1029939409/
philo:哲学[レス削除]
http://qb2.2ch.net/test/read.cgi/saku/1032528011/


※その際、「2ちゃんねる削除ガイドライン」に沿った削除依頼理由で
 削除依頼を出すようお願いいたします。

  削除ガイドライン
  http://info.2ch.net/guide/adv.html#saku_guide  

 これを踏まえないで削除依頼をしても、削除人の人からは削除依頼と認められません。
明らかに板違いなスレ・荒らし目的のスレや荒らし目的のコピペなどを見つけたら自分からすすんで削除依頼しに行くよう
にしてください。
「私がやらなくても誰かがやるだろうから、別に構わないだろう」と思っていたのでは、結局誰も削除依頼に行かず、駄ス
レ・クソスレは減らないままです。
哲学板の環境改善のために、皆様の自発的な努力をお願いいたします。


117 :考える名無しさん:04/03/09 13:37
あと訳語てことでゆうと、ちょっと厄介なのが、
 designer (designation)
 manifester (manifestation)
 signifier (signification)
という三つ、特に最後のsignifierじゃないかなあ。
ドゥルーズの説明だと、designationてのは、言語と、世界に実在する事物や事態との
関係で、これは「指示」といった訳でいいだろうし、manifesterというのは、言語と、
それを使用する主体との関係で、例えば英語で I mean ...「おりが言いたいのは…」と
言われる場合のmeanに当たるようなものだから、「表出」とかいった訳になると思う。
問題は最後のsignifierで、これはつまり、記号論で言われるような、記号(signe)の
体系内での送付関係が言われている。
で、signifier, significationは普通であれば「意味する」とか「意味作用」といった
訳になるけど、ドゥルーズの狙いというのは、意味(sens)というものを、designationとも
manifestationともsignificationとも違った第四の水準に位置付けるということにあるわけ
だから、significationを「意味作用」て風に訳すのは明らかにまずい(けど宇波訳では
そう訳されてる…)。

118 :考える名無しさん:04/03/09 14:06
>>117
>だから、significationを「意味作用」て風に訳すのは明らかにまずい

これは sens を「意味」と訳したために、まずいということだよね。
いささか小手先の訳し分けになるけれど、
signification の訳としては「意義」「記号作用」というのもある。

119 :考える名無しさん:04/03/09 14:28
そう、sensを「意味」と訳すのであれば、ということ。
で、significationの訳として「意義」とか「記号作用」といった言い方も悪くは
ないと思うけど、その場合、signifiantやsignifieをどうするか、という問題もある。

120 :考える名無しさん:04/03/09 14:44
>>119
>その場合、signifiantやsignifieをどうするか、という問題もある

それはシニフィアン、シニフィエでいいでしょ。
それともどうしても訳したければ能記、所記という
古い言葉もあるけど。

121 :考える名無しさん:04/03/09 18:32
つくづく翻訳ってのはわりにあわない仕事だなぁと思った

122 : ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:38
【 パラドックスの第一のセリー
 純粋な成ることdevenirについて 】

sens が持っている多義性、意味、方向、感覚
特に方向という意味が活用されているようです。

devenir 生成する、生成とするか迷ったのですが、
動詞としての「生成する」は、どうも座りが悪い気がして
とりあえず「成る」とし
「devenir は名詞というよりも動詞である、不定詞である」
というドゥルーズの言葉にしたがって、
le devenir も 成る(こと)と、試しにしてみましたが
かえって読みにくくなった気がします。
というわけで、生成する、生成に戻した方が良いかもしれません。

>>117-120
結局、訳語の選択と同時に、日本語での 名詞-動詞の派生が
フランス語と同じようにはいかないという問題が
あるのですよね…

123 :第一セリー 1/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:39
【p.9 pr.1-a】
『鏡の国のアリス』、そして『不思議の国のアリス』において
問題にされているのは、
非常に特殊な諸事物が形作る一つのカテゴリーである。
つまり、出来事 evenements、純粋な出来事である。

私が「アリスが大きくなる」と言うとき、
私は、アリスが、〔それ以前に〕そうであったよりも、より大きく成る devenir ことを意味している。
しかし、まさにそれによって同時に、アリスは、現在においてそうであるよりも、
より小さく成るのである。
もちろん、アリスは同時に、より大きく、かつ、より小さく ある わけではない。
しかし、同時に、そのように 成る のである。
現在、彼女がより大きくある、ということは、以前にはより小さかったということである。
ところが、人が、かつてあったよりもより大きなものへと成り、
〔現在そのように〕成っているよりも、
自分をより小さなものとする se faire plus petit ことは、
同時に、一度に起こることなのである。

124 :第一セリー 2/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:42
【p.9 pr.1-b】
これが 成る の同時性 simultaneite ということであり、
それに固有なことは、現在 present をすり抜ける esquiver ということである。
成る は、現在をすり抜けるものであって、以前 l'avant と以降 l'apres、
過去と未来の分割、区別を受け入れない。
二つの方向へ同時に、〔つまり〕行き、引き寄せるということは
成る の本質に属している。
つまり、アリスは小さくなることなしに大きくなることはできないし、
その逆もまた然りである。
良い(意味)感覚 le bon sens 〔常識、良識、ボン・サンス〕とは、
すべての事物において、一つの方向-意味 sens が決定しうるのである、と言明すること affirmation である。
それに対して、パラドックスとは、二つの方向-意味 sens を同時に言明することである。

 # affirmation 肯定 とここで訳してしまうのも、日本語としてすわりが悪いような。

125 :第一セリー 3/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:43
【p.9 pr.2-a】
プラトンは、次の二つの次元を区別するように勧めていた。
(1) 限定され、計量された mesurees 諸事物の次元、ないし固定された質の次元
それらの事物や質は、それが永続的なものであれ一時的なものであれ、
常に、停止 arrets や静止 repos を、現在の構築 etablissements de presents を、
そして、主体 sujet を特定することを前提としている。
この次元では、〔ある一つの〕主体 sujet は、
特定の時点に、特定の大きさ、小ささを持つ。

 # repos と mouvement という対比
 # sujet ここでは、基体(hypokeimenon/subiectum)と訳した方が
 # 良いと思うのですが、そうするとこの章の末の主体と訳した方が良い
 # sujet とバランスがとれなくなるので、とりえあず主体で統一しておきます

126 :第一セリー 4/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:44
(2) 計量基準を持たない〔際限のない〕 sans musure 純粋な成る、
真の、狂ったものへ成る devenir-fou ことの次元。
それは、決してとどまることなく、二つの方向-意味へ同時に向かい、
常に現在をすり抜け、
未来と過去を、より多く と より少なく を、
過剰に trop と不十分に pas-assez を、
反抗的なある一つの質料において、その同時性において
〔その同時性のうちに〕 dans la simultaneite d'une matiere indocile
共に生起・一致させる coincider のである。

 # fou: たがが外れた、常軌を逸した、調子の外れた
 # とんでもないというような意味で sans musure と
 # つながっているわけなのだけれど folie とあわせるために
 # 微妙に座りが悪い気もする 狂った を採用

(「より暖かいとより冷たいは、常に動き続け、とどまることがない。
他方で、限定された量は停止であり、存在をやめることなしには進まない〔変化しない〕。」『ピレボス』24d
「最も若いものは、最も年老いたものより、より年老いたものと成り、
最も年老いたものは、最も若いものよりも、より若いものとなる。
しかしこうした 成る devenir を成し遂げることは、それらにはできないことである。
というのは、もしそれらが 成る を成し遂げてしまえば、
それらはもはや 成る ではなくそう ある のであり…」『パルメニデス』154-155)


127 :第一セリー 5/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:44
【p.10 pr.1-a】
このプラトン的な二重性 dualite を認めることにしよう。
〔だが〕この二重性というのは、
可知的なもの〔知性認識されうるもの〕と可感的なもの〔感覚で把握されうるもの〕の間にあるそれではないし、
イデアと質料の間のそれでもなく、イデアと物体の間のそれでもない。
それは、より深いものであり、より隠れたものであり、
可感的・質料的物体自体の内に、潜り込んでいる enfoui ものである。
つまり、この二重性とは、イデアの作用 action de l'Idee を受け取るものと
この作用において姿を隠す se derober ものの間の
地上には姿を現さない二重性 dualite souterraine である。
〔だから〕それは、〔唯一の〕モデル Modele と〔その〕諸コピーの間の区別ではなく、
諸々のコピーと諸々のシミュラークルとの間の区別ということになる。

純粋な 成る、つまり、限定されざるもの l'illimite は、
それが、イデアの作用をすり抜け、
モデルとコピーの両方を同時に疑問に付す contester 限りで
シミュラークルの質料なのだ。

計量された事物は、イデアの〔制御〕下にある。
だがまた、
イデアによって押し付けられ、事物によって受容された秩序の手前に en deca de
潜んだまま存立し続け subsiter、潜んだままで到来し続ける subvenir
狂った元素 element fou が、
事物自体の下にはあるのではないか?

128 :第一セリー 6/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:45
【p.10 p.1-b】
プラトンもまた、次のような問いを立てるに至った。
純粋な 成る は、言語との大変に独特な関係においてしか存在しないのではないかと。
『クラチュロス』の主要な意義の一つ un des principaux sens がここにあるように思われる。

おそらく、この関係は、言語にとって本質的なものではないだろうか?
たとえば、言葉 paroles の「流れ flux」において、
決してとどまることなく、それが差し送る〔参照する〕ものへと滑っていくことをやめない
狂った〔たがの外れた〕言説 discours fou において。

あるいは。
二つのランガージュ〔言語(的)活動 language〕、 二種類の「名 noms」があり、
そのうちの一方は、イデアの作用を収集し受け止める
停止 arrets や静止 repos を指示する designer ランガージュ、名であり、
他方は、反抗する諸運動を、成ることを表現 exprimer するランガージュ、名なのではないか?

 # 〔le langage, les mots qui〕 recueillent の recueillir は、
 # ハイデガーの、かき集める legein としてのロゴス解釈を念頭に置いた表現か?

あるいは。
二つの区別される次元がランガージュなるものの内にはあり、
そのうち一方の次元は、常に他方によって覆い隠され recouverte ていて、
それにもかかわらず、もう一方の下で「潜んだままで到来し subvenir」続け
潜んだままで存立し subsister 続けるのではあるまいか?

 # subsister 下(存)立する
 # insiter 内(存)立する
 # ex-(s)ister 外(存)立する といった訳語の対を考えるべきでしょうか?

129 :第一セリー 7/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:47
【p.10 pr.2-a】
現在をかわす能力 capacite を持っている、この純粋な 成る のパラドックスとは、
無限〔定〕の同一性 identite infini というものである。
それは、二つの方向=意味の、
〔つまり〕未来と過去、前日と翌日、より多く と より少なく、
過剰に と 不十分に、能動と受動、原因と結果の
無限〔定〕の同一性である。

 # infini ギリシャの文脈で apeiron (a - peras 限定されていない、完成されていない)を
 # infini と訳すことの問題は以前から指摘されていて、
 # むしろ indefini と訳すべきだといわれていることを念頭においています。
 # が、端的に 無限の(つまり「限りが無い」)同一性でも良いようにも思われる
 # 内容的にはどうでしょうか? illimite と意味的な区別があるのでしょうか?

限界を固定するのは言語である(たとえば、過剰に が始まる時点)。
しかし、限界を超え、
限界を、無限定な 成る に、無限〔定〕に釣り合うようなものに再びするのも言語である
〔le langage〕 les restutiue a l'equivalence infinie d'un devenir illimite
(「赤くなった火かき棒を、「過剰に」長く持っていてはいけない。それは、あなたをやけどさせるだろう。
「過剰に」深く切ってはいけない。それは、あなたを出血させるだろう」)。

 # ここの文章の意味が、今ひとつ良く分かりません。
 # 砕いて訳せば、限界を固定すると同時に、「限定されない生成 devenir に等価足りうる
 # 無限〔定〕なものへと、限界を再び開放する」といったところでしょうか?

130 :第一セリー 8/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:47
【p,11 suite de p.10 pr.2-b】
以上のことに、アリスの冒険を構成する転倒は由来している。

大きくなることと小さくなることの転倒。
「どっちの方向-意味? どっちの方向-意味?」
と、アリスは問う。
それは常に、二つの方向に同時にであることを示していて、
結果として、一度は、彼女は、光学的な効果のおかげで、
同じままにとどまることにもなる。

前日と翌日の転倒。
現在は、常にすり抜けられている。
「前日と翌日のジャム。でも決して今日じゃない」

より多く と、より少なく の転倒。
5つの晩は、1つの晩より5倍寒い。
「けれども、同じ理由で、5つの晩は、5倍暖かくもなけりゃいけない。」

能動的なものと受動的なもの。
「猫〔が〕コウモリ〔を〕食べる?」は「コウモリ〔が〕猫〔を〕食べる?」
と同等である。

原因と結果。
過ちを犯す前に罰せられ、つつかれる前に悲鳴をあげ
取り分ける前に盛り付ける。

131 :第一セリー 9/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:48
【p.11 pr.1】
無限〔定〕な同一性において現れる、こうした転倒は、
すべて同じ結果を持つことになる。
それは、アリスの個人的な同一性が疑問に付されること、
〔つまり〕固有名の喪失である。

固有名の喪失は、アリスの冒険 aventures 全体を通して
幾度も繰り返される椿事 aventure である。

というのも、固有名、ないし個物の名 nom singulier は、
知が連続して絶えないこと permanence d'un savoir によって
確保されるものだからだ。

この知は、停止と静止を、そして
実詞〔substantif 名詞 実体的なもの〕と形容詞〔adjectif 附加されるもの〕を指示する designer
一般名 noms generaux のうちに、受肉されている〔est incarne 具体化されている〕。
固有名は、この一般名と一定の関係 rapport constant を保つのである。

そのようにして、人称的な〔個人的な〕自我は
神を、世界一般を必要とすることになる。

132 :第一セリー 10/10 ◆DSENS.QlUs :04/03/10 17:49
【p.11 pr.2-a】
しかし、実詞と形容詞が、溶け〔あい〕始めるとき、
停止と静止の名〔詞〕が、純粋な 成る である動詞によって
駆り出され sont entraines、
出来事のランガージュの方へ滑っていくとき、
自我にとっても、世界、神にとっても
すべての同一性は失われることになる。

それは、知と物語ること recitation にとっての試練であり、
そのときは、語 mots は、方向違いのところへ到来し venir de travers
動詞によって、横道へと駆り立てられる。
そしてこの試練は、アリスから、その同一性を剥奪する。

出来事は、知と人格 personnes に、ランガージュを通じて伝染する
非現実性 irrealite を享楽しているかのようである。

というのも、人格の不確実さは、
出来事 ce qui se passe の外側にある懐疑などではなく、
出来事が、常に二つの方向-意味に同時に向かい
主体をこの二つの方向-意味へと引き裂くがゆえの
出来事自体の〔持つ〕客観的な構造だからである。

〔だから〕パラドックスは、まずは、
一方向へ向かう(一方通行の)良識 bons sens を破壊するものなのだが、
また、それとともに、常識=共通感覚 sens commun
―― それは確固とした同一性を〔それぞれのものに〕割り当てているものである ――
を、破壊するものでもある。

133 : ◆DSENS.QlUs :04/03/10 18:41
>>117
今回の分の designer の訳語についても参考にしました。

>>118-119
signification に記号作用という訳語をあてるのは良いと思うのだけれど、
そうすると、動詞形の signifier をどうするかというのも問題になってきそうです。

そういえば、どこかで、 signifiant/signifie を、記号するもの/記号されるもの
と訳しているのを見たことがある気がします。

134 :nom singulier:04/03/10 23:29
>DSENSさん
乙彼サンス。金曜日にまた寄ります。

135 :考える名無しさん:04/03/11 22:36
第一セリーは、内容的にはそれほど問題が無さそうなんで、特に言うことも
ないんだけど、幾つか。

>>125の所についてだけど、「計量された mesurees 諸事物」というのが
どうもあんまりよく分からないんだけど、これって何かプラトンの言い回しを
念頭に置いた表現なのかなあ?
ちなみに、mesureてのは、例えば時間についての二つの見方(クロノスとアイオーン)
との関連で、第23セリーでも詳しく取り上げられることになるけど、
むしろ、この本の中でのそうした内容的なつながりを重視した方がいいのか?

あと同じ>>125のsujetは、やっぱり「ヒュポケイメノン」という意味だと思うので、
「基体」の方がいいような感じがするのだが。


136 :考える名無しさん:04/03/11 22:52
(続き)
>>129の箇所の問題点に関してはどう考えたらいいのか、よく分かんないけど、
“identite infini”という言い方自体は、たしか第24セリーでヘーゲルについて
コメントした所で使われていたと思う。
たしかその辺りで、“illimite”との関係についても触れてたように記憶するんだ
けど、ちょっと確認してる暇がないので、
とりあえずこれは言ってみるだけ。

137 :考える名無しさん:04/03/11 23:05
(続き)
あと気付いた限りで、訳語について幾つか。

>>131の「アリスの個人的な同一性l'identite personnelle」はやっぱ
「人格的同一性」てとこじゃないかな。

>>131「個物の名 nom singulier」というのは、内容的にはその通りだけど、
singular term, singular nameは普通「単称名辞」「単称名」という風に訳される
と思うんで、「単称名」でいいのでは。
(singulariteは、後の箇所では特殊な意味で使われることになるけど、ここでの
singularは通常の意味で使われてると思う。)

・同じ>>131で、「一定の関係 rapport constant」という表現は、本当はどういった
ことかあんまりよく分からないけど、多分その直前のpermanenceとも繋がるんだろうし、
「一定」というよりはもう少し強い感じ――例えば「恒常的」といったような――
がするんだけど、どうだろ。

・あとそれから、personne, personnelもどうも訳しにくいっすね。
ドゥルーズは、designationとの関係ではindividu、それからmanifestationとの
関係ではpersonne、という具合に大まかに使い分けてるように見えるけど。


138 :考える名無しさん:04/03/11 23:55
ここ最近『意味の論理学』を読み返してはいるんだけど、どうも内容があんま理解できない
てのもあるんだけど、根本的に「何でストア派?」てのがあるんだよな。
これは結局、ストア派つうのがよく分かってないってことから来てるんだと思うけど、
何か参考になる本とかあるのかな?
ロングの『ヘレニズム哲学』でも読んでみようかと思ってはいるんだけど。
(でも実際に読むかどうかは分からにゃい。)

ちなみに、キケロの『ストア派のパラドックス』てのは読んでみたけど、こりは
あんまり面白くはないね。

139 :考える名無しさん:04/03/12 00:04
ブレイエの通史が筑摩から出ているからまずそれ嫁
かんじんの「非物体的なもの」は江川隆男が翻訳しているようだ

140 :考える名無しさん:04/03/12 00:30
Benson Mates の Stoic Logic とか読んだ人いる?

141 :考える名無しさん:04/03/12 02:57
『意味の論理学』で言われてる〈意味の中立性 neutralite〉みたいな話題てのは、
何となくアヴィセンナ−スコトゥス的な共通本性(natura communis)に乗っかった話だと
思ってたんだけど、
どうも、(ドゥルーズによれば)そうした系譜がさらにストア派にまで遡る、てことなんだよね?

そういったところからしても、ストア派の位置付けてゆうのが、何だかよく分からないんだよなあ

142 :考える名無しさん:04/03/12 03:05
さらに、因果性の話になるとサパーリ分からん。
この辺は、メガラ派による未来言明の取り扱いへの批判なんかとも関わってくる所なんだろうし、
おもしろそうだと思うんだけど、
誰かストイックな解説 や ら な い か ?
つか、おながいします

143 :考える名無しさん:04/03/12 09:19
esquiverは「逃れる」とか「避ける」という意味です。
affirmationは肯定でも否定でもとにかく何らかの「主張」という意味。
reposは休息。comme des reposだから、「休息としての停止」じゃないだろうか?
établissementsは「確立」。
assignationsは「付与」とか「割り当て」とかいう意味です。
あと、les chosesはふつう、「現実」とか「事態」という意味になるんだけど、
ここでは「諸々の事物」なのかどうか、まだよく分かりません。

144 :考える名無しさん:04/03/12 11:40
『意味の論理学』の大きなモチーフに関しては、
『無人島』に入ってる「ジル・ドゥルーズ、哲学について語る」てゆうインタビューで
(フーコー流の考古学に即した形で)手短に述べられてるんで、
それ見ると分かりやすいみたいだね。
ちょっと引用してみると──

…たとえば、古典主義の世界では、語っているのは、個体です。古典主義の世界は、
この個体性の形式の上に完全に基礎づけられています。そこでは個体とは存在(それは
最高度に個体化された存在としてまさに神のうちに見てとれる)と共に−実在する
ものなのです。ロマン主義の世界では、語るものとは人物であって、ここに大きな違いが
あります。人間は、その世界のなかで、表象と共に−実在するものとして定義づけられます。
これは言語と生の新たな価値でした。恐らく現在の自発性は、個体からも、この人間からも
逃れ出ようとしています。それは単に匿名性のもつ潜勢力だけが原因ではありません。
我々は長い間二者択一のなかに抑えつけられてきました。あなたがたは個体で人間であるか、
それとも未分化の匿名の基底に合流するかです。それにもかかわらず我々は前−個体的で
非人称的なひとつの特異性の世界を発見します。…


145 :考える名無しさん:04/03/12 11:42
>>144
それは意味の論理学で言うと「哲学者の三つのイメージ」の部分だね
ロマン主義はアイロニーだと言われています。

146 :考える名無しさん:04/03/12 13:59
堀田彰『エピクロスとストア』とゆう本を見てみたけど、
これはストア派の論理学とか文法学についてはほとんど触れてないし、
あんまり使えないにゃ。
やっぱロングの本でも見た方がいいのか。
でも値段高い・・・

147 :考える名無しさん:04/03/12 14:05
>>146
ロングの本って?

148 :考える名無しさん:04/03/12 15:25
A. A. Long, Hellenistic Philosophy の翻訳が出てる

149 :考える名無しさん:04/03/12 15:27
あーあの本か。
図書館で嫁。読書ノート併用。
買うのは原典がいいよ。

150 :考える名無しさん:04/03/12 15:28
そう言えば catalepsie なんつーのもストア派と密接に関わる概念なんだよなあ

151 :考える名無しさん:04/03/12 15:33
>>150
説明おねがいできますか

152 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:39
>>125 コメント >>135
>>>125の所についてだけど、「計量された mesurees 諸事物」というのが
> どうもあんまりよく分からないんだけど、これって何かプラトンの言い回しを
> 念頭に置いた表現なのかなあ?
> ちなみに、mesureてのは、例えば時間についての二つの見方(クロノスとアイオーン)
> との関連で、第23セリーでも詳しく取り上げられることになるけど、
> むしろ、この本の中でのそうした内容的なつながりを重視した方がいいのか?

ここでの musure, musurer, musure(e)(s) は、
引用されている『パルメニデス』の中で使われている
「あるものを計量の単位によって unite de musure 測ること」という文脈を
下敷きにしていると思うので、そう訳しました。
第23セリーともそうした話で問題なくつながってくると思うのですが、
向こうの文脈を前提とすると、話がずれてくるでしょうか。

153 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:39
>>125 コメント >>135
> あと同じ>>125のsujetは、やっぱり「ヒュポケイメノン」という意味だと思うので、
> 「基体」の方がいいような感じがするのだが。

あらためて読み直してみるとそうですね。
とはいえ、このセリー末で、アリスの人格的同一性の話をしていて
それが二つの方向に引き裂かれるという話の後に、
sujet が引き裂かれると出てくるので、
こちらの場面については、一般的には主体と訳すほうが良いかと思えます。

そうすると、一章の中で、同じ語に、しかもおそらく同じ enjeu をかけられている
であろう語に、違う訳語を当ててしまうことになるように思われて
ちょっと躊躇します。

個人的には「基体」という subiectum/sujet のカント以前の用法へ当てる訳語を、
文脈によっては、カント以降の Subjektum/sujet に当てても、
日本語としては「基礎にある/基礎となるもの」という意味で
それほど問題ではないのではないかとも思うのですが。
(Subjektivitaet といった用語と関係してくると問題ですが)

もちろん、ルビか原語を示して訳し分けるという方向もありますが。

154 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:41
>>129 コメント >>136
>>>129の箇所の問題点に関してはどう考えたらいいのか、よく分かんないけど、
> “identite infini”という言い方自体は、たしか第24セリーでヘーゲルについて
> コメントした所で使われていたと思う。

とりあえず、上であげられていた第23セリーに、こんな表現がありました。
 Alors que Chronos etait limite et infini,
 Aion est illimite comme le futur et le passe,
 mais fini comme l'instant.
というわけで、やはり単純に infini を apeiron ととらえて indefini つまり、ほぼ
indetermine, illimite と同じとしてしまうわけにもいかなそうです。

第24セリーについては、原著 p.202 のあたりでしょうか。
試訳してみたものの、訳語の選択としては、無限、有限でよいように思うものの、やはり迷いは残ります。
==以下試訳==
否定的なもの le negatif や排除 l'exclusion の運動とも切り離せないものとしてある
諸々の対立するもの contraires の〔間の〕同一性が問題なのでは全くない。
(原下注: 排除と排出 explusion の役割については、ヘーゲル『論理学』、「矛盾」の章を参照のこと)
異なるものたち differents の肯定的-実定的な距離 distance positive が重要なのだ。
つまり、二つの対立物を〔根底において〕同じものであるとする identifier のではなく、
両者の距離を、その両者を「異なったもの」として関係付ける rapporter ものとして
言明〔肯定〕すること affirmer が重要なのだ。

距離それ自体としての肯定的-実定的な距離 distance (...) en tant que distance
(そして、取り消され開放された〔克服された〕距離ではない距離)
という概念こそ、本質的であるように思われる。
というのは、この概念こそが、差異を、計量を越えた〔桁外れの、測定不能な demesure〕 対立 contrarie と
等しいものとしてしまう egaler のでもなく、
また、対立を、それ自体もまた無限〔定〕であるような infinie 同一性と等しいものとしてしまうのでもなく、
対立物をそれらの間の有限の fini 差異において測る mesurer ことを可能にするものだからである。
==試訳終わり==

155 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:42
>>131 コメント >>137
> ・>>131の「アリスの個人的な同一性l'identite personnelle」はやっぱ
> 「人格的同一性」てとこじゃないかな。

> ・あとそれから、personne, personnelもどうも訳しにくいっすね。
> ドゥルーズは、designationとの関係ではindividu、それからmanifestationとの
> 関係ではpersonne、という具合に大まかに使い分けてるように見えるけど。

「個人的な同一性」は、完全なポカミスでした。

用語の系、参考になります。注意してみます。

> ・>>131「個物の名 nom singulier」というのは、内容的にはその通りだけど、
> singular term, singular nameは普通「単称名辞」「単称名」という風に訳される
> と思うんで、「単称名」でいいのでは。

これも、その通りですね。
変更しておきます。

156 :考える名無しさん:04/03/12 15:43
mesureは「尺度」でいいんじゃないの?
それに用語をプラトンやストアに合わせると後半キツイよ。
精神分析も一括して扱うのだから。

157 :1/2 ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:45
>>131 コメント >>137 (その1)
> ・同じ>>131で、「一定の関係 rapport constant」という表現は、本当はどういった
> ことかあんまりよく分からないけど、多分その直前のpermanenceとも繋がるんだろうし、
> 「一定」というよりはもう少し強い感じ――例えば「恒常的」といったような――
> がするんだけど、どうだろ。

ここはどう訳すか迷いました。
意味としては、前からのつながりでいえば、
人格的同一性は、ある知 la permanence d'un savoir が継続することによって、保たれる。
その知とは何か。
それは、事物の静止・固定された様相を指示する一般名の組み合わせである。
そして〔人格的同一性としての〕固有名は、それらと一定の(つまり変わらない)
関係を有することで、同一性を保つ。

つまり、
「太郎は学生である」「太郎は21歳である」「太郎は学生アパートの2階の201号室に住んでいる」
といった確定記述によって与えられる固有名(=人格的同一性)という話
だと思うのですが。

158 :2/2 ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:45
そこで、rapport の意味の一つである比率といったことを念頭におくと、
un rapport constant は、定常的に保たれる関係であると同時に
ある一定の関係を、つまりそこでは、他の諸々の一般名たちと
つねにある同じ constant 関係が保たれるということだと思ったので、
「一定の」と訳してみました。
でも、たしかに読み直してみると「一定の関係」というのは
日本語としては弱く響くかもしれません。

つまり、単に「恒常的」というだけでなく、その関係自体が同じものとして
存続するということを示したかったのですが、
「恒常的」というと、関係自体の継続(関係自体がどうであれ)ということを
第一に語っているように思えるのですが。
(でもこれは個人的な日本語の感覚のようにも思えます)

それとも、もしかしたら、そうした固定した関係ではなく、
一般名との関係は様々に変化もするが、それらとの関係の存在が
重要なのだ、ということなのかもしれません。



159 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:46
原文 >>130 自己修正
>前日と翌日のジャム。

あとから読み直して、なんのことやら、もしかして分からないと思ったのだけれど、
ようするに柳瀬翻訳風に対応する日本語表現を探せば、「前日と翌日のどんぶり」
「前日と翌日のごった煮」です。
素直に「前日と翌日のジャム〔混ぜ合わせ〕。」ぐらいにしておくべきかもしれませんが。

>>143
> esquiverは「逃れる」とか「避ける」という意味です。

逃れる、逃げるは、fuir/fuite に取っておきたいというのもあります。
また、「避ける」では、主体的な動作というニュアンスが強すぎるように思う。

あとは、おそらく、逃げる、避けるではややニュアンスが違うのではないかと
思うところもあって、
というのも、この語は、たとえば、面倒なことを回避する、
こっそりとそこにいるだろうと思われている場所から目をくらませるためにいなくなる
ボクシングで相手の攻撃をうまくかわす、といった意味なので。
あとは日本語の語感の問題になりますが。
「かわす」という訳語も考えたのですが、短すぎて座りが悪いように思えました。

160 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:46
>>143
> affirmationは肯定でも否定でもとにかく何らかの「主張」という意味。

「主張」という訳語については、なるほどと思いました。
たしかに文脈によっては、その日本語がすっきりとはまると思います。
ただしその場合にも「否定でも」というのはおかしいのでは?
「主張する」というのは、日本語においても、むしろあることを定立する、
「肯定的に」主張するという意味だと思うのですが。
そして、その限りにおいて、その訳語は悪くなさそうです。

ただ、他方で、affirmation 自体に、肯定命題という意味もあります。
また、動詞の affirmer にも、たとえば affirmer Dieu 神〔の存在〕を肯定する
といった用法があり、これらは negatif, negation と対比されます。
affirmer A(名詞) というような文章が出てきたときに
単純に「Aを主張する」と訳せるわけではないということになると思います。
「神の存在を主張する」であればよいのですが「神を主張する」というのも
おかしいかと。


161 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 15:47
>>143
> reposは休息。comme des reposだから、「休息としての停止」じゃないだろうか?

ギリシャ哲学を解釈・翻訳するフランス語の文脈では、
repos は mouvement に対比される概念として使われます(ほぼ定訳のはず)。
つまりアリストテレスにおいて、プラトン-新プラトン主義において重要になる
運動 kinesis 〔mouvement〕 と静止 akineton, stasis 〔repos〕 という対比です。

arreter を使っているのは、repos に対応する動詞 reposer が
他のコノテーションもあって使いにくいからではないかと想像します。

ここでは、comme は、ほとんど言い換えと取ってよい弱い意味なので
あえて訳出するのであれば、「停止、すなわち静止」ぐらいで良いと思います。

> assignationsは「付与」とか「割り当て」とかいう意味です。

assigner A a B で、BにAを指定する、
つまりBに対して、Aを特定して割り当てるという意味であり、
ここでは、a B の部分がないので、何を割り当てるかについて
特定する方に中心をおいた訳になっています。

162 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 16:10
>>138 >>144
> 根本的に「何でストア派?」てのがあるんだよな。

Deux regimes de fous に収められているイタリア語版の『意味の論理学』序文によれば

哲学の方向性には

 − プラトン主義的、高さ hauteur (これは伝統的哲学のイメージでもある)
 − ソクラテス以前の哲学者たち、深さ profondeur
 − ストア派、新しい表面の技術 art

という三つの方向性がある、という話がされていて、
その三つの次元 dimensions と彼自身の哲学の展開の関係が述べられていますね。
それによれば、
 『差異と反復』では、まだ、古典的な高さと、アルカイックな深さの構図の中にあって、
 intensite も、奥行きによって特徴付けられるものとしてあった。
 それに対して、『意味の論理学』では、〔ストア派の読解とともに〕表面の発見というのがあって、
 この本で使われている概念は『差異と反復』と同じだけれど、
 新しく、この発見にともなって組みなおされている。
 (そこからセリーという方法論もでてくる)
ということのようです(要約)。

163 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 16:13
あとは、パルネとの Dialogues でも、なぜストア派について書くのかについて
簡単にのべていますよね。

ドゥルーズ自身のストア派理解については、何よりもブレイエの
La theorie des incorporels dans l'ancien stoicisme、
ほとんど、そのままと言っても良い部分も多いと思うのだけれど
(薄い本です)、
>>139
これって訳されているのですか?

>>156
>mesureは「尺度」でいいんじゃないの?

それは、たしかにそうですね。
動詞 mesurer などとの系をどうするかというのはありますが。

>それに用語をプラトンやストアに合わせると後半キツイよ。
>精神分析も一括して扱うのだから。

これは、そのときにおいおい考えるということで。
ただラカンのアウグスティヌスやストア派、新プラトン主義への
関心というのもあると思うので、まったく無縁というわけではないかと。

164 :考える名無しさん:04/03/12 16:18
>>163
ブレイエの哲学史の訳が古代で止まっています。
筑摩から。ストアは2巻かな。

165 :考える名無しさん:04/03/12 16:30
>>159
>逃れる、逃げるは、fuir/fuite に取っておきたいというのもあります。
>また、「避ける」では、主体的な動作というニュアンスが強すぎるように思う。
>あとは、おそらく、逃げる、避けるではややニュアンスが違うのではないかと
>思うところもあって、

きっとこの本では、fuirは重要な用語としては出てこないと思います。
esquiverには確かに「かわす」という意味ですが、ほかに、嫌なことを避ける
という意味ものっています。これがよく使う意味ですね。困難から避けるとか。
「避ける」よりも「すりぬける」と言う方が主体的なコノテーションが強いように感じます。

>>160
>ただしその場合にも「否定でも」というのはおかしいのでは?

日本語でも、否定的な事柄を「主張する」ことはふつうにありえます。
はじめのaffirmationは肯定ではちょっとおかしい。後者のは確かに肯定でもいいでしょう。

>>161
納得しました。arretには、判決という意味もありますね、ここでは関係ないけど。

mesureは文脈によって訳し分ける必要があります。尺度、限度、節度……
たとえば、sans mesureは「度を超した」という決まり文句です。

166 :考える名無しさん:04/03/12 17:02
はじめからあんまり訳語にこだわりすぎるのもマズイとは思うけど、
幾つかの点について。

>>152の“mesurees”については了解。
この単語は色んな文脈で色んな意味合いを重ね合わせて使われてると思うんで、
ぴったりした定訳みたなものを探すのは難しそうだけど、
今の箇所について言えば、choses mesurees と mesureの無い(sans mesure)生成
との対比ということで、むしろ、
イデアのコピーとしてある事物の「慎ましやかさ、穏当さ」と、
イデアの勢力外にある生成の「法外さ、野放図さ」という対比の
ニュアンスを強く出してるように感じられたんだけど。
「計量された」という訳語だと、そうしたニュアンスがあんまり出ないように
感じられるんだけど、どうでしょ。

167 :考える名無しさん:04/03/12 17:12
>>160 >>165
“affirmer”は基本的にはやっぱ、内容的には、否定の逆の「肯定」でしょ。
(日本語にどう訳すか、という問題はまた別だけど。)
日本語で「主張」と言う場合には普通、フレーゲが縦棒(断定記号)で記号化
したような力が言われると思うし、その意味では肯定文も否定文も
「主張」されるわけだけど、
“affirmation”つうとそれとは少し違うっしょ。


168 :考える名無しさん:04/03/12 17:16
assertionが主張じゃないの?
affirmerはやはり肯定でしょう。

169 :考える名無しさん:04/03/12 17:24
ついでだけど、>>103で触れられていた、ストア派とパラドックスの関係について。
W. Kneale & M. Kneale, The Development of Logic だと、ストア派の論理学のベース
になったメガラ派について、次のように言われている。
メガラ派は一つには、様々なパラドックスを作り出すことで、論理学の進展に大きな
貢献をしたわけだが、この派の Eubulides には特に七つのパラドックスが帰せられており、
それらは次のような四つにまとめられる。(p.114)

@真偽の概念にかかわる嘘つきのパラドックス:
「自分は嘘をついている」と言う男の言葉は真か偽か?

A内包的文脈にまつわるパラドックス:
あなたは自分の弟を知ってるが、あそこにいる男は知らない。だがあそこにいるのは
あなたの弟だ。

B曖昧さ、いわゆる sorites のパラドックス:
どれだけ髪が抜けたら禿げになるのか?

C存在前提に関わるパラドックス
あなたが無くしてものなら、あなたは持っているはずだ。あなたは角を無くしていない。
だからあなたには角がある。

170 :考える名無しさん:04/03/12 17:43
キケロの「ストア派のパラドックス」で言われてるのは、一般常識を揺るがすような
ストア派の道徳的主張ということだけど、
ストア派つながりでパラドックスつうと、先ずはやっぱりこういった論理的パラドックスが
重要なんじゃないかな。

171 :考える名無しさん:04/03/12 17:50
affirmation は基本的には「肯定」やろね。
「同時に二つの方向を affirmer する」てのは、
>>154にもあるように、ヘーゲル的な否定をくぐり抜けずに、差異を肯定すること、てゆう
ドゥルーズの基本戦略と直に結びついてるわけだし。

172 :考える名無しさん:04/03/12 17:57
カントのアンチノミーはどうなるの?

173 :考える名無しさん:04/03/12 17:57
>>151
カタレプシーつったら、ストア派の表象の理論に出てくる概念だろ。
普通は「把握」とか訳されてるみたいだけど。

174 :考える名無しさん:04/03/12 18:07
結局ゼノンのパラドクスは解決しないの?

175 :考える名無しさん:04/03/12 18:12
◆DSENS.QlUsさんへ

ストア派のこととかよく知らないもんで、
第二セリーの訳文は、できたら
なるべく詳しい解説付きでおながいします(←虫のいいヤツ)

176 :考える名無しさん:04/03/12 18:13
ゼノンの複数に対する第一反駁

もし多(存在)があるなら、それらは大きさを持たないほどに小さく、
しかも無限であるほどに大きくなければならない。

177 :考える名無しさん:04/03/12 18:18
スレ違いやめれ

178 :考える名無しさん:04/03/12 19:28
つまりドゥルーズのいうパラドックスとはなんですか?
自己言及とか矛盾とか悪循環とは関係ないわけですよね。

179 :考える名無しさん:04/03/12 21:40
ひいー、第2セリーを読み返してみても、やっぱりよく分かんねー
(だいたいドゥルーズの言う ideel つうのが分からんちんなんだよな)

それにしても、この章の冒頭の

Les Stoiciens a leur tour distinguaient deux sortes de chose

てのが、宇波訳だと

「それ以前の哲学者たちにならい、ストア派も事物を二種類に分けた」

つう具合にいきなり誤訳全開になってるてのはどゆこと?

180 :考える名無しさん:04/03/12 23:14
se dérobeは「免れる」
subsisteはふつうに「存続する」でもいいような気がする……
sont entrainésは「運ばれ」
récitationは「暗唱」
se communiqueは「伝える」という意味。主語が「非現実性」なので、「知と諸々の人格〔personnes〕に伝わっている非現実性」ぐらいか。
jouissaientは反過去になっているので、「享受したかのように」かな。
fixesは「不変の」

ところで、
Il arrive a meme a Platonの文は否定形になっているけれど、これはなぜ?
文の意味は確かに
「プラトンでさえ、純粋生成は言語との大変に特殊な係わりにおいてあるのではないかと、自問している」
となるしかないのだろうけれど。

181 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:21
>>105 【Entiteの件について】
それほどこだわるべきところだとは思っていないのですが、
たまたま見つけたので引用しておきます。
【Dialogues, Champs Flammarion 1996, p.81】
Les vraies Entites sont des evenements, non pas des concepts.
Penser en termes d'evenement, ce n'est pas facile.
D'autant moins facile que la pensee elle-meme devient alors un evenement.
Il n'y a guere que les stoiciens et les Anglais pour avoir pense ainsi.
ENTITE = EVENEMENT, c'est de la terreur, mais aussi beaucoup de joie.

 真の Entites は、出来事であり、概念ではない。
 出来事の用語で考えることは、容易なことではない。
 ましてや、思考それ自体が出来事に成ることは、いっそう難しい。
 このように考えたのは、ほとんど、ストア派と、英米圏の人たちだけである。
 ENTITE = 出来事、これは恐ろしいことでもあるが、同時に悦ばしいことでもあるのだ。

もちろん、Entites と大文字で始まっているところから、
entite のなかでも、とりわけ entite であるものということであって
それほどヒントになるわけでもないのですが。
ただ、最初に比較されているのが concepts であることは面白いです。
(ヘーゲル的な概念 Begriff/concept を念頭においている?)

182 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:21
>>165 >>166-168 >>171
>>165 さんは、命題内部での肯定・否定と、
その命題の成立についての肯定・否定の表明(>>167)を
混同されているように思えます。
 - J'affirme (l'existence de) Nom
 - J'affirme (la verite ou la validite de) Proposition
   - J'affirme prop.[que A est B].
   - J'affirme prop.[que A n'est pas B].
この場合、Propositionの中身(prop.[ ]括弧の内部)が肯定文であるか、
否定文であるかはかかわりなく、
それが名詞がくる場合と同じように成立する、ということが言われている、
つまり、肯定されている というわけです。

その意味で、以下の文とは違っています。
 - Je nie (l'existence de) Nom
 - Je nie (la verite ou la validite de) Proposition
   - Je nie prop.[que A est B].
   - Je nie prop.[que A n'est pas B]

>>160で言っていることはそういうことです。

ただ、「〜ということ(命題P)を肯定する」という表現で問題ないのかといえば、
個人的に、日本語の表現として、多少違和感があることもある場合があるのも
事実です。

183 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:22
>>165
> mesureは文脈によって訳し分ける必要があります。尺度、限度、節度……
> たとえば、sans mesureは「度を超した」という決まり文句です。

もちろん、そうした連語表現があることは分かった上でやっているわけです。
(見落としていることも、無論ありますが)

その上で、ここでは、>>166で指摘されているように
choses mesurees と pur devenir sans mesures が対比されていることを
日本語としては分かるように出す必要があります。

もちろん、その概念に、どれだけの enjeu がかけられているか
(その概念が、どれだけの重要性を持たされているか)によるのですが、
(特に)哲学的な書物の訳では、その概念が他の表現、概念と
どのように、その原文の中で関係しているかを示さないと、
日本語で読んでいる読者にとって、意味の通らないものになってしまう。

それと、これは哲学的な書物の訳に限らない問題ですが
>>165 さんは、辞書に載っている見出し語にこだわりすぎていないでしょうか?
あくまでも辞書に載っている見出し語は、日本語を見つけるための
道案内程度に考え、そうした見出し語が、日本語の実際の文章中で
どのように使われるかについても色々と考えてみた方が良いと思います。

たとえば、
> esquiverには確かに「かわす」という意味ですが、ほかに、嫌なことを避ける
> という意味ものっています。

「かわす」という日本語は、まさにそのような文脈でも使わないでしょうか?
「彼は、いつものように、彼女の(答えにくい)質問をかわした」
「あの先生は、いつも適当なことを言って、生徒の質問をかわしてしまう」
といった具合に。

184 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:23
>>166
> 今の箇所について言えば、choses mesurees と mesureの無い(sans mesure)生成
> との対比ということで、むしろ、
> イデアのコピーとしてある事物の「慎ましやかさ、穏当さ」と、
> イデアの勢力外にある生成の「法外さ、野放図さ」という対比の
> ニュアンスを強く出してるように感じられたんだけど。
> 「計量された」という訳語だと、そうしたニュアンスがあんまり出ないように
> 感じられるんだけど、どうでしょ。

たしかにそうかもしれません。
ある尺度によって、測られ、秩序付けられ、そのように与えられた本分を守っている事物。
(Les choses mesurees sont sous les Idees.
...l'ordre impose par les Idees et recu par les choses)

ただ、うまい日本語を思いつきません。
たとえば、形容詞 mesure(e)(s) を「尺度を受け入れた」、
sans mesure を「尺度から外れた」?
それでも弱い気がするので、いっそのこと
「秩序を受け入れた」、「秩序から外れた」
ぐらいまでしてしまっても良いのかもしれません。

185 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:24
>>169-170
なるほど、そちらの方が本質的ですね(あの本は本棚のどこかに埋もれています…)。

ちなみに Paradoxes というテーマについて、『差異と反復』(第5章 原著 p.293)では
La manifestation de la philosophie n'est pas le bon sens, mais le paradoxe.
Le paradoxe est le pathos ou la passion de la philosophie.
Encore y a-t-il plusieurs sortes de paradoxes, qui s'opposent aux formes complementaires de
de l'orthodoxie, bon sens et sens commun.
Subjectivement le paradoxes brise l'exercice commun et porte chaque faculte devant sa limite propre,
devant son incomparable,
la pensee devant l'impensable qu'elle est pourtant seule a pouvoir penser,
la memoire devant l'oubli ...

 哲学の表出とは、良識 bon sens ではなく、パラドックス(para-doxe 世に流通する意見に反する)である。
 パラドックスとは、哲学の受動 = 受難 = 情熱である。
 しかし、様々な種類のパラドックスがあるのであり、
 それらは、オーソドックス(ortho-doxe 正しい、まっすぐな意見)
 つまり、良識と常識 = 共通感覚の相補的な形式に対立する。
 主観 = 主体の観点でいえば、パラドックスは、公共的実践を引き裂き
 それぞれの能力を、その固有の限界の前へ、比較不可能なものの前へと至らせる。
 思惟を、思惟せざるもの ―― しかし、思惟だけが、それを思惟しうる ―― の前に。
 記憶を忘却の……

186 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:43
>>180
> jouissaientは反過去になっているので、

comme si の後は、主節と同時の出来事をあらわすのであれば、
文法的に、直説法半過去と決まっています。

> se communiqueは「伝える」という意味。

La grippe se communique aux autres enfants.

>Il arrive a meme a Platonの文は否定形になっているけれど、これはなぜ?

ご自身で、
「プラトンでさえ、純粋生成は言語との大変に特殊な係わりにおいてあるのでは
*ない* か と、自問している」
と書かれている通り。

187 : ◆DSENS.QlUs :04/03/12 23:44
>>164
La theorie des incorporels dans l'ancien stoicisme (9eme ed.), 1997, Vrin
は単行本としてでているのだけれど、これ、哲学史の方に再録されているのでしたっけ?
(本文63ページで、フランス語も難しくないので、関心のある人にはおすすめ)

>>175
この後、すぐに第二セリーに入るのではなくて、
その前に、プラトン主義との関係ということで、appendices のプラトンのところを
やったほうが良い気がしています。

188 :考える名無しさん:04/03/12 23:48
>>187
再録はされていないですよ
それよりむしろHubert Elieの本をお薦め。


189 :パレルゴン:04/03/13 00:10
それで、パラドックスの第一のセリーの意味はどう言う事なのか。
まとめて。同時に二方向に生成変化するとは何が言いたいのでしょう?

190 :考える名無しさん:04/03/13 00:19
>>187-188
Brehierの本て、どうなんざんしょ?
自腹を切って買っても後悔しないものなのか、てことでお聞きしたいんだけど。
(ストア派の研究も最近はずいぶん進んでるみたいだし、それに比べると
Brehierの研究書は──ドゥルーズの論述から勝手に判断する限りでは──あんまり
たいしたことなさそ、という感じもするのですが…)

191 :考える名無しさん:04/03/13 00:27
>>190
コピーすれば?漏れは取り寄せてコピー。
ドゥルーズ理解のためなら、
最新研究を追うよりはブレイエなどを読む方がいいと思う。
特に英米の研究だと、分析哲学が入り込んでいてドゥルーズとは前提が違うから。

一つ例を挙げると、いくら評判が良いからと言って、
襞の参考文献として石黒ひでの「ライプニッツ」は使えないだろ?

192 :考える名無しさん:04/03/13 00:28
>>187
先にappendicesのプラトン論を見ておく、というのは確かにいいかも。
ただ、あそこは、宇波訳も(部分的には滅茶苦茶酷いけど)それなりに読めないこともない
ので、なるべく簡潔に済せてくれると嬉しいでつ。

193 :考える名無しさん:04/03/13 00:30
宇波って哲学科で何やってたの?

194 :考える名無しさん:04/03/13 00:45
>>191
ドゥルーズやる人(?)はみんなブレイエの本を読むんだろうけど(某丹○谷原人とか)、
オレ自身はドゥルーズは趣味で読んでるだけなんで、どっちかつうとストア派とか
メガラ派の話の方が本業に近いわけなんだけど…

それはいいとして、ブレイエの研究書てのは内容的にはどうなの?


195 :考える名無しさん:04/03/13 01:00
>>194
ドゥルーズほどストア派を礼賛しているわけではない。
P.M.シュルの本と同様、当時のフランス古代哲学研究の水準を示す面白い本ですよ。
日本の古代哲学研究者はフランスに弱い(特に最近はイギリス系が多いね)から、
パラパラめくると新たな視点が出てくるかもしれないね。

196 :パレルゴン:04/03/13 01:02
参考文献の話はいいとして、君らにまかせる。
それで、同時に二方向のベクトルは強度・零度・内在の哲学を
表現しているってのはどう?つまり、「大」「小」は外の基準に照らされている
事。その事を超える、つまり、理性的二項対立の判断を無効にする
身体=欲望としの内在性を生きるって事では?

197 :考える名無しさん:04/03/13 01:18
>>196は何言ってるのかよく分からない。
ドゥルーズの言う「二方向の生成」てのは、一番手っ取り早く言えば、
通常の生成とは違って同一性に繋ぎ止められてはいない、ということになると思う。
通常の生成というのは、「ある状態から別の状態に成ること」として理解されているわけで、
その場合、そうした生成変化はその根底にある同一物の存続(例えば黄色から茶色になるバナナ)を
前提しているし、一般にそのようにして存続する同一物は同じイデアを分有するものである限りで同一物として
存続するのだとされている。
(バナナのイデアが認められるかどうかは知らないけど。)

これに対して、イデアの支配の及ばない純粋な生成というものがあるとすれば、その生成の方向付け
を与えるような端点=同一物(黄色いバナナと茶色のバナナ)は見出されないわけで、通常の生成のように
方向付けを与えることはできないことになる。
その方向を言うのであれば、両方向に向っているとしか言いようがない。


198 :考える名無しさん:04/03/13 01:38
意味の論理学は構造主義を理解しないとDQN本にしか見えないよね。

199 :考える名無しさん:04/03/13 02:05
このスレでドゥルーズの構造主義論は取り上げられたことあるの?

200 :パレルゴン:04/03/13 02:18
197感謝。
僕が言いたかった事は、つまり、大と小の差は、外的な基準(ものさし)で計る
よね、この点が、強度を生きる・器官なき身体にとっては、全く違うと言う事
になる。つまり、内在性として、モル的でなく、分子的に生きるには、基準は
ない事だと言う事だろうと言ったんだが。君の説明も分かるよ。
つまり、ベクトルを生きると言う経験に、大小はなく、その生成変化のみがある
と言う事ではないだろうか。つまり、外に(理性的な価値基準である大小)は
生きられてはいない、外からの威圧的な基準になっている。

201 :考える名無しさん:04/03/13 02:30
>>200
言いたいことの気分でわかるよ。
でもそれでは単に相対に対して絶対を対置してるだけでなんにもならない。



202 :考える名無しさん:04/03/13 02:51
つまり、戦争機械の実行する「戦争」とは、外的な基準に対する戦争
だと考えていいのかな?


203 :パレルゴン:04/03/13 07:42
戦争=良識への戦い=組織への脱領土するリビドー
機械=無意識的欲望の組織

戦争機械=組織化に対するゲリラ的無意識欲望の反動

204 :パレルゴン:04/03/13 07:48
201
いや、相対ではなく、相対と絶対の区別・境を横断する事、
その事で、二項対立的な価値体系を無化するのが、ドゥルーズの
戦略だと思う。

205 :パレルゴン:04/03/13 23:55
翻訳の続きはどうしたの?


206 :165:04/03/14 01:43
>>182
丁寧な解説サンクス。理解しました。

>>183
>もちろん、その概念に、どれだけの enjeu がかけられているか
>(その概念が、どれだけの重要性を持たされているか)によるのですが、
>(特に)哲学的な書物の訳では、その概念が他の表現、概念と
>どのように、その原文の中で関係しているかを示さないと、
>日本語で読んでいる読者にとって、意味の通らないものになってしまう。

これは難しい課題ですね。mesureの訳をずっと「尺度」で通すとわけわかんないし、そう訳さないとまたわけわかんない。
こういうのは、ドゥルーズのこの本にはたくさんあるような気がする。
devenir-fouなんかも、ここでは「狂気になる」よりも、けたはずれになる、とか訳した方が文脈に沿っているだろうし。
このセリーでは特にmesure関連の言葉が多いですね。

>それと、これは哲学的な書物の訳に限らない問題ですが
>>>165 さんは、辞書に載っている見出し語にこだわりすぎていないでしょうか?

まあそうかもしれない。しかしフランス語には、ちょっと形が変わると違う意味が加わったりする言葉が多いので、なるだけたくさん辞書を見る必要があるのも確か。
それにドゥルーズはそんなにフランス語のふつうの言葉の使い方からはずれたような言葉の使い方はあんまりしない人だとは思うし。(でも、subvenirの訳にはなるほどと思った。これはのちに精神分析が問題となるセリーとかでも、使われるかもしれないし……)
でも、今度からは仏仏辞典を引くようにします。◆DSENS.QlUs さんはどんな辞書を使っているのか、教えてもらえますか?

>>186
解説感謝感謝。
Il arriveの文はsi+条件法におけるneの用法というふうに解釈しました。しかしこれはほとんど虚字のneのように見えます。

あと、exterieur àは「無関係な」ですね。

なお、参考のために、シカゴ大学にある仏仏辞典のページにリンクをはっておきます。
http://www.lib.uchicago.edu/efts/ARTFL/projects/dicos/

207 :1/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/14 22:23
>>196 >>197
もう少し、この章の話に限定して、
この章の話の要約をかねて書いて見ます。

この章では、二つの内容が書かれていると思います。

・ 一つはプラトンを用いた存在(者)と生成という二重性の記述
  - そして、それと現在、過去・未来との関係
  - 言語との関係の重要性については、彼も気づいていたこと
・ もう一つは、そうした生成のキャロルの世界における様態、
  - 方向sensが分からなくなること、
  - 言語との関係の重要性について具体的に。

208 :2/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/14 22:23
まず、プラトンにもとづく存在(者)と生成の区別。

たとえば、「アリス(の身長)は、1.5メートルである」という表現では、
そこではメートルという尺度 mesure との関係で、
アリス(の身長)が限定された、固定された量として語られているわけです。

それに対して、「より大きい」や、「より小さい」の場合、
それは、特定の大きさについて語っているわけではありません。
(ドゥルーズが参照箇所としてあげている『ピレボス』24dの手前24cのあたり)
特定の量ではなく、以前に「より小さく」あったということとの
対比として「より大きく」成るわけですが、
それは、限定された量としての身長をアリスが「手に入れることをさまたげ」
「より大きく」と「より小さく」の対立を導入し、限定された量を消し去るようなものです。

209 :3/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/14 22:24
つまり、「より大きく」成るのは、それ以前にそれが「より小さく」あったということが
同時に生成するからであって
(というよりも、それが同時に成立するのが生成する、成るということですが)、
そこでは、外部の尺度を基準に「より大きい」「より小さい」といったことが
測られているわけではないということです。
(「彼女は当時の同じ年齢の平均的な女性よりも「より大きい」」といった
外部的な尺度との比較ではありません)

しかし、「より大きく」成ってしまった時点、ある特定の現在においては
アリスは、ある特定の大きさ(たとえば1.5メートルや10メートル)でしかなく、
そこには「生成」はすでになく、生成は「現在」をすり抜けてしまっています。

秩序付けられた、計測可能な存在に対して、生成はそのようなものとしてあります。

210 :4/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/14 22:24
ついで、そうした生成とはどのような事態であるかが
アリスを引きながら語られます。
そこでは、尺度に対しての質・量の限定がなく
それが現在をすり抜けてしまうものであるために、
前へ向かっているのか、後ろへ向かっているのかも分からない。
というのも、「より大きく成る」ことで「より小さい」ということが生じ
「より小さく成る」ことで「より大きい」が同時に生じるからです。
だから、そこでは必然的に、同一性というものが不確実なものになる。

バナナのたとえで言えば、
黄色いバナナが腐敗して茶色くなっていく。
ここで「黄色いバナナ」を本来のバナナ、イデアとしてのバナナに近いものと仮定すると、
茶色くなったバナナは、黄色いバナナよりも、バナナのイデアから
存在として遠い、劣ったものになるわけだけれど、
「茶色くなる」という生成の場面でとらえれば、
そこでは「より茶色い」と「より黄色い」が同時に生成している。
そこにあるのは、本来のバナナ Modele と、駄目になったバナナ copie という
存在の秩序における対比ではないわけです。

211 :5/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/14 22:38
最後の一文、ちょっと不適切でしたね。

 そこにあるのは、本来のバナナ Modele (尺度 mesure)に、
 より近いバナナと、遠くなって駄目になったバナナ copie という
 存在の秩序における対比ではないわけです。

212 :6/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/14 22:48
より近いバナナも、遠いバナナもコピー copie なので、さらに訂正。
存在の場面では、諸々のバナナに
尺度となるイデアとの関係で次のような階層関係があると。

 バナナのイデア Modele
   ↓
 黄色いバナナ イデアに近い copie
   ↓
 茶色いバナナ イデアから遠い copie

213 :1/9:04/03/14 23:36
>>206
説明が不十分だったとは思うのですが、どうも根本的に伝わっていないようなので。
このスレッド自体の目的からずれて長くなるのでトリップなしで。

>なるだけたくさん辞書を見る必要があるのも確か。

と書かれていますが、申し訳ないが、>>206さんの書き込みを見ていると
正直なところ、辞書をきちんと読まれているとは思えないのです。

>>183
> 辞書に載っている見出し語にこだわりすぎていないでしょうか?
と書いたのであって、辞書を見るなといっているのではありません。
むしろ、並んでいる訳語の一部「しか」見ていないように思われるので、
もっときちんと辞書を読んでください、辞書の使い方を知ってくださいと
言いたいのです。

まず、基本的な前提として、押さえるべきなのは、
二ヶ国語辞書に書かれている訳語は、それがどんなに大きな辞書であっても
元の語が、元の言語の中で果たしているのと同じ役割を
日本語の中で果たしうる語のリストの「一部」にすぎない、ということです。
それは、決して天下り的に与えられるものでも
確実なものとしてあるものでもなく、辞書編纂者が、
 (1) 原語に対応するものとして可能な日本語と彼らが考えたもののうち、
 (2) スペースが許す範囲で
 (3) 比較的応用範囲が広い訳語(これは(2)の条件があるからでもありますが)
   (この問題点を回避するために、例文の訳文中でさらに別の訳語を与える)
を並べたものです。

214 :2/9:04/03/14 23:36
二ヶ国語辞典を二つ読み比べてみればすぐに分かることですが、
そこに出ている訳語は、あげられる順番も含めて異なっています。

ですから、よく言われるように、翻訳をするなら、最低でも二つの辞書を、
より効率の良い仕事のためには、可能な限り多くの辞書を
手元に置く必要があるわけです。

それはなぜか? 一つの辞書のあげている日本語の可能な訳語は
ごく一部を汲み取っているに過ぎないからです。
(すべての可能性、つまりその語が現れうるすべての文章をあげることは
当然、原理的に不可能です)

つまり
>ドゥルーズはそんなにフランス語のふつうの言葉の使い方からはずれたような
>言葉の使い方はあんまりしない人だとは思うし。
という問題ではなく、
まずは「フランス語のふつうの言葉の使い方」=辞書の適当な見出し語ではない
という最低限のことを押さえてくれということです。

その上で、
ラテン語からの語源的な知識、その概念がもともと作られた言語における姿
翻訳されてくる過程での姿(たとえばギリシャ語やドイツ語、そしてラテン語における)は、
常に意識されているとは限らないにせよ、当然、前提とされているわけです。
(それゆえ、単純に「ふつうの言葉の使い方」だけでは済みません)

215 :3/9:04/03/14 23:37
そして、そうした想定される専門的な文脈につながることですが、
言うまでもないことだけれど、専門用語(ここでは主に哲学)についての訳を
一般辞書にあまり期待してはいけません。
(哲学用語辞典を参照する必要などがあります)

ドゥルーズのこの書物を、哲学史的な背景と無関係に書かれた本だ
と読みたいのであればともかく(私の意図はそうしたものではありません)
議論が行われている哲学(史)的な文脈を、
その中にある用語を無視するわけにもいきません(ここではプラトンとの関係でしたが)。
上のほうで出ていた例で言えば、substance が存在論の場面ででてくれば、
基本的に「実質」よりも「実体」とした方が良い場面が多いわけです。
もちろん、「ドゥルーズは哲学史を全く知らない」という見解、
ないし、「作った訳文を読んでも哲学史的な背景が分からないほうが良い」
といったことを前提にして読み、訳したいのであれば話は別ですが。


216 :4/9:04/03/14 23:37
> あと、exterieur ?は「無関係な」ですね。

それは、それで間違いではないし、もちろん、ありうる選択なのだけれど。

一つ辞書を引いて、そこに出ている訳語を機械的にあてはめるだけだったら
機械翻訳にやらせておけばいいし、そうすると宇波大先生訳みたいな
読めない訳ができるわけです。その語が出てくる文脈を読んでください。
選択した訳語をつかって作った例文が、うまく機能するかを検討してください。
辞書を引いて、でている訳語をひたすら並べるのはあまり意味のない作業です。
いまさら、中学一年の英文和訳ではないのだから。

せめて、なぜその訳語が「その文脈で」良いと思ったのか書いてください。
なぜ、提示された訳語が「その文脈で」不適当だと思ったのか書いてください。


217 :5/9:04/03/14 23:38
具体的には、どうやって訳語を決めるかを、
(いえ、それ以前に、ある言語で、その語が意味するところを理解するかですが)。
この、p.11の exterieur の例について考えて見ます。
まず、辞書を引く。(ここでは、とりあえずROYALを参照します)

そうすると、形容詞として
 1. 外部の、外の
 2. 外側の、外周の
 3. 外面的な、外に現れた
 4. 対外的な
 5. 無関係な、本筋からそれた
 6. うわべだけの、表面的な
 7. 外角、外積
と言った訳が並んでいる。

ここで、単にそれぞれの訳語を見て終わりにするのではなく、
外側にある → (本体から離れたところにある) → 無関係な → うわべだけの
という意味の一連の広がりをつかむ必要があります。
フランス語話者は、日本語の訳語で考えているわけではありません。
(基本的には、ほとんどの辞書では、中心となる意味から、
派生的な意味への順番で訳語は並んでいます。
決定的に異なる意味は、別項目になっている)
単に、機械的に、一つ一つの訳語だけ見ていてもしょうがない。
それは、単なる機械的な置き換え作業であり、
しかし、置き換えられた日本語の単語の意味範囲が、
フランス語におけるexterieur と違う以上、
一つ一つを見るだけでは exterieur が、フランス語で
それが、どのように使われる単語であるか理解できません。

218 :5/9:04/03/14 23:40
次に、出ている例文を見ていきます。
これが大切なのは、訳語だけ見ていると、
そこから日本語の単語のイメージに引かれて、
原語が、どのような文脈で使われているかを見落とすからです。
(一ヶ国語辞典を見ろ、ここでは仏仏辞典になりますが、といわれるのは
一つには、そのほうが、どのような文脈で使われるかを把握しやすい
ことがあるからです。例文が豊富であれば、その目的にとっては
二ヶ国語辞典でも良いわけです。
私は、辞書の読み方のほうが大切で、一ヶ国語辞典であるかが
決定的だとは思っていません)

そして、語は、常に文章の中で、意味を持つので
どのような文の中で使われるのかを確認する必要があります。

また、例文にあてられた訳の中で、見出しとしてあてられているよりも、
こなれた日本語が使われていることも多々あります。

そのようにして exterieur という項目を見ていくと、
そのなかで exterieur a という構文があるのは
 point exterieur a un cercle
 question exterieure au sujet
つまり、A exterieur a B で、Bに対してAは外側にある
という構文になるということが分かります。
そこで、日本語としてあてられているのは
「円の外にある点」
「本題とは無関係の質問」
の二つ。


219 :7/9:04/03/14 23:40
>>218 は 6/9

これを前提として、
本文の文脈(そして比喩の系列)がどうなっているかを確認します。
 Car l'incertitude personnelle n'est pas un doute exterieur a ce qui se passe,
 mais une structure objective de l'evenement lui-meme, ...

ここで言われているのは、
  人格の不確実性というのが、
  生じること に対して、外部に存在するようなものではなく、
  出来事(生じること)それ自体の客観的な構造(に内在するもの)である
ということ。
つまり、
  生じることに対して外(在)的 =/= 生じることに内(在)的
という対比があるわけです。



220 :8/9:04/03/14 23:41
だから、ここでは「外側にある」というニュアンスを残したほうが良い。
もちろん、ここで
日本語で「〜の外(側)にある」という表現が、
フランス語の exterieur と同様に、「〜と関係なしに」という含意をもつかどうか
(もたなければ別の訳語を考える必要がある)
が重要だけれど、この場合、それは大丈夫である。
(たとえば「部外者」「蚊帳の外」という表現等々)

もちろん、先ほど二つ見つけた構文の後者を使って
  主体の不確実性は生じることに対して無関係な懐疑ではなく、
  出来事それ自体の客観的な構造である
としても意味は通じるけれど、その場合、対比が弱くなる。

もし、「無関係である」ということが「外側にある」では十分にでてこないと
考えるのであれば
  主体の不確実性は生じることに対して外側にあって無関係な懐疑などではなく、
  出来事それ自体の客観的な構造である
と、解説的に二つの意味を並べることも可能。

このように考える過程を踏まないと、翻訳はできません。
(もちろん、一応、それなりに努力しているとはいえ、
このスレでやっていることが、それだけの質を全文で達成できているとは言いませんが)


221 :9/9:04/03/14 23:42
以上のような理由で、
「なぜ、その文中で、その訳語を選ぶのが良いのか?」という
理由も書かずに、辞書を引けば誰でも見つけられるような訳語
(当然、こちらも訳文を作る時点で辞書は散々引いているわけです)を
どの箇所かさえも書かずに書き込まれても、正直言って困ります。
もちろん、単純なミスをしていることも十二分にありえますし、
想定されている文脈を読めていないこともしょっちゅうだと思いますが、
基本的には、上の様に、検討した上で訳文を作っているので、
「なぜ、>>1がこの訳文でその訳語を選択したのか」について想像してみることもなく、
また、
「なぜ、>>206さんは、その訳語の方が、その文脈中においてが良いと思うのか」
を書くこともなく、辞書を引けば出ているような、
こなれていない単語の訳だけを書き込まれても、
正直なところ、何を言いたいのか、したいのか理解できません。
翻訳はつねに解釈なのであって、
なぜそう解釈=翻訳 interpreter するのが良いと思うのか、書いてもらわないと意味がありません。

ちなみに私が主に参照しているのは、
仏和が、旺文社の Royal と小学館の仏和大辞典、
仏仏が、Petit Robert、およびRobertの語源辞典、
その他、必要に応じて哲学用語辞典など、です。

222 : ◆DSENS.QlUs :04/03/15 00:10
>>167-168
【affirmation、affirmer】
結局、Deleuze では、肯定としておくのが良いと思うのだけれど、
affirmation のフランス語での用法に関して、
Vocabulaire technique et critique de la philosophie, Andre LALANDE, Quadrige/PUF, 2002には
この語を、日常的にはBehauptung(フレーゲでは普通、断定と訳すんでしたっけ?)、
つまりassertionの意味で使うが、この混用に気をつけようという話が載っていました。

223 :165:04/03/15 02:41
>>213-221

 丁寧な文章ありがとうございます。これで◆DSENS.QlUsさんがどんな考えをもって翻訳されているのか少し分かってきたような気がします。
 今までおせっかいな書き込みをしてきたのは、宇波訳とかでもそうだけど、たとえば辞書の一番はじめに載っている訳語をそのまま使う、というケースが多いような気がしているからです。
それに、◆DSENS.QlUsさんの訳が少し堅いような気がしたからです。

 しかし今回の書き込みで、◆DSENS.QlUsさんがいろいろと検討されて訳を作っていることが分かりました。
 ここで言われていることは、翻訳するときの心構えとして模範的なもので、このままあちこちで引用したいぐらいです。
◆DSENS.QlUsさんがこうして自分の考えを明確に、しかも翻訳のはじめに提出されたのは有益なことだと思います。

 ただ私の考えを少し言うと、ドゥルーズの文章は確かに哲学史的な立場をよくふまえてはいるけれども、
けっこう日常的なフランス語としても通用しそうなぐらい平易かつ無理のない言葉遣いをしていると思うので、
できれば日本語としても、そのまま日本語として通用するような訳にしたい、という気持ちがあります。
たとえばexterieur aでも「無関係な」でも十分に外部にある、という意味が伝わるだろう、とか(ただし精確に言うなら、
この二つのことは同じことだと言いたいのではなく、それぞれが外部にあっても、関係があるということはありえます。と言うか、関係ってそういうものです。蛇足ですが)。

>翻訳はつねに解釈なのであって、
>なぜそう解釈=翻訳 interpreter するのが良いと思うのか、書いてもらわないと意味がありません。

じゃあこれからは、重要な箇所でおかしいなと思ったときに、理由もつけて違う訳を提示したいと思います。あと、単純ミスの指摘とか。たとえば

>>128(p. 10のまんなかよりちょっと下のところの訳)
狂った〔たがの外れた〕言説 discours fou

はdiscours affoleと原文でなっているので、「熱狂した言説」ですね、とか。
まあ、どんどん訳を進めていってくださいな。

224 :1/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/15 04:25
>>223
もちろん、えらそうなことを言っても、読みやすい日本語になっていないのは、
上で話題になっていたような、文単位での可読性と本全体としての可読性の間の両立の難しさのみならず、
単に、私自身の日本語の能力の問題でもあるわけです。

ただ、それとは別に、
今回は基本的には読書会(ネットでのそれをそう言ってよいのか分かりませんが)であって翻訳の会ではなく
ある種のレジメをかねたものとして翻訳を作っているつもりなので、
とりわけ最初に提示する訳は、読みやすい日本語であるよりも、
原文で問われていることが表にはっきりとでてくるものであるようにしたいと思っているというのもあります。

とはいえ、単純ミスは、確実にあるので、その指摘はありがたいです。
(だから翻訳は、絶対一人でやるものではないのですよね)

225 :2/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/15 04:26
>  ただ私の考えを少し言うと、ドゥルーズの文章は確かに哲学史的な立場をよくふまえてはいるけれども、
> けっこう日常的なフランス語としても通用しそうなぐらい平易かつ無理のない言葉遣いをしていると思うので、
> できれば日本語としても、そのまま日本語として通用するような訳にしたい、という気持ちがあります。

それは分かるのだけれど、
提示してくれている単語で文章を作って(何度も言うけれど、単語ではなくて文章にして意味が通らなければ
意味がありません)、本当に、それで意味がよりよく通ると思われているのかが素朴な疑問です。

たとえば、コメントしなかった>>180の残りの部分ですが、

> recitationは「暗唱」

ここは、たしかにドゥルーズが何を念頭においているかちょっとはっきりしないところがあるのですが、
「知と暗唱にとっての試練」で意味が通りますか?
そうだとしたら「暗唱」というのは何を意味しているの?

ここでは、やはり話、物語recit
(言語学的なrecitという用語、過去についての客観的な話といった用語法を思い出しても良い)
をする-erこと-tionということでしょう?
知を組み立てることと並列して語られているのであり、内容的にも「〔知を組み立てる〕物語を語ること」でしょう。



226 :3/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/15 04:27
> se communiqueは「伝える」という意味。主語が「非現実性」なので、「知と諸々の人格〔personnes〕に伝わっている非現実性」ぐらいか。

辞書をひけば分かることですが、インフルエンザなどが伝染する、感染するというときにも使うわけです。
ここで語られているのは、知と人格が、同一性を破壊されてしまうという深刻な事態であるわけです。
「伝わっている非現実性」という表現で、そのニュアンスがでますか?
辞書を読んで、その語が使われる用例を見て、意味範囲を把握しましょうと言っているのはそういうことです。

> fixesは「不変の」

不変という言葉は強すぎます。
(その言葉ではpermanantを第一に、次いでinvariantとかconstantとかを思い出します)

この章全体を読めば分かるように、同一性というのは、一般名を通して言語的に固定されたfixerされた
ものだということです。
(fixe自体、過去分詞から来ている形容詞で、fixerの過去分詞のfixe'とそれほど意味は変わりません)

これらのことは、哲学史的な立場どうこうの問題ではなく、
文章の中で、何が一貫して語られているのかの問題です。
それこそ「(日本語として)読んで分かるか」ということを成り立たせるために
それが哲学的な著作であるか、文学的な著作であるかにかかわらず、必須な要素であるわけです。
(だから、本当は、最後まで訳し終わらないと、概念の系が決定できないので訳語が決定できない
というパラドックスがあります)

227 :4/4 ◆DSENS.QlUs :04/03/15 04:28
exterieur
>それぞれが外部にあっても、関係があるということはありえます。

その通りであるがゆえに、逆に「無関係な」という強い訳語をあててよいのかということを、よく考える必要があります。
(フランス語としては、あくまでも「外側にある」というのが第一義です。
そこから比喩的な意味(というよりも用法)が派生しているわけです。)
ここでは、そうではなく、と否定されている内容であるので、それほど考えなくても良いでしょうが、
はたして無関係であるというほどの強い断絶が考えられているのかどうか。
出来事の外側から懐疑が到来するのではない、ということが大切なのだと思うのだけれど?

>>128(p. 10のまんなかよりちょっと下のところの訳)
>狂った〔たがの外れた〕言説 discours fou
>はdiscours affoleと原文でなっているので、「熱狂した言説」ですね、とか。

ありがとう。この原語の引用は完全にミスです。

ただ、こう書いてしまったわけは、affoler は、fou にする、狂わせるということで
(日本語を探すときに、こうした派生の系列を念頭においておくことが大切です)
affoler を辞書で引いてもらえばわかるように、
〜を狂乱させる、逆上させる、あわてさせる、おびえさせる、
〜を恋の苦悩に落とす、時計などを狂わせる、
羅針盤などが磁石の影響などで狂わせるといった意味であって、
(enthousiasmeの系列の語を思い浮かべる)熱狂というよりも、
もう少し、外からの影響で、病的な方向へ狂わされた、というニュアンスなので
熱狂という日本語は、あまり適当ではないと思うのだけれど?
もっとも、そのニュアンスを綺麗にだせる日本語を探すのは難しいけれど。

やはり、訳語の選択には、そうした派生関係と、意味の広がりを考えないといけません。

まあ、それで、「狂わされた」というのが念頭にあったので、
原語を書くときもそれにあわせてしまったわけです。

228 :165:04/03/15 07:13
いやはや、いつも長々とつきあっていただいて申し訳ない。

>>224-227
>今回は基本的には読書会であって翻訳の会ではなくある種のレジメをかねたものとして翻訳を作っているつもりなので、
>とりわけ最初に提示する訳は、読みやすい日本語であるよりも、
>原文で問われていることが表にはっきりとでてくるものであるようにしたいと思っているというのもあります。

なるほどなるほど。そう考えると、上で提出された訳はなかなか適切だと思います。
確かに、いくらドゥルーズの文章が(一見)平易に見えたとしても、
フランス語そのものがギリシャ語やラテン語の概念的な語を下敷きにしているので、
そのへんの関係をしつこいぐらいに日本語にしないと、なかなか意味が伝わりにくいかもしれません。

>>225-226
なるほど、勉強になります。こうした指摘をしてくれると、文脈も理解しやすくなるのでほんとに助かります。

>>227
>はたして無関係であるというほどの強い断絶が考えられているのかどうか。
>出来事の外側から懐疑が到来するのではない、ということが大切なのだと思うのだけれど?

まったくそのとおりです。というか、自分もまえのレスを書いていて気づきました……
もう一度訳をあげるとここは、「というのも、こうした人格の不安定さは、起こること〔ce qui se passe〕の外部にある〔à exterieur〕
懐疑などではなく、出来事が常に二つの方向=意味に同時に向かうかぎりで、出来事そのものの客観的な構造だからである。」となりますね。

>もう少し、外からの影響で、病的な方向へ狂わされた、というニュアンスなので
>熱狂という日本語は、あまり適当ではないと思うのだけれど?

うーん、じゃあ「逆上した」とかのほうがいいかもしれませんね。でもここはよく分からない。
どうやらラカンを意識しているらしいような気はするのだけれど……。パロールの流れ、とか言っているし。

しかし長々とつきあっていただいたおかげで、DSENS.QlUsさんがかなり熟考して訳を作っていることが分かりました。
自分もこれからはちゃんと辞書を「読んで」DSENS.QlUsさんの訳を検討しようと思います。ほんと勉強になりました。サンクス。

229 :考える名無しさん:04/03/15 10:56
recitationはやはり「暗唱」。
「アリス」は子供向けの読み聞かせるお話として流通しているわけで、
部分部分のフレーズが暗唱されることこそが、
物語一般と区別されるところだからです。
「子供になること」の問題圏ですね。

230 :考える名無しさん:04/03/17 14:13
しかしまあ〜なんですな
ここのところ、何だか知らないけどしょっちゅう
アクセス規制とかになっちゃうんだけどさ

で、それはともかくとして、
ここ最近『差異と反復』を読み返してたんだけど、
それで気付いたが、『意味の論理学』に再録されてるプラトン論つうのは、
『差異と反復』第1章の終りのあたりと内容的にはほとんど同じじゃないの?

なんでそんなのをわざわざ収めたのかよく分からんが、
『意味の論理学』というのは、読めば読むほど謎の多い本だな

231 :考える名無しさん:04/03/17 14:31
>198 :考える名無しさん :04/03/13 01:38
>意味の論理学は構造主義を理解しないとDQN本にしか見えないよね。

そういうことなの?









232 :考える名無しさん:04/03/17 14:39
あとは、ストア派関係の文献をあれこれ覗いて見て、いろいろと思うところが
あったわけなんだが、これについてはまた後で、つうことで。

ただ一つだけ言っておきたいのは、「原因とは本性的に異なるものとしての結果=出来事」
という(ドゥルーズがストア派に帰している)テーゼは、
『差異と反復』から『意味の論理学』へのドゥルーズの移り行きを評価する上でも
重要なものだと思うし、『意味の論理学』でのドゥルーズのストア派自体にとっても
肝になるとこだと思うんだけど、このテーゼに関してドゥルーズ自身はブレイエの研究に
全面的におんぶにだっこしてるような感じで、どうもよく分かんないんだよな。
(てのは、このテーゼをごく皮相に見る限りでは、単なる epiphenomenalism の主張にしか
すぎないようにも読めてしまうわけだし。)

誰かブレイエの本読んだシトとか、簡単に解説しちゃくれまいか?

233 :考える名無しさん:04/03/17 14:43
間違えた〜

>>232
>『意味の論理学』でのドゥルーズのストア派自体にとっても

と書いたのは、

『意味の論理学』でのドゥルーズのストア派解釈自体にとっても

と言いたかったのでちた

234 :考える名無しさん:04/03/17 15:15
もう少しだけ敷衍しておくと、「原因と結果との本性的な差異」というテーゼは、
一方では、>>162で述べられているようなドゥルーズ自身の態度変更とも深く関わってる
ように見える。つまり、『差異と反復』はたしかに「深さの構図」に支配されてるし、
それと共にまた、単なる結果(効果)を払い除けて真の原因を発見する、といった
ようなスピノザ的なアプローチに貫かれてるとも言える。
(たぶん、バディウのようなドゥルーズ批判──「一者の形而上学」といった──も、
そうした所から来るんだと思う。)

それから他方で、このテーゼはドゥルーズのストア派解釈の基軸に据えられていて、
例えばキケロの『運命について』なんかも、このテーゼに即した形で(かなり強引とも見える)
解釈が与えられてる。

でも肝心のこのテーゼ自体については、『意味の論理学』を読む限りでは、どうもよく
分からないんである

235 :考える名無しさん:04/03/17 15:26
意味の論理学は深層なるものを払拭するために書いたということか。

236 :考える名無しさん:04/03/17 15:49
>>235
「意味の論理学」はまだ表層対深層の対立の図式の中にある。
というかそういう図式のリミットを浮き上がらせる効果の試みじゃないかな。
それでも対立図式を廃棄できないということが「アンチ・オイディプス」への
移行を必然たらしめているのではないかと思う。
「アンチ・オイディプス」は「意味の論理学」の理論的限界を越えているというわけ。

237 :考える名無しさん:04/03/17 17:37
>>236
確かにそうだけど、意味の論理学の筋立てはもう少し複雑だと思う。
例えば帯域=帯と段階を区別することで精神分析とは区別された部分
対象を扱う。(否定はしない。あくまで区別するのだ)
この点で意味の論理学は比類ない美しい書物になっている。
「セクシュアリテが表層あるいは帯の構成と結合するとき、リビドー
的衝動は二重の開放の機会を見出している」。一つは自己愛として表現
されるが、もう一つは、リビドー衝動が性感帯で新しい源泉を見出すと
いうのだ。それは保存衝動の食事モデルから離脱している。
ここから驚嘆すべきリビドーの命題が提示される。
@性は倒錯的なものである。
Aこの倒錯は、部分的なまた表層的な諸感性帯の役割によって定義される
新しい対象との新しい関係により、破壊衝動の束縛からの離脱が宣言される。


238 :考える名無しさん:04/03/17 17:58
>>236
「意味の論理学」から「「アンチ・オイディプス」への展開の「必然性」
は「意味の論理学」の中にすでにあったとするのが一般的理解だと思う。

239 :考える名無しさん:04/03/17 18:03
>>234

>単なる結果(効果)を払い除けて真の原因を発見する、といった
ようなスピノザ的なアプローチ

って、俗流スピノザ理解じゃないの?
ま、いわんとすることは、分かるし、おおざっぱには間違ってない
けどね。

>>237
否定と区別の違いをもう少し詳しく。

240 :考える名無しさん:04/03/17 18:11
「意味の論理学」の二元性はスリリングな複雑性を演出しているとはいえ、
二元論的な不徹底さは否定できないな。
「アンチ・オイディプス」でそれを克服したドゥルーズ=ガタリが自分た
ちの立場を唯物論的精神分析といい、「欲望は機会である」という命題を
提示したのは、それまでのドゥルーズの全仕事の集大成といえるだろう。

241 :考える名無しさん:04/03/17 18:13
「欲望は機会である」でなく「欲望は機械である」

242 :考える名無しさん:04/03/17 18:20
したがって、ガタリとの出会い以前と以後という区分はよくない。
初期ドゥルーズの哲学史の中での仕事の集大成アンチ・オイディプス
であり、「意味の論理学」はその前ぶれである。
そしてアンチ・オイディプス新しい哲学の始まりだが、ミル・プラトー
で最高のポテンシャルに達した、という感じかな。

243 :考える名無しさん:04/03/17 21:27
>>242
その線でいけばガタリとの共著でもドゥルーズのアイデンティティーは
保てるけど、やはりガタリによってドゥルーズのいい面がひきだされた
というのは事実でしょ。

244 :パレルゴン:04/03/17 22:25
しかし、ドゥルーズって表層の哲学だと思う。深層と表層については

「襞」ライプニッツ・バロックにも出てくるけど、深層は分子がうようよしていて
そこから表層に上がって襞=意味を作ると言うよな事を言っているんだけど、

深層は崇高(高さ)との関係では、三次元的で、因果関係に直結する気がするんだす。

つまり、歴史のように、現在・過去・未来のように。
だから、ドゥルーズの立場が、物語=因果批判とするならば、やはり、表層の
欲望の肯定だと思うんだけど。そこにニーチェの力の影響もある。



245 :パレルゴン:04/03/17 22:33
襞にはインプリとエクスプリを対比させている気がするけど、

これは、インプリ=無意識的なものを折りたたみ、エクスプリは外の世界
を意味あるものとして認識する事なのだろうか?

246 :パレルゴン:04/03/17 22:40
この場合の分子とはモル的という意味に対していると思うんだ。
モル的ってのは、構成要素なんですね。つまり、ヒエラルキーの
一部であるわけです。こう言う意味で、使っていると思います。
また、ライプニッツに傾注するのは、なんだろう?モナドには窓がない
交通、予定調和(神による)って事はないと思うけど。

247 :考える名無しさん:04/03/18 01:55
うざいっす

248 :考える名無しさん:04/03/18 18:36
結局『差異と反復』は何とか読み終わった。疲りた〜

で、改めて思うのはやっぱ『意味の論理学』の分かりにくさ、とゆうか、
『差異と反復』と『意味の論理学』との間にある微妙な折れ曲がり、
とゆうようなことで、またまた繰り返しになるけど、要は「何でストア派?」
つうことなんだよな。

『差異と反復』からすれば、ドゥンス・スコトゥスからスピノザに
受け継がれてきた「存在の一義性」てゆうテーゼは、同時に、意味もしくは
表現の理論の基盤としても位置付けられることになるわけなんだけど
(この点については『差異と反復』の邦訳で、例えば68ページ、448ページを
参照)、
明らかに『意味の論理学』はそうした――当然予想されるような――展開からは
大きく逸脱しているわけで、そこをどう捉えるか、ってことなんだけど。

『意味の論理学』での議論との関連で、もう少し具体的な問題として言えば、
例えば『差異と反復』ではスコトゥスからスピノザへの展開が、
スコトゥスが一義的存在を「中立的(neuter)」なものとしたのに対して、
スピノザはそれを純粋な肯定の対象に仕上げた、──といったように
評価されているわけなんだけど(『差異と反復』邦訳の74〜75ページ)、
これに対して『意味の論理学』では「意味の中立性」というのが
意味の独特の存在性格として前面に打ち出されているわけだし、
実際このテーマは『差異と反復』でもすでに示唆されている(邦訳の242ページ)。

てなことで、『意味の論理学』での意味と表現の理論つうのは
なんでスピノザではなくてストア派に乗っかった形で展開される
ことになったのか、つうことなんだが、
こりは結局スピノザ論を読み返すしかないんだろーか。
うーむ


249 :パレルゴン:04/03/18 20:27
「差異と反復」は一回速読したんだけど、ドゥルーズってのは、どの本になにを
書いてあるかよりも、あそこにあんな事が、この本にこんな事がと言うように
間テクスト的に繋げたり切断したりして、全体を感じると言う読み方の方が
良いんじゃないかって気がする。特に、同時代の哲学者(デリダ、ラカン、ハイデガー)
のタームと参照しながら読む方が分かりやすい気がするんだけど。
例えば差異と反復はデリダの差延にも当たるし、襞はメルロポンティの
キアスムと言う、交叉配列の概念に近い気がするね。触れる物と触れられる物の
可逆性、見るものと見えないものなど、反転する事で、主客の二元論を越えようとしている
んだと思うんだけど。ドゥルーズの場合には、襞(プリ)は表皮に起こる感官の刺激
がトレース(引っかき傷)のように、意味を齎すような気がする。


250 :パレルゴン:04/03/18 20:30
つまり、脳=理性で物を対象化するという暴力を極力避けようとするんだ。
だから、身体=表皮 感覚 と言う事になるんだと思う。
身体は勿論メルロ=ポンテイ のタームにもあるけどね。

251 :パレルゴン:04/03/18 20:40
249に追加すると、ドゥルーズの場合には襞は境界面であり、レビナス=合田
の言も、(「レヴィナスを読む」NHKブック)界面と言う言葉で表して
いることにも通じると思うんだけど、つまり、界面=表皮 と言う内外
の境で何か感じる(起こる)。それは、表は裏との差異によってしか、表は
それ自体単独では感じられないと言う事なんだと思う。
つまり、表(表と言う表現でなくてもこちら側でも良い)
とは表側自体では感じられない=分からないんだ。つまり、表と言う何者かが
裏と接する時に、その界面で何かが感じられる(起こる=出来事)。
これが意味なんだと言う事じゃないのだろうか?

252 :考える名無しさん:04/03/18 20:53
そういうこと。
ドゥルーズ哲学は原理たりえないのだ。
にもかかわらずドゥルーズに原理を読もうとするとドゥルーズに軽く
いなされることになる。
ドゥルーズ哲学は、あえていうならエンターテイメント。
誤解を恐れずに言うなら、エンターテイメントのプラグマティズムだ。
あるいは倫理のエンターテイメント。
これは原理を放棄した哲学者の唯一の道には違いない。

253 :考える名無しさん:04/03/18 21:11
例えば、意味と論理学でいえば、表層は原理的な所与のものではない。
組織化し接合する対象として極めて政治的、倫理的、美学的なものだ。
これは既存の精神分析、論理学に対して挑戦的に別のものを作るという
戦略だ。

254 :考える名無しさん:04/03/18 21:17
わけわかんね

255 :考える名無しさん:04/03/18 21:28
>>252>>253
原理ではないにしても、なんらかの存在論たりえてるわけでしょ。
確かに「意味の論理学」の表層という概念だとどうしても深層を想定してしまう。
単純な2元論ではなく、別のものの存立が問われている部分もある。
しかし設定に無理があって、言葉遊びなのか存在論の可能性を開こうとしているのか中途半端
に終わってしまった。
これがアンチ・オイディプスになると、これが機械として1元的にとらえられることになる。
ここで、存在論を建物のように打ち立てるのが問題ではなく、存在論を機能させることが
問題だということがわかる。

256 :考える名無しさん:04/03/18 21:34
>>255
存在論(ある種の存在論?)というから馬鹿にされる。
ドゥルーズ批判の常套手段はドゥルーズを存在論に押し込めてフクロ
にすることだよ。


257 :考える名無しさん:04/03/18 21:35
無意味文乱造機械。


258 :考える名無しさん:04/03/18 21:44
unnko

259 :考える名無しさん:04/03/18 21:47
無意味文乱造機械=2ch哲板。

260 :考える名無しさん:04/03/18 21:48
2chは無意味を欲望する。

261 :考える名無しさん:04/03/18 22:21
ドゥルーズのスピノザ論(における表現の理論)について、
参考までにM・ハート『ドゥルーズの哲学』からちょびっと引用──

ドゥルーズによる表現のテーマの強調は、存在論の領土で記号学に反対する論争を
形作る。記号の体系は、存在を産出的な力動としては認識しない。それは存在を
その因果的な系列によって理解する助けにならないのである。多くのフランスの
構造主義者や60年代の記号学的実践の拠り所である「不在の原因」は、積極的=
肯定的な存在論的基礎付けといったものを拒否している。それとは対照的に、
表現の理論は、存在の系譜学を明確化することによって原因を現前させ、われわれ
を存在論的基礎付けに引き戻そうとするのである。

(ただし訳語を若干変更)

262 :考える名無しさん:04/03/18 22:46
意味の論理学の重要テーゼは、
意味は中立性と同時に「生産性」を持つということ。


263 :パレルゴン:04/03/18 23:09
しかし、本当にドゥルーズの哲学が、ハイデガーのような存在論を求めていた
といえるのだろうか?存在論が、存在者(一般の物といわれるもの)に現存在が
意味付ける(意味ある世界世界を開く)と言う行為を通して存在すると言う行為
を表しているのならば、それは、ある意味で、東の言う様に、否定神学的形而上学
になっちまうんじゃないのかな〜。
ドゥルーズは存在論をはるかに超えているのではなかろうか?
意味の彼方に、無意味と、不連続との彼方で、動物になること、その成る事の
表面にそれ以上の物を見出しえない、今、と多様性の肯定として、組織化される
理性からの逃走とーーーー 語りえないものに変身する事。
その事で、彼は何が真理かを語る哲学を死に追いやったと言う事ではないだろうか?
感じたまま書いてみたので、良く分からんとは思うけどーーーー。

とにかく、「意味の論理学」のセリーの翻訳と平行して
セリーごとに、分かる所だけ読んでみよう。


264 :考える名無しさん:04/03/18 23:11
>>256
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1077608981/2n-3

265 :考える名無しさん:04/03/18 23:18
>>262
「生産性」の話なんだけどさ、『意味の論理学』では quasi-cause てなことが言われる
わけで、それがまたよう分からんのよ

266 :考える名無しさん:04/03/18 23:28
>>265
物体の能動受動は全て原因の連鎖。
非物体的な出来事はすべて結果=効果。
とすると、出来事Aと出来事Bの連鎖において、
原因a→原因bとは別に、
(準-原因)A→Bという系列が立てられることになるのでは?

間違ってたらごめん。

267 :考える名無しさん:04/03/19 00:11
>>266
幾らでも系列立てるのは別にいいけどさ、
あなたそれどう思うか?

268 :考える名無しさん:04/03/19 00:44
>>266
その原因は、偽装する準原因への差異化の力を持つバーチャルな
原質なのでしょう。
ドゥルーズの真の後継者は中沢新一なんですよw

269 :自演してんなyo!カス!:04/03/19 01:25
251 :パレルゴン :04/03/18 20:40
249に追加すると、ドゥルーズの場合には襞は境界面であり、レビナス=合田
の言も、(「レヴィナスを読む」NHKブック)界面と言う言葉で表して
いることにも通じると思うんだけど、つまり、界面=表皮 と言う内外
の境で何か感じる(起こる)。それは、表は裏との差異によってしか、表は
それ自体単独では感じられないと言う事なんだと思う。
つまり、表(表と言う表現でなくてもこちら側でも良い)
とは表側自体では感じられない=分からないんだ。つまり、表と言う何者かが
裏と接する時に、その界面で何かが感じられる(起こる=出来事)。
これが意味なんだと言う事じゃないのだろうか?

252 :考える名無しさん :04/03/18 20:53
そういうこと。
ドゥルーズ哲学は原理たりえないのだ。
にもかかわらずドゥルーズに原理を読もうとするとドゥルーズに軽く
いなされることになる。
ドゥルーズ哲学は、あえていうならエンターテイメント。
誤解を恐れずに言うなら、エンターテイメントのプラグマティズムだ。
あるいは倫理のエンターテイメント。
これは原理を放棄した哲学者の唯一の道には違いない。

270 :考える名無しさん:04/03/19 12:58
>>265に関してもうちょっと付け加えておくと、
伝統的には、存在の類比(analogia entis)を保持しておくための
一つの戦略として、多様な因果性に訴えるというやり方が用いられてきた、
という事情もある。
例えばデカルトの場合であれば、神における形相因(自己原因)と、被造物における
動力因、といった具合に。

271 :考える名無しさん:04/03/19 13:04
けっきょくブレイエを読むしかないのか。はぁ…

272 :考える名無しさん:04/03/19 14:41
阿保陀羅教の、たった独りの集会。

273 :考える名無しさん:04/03/19 14:53
いやーん

274 :考える名無しさん:04/03/19 18:27
ドゥルーズのスピノザ論では、表現の問題というのはつまり、スピノザの属性の概念を
どう解釈するかという問題に帰着するが、
例えばM・ハートも、比較的ネグリ寄りの立場から、ドゥルーズによる属性の解釈に
幾つかの難点を指摘している。
ということでネグリ嫁

275 :考える名無しさん:04/03/19 18:33
パレルゴンてかんぺきバカだな

276 :パレルゴン:04/03/19 22:21
261さんへ。いや、ドゥルーズは因果を破綻させようとしたんだと思いますよ。
因果の連鎖は認識論的な真理の探求になってしまうんだと思うんです。
ですから、ソシュールの記号論と言うシニフィアン シニフィエによる恣意的な体系
が構造主義を開花させたんですから。もし仮にハートがそう言ったのならば、
そんな事をそんなに単純に言えるのか疑問だと思う。

ガタリの「カオスモーズ」にも、存在論を否定的に捉えているし、
ドゥルーズの言う差異と反復「一義性」とは、私の解釈では、「存在そのもの」だと思う。
つまり、存在者としのものは、複数の表現を有している(差異)、しかし、
そのものの存在は唯一=一義的である。この事は、ハイデガーの言う存在論的
と言う事ではなく、存在論的=そこに立ち返る点 を強調しているのではなく
複数の差異の解釈に開かれていると言う事を強調することにおいて、存在論
を超えようとしていると解すべきだと思うよ。もう少し読んでみるけどね。


277 :考える名無しさん:04/03/19 22:36
差異無きバカの反復、て感じか

278 :考える名無しさん:04/03/19 22:38
相手にするのやめれ

279 :パレルゴン:04/03/19 22:51
「欲望は、対象の存在または対応する事物の状態に対する、内的な
因果関係である。これに対応して、信念は、その存在が外的な因果関係によって
産出されなくてはならないものである限りにおいて、この対象もしくは事物の状態への期待である。」
「意味の論理学」18P参照。
とあるが、これは、欲望が内的な因果としている事と同時に、外的な事物は
外的因果によってある事物の様態への人間の信念によるとしている。

しかし、内的な因果とは、所謂物質的な因果関係ではないと思われるし、
外的な物質因果にしても、人の「信念」とすることによって、物資自体の
因果ではない事と理解で来る。この事は、逆に、因果を恣意的な人間の
判断・肉体の感覚に求めているのではないだろうかと思う。
そこから、分析的な因果関係を肯定しているのではないと思う。



280 :考える名無しさん:04/03/19 23:15
よく知らないけど、因果を否定したら、スピノザは読めないんじゃないの?

281 :パレルゴン:04/03/19 23:20
スピノザについては、残念ながらあの有名な「エチカ」を読んではいない。
読まねばならんが、平凡ライブラリーの「スピノザ」141Pに
絶対(1)ってのがある。その中で「無限の形相(全ての属性)が同じ(存在)
存在論的にはただひとつの(存在)に帰着する事を妨げるものではない。」
とあるんだけど、これは、属性(神の=実体の)が多様である事。そのことは
逆に一義的な存在=神の現われとでも言いたいのでしょう。
それでも、多様態こそ=生産的であり、以後のドゥルーズの思想の中心
と考えるべきで、存在論的な反復の中心点を強調すべきではないと思われるが。


282 :パレルゴン:04/03/19 23:24
そうだと思う。スピノザは良く知らないけど、ドゥルーズの読み方
は多様性に開かれる点ではないだろうか?つまり、物理学的な視点
の因果ではなく、内的な欲望の因果=欲望のバランスのようなもの
ではーーー

283 :パレルゴン:04/03/19 23:28
ドゥルーズはどのような哲学者の本も、書いてあるように全部読む
のではなく、自分流に読んでいるのよ。自分の考えを纏めるように
その様によむ、つまり、誰かが言っていたように、パッチ・ワーク
という気がする。それって、コラージュっぽいんだよ。芸術的な。


284 :パレルゴン:04/03/19 23:45
ポスト・モダンの 「ぴかぁ〜さん」 いないの。

懐かしいですね。いたら,何かスレッド立ててくれまへんか?
お邪魔は致しません。通常の会話だけでも。
激論は無縁です。宜しく。

285 :考える名無しさん:04/03/20 00:04
良スレだったのに荒らされてる。
ちょっと悲しい。

286 :考える名無しさん:04/03/20 00:05
悲惨だなー

287 :パレルゴン:04/03/20 00:07
誰がどの様に荒らしたのか。原因と結果を論理的に述べよ。

288 :考える名無しさん:04/03/20 00:11
2chブラウザを使って、あぼーん登録すればいい

289 :考える名無しさん:04/03/20 00:28
「パレルゴン」て文字見た瞬間に脳内あぼーん

290 :考える名無しさん:04/03/20 00:41
なんだかんだでブレイエの本買っちゃったYO!
でもVrinの本は値段高杉…

291 :考える名無しさん:04/03/20 19:41
ユベール・エリーの本も買うべし
みんなブレイエだけを参照し杉

292 :考える名無しさん:04/03/20 20:07
エリーの本も面白そうだけど、もう買う金なっしんぐ
ガビ━━━(・∀・)━━━ン!!
ちょっと泣くかも…

293 :考える名無しさん:04/03/20 20:23
エリーは現象学者だから後々の議論にも関係あるよ

294 :考える名無しさん:04/03/20 20:42
でも正直ゆうと、ElieよりもGoldschmidtの研究書とか読んどきたい。
ストア派の時間論つうのは、断片とか見るだけだと「なんだかな〜」((c)阿藤快)、
て感じだし。

295 :考える名無しさん:04/03/20 21:02
まとめると、
Brehier
Elie
Goldschmidt
の本は必読ということで!!

296 :考える名無しさん:04/03/20 22:36
でも自分で読むのはめんどくさー
誰かかい摘んで紹介しる

297 :パレルゴン:04/03/21 01:11
翻訳の続きやってよ。DSENSさん。

298 :考える名無しさん:04/03/21 01:15
Gilsonの本は持ってるどー

299 :考える名無しさん:04/03/21 01:33
>>297
おまいはもう來るな

300 :考える名無しさん:04/03/21 01:34
>>296
ていうか、翻訳出版してね。ゴールドシュミットか・・・


301 :考える名無しさん:04/03/21 21:22
Goldschmidtの翻訳はまず出ないだろ

それはそうと、『ドゥルーズ横断』に入ってる前田英樹の
「「言語の存在論的基礎」について」てのは読んだ人いる?
これ酷いよ

302 :考える名無しさん:04/03/21 21:27
>>301
前田英樹は、日本屈指のソシュール研究者ではなかったかな。
なのにひどいの? 優秀な人だと思ってたが。。。

303 :考える名無しさん:04/03/21 21:40
ソシュール研究者つうより、ベルクソニアンてとこだろ。
ともかく、『意味の論理学』は全然読めてないし。

前田英樹はドゥルーズの『シネマ』に関しては色々述べてるみたいだけど、
ドゥルーズ自身がその後の映画論とかベーコン論、それから『襞』とか『フーコー』
なんかの「表面」物への方向に向っていく上では、やっぱ『意味の論理学』てのは
おっきな意味を持ってると思うし、
この本がちゃんと読めてないってのは致命的なんじゃないか?

304 :考える名無しさん:04/03/21 21:44
>>303
なんだか表面的な批判だね、君が前田英樹嫌いなのは
よく分かったけれども

305 :考える名無しさん:04/03/21 21:54
表面的なコメント加えられても、答えようもないけどさ。
だいたい、前に書いたのは批判じゃなくて単なる悪口だし。

でも本音をゆうと、
日本のベルクソニアンはドゥルーズのつまみ食いをしてるみたいで嫌いだ。


306 :考える名無しさん:04/03/21 21:57
しかし問題は日本のドゥルージアンで
まともそうなのはぜんぜん思いつかないことだ。

307 :考える名無しさん:04/03/21 22:01
財津は?

308 :考える名無しさん:04/03/21 22:03
つか、日本のドゥルーズ業界てどうなの?
ヲレは禿しく畑違いだから遠い未知の世界なんだけど。

日本のドゥルーズ屋さんって、基本的には、何か「翻訳してる人たち」てイメージしか
ないんだが。

309 :考える名無しさん:04/03/21 22:04
まあ、前田の方が優秀だろうな。公平に見て。

310 :考える名無しさん:04/03/21 22:17
前田だめぽ。
『意味の論理学』で言われてる「意味 sens」と「意味作用 signification」とを
ごっちゃにしてるくらいだし。
気をつけろ!!

311 :考える名無しさん:04/03/21 22:20
>>310
分かったよw でも彼は何冊も本(たんなる啓蒙書ではない類いの)
を書いているし、単なる紹介屋さんではないよな。
その生産力は評価したいのだが、ドゥルーズ読解はいい加減らしいぞ
という風に思っておくよ


312 :考える名無しさん:04/03/21 22:27
前田は本書きすぎ
それよりもっときちんと勉強しろと小一時間(以下略

313 :考える名無しさん:04/03/22 00:38
前田はジジェク化してる

314 :通行人:04/03/23 19:54
03/19以降にレスしてる香具師は↓でやれや。
【存在論的】ドゥルーズ【欲望的】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1077608981/l50

315 :考える名無しさん:04/03/23 22:10
いやーん

316 :考える名無しさん:04/03/23 22:46
・“insistance”に関する引用

…フロイトは…一方のシステム、つまり無意識のシステムから出てくるものが、
執拗さ──私が導入したかったのはこの言葉です──それもまったく独特の
執拗さという性質を持っているのだということに気づきます。
私は「執拗さ insistance」と言いましたが、それはこの言葉が、
「反復強迫 Wiederholungszwang」のフランス語訳である反復自動症 automatisme
de repetition の意味を、解りやすく表現しているからです。自動症 automatisme
という語は我々フランス人には神経学に由来してるように響きますが、
そう考えてはいけません。反復への衝動です。
だからこそ私は解りやすいように執拗さという概念を導入しました。…

──J・ラカン『フロイト理論と精神分析技法における自我』(岩波書店)上巻99ページから


317 :パレルゴン:04/03/23 23:00
てことは、フロイトは「無意識=反復への衝動」と考えていたと言う事ですね。
反復てのはまた、機械的というイメージもあると言えるよね。
この「機械」とはドゥルーズの「機械」なんだけど、いずれにしても、
反復可能性こそ現前の信奉に繋がる気がするよね。
何回も何回も繰り返し現われることで、確信を得ること。

と同時に、何回も何回も、不確実なスベリが起こる事。
ここから、差異が生まれる。差異とは、器官なき身体の無限の創造であり
無限のスベリ=無意識の解体である。スキゾフレニー(分裂症的)

318 :para:04/03/23 23:53
>>185
『意味の論理学』理解のために『差と反』における重要な箇所なので反復してみたい。

La manifestation de la philosophie n'est pas le bon sens, mais le paradoxe.
哲学の表出とは、良識ではなく、パラドックスである。
Le paradoxe est le pathos ou la passion de la philosophie.
パラドックスとは、哲学のパッション(受苦 = 情熱)である。
Encore y a-t-il plusieurs sortes de paradoxes,
しかし、様々な種類のパラドックスがあるのであり、
qui s'opposent aux formes complementaires de l'orthodoxie,
それらは、オーソドックスなもの、
bon sens et sens commun
つまり良識と常識の相補的な形式に対立する。

319 :para:04/03/24 00:05
確認しておきたいのでいわずもがなのところはあるが、
@パラドックスはオーソドックスに対する概念
Aオーソドックスは良識ボンサンスと常識サンスコマンのペア
 パラドックスはそれに対し逆識パラサンス(非常識ではなく)
Bパラドックスは哲学の表出であり、哲学のパッション

オーソドックス、良識と常識がどういう哲学を指しているのかは
いうまでもないところであるが、そういう正統的な哲学を
パラドックスという概念で一挙に崩そうとしたわけだな。

320 :考える名無しさん:04/03/24 01:18
執拗なバカ

321 :考える名無しさん:04/04/04 18:04
止まっちゃったね



保守

322 :考える名無しさん:04/04/06 23:04
止まっちったかにゃ

ようやくBrehierの本が届いてパラパラ覗いて見たんだけど、
かなり独特な世界でんなあ。
ストア派の唯物論つうのはmaterialisme biologiqueなんである、とかゆってるし。
しかし第1章読んだだけだと、因果性の話がやっぱよく分からないんであった。

323 :パレルゴン:04/04/06 23:08
セリー19

「あらゆる根底よりも深いものは、表層・皮膚である。

悲劇的なものとイロニーは、ユーモアと新しい価値に席を譲る。」

ユーモアは意味とナンセンス=表層=遊牧的=特異性と言っており

だとすると、イロニーは逆に深層言語の法則であり、記憶=語る主体である。

また、普遍をつかさどるのだろうか?つまり、イロニーとは、主体を根底に
隠し持っており、一方ユーモアは表層で戯れるノマドなのだろう。

324 :パレルゴン:04/04/06 23:39
Brehierはどうなんですか?

325 :パレルゴン:04/04/06 23:51
表層は機関としての統一を排除し、物語、因果分析を反古にし
なる事、生成、線、大地を感体を創造する。

それにもまして、最大のものは、深層と高層とを、平面に収縮させる事
である。このことで、我々は通時性という歴史的な流れから
この身体へと戻ってくるんだ。つまり、ドゥルーズの「歴史の終焉」
でしょう。

326 :パレルゴン:04/04/06 23:55
器官に訂正。
おやすみ。

327 :考える名無しさん:04/04/07 01:16
だめだこりゃ

328 :考える名無しさん:04/04/07 01:18
コテ一人でスレが腐っていくということの好例
この出来事も非物体的なのか…

329 :考える名無しさん:04/04/07 02:03
関西限定かもしれんが、映画「アリス」がやってるよ。

330 :考える名無しさん:04/04/07 03:01
どうでもいいけど、Brehierの翻訳計画があるってホントなのか?
つうか、この薄さだったら、三日もあったらぜんぶ訳して推敲もできるだろ。
だいたいVrinの本は値段高すぎ(て、こればっか)。

331 :考える名無しさん:04/04/07 03:13
>>330
江川隆男訳。


332 :パレルゴン:04/04/07 22:51
ironieが皮肉、ソクラテス的反語法「誤りを暴露する法」と言う事は
真理を求めると同時に、ニーチェのルサンチマンの意味合いがあるのでは
ないだろうか。つまり、主体化=真理=形而上学とは、ルサンチマンを
生むと言う事だ。一方ユーモアは「生」の営みであり、生成、であり、
ドゥルーズの思想を表している気がするなぁ〜。どうだろう?

333 ::04/04/07 23:42
くず

334 :パレルゴン:04/04/08 22:13
西洋形而上学は、真理と言う仮説の中に、多様性を削除=抑圧していた
なぜなら、真理が虚像だから、壊れるのが恐かったのよ。
この事(虚像と言う真理)を暴いたのがドゥルーズを代表する、ポスト・構造主義なんだよ。
真理とは、多様を齎す身体性を抑圧し、逆にこの事が、
身体の反発となって、怨念(ルサンチマン)になって跳ね返ってきた。

つまり、「これだけ努力しているのだから、おめーら のような、
遊び人なんかゆるせねー」って事になったのが、ルサンチマンよ。
少しは分かった。

335 :考える名無しさん:04/04/08 22:27
>>333
くず

336 :考える名無しさん:04/04/08 22:55
自分が好きなことで努力しているなら、
遊び人なんかゆるせねーとかにならねーべ?
やりたくない営業やらされてる奴が、
遊び人だけど営業成績のいい奴をゆるせねーなら
ルサンチマンだろうけど。

337 :パレルゴン:04/04/08 23:00
336 その通りですな。君は幸せ者。

338 :考える名無しさん:04/04/08 23:07
なに、じゃあ、バレルゴンは自分がこれだけ努力しているのだから、
遊び人なんかゆるせねーとか相手に感じるの?
別に責めているわけじゃないよ。確認。

339 :考える名無しさん:04/04/08 23:15
これは>>334と関係ある?

48 名前:パレルゴン :04/04/08 23:06
そうだよ。体育会系のやつらは、酒飲んで楽しくやっているが、
文系の哲学なんて、他者は分からない、依存できない、信じられない
サッカーのボールは絶対にパスはしない。自分のドリブルでしか
ゴールなんかしない。味方でも他人にボールは与えない。
俺しかシュートしない。敵も味方もも全て敵。
つまらねえなぁ〜。世の中は。
だから、哲学するんだ。真理を究明し、体育会系の奴らの玉を奪おう。
これも、つまらねぇかも?


340 :パレルゴン:04/04/08 23:20
いや、ルサンチマンも超えたところが、「つまらねぇ」になるんだ。
だから、俺はルサンチマンとは無縁。

341 :考える名無しさん:04/04/08 23:26
パレルゴンの中に入ってる人もたいへんだなあ

342 :パレルゴン:04/04/08 23:32
341.どう言う意味。

343 :考える名無しさん:04/04/08 23:34
ふーん。じゃあ、バレルゴンじゃない誰かが「これだけ努力しているのだから、
おめーらのような、 遊び人なんかゆるせねー」ってなるわけ?
他者は分からないってバレルゴンは書いてるけど、その誰かが「これだけ努力しているのだから、
おめーらのような、 遊び人なんかゆるせねー」って思ってるってなぜ分かるの?
その誰かは単なる幸せ者かもしれないよ。


344 :考える名無しさん:04/04/08 23:42
何も照明しないかもしれない言葉だけど、その言葉でまずはその誰かに聞くしかないよ。
「自分が好きなことで努力してるんですか?」って。
僕が書いてることは幸せ者の戯言だろうけどね・・・。

345 :パレルゴン:04/04/08 23:43
俺はルサンチマンは経験したが、今はそれを超えたので分かるのです。
ルサンチマンはニーチェの反理性論の中心的なテーマでしょう。
だから、学習すれば分かるでしょう。
それでは今日は寝るので、何か書いておいてけろ。
あすた答えるです。

346 :考える名無しさん:04/04/09 00:30
>>345
うーん、じゃあ、>>343>>344のこと、どう思う?
相手に言葉を投げかけずに、自分一人で相手の心理分析をして済まし、
相手に背を向けることは、ルサンチマンではないの?
ルサンチマンでないとしたら、どういう感情だろう・・・。
嫌味を言ってるわけじゃなくて、素朴に湧いた疑問。


347 :バレルゴン:04/04/09 00:44
うまいもん食いてー!

348 :考える名無しさん:04/04/09 02:27
つーか、ニーツェもルサンチマンの塊だよね。つーか、哲学史においておそらくは
一番ルサンチマンが強いよね。

349 :考える名無しさん:04/04/09 02:31

     /クガヾヾ、、
    ((((     _ヾヾ
    /  ̄ ̄ ̄ ミミミミミヽ
   /         ミミミミミミヽ
   /         ミミミミミミヽ
  〈;;;;;;;;,,,,,,、    ミミミミミミミ)
   '7''''ヾ ' ヽ    ミミミミミミノ 
  /          ミ ))ミミミノ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( _ヽ、        、ノミ彡  < なんでやねん
  jjjjjjiし          彡     \_______
 `!!!!!!!´         ノ
   ヽーーー、__/


350 :考える名無しさん:04/04/09 02:33
つーか、ルサンチマンって、怨恨って訳されるけど、妬みの方がいいかも。
きつねとぶどうの話し。欲望の対象が手に入らないとき、対象を否定的に
考えて自分を慰めるという思考がルサンチマン。ルサンチマンがないという
時、その対象の価値を正当に認めること。善悪の彼岸で。

351 :考える名無しさん:04/04/09 02:36
いやあれは、感情サンチマンの回帰って語源的意味からすりゃ、むしろ
反復強迫に近くねえか?

352 :考える名無しさん:04/04/09 02:40
つーことは、ルサンチマンを克服したなんていうやつは、反復強迫が
なくなったってことになる。そんな簡単に精神分析的に「主体化」できる
なんて、よっぽど幸せなんだね。

353 :考える名無しさん:04/04/09 05:22
米国では近年いわゆる「カルチュラル・スタディーズ」が隆盛であることはつとに知られている。
わが国にもどんどん浸透してきているこの知的流派を代表する人文科学誌の一つに『ソーシャル・テキスト』というのがある。
この『ソーシャル・テキスト』の1996年春・夏号に、「境界線を侵犯すること――量子引力の変形解釈学へ向けて――」という論文が掲載された。
内容はというと、フランス人現代思想家ラカン、ジル・ドゥルーズ、リオタール等の文献からの引用をふんだんに散りばめつつ、
自然科学の領域においてまで客観的な外界や普遍的な真実の存在を否定し、認識論上のラディカルな相対主義を標傍するものだった
著者はアラン・ソーカル、ニューヨーク大学の若き物理学教授であった。
ところが、ほんの数週間後、別の雑誌誌上でA・ソーカル本人が驚くべき告白をした。
『ソーシャル・テキスト』に受け入れられた彼の論文はカルチュラル・スタディーズ系の学者の言説のパロディであり、
その中身たるや、物理を専攻する学生なら誰でもすぐに指摘できるような数学・物理学上のでたらめの数々と、
生半可な科学知識からの短絡的一般化とをつなぎ合わせた粗雑なパッチワークにすぎない、と。
つまり、彼は、大胆な「悪戯」によって、『ソーシャル・テキスト』のような先端的な大学出版誌が、
「断言調のかっこいいスタイルで書かれていさえすれば、そして『ウルトラ左翼』的なイデオロギーに迎合するものでありさえすれば」、無茶苦茶な「論文」を掲載することを証明してみせたのだった。

354 :考える名無しさん:04/04/09 05:25
ソーカル&ブリックモンによれば、J・ラカンは自然科学の概念を居丈高に、つまりいささかの説明もなく人文科学の領域に密輸したのであり、
ボードリヤールは最近でも、意味のないフレーズを意味ありげに弄んで「言葉遊びに耽っている」らしい。
都市学者P・ヴィリリオも、難解な数理物理用語をでたらめに使い、「うわべだけの博識を誇っている」らしい。J・クリステヴァはといえば、近年はともかく 1970年代前半まで、
一知半解の科学概念をまったく不適切に援用していたという。しかも、その類のいい加減さと知ったかぶりは、あのジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの場合もまったく同断であるらしい……。
『知的ぺてん』の出版後、この本を貶したり、見下したりした論評は数多く現れたけれども、事実誤認を指摘したり、著者の分析に合理的な反論を加えたりした者は一人もいない。
では。攻撃された本人やその信奉者たちは、どんな反撃をおこなっているのか。列挙してみよう。 (1) やり玉にあげられた思想家たちは科学概念をメタファーで使っているのだから、
それを額面どおり受け取って批判するのは見当違いだ。 (2) 言説の枝葉末節を批判しても、思想の批判にはならない。
(3) 哲学に対して「科学的に正しい」ことを求めるのは、思想の冒険を封殺する検閲行為だ。 (4) フランス人思想家ばかりを標的にする『知的ぺてん』は、
米国の一部の知識人の「保護主義」を反映するアンチ・フランスの書だ。ほぼ、以上に尽きる (なお、正々堂々と立ち向かうかわりに「論じるに足らぬ」といわんばかりの言辞を吐き、
無視を決め込もうとするJ・デリダその他のやり方は反撃の名に値しまい)。


355 :考える名無しさん:04/04/09 05:26
この本の影響は5年後、10年後、フランスでじわじわと表面化し、到底無視できないものとなるだろう。あの国では、思想の闘いはそんなふうに展開する。

356 :考える名無しさん:04/04/09 11:57
理系のソーカル厨うぜー。
ドゥルーズスレを荒らすなよ

357 :考える名無しさん:04/04/09 19:01
読書会再開できない?

358 :パレルゴン:04/04/09 22:58
354
それで、貴方の言っている事の背景はなんなのででしょうか。
つまり、貴方の言っていることが正しいと言う証明はなされていませんね。
言語による真理の証明は、メタ・レベルが必要になるのですよ。

それを全く無視して、書いていると言うは、君はその、記号論的問題点
精神分析的アンチ・エディプス・コンプレックス、デリダのコンテクスト論を
先ず論破しましょう。そうすれば、ポスト・構造主義は貴方の意見に耳をかしましょう。
そこから、論議が始まるのですよ。

359 :パレルゴン:04/04/09 23:04
単純に、ポスト構造主義の否決定に、数学・科学信奉者が
自分の砦の中から、矢を射たって事でしかありませんね。
その砦の中の考えが正しいとどのように証明するのでしょうか?
無理でしょうね。自分の砦の外は全く分からないでしょう。
だから、だめだと言っている子供のような態度が、多様性
を蝕んでいる事が分からないのでしょうか。
もっと勉強ですね。

360 :パレルゴン:04/04/09 23:07
先ず、1968年フランスの5月革命について
貴方は、それが、何だったのか答えてみましょう。
分かりますか。尤も、ただ、書物の丸写しならば、貴方は答えられない
でしょう。

361 :考える名無しさん:04/04/10 08:13
数学・科学信奉者が 自分の砦の中から、矢を射たって事でしかありませんね。

ばかだなあ。理解してもいない科学用語を乱発して世間の科学信仰に乗じていたクズがドゥルーズだろうが。

その砦の中の考えが正しいとどのように証明するのでしょうか?

お前はまた自分達の「砦」に退却するわけだな。

無理でしょうね。自分の砦の外は全く分からないでしょう。

自分が見えてない奴は滑稽だねえ。

もっと勉強ですね。

まともな数学と科学と分析哲学をな。低脳!


362 :考える名無しさん:04/04/10 08:16
攻撃された本人やその信奉者たちは、どんな反撃をおこなっているのか。列挙してみよう。
(1) やり玉にあげられた思想家たちは科学概念をメタファーで使っているのだから、 それを額面どおり受け取って批判するのは見当違いだ。
(2) 言説の枝葉末節を批判しても、思想の批判にはならない。
(3) 哲学に対して「科学的に正しい」ことを求めるのは、思想の冒険を封殺する検閲行為だ。
(4) フランス人思想家ばかりを標的にする『知的ぺてん』は、 米国の一部の知識人の「保護主義」を反映するアンチ・フランスの書だ。ほぼ、以上に尽きる

さあてと
このパレルゴンてのはどれかな(嘲笑)

363 :パレルゴン:04/04/10 10:12
あんがとうさん。
まあ、仲良くしようよ。
326の批判は建設的です。討議に値する気がします。
しかし、361は建設的とはいえません。「ばか」と言う発言は
哲学以前の問題を孕んでいます。よって、無視します。

362さんの批判は確かに、ポスト・構造主義批判の定番です。
なぜ、メタファーなのかという点につて、少し考えると、我々がある物質を
それは在るか・如何に在るかと考える時に、客観的な視点、(それをそのままの姿で捉える視点)
はあるのかと言う問題点が浮かび上がってきます。第二に、あるとするならば
それは、どの様に証明されるのかという問題です。
第1の点については、科学的な視点(物理学的な視点)はそのもの自体をそのとおりに
捉え得うる視点を肯定しています。しかし、先験的器官に依存してしか、物は現われない
と言う事をどう説明するのでしょうか。科学主義の方々は答えて欲しいのです。

364 :パレルゴン:04/04/10 10:18
そして、おそらく、彼らの根底にある確信とは、デカルト的な信憑性
なのです。全ての事を疑いその存在を否定しても、この「考える私の存在は
否定できない。」そこから神の存在証明となり、物質世界がこのように
体系・法則化されて我々の目の前にあるのは、神の存在を疑い得ないのも
とし、だから、神=自然の結晶した法則、は神の被造物の一つである
人間に誤謬に満ちた感覚(器官)観念を授けるわけはないとしたんです。

365 :パレルゴン:04/04/10 10:41
しかし、デカルトにしても、それは、自問自答しか出来ないのです。
我々の感覚器官はそれが正しく外界を現していると言う証明は
我々の器官の一部である脳によってしか証明されないという
悪循環に陥るのみです。つまり、「分からない。」のです。
しかし、この外界と言われるものは、先験的器官に制限されてしか現われない
事が明白であると同時に、実は、恣意的感覚より齎されたデータがそれをそのまま捉えた
とする知識となるには、時の布置の構成の中での権力との共生関係
顕になったと言えます。つまり、回りくどくなりましたが、
科学主義には外的な物質世界が人間の感覚に現われているという証明は出来ていません。
第二の答も終了しました。
ここで、では、どうしてメタファーなのかと言う事について、答えます。
この様に外の物をそのままの姿で定立出来ないという事が判明した後で、
次に、では、その人間の感覚=唯一の概念が現われるのかを考えたのが
現象学です。客観的な外の世界は分からないが人間の現象として現われる
外の世界は、万人共通か?と考えたのです。


366 :パレルゴン:04/04/10 10:44
答は、残念ながら「ノー」でした。言語の差異、文化の差異が
色々なものを真理としている事実が、文化人類学で判明します。
レヴィ・ストロースですね。また、記号論のソシュールも、
記号 シニフィアンとシニフィエの恣意性を述べました。
このようにして構造主義は生まれたのです。

367 :パレルゴン:04/04/10 10:48
よって、言葉はその指示対象を正確に言い表すのではなく
メタファー的に言い表す事しか出来ないと考えるのです。
ある意味で、コンスタティブとパフォーマティブ
発話行為の問題と絡んでいます。つまり、言葉とはその背景
を含んだ物によって言い表し、行為していると言う事です。

368 :考える名無しさん:04/04/10 21:19
こっちのスレもダメぽ、か

369 :考える名無しさん:04/04/12 03:11
なんだ、全然『意味の論理学』読んでないじゃん。つまんね。

370 :考える名無しさん:04/04/14 07:25
アラン・ソーカルというアメリカの物理学者が、ポストモダン思想の巨匠らからの絢爛たる引用をふんだんに散りばめた「境界を侵犯すること――量子重力の変形解釈学に向けて」
なるインチキパロディ論文を、米国の権威あるカルスタ雑誌『ソーシャル・テクスト』に投稿したら審査をとおって載ってしまったのだが、
その直後にソーカルが「あれはデタラメだっぴょーん」と別の雑誌でバラしたもんだからさあ大変、アメリカとフランスの思想業界は上を下への大騒ぎ、
その顛末およびイタズラの意図の整理と予想される反論への反論、ポストモダン思想家らの、
上っ面で意味不明で衒学的なだけの科学的概念や述語のテキトーな濫用についてのより詳細な批判などをまとめたのが『「知」の欺瞞』という本である。


371 :考える名無しさん:04/04/14 07:34
>>370
俺もアンチポモだけどさ オメーも朝っぱら他にやることないのかよw


372 :考える名無しさん:04/04/14 07:36
>>371
アンチポモもポモ並みに厨ってことだな
まるでソーカルのように。

373 :考える名無しさん:04/04/14 10:32
黒木さんでしょう。

374 :考える名無しさん:04/04/14 23:44
ポストモダンと呼ばれる人々の本を読んで、しばしば、あまりの難解さに、「自分の頭が悪いので、理解できないに違いない」と思って自己嫌悪に陥っていたけれど、「知の欺瞞」を読んで、一安心。
「ポストモダンはわざわざ難解な表現をつかって、分からなくしていただけなのだ」ということを論証している本書は、私の頭が悪いわけではないことを、教えてくれた。



375 :パレルゴン:04/04/15 22:39
374
いや、そうかも知れませんよ。
理解できないものを理解しようとしないと言う
脳細胞の硬直化が始まったのです。生まれた環境で学んだ思考パターン
(ロジック)が貴方の全てをつくっているのです。
柔軟に思考することが出来ていない。或いは、哲学的な思考がなされて
いない気がするなぁ〜。

376 :パレルゴン:04/04/15 22:46
哲学は、思考するそのロジックが正しいかどうかも問題にするんですね。
そこの所がない。自分の思考方法は問題になっていないんですよ。
ぎゃくに、「俺の思考能力のどこが、ポスト・構造主義を理解できなく
させているんだ?」と考えれば、今の自分に足りない物が見えてくるのです。
そして、実は、「私」と言う絶対なものが創作されたロボットであった事
を気づかせるのが、ポスト・構造主義だとしたら?貴方は驚くでしょうね。
多分貴方は分かっていない。ミッチェル・フーコー。
これは、恐い。

377 :wwww:04/04/16 05:52
哲学は、思考するそのロジックが正しいかどうかも問題にするかどうかも
問題にするんですね。
そこの所がない。自分の思考方法は問題になっていないかどうかは問題になっていないんですよ。
ぎゃくに「ぎゃくに、俺の思考能力のどこが「俺の思考能力のどこが、ポスト・構造主義を理解できなく
させているんだ?」と考えていないとみなさせているんだ?と考えれば、今の自分に足りない物が見えてくるのです。
そして、実は、「私」と言う絶対なものが創作されたロボットであった事
を気づかせるのが、ポスト・構造主義でなかったとしたら?貴方は驚くでしょうね。
多分貴方は分かっていない。

378 :考える名無しさん:04/04/16 14:40
私は、大学時代に数学の位相幾何学を専攻しましたが、著名なポストモダン系の哲学者が大学2年レベルの数学ですら理解していないことがよくわかりました。
とにかく、中途半端に数学用語をつかう自称現代哲学者が多すぎます。哲学者もちゃんと数学を勉強して欲しいと思います。
「知の欺瞞」のなかでも、ふれられていますが、特に不完全性定理に対する議論はあまりにもひどい内容が多いです。
ある種の哲学者は、実はかなり頭が悪いということを正しく認識するために、この本をよみましょう。
そして、変な哲学に熱中する時間があるのだったら、正しく数学を勉強し、それから哲学を学びましょう。
まともに、数学ができる哲学者も一杯いるのだから。


379 :考える名無しさん:04/04/16 16:44
>>378

> まともに、数学ができる哲学者も一杯いるのだから。

そのとうり!
大学教養課程くらいまでの数学修めておいてほしい。
まして、ほとんど無理解であることについて、全てを相対化して自分はそれを俯瞰しているかのように装うのは論外。
そのような破廉恥漢が多くなってきていることは、寧ろまともな哲学者、人文系学者にとって大きな迷惑。
「知の欺瞞」に快哉を叫んだのは哲学者にむしろ多かった。

380 :考える名無しさん:04/04/16 16:46
ドゥルーズ本人はその程度の数学は修めているよ。
翻訳者のせいで電波化。特に英訳。
ソーカルなんて英語でしか読んでいないし、
ブリクモンもそのへん丹念に追っていない。

381 :考える名無しさん:04/04/16 17:21
英訳したのは誰?

もっとも翻訳によって電波化したのを放置している本人の心境も理解できないが。

382 :考える名無しさん:04/04/16 17:32
>>381
バカ?
例えば日本語訳にいちいちチェック入れる奴っているか?
宇波を誰も止められない。

たしかに英語にチェックは入れられるが、
それにアメリカでも比較文学で受け入れられたから、
文学関係の訳語がそれほど間違っていないため一定の役割は果たした。

D&Gが当時はやりのサイバーパンクがらみで受け入れられたのが、
ソーカルの疑念の根本にあるんだろうよ。
山形がバロウズにうるさいのと一緒。

それにドゥルーズは二次大戦前のフランスの「数理哲学」を参照している。
日本だと田辺とか下村寅太郎が対応。

分析哲学が完全制覇した戦後のアメリカ人から見たら、
形而上学を当時の数学基礎論と同時に展開しようとする
日本やフランスの数理哲学は電波にしか見えないだろうよ。

ホワイトヘッドが消えていったのと事情は一緒。
もったいないと思うけどね。

383 :考える名無しさん:04/04/16 18:12
>>382
重大な誤解が広まっているなら、すぐに対処すべきだろ?
そのていどのこともしないで、議論のねたを無駄に提供する業界は限られているな(ゲラップ

384 :考える名無しさん:04/04/16 18:49
(ゲラップ
ってなんですか?

385 :考える名無しさん:04/04/16 19:00
勝利宣言の発作

386 :逃げるなよ:04/04/16 21:26
コピペ
26 名前: 考える名無しさん 投稿日: 04/04/16 00:34
ソーカルが述べていることは真実です。
ソーカルのいっていることはごく簡単にいると1+1=2ということだけです。
足し算すら理解できないのに足し算のできない素人に「俺は足し算ができる頭のいい人だ」といっているのがラカンやドルーズです。
「ソーカルが正しい」ことは理工系の教養課程程度の数学が理解できる人なら容易に理解できます
ポストモダン系で数学用語をでたらめにつかって自分があたかも科学にも通じているかのように装っていた人達はその程度の数学もできなかったというわけです。
だからその程度の数学すら理解できない人に「正しいことを証明」しようとしても馬の耳に念仏です。
ところでパレルゴン君は以下のことが理解できるでしょうか?駄目なら人に「証明」を要求すべきではないです。「数理言語」や「英語」ができない人に数学や英文法の「正しさ」を「証明」することなど
できないからね。
答えられますか?楽しみだ(W
ラカンが好きな人むけ(W
1、(X,d)を距離空間とする。このとき d'(x,y)=d(x,y)/{1+d(x,y)} はdと同値であることを示せ。
2、(X,d)を距離空間とし、f,g:X→Rを連続関数、c∈Rとする。このとき
(f+g)(x)=f(x)+g(x)
(fg)(x)=f(x)g(x)
(cf)(x)=cf(x)
と定義するとf+g,fg,cfは連続関数であることを示せ。
3、距離空間(X,d)の部分集合Aに対して次が成り立つことを示せ。
     (@)Aの内部=Aの補集合の閉包の補集合
    (A)Aの閉包=Aの補集合の内部の捕集合
4、(R,d(1))においてQの内部と閉包は何か。
「超」基本的問題だよーん

ところでホワイトヘッドはラッセルと共著があるぐらいだから至極まともな人。途中でおかしくなったというより、あの程度の「形而上学」は今の分析哲学なら許容範囲だよ。
というよりかつての形而上学的議論が大手を振って復活しているからね。
もっともいままで大言壮語的主張で述べられてきたことが、数理論理学のテクニックを使って論証されているのが面白いのだ。


387 :考える名無しさん:04/04/16 21:33
>>386


266 名前:考える名無しさん :04/04/16 18:01
そもそも言語のデコレーション、アートであるものに対して、
やれ、不正確な言語使用だという文句のつけ方が、暇ですなぁとしか胃炎わな。
もともとでたらめを楽しむためのものなんであって。


388 :考える名無しさん:04/04/16 21:42
原典読まないシッタカを糾弾するスレ Part2 http://academy2.2ch.net/philo/#19

389 :考える名無しさん:04/04/16 21:46
 リンクもまともに貼れないらしいね プゲラ
\________________________/
             |/
      ,.-‐''^^'''‐- ...,
    ; '          ' ,
   .;'    uvnuvnuvn ;
    ;    j        i
    ; .,,  ノ ,.==-    =;
   ( r|  j.  ーo 、  ,..of  ニヤニヤ
    ': ヽT     ̄  i  ̄}
    ': . i !     .r _ j /
    '; | \  'ー-=ゝ/   
     人、 \   ̄ノ
-‐  ̄    ' ーイ ̄ー-- 、
        ヽ | ;'     ヽ


390 :考える名無しさん:04/04/16 21:51
>>386のコピペ&シッタカはうざいよ。
「分析的」形而上学は今や完全復活だけど、
一部マニアを別にして一般的な議論の中だと
ホワイトヘッドはなかなか受け入れられてはいない。
(あの独特の文体のせいもあるんだろうけど。)



391 :考える名無しさん:04/04/16 22:00
なんでも哲学だからでつ!!

392 :パレルゴン:04/04/16 22:02
386さん楽しい反論ありがとう。
私は逃げませんよ。尤も、数理論によって世界が掌握されるなんて言うのならば、
貴方は、数学と言うプラトンの砦から出てきて、もっと広い人間の世界
を知るべきでしょうね。
さて、第一に、「1+1=2」とはどうして絶対真理なのでしょうか?
ウィトゲンシュタインは、それすらも疑っていた時代があったのですよ。
そして、また自然主義に戻っていた時代も確かにあります。

しかし、彼には語ってはいけないものが沢山ありました。それは、認識論の限界
なのです。つまり、どのような論理にも絶対に疑えない点があると言う事です。
勿論論理学も、数学もです。
例えば、この「私」とは何かと考える時、全ての、「私」に対する認識を剥奪して
いくと「私」は消えてしまいます。つまり、語り得ないものに行き着くのです。
また、数学でも、無限の問題は、ぽっかりとあいた穴の様相を呈します。
どちらとも言えない点をさらけ出すのです。

393 :考える名無しさん:04/04/16 22:09
おまいはもっと自分を疑え

394 :考える名無しさん:04/04/16 22:12
>>392
386じゃないけど。前にもどこかで同じような決め付けで数学・科学を非難していましたね。
数学も科学も「絶対真理」を掌握したなどと宣言してはいません。
数学も、あくまで議論の出発点と、推論に用いてよいルールを宣言して、
その中で建設的な議論をしているだけです。
それが絶対の真理であろうとなかろうと、現実に計り知れない成果というか効果(核兵器など悪い意味でのそれも含む)
を生み出しているということが、その内実を保証している、
との認識が、大多数の人に共有されているわけです。
そういう意味で、つまりその体系から得られる知見が、どれほどの内実を持っているか
という点で、ポストモダンが少なからぬ人たちから戯言扱いされても、
ある程度はやむを得ないのではないでしょうか?

395 :パレルゴン:04/04/16 22:14
ここまで答えると、私が、貴方の提起した数式を解くか説かないか
の問題ではない事を、貴方にも分かったでしょう。
つまり、私が言いたかったのは、問題は数式がでたらめであるから
間違いであり、数式が正しいから、真理だと言う問題では解決しない
と言ったのが、ポスト・ポスト構造主義なのだと言う事です。

勿論数学の理解が不十分だったのは、数学の専門家が言っているのですから
正しいのでしょう。しかし、同主義には、そんなことはどうでもいいのです。

数学はツールだったのです。表現の手段、創造の手段だったのです。
ぽかりあいた穴にシニフィアンを埋めたかった、次々と意味を発生させたかった
だけです。その様に、認識、対象化する科学に嫌悪を覚えながら、
遊びたかったのです。

そして、最も始末に負えない、権力との共謀関係身に付けている自身を、
数学も、科学も全解明できないでいます。そして、いまだに、ヒエラルキーの
最上階にいて、このばかな人間どもを、引き上げてやっているだと言う
妄想に取り付かれているのです。

396 :考える名無しさん:04/04/16 22:20
>妄想に取り付かれているのです。

ワラタ
つか、自分を疑えって

397 :考える名無しさん:04/04/16 22:22
> 数学はツールだったのです。表現の手段、創造の手段だったのです。
> ぽかりあいた穴にシニフィアンを埋めたかった、次々と意味を発生させたかった
> だけです。その様に、認識、対象化する科学に嫌悪を覚えながら、
> 遊びたかったのです。

そのような数学用語・科学用語の用い方に、少なからぬ人間が嫌悪を覚えるのも、
これまたいたしかたないことでしょう。

> そして、最も始末に負えない、権力との共謀関係身に付けている自身を、
> 数学も、科学も全解明できないでいます。そして、いまだに、ヒエラルキーの
> 最上階にいて、このばかな人間どもを、引き上げてやっているだと言う
> 妄想に取り付かれているのです。

相対的に既存の科学を判断基準の最優先におくことが、
いちおう今のところ妥当なのではないでしょうか?
それを絶対視しているという物言いこそ決めつけであり、
最後の2行は被害妄想です。



398 :パレルゴン:04/04/16 22:29
つまり、数学・科学は自然界がそのままの姿で存在するとの確信を
捨てていません。参考までに、「現象学的還元」と言うフッサールの概念でも
学習すべきではないでしょうか。現われるものは、人間の志向性に基づいて
意味としてしか現われないのです。この事は、如何に数理論が「それ」を
そのまま数式にて捉えたと言ったとしても、それは、意味としてしか現われないと言う事です。
「意味」とは人=個人 にとってどう言う意味を持つのかと言う現われ方をするのです。
数学も、数式も、それ自体が物自体(カント)を言い表しているのではなく
この限られた五感と限られた脳が必要とする物として、見出し、
利用しているのです。数字の1・2・3−−−− は、
人間が必要な作物の量を計るのに便利だと言う意味しかないのです。
所が、古典主義時代以降にこの事が分からなくなります。
つまり、数学はツールという生い立ちを隠しながら、いや、忘却
し、絶対真理=神 へと姿を変えたのです。このことの齎した弊害を、
ポスト・構造主義を暴いているのですよ。

399 :パレルゴン:04/04/16 22:40
それでは、貴方の言う様に、今の時代の数学に言及してみましょうね。
確かに数学は、天空の中心の位置から、引き摺り下ろされたことは事実です。
そして、統一場の理論の発見もできませんでした。位相幾何学、リーマン
曲線、非ユークリッド幾何学、不完全性の定理、不確定性理論
等手に負えない問題が山積するなかで、形而上学的演繹主義から
経験的な学問へと態度を変えているようです。
この事は多いに評価できます。もともと、ツールであるわけですから
人間の生活に根ざすべきです。そして、ポパーの反証可能性は
尊敬すべきですね。と言う事で、私は、数学を全面的に否定しては
いません。これが、結論だべ。

400 :考える名無しさん:04/04/16 22:47
私も数学が単なるツールであるとは思っていません。
公理の設定が、全くの恣意によるものではないからです。
前世紀初頭には、哲学とくに論理学との交流もありましたし、
その成果は現在の数学の中にもきちんと生きています。
もっと遡れば、もちろん哲学と未分化だったわけですし。しかし、

> 数学はツールという生い立ちを隠しながら、いや、忘却
> し、絶対真理=神 へと姿を変えたのです

これは極論ですね、明らかに。
勝手にそう思い込んで非難したいならしょうがないですね。
被害妄想が過ぎます。

>「意味」とは人=個人 にとってどう言う意味を持つのかと言う現われ方をするのです。
> 数学も、数式も、それ自体が物自体(カント)を言い表しているのではなく
> この限られた五感と限られた脳が必要とする物として、見出し、
> 利用しているのです。

万人に共有される意味だけを取り出して扱えるようにするためにも、
厳密な規則が必要だったわけです。
そういう部分があるから、工学、自然科学への応用も可能だったわけです。
数学の「個人ごとに異なりうる現れ方」をしない部分が、現実の科学・工学を支えているのは、
疑う余地がありません。





401 :考える名無しさん:04/04/16 22:56
>>399

> 形而上学的演繹主義から
> 経験的な学問へと態度を変えているようです。

誤解ですね。
そもそも数学は昔から、研究態度としては、経験主義的、実験科学的です。
しかし、少なくとも前世紀からは、最終的に正当な定理として認められるには、
公理系、前提となる定義群から形式的に演繹されることが示されてからです。
それまでは、いかに学会の全ての人間が正しいだろうと思っていても、「予想」と呼ばれ区別されます。

402 :考える名無しさん:04/04/16 23:10
心理学の科学主義的な神話学とその応用領域とのあいだに、
少なくとも3種類の結びつきを挙げることができるだろう
――もっとも、これら3つはあらゆる可能な仕方で交叉しているのだが。
それらは、禁欲的な道〔精神物理学など〕、同一化の道〔教育分析という方法〕、依託の道である。

第3の依託の道は、科学を側面的に使うことであろう。
そして科学の言表は、考察される理論に対して外在的性格を保っているか、
あるいは隠喩としてのみ使われるだろう。
精神分析のある部分は、このような仕方でも機能してきた。
たとえば欲動の経済がエロスとタナトスへと二極化するのを正当化するために、
フロイトが――真剣に<<見直した>>――カルノーの原理に言及する場合である。
あるいはその後、シニフィアンの擁護者たちが構造主義言語学を剽窃したり、
不幸なことに、どうしもない数学的トポロジーに取り組んだりしたときである。

403 :パレルゴン:04/04/16 23:18
公理とは疑いえない前提としてある以上、数学も仮説に基づいている
と言えるのではないでしょうか。個人的な現われではない、社会全体
(多数決的に)として現われる現われ方にそって、その意味を集約理解し、
論理を(数学を)高めていくことに対しては批判はないです。ただ、
エッセンスのみを強調し、個別的な考えを捨て去ると言う行為
がフーコーの言うような構造の暴力にならない事を願っています。

404 :考える名無しさん:04/04/16 23:31
せっかく>>382が興味深い話題を振っているというのに・・・


405 :考える名無しさん:04/04/17 01:55
>パレルゴン 投稿日: 04/04/16 22:14
ここまで答えると、私が、貴方の提起した数式を解くか説かないか
の問題ではない事を、貴方にも分かったでしょう。

要するに解けないっていえよ(w

ところでソーカルは物理学者だけど科学に特権的地位を与えようなんてことは考えてない。
ソーカルって原発に反対してアメリカの帝国主義政策を批判しているバリバリの左なんだけど(ワラ)

406 :Я ◆wMDHqGPerU :04/04/17 01:58
まあ、これでソーカルは名前売れたわけね。
いや、他意はないけどね。

407 :考える名無しさん:04/04/17 02:00
原発はいかん崎

408 :考える名無しさん:04/04/17 02:01
>>403
公理は「疑い得ない前提」なんかじゃないよ。

409 :考える名無しさん:04/04/17 02:05
日本の人口は多すぎ。
浜岡原発が地震で壊れて少し人減らしした方がいいな。

410 :考える名無しさん:04/04/17 02:06
ニダ

411 :考える名無しさん:04/04/17 02:08
ソーカルは「僧侶化」していく学者を批判・茶化したんだろ。

412 :Я ◆wMDHqGPerU :04/04/17 02:08
田舎ではたいしてへらないんじゃ?

413 :考える名無しさん:04/04/17 02:08
ハンナラーーーーーーーーーーーーーーーーー

414 :考える名無しさん:04/04/17 02:10
なんみょうほうれんげえきょお

415 :考える名無しさん:04/04/17 02:11
ニダニダ

416 :考える名無しさん:04/04/17 02:14
浜岡逝ったら日本はおしまいだろ。

417 :考える名無しさん:04/04/17 02:17
>>416
心配には及ばんよん。
極東には中国と韓国があるね。
後のことは任せなさい。

418 :考える名無しさん:04/04/17 02:20
浜岡原発は神、浜岡原発マンセーニダ

419 :考える名無しさん:04/04/17 02:33
北海道と沖縄はいらね。

420 :箜間桐孤 ◆TIGERSM8e. :04/04/17 07:11

く((レ゚ -゚ノァ∩<みんな自分勝手だな(・∀・ )

421 :考える名無しさん:04/04/17 17:07
ここにいるやつら、まともに数学やったことないだろ?

数学の中に、純粋持続になって没入しているときには、
相対的に、かつ、客観的に数学を考えているときとは違って、
 ※この世の中には、数学の神様がいて、
  数学的実在を取り仕切っている
って感触が沸いて来るんだよ。ほんとに。

で、そういう自分を相対化したいときに、哲学をしたりするんだけどさ。

そういう、なんというか、どうせざるを得ない必然みたいのが、
パなんとかとか言うやつの文章には感じられないよな。

422 :考える名無しさん:04/04/17 18:15
理系の人は
数学できる哲学者○
数学できない哲学者×
という評価?それとも数学できるのに哲学なんてやってるのが一番バカぐらいの評価?

423 :考える名無しさん:04/04/17 18:17
理系といっても、色々いるでしょ。
黒木みたいに、工学マンセーで「数学はトートロジーなんだから、
大学では教えるな」みたいなことを言うヤシもいる。

424 :考える名無しさん:04/04/17 18:44
純粋な理論体系はみんな同じようなもんじゃないかな。
実際そういう哲学、数学畑なんかから拝借して
日常で使える形にしていくわけだし。工学なり社会学なり。

だいたい最近の集合論やら量子力学なんかは
日常世界から見るとトンデモでしょう。

425 :考える名無しさん:04/04/17 20:23
ここもすっかりレベル下がったな…

426 :考える名無しさん:04/04/17 22:52
> 日常世界から見るとトンデモでしょう

そりゃまあそうかもしれませんが、
そもそもそれらを日常感覚で判断しようというのがdデモでしょう。

>>421
その手のセリフを吐くだけなら、誰でもできるんですよ。
本当に没入しているときは、数学の神なんちゃらいう考えすら浮かんできませんよ。
まさにそのとき対面している世界をあちこち覗き込むに熱中しているだけですから。

427 :考える名無しさん:04/04/18 09:13
>>421
その通りだと思うけど。。。
あなたも、正に「誰でも吐けるセリフ」でしか返せない所が
哀しいなぁ。この手のやりとりは。

428 :考える名無しさん:04/04/18 09:52
>>421
ドゥルーズもそういうタイプだったと思うぞ。


429 :考える名無しさん:04/04/18 12:12
>>428
折れもそう思う。

>>426
おまえ、数学(高校の宿題じゃないぞ)に限らず、
解答がない中で課題を発見して、それが全体の構造の中で新たな位置を獲得した瞬間とか
体験したことないだろ? 可哀想に。

430 :考える名無しさん:04/04/18 12:19
正直工学マンセーの奴はドゥルーズが理解できないと思う。
日本人って良くも悪くもテクノロジー志向だから、
純粋思弁を電波扱いする傾向が強いよな。
黒木とか山形とか、ようは俗物じゃん。


431 :考える名無しさん:04/04/18 12:26
>>430
パカ野郎、日本人をひとくくりにするなよ

432 :考える名無しさん:04/04/18 12:30
「人文ポモ」は一括りなのに?

433 :考える名無しさん:04/04/18 13:49
>>430
山形がカントやマルクスに興味を持つのって、どういう動機なんだろ。

434 :考える名無しさん:04/04/18 14:01
>>433
明治以来、日本には
「天下国家」を論じて「立身出世」すればよしという悪しき伝統がある。
山形はコンサルだし、モロその流れ。
けど一応教養が必要だと考えているんじゃないか?
実用主義丸出しだけど。

もちろんドゥルーズのプラグマティズムはこういう考えの対極にある。

435 :考える名無しさん:04/04/18 14:05
たったそれだけで、翻訳にまで手を染めるとは、ある意味見上げたヤシだな。

436 :考える名無しさん:04/04/18 14:17
叩くだけのためにチュミ訳しているしな
傍迷惑だが。

437 :考える名無しさん:04/04/18 14:23
>>436
>チュミ訳
って何? イミフメーン

438 :考える名無しさん:04/04/18 14:36
>>437
ベルナール・チュミの翻訳

439 :考える名無しさん:04/04/18 14:38
山形は訳者後書きでポモ叩きしかしていないので、
読みたくない奴は始めから読まないし、
買おうと思った奴には何の有益な情報も得られない、
傍迷惑な翻訳に仕上がっている。

440 :考える名無しさん:04/04/18 18:31
>>429

> おまえ、数学(高校の宿題じゃないぞ)に限らず、
> 解答がない中で課題を発見して、それが全体の構造の中で新たな位置を獲得した瞬間とか
> 体験したことないだろ? 可哀想に。


数論専攻ですが。貴方こそ論文書いたことあるの?

繰り返しますが、
その手のセリフを吐くだけなら、誰でもできるんですよ。
本当に没入しているときは、数学の神なんちゃらいう考えすら浮かんできませんよ。
まさにそのとき対面している世界をあちこち覗き込むに熱中しているだけですから。


441 :考える名無しさん:04/04/18 18:58
>>440
プププ
鉄屑板でマジレスするのは落ちこぼれと相場は決まってるはずだが

442 :考える名無しさん:04/04/18 21:30
>>440
その程度の数論だということだな。

443 :考える名無しさん:04/04/19 02:15
話を元にもどします。
資本主義の理論的背景をよく見てみるならば、ネオテクストによる物質主義を拒否するか、社会が客観価値を持つにいたると結論づけるかの選択を迫られる。
もし弁証法的脱状況主義が成立するならば、ハーバマス流の言説か、文脈に関する部分文脈化パラダイムのいずれか、の選択が求められる。
従って、文脈一辺倒のうちに組み入れられ、それが一つの現実として真実である、と見なされる。
言い換えるなら、文脈の部分文脈化パラダイムに従う限り、現実なるものは無意識のままにある混沌に由来する。


444 :パレルゴン:04/04/19 22:15
やっと、DIONからアクセス可能となったようです。
変な奴が、荒らすから、迷惑になるんだよ。
DIONからのアクセス全体をシャットアウトせずに
書き込んだ奴だけのアクセスを切断できないのだろうか?
そうすれば、他人は迷惑しないと思われるのですが?
2chの方いかはでしょうか?

445 :パレルゴン:04/04/19 22:17
「いかがでしょうか?」ですね。
それにしても、DIONの対応が早かったので、解除になったようです。
有難うございました。

446 :パレルゴン:04/04/19 22:18
443さん
意味が十分に伝わらないのですが、もう少し詳細にコメント
願います。

447 :パレルゴン:04/04/19 22:34
DIONがシャットダウンの時に、書き込もうとした事があったんだが
つまり、以前の説明で、フッサールに言及して、生活世界に基づいて数
が現われると提示していましたが、実はフッサールは数・数式は
それ自体として存在すると考えていたと思われるフシがあるんですね。

意味として個人の超越論的主観に現われるのではなく、それ自体として
個別主観的な判断に左右されないと考えたと言われています。

しかし、この点が彼の現象学的還元の限界なのではないでしょうか。
超越論的な領野に現われる、意味と言いながら、同時に客観的な基準
も設けることで、彼の、主観的哲学は破綻していると思われる。
それが証拠に、最後に彼は、形而上学を研究することになるのです。
摩訶不思議。(ブリタニカ草稿参照)

現象として全てが主観的に現われるとしながら、一部のものを主観を
超えた物と考える事で、矛盾が現われたと見るべきなのでしょうか?

448 :パレルゴン:04/04/19 22:51
勿論、矛盾を肯定的に生きると言う認識論ではない視点を
ハイデガーのように持っていれば、この矛盾も問題ではなかった
のですが、彼が厳密な哲学を目指していたのですから、
やはり、問題だったと考えるのが妥当でしょうね。


449 :考える名無しさん:04/04/20 00:05
>>442
プププ
鉄屑板でマジレスするのは落ちこぼれと相場は決まってるはずだが


450 :考える名無しさん:04/04/20 08:20
>.443
伝統的な記述スタイル、すなわち一次元線形の連結形式と、ここに認められる多重参照的、多元触媒的な営みとの間には独言に基づく有効な相互交流は有り得ません。
スケールに関する対称性、領域相互侵犯、及びそれらに基づく病的な非言説性は、排中律を中核におく古典理論からの脱却をもたらします。
しかもこのことは、我々がこれまでに批判してきた存在論的双対主義からの脱却をもたらすのです。。



451 :パレルゴン2:04/04/20 21:55
有効な交流とは、何か目的性を感じますが、目的性と言う事自体が
既に、古典的な思考なのですよ。
「存在論的相対主義」をもう少し説明求む。

452 :考える名無しさん:04/04/22 23:27
>443
これはパソコンソフト「ポストモダニズムジェネレーター」が作った文

>450
フェリックス・ガタリ作

ドーキンスは、ガタリの文を引き、これは文法的には正しいかもしれないが何をいっているのかまったくわからないとし、
文法だけは正しい文章を作成するソフトにポストモダンっぽい用語をぶち込んでデッチ上げたテクストと比較して、
ほーらいっしょじゃねえか、そしてこの文章が無意味であること以上にこんなもんをありがたがっている連中がいるということだと叩いたのだ。

453 :考える名無しさん:04/04/23 01:27
いまごろ下らないよ
難解バカボン様を知らんのか

454 :考える名無しさん:04/04/24 11:15
ほんとにほんとにポストモダンだカルスタだと息巻いている人たちにあきれ果てているところだった。
『知の欺瞞』が出ても、とまともな反論を返せないでいる。
これを理系学部と文系学部との間の闘争と読み違えたまでいる。ところが、そうではない。
あの本のなかで批判されていた連中の批判されていた部分はわけのわからない代物。
ましてや、いまだに脱領域などと英雄的に気取って見せる輩がおり・・・。 
「アナロジーの罠―フランス現代思想批判」(ジャック ブーヴレス)は、哲学内部の、それもフランスのほうから発せられた批判。
『知の欺瞞』は専門外からの不当な攻撃だとか言って言い逃れていた人、この本に反論してみろよ。
どうせできないだろう?
カルスタとかポスコロとかポモとかを大学で専攻している人たちのほとんどは才能がないのに目立とうとするなのであり、こんなデタラメを権威として引用している。
しないと自分の存在が危なくなってしまうもんね〜。 
というわけで、ポストモダン哲学をさっぱり理解できなかったあなた方、この本の著者は哲学の専門ですが、 やっぱりわからないと言っておられます。
大学に巣くう最悪のバカになる前に、この本で解毒しましょう。それが一番です。
この人は、かのゲーデルの定理についてきっちりとデタラメがなぜデタラメかを書いてくれています。
というわけで、『知の欺瞞』と併せて読みましょう。よ〜くわかるはず。
本物でなければね。


455 ::04/04/24 12:55
こいつ、勝ち馬に乗りたいだけなんとちゃうか、と小一時間(以下略

456 :考える名無しさん:04/04/24 13:00
やまがたの文章でしょ。

457 :考える名無しさん:04/05/04 19:14
★☆★無知無学な文系糞虫祭り★☆★ 絶賛開催中!!!
http://pc5.2ch.net/test/read.cgi/tech/1083624060/
/|         |  |_____ΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦΦ||ΦΦΦ
  |         |  | ̄ ̄ ̄ /|                    ||
  |         |  |   / /|TTTTTT   TTTTTTTTTT||TTTTT
  |        /\ |  /|/|/|^^^^^^ |三三| ^^^^^^^^^^^||^^^^^^^
  |      /  / |// / /|
  |   /  / |_|/|/|/|/|
  |  /  /  |文|/ // /
  |/  /.  _.| ̄|/|/|/         Λ_Λ
/|\/  / /  |/ /           (___) 表示的意味論わからずに
/|    / /  /ヽ            /〔 祭 〕〕つ 意味論騙ろうとはふてぇ奴だ
  |   | ̄|  | |ヽ/l            `/二二ヽ     みんなでまつっちまえ
  |   |  |/| |__|/   Λ_Λ     / /(_)
  |   |/|  |/      ( ´∀`)   (_)    Λ_Λ
  |   |  |/      // /  ^ ̄]゚        (`   ) 「構文が表示的意味論」(プッ
  |   |/        ゚/ ̄ ̄_ヽ         ⊂〔〔 祭 〕
  |  /         /_ノ(_)          ┌|___|
  |/          (__)             (_ノ ヽ ヽ
/                                (_)

458 :考える名無しさん:04/05/04 19:20
>>457
Aranskって、PC系の板にも来てるんだね。
貴重な情報をありがとう。

459 :考える名無しさん:04/05/04 19:56
まともな人はとっとと2ちゃんねるを去って行ったようなので
これはこれでよかったんじゃないかな、と思ったりする今日この頃。

《哲学@2chの法則@》
まともな人間はこの板に数ヶ月以上は常駐しない。

460 :ぴかぁ〜 ◆PKPKs4sF8s :04/05/04 19:58
>>459
「まとも」と言う言葉を使ってしまう時点で終わってしまっているだが

461 :考える名無しさん:04/05/05 00:24
========================
================================================
創価学会員が奇妙な「哲学」を披瀝しています。
硯学の皆さん、この男の曲学を正してあげてください……。
                ↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/

>名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/02 01:36 ???
>現在の私たちには「知識」と「知恵」の調和こそ急務です。
>その知恵の源泉こそ妙法であり、この情報化社会という
>荒海も信心という無量無辺の知恵の舵で……

>第一に大切な点は「全体性」もしくは「連関性」です。

>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
========================
================================================

462 :考える名無しさん:04/05/05 01:10
>>459
同意。
>>460
「いるだが」という言葉を使ってる時点で(以下略

463 :考える名無しさん:04/05/05 14:34
ドゥルーズの使ってる数学の概念をソーカルみたいな人が全く
とはいわないが、めちゃくちゃだと言うのは、よくわか
るけど。

哲学の方からは、ドゥルーズがどうして、こういう数学の
概念を使っているのかを説明してほしいな。

おいらは、ドゥルーズの数学概念は、衒学的だけで、きわめて
わかりずらく書いてあるけど、間違ってとらえてはいないと
おもうが、理解に偏りがあるとは思う。

哲学のほうからは、ドゥルーズが使う概念の必然性みたいなものを
教えてくれるとありがたいな。

464 :考える名無しさん:04/05/05 14:40
ドゥルーズはブルバキにたいして興味を持たなかった。


465 :考える名無しさん:04/05/05 17:41
アンドレ・ヴェイユはドゥルーズにたいして興味を持たなかった。

466 :考える名無しさん:04/05/05 17:44
>>463
哲学やってるひとは、文系ではじめから高校レベルの
数学さえまともにわかってないからね。

言っても無駄でしょうね。

467 :考える名無しさん:04/05/05 19:23
どうでもいいけどさ、
「高校レベルの数学さえ分かってにゃーい」とかゆって
自分が高みに立ってるつもりになれる人って、
高校レベルの数学しか分かってない、てことが多いよなあ

要は莫迦てことだから、何言ってもムダなんだけど


468 :考える名無しさん:04/05/05 19:50
>>463
「ガタリ以前」なら、微分・積分ぐらいでしょ。

469 :考える名無しさん:04/05/05 19:54
ベルクソン論ならリーマン多様体

470 :考える名無しさん:04/05/05 23:59
アルベール・ロトマンの数理哲学がネタ本


471 :考える名無しさん:04/05/06 11:11
>>467

高校レベルって言われたのが頭にきちゃった?文系だねぇ。それに
「高みにたってる」って、その程度の発言で高みにたっちゃわれた
ように聞こえちゃうのか・・・。とほほな香具師だね。

要は莫迦」ってのは、文脈からすると自分のこと言ってるんだよね。
その点は、検挙なところもあるんだね、君は。

>>468
ガタリ以前は、微積分ぐらいじゃないよ。D&Rは、もう少し先まで
示唆してるが・・。尻切れトンボ的に終わってる。

472 :考える名無しさん:04/05/06 11:35
>微積分ぐらいじゃないよ。
てのがもう莫迦まるだしなんですけど…
まあいいや

世の中にはこうして「文系」幻想を育んで
心の支えにしている香具師も多いらしい
おまいらおめでてーな

473 :考える名無しさん:04/05/06 11:46
前の方で触れていた人いるけど、フランス現代思想については、翻訳の問題が結構大きいと思うよ。
誤読される可能性があるなら、ページの半分使ってでも解説するぐらいでないと。
御用学者の翻訳は摘発していかないとよくならないよ。

474 :考える名無しさん:04/05/06 16:01
とほほage

475 :考える名無しさん:04/05/06 16:04
宇波が生きている限りむりぽ
そのポジションに収まる財津もDQN


476 :考える名無しさん:04/05/06 16:28
財津駄目?

477 :考える名無しさん:04/05/06 16:31
翻訳者の摘発スレはあっていいかもしれない。
というか、2ちゃんこそ、そういうの得意なジャンルだろ?
名前だけで売れてる書物を廃刊させて、新訳を供給させるべきだよ。需要はあるんだからさ。

478 :考える名無しさん:04/05/06 16:32
>>472

文が意味不明なんですけど。

微積分くらいじゃなきゃ、なんなんですか?おまいの、莫迦まる
だしの意見をしゃべれや。

文系幻想?文系は、あほだっていう幻想のことかい?

479 :考える名無しさん:04/05/06 16:35
アルベール・ロトマンって訳されてるの?

480 :考える名無しさん:04/05/06 16:46
>>477
このスレや、ベルクソニズムスレがそうじゃない。
ちゃんと機能していればの話だけど。

481 :考える名無しさん:04/05/06 17:03
宇波彰訳は、『カフカ』を読んで懲りたよ。
この本にちなんで「機械」というテーマで、寺山修司と対談するんだけど、訳者のわりに何だか分かってないんだよね。寺山の対談集のなかでも一番ひどい出来だった。

482 :考える名無しさん:04/05/06 18:51
>>480
そうそう、摘発もいいがそんなの飛び越えて具体的に示しちゃえばいい

483 :考える名無しさん:04/05/06 20:57
誰かベルクソニスムのスレ続けれ


484 :考える名無しさん:04/05/07 00:13
>>471
「差異と反復の」邦訳のp85下段の文章をきちんと把握しようと思うと、
 ※正則点と特異点 … 特異点の配置が正則点の積分値の値を決定付けている
といった複素関数論の学部初等程度の知識は必要だな。

485 :考える名無しさん:04/05/07 00:27
>>484
以前ドゥルーズスレに来て、「千のプラトー」の話をしていた、
数学畑の人?

486 :考える名無しさん:04/05/10 00:55
========================
================================================
おかしなおかしな「創価学会哲学」展開中!

哲学板の「漢」たちよ!ふざけた屁理屈に鉄槌をくだして
やってください。
                ↓
大切な想いをあなたに伝えたい/創価・公明@2ちゃんねる
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1083426009/

名前:希水 ◆O5iHeCraTI 投稿日:04/05/09 12:28 ???
これまでの近代の歴史は、総じて「理性の勝利こそ人間の勝利」
との信念で進んできました。理性を至上とし、また知識の獲得を
第一とした歩みでした。その一方で知識を使いこなし、いわゆる
合理的理性を一歩深くリードする「知恵」の開発は十分ではあり
ませんでした……。

>深層心理学や生態学の成果が明らかにしているように
>人間と人間、人間と自然・宇宙との関係を追っていけば
>つながりは無限に広がってゆくでしょう。
>小宇宙(ミクロ・コスモス)と大宇宙(マクロ・コスモス)とは……
===========================
======================================================

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read.cgi ver 05.02.02 2014/06/23 Mango Mangüé ★
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