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「哲学」について哲学者たちが遺した言葉

1 :考える名無しさん:04/03/11 12:37
哲学はいったいどういう営為なのか?哲学はいったいどう学べばいいのか?
哲学を学ぶ人は、哲学を続ける限りこの問いから逃れることは出来ないでしょう。

そこで、参考とするために、
哲学とはどういうものなのか、哲学はどう学べばいいか、などなど
古今の哲学者たちが「哲学」について書き残したor語った言葉を
このスレに集めてみましょう。

※基本的に哲学者の著作、あるいはそれに準ずる口述の記録から
 引用するかたちで進行させていってください。
 その際、引用の出典を(簡略でいいので)記すようにしてください。

2 :考える名無しさん:04/03/11 12:40

散歩の時間だな

3 :考える名無しさん:04/03/11 12:41
「道 ― 著作ではない」

(ハイデガー、『ハイデガー全集』巻頭言)

4 :考える名無しさん:04/03/11 12:41

オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき


5 :考える名無しさん:04/03/11 12:48
「現象学が一つの学説ないしは一つの体系であるよりもまえに
 一つの運動であったとしても、それは何も偶然でもなければ詐欺でもない。
 現象学はバルザックの作品、プルーストの作品、ヴァレリーの作品、あるいはセザンヌの作品と同じように、
 不断の辛苦である――おなじ種類の注意と驚異とをもって、おなじような意識の厳密さをもって
 世界や歴史の意味をその生れ出づる状態において捉えようとするおなじ意志によって。
 こうした状態のもとで、現象学は現代思想の努力と合流するのである。」

(メルロ=ポンティ、『知覚の現象学』序文より、末尾)

6 :考える名無しさん:04/03/11 12:52
「哲学が何であるかは、誰もすでに何等か知っている。
 もし全く知らないならば、ひとは哲学を求めることもしないであろう。
 或る意味においてすべての人間は哲学者である。
 言い換えると、哲学は現実の中から生まれる。
 そしてそこが哲学の元来の出発点であり、哲学は現実から出立するのである。」

(三木清『哲学入門』より)

7 :考える名無しさん:04/03/11 19:24
「中島君、いい勉強法を教えてあげます。
 フッサールを読むのです。朝から晩まで読むのです。
 9時から始めて、お昼までで1ページ。
 ご飯を食べて晩まででまた2ページ。これをずっと続けるのです。」

(故・大森荘蔵の言葉。 中島義道『哲学の道場』(ちくま新書)より)

8 :考える名無しさん:04/03/12 02:33
「哲学というものはひとに見てもらうためにするものではありません。
 ひとからほめて貰うためにするものでもありません。
 いい成績を取るために哲学を勉強したり、他人から認められるために論文を書いたり、
 知らぬことを知った振りするために哲学するほど、哲学にとって外道はありません。
 一言にして言えば、「衒う」ということが哲学の最大の敵なのです。
 哲学はただ自分ひとりのためにするものです。」

(澤瀉久敬『哲学と科学』(NHKブックス)より)

9 :考える名無しさん:04/03/13 15:51
>1さん

ネタ切れですか?

10 :ポール:04/03/13 16:03
>>7
一日2ページか・・・

11 :ポール:04/03/13 16:07
いや、3ページか・・・

12 :考える名無しさん:04/03/13 16:20
関連スレ(?)

哲学者による『哲学の定義』
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1060453002/

13 :ポール:04/03/13 16:21
大森荘蔵

http://d.hatena.ne.jp/Paul/20010101


14 :考える名無しさん:04/03/13 22:42
末期ハイデガー「ワシが『存在』なのだよ、キミ!」

15 :考える名無しさん:04/03/14 00:44
ポールの現象学は死角がたっぷりあるのだが、なぜか指摘する人はいない。

16 :考える名無しさん:04/03/15 03:01
>1さん

物色中でしか?

17 :考える名無しさん:04/03/15 03:08
漏れは「存在と時間」の序論だけ50回位読んでる。
その先は、まだ未知の世界。

18 :考える名無しさん:04/03/15 03:18
「神は死んだと!」もう100回位叫んだよ

19 :考える名無しさん:04/03/16 10:53

オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき



オレの尻
尻なめろ 尻なめろ
つまらぬ小言をブゥブゥ言わず
愉快に楽しもう
愚痴やボヤキなどは無駄なこと
さあ 愉快に楽しもう
この今のひととき




20 :考える名無しさん:04/03/16 10:56
ハッキリ言うがwwwwwwww

党員の妄想なんかに興味ないんだよ

21 :考える名無しさん:04/03/16 10:56
.       _________
      /━━━━━━━━━ \
     |┃| ̄ ̄|. 〇 〇 [大月]┃|
     |┃| ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|┃| プオーン!!!
     |┃|__||______|┃|
     |┃               JR ┃|
     |┗━━━━━━━━━┛| \('A`)/ ミ     イキルノ マンドクセ
     |   ━━ ━━ ━━.  |   ( )  ミ
     |     [中央.特快]    |   └└ミ 
     |      \_/      .|
     |  〇     ━━━   〇  |
     |___________|
      │     │[=.=]|     | 
      └─────────┘


22 :考える名無しさん:04/03/16 16:00
「 私の意図は、形而上学にたずさわることを価値があると思う人たちすべてに、
 彼らの仕事をしばらく中止し、これまでに起こったことをすべて起こらなかったと見なして、
 何よりもまず「そもそも一般に形而上学のようなものは可能なのかどうか」という問いを
 提起するのがどうしても必要であることを納得させることにある。
  形而上学が学問であるなら、形而上学が他の諸学問のようには
 全般的持続的な承認を得られないといったことがどうして起こるのだろうか。
 また、形而上学が学問でないのなら、形而上学が学問であるかのようなふりをして、
 たえず気取った様子を示し、人間の悟性を欺いてけっして消えることのない、
 それでいて満たされることのない希望をいだかせるといったことがどうして生じるのか。
 そこで、われわれにとっては、自分の知を論証することになるにせよ、ともかく一度、
 この学問と自称しているものの本性について何か確かなことが見定められねばならない。
 それというのも、形而上学はもはやこれ以上同じ状態に止まるのは不可能だからある。
 ほかのどの学問もたえず進歩しているのに、知恵そのものでありたいと望み
 人間だれもがそのお告げをたずねるこの形而上学では一歩も前進せず、
 いつになっても同じ場所を廻っているのは笑われても仕方がないように思える。
 実際また、形而上学はその傾倒者のきわめて多くを失っているのである。
 そして、他の学問で異彩を放つだけの十分の力量があると感じている人々が
 あえてこの形而上学で名声を得ようとするのをわれわれは見かけない。
 ところが、この形而上学では、ほかのすべてのことには無知な人が
 だれでもはばからず決定的な判断なるものを下している。
 それは、この(形而上学という)国には実際のところ、根本にまでさかのぼる思考を
 浅薄な雑談から区別する確かな度量衡がまだないからである。

23 :22(続き):04/03/16 16:02
 (中略)
  ひとつの学問がそもそも可能かどうか問うことは、その学問の実在を疑うことを前提している。
 ところが、そういう疑いは、全所有物がおそらくこの宝物と思い込んでいるものであるかもしれないような
 すべての人たちの気持を損なわせる。だから、こうした疑いを口にもらす人は
 あらゆる方面からの反対をしっかり覚悟しておくほうがよい。
 或る人たちは、自分たちの古いまさにそのために正当と見なされる所有を誇らしげに意識して、
 彼らの形而上学の摘要を手に持ち、疑いをもらす人を軽蔑して見下すであろう。
 またほかの人たちは、何にしても、すでにどこかで見たものと同じものしか見ないので、彼の疑いを理解しないであろう。
 こうして、しばらくは近い将来の変化を気づかわせるか、
 あるいは期待させるような何ごとも起こらないかのように、万事があり続けるであろう。
  それにもかかわらず、あえて私はこう予言しておく。自分で考えるこの『序説』の読者は、
 彼のこれまでの学問を疑うだけではなく、やがては、そのような学問は、ここで述べられる要求が満たされなければ、
 学問の可能性がこの要求をもとにしているのだから、まったくあり得ないこと、
 そして、この要求の充足はまだけっしてなされていないので、
 まだいかなる形而上学もないことを十分納得させられるであろうと。」

 (カント『プロレゴーメナ』 序言より)

24 :考える名無しさん:04/03/18 13:52

ああっ、もうダメッ!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
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ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!



25 :考える名無しさん:04/03/21 20:42
哲学者の言葉ではないが、面白いたとえだと思ったので転載。


まじめに人生の目的を考えませんか?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1079496777/518

 518 名前:考える名無しさん[] 投稿日:04/03/19 21:53
 子供たちがみんなで空き地に野球をしに行くことになった。
 行く途中、ある一人の子が道端にアリたちがぞろぞろと巣穴にものを運んでいくところを見つけた。
 その子はそのアリたちの生態に心を掴まれて、
 他の子たちをほっぽらかしてずーっと見守ってその場から動こうとしない。
 「そんなのどうでもいいから、早く空き地に行こうぜ」と他の子は言うが、
 その子はそんな声も耳に入らず、アリたちに見とれてその場から動こうとしない。
 結局他の子はその子をその場に置いて、空き地に野球をしに向かう。

 その子がアリたちがすっかり巣に入るのを見届け、
 「見て見て!このアリたちすっごく面白いんだよ!」と
 他の子たちにその面白さを教えようと声を上げるも、
 その時にはすっかり日は暮れ、当然のことながら周りにはもう誰もいなかった。


 哲学にとり憑かれた人って、このアリを見守ってた子供のようなもんだと思うんだな。

26 :考える名無しさん:04/03/26 11:27
信じることについて

自分を信じるのはむずかしい。少なくとも宗教を信じるよりもよっぽど難しい。
誰かから与えられ、すでに言葉によって一通り体系化された思想の集まりである宗教を信じるのはたやすいものだ。
本を開けばそこに教えが書かれていて、答えを見つけることが可能だからだ。少なくとも答えを見つける行為を行える。
 
それと比べて自分を信じることは難しい。たぶん自分を信じる最初の頃は本当に小さな確信しかないことに気づく。
いや今それに気づいた。あることについての文章を書いてからそのような気持ちになれた。本当に小さな確信。
その小さな確信が積み重なってようやく、それが信じることの大きさの度合いになるのだとわかった。
まず自分が0地点にいることに気づき、プラスの方向へ歩こうとする。
自分をよく知ろうとする。
一つ一つ、生き方を検証する。
あらゆる可能性を試す。
そして、未来に絶対はない。未来はわからない。
そういったことを、ひとつひとつ踏まえて、僕はなにかを信じられるのだと気づいた。
思い出を大切にする。それがどういうことなのかというと、思い出から逃げないこと、そのときの気持ちを思い出すこと、
そのときの僕と今の僕の違いを知ること。そのようなことの、やはりつみかさね。思い出を大切にして、
それから得ることのできる「信じる」は小さいけれど、それは冬の夜空の星のように、小さくまたたいている。
それはポケットに入れられるくらい小さいけれど、あたたかさを感じる。そのあたたかさはきっと勇気、なのだろう。
僕は自分を信じることができた。その証みたいなものを今日手に入れた。心が闇であるとしたら、それは星なのだ。
たぶん手に届かないほど遠くにある星。その星をきょう僕は見つけた。
少なくとも僕は信じることができる。それを知ることができた。ありがとう。僕はただ感謝する。きっと神さまにだ。
それと自分を信じるその確信は、本当に小さなかたちをしている。しかしそれは決して壊れやすいものではないと思う。
ただ遠くにあるだけなのだ。その星の光のあたたかさが、ぼくを生かすことができる。
 
ぼくは、すくなくとも生きているあいだは、何かを信じていたい。 心にたくさんの星を
ホシニネガイヲこめて。


27 :考える名無しさん:04/03/26 12:21
「自由」について   [ハイデカー入門 竹田青嗣著 講談社メチエ p182]より

では人間の自由が、存在を正しく「真理」の姿において露わにしうる
その根拠はどこにあるのか。ここが特に重要な点だが、ハイデカーの
答えはこうである。

   現存在が単に脱自的に実存するのみならず、同時に執自的に実存する
   −換言すれば、恰もそれ自身において開いている如き存在するものが
   呈示するものを執拗に固持する−という事態である。
   脱自的に実存する現存在は執自的に実存する。執自的な実存においても
   秘密は支配するが、しかしそれは真理の忘却された本質、従って「非本質的」
   になった本質として支配する。(選集11巻 木場深定訳p.31)

手っとり早く言うと、ハイデカーは"ほんとう"の自由と"うそ"の自由がある、と言って
いる。「執自的な実存」、自己中心性にこだわる実存はうその「自由」だが、この
「自由」はさまざまな存在者に向き合って、その存在の本質を「ほんとう」の形で露
わにすることができない。そして脱自的な自由こそが存在の「ほんとう」を露わにする、
というわけである。

28 :考える名無しさん:04/03/29 23:33
保守

29 :考える名無しさん:04/03/30 06:54

早朝から車でJラップ流してるドキュンは皆殺しにしてよい

これが断言できます。

定説なんです。

30 :考える名無しさん:04/04/01 18:14
「存在が一定の性質をもつのは、一見すると、他のものと関係するからこそで、
その運動も外から押しつけられるかに見えるが、実は、他との関係は、
その存在のもとに生じる自己運動であって、存在が単一の思考だというのはまさにそのことなのである。」

(ヘーゲル『精神現象学』より)


31 :考える名無しさん:04/04/02 19:48
哲学とは人間が出来る最高の贅沢です

ヘーゲル

32 :考える名無しさん:04/04/03 11:54
「脱自」できてるかどうか、誰が、どうやって判断するんだろう。
自覚に頼るのかな。

「脱自」を自覚したとして、その自覚自体が“「執自的な実存」、自己中心性にこだわる実存はうその「自由」”ではないと、誰が、どうやって判断するんだろう。
それも自覚に頼るのかな。

33 :考える名無しさん:04/04/13 08:09
 

34 :考える名無しさん:04/04/15 19:00

物置小屋に一晩泊めてもらう事に。しかし、その娘のあまりの美しさに目がくらんだ3兄弟は、
夜中にトイレに起きてきた娘に襲いかかった。
だが3兄弟は土下座して必死に謝った。父親は、「ここは山奥で食料も少ない。
山から食料を持ってきたら、山のふもとへ抜ける裏道を教えてやろう」と、条件を出した。
3人はすぐに小屋の近辺を探した。
はじめに戻ってきたのは次男だった。次男は、山ブドウを持ってきた。
それを見た父親は、「それをケツの穴にいれて見ろ」と言った。
次男は言われるまま、1粒のブドウを自分のケツの穴に入れた。
そして次男は裏道を教えてもらい、無事山を降りた。
次に、三男が大きく実った栗を沢山抱えて戻ってきた。
父親は同じようにケツの穴に入れることを命じた。
三男は必死に頑張って、栗をケツの穴に入れ始めた。
もう少しで入るという所で、三男は何故か笑ってしまい、栗はケツの穴からいきおい良く飛び出した。
三男は、そのまま父親に殺された。
三男は見てしまったのだ。
嬉しそうに、スイカを抱えてこちらに走ってくる長男の姿を・・・


35 :考える名無しさん:04/04/22 20:29
保守

36 :考える名無しさん:04/04/23 13:47
>>32
>自己中心性にこだわる実存はうその「自由」”ではないと、誰が、どうやって判断するんだろう。
>それも自覚に頼るのかな。

哲学がそれを判断するのではないでしょうか?

37 :考える名無しさん:04/04/23 14:27
「自然は飛躍しない」 チャールズ・ダーウィン

 哲学板は飛躍の嵐だが。

38 :考える名無しさん:04/04/24 02:34
>>36
>哲学がそれを判断するのではないでしょうか?

判断の主体が「哲学」じゃちょっと‥‥。
それだと「哲学」っていうブラックボックスを用意しておけば、どんな質問でも「その答は哲学が出す」で、なんでも片付けられてしまうよ。

誰が判断してるんだろう? 結局自分じゃないの? その是非はともかく、事実として。
~~~~

39 :考える名無しさん:04/04/24 04:06
>>38
哲学的思索の結果、誰もそのような判断しないというのが正解ではないでしょうか?
事実として申し上げましたが。。。

少なくとも私はそういった案件に解答を出したことなどはありませんよ。
また哲学そのものは答えを出すためにあるわけではないです。

詭弁に聞こえますかね? まあ良いけど。

40 :考える名無しさん:04/04/24 04:12
じゆん

41 :考える名無しさん:04/04/24 09:15
詭弁とまでは言いませんよ。

>哲学的思索の結果、誰もそのような判断しないというのが正解ではないでしょうか?
その答はその答で可だと思います。
ただ、判断してるのは自分である事もまた、事実でしょう。

42 :考える名無しさん:04/04/24 10:58
>>41
そうですね。
そこまで問い詰められてしまうなら、きっと自分なんでしょうね。しかし、脱自
を要請したのは自分なのでしょうか? それを判断させたのは自分なのか?
そう考えてみると、自分にその判断を促したその人というのは、哲学書、その
他の本、小説、哲学者、または友人、家族、仕事仲間、恋人と言うことになり
ます。どれも肌で触れられ、じっと見つめられる存在です。そういったリアリテ
ィのある他者です。(この2ちゃんねるでの出会いも当然含まれます) 決して
自分一人の力で判断するとまでは思いませんね。

どうも、こう言った議論は空想じみていて嫌なのですが、たぶんあなたもこう言
ったことを聞きたい訳じゃないでしょう。なんで、これも機会ですので、お答えし
ておきますね。

脱自について言えば、うそ、ほんとの定義は竹田青嗣氏の分かりやすい解説
ぐらいに理解しておくのがよいのかなあと思いました。自分は原文を読んでい
るわけではないので、それ以上の解釈は避けたいかなと思います。なぜなら
解釈についてはいかようにも反論は可能でしょうから。

あとどうも思われるのは、脱自しているか、それとも執自しているかどうかと言う
のは、そもそも自覚的な内面洞察のような類ではなく、他者や社会を評価する
ための指標としての意味ではないかと思いました。客観的だということです。自
分が自分を判断するのではなく、自分が他者(もしくは、他者性)を評価する。
あの文は、そのように捉えるのが自然ではないかな〜と思われるんですよね。

それでも自分は、自分が脱自しているかどうか判断しているとして、それが傲慢
な精神とまでは思いません。その志向性そのものは、他者との関わりのなかで
育まれる限り、尊いものだと理解したいですね。価値基準をころころ変えられる
ほど人生は長いわけでもないですよね。私の考えはこんな感じです。

43 :考える名無しさん:04/04/24 11:40
「まずアリストテレスの中に入って厳密に読んでいくのです。
 そして、そこにおもしろい問題が発見できなければ、
 アリストテレスなど捨ててしまうのです。」

(大森荘蔵がアリストテレスを学んでいる学生に向かって言った言葉。
 中島義道『哲学の道場』(ちくま新書)より)

44 :考える名無しさん:04/04/24 12:52
>>43
ふーん(w

了解しましたよ。
それで本棚が軽くなればいいんだけど、とてもとても
恐れ多くてできませんね(単にもったいないだけですが)
でも『アリストテレスの中に入る』という表現はとても
いいですね。いつもそういう風に本に向き合いたいとは
思いますが、なかなか難しそうです。

45 :考える名無しさん:04/05/02 22:05
 

46 :考える名無しさん:04/05/10 21:02
「哲学の基本的知識をえたいと思う学生は、入門書から概観をえようとするよりも
 偉大な哲学者たちのある著作を読む方が容易で役立つことを見出すでしょう。
 つぎの著作はとくに推奨されます。

 プラトン『国家』 とくに第6巻、第7巻
 デカルト『省察』
 スピノザ『エチカ』
 ライプニッツ『単子論』
 バークリー『ハイラスとフィロナウスの間の3つの対話』
 ヒューム『人間悟性論』
 カント『プロレゴーメナ』                                 」

(バートランド・ラッセル『哲学の諸問題(哲学入門)』より 巻末に載っている文献ノート)

47 :考える名無しさん:04/05/13 10:08
「哲学の競走で勝つ者は、一番ゆっくり走れる者、つまりゴールに一番最後に到達する者だ。」

(ウィトゲンシュタイン 『反哲学的断章』より)

48 :考える名無しさん:04/05/13 10:28
「哲学とは、いつも同じところを掘り返している道路工事のようなものです。
 それは、しかし、年度末に予算を消却するためにではありませんが。」

 (ハイデガー)


49 :考える名無しさん:04/05/13 19:51
>>48
ハイデガーじゃないだろ。
自分の言葉だろ。

50 :考える名無しさん:04/05/14 20:43
「哲学という概念のもとに集められるひとかたまりの思想へ近づくために一つの入口が求められる時、
すなわち哲学的領域にはそれ自体属していない他の精神的な世界の位置から哲学の概念を規定しようとする時、
このような要求はわれわれの既与の認識の構造によっては満たされないであろう。
なぜなら、「哲学とはなにか」という問題は実際にはただ哲学の内部において、
すなわち哲学の諸概念とその方法とによってのみ解決されるからだ。哲学自体がいわば哲学の第一の問題なのである。
恐らくいかなる他の科学もこのような仕方で自己自らの本質を問い返すことはあるまい。
物理学の対象は物理的科学そのものではなくして、例えば光学現象や電気現象などである。
言語学はプラウトゥスの原手記やアングロサクソン語の格の発展を問題にする。しかし言語学そのものを問題にすることはない。
哲学は ―そして恐らくは哲学のみが― それ自身の思考方法ならびにそれ自身の意図の中で
これら思考方法と意図の前提を規定しなければならないという、独特の循環の中を運動する。
「哲学とはなにか」、いやそれのみでなく、「哲学は一般に存在するのか」
あるいは「哲学とは要するに意味なき幻想の別名にほかならないのだろうか」ということの解決は
ただ哲学自体だけができるのであるから、外部から哲学の概念への通路は存在しないのである。」

(ジンメル 『哲学の根本問題』より )

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