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【教皇】聖職叙任権闘争【皇帝】

1 :世界@名無史さん:03/12/10 20:28
グレゴリウス7世をはじめとするローマ教皇たちが行った改革に
ついて語ろう。
これらの改革が行われる前のローマ教皇は、神聖ローマ皇帝に
対して劣勢であり、シモニア(聖職売買)やニコライズム(聖職者の
妻帯)が普通に行われていた。


2 :あらいぐま ◆6IX3ooIIIo :03/12/10 20:29
2ゲトズサ( ;´Д`)ハァハァ

3 :世界@名無史さん:03/12/10 20:53
9世紀から10世紀のローマ教皇庁の記録を読むとすさまじいね。
破門された教皇ファルモススの死後の裁判と死体陵辱とか、
ヨハンネス12世は聖職にありながら武装し、飲酒・殺人・放火・賭博・
狩猟などあらゆる悪徳にふけったとか。

4 :あらいぐま ◆6IX3ooIIIo :03/12/10 21:11
中世の教皇とかって生臭坊主ばっかというイメージ。

5 :世界@名無史さん:03/12/10 21:18
全員が生臭だったわけじゃないけどね。
上で書いた9〜10世紀の教皇たちと、
ルネサンス期のアレクサンデル6世などが悪名高い。


6 :世界@名無史さん:03/12/10 21:20
>>5
ロドリゴ・ボルジアだな。
異名が「神を欺いた男」だっけか?

7 :世界@名無史さん:03/12/10 21:34
ドイツ中世史の阿部謹也氏の本を読むと、
教皇側では司教の叙任権は国王や俗人のものではないと繰り返したが、
ドイツでは伝統的に国王は俗人とはみなされていなかったと指摘している。
国王はChristus Dominiであり、いかなる人間よりも高められて聖なる職位
についていると見なされていた。
したがって教皇側の主張は単に司教叙任権のみならず、国王の存在
そのものに対する侵害を意味していた。


8 :世界@名無史さん:03/12/10 22:03
http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~miyajima/_tQ7ETtH.html
ハロルド・バーマン『法と革命:法制度における欧米的な伝統とは何か』

従来、歴史学者が「叙任権闘争」とか「グレゴリウス改革」と呼んできたものを、バ
ーマンが敢えて「革命」と呼ぶのは、それが根本的な変化を欧米にもたらしたと考えるか
らである。おなじキリスト教会といっても、1050年から1150年の「教皇革命」を経験する
までのカトリック教会と「教皇革命」後のカトリック教会は、別物であるという。また東
方正教会は「教皇革命」を経験しておらず、これがロシアの政治や社会のあり方を欧米と
は異なったものにしているという。なお、バーマンはバルカン諸国を取り上げていないが、
バルカン諸国もロシアとおなじ東方正教会に属しており、政治や社会のあり方はロシアと
おなじと考えてよいはずである。


9 :世界@名無史さん:03/12/11 20:39
つまり聖俗分離が進んだということですよね?

10 :世界@名無史さん:03/12/12 00:28
>>9
Yes.

日本においては中世の一時期を除いて、このような聖と俗の真っ向対決というのは
存在しなかったでしょう。

中国でも、皇帝が仏教の僧侶に皇帝礼拝を望み、仏教側も最初反発するものの、
徐々に中国的倫理観に仏教をあわせようという動きが活発になっていきます。
また唐代において仏教が栄えたといっても、それはあくまで中国の皇帝が監督する
形の仏教に対してでした。

古来からタイ国王は『仏教至高の擁護者』とされています。
タイ、スリランカ、ミャンマーについて共通の現象といえるのは、南方仏教が
歴史的に王室主導型の仏教とし発展、定着してきた、という点です。



11 :世界@名無史さん:03/12/23 03:11
ヴォルムス協約
カノッサの屈辱で有名な叙任権闘争の終わり,
1122年、聖職叙任権闘争終結。
ライプニッツは政教協約と正格づけた。

12 :世界@名無史さん:03/12/26 00:22
始まりは、四旬節公会議に始まる。

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