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武士・侍って弱くないか? 二太刀目

1 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/10 20:40
別にんなこたねーと思うんだが。

2 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/10 20:43
前スレのリンク貼り忘れて2get!

武士・侍って弱くないか?@世界史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046280239/

3 :世界@名無史さん:04/01/10 20:44
あーあ、立てちゃった・・・・
仕方ないから、とりあえず乙と言っておいてやるか。

4 :世界@名無史さん:04/01/10 20:53
武士が弱いってこたあないよ。

ちょっとアホなだけで

5 :世界@名無史さん:04/01/10 20:58
どの国の戦士だってアホゥは沢山いただろ。

6 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/10 22:17
>>1
荒れることの分かりきっている(しかも話題のループしそうな)スレを削除
厨のあなたがお立てになられるとは。

7 :世界@名無史さん:04/01/10 22:45
>>4
当時の日本は、ポルトガル人に発見されたばかりの文明以前だったからしかたない。

8 :世界@名無史さん:04/01/10 23:21
>>6
必要悪でしょう。

9 :世界@名無史さん:04/01/11 00:39
んじゃ、ネタ投下。

「兵の強さは、陸の広さ(多彩さ)とその陸に住んでいる人数におおよそ比例する」

これは成り立つかどうか?

広い&人が多い → 戦争が多彩、大規模になる → 兵が強い …という考え。
真であるならば、数千万の人口で地形は複雑だが広くはない日本のサムライは大して強くないという結論になるがどうか。

10 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/11 01:05
「兵の強さ」ですか。「軍の強さ」ではなくて。

11 :世界@名無史さん:04/01/11 02:12
まあ軍でもなくて、武器でもないとすれば、
強いでしょう。武士の精神は。

12 :9:04/01/11 02:55
>山野氏

兵っす。侍や武士は軍を表す語じゃないし。
言い換えると、「強い体と精神、様々な技術を身につけた強い戦士というのは、
様々な敵と様々な場所を移動して戦う必要のあった軍から生まれると考えて良いか」
という感じ。
前スレの最後が悲しかったから、叩き台のネタにでもしてちょ。

13 :世界@名無史さん:04/01/11 07:39
剣道は防御を捨てたから何とか言っていた阿呆へ

少しでも剣道や剣術を習っていれば、日本刀というのが楯を必要としない
武器であり、刀そのものが防御兵器である事が理解できます。
日本古来の、防御による「受け」ではなく移動による「避け」を重視した戦い方も、
熟練者が使う日本刀はかすっただけでもザックリ切れる物凄い切れ味となり、斬られた場所によっては
そのまま致命傷になるから、敵に斬られず、なおかつ自分は敵を切ることが出来るような戦い方、
すなわち防御と攻撃の動作がそのまま同じになるような戦法を生み出したのです。
つまり、斬られたらほぼ即死ぬので、避けるほうが効率的なのです。
あと、昔の日本人の体格では鎧を来て刀や槍を持った上に楯まで持てない、という理由もありますが。
よくチャンバラなどで刃のしのぎ合いを見かけますが、アレをやると普通は刃がボロボロになるから
やらない、という素人の主張はは半分嘘です。
確かに刃が零れるので滅多にやりませんが、敵の斬撃をどうしても避けられない場合のみ、刀を楯として使う非常手段なのです。
一応、剣道の型として刀で敵の攻撃を防御する型もちゃんと存在します。
というか、斬られそうなのに持っている物で受けない奴はただの阿呆です。

現在のスポーツの剣道で竹刀と防具だけで防御を、とか言ってましたようですが、
あれはそもそも、大昔は真剣で稽古をしていたため死傷者が絶えず、代わりに竹刀と、
さらに防具をつけていたものが、明治以降にスポーツとしての発展を遂げて現在の形になったものです。
あれには、スポーツはスポーツでしかないのだから、怪我をしないようにという以上の意味はありません。

何勘違いしてるんだ阿呆。
もっと基本的なことを勉強してからものを言え。
日本刀による戦い方に楯は必要ありません。
そもそも日本刀は、片手剣ではありません。
太刀は長さと重量からして両手剣であり、打刀はせいぜい片手半剣、小太刀や脇差はショートソードやナイフ、
つまりサブウェポンであり2刀流などの流派を除き普段は使わないものです。

14 :世界@名無史さん:04/01/11 09:35
>>9
その理屈で行くと古代ギリシャの重装歩兵なんか激弱かった事になる。
どこの文明でも、平野の農耕民は常に数が多いとはいえない蛮族に苦しめられてきたものだし、
むしろ逆と言う気すらするが…

15 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/11 11:54
>>12
しかし「強さ」というのが曖昧な以上、確定は無理でしょう。装備にも長所
と短所があり、どちらがいいとは一概には言い切れない。
中世でいえば「日本軍」は山岳戦には強かったでしょうが大平原でのぶつか
りあいとなるとどうだったか分からない。
1キロを直線で走るのと曲がりくねった山道として走るのを比べるようなも
のではないかと。

16 :世界@名無史さん:04/01/11 12:21
素肌の者と甲冑の者が戦えば、素肌の方が有利、みたいな発言もあるしねえ。
渡辺幸庵がソースって微妙に弱いけどさ。
ケースバイケースとしか言いようがないのが実際なんだろうけど、
このスレに合うように話題を発展させるなら、前スレでやってきたように
個々のケースを設定して議論して遊ぶのが一番盛り上がるのかなあ?
長篠の戦で同時期のスイス傭兵が何小隊か武田に雇われてたら、とかか?

17 :世界@名無史さん:04/01/11 12:39
>13
だから。
ttddは、盾を持ち重い鎧を付ければ、
受けや避けの修練をおろそかにできると言っているわけで。
前スレの最後に、でかい小手を使って戦う剣術下手なやつの話が出てるっしょ。

18 :世界@名無史さん:04/01/11 12:39
>12
険阻な地形と厳しい気象条件の元でふるいにかけられつつも生き延びた
頑健で粗食に耐える人々の方が銘々の戦士としての適性は高いのではないか、
(実戦経験の場数云々以前に)とかいう言い方も出来るしねえ。

19 :世界@名無史さん:04/01/11 13:32
でも、体がでかい方が、正面切っての戦いでは有利だし、
そういう意味では季候が良く、食糧事情の充分な地域で
節制して育った戦士達の方が強いかも。

20 :世界@名無史さん:04/01/11 15:16
実戦経験に勝るものはないでしょ
今も昔も
自衛隊も装備だけで言えば世界有数の軍隊ですが実戦経験がないのでイマイチ

21 :世界@名無史さん:04/01/11 15:28
しかし、幕末・維新当時の武士の大半も実戦経験なしに動員されたんでは?
長州や薩摩でも禁門の変や攘夷戦争までは、実戦経験なんかなかっただろう。

22 :世界@名無史さん:04/01/11 15:31
そう考えると、戊辰戦争での薩長以外のほとんどの藩の武士なんて、
普通のサラリーマンがいきなり実戦に動員されたような感じだったと思う。

23 :突撃!!天狗党:04/01/11 19:55
http://www.nippon-nn.net/mishima/annai/rome/
ジャッキーニは「國のため現世に生きるより武士の魂を
蘇らせる行為に三島は価値をもとめたに相違ない」のであり
「サムライの精神はキリスト以前の古代ローマのサムライ精
神と酷似するものがあるに違いない」とし、まさに三島は
「名誉の人生を完結した」。だからイタリア人も「同じ行動
が必要とされるのではないか」と最後の檄文調である。
事実ジャッキーニの事務所で雑談したときに彼の自慢の
日本刀を見た。筋金入りの武士道哲学模索者である。
彼の書棚は西田幾多郎、鈴木大拙、道元などの禅とニーチェ、
ハイデガーが三島の著作とともに並んでいた

武士=ローマ重歩兵と言い張ってみるテスト

24 :世界@名無史さん:04/01/11 19:57
>ttddは、盾を持ち重い鎧を付ければ、
>受けや避けの修練をおろそかにできると言っているわけで。

これがメリットだけだと思えるのがスゴイな。

25 :世界@名無史さん:04/01/11 20:38
受けや回避の練習にならないというデメリットととらえるわけね。
盾や鎧を装備していない時に不意に戦闘になる可能性を考えると
その通りだと思うし、侍のいた環境ではその考え方が恐らく正しい。

ギリシャのホプリタイなんか、教練ばかりやって武器術の訓練はサッパリだったらしい。
少ない労力でガチンコ戦闘に耐える兵になろうと考えると、
重武装で防御の訓練をせずに戦えるようにする方がメリットありそう。
彼らは、いわゆる戦士階級では無かったからね。

多数対多数で、流れ矢が飛び交うような戦場を前進するには
重装甲でないとどうにもならない(修練で避けきれない)と言うのがあるから、
武士も騎士も、重い鎧をまとって戦場に向かったのだと思う。
90式戦車なんかと同じ役割というか。

26 :世界@名無史さん:04/01/11 21:28
そもそも日本の戦っていうと、あんまりガチンコでの会戦ってないようなきもするよな。
双方ある程度の準備ができてて、結構な兵力同士がそこそこまともにぶつかった戦って、
姉川とか関が原みたいな、戦国時代も後期の戦いぐらいしかないような気もする。
狭いところでお互いに奇襲とか夜討ちみたいな戦が当時のセオリーだったなら、
上に挙がってたような防御力特化型の鎧よりは、多少心もとない部分があっても
軽快な具足とかを好む心理はわからんでもないと思うけどな。

そういや日本の鎧って西洋に比べて値段はどれぐらいだったんだろう?
鎧・甲冑スレで
> 簡単な歩兵用鎧でも12グルデン兜が3グルデンしたらしいですな
> 当時の兵卒の給料は4グルデン
みたいな話がでてたけど。

「日本外史」で若いころの秀吉が松下之綱に
尾張製のいい胴丸買ってこいって渡された代金の金六両パチって
逐電する逸話とかがあったけど、これってどんなもんだろ?

27 :世界@名無史さん :04/01/11 21:50
>13,じゃあ、何でttdd氏と闘った日本剣術側はみんなまけてるんだ?
それから、おいらが聞いた話じゃttdd氏は高校は剣道3年間やったらしい。
それと、剣で防御と攻撃をするのは剣道だけじゃないぞ。
昨日のブラックホールでのドイツ剣術で、外人の騎士が「攻撃と防御は一緒」
といってた。ロングソードのように武器が一つだと当然そうなる。
また、盾は盾で扱いは難しいと思った。ttddが言うのは防御がおろそかにできる
と言うようなレベルの低い話じゃないな。
も一つ、ttddスは小柄だが、プレートアーマーを着てよく動けると思った。
同じくらいの身長の騎士がいたが、むちゃくちゃ強い。
まあ、ここは武道板と違って、
実戦経験のないもやしもどきだから仕方がないか。(おいらもふくめて)
ttdd氏は西洋武術知識もあるが、それを実際に自分で実験してるだけに違うと思う。


28 :世界@名無史さん:04/01/11 22:13
あと、ttdd氏を通して外人騎士に「死中に活を求める」とか「肉を切らせて骨を断つ」
みたいなのをどう思うか聞いた。
そしたら「考えは理解できる。でも、ヨーロッパではそのような言葉はない。
バンザイアタックはサムライのスピリット」
その時は負けても、次のチャンスに勝てばいい。最後に勝った方が勝ち」
だった。おいらは、負けない=防御重視というのは戦術よりも戦略にたった
考えと思う。

29 :世界@名無史さん:04/01/11 22:14
>27 ぎゃーぎゃー煽る前に闘った内容を纏めたHPのURLでも貼ってくれ
でないと、自作自演にしか見えなくなってしまいまふ

30 :世界@名無史さん:04/01/11 22:35
煽りには見えないし、インタビューはGJ。
外人は日本人のことをそう思ってるんだね。
「死中に活を求める」とか「肉を切らせて骨を断つ」
って出典はどこなんだろ?
浅井に裏切られた信長が、逃げに逃げて京で再起する話は有名だけど、
これなんかまさしく、「その時は負けても、次のチャンスに勝てばいい。最後に勝った方が勝ち」
だね。

武士の歴史より侍観の歴史の方に興味が出てきた。

31 :世界@名無史さん:04/01/11 22:40
う、文いじくってたら信長の話、変になった。
裏切りで挟まれた時、玉砕や強攻をせずに、京へ逃げ帰った話ね。
死中に活なんて言葉、頭をかすめもしなかったんではないだろか。

32 :世界@名無史さん:04/01/11 22:43
丁度ラストサムライ検証スレでもそんな議論になってるね>侍観の歴史
「死中に活を求める」は「死中求活」で後漢書の列伝かなんかに出典があったはず。

33 :世界@名無史さん:04/01/11 22:47
個人的には最終目的として「活を求める」訳だから
賞賛を見越した上で被害にひるまないって現実的なニュアンスに重きを置くべきで
「バンザイアタック」はむしろ「意地」とか「面子」みたいな
儒教的な側面の強い「サムライのスピリット」として捉えるべきだと思うけど。

34 :世界@名無史さん:04/01/11 23:02
死中求活って、バンザイアタック(恐らく米から見た自殺的突撃のこと)とは
かなり違う意味の言葉なんだね。
やばい時にも諦めずに生きる道を求めることとか、
後は、関ヶ原の島津みたいに、敢えて危険と思える手を選んで
生き延びるというような。

賞賛を見越して被害にひるまないという価値観は、西洋でも重んじられてたね。
古くは、例えばレウクトラの戦いで先陣を切った「神聖部隊」とか。

35 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/11 23:12
>>26
16世紀に描かれた鎧職人はかなりいい暮らしをしていましたよ。家もあの
時代にはまだ珍しかった二階建てで窓は張り出したもの。
>>31
それもあったでしょうが、撤退までは数時間と結構迷っていますね。
>>32
中世の武士観というかその理念ですが、無謀を承知で大きく捉えようとするのなら生
き恥を晒すよりも死して残す名を優先しようとするというのが一つ言えそうです。
(時にはこうした「死」がそのまま利益となるという計算もあったでしょうが)
鎌倉時代に書かれた法然上人の伝記『伝法絵流通』には帰依した有力御家人の宇都宮
頼綱が「死生不知の誉」を棄てて念仏に帰依して往生の名を留めようとしたという事
が書かれており、当時の武士というものがこのように考えられていたという一面が読
み取れます。
勿論「現実的」なことを言えば「勝つ事が本にて候」となったのでしょうが。

36 :世界@名無史さん:04/01/11 23:21
道徳の「教科書」に、現実的な話はそんなに載らないんじゃないのかな?
筆者が理想的とする武士像を書いてあるだけで。
逆に、シツコク繰り返されるテーマは、いつまで経っても生身の侍が身につけられなかった
要素と見ることもできるし。

でも、義や忠、死して残す名を重んじるという考え方がおおざっぱに見た
本質だろうというのは同意。騎士もスパルタ人もそうだったし。


37 :世界@名無史さん:04/01/11 23:23
>浅井に裏切られた信長が、逃げに逃げて京で再起する話は有名だけど、
>これなんかまさしく、「その時は負けても、次のチャンスに勝てばいい。最後に勝った方が勝ち」
>だね。

戦国時代の武士は諦め悪い、つーか戦うのに真剣だよな。
とことん戦って戦って、華々しく死ぬのは最後の最後。そういや司馬遼太郎も
「戦国時代の武士だったらこういう戦争をしただろうか」と思って小説家になったんだっけ?
江戸に入ると儒学やらなんやらと結びついて、武士もどんどんファナティックになってくけどな。

そういや豊臣政権のあたりで「最近のバカ侍共はつまらん理由ですぐに死にたがる」ってグチたれてた
有名な武士がいたような・・・

38 :世界@名無史さん:04/01/11 23:29
日本の武士の場合は家っていう母集団に帰属する度合いが
西欧の騎士より大きかった、みたいな傍証がたくさんあれば
「唐土の虎は毛を残し、日本の武士は名を残す」みたいな生き様にも
現実的な意味がでてくるよね。
西欧の騎士とかの相続領土の分配とか
家としての兵力動員義務とかに詳しい人おらん?

39 :世界@名無史さん:04/01/11 23:31
>37
江戸初期の傾奇者なんかも「生き過ぎたりや二十五歳」だね。

40 :世界@名無史さん:04/01/11 23:31
凶暴精強武士の本場の薩摩あたりさえ、戦国時代の頃までは例えば主君に疑いをかけられて
討伐や上意討ちを喰らう事態になった際には個人であろうが一族であろうが徹底的に反抗したらしい。
蛮勇を奮って血路を開き逃げおおせた奴も多いらしい。
つーかそういう態度が破れかぶれの男ぶり、男の誉れとさえされていた様だ。

江戸時代の武士道なら刃向かう等は許されざる卑怯の振舞い、上意である以上おとなしく腹斬って死ね!
って事になるのかもしれんが。まぁ気の荒い奴ばっかじゃ太平の世は成り立たないからね。

41 :世界@名無史さん:04/01/11 23:37
「死中に活を求める」も「肉を切らせて骨を断つ」も、バンザイアタックとはかけ離れてると思う。
その質問に答えた外人騎士、考えも理解できてないね。
それとも、質問した方の説明が悪かったのかな?

42 :世界@名無史さん:04/01/11 23:45
まあ、太平洋戦争末期に実際無謀な玉砕を正当化しようとする詭弁として
「死中に活を求める」とか「肉を切らせて骨を断つ」っていう
表現を使ったような連中は少なからずいただろうし、
件の関係者にばかり非があるって訳でもありますまいて。

43 :世界@名無史さん:04/01/12 00:28
武士道を美化、、というかねじ曲げて無策を隠そうとしただけかと。

太平の江戸時代で妙に理想化され、
明治維新で捨て去られ、
文明開化と伝統との間で揺れ、
大正・昭和の戦争にかり出され、
戦後はアメリカ人にたたきのめされた「武士道」

一世紀のキリスト教がカトリックに変質していくまでの過程に匹敵しそうだ。

44 :世界@名無史さん:04/01/12 00:40
「肉を斬らせて骨を断つ」で検索したらファイナルファンタジーやらなんやらばかり出てきた。
「切る」の字の方が正しいんだね…。

>  ・李代桃僵(りだいとうきょう)(李(すもも)、桃に代わって僵(たお)る)
> 局部的な損害と引き替えに全面勝利を得る。
これは孫子の同じ意味の言葉だそうで。

…詳しい人の降臨を待つ…

45 :世界@名無史さん:04/01/12 03:05
一個人のスポーツの勝敗で剣術の優劣の全てがわかるスレはここですか?

46 :突撃!!天狗党:04/01/12 08:55
その昔・・・・30までに死なないと本物のロックじゃないといわれた
その昔々・・・25までに死なないと本物の歌舞伎物じゃないといわれた

この対決はどう見ても日本の武士の勝ちですね

47 :世界@名無史さん:04/01/12 09:15
>29、レポートだ。戦士は8人でこの時のルールは鎧の種類によってヒットポイントを変る
。と言うやり方でレザーメールは1,ツェーンメールは2、コートプレートは3,プレートメールは4だった。
ttddはイタリア式のプレートメールで盾&片手剣だった。トーナメントで最終的にttddともう一人、
同じくらいの身長の人が闘ってttddは負けた。が、勝った人はめちゃめちゃ強く
赤オオカミのあだ名がある達人らしい。その後の3対1でも勝つほどの腕前だった。
ttddは二位まで行けたのは、防御力のせいで自分の実力ではないといってたし、
新規メンバーがしばらく盾を練習していて、大型の盾に変えただけでttddの勝率は一気に下がったとも言ってた。
つまり、ttddに言わせると盾と言うハードを強化するだけで、不敗率が上がると言うことになる。
つぎに、日本刀と盾の対戦を聞いた。ttdd自身が詳しい内容を武道板のように書いてるらしいが、
説明によると、片刃の日本刀は剣のように裏刃がないため盾の裏側を攻撃することができない。
普通サイズの盾を持つと無条件に身体の2/3が隠れてしまうので攻撃する場所がわからない。
盾を持った相手だと、1〜3撃ほどの攻撃は盾ではじかれるので、それ以上の連続攻撃を
する必要があるが日本剣術はそれほどの連続攻撃を普通しない。当然盾相手の剣術は残っていない。
盾でなぐたっりと言うような盾を武器とする方法も使われてみて初めて解る。
ttddは勝率を上げる時は盾を使うが、普段はロングソードをしているらしい。そっちのほうが
技術がトリッキーで面白いらしい。しかし、ロングソードでも盾が相手だときついとのことだ。

48 :世界@名無史さん:04/01/12 09:26
その後は外人さんがttddと一緒にドイツ剣術のレッスンをおしえた。ロングソードで
おいらは参加せずに見ていたが、日本の剣術とは随分違う。
木のロングソードを持たせてもらったが随分長い。この長さで
本物が振れるのかとおもったが、真剣はバランスがよく結構振れるらしい。
両刃剣は裏表のはを巧みに使い分け攻撃してくるので、やっかいだし扱いが難しい。
また、接近になれば投げ関節取りなどの体術に持ち込むらしい。
ttddは戦闘中はロングソードの刃をもつ構えをしていた。これは鎧でわきをしめられないためと
力が入るという点、剣の重心を挟んで持つことでバランスがよいこと、柄や柄でなぐるのに
きりかえが早いことなど利点があるらしい。
ttddの鎧は22kgあるとのことで、籠手だけ片方1,2kgある。持たせてもらったが
重い。実際に着ると重さは均等に分散され重くは感じないそうで、事実ttddは想像以上に動きが早かった。



49 :世界@名無史さん:04/01/12 11:55
そうじゃなくてさ、戦った相手は例えばどういう剣術の方なのかとか、
どういう大会でどんな規模だったのかとか、
何処が主催していたのかとか、
結果なんかは何処かで調べられるのかとか、

そういう事じゃないのか?ヤンキーの喧嘩自慢レベルのレポートされても意味無いだろ。

50 :世界@名無史さん:04/01/12 12:06
>47GJ
49と同じ点だけど、ブラックホールのレポートとか写真、ムービーって
だれか公開してないのかな。

無さそうなら、47氏もわかる範囲でもっとレポートヨロヨロ

あと、これ意味不明↓ 補足希望。
>ttdd自身が詳しい内容を武道板のように書いてるらしいが、
「のように」?

51 :13:04/01/12 12:39
前スレなどを見たり、他の世界史板のスレをみるに、どうも自分にはこの手のスレが
日本という国と民族と文化を貶めるために立てられているような気がしてならない。
すこし、偏った考え方だと思うし、偏見と思いこみもある。
残念ながら、このような感情に流されてしまいがちな精神状態では、冷静なレスが返せそうに無い。
よって、荒らしや煽りとなってしまう前に自分はレスを自粛する。

しかし、少し言って置きたい事がある。
日本で歩兵用の手持ち楯が存在しなかったのは、戦争の形態が違うからではなく、「必要なかった」
これ一点のみの理由によるものだ。
日本刀による戦いは、刀がそのまま楯になるのである。
防御がおろそかになるのではなく、わざわざ防御用の道具を持つまでも無い、というだけだ。
そもそも防御は無視していい、なんて言ってない。
また、先のレスにも書いたとおり、昔の日本人の体格では鎧を着た上に両手に刀と楯を持つのは難しい。

さらに、もうひとつ。
侍や武士というのは、刀を持っていればサムライと名乗れるものではない。
その精神と魂、士魂とも呼ばれる、一種の哲学をもち、精神修養を極めたものが
サムライといえるのだ。
つまり、サムライとは概念であり、精神そのものであって兵士の職種ではない。
えばりくさって腑抜けた武士階級の人間より、農民の足軽のほうがよほど気高い精神を持つこともある。

蛇足。 刀は太刀、打刀、脇差、小太刀等、西洋剣同様いくつかの種類がある。
それぞれブロードソード・ツヴァイハンダー、バスタードソード・ロングソード、ショートソード等、に相当する。
そして、大きさも重量も違うのだからそれぞれの用法も戦法も異なる。
戦国期以前は甲冑を付けて太刀を振るい、江戸期以降は鎧を着ないので打刀、というように、同時に剣術自体も変化した。
(調度、ロングソード等の長剣からレイピア等の細身剣に編纂したのと同じ理由による)
日本刀での闘い方を論じるなら、これらも考慮してほしいものだ。
さらに、西洋剣というのは斬るというよりむしろ打撃武器であり、それらを防御するために重い甲冑と楯が必要だった事も。
(甲冑に対抗するために打撃武器中心の戦いになった、という順番のほうが一般に認知されているが)

52 :世界@名無史さん:04/01/12 13:15
盾を持ってるだけで日本刀を持ってる人間は何処を攻撃してよいかわからない。

とか書いてる段階でもうアウト。少なくとも客観的な描写を試みる気がないのがバレバレ。

何でもありの戦場を往来していて持ってる盾でぶん殴ってくることすら予想できないような
侍なんているのか?頼むから比較するなら狭い体験を絶対視するような書き込みはやめろ。

53 :世界@名無史さん:04/01/12 13:43
槍術が出てこないのは?
(刀の話だから論外?)

中国武術では一般に刀より槍のほうが高度とされるよね。
最も、日本刀の奥深い造りとは違うからでしょうけど。

まあ実践で考えれば武術以前にベトコンのブービートラップが最強かな?

54 :世界@名無史さん:04/01/12 14:00
どうしても、日本の事となると、視点が一人称で振り返って批評したりしにくくなるからね。
感情的になりがちなら、見たり書いたりしない方がイイかも。>51

その上で幾つかレス。

> 日本刀による戦いは、刀がそのまま楯になるのである。
西洋のロングソードもそう。あるガード(構え)から別のガードへうつるあいだの
わずかな瞬間だけ、攻撃的に武器を振るうという感じ。

それと、散々既出のように、「戦争」では刀ではなく弓・鉄砲・槍がメイン。
自衛から屋内奇襲戦までこなせる刀は、もちろん欠かせないものだけども。

> つまり、サムライとは概念であり、精神そのものであって兵士の職種ではない。
「侍の精神」というならそうだけど、侍・武士自体は、西洋で言う騎士と同じように
軍事力を持ち、数百年にわたり日本各地で支配権を保持した一つの階級とその構成員のこと。
壇ノ浦の戦いから幕末まで、戦術や装備、気質が変化するのは当然のこと。
刀を持っているのがサムライというのは、江戸時代、あるいは秀吉の刀狩り以降限定の話かと。

刀と剣の種類についてだけど、西洋のロングソードは長巻きに似てるっぽい。
上の方にあるような、ロングソードの刃の部分を握って攻撃する用法と類似してる。
種類がイッパイあるのに、その中から有名なのだけを取り出して比べるのはおかしいと言うのにかなり同意。
(長巻きvs太刀とか、脇差しvs打刀とかいう比較と同じと思えてしまう)

そういうわけで、盾を含めて重装甲した相手に、江戸時代風の剣術が通用しづらいのは当たり前。>52
そこで弓や槍、屋内なら金棒やら鎖やらを持ち出してくるのが、古の武者の姿。

55 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/12 14:03
>>51
>その精神と魂、士魂とも呼ばれる、一種の哲学をもち、精神修養を極めたものが
そういった「サムライ」観自体が近世以降の創作であることと
>戦国期以前は甲冑を付けて太刀を振るい
元々騎乗弓兵であり組打ちが多かったことなどは何度も出ていた筈ですが。
本当に前スレほかをお読みになられたのですか?

56 :世界@名無史さん:04/01/12 14:22
ブラックホールというミリタリーコンベンションの特設会場。
主催はレオパルドとか言う、ミリタリーエアガングッズの店だと思う。
会場は軍服がぞろぞろあるいてた。
戦士はロングソード、シールドと片手剣、なぎなたみたいな武器や
斧、ポールアーム、一通りの物は使っていた。結果はなどはどこにかいてある
かわからん。avalonのHPにもムービーはない。
それからttddがどこかに書いたてのは武道板の西洋剣術の前スレらしい。よくおぼえてないよ。
>52。盾を構えられたことがあるか?
おいらは初めて盾を構えられてttddと正対したときどこも狙うところがない。
(まあと面のスリット、股間ぐらい)しかないとおもた。
52はたぶん広い体験があると言うことで聞くけど、どこねらう?脳内で考えるなよ。

57 :not 52:04/01/12 14:33
>>56
盾ごとばっさりと斬ります。
もちろん脳内ですw。

しかし「どこねらう?」だったら、誰だって脳内じゃない?

58 :世界@名無史さん:04/01/12 14:33
武器術の話は
http://sports6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1071162882/
http://sports6.2ch.net/test/read.cgi/budou/1071162944/
上のどっちかでやろう。

対盾は、盾の上辺に斬りつけそこを支点に喉を突く、
頭部への打撃を狙い、相手が盾を上げたところを視覚の下半身を攻撃する、
盾を掴み回り込む(この時、裏刃のある刀を使っていると有利)、
自分が一回転して相手の右手側から斬りつける…などかな。

上記全部武道版からの引き写し。

59 :世界@名無史さん:04/01/12 14:53
1へ
団体戦は数と作戦と補給で決まるよ。

60 :世界@名無史さん:04/01/12 15:42
>52 ぷぷ。脳内ハケーン。それって盾で殴ることをお宅がしってるからいえるんでしょ?
盾の攻撃的な使い方は他にもあるようだけど、言ってみそ?

61 :世界@名無史さん:04/01/12 16:04
盾を火にかけて鉄板焼き

62 : :04/01/12 16:26
>>61
ああ、確かに野営のときに盾って重宝しそうだね。
攻撃的ではないけど結構、重要な要素だと思った。

侍は刀を大事にして生きるための用具として活用しそうもないし。

63 :世界@名無史さん:04/01/12 16:38
叩いて楽器のかわり。

64 :世界@名無史さん:04/01/12 16:44
そう言えば日本の陣笠も鍋として使ってたとか

65 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/12 16:44
刀が天狗を寄せ付けなかった(『今昔物語集』・『古今著聞集』)とか
鬼を切ってくれた(『太平記』)とか祟りをなした(『信長公記』)と
か言われていた以上、無茶は出来なかったでしょう。
日本刀が邪気を払うものだということはシナにも知られていた。
楯の方も実際に鉄板焼きその他の用途があった訳でもなし。

66 :世界@名無史さん:04/01/12 16:45
>>59に同意。
ついでに言えば、戦闘目的やら兵の指揮やら指揮系統の整備なども関係するが。

タイマンの優劣をいくら語っても集団戦には繋がらないぞ。

67 :世界@名無史さん:04/01/12 17:20
>66
ついでに言えば、兵の士気や装備の質、それを整え訓練させる権力なども関係するが。


武士と騎士は色々似ている点がある(こんな距離のある別の文明なのに)
封建制のことも似ているけど、
共に重そうな鎧を着て(形、材質こそ違うけども、両方とも重装甲)
馬と刀剣を重視し、槍や鈍器なども使いこなし、
先陣を名誉とし、忠義を重んじたり捨て去ったりしながら戦場を生きのびた点など。

で、違いを見てみようと。
武士は弓を使うぞ。騎士は盾も使うぞ。
そういえば盾は日本で目立たないぞ。なぜだ?
と言う話。
タイマンの優劣を語ってるわけではないのさ。

68 :世界@名無史さん:04/01/12 17:31
盾で鉄板焼き……

籠を編む要領で盾の形を作って獣の厚い皮を張ったモノや、
曲げた木の板を木目を直交させるように重ねて作ったものは無視ですか。
たとえ、全金属製の無駄に頑丈な盾でもグリップは皮か縄だろうし、
火にかけるなんて…。

兜で煮物をするのは基本技らしい。

69 :世界@名無史さん:04/01/12 17:32
>>67
スレを眺めると、タイマンの優劣を語っている香具師が居るように見えたが。

70 :世界@名無史さん:04/01/12 18:29
確かにそんな気もする。170氏の遺志にしたがって他のスレへ退散するかな…。

71 :世界@名無史さん:04/01/12 19:35
武士の仮想敵として中世騎士が多く語られてるが、他の連中はどうだろうね?
18世紀のコサック騎兵とかどうよ?  日露戦争とかでも有名だが、
フリードリヒ2世がボコられたクーネルスドルフの戦いなんかでも
コサック騎兵隊が活躍したって言うし。
あとは16世紀のオスマントルコのイエニチェリとか永楽帝時代の明軍とか
ムガール帝国最盛期の象部隊とか、侍が世界の強兵を名乗るなら
比較されるべき前近代のライバルは他にも多いと思うが。

72 :突撃!!天狗党:04/01/12 19:45
そんな強い敵に勝てるわけないじゃん
武士並みに個人主義+非合理的な仮想敵じゃないとおもしろくない
よって、ドンキホーテとその先輩達を仮想敵にするがよろし

73 :世界@名無史さん:04/01/12 19:51
>そんな強い敵に勝てるわけないじゃん
じゃあ武士、ダメジャン…(´・ω・`)

74 :世界@名無史さん:04/01/12 19:59
>71
象部隊ワロタ。「なんじゃあ、あの化け物は!?」 「おお、あれが普賢菩薩の…」
突進力とか頑強さは馬の比じゃないだろうけど、
暴れて自軍混乱とかしたらそれだけで戦線崩壊しそうだ。

75 : :04/01/12 20:34
武士よりも忍者のほうが強かろう。
もちろん、巨大なカエルに乗って戦うのだ。

76 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/12 21:12
象は室町時代から何度か輸入されていましたが、徳川吉宗などは繁殖計画
まで立てていたそうです。・・・象部隊でも欲しかったんでしょうか。

77 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/12 22:48
>>67
>そういえば盾は日本で目立たないぞ。なぜだ?
「蒙古襲来絵巻」に、ヴィーキングよろしく船縁に盾を並べている一幕があるし、
むしろいつ頃から盾がマイナーになったのかが気になりますね。
武士は弓+大鎧で盾使用の習慣が断絶して、それ以後も使われなくなったというのは
想像できますが。

>>70,∧_λ∩,,,,
 と(# ´Д`);;;;;;;;つ <勝手に殺さないで欲しいモナ…。

>>71
うむ、オスマン朝のシパーヒー騎兵は欧州の騎士を圧倒していたという。そして、彼らは財政的な理由
で十分に鎧を揃えられない者が結構いたと。
印度のラージプート騎士は、武士よろしく徒歩戦闘や組み討ちの訓練を積極的に積んでいたそうな。

>>74
象は弓に弱い、これ定説やで。

>>75
何、武士は敵を斬ると爆発四散させることができるぞ。

>>76
指揮官の台座としてでは。ただ、アクスムのように輸入した象で象部隊を編成していた
国もあったから断言は出来ませんが。

78 :世界@名無史さん:04/01/12 23:13
>>77
>象は弓に弱い、これ定説やで。
詳細きぼん。
それを言っちまえば馬だってそうだろ。
でも、当事者達にもそういう懸念はあったようで、
インドの博物館行ったら象鎧なるものが展示されていた。
尻尾以外のほぼ全身を覆う感じで
小鎖にビザンツのラメラーアーマーみたいな小札縫い付けた感じ。
兜部分には角がついてたまあ、角は威嚇用だろうけど。
重量耐性は馬よりあるから重装化は可能だと思う。
調教は時間かかるけど馬より知能は高いので
完璧に馴致できれば火や砲声にも慣れるし。
無論コストはかかるだろうし、ムガール兵自体が比較的軽装主体だったから
部隊として編成できるかはどうかと思うが。

79 :世界@名無史さん:04/01/12 23:20
>>53
まあ、藻前もとりあえずこれでも読まれたし。
少々長いが。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/syogen.htm

- 馬明達老師論文 -

『歴代中日両国刀剣(術)の交流』の紹介







80 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/13 00:19
>>78
ヒュダスペスやザマ、ンガサウンジャンなど有名な戦象部隊が破られた戦いのほとんどで、
戦象は弓や投石・投槍などの飛び道具で破られている。
騎兵も弓に弱いことは確かだが、初期十字軍でフランク騎兵がトルコ騎兵の弓によく耐えて
消耗したところを蹂躙したり、負けはしたがブスタ・ガロルムで東ゴート騎兵は突撃を東
ローマ軍の弓の斉射に阻止されながらも何度も再集結して突撃を繰り返している。
馬も弓に弱いことは確かですが、象ほど致命的には成り得ないようで。

象を火器の音に耐えさせる訓練はムガルで行われてますね。これに耐えられないのでは、
戦象はとっくに戦場から消えていたはずですし。銃兵を背の櫓に乗せて戦う戦術もあった
ようです。
しかし象は、象兵は象が暴れ出した時のために速やかに殺すための器具を持っていたり、
また象は一時期「調教師を殺したくなる衝動」に襲われるようになるため、現在でも象使い
はこれでしばしば命を落としており、この職業は命がけのものだという。
象というのはなかなか扱い難いもののようで。

81 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/13 00:28
>>77
ただ江戸期にはヒクイドリやジャコウネコや駝鳥などが飼われていたそうで
すから、単に吉宗の好奇心に発した行動であったのかもしれません。
楯についてですが近代に日本の家紋が西洋の紋章学者らに認められたのは中
世の絵画史料に「楯に描かれた家紋」が存在していたからだったとか。
木製の楯は手に持って運ぶことも出来ましたが、専ら矢除けに立てて使用さ
れたようです(川や真ん中を破壊した橋の両端にそれぞれ立てて睨みあった
り)。鉄砲の弾除けに使用されたのは竹束。
戦国期まではまだ使われていたようですよ。
ただ前にも書いた通り平安前期までは手持ちの楯も(隼人のものも含めて)存
在したようです。

82 :67=70:04/01/13 00:42
>77
生きてましたか。

甲冑スレでは、ttdd氏が、「プレートメイルの時代には盾は廃れた」と言ってたね。
調べた範囲ではどうもそうらしい(あまり詳しくない)。
となると日本でも、、鎧が発達して大鎧や当世具足が生まれたため
盾が不要になったと言えるかも。
なんで鎧があると盾が不要なのかようわからんけど(武術やらんし)。

弓戦に使う楯は、合戦絵巻とかに腐るほど出てるのになぁ。。。
あれってやっぱ、立てるから「たて」って言うんですかね?
もしそうなら、言葉自体が手持ち盾の存在を否定している気がする。
語源しりません?>山野さんとか

83 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/13 00:48
多いのは「立て」説と「隔て」説ですね。なお楯自体は記紀から出て来ます。
材質は鉄・革・木・竹などがありましたが、木が一般的。
調べたところ近世には対鉄砲用の車楯・箱楯・帖楯が登場したそうです。
お互いの陣営の前に楯をいくつも並べて矢を射掛けあう様子ですが、これは
もう出て来ないものを探すほうが難しいかも。

84 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/13 00:52
ああそれと「たて」ないしは「たち」といえば中世武士の館も指しました。
北海道の「函館」とか三太刀(原義が忘却された当て字。御館)といった地
名となっているところも存在します。
いずれにせよ敵の攻撃を防ぐためのものとして同一線上に意識されていた。

85 :世界@名無史さん:04/01/13 01:26
なるほど、「へだて」説もあるんですか。

律令時代の軍を調べてみると、
クロスボウとか剣とか盾とか出てくるらしいですね。
このときの盾も「たて」と呼ぶのかな?
それとも、「ジュン」などと漢語よみしていたんでしょか。

シールドの事を「たて」と呼ぶようになったのはもしかして
明治以降、日本が世界史を学び始めてからとか、、、?

86 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/13 01:28
>>81
>ただ前にも書いた通り平安前期までは手持ちの楯も(隼人のものも含めて)存
>在したようです。
鉾の衰退時期と重なりますね、やはり相関関係があるのでしょうか。
>>79のリンク先などと合わせて考察すると、平安中期ごろに鉾+楯から騎射+大鎧へと戦術が
変化し、徒歩では大陸からの両手剣術を受け入れることによって楯が使われなくなった、
となりそうですが。

>>82
>なんで鎧があると盾が不要なのか
一般では一応そう説明されているのですが、オスマンの重騎・歩兵は鉄楯を使っていたため
なかなか一概には言えません。
ただ、西欧鎧の発展と鎧の軽小化が呼応していることは確かので、何らかの相関性はあるはず
ですが。
ついでに日本では、大鎧の左肩に付けられた袖を楯として使っていたそうで。理由はどうあれ
どんなに遅くとも南北朝期までには楯使用の習慣は断絶していたようなので、楯が復活できる
必然性は無かったみたいですね。

87 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/13 01:36
>>85
>シールドの事を「たて」と呼ぶようになったのはもしかして
いえ、それはないでしょう。『万葉集』の時代から読みは「たて」ですから。
>>86
>鉾の衰退時期と重なりますね、やはり相関関係があるのでしょうか。
私は騎乗弓兵としての武士が使用出来なかったのが原因ではないかと考えます。
なお鉾についてですが、新井白石が「槍というものは南北朝時代に登場した
らしいが、古代の鉾の変形したものか」と書いています。

88 :世界@名無史さん:04/01/13 02:57
ループ気味に質問してすみませんが。

万葉の時代に「たて」と呼ばれていたものは、
当時はまだあった手持ちのシールド(の様なもの)の事でしょうか。
それとも、後々まで使われた弓矢を防ぐためのものでしょうか。

89 :突撃!!天狗党:04/01/13 07:31
四角くて、木製で、下の方二本線が引いてある、矢を防ぐための
地面に立てかけるヤツ

90 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/13 10:35
>>88
手持ちの方だと思いますが、これだけだと判断がつきませんね。
ますらをの 鞆の音すなり もののふの 大臣(おほまへつきみ) 楯(たて)立つらしも
                               (『万葉集』巻一ー七六・元明天皇)

91 :世界@名無史さん:04/01/13 11:33
ふーむ。「たてたつ」と書いてあるのが多少気になるけど、
それだけでは判断つかないっすね。

92 :世界@名無史さん:04/01/13 14:36
山田長政とか象にのってなかったの?


93 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/13 14:52
>>91
伏せてあった持ち楯を起こしただけかもしれませんからね。>立てる
>>92
乗っていたでしょうが、なにぶん経歴がはっきりしない人物です。

94 :世界@名無史さん:04/01/13 21:57
ああ、アユタヤ朝だっけ?山田長政いたとき。
あの時の史料か何かに日本の武士は弱いとか強いとか書いてないのかね?


95 :世界@名無史さん:04/01/14 01:11
>山田長政
日本人傭兵統括から軍事顧問→府知事みたいなあつかいになったってのが本当なら
それなりの評価はされたんだとは思うけど、なにぶん資料がないんだよな。

96 :世界@名無史さん:04/01/14 01:13
隼人の盾ってよく平安の資料に出てくるけど、あれって杉とかの一枚板?

97 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/14 01:45
>>96
『延喜式』によれば長さ五尺、広さ一尺八寸、厚さ一寸で上部には馬の毛を
編んだ飾りがつき、赤土・白土・墨で鉤形の文様が記されていました。
出土したかものからしても一枚板であったようですが、材質は分かりません。
因みに上部が尖っています。出土したのは平城京の井戸跡。

98 :世界@名無史さん:04/01/14 14:26
一枚板だと、割れちゃいません?木目を直交に組み合わせて合板にした方が良いような。
三寸なら、合板にするのも難しくない厚さだし。
厚さ2mmの合板を作るとかなら、道具にかなりの工夫が要るけども。

・・・知識ないので推測ばっか書き込んでる。スマソ。

99 :世界@名無史さん:04/01/14 15:18
m9( ^,_J^)ノ <推測マンセー
kouei34

100 :世界@名無史さん:04/01/14 15:51
山田長政なんて架空の人物だろ?
ttp://www2.airnet.ne.jp/shibucho/yamada.html

101 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/14 15:56
>>98
この場合は儀式用のものでしたから。でも弥生時代の楯(復元されたものは
簡単に矢を貫通させた)のようにあった方がましという程度のものであった
のかも。

102 :世界@名無史さん:04/01/14 17:41
>>100
だいぶ、昔の説だな。
1960−70ぐらいか。

103 :突撃!!天狗党:04/01/15 11:21
おまえら、今すぐ本屋に行って『SAS知的戦闘マニュアル』って本買ってこい
第一章の戦争と精神病の項は五輪の書から始まり侍マンセーな内容が書いてある
読みたいとか、読みたくないとか、そんなことはどうでもいい、読め、読むんだ

104 :13:04/01/15 13:42
少し冷静になったので少しばかりレスします。

日本人が楯を使わないのは日本刀が両手で持つ武器だから、というのと、
昔の日本人の体格では個人用の楯を装備するのは無理だったんじゃないか、と。
とりあえず今時分が主張するのはこれだけ。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1067504381/l50
このスレもそうなんだけど、何度も「城の特性というのはその国の気候や地形や戦争の形態によって
求められるのは違うのだから、一概にどちらが優れているとは言えない」という意見が出ているのに
未だに「西洋の城のほうが頑丈」「日本の石垣なんて大砲で吹き飛ぶ」というレスがつく…
やはり、意図的に日本を貶める意思があるような気がしてならない。

自分が普段から感情的になりすぎ、前スレやレスもちゃんと読んだつもりでそうでない事が多いのは認める。
あと、自分の知識が正しいと思っていても、調べた資料自体が間違ってい内という保証は無いし、間違いも多いだろう。

ゆえに、感情的で明確な根拠や保障のない書き込みをしたことを謝罪する。

105 :13:04/01/15 13:47
日本の城とヨーロッパの城 スレでも言われるように、騎士にしろ武士にしろ、
その国の気候や地形や戦争の形態によって求められるものが違う。
だから、どちらが優れているかとか、どちらが劣っているかなんて無意味な議論だと思う。
相手の文化を罵り、貶め、けなし、見下す目的でないならば。

武士・侍の精神性についてもそう。
物語に言われるような騎士の高潔さとか正しさなんていうものは実は存在しない。
武士道同様後世の創作でしかない。
だから、悪い点や劣っている点などを探して議論するのは不毛な行為だと思う。
どっちもどっちなのだから。


106 :13:04/01/15 14:02
…少し思いついたのでもう少し書き込みをお許しいただきたい。

フルプレートを着て剣と楯を持った騎士と、着物を着て打刀だけを持った侍との戦いは、どう見ても条件が公平ではない。
侍は斬りつけても楯と鎧に阻まれ、致命傷を与えられない。
騎士は侍に身軽に動き回られれば、自分の重さでへばってしまう。 そして動きが比較的鈍いので追いつけない。

この勝負が時間制限ありならば、騎士が勝つだろう。
侍は勝負をつけるために捨て身で騎士に挑むしかないが、首や腕などの鎧の隙間・関節部を狙って斬るしかなく、失敗する可能性が高い。
そして、攻撃が何処に当たろうと騎士の一撃で昏倒し、止めを刺される。
時間制限無しならば、侍の勝ち。
逃げれるだけ逃げ回って、騎士の疲れを待つ。 疲れたところで、動けない騎士の、やはり鎧の隙間を狙って深く刺すか突く。

…戦争ばかりの戦国期と平和な時期、江戸期の装備だし。 戦法も違いすぎる。
公平に闘うならば騎士も軽装でレイピアかサーブル、あるいはエストックでも、そういう武器を使って闘うべきだ。

ちなみに、どちらも戦乱の時期の装備で闘うなら、乗馬状態では騎士の圧勝と思われる。
騎士たちの槍先をそろえたランスチャージの突進力に対し、騎馬状態の侍たちは…というか日本の馬が集団戦に向いていないのは周知の事実。
正面からぶつかるだけで蹴散らされる。 ただし、侍側が上手く地形を利用しつつ、逃げつつ騎射で遠巻きに攻撃すればあるいは勝ち目はあるかも。

というわけで、以上。

107 :13:04/01/15 14:06
大事な事を思い出したのでもう一つ。
西洋騎士のよろいを着た方と、和服に日本刀の方とが闘う映像ファイルを見た覚えがある。
何処かの、昔の戦術や武器を研究しているサークルの実験で行なったそうだが上記のスレの戦法で、侍が勝利していた。
騎士の方はマッチョでもなく、それ程鍛えているわけでもないような感じだったのに比べ、侍のほうはいかにも構えや動きが有段者のそれであったので、
まあ侍のほうが勝って当然かな…と思う内容ではあったが。 ちなみに映像ファイルそのものは自分は持っていないし、詳細も不明。

108 :世界@名無史さん:04/01/15 14:26
なんか前スレや他のスレでも
「日本の武士は糞!西洋の訓練された本格的な騎兵に突撃されたら一発で終わり」
っていうレスを見かけたけど西洋の重装騎兵って走るのがかなり遅かったらしい。
ていうか中世ヨーロッパで一般に行なわれていた騎兵中心の突撃戦法って
見た目程強くないみたいです。そりゃまともにぶつかったらかなり強いし、
寄せ集めの訓練されてない兵は突進してくるのを見ただけでビビって逃げるだろうけど。
あんまし有効な戦術じゃない事はクレーシーの戦いやウォレスがエドワード破った戦いが物語ってるかと。
なんつーか実際には騎兵の突撃って最後のトドメみたいな感じだったようです。
「坂の上の雲」に
「中世以降、騎兵の本来の力を引き出せたのはチンギスハーン、ナポレオン、フリードリヒ大王、モルトケだけである」
とあるように騎兵は数ある兵科の中では一番扱いが難しかったようです
「西洋の騎兵の突撃最強」っていうイメージはやっぱり映画から来てるんでしょうな
実際、ブレイブハートとかカッコ良かったし。
個人的にまっこうからぶつかり合うなら勿論騎士が勝つけど
ある程度距離を置いた状態から戦い始めるのなら弓矢の上手い香具師なら武士の勝利かと。


109 :世界@名無史さん:04/01/15 18:11
1.5m×50cm、厚さ3cmのでかい盾で密集陣組んだら強そうだ、、、けど儀式用なのね…。
>101

あと、13氏オカエリナサイ。
歴史は優劣を付けるためのものじゃないから、
石垣が吹っ飛ぶ、サムライが負けるとか言っている人はスルーするといいよ。
逆もね。
その元となる風土や必要の違いに思いを馳せるのが正解。

110 :世界@名無史さん:04/01/15 18:26
安定した暴露地形で対峙したならば、戦国後期の軍と西洋の同時期の軍では
まるで勝負にならないかもしれない。
飛び道具戦でも、持久戦でも、白兵戦でも。

でも、盛り上がった森と開けた(でも平らではない)田が断続的に続くような
地形で、西洋式の軍隊を動かすのはかなり辛そう。

それにそもそも、空間的に大きく隔たりのある地域を、
同じ年代という切り方で比べて何か得られるモノがあるかどうかも疑問。
世界一とかいう概念は、通信や移動手段が進歩して、遠くが近くになり、
物事を直接比較出来るようになった時代に生まれたもので。

111 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/15 18:26
>>109
出土したものが、という意味ですから。実用的なものもあった可能性が高い。

112 :世界@名無史さん:04/01/15 23:39
つうか、西洋史マンセー、シナマンセーみたいな人はいる。
何言ってもムダな人。
そーゆ人たちにムキになって、論立てする必要もないとは思うが。


113 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/16 00:46
某スレで厨でもなんでもない人に暴言吐いちゃったのでこれからも毒舌大魔王として押し通すぞ。

>>104
>自分が普段から感情的になりすぎ、前スレやレスもちゃんと読んだつもりでそうでない事が多いのは認める。
うむ、今現在も見事に嫁てない。反省だけならサルでも出来ると。

>昔の日本人の体格では個人用の楯を装備するのは無理だったんじゃないか、と。
なぁ、本当に過去ログ読んだのか?
1.奈良時代までは日本でも普通に楯を使っていた
2.日本人の体格は欧州人に比べ劣っているわけではない
915以降参照な。一応付け加えておくが、西欧でも金属製の楯などは稀なものだ。

>>108
>なんつーか実際には騎兵の突撃って最後のトドメみたいな感じだったようです。
とりあえずこれの底本は何だ、小一時間問いつめるぞ。つーか教えてくれ、こんなアホなこと書いてるアホ。
カイロネイア、グラニコス、アレシア、失敗したのでもブスタ・ガロルム、クレシー、クルトレー、パヴィア
など、いずれも重装騎兵が射撃戦後真っ先に突撃している。
実際に騎兵の突撃がトドメになり得たのは歩騎射の歩がいない、アケメネス朝ペルシア軍かパルティアや
モンゴルなど遊牧民の軍隊だけだな。

>「西洋の騎兵の突撃最強」っていうイメージはやっぱり映画から来てるんでしょうな
遡るならアレクサンドロスのヘタイロイまで遡れるぞ。直接の源流ならローマ人に散々怖れられたトティラ
の東ゴート騎兵だろうが、十字軍時代というのも棄てがたい。十字軍将士は、戦略的に負けていなければ
たいていイスラム軍を追い散らすことが出来た。ハッティーンやマンスーラなどでは戦う前から完全に
負けていることをお忘れ無く。

>「中世以降、騎兵の本来の力を引き出せたのはチンギスハーン、ナポレオン、フリードリヒ大王、モルトケだけである」
こういうスレに書き込みするんなら、騎兵戦術の話でモルトケを引き合いに出すあたりで司馬遼のことは
見切って欲しかったな。

114 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/16 01:18
>>106
まあそういう状況なら武士はわざわざ太刀や打刀を使用するよりは組打ちに
持ち込んだ後で腰刀・脇差の類を引き抜いて刺殺するでしょうね。
ところで武士対騎士戦のことですが、実際には馬に乗った武士以外も居るの
でそう簡単には決まらないかと。
槍が届くのが早いか矢が届くのが早いかというのはその通りでしょうね。
因みに延慶本『平家物語』や『源平盛衰記』によれば当時は組打ちもせずに
相手の馬を射て落馬させ、しかる後相手を射殺する「卑怯者」がはばをきか
せていたそうです。

115 :13:04/01/16 02:01
>113
止めてください、そういう文面。
ただでさえ自分は煽られやすいんですから。
脳内思考パターンは荒らし厨房とそれ程変わりまりませんし。

釣られるほうが悪い、と思うかもしれませんが、そもそも釣れるとわかって釣るほうもどうかと思います。

というか、人がなるべく短気起こさないように丁寧な物言いで冷静にレス返そうとしているのに煽るな、く(ry。



116 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/16 02:11
>>115
儂ゃ荒れるだの釣るだののやりとりにゃ何の興味もない。儂に意味があるのは、アンタ
や他の人の主張、それだけだ。だから主張におかしい部分がありゃ際限なく突っ込む、
知ったか野郎にゃ容赦なく煽る。
それとな、厨と自分で宣言するような奴に手心加えるほど俺の心は広くない、甘えるなと。

117 :世界@名無史さん:04/01/16 03:45
170氏なんか吹っ切れたのかな。ずいぶんとわかりやすいキャラになったものだ。

13氏は、日本の歴史がヨーロッパの歴史に劣っていてはいけないという
変な信念をさっさと捨てるべし。欧州より「優れた」時代を生きた日本人は善で、
欧州より「劣った」時代を生きた日本人は悪と、勝手に裁くことになるよ。
武士、騎士、騎兵、歩兵、盾、鎧、武器などに対する妙な認識も、
その無駄な信念からゆがめられて脳内で生成されたものだろう。
本や資料を読む時も、結論を先に決めてるからゆがんだ見方になる。
捏造で"誇れる歴史"を作り出しても何の誇りにもならんよ。恥なだけ。
弱点や恥部を追求したうえで誇れるようでないとそれは偽物。



118 :13:04/01/16 05:16
>117
劣ってはいけないとは思っていません。 歴史という事実、過去は変えられるものではない。
でも、ゆがめられてしまう事はあると。
ただ、貶めようとする輩をどうしても許せないと思ってしまい、釣られる訳で。

>日本の城とヨーロッパの城 スレでも言われるように、騎士にしろ武士にしろ、
>その国の気候や地形や戦争の形態によって求められるものが違う。
>だから、どちらが優れているかとか、どちらが劣っているかなんて無意味な議論だと思う。
>相手の文化を罵り、貶め、けなし、見下す目的でないならば。

自分の冷静な精神状態での考え、意見は上記の文章で汲み取ってもらえると幸い。
最近の世界史板のいくつかのスレをみると冷静じゃなくなってしまうし、ご指摘の通り歪んだものの見方をするので、
自分はROMに徹したほうがいいかもしれません。
また冷静になれなくなって釣られてたら、思う存分嘲笑してください。 170氏も、どうぞ遠慮なく。

119 :世界@名無史さん:04/01/16 06:00
>例の170 ◆vBOFA0jTOg

前から思ってたんだがお前他人のレスには喜々として突っ込みいれるけど
おまえ自身の見解が示されたことは殆ど無いよな。
お前自身のサムライに対する戦術的な見解を述べてみろよ。

120 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/16 08:24
>>118
暴言だけでは何なので先達として。

>貶めようとする輩
こういう輩の主張は間違いなくデタラメであることは確かだ。ここだけは安心していい。
ただ、漏れがそういうのをデタラメとして煽り叩く根拠はただ、「根拠も理論も結論もメチャクチャ
でアホである」、そこからだ。
そういう、知ったか煽りアホを確かな根拠に基づいて徹底的に批判し追い出すことにより、
>日本という国と民族と文化を貶めるために立てられている
スレにおいて冷静かつ有意義な論議が出来る、良スレに出来ると信じているし、この板では過去も
そう出来ていたし、今もこの板の住人にはそれが出来る力と知識があると信じている。
感情的になってもいい、罵り貶めけなし見下すのもいい、煽り粘着もまたいい、ただ、皆が正しい
と判断するのは「確かな根拠と理論により導かれた結論」である、この板でもこのスレでもそうで
あるハズだしこうであることが正しいはずだ。
だから、キレても釣られてもいいと思うよ俺は。アンタの考えが正しいと納得させられるような
ものであればアンタが持ち上げられて相手が恥かくだけ、アホの煽りなぞ所詮蟷螂の斧なんだから。

>>119
ああ、リクがあるなら応えるよ。ただ、日本の戦争の実像って結構ハッキリしない(騎乗戦闘について
すら結論が出てない!)からやたら仮定が多くなったりして長めになりそうだからちょっとだけ待っとけ。

121 :世界@名無史さん:04/01/16 08:53
170は「延々と上げ足をとる」というキャラクターなんでしょ?
知識は凄いけど敬意は抱き得ない。いてもいなくてもいい。

122 :突撃!!天狗党:04/01/16 11:39
みなさ〜〜〜〜〜〜〜〜ん
重要なことを忘れとるようですが
日清戦争で30近い戦闘に全勝した日本軍を指揮したのは 
サ ム ラ イ
日露戦争で超大国ロシアと渡り合う日本の戦略をうち立てたのは
サ ム ラ イ
↑ここも重要だと思うんですけど
確かに彼らは西洋式軍隊で戦いましたが、彼らは中国・太平洋戦争を起こした
ワカゾーと違い本格的な西洋式士官学校で育てられたのではなく
武家社会の中で大人への階段を上り詰めた青い果実っ
しかも、日露戦争では国際法を知らない人まで捕虜を丁寧に扱い
乃木タンなどは写真撮影の時、敗軍の将に軍刀を持たせるなどという美談を作り
海軍のオッさん(名前忘れた)は捕虜の食事にワインを添えたのだよ
彼らの行為無くして新渡戸稲造の武士道精神に対する共鳴はなかったであろう

123 :世界@名無史さん:04/01/16 11:51
>>121
ひろゆきいはく

・根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
 他人を卑下することで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
 プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください

だそうだよ。

124 :世界@名無史さん:04/01/16 14:51
でも確かに13や>>108は知ったかででたらめな意見をぶちまけてたから、
例の170氏にして見れば許せなかったんだろうな。

125 :世界@名無史さん:04/01/16 15:06
>>122
いや、その頃には既に「武士」という身分は消滅してた。
何をもって「サムライ」というのか、それで色々と変わる。

126 :世界@名無史さん:04/01/16 15:29
>>122
足軽が多く、侍は殆どいなかった。

127 :世界@名無史さん:04/01/16 15:52
少なくても元寇の際に撃退したわけなので、弱いって事はないんじゃないか?
江南・高麗兵が多かったとしても

128 :世界@名無史さん:04/01/16 19:00
>>124
にしても物の言い方ってあるだろ。必要以上に荒れるんだよ、あの物言いは。

129 :世界@名無史さん:04/01/17 04:58
丸い卵も切りようで四角、物も言いようで角が立つってか。

130 :世界@名無史さん:04/01/17 08:47
でも、ここの人はttddも追い出したからね。
ここには、事実が書き込まれると自分が攻撃されたと感じる人がいるらしい。

131 :世界@名無史さん:04/01/17 09:26
事実とそれを元にした主張は別物なんだが。
出て行く人は出ていく、残る人は残る、そういうものだろう。

132 :世界@名無史さん:04/01/17 14:27
煽られて去る人間は所詮負けなんだよ。
勝ち負けを競う心があるからね。
勝とうとしなければ、負けない。

133 :世界@名無史さん:04/01/17 14:57
勝ち負け云々より、放置すればいいんじゃねえか?

「知ってるけどお前には答えたくない」のAAでもはれば

134 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/17 21:56
>>128
生憎だが、ループや断定厨やら馴れ合いはゴメンだヽ(`Д´)ノ

>>130
確かにデタラメを書くとヒステリックに攻撃する奴ならここにいるけどね(・∀・)

135 : :04/01/17 22:50
しかし「侍が弱い」と言うのがスレの流れ、または事実だとして、
ではなぜ、サムライが世界中で強いと思われているのか、
尊敬されているのか、有名なのか?これも議論に値するような気がします。

136 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/17 23:12
>>135
そりゃ実際にあった数少ない日本と海外の戦闘文化が接触した事例から、日本の
強さが読みとれるからだろ。

137 : :04/01/17 23:26
じゃあ強いじゃんw

138 :世界@名無史さん:04/01/17 23:27
>>136
戦列歩兵スレッドにもレスしてやれ。あのスレの>1が律義にレス返してるぞ。

139 :世界@名無史さん:04/01/17 23:31
侍が弱いってマジで思ってる奴なんかいんの?

140 : :04/01/17 23:39
>>136によれば史実から、強い。
スレの議論では(つまり机上では)弱い。

つまり理論では解明できない強さがあると。

141 :世界@名無史さん:04/01/17 23:40
>138
あれは例の170=1だよ(w

142 :世界@名無史さん:04/01/17 23:51
王権による中央集権の軍隊<<封建制度の軍隊(侍、騎士)<<近代式の国民皆兵制の軍隊

以上が、歴史的な常識だと思いますが、何か問題があるのですか?

143 :世界@名無史さん:04/01/18 00:17
だいたいから「侍が弱いというスレの流れ」なんて無いぞ
>135とか、被害妄想的思考の典型

例えば。
(あるルールの元で)サムライソードでは盾を攻略しづらい。という事実について。
侍の"強さ"とこの事実はほとんどなんの関係も無いっしょ。
武士たちがどのように戦ってきたのかを探るor実感するヒントになるけど。

144 : :04/01/18 00:50
秀吉は朝鮮半島で敗れてしまったが、当時の武士ならば江戸時代の侍なんか
よりはずっと強かったはずだし、その武士集団が朝鮮と明の連合軍に敗れた
わけであるから、客観的に考えてやはり世界史的に見たらそんなに強くなか
ったのではないか?

江戸末期の侍にしても、一部の国家的英雄はいたにせよ、幕府側の御家人
連中はほとんどは腰抜けの役立たずだったし、薩長にしたってそれは国内的
に強いというわけであり、あの時代の世界では既に時代遅れの戦力だった
わけだ。

確かに常に死と隣り合わせの覚悟を持った武士がいたことはあっただろう。
一般的に失敗の責任をとるのは切腹という手段をとる人が多かったようだ
から。精神的な強さという面では、19世紀に限っていえば日本人の侍が
他国の戦士に比べ秀でていたようには感じる。それまでは鎖国で、他国の
人間は日本に近寄れなかったんだから、客観的に比較するのは難しいけど。

しかし19世紀当時のプロイセンのゲルマン兵士も強うそうな感じもするが。

145 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/18 00:54
朝鮮出兵の失敗というものを単に当時の「武士」ないしは「日本軍」
が弱かったからとするのはどうかと。

146 :世界@名無史さん:04/01/18 01:11

秀吉の朝鮮攻撃、20日でソウルを攻略している。王子2人を人質にした。
日本側の水軍が各個撃破されて、輸送に手間取ったのと、
食料生産が乏しすぎて、食料が調達できなかった朝鮮の土地が敗因であって、
結論から言うと、日本側の侍は強かった。


147 :世界@名無史さん:04/01/18 01:12
秀吉は朝鮮半島で敗れてしまったが

この辺がもはや違うんじゃないか?
明とか朝鮮軍に圧倒したわけだが?
つか、君ちゃんと本とか読んでる?



148 :世界@名無史さん:04/01/18 01:12
侵略戦争の強さは、防衛戦争の強さの数分の一までに落ちますからねえ。

149 : :04/01/18 01:35
>>143
>侍の"強さ"とこの事実はほとんどなんの関係も無いっしょ。

つまり関係ない話ばっかりするな、って事ですね。

150 :橙武者:04/01/18 02:42
>>146
李朝は、文治国家といいながら、苛政ゆえに民衆の支持を受けておらず、
明もまた暗君万暦の御世。私利追求の派閥抗争放置時代。
秀吉軍と実質的に戦ったのは、主に遼東方面軍で、これは李成梁の息がかかっていたときく。
この男は良民の首を刈って賊徒平らぐとし、その功によって累進し、
ヌルハチ等と癒着して私利を専らにした男ときく。
漢人ではなく、その祖は朝鮮族とも女真族とも言われる男ときく。
その子、李如松は手柄欲しさに、南方の大砲や火セン部隊をあまり使わず、
狭隘な地に鉄騎部隊を繰り出して、小早川・立花らの餌食となり敗北したが、
倭侍の勝利は運が良かっただけ。
(倭侍の数少ない長所は、鳥銃の扱いに優れていたこと? 倭軍の長所は鳥銃の保有量?)

> 秀吉の朝鮮攻撃、20日でソウルを攻略している。王子2人を人質にした。
蔚山城で清正を苦しめた楊鍋らは、さほど有能ではない。
後にサルフでヌルハチに大敗北を喫したときく。

> 食料生産が乏しすぎて、食料が調達できなかった朝鮮の土地が敗因であって、
現地調達のみに頼っていては負けるはず。搾取のみに頼っていては勝てない道理。
倭寇は海賊な割りに水戦に弱いと、中国側の史料にはっきりと書いてある。
日本の敗因の一つはそれ。

151 :橙武者:04/01/18 02:45
>>148
同意。
しかも、侍は文弱苛政国家、乱脈斜陽国家を相手に撤退。
侍は、少なくとも頭は強くなかったと思われ。

152 : :04/01/18 02:53
>>150
>> 食料生産が乏しすぎて、食料が調達できなかった朝鮮の土地が敗因であって、
>現地調達のみに頼っていては負けるはず。搾取のみに頼っていては勝てない道理。

これを読むと、大東亜戦争でも日本は同じことを繰り返していたような・・・(^^;)
食料調達を軽視するのは、日本の伝統なのかしらん?


153 :橙武者:04/01/18 03:00
>>152

既得権の保持(及び新たな利の獲得)に目を奪われ
緻密な世界戦略に少々欠けている。
しかしながら、スローガンは充足している。

かの大東亜戦争も、そのようなところがあったと思われる。

154 :世界@名無史さん:04/01/18 03:10
話が侍では無く、唐入り(朝鮮征伐になりそう)

>150
貴方の知識量は素晴らしいが、考え方が自分と少し違うと思う。

>李如松は手柄欲しさに、南方の大砲や火セン部隊をあまり使わず、
使わないのでは無く、使えない量と質だった。
韓国人に聞いてみても、当時の朝鮮の火器の多くは、使える状態ではなかったようだ。
日本側から投降したとされる、沙也可が近代式の銃を伝えたとする話もある以上、
李朝鮮の火器はあてにならない。(明の火砲は除く)

李朝鮮は、建国の始まりから軍を抱き込んだクーデターであり、
自らが軍を恐れる体質になったようだ。
また、実際の能力よりも、派閥に左右される人事編成を行う専横王権主義の軍隊より、
封建主義的な実力主義の侍の軍隊の方が、幾分かマシなのは歴史が証明している。



155 :橙武者:04/01/18 03:27
>朝鮮の火器

いや、明の。

まあ、指揮官の能力も影響する。
小早川・立花らと李如松の戦いの日は、ひどく寒く氷雨まで降っていたとも
言われている。地がそのまま泥沼化。鉄騎部隊は足をとられた。
そこを倭侍が鳥銃でつるべ打ち、かな?
これは、卑怯。
元来、明人は当時の倭侍よりはるかに体が大きく、強弓を持ち、丈の高い馬に乗っていたという。
鉄騎部隊は異様な氣をはなっていたという。

>派閥に左右される人事編成を行う専横王権主義の軍隊
派閥に左右される軍隊を前に撤退したのだから、侍の負け。
全ては結果で決まる。


156 :世界@名無史さん:04/01/18 04:21
>地がそのまま泥沼化。鉄騎部隊は足をとられた。
>そこを倭侍が鳥銃でつるべ打ち、かな?
>これは、卑怯

(゜Д゜)ハァ?

157 :世界@名無史さん:04/01/18 05:16
電波?

158 :世界@名無史さん:04/01/18 09:32
釣り氏か,反日房

159 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/18 10:16
そもそも、「侍=日本刀で斬り込み」という発想が議論を誤らせていると思います。

西洋諸国にとって侍というのは、すでに16世紀の頃から、辞書に収録されているような周知の存在でした。
その存在と西洋文明が再び出会うのは、幕末の開国騒動以降ですが、そこで彼らは、
かつてアジア諸国で出会った事がないほど屈強で知的な武装集団と出会うわけです。
個人戦(小グループ同士の戦闘も含め)では、自分たちより20cm以上も体の小さい
侍にはとうてい及ばない事を西洋人は知っていましたし、何より彼らを驚かせたのは、
戦闘に及んだ時、彼らが死を怖れない事でした。
そして、生麦事件などで彼らがみた遺体の刀創で知った、日本刀の切れ味もまた、彼らを驚かせました。

そうした、個々の戦闘力としての武士については、確かに西洋人は怖れもしましたしおびえもしました。
しかし、こと集団による軍事行為、つまり戦争へ発展した時においては、幕末当時は西洋に
一日の長があった事は確かです。
当時の日本の戦争の有り様は、鎧甲冑に長槍、火縄銃といった徳川初期の状況で止まっていましたし、
軍艦もなく、黒船に匹敵しうる大砲もなかった状態を、西洋諸国は冷静に分析していました。
それでも、薩英戦争では少なからぬ被害をイギリス軍も出し、イギリスも、争って覇権を得るよりは、
和合して利権を得た方が日本との外交は得策だと考えを改めたと伝えられています。

いずれにしても、そうした侍・武士たちの知性や勇猛さがあったから、
日本が植民地化されなかった事は間違いない事だと思います。

160 :世界@名無史さん:04/01/18 10:20
色々沸くなぁ。

>地がそのまま泥沼化。鉄騎部隊は足をとられた。
>そこを倭侍が鳥銃でつるべ打ち、かな?
>これは、卑怯
ブレイブハートの世界ですな。

西洋の騎士は、飛び道具を卑怯として嫌ったと言うけど、どうなんだろう。
クロスボウ禁止令とかは、それだけクロスボウが急速に普及した裏返しでしか
ないと思うけど、でも、日本のように弓が誉れある武器とはされなかった。
そして、種子島のものすごい普及率。侍が軍事階級としての力を
持ち続けた理由の一つが、こういう柔軟性だと想像するけどどうよ?

161 :世界@名無史さん:04/01/18 10:48
かの国のお方がご光臨なされたのかと・・

朝鮮出兵失敗についての軍事的側面なら軍事板で聞いた方が早い
前聞いたんだが軍事方面は詳しくないので何となくわかった部分だけ書くと
まず出兵自体が無計画だったこと、事前の入念な準備無く渡洋打撃を伴う遠征は成功するはずがない
日本は戦国時代ということで将兵の練度・装備・戦術については非常に高い水準にあったが
基本的に内戦であるので戦略・外征能力、とくに兵站の概念がほとんど無かった
このため事前の兵糧・武器弾薬・兵数の充分な確保や遠征先への安定した補給を行うことが出来ず、
出兵に際して正面装備を優先して輸送したので特に兵糧の不足は深刻だった
(現地指揮官が槍なんていらないから鉄砲と火薬を送れと不満を漏らしていたり、無補給進軍などもあった)
現地の戦闘については、朝鮮軍は国内情勢の悪化疲弊に伴い弱体化しており撃退は容易であったが
明軍との戦闘が当時の武士団には荷が重く、個人兵装については日本側が圧倒的だが
大砲などの重火器は明側のほうが遙かに充実していたため大苦戦を強いられる
これには戦国時代の戦闘は山間部や森林地帯での戦闘などが中心で重火砲の類はあまり発達しなかったが
明側は逆に大規模展開可能な地帯での戦闘で培ってきた火砲技術があったためで
朝鮮出兵では明側の火砲の集中運用にかなりの被害が出ている

ほかには指揮系統の話も出てたんだがよく分からなかったので割愛

162 :世界@名無史さん:04/01/18 11:01
>>159
侍が本来「日本刀で切り込み」をする存在でなかった事は何度も言われてい
ることではないかと。それに恐れたとか勇気があったとかいった抽象的なも
のを理由として挙げるのは一寸・・・。
>>160
日本の場合だと『古事談』に
「鳥羽院が悪夢に悩まされておられた時、源義家が献上した弓を枕元に置かれたとこ
ろ何事も無くなった。そこで院は「この弓は奥州十二年合戦の折に使われたものか」
とお尋ねになられたが、義家は何も語らず却って関心された。」
という話がありますね。ただ武士が弓を使用するようになった理由は狩猟面での実用
性などもあった為であり「騎士よりも柔軟性があった」からという訳でもないかと。
(武士の起源は軍事貴族と狩猟民ほかの殺生を生業としていた人々の複合体からだと
いいますから。馬術や弓術も貴族の心得でした。両者を一緒にやっていたという例は
思いつきませんが。)

163 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/18 11:08
>>162
スレッドのタイトル自身が、
「武士・侍って弱くないか?」
という非常に抽象的なものなんではないかと思うのですが。

ちょっとギスギスした物言いをお許しいただけるのなら、
あなたの文章は目的語が欠落しており、何に対し批判されたのか
わたしにはわかりかねるのですが、いずれにせよ、
わたしが意図して書いた部分ではなく、枝葉末節を取り上げて
お返事頂いたような気もしないではありません。

164 :世界@名無史さん:04/01/18 11:16
>>160
> 西洋の騎士は、飛び道具を卑怯として嫌ったと言うけど、どうなんだろう。

卑怯というか撃たれると死ぬから禁止になったらしいです
現代人にはよく分からないルールが当時の戦には色々ありますね
日本にもそういったルールがかなりあったらしいですが日本や西洋に限らず
同文化圏内の戦争には必ずこの手のルールがあったようで、
兵士の生命の価値が下がるにしたがい無くなっていきました

現代において大経口火器(20mm以上だったかな)で兵士を直接狙ってはならないとか
散弾の使用禁止などの国際条約の類はもともと上記のようなルールの現代への復活を考えたものだそうですが

165 :橙武者:04/01/18 11:38
>日本刀の切れ味もまた、彼らを驚かせました。

かの欧陽脩も驚いている。
ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/fusang08.htm

このページでは割愛されているが、徐福とともにわたった人数の中に
優秀な職人集団がいて、精巧な技術を伝えたために、
日本刀は切れ味が鋭いのだというようなことが書いてある。
従って、日本刀は支那のパクリ。

166 :橙武者:04/01/18 11:40
>>161
>兵站の概念がほとんど無かった

いやいや、皆無とはいえないはず。
たとえば小田原攻。
兵站はともかく、補給には気を配っていたはず。
しかしながら、当時の石田ら豊臣官僚には、能力に限界がある。
彼らもそれを分かっていたので、小西らと組んでペテン外交を行った。

167 :橙武者:04/01/18 11:43
166に付け加える。
水路補給が、李舜臣ら朝鮮水軍の暗躍で、どの程度妨害されたのかが重要。


> 指揮系統の話も出てたんだがよく分からなかったので割愛

私もよく分からないが、勇猛な地震加藤も領主。
臆病な大友義統らも領主。せいぜい改易止まりときく。

明軍の指揮官たちは武科をパスした官僚だ。
過ちを犯して敗北すると、逮捕投獄処刑と定められている。
敵の姦計に中央が騙された場合も、この定められた道をたどるときく。
(皇帝が寵愛する宦官等に賄賂を送るなどして、中央を巧く誑かせば、
それを逃れられるばかりか、戦功として評価される可能性も出てくるときく。)

個人的には侍よりも、義兵ゲリラや農民兵が強いと思う。
李朝の権慄らは農民兵を率いていたときくし、郭再裕もゲリラときく。
かの米軍もイラクで苦戦しているときく。

168 :世界@名無史さん:04/01/18 12:11
武士って動きが遅そう。いや何となく

169 :世界@名無史さん:04/01/18 12:14
職業軍人よりもアマチュアの方が強いって、どういうセンスなんだ?
正面切って軍隊として戦闘したときの強さは比較にもならんと思うが。

170 :橙武者:04/01/18 12:24
>>168
かの国姓爺鄭成功軍には、鎧兜を身にまとった武士部隊があり、
支那では、彼らを鉄人兵と呼んだほど。
武士は重武装なため、動きが鈍かったと思われる。
私も経験があるが、あんなものを身に着けていては
短距離走も中長距離走も、やっていられない。動きもままならない。

>>169
「正面切って」というセンスではダメだ。

171 :世界@名無史さん:04/01/18 12:32
>167
>日本刀は支那のパクリ。

錬鉄の技術を研究して下さい。

172 :世界@名無史さん:04/01/18 12:41
>元来、明人は当時の倭侍よりはるかに体が大きく、強弓を持ち、丈の高い馬に乗っていたという。
日本の弓も長弓ですよ。体が大きい事と強いこと、戦闘能力は関係ない。

>地がそのまま泥沼化。鉄騎部隊は足をとられた。
>そこを倭侍が鳥銃でつるべ打ち、かな?
>これは、卑怯。

泥沼なのは日本側も同じ、日本の銃器は卑怯で、明の火砲は良いのですか?
少し、感情的な価値基準過ぎですよ。
戦場に対する能力も、評価の対象でしょう。


173 :世界@名無史さん:04/01/18 12:45
>167

>明軍の指揮官たちは武科をパスした官僚だ。
>過ちを犯して敗北すると、逮捕投獄処刑と定められている。

腐敗した派閥政治は、李朝鮮の”士禍”で検索すれば分る。
何よりも派閥と王の意志だけが重要な朝鮮では、
能力や功績は無意味、功績があっても最下級に落とされた李舜臣を見れば分る。


174 :世界@名無史さん:04/01/18 12:49
大リーグvs日本球界って感じだな。
少数の有能者は居たけど、総合力では明に到底敵わない。

175 :橙武者:04/01/18 12:55
>錬鉄の技術を研究して下さい。
いや、その前に徐福伝説の研究も必要だろうと思う。

>日本の弓も長弓ですよ。
その倭侍側の史料に、特に(明側)「強弓」と記してあったときく。

> 感情的な価値基準過ぎですよ。
武士道にとらわれていた。反省しよう。
しかしその辺のことは、170で自省したつもりだ。
(「正面切って」というセンスではダメだ)
まあ、指揮官の心の持ちようも大切だ。




まことに勝手ながら、真の武者に後を委ねると致す。


176 :世界@名無史さん:04/01/18 13:09
ベーブ・ルースとペレはどっちが優れていたのか?
などという質問と同義だろ。
拠ってたつ価値が違うんだから比較は無理。

177 :世界@名無史さん:04/01/18 13:12
>167

李朝鮮側の腐敗した組織の様子は、姜の「看羊録」を読むと分る。
姜はやたらと「倭○」と言う別称を使う朱子学の華慕思想の弊害者だが、
(橙武者が好んで使う倭侍も、倭を蔑称と勘違いしているのか?)
李朝鮮を描いている内容に価値がある。
以下、崔 基鎬の引用で紹介しよう。
「わが国はふだんから兵を養うことも、民を教化することもせずに、
壬辰倭乱(文禄の役)が起ってからは、農民を掻き集めて戦場へ駆り出している。
いくらかでも金や財産のある者は、賄賂を使って兵役を逃れるから、
頼る者がない貧民だけが的を防ぐ役割を負わされる。
 将は常備軍を持たず、兵士には決まった将がいない、民は半ば巡察使に、半ば節度使に属している。
一人の兵士は朝が巡察使の指揮下にあり、夕方には都元帥の指揮下である。
将と兵士が目まぐるしく入れ替わるために、統率することが出来ない。


☆こうした派閥勢力に、軍を混乱されない部分も、侍の強さの1つだろう。

178 :世界@名無史さん:04/01/18 13:25
177の続き。
わが国では衛門の数がおびただしく多く、矛盾する政令を乱発し、
州や県の士卒を根こそぎ挑発し、倉庫の食料を持ち出して空にしてしまう。
倭賊が攻めてくるころには、何も残っていない。このような状態では、
もし、張、韓、劉、岳を生き返らせたとしても、逃げ出すほか無い。

秀吉の侵略から運良く免れた李朝鮮だったが、
戦争面での反省も国家再建にも努力もせずに派閥権力争いを続け、
丁卯胡乱(ジョンミヨホラン)満州族の侵入を許し、
王は江華島に向かったり、南漢山城へと逃げ回り、国土は再び焦土となった。

明も東林党と非東林党に分かれ、どうようの権力闘争の弊害を抱え込んでいた。

結果的に見て、侍の礎である封建制度から、軍事的有利な部分があると思います

179 :世界@名無史さん:04/01/18 13:36
捕捉、倭の意味。

倭の詳しい説明は、司馬遼太郎の「街道をゆく」2巻(韓のくに紀行)にも説明があります。

P206の「倭の順なること」より引用。

後漢の頃の字書である”☆説文解字”を読の説明として、次の通りだと説明しています。

  倭 = 順ナルカタチ。人二従フ。委声 (順なる形、人に従う)


 漢字で見れば分るが、「倭」は「委」の文字に人偏を付けた文字です。
 委の使われた文字、「委員」、「委託」、「委任」を見れば、
 ”☆説文解字”の説明の方が正しいことは明らかでしょう。

 儒教(主に朱子学)の弊害、または極度の慕華思想が、
 「短」に近い文字「矮」を「倭」の文字と歪曲して、
 「矮小」の文字を「倭」と捏造していったと考えられます。



180 :たかりすぎ神策:04/01/18 13:44
侍も色々だよ。
われらは、倭では旗本八万旗のようなものかな?
満洲八旗も後々には、侍の鏡のような存在になったのだから。

われわれ近衛侍は何かと美味しいものだよ。
国家から様々な特権を受けているし、
いざ国家の危機となっても、お金をちょっと出せばいい。
あぶれ者や病人と直ぐに代わって貰える。
(われわれが一番苦慮するのは、世渡りだよ)
だから、われわれはあぶれ者や病人と同等の力を持っている。
要するに手抜きだよ。手抜き部隊に勝てない侍はやっぱり弱いと思う。


>結果的に見て、侍の礎である封建制度から、軍事的有利な部分があると思います
そういうのは私兵侍というんじゃないかな?
清時代では、団練や郷勇にちょっぴり似ているかな?
八旗に比べて数段弱いんじゃないかと思う。私がそう思っているだけ。

181 :たかりすぎ神策:04/01/18 13:46
>>179
右っかわの、「委」だけれども。
委縮や萎縮、転じて陰萎という言葉もあるけれど、禁欲的な様も
あらわしているよね。

182 :世界@名無史さん:04/01/18 15:27
>180
???
 だんだんと主張が怪しくなっている。
 貴方達は、封建制度から勉強し直した方が良い。

封建=封土を分けて諸侯を建てる意
   領有統治
   (広辞苑より参照)

封建制度
 1,天子の下に多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が自領内政治の全権を握る国家組織。
   中国周時代に行われていた。  ←→郡県制度。

○2,封建社会の政治制度。
   領主が家臣に封土を給与し、代わりに軍役の義務を課する主従関係を中核とする。
   我が国(日本)では、鎌倉幕府の成立と共に発展、江戸時代には内容を変じたが、
   外形は完備した。
   (広辞苑より参照)

  >満洲八旗も後々には、侍の鏡のような存在になったのだから。
  >清時代では、団練や郷勇にちょっぴり似ているかな?

封建制度の内容を確認すれば、違う事はあきらかです。
戦闘こそが、封建領主達の義務なのです。

>国家から様々な特権を受けているし、
>いざ国家の危機となっても、お金をちょっと出せばいい。
  
177,178で引用して説明しましたが、金で許されるのは、朝鮮や明です。
  封建制度では、あり得ません。   


183 :たかりすぎ神策:04/01/18 16:45
侍は、封じられた地に根を下ろし、やがて枯れたりするものだよ。
それで、どこの馬の骨とも知れない侍が新たに出てきたりする。
血縁、地縁も重要になってくる。

>177,178で引用して説明しましたが、金で許されるのは、朝鮮や明です。
この神策も許されている。違うかい?


184 :世界@名無史さん:04/01/18 17:21
>そういうのは私兵侍というんじゃないかな?
>清時代では、団練や郷勇にちょっぴり似ているかな?
>八旗に比べて数段弱いんじゃないかと思う。私がそう思っているだけ。

日本において侍はすべて私兵のはずだが
律令において定められた軍団が廃止されてから、明治に建軍されるまで
一部をのぞいて私兵も私兵なんだが?

もしかして大陸のかたですか?
賄賂による兵役逃れを神策とか表現しているし

>しん‐さく【神策】
> 霊妙なはかりごと。
> 卜筮ボクゼイに用いるめどき。


185 :世界@名無史さん:04/01/18 18:26
朝鮮出兵については、侵略のやり方を日本側がよく知らなかったんじゃないかな。
兵をすすめて攻略することはできても、その後の植民地化ができなかった。
攻略よりも統治の方が難しいという一般的な原則があるけど、
似たような文化を持つ国内でばかり戦っていたから、その辺を
理解できていなかったんではないかと。

渡来人の多かった時代ならまだしも、大陸とは別の文化圏となっていた
あの時代、どうやって半島を領土として維持するつもりだったんだろう?

186 :世界@名無史さん:04/01/18 18:45
徐福伝説とか言ってるアフォがいるスレはここですか?



187 :世界@名無史さん:04/01/18 18:58
>>186
まあ、徐福とか出している時点で平均的な世界史板住人には
電波ってわかるし
そこら辺はスルー

188 :たかりすぎ金策:04/01/18 23:44
>賄賂による兵役逃れを神策とか表現しているし

辞書引きは苦手。
由来は私の経歴。私は元神策軍押牙。

賊徒征伐のため出陣する神策軍の勇姿をご存知ないとみえる。
賊軍六十万に対し、われらが神策軍は二千。悲壮感が漂う。
長安の人々はそんなわれらをどんな気持ちで眺めていたのだろう。

189 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/19 01:11
>>138
忘れるとこだった、ちょっと待っとけ(´・∀・`)

>>150
>倭寇は海賊な割りに水戦に弱いと、中国側の史料にはっきりと書いてある。
おいおい、日本が朝鮮出兵時に倭寇と呼ばれる類の海賊が沿岸部への襲撃用に用いてた
船をそのまんま使ったとでも?

>>159
>そもそも、「侍=日本刀で斬り込み」という発想が議論を誤らせていると思います。
いまだにンなこと言ってんのアンタだけだよ。いや、そうだよねみんな?

>当時の日本の戦争の有り様は、鎧甲冑に長槍、火縄銃といった徳川初期の状況で止まっていましたし、
止まってない止まってない。19世紀初頭に火打ち式小銃が取り入れられ、さらに1831年に大々的に
雷管式発火装置が導入されている。

>>163
>スレッドのタイトル自身が、
>「武士・侍って弱くないか?」
>という非常に抽象的なものなんではないかと思うのですが。
それで?

>>175
>いや、その前に徐福伝説の研究も必要だろうと思う。
ありません。

>しかしその辺のことは、170で自省したつもりだ。
>(「正面切って」というセンスではダメだ)
そーゆーのも世間一般的に感情的な価値基準過ぎですよ。

190 :世界@名無史さん:04/01/19 02:43
スレ建てたからには、最後まで面倒みてくれるよな・・・。
密かに応援。

と、突っ込み。

>止まってない止まってない。19世紀初頭に火打ち式小銃が取り入れられ

17世紀初頭からほぼ完全に戦争が無くなり、
それから19世紀初頭まで変化無し、という認識で問題ある?
見た西洋人は「こいつら200年前の装備…」と思ったはず。
まぁ、19世紀より前の時代で200年という年月は、
長い人類史のなかではほんのわずかではあるけども。

191 :世界@名無史さん:04/01/19 03:57
>>189
>それで?

こうゆう言い方は2ch特有のあれですかね。

192 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/19 09:32
>>189
>いまだにンなこと言ってんのアンタだけだよ。いや、そうだよねみんな?

http://info.2ch.net/before.html
頭のおかしな人には気をつけましょう

利用者が増えるに従って、頭のおかしな人もそれなりに出没するようになって来ています。
頭のおかしな人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。

頭のおかしな人の判定基準

・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
 他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
 無茶をし始めるので見かけたら放置してください。

・根拠もなく、他人を卑下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人
 他人を卑下することで自分を慰めようとする人です。実生活で他人に褒めてもらう機会がないが
 プライドだけは高いとか、匿名の掲示板しか話し相手のいない人です。可哀想なので放置してください。

・自分の感情だけ書く人
「〜〜がムカツク」とか自分の感情を掲示板に書くことに意味があると思っている人です。
何がどのようにムカツクのか論理的に書いてあれば、他人が読んでも意味のある文章になりますが、
そういった論理的思考の出来ない人です。もうちょっと賢くなるまでは放置してあげてください。

193 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/19 09:38
>>189
>止まってない止まってない。19世紀初頭に火打ち式小銃が取り入れられ、さらに1831年に大々的に
>雷管式発火装置が導入されている。

それは限られた豊かな藩だけでしょう。
それにしても、なんか知らないけど、失礼な方ですね?

194 :世界@名無史さん:04/01/19 10:07

幕末&明治維新時の日本の戦争技術は、西洋に比べて格段に劣っていたが
白兵戦だけは強かった。
明治初期に欧米から軍事教官が多数招かれた時に、サーベルの教官もやってきたので
試しに日本式剣術で挑んでみた所そのあまりの弱さに驚き、剣術だけは日本式にして
サーベル格闘術は見送る事になったそうだ。
やがてはサーベルから軍刀が標準装備となった。


195 :世界@名無史さん:04/01/19 10:12
前スレは俺がたてたんだがいつの間にか2スレ目がたってるwなんか嬉しいな

196 :世界@名無史さん:04/01/19 11:47
>>194
戦闘は火力だからね
薩摩も1人1銃主義を貫いたし、新撰組も野戦ではたいした活躍を行えなかった。
火力戦闘をマスターしてからでしょ新撰組出身者が活躍できたのは。

197 :見物人:04/01/19 12:18
時代をある程度限定したほうが良い気がします。
幕末や江戸時代の武士と戦国中世の武士じゃ別物ですよ。
火力戦闘が本格化した後はもはや日本的な武士の戦いじゃないですよね。
250年も戦から遠ざかった武士と完全に国民国家の軍隊として組織された集団では比べるのがちょっと平等じゃない気がします。
後、他の方も言っていますが西洋の盾を使った剣術と日本の江戸時代の剣術じゃ目的が全然違うので比べるのはやはり変だと思います。
戦国の槍足軽と比べたほうがいいと思うんですが
盾は戦場の道具ですから一部古流のフェンシングにも使われたらしいんですがそのへんの資料は持っていません。それにしても小さな盾で3分の2を守るほど大きな物ではなかったはずです

198 :世界@名無史さん:04/01/19 13:23
戦国時代初期の白兵戦でも、刀は主力ではない。
”長槍”と”鎧通し”が標準的な武器です。
刀で切り結んでいると思う発想は、近年の時代劇の影響でしょう。
刀では鎧は切れないし、2,3人斬ったら砥がないと使い物にならない。

>197
自分も時代を限定した方が良いと思う。
前にも書いたが、制度的な問題でしか比較検討できない。

王権中心の軍隊<<<封建制の軍隊<<<近代式皆兵制の軍隊。

199 :世界@名無史さん:04/01/19 13:33
倭寇が日本人だったのは初期だけです。
侍として議論するのは不適切だと思います。
ここの↓
http://kyujanggak.snu.ac.kr/home/digital.htm
右側にある世宗荘憲史録の104巻。真ん中よりやや後半部分。
↓抜き出し。
http://nakai59.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img/173.jpg

「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」
翻訳
「倭人は全体の1、2割に過ぎずして、殆どは、本国(朝鮮)の民が、倭服を着て徒党を組み、混乱を作った」

200 :世界@名無史さん:04/01/19 13:54
199の続き。初期倭寇の発生。

元寇と応永の外寇

 高麗側は李従茂が指揮する227隻,1万7,258人からなる大軍を率いて対馬を侵略し、
 民家1,939戸、首級104をあげたが、対馬に反撃され2,500名の犠牲を出し、
 宗貞盛の撤兵要求を受け入れて巨済島に引き揚げた。

 高麗兵の士気も高く、釈円鑑は「東征頌」で、
 「鼓ヘイ巨浸に轟き、旌旆長雲を払う。驍勇皆死に趨き、英雄競いて勲を立てんとす。」
 と日本侵略を鼓舞していが(侵略は自主的行為)、結果的には対馬が高麗を撃退した形になる。

 しかし、この時の高麗の残虐行為は、対馬の人々の怒りと恨みを買った。
『日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇』
 「二島百姓等、男はあるいは殺あるいは虜、女は一所に集め、手を徹、舷に結付、虜の者は一人も害さざるなし。
 肥前国松浦党数百人伐虜さる。この国の百姓男女等、壱岐・対馬の如し」

・男は殺害、女は集められて手の平に穴を開けられて縄を通され船縁に吊るされた。
・200人の少年少女が「強制連行」され、高麗王とその妃に献上させられる。

 こうした背景があて、対馬の人々の報復(初期倭寇)が始まる。

清代の徐継畭の『瀛環志略』、朝鮮後期の安鼎福の『東史綱目』には、
 倭寇の原因は日本に対する侵略(元寇)を行った高麗人に対する
 報復という一面があることを指摘している。

 中期以降は、朝鮮側が朝貢の形で対馬に米を与え、見返りとして倭寇を止めて貰った。
 残った殆どは、朝鮮史録に書かれている通り、地元の朝鮮人と、密貿易中心の明人。


201 :見物人:04/01/19 13:54
そもそも江戸時代の二本差しと戦国時代の戦場刀ではまったく別のアイテムですよね?
もちろんその戦場刀もメインウエポンではないですが。
刃物って包丁もそうですが切れれば切れるほど脆くなりますから。
少なくても戦場刀と江戸時代の刀では研ぎが違うと思うんですよ。
包丁は下手糞ながら良く研ぐんですけど、仕事で使ってるときにちょっと豆粒みたいな石に触っちゃっただけで刃がいかれちゃいます。
そうすると元に戻すの大変なんですよ。

202 :世界@名無史さん:04/01/19 14:00
200の捕捉。
まさか日本人の中で勘違いは無いと思うが、
一応朝貢(臣従)は、対馬が朝鮮に対して行う形で、見返りとして米を貰った(100石)。
(対馬は米が殆ど作れなかった)
韓国人の言う対馬が韓国の根拠はこの事を言うのだが、日本側は100倍の米(1万石)を与えていた。
韓国人の臣従行為が領有権の根拠となるなら、朝鮮半島は中国の領土となる。


203 :世界@名無史さん:04/01/19 14:02
>201
自分の頭の中では、江戸時代の刀(二本差し)は、
身分証明書だったと思う。w

江戸時代、刀を研ぐにしても、沢山のお金が必要だった。

204 :見物人:04/01/19 14:23
なるほど竹光とかでてきたのも江戸時代ですよね。
江戸時代はそんなには人斬りってなかったらしいですよね。
鬼平と江戸 図書館で読んだら泥棒も金よりも布団とか生活用品盗んでいた人のほうが多かったみたいですね。
十手ってかなり恐ろしい武器で長谷川平蔵は軽犯罪になるたけ十手を使わないように指示を出していたとか書かれていましたし。
長谷川平蔵とゆうう人物は鬼とゆうよりむしろ逆で軽犯罪者の人権に初めて取り組んだ人なんですね。
職業訓練所のようなものも建設したようですし。
だいぶ武士からずれてしまったかもしれませんが一応江戸時代はそんなに刃傷沙汰は多くなかったとゆう事で締めくくります。

205 :世界@名無史さん:04/01/19 14:59
竹光はもちっと昔からあったきが。
上泉さんじゃないの?

206 :世界@名無史さん:04/01/19 15:20
>205
袋竹刀じゃないの?
割竹を皮に入れて漆をかけたようなもん。

竹光は竹光で木に銀箔塗ったこけおどしの刀とかならぽちぽち
聞き書きとか伝承には出てくるけど。

207 :見物人:04/01/19 15:27
竹光のことは資料とは関係ないです。
僕は時代劇の見すぎかもしれません。

208 :世界@名無史さん:04/01/19 15:54
スレの最初の方で盾の話が出てたけど
戦国時代に竹把(漢字あってるかな?)っつー弾丸除けがでてくるけど
あれも一応盾に入るのかな?

209 :見物人:04/01/19 16:05
あのよく陣に敷設してある奴ですか?
それだったら
西洋にも似たようなのでハピィスとかゆうのがあったと思います。
盾ってゆうよりバリケ−ドに近いのかな。
でも一応、盾は盾ですね。盾っていっても色々あるようで、西洋でも中世末期は手に持って歩く盾はバックラ−みたいな丸いタイプがほとんどみたいですよ。
でも日本の戦国の始まるころはむこうもポ−ルア−ムが主流ですね。ビルってゆうう武器が日本の足軽の槍に相当するのかな。

210 :突撃!!天狗党:04/01/19 18:25
源義経(美容整形手術済み)vsアーサー(スモールライトで小男に)
正宗vsエクスカリバー
の方が違う時代の軍隊を比べるより現実的だろ 

211 :世界@名無史さん:04/01/19 18:56
>>104あたりの>>13さんへ。
>日本人が楯を使わないのは日本刀が両手で持つ武器だから、というのと、

1「あくまで騎乗武士の刀をサブウェポンとして見る」
>>13さんは騎乗武士のメインウェポンはなんだったとお考えですか?
僕はメインウェポンは弓で、刀はサブウェポンだったと考えます。
騎兵同士の近接戦闘において弓の直接照準射撃で対応している場面がよく絵巻などに残っていますが、
もし刀がメインウェポンであるならばそういった展開はありえないのではないでしょうか。
防具のスタイルはサブウェポンよりはメインウェポンに規制されるとするならば、
やはり弓は両手を使う兵器ですから、楯を持つことがないのは
弓をメインウェポンに据えた結果ではなかったでしょうか。
「弓をメインにする→楯を持てない→弓を置けば両手フリー」という流れがあって初めて、
サブウェポンたる刀は両手剣になりえたのではないでしょうか。
>>13さんが考える因果関係は順序が逆ではないのかと言いたいのです。

212 :世界@名無史さん:04/01/19 18:56
2「歩兵の刀がメインウェポンでありうる可能性」
同じく、刀狩り以前の歩兵のメインウェポンについてはどうでしょうか。
中世に登場した悪党的な様子で描かれている歩兵たちは、
刀以上に薙刀や弓で個別的な近接戦闘を戦っています。
気になるのは、刀を持って打ちかかる人々の多くが
肩に「担え銃」のようなかたちで片手で垂直に刀を構えていることです。
少し前に出してフェンシングのサーブルのように垂直に構える者も多いです。
この姿勢、薙刀を片手で地に突いた姿勢と妙に似ています。
おそらく両手で束を握るとバランスが取れず走りづらいためでしょうが、
思うのは、これら刀は「1.5手剣」であったのではないか、ということです。
本格的な打撃を与えるためには両手で使用するのがよいが、機動戦闘時には片手運用も可能な剣。

213 :世界@名無史さん:04/01/19 18:57
3「歩兵の刀がメインウェポンでありうる可能性 続き」
もっと言ってみます。
日本刀とは、「片手で扱える薙刀」だったのではないか。
ふつうは曲刀である日本刀がまずあって、それをポールアーム化したものが薙刀といった印象ですよね。
けれど、徒歩戦闘のメインとして日本刀はあきらかにおかしい。リーチが短かすぎる。
メインウェポンである薙刀(曲刀)がまずあって、(古代の矛などから発展してきて)
これの屋内戦闘・密集戦闘対応兵器としてミニ薙刀としての日本刀があらわれたのではないか。
ミニ薙刀であれば、薙刀の用法が受け継がれるでしょうから、
楯を同時に装備することは考えにくいと思います。
こう考えると、
>日本人が楯を使わないのは日本刀が両手で持つ武器だから
というのは歩兵については正しいと思います。
しかし、それは日本刀という兵器のきっちり固まった伝統的運用からくるのではなく、
ミニ薙刀としての出自に理由があるのではないでしょうか。

214 :世界@名無史さん:04/01/19 18:57

その後薙刀は槍に、弓は銃にとって変わられ、刀は個別戦対応の近接戦闘兵器として残ります。
そうして全国的な武器規制により低脅威化した世の中で、
相対的に、また人為的に刀の地位が上昇したのではないでしょうか。
剣道など刀を使う兵法をおとしめるものではありませんが、
歴史的に見て刀の軍事的役割はごく限定されたものだったと私は考えています。


215 :見物人:04/01/19 19:20
戦といってもずっと戦闘状態じゃないですからね。
陣中などで不意に襲われたときには刀で戦うしかないのでしょう。
携帯できる武器の中では最強の部類に入るでしょうから。
槍や弓や鉄砲は兵器としてとらえたほうが誤解しなくていいですね。
兵士も略奪したでしょうけど、農民も半分ゲリラみたいに油断もスキもない連中だったんでしょう。

216 :世界@名無史さん:04/01/19 19:58
刀を片手で振り回しても、致命傷は与えられません。
中世以降の鎧では、鎧の隙間を突き刺す鎧通し(西洋ではダガー)の方が役に立つ。

217 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/19 21:11
あー、雷管銃云々についておもいっ糞間違えてた。スマソ。

1831年にゲーベル銃などの火打ち式銃が取り入れられ、1841〜1855年間に江川英龍が雷管式発火装置
を発明して、これ以後日本の火器の発火装置は雷管式に置き換わってゆく。

>>190
>17世紀初頭からほぼ完全に戦争が無くなり、
>それから19世紀初頭まで変化無し、という認識で問題ある?
200年近くたいした変化はなかったっつーのは無かったことは確かにその通り。
ただ、西欧でもそんなに(イメージされているであろうほど)急激に軍事技術が発達していたってワケ
でもない。

1547年   火打ち式発火装置の発明
159?年   ナッサワ公マウリッツによる横隊戦術・三兵戦術の確立
1620年?   火打ち式発火装置の改良、以後主流となる
1630年   瑞典王グスタフ・アドルフが三十年戦争に参戦、以後三兵戦術が全西欧に定着する
18世紀初頭 ソケット式銃剣の発明、以後パイク兵が消滅してゆく
1780年〜  英国で産業革命興る
1807年   雷管式発火装置の発明
1812年   実用的な薬莢と後装銃の発明
1836年   金属薬莢の発明
1840年   プロイセンで後装式のドライゼ銃が採用される(実践投入は1853年のクリミア戦争から)
1840年〜  雷管銃の普及
1843年   クルップの鋳造鋼鉄砲
1849年   「ミニエの原理」の発明、マスケット銃の消滅

この後南北戦争とかがあるわけだけど、要する産業革命以前なら、200年前の装備であろうとそんなに
劣っていたものではなかった(後金が優れた火器を揃えていた明を圧倒したように)んだけど、産業
革命が起こると、それによる軍事技術のめまぐるしい発展を経験した国とそうでない国との差はどう
しようもなく広がってしまった。
よーするに、産業革命がなけりゃ「200年遅れ? その程度ならどってことねー」だったハズなんだ。
で、アヘン戦争とかを聞いて慌てて西洋式の軍事技術を取り入れる、と。

218 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/19 21:12
>>192
何だ、この言い方は気に入らないかね? んじゃ訂正するよ。


話ループさせてんじゃねぇよこの勘違いアホ。

>>193
ちがうよ。もちろん「一斉に」置き換わったわけでもないが。

>>194
そもそも西欧のサーベルって騎兵用の武器だし、微妙にフェアじゃないな(w

>>198
>刀では鎧は切れないし、
ほんじゃ刀は駄目で槍なら貫けるという論拠は? 鎧通しで切り結んでいたとでも?
凄い想像するね。

>2,3人斬ったら砥がないと使い物にならない。
ヒコーキ乗りだって5機も落とせばエースだぞ? 2、3人も切れりゃ精鋭だわい。
ついでに、従者とかの存在は無視ですかい?

>>199
まぁその通りなんだろうが、「侍」として語れるほどその強さが喧伝されてたのは基本的に日本人の
倭寇だったろうわけで。

219 :世界@名無史さん:04/01/19 22:16
刀で鎧きれないって、脳内ソースはやめてくれないか?

盾を使わなくなったのって、鎧の発達とかも関係あるのかもな。
片手で致命傷与えれなくなったから、そのために両手持ちになったと。
刀は普通両手持ちだろ。

220 :世界@名無史さん :04/01/19 23:07
ほう、じゃあんたは切ったって言うのか?たいしたもんだ!。
どっちが脳内だか・・・
218・
片手剣でも両手持ちと対等に勝負できるんだよ。オタクがやったことがないだけさ。
刀で切るのと、槍で貫くは物理的に考えりゃ力がどう集中するか解るだろうに。
せめて刀で殴るといえば良いものを。鎧通しは組み討ちに使う物だ。
組み討ち持ち込むにゃ、盾は邪魔だろ。大した想像はできないようだな。


221 :世界@名無史さん:04/01/19 23:33
>>220
山田浅右衛門って知ってますか?
刀できたとき、何を切って切れ味を試したかご存知?

刀で鉄を斬れないって暗に言ってるなら、「探偵ファイル」でも
みてきなよw
シロウトが刀で鉄斬ってるから。

222 :世界@名無史さん:04/01/19 23:34
つうか、>>220は口だけで常にソース出さないな
人物名とかさ、事象とかでもいいしさ。


223 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/19 23:44
>>220
>刀で切るのと、槍で貫くは物理的に考えりゃ力がどう集中するか解るだろうに。
刀を振るのと、槍で突くは力学的に考えりゃ力をどう込められるか解るだろうに。

>組み討ち持ち込むにゃ、盾は邪魔だろ。大した想像はできないようだな。
欧州の騎士も組み討ちでトドメ刺してたようだが、彼らは楯持ってるね。
大した想像はできないようだな。

224 :世界@名無史さん:04/01/19 23:55
>211氏の説面白いな。
出典あり?オリジナル?
>日本刀とは、「片手で扱える薙刀」だったのではないか。
ここの部分、調べたら出てこないかな。

225 :世界@名無史さん:04/01/20 00:10
>>221
すえもの切りと、打撃を吸収する肉体を中に納めた鎧を切るとでは
全く違うと思う
実際はどうだったのやら?


226 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/20 00:16
着物を着た相手を切り殺すのにも相当の技量が必要であったようで、
戦場では鎧を着けずに走り回っている者も見られたそうです。
勿論矢や鉄砲を持って来られたり短槍で突かれたら最後でしたが。

227 :世界@名無史さん:04/01/20 00:20
実際?

「おいお前、ちょっとその岩に寝ころんでくれ」
「こうか?」
「いや、もう少し縦だな、、斜めに岩に抱きつく感じに」
「抱きつく感じ、か」
「いい角度だ。それじゃ行くぞ、えい!」
「え、どこhhhhhhhh
ずしゃぁぁぁッ

ってやれば、切れるかもしれない。
まず、鎧は鉄の厚い板のようなものではないし、
可動性を確保するためにどうしてももろくなる部分がある。
重くて鋭い刃をかなりの速度で当てれば、
金属でも軟らかいものはあっさり切れてしまう。
上で岩に抱きついてもらったのは、刀を振り終わるまで
相対速度を維持するため(固定しないと吹っ飛んで途中で止まる)。

228 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/20 00:22
>>213
見逃しがあったようだ。

>日本刀とは、「片手で扱える薙刀」だったのではないか。
生憎だが、黒作太刀や毛抜形太刀など、日本刀のプロトタイプは薙刀より先に
世に出ている。日本刀→薙刀という順番と言うことは確かなようで。

で、鉾+楯から(弓+)刀+大鎧への変化はなぜ起こったか? という命題を>>86-87あたりで
軽く扱ったわけだけど。


>>225
実験するわけにも逝かない話なわけだが、漏れの見解ではこう。
そもそも、プレートメイルや当世具足など、全身を覆う高級な鎧を武器が簡単に貫けない
のは当たり前。簡単に貫けるなら高い金出して身を固めたりしない。というわけで、攻撃側は
一か八か渾身の力を込めて、運良く角度が合うか弱いところを突けるか、あるいは衝撃で打ち
倒す事を期待して、効かないことの方が多いことを承知した上で攻撃する。

229 :世界@名無史さん:04/01/20 00:32
223・だから刀では鎧の上を滑ってしまうし、槍で突けば威しの間を突けるんだろ?
カッターナイフとキリで実験してみな。
新聞紙を重ねて、オタクの腿の上でやったら解るってもんだ。ww

ついでに欧州の騎士は組み討ちするときゃ盾を棄てたよ。
225・そのとおり。221・紐で下げた割り箸を出刃包丁で切ってみ。
ストローだって斬れるかどうか怪しいもんだ。ww
話しにならん。探偵ファイルはやらせって事理解してないね。

230 :世界@名無史さん:04/01/20 00:44
長曽我部元親の初陣では、戦闘のコツを「相手の鼻を狙って(槍で)突け」と
家臣からアドバイスされたと聞いたが

お前ら、何でよりによって一番堅そうな部位を破壊することを念頭に置いて話を進めるのですか?
戦闘に特化した連中が、鎧の分厚いところとか狙って攻撃するってのはファンタジーに等しくない?
直接打撃の格闘技経験者だが
プロテクターや厚いミット(畳状のタイプ)の上からでも、打撃力と言うのは十分に伝わる
中の人が、デカイ一撃食らってバランスを崩すことも多々ある
つまり、鎧の防御力は確かに大きなアドバンテージだが
人間知恵ぐらい備わっているわけで、打開策はどこかしら存在するのですよ

そう言えば、地元の南部藩武術諸賞流には前蹴りや肘当てで胴割りをする技があったそうだ
まあ、竹とか組んで作った胴プロテクターだったらしいが
それでも、戦場では有効な技術だろう
西洋鎧に効くかどうかは知らんが

231 :世界@名無史さん:04/01/20 00:55
>>226
戦場の暇つぶしに博打をしてそのカタとして取り上げられたのでは?

232 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/20 01:03
>>230
>お前ら、何でよりによって一番堅そうな部位を破壊することを念頭に置いて話を進めるのですか?
>戦闘に特化した連中が、鎧の分厚いところとか狙って攻撃するってのはファンタジーに等しくない?
まあ仰る通りではないかと(無駄でもなさそうですが)。
>>231
戦前にわざわざ生命に関わるものを渡したとも考えがたいのですが。
(装備といえば、当時は先を削った棍棒で武器を間に合わせる事もあっ
たそうです。)

233 :世界@名無史さん:04/01/20 01:06
なぎなた は、薙ぐ(なぎ倒す) 刀 だろ。
槍 は、遣り。向こうに飛んで往ってしまうもの。
前田利家の使ってたような槍は、本来の定義では、鉾だな。
でも、言葉はそのままで中身が入れ替わってしまうようなことは、よくあるこだ。

234 :世界@名無史さん:04/01/20 01:35
鎧のの上から、刀で斬りつける事など殆ど無意味。
槍と刀を比較しているようだが、”槍で突く”と”刀で切る”は、
構造も力の関係も全く違うし、殺傷力も違う。
(叩き割ろうとすれば、一撃で、刀の刃も折れる)

西洋でも板金鎧の時代になると、長剣は影を潜め、
ピックやハンマーのついた長柄の武器や、各種の槍、
メイス(打撃系の武器)に移行している。

鎧の構造や耐久性も、日進月歩している事を忘れてはいけない。

235 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/20 01:45
>>229
>223・だから刀では鎧の上を滑ってしまうし、槍で突けば威しの間を突けるんだろ?
とりあえず槍だと隙間を突けて刀だと真っ正面から殴りつけることしかできないという
君の発想に乾杯。

>ついでに欧州の騎士は組み討ちするときゃ盾を棄てたよ。
日本の武士が楯を持つと棄てられないという君の見解には何も言えない。

>>233
鉾の定義も難しいものだ。
とりあえず、徒歩でも片手で使い穂先がソケット式になっているのを鉾、徒歩の時は
両手で使い穂先は茎(なかご)式で柄にはめ込むのを槍というのが一般的だと思う。

>>234
>西洋でも板金鎧の時代になると、長剣は影を潜め、
>ピックやハンマーのついた長柄の武器や、各種の槍、
>メイス(打撃系の武器)に移行している。
してない。当時の絵画にも普通にプレートアーマーで身を固めて長剣で斬り合う
シーンが描かれている。

236 :世界@名無史さん:04/01/20 03:12
影を潜めたのはブロードソードの方じゃないかな。
冶金が発達して、でかくてバランスの取れたロングソード作れるようになったら、
わざわざ片手で力のこもらない攻撃を繰り出すこともないだろうし。
盾は持つのを止めるか、肩に吊すのかな。
肩に半固定すると日本の大鎧のような感じになりそう。

237 :世界@名無史さん:04/01/20 03:14
>当時の絵画にも普通にプレートアーマーで身を固めて長剣で斬り合う
>シーンが描かれている。
あのー。絵画が抽象的、象徴的に作られている事はご存じですか?

メイスやピックの突いた武器は、白兵戦でも使っているポピュラーな武器です。
それより、騎槍ってご存じですか?


238 :世界@名無史さん:04/01/20 03:17
日本の鎧だが、丸く胴を包んでいる意味を考えた方が良いでしょう。
あと、胴鎧の構造は幾重にも重ねてあって、1重ではないですよ。
どうやって刀で斬るのでしょう。

239 :213:04/01/20 03:32
>>228
確かに東国の蕨手刀、毛抜形太刀などは薙刀に先行して存在しています。
しかしこれらは馬上からの斬撃のため反りを付けたとされる片手用の刀です。
(束だけ反らせ刀の身をまっすぐにして、刺突に対応したものも出たようですが)
歩兵が両手で使用できる太刀へはまだまだ距離があるのではないでしょうか。

それを埋める説明として、>>79のリンク先には
「朝鮮経由で伝わった漢代以来の双手剣法が影響したのでは」とあります。
和冦期の日本刀は「長剣」とみなされていたらしく、
この長い刀を両手で使用することにも中国側の注目が集まっていたようです。
が、双手剣法の日本伝来が和冦以前の出来事であることは確かとされるものの、
その伝来の時期は特に明らかにされていません。

・刀剣の長大化=両手剣化
・薙刀の出現
この二つの現象はどちらが先に(または同時に)起こったものでしょうか。
刀剣の長大化が先であるならば、薙刀はそれをさらに長大化したもの、
両手斬撃刀の束を極限まで延長したものということになるでしょう。
一方、薙刀の出現が先であるならば、>>213で考えたようなこともありうると思います。
ご意見をお待ちします。

240 :見物人:04/01/20 07:00
ブロ-ドソ−ドはもっと後の時代、レイピアと比べて幅が広いからそう呼ばれたと思いました。
例の170さんの言ってるように長剣は存在しています。
ただ後期ではロングソ−ドよりも長くて両手で持てて細くて硬いタック(エストック)がほとんどらしいですね。
騎士同士殴りあうよりは、装備がチェインメイルの部分が多い兵卒倒すためみたいです。
もちろんウオ−ハンマ−やポ−ルア−ムもつかわれていて特にポ−ルアームはよく使われていたようです。
中世後期-ルネサンス初期はむしろ両手件や片手半剣が増えた時代です。ドイツのツバイハンダ−も有名ですよね。
どちらにしても西洋の剣は突くか殴り倒すかですね。
プレ−トアーマー着た騎士は盾を持たなくなりました。盾はほとんど兵卒の小盾(バックラ−等)です。後は弓兵が地面に置くタイプの大盾ですけど、これは現代でゆうう土嚢積んだりしたバリケ−ドに近いですね。

241 :世界@名無史さん:04/01/20 11:06
☆ チン     マチクタビレター
  ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    ヽ ___\(\・∀・)< 犬食い山野の反論まだー??
      \_/⊂ ⊂ _)  \__________
    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄./|
   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
   |  み か ん   |/
     ☆ チン     マチクタビレター


242 :世界@名無史さん:04/01/20 11:22
脇差しって、形似てるけど、太刀を小さくしたもの?
それとも、別の小さな刃物を改良して作ったもの?

もし、太刀→脇差しなら、213の言う長刀→太刀に通じるモノがあるなぁ。


>240さん、ブロードソードの訂正どうも。中世の片手剣は何と呼ぶんでしょうか。

243 :見物人:04/01/20 12:24

いろんな人が使ったいろんな剣がありますのでこれこそが片手剣とゆうのは一概にいえないですね。
柄が両手で持てないほど短ければ基本的に片手剣ですね。
中世って長いですから時間が経つにつれて形状も変わっていきます。


244 :世界@名無史さん:04/01/20 12:42
  ―┼― \/   ヽ   |_|_゙   |   |  |  _|_ 、 ―フ  / ̄\  .┼┼
   /―   /    ̄/  . | |   | ̄ ̄|  |  |    / / ヾ ―‐フ .| |  | .-┴┴- ・ ・ ・
   / ー  ヽ_  /´ヽ_ |,(ニlヽ   __.ノ   .__.ノ   / 、/    (_  \| _/  |三|

 / /_/_ -┼-  -┬-
 ヽ/  / / -┼- ヒ |三| ・ ・ ・
  ム  、/  ヽ_   └┘
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  ┼/\ ___  ヽ  _|_    ___  -┼-  ヽ  __  .―フ  /  フ ―┼―ヽ ┼
  ┼ .土    /  |_  |/―┐   /  ヽ .田   ̄/    /   ∠_ /|―┼- /\     h/
 .、|  口     \ 、_) /|.  〈_、  \ //|\ /´ヽ_  \  o_) | 、_| /   \  (_

 |二|_/_ | _|_ ―┼― ―┼― _|_、 -┼― ―フ \/  |     ├  ヽ
 |―| / /. |  |    /―   lニ|コ  / / ヾ  |/   ∠_  /   |      |  -―ヽ
. ┴┴ 、/  |, /   / ー- .-ヨヨ- ./ 、/   (フ ̄) .o_) ヽ_  ヽ_ノ (ニlヽ  _ノ
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 ______ ヽヽ     |              /\       \
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       /          |         |    | | ̄ ̄ ̄|.\   / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ         ) ) )
      /        .――┼――     |    | | ̄ ̄ ̄|    |       |         でつ
      |.            .|           .|__| |\ ̄ ̄            /           Ш
      ヽ.           │                |  \ノ            /    ∧ ∧  |
       \_          \__ノ         _|─  \_       __/    <丶`∀´>⊃


245 :世界@名無史さん:04/01/20 13:36
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/syogen.htm

- 馬明達老師論文 -
『歴代中日両国刀剣(術)の交流』の紹介

http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/jyoshou.htm
- 歴史上中、日、朝剣刀武芸交流考 -

とりあえず、刀についてあんま知らない人はこれでもよんどけ。
よもや論文長くてよめねえ。って言う厨房はいないと思うが。



246 :世界@名無史さん:04/01/20 13:55
>243 そ、そですね。一応、11〜15世紀のヨーロッパ+地中海東岸を念頭に
中世と言ってました。

滝さんのところで該当しそうな剣をこれですね
http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/viking.htm と、
http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/shortsword.htm と、
http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/longsword.htm ですな。
ショートソードというのは、後世からの分類のための用語っぽいけど、
分類出来ればなんでもいいっすね。

漏れが間違えたブロードソードは、(重い)盾や鎧の廃れた後の時代のものっすね。

247 :世界@名無史さん:04/01/20 14:05
>245
その人が「我が国」と言ったらそれは中国のこと?
だよね。
読み中。おもろい。

248 :世界@名無史さん:04/01/20 15:45
































249 :世界@名無史さん:04/01/20 15:46































250 :世界@名無史さん:04/01/20 15:47































251 :世界@名無史さん:04/01/20 15:48































252 :世界@名無史さん:04/01/20 15:49































253 :世界@名無史さん:04/01/20 15:50































254 :世界@名無史さん:04/01/20 16:17
>>247
中国ですね。
中国からみた、日本刀の評価。っと言ったところでしょうか。


255 :世界@名無史さん:04/01/20 17:39
日本人が書けば日中中国人が書けば中日じゃぁ,関係無い国の人が書いたら?
アルファベット順で中日かな?

256 :世界@名無史さん:04/01/20 17:45
>>229
荒川博氏(元巨人軍)

257 :世界@名無史さん:04/01/20 18:36
>>245
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm
>第一、倭寇が出陣する時、良く双刀を使う。
倭寇が二刀流を使っていたという報告もありますね。
長刀に気をつけていると短刀でやられたので、短刀を押さえつつ勝った、と。
両手刀は制圧範囲の広いのが売りですが、これを片手でふるい、
生じたスキを短刀でとどめをさすなど、たしかに異様な剣法であったでしょう。
今の剣道の二刀流とは違い、実戦において短刀は払いにだけ使うものではなかったようですね。
二刀流の端緒はきわめて現場的、実戦的、倭寇、海賊、悪党的な剣法であったのでしょう。

二刀流と言えば宮本武蔵ですが、彼は五輪書で
>太刀を両手にて持ちて悪しき事、馬上にてあしゝ、かけ走る時あしゝ。
>沼・ふけ・石原、さかしき道、人ごみにあしゝ。
>左に弓・鑓を持ち、其外いづれの道具を持ちても、みな片手にて太刀をつかふものなれば、
>両手にて太刀をかまゆる事、実の道にあらず。
>若し片手にて打ちころしがたき時は、両手にても打ちとむべし。
>手間の入る事にてもあるべからず。
>先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚ゆる道也。
http://www1.ocn.ne.jp/~masaki-o/sotsuron.html
これなど、私が>>212で書いたような両手刀の片手運用にもつながる話ではないかと考えます。

258 :世界@名無史さん:04/01/20 18:52
宮本武蔵って、パフォーマンスでは両刀を使ったが、
実戦では、1本しか使わなかったと聞いたな。
誰か、ミヤモトマニアの人、説明して下さい。

259 :世界@名無史さん:04/01/20 19:00
>>257
二刀流というか、武士って普段二本刺してあるってるじゃろ?
いざとなったら、その短い方でって意味ではないかな。
二刀流とは別な気もするがのう。
まぁ、それを二刀流と言うならそうではあるが。



260 :世界@名無史さん:04/01/20 19:02































261 :世界@名無史さん:04/01/20 19:05
>>216氏や>>238氏の言うこともわかるのですが、
そういった問題は>>230氏のような発想により解決できるのではないかと。
特に日本では中世以降の主兵力たる歩兵は異様なまでの軽武装を通していました。
野戦機動の便だけとは思えず、なにか宗教的、民俗的な理由があったのではないかと勘ぐりたくなるほどです。

近世雑兵の装備する胴丸も生存に必要な部位を保護するためだけのもので、
軽装甲または非装甲部位を攻撃することで、容易に戦闘力を奪うことができたと考えます。
またそれで十分であったのではないでしょうか。
実戦においては必ずしも生命を奪う必要はないと思います。

またエリートである弓騎兵ですら、ついに対直射矢、対銃弾装甲を備えるに至りませんでした。
これは日本の平均的な軍馬の馬格がそのような負荷を許さなかったせいかもしれませんが。

262 :世界@名無史さん:04/01/20 19:07
>>261
鎧のの上から、刀で斬りつける事など殆ど無意味。
槍と刀を比較しているようだが、”槍で突く”と”刀で切る”は、
構造も力の関係も全く違うし、殺傷力も違う。
(叩き割ろうとすれば、一撃で、刀の刃も折れる)

西洋でも板金鎧の時代になると、長剣は影を潜め、
ピックやハンマーのついた長柄の武器や、各種の槍、
メイス(打撃系の武器)に移行している。

鎧の構造や耐久性も、日進月歩している事を忘れてはいけない。



263 :見物人:04/01/20 19:09
そういえばあの時代剣術ってのが確立してたの日本ぐらいなんですよね。
西洋には剣豪っていないんですよね。何流とかもない。
宮本武蔵が生まれる前から流派ってあったんんですよね。戦国の前から
これは西洋と日本の大きな違いだな。
ツバイハンダ−もどうやって操作したのかさっぱりわからない。
特にあの大きなツバとその前後のリングも。
五輪書には長刀の批判が書かれてるらしいですね。
大剣の好きな僕にはちょっとショックだな-

264 :山野野衾 ◆RevGiOKgRo :04/01/20 19:11
新OPみてからと言うもの、妄想が頭から離れないよ〜〜
アルがおと-様に捕まって、新しいウロボロ素のホムンクルスに魂を移動させられるとか。
血印を貫く刃と動かない鎧に絶望する豆とか
記憶を封印され新しいウロボロ素の名前で豆の前に現れる、でも外観は「もっていかれた」時の
生鎧のままの、堕天使のような黒くて純粋なアルと、それに大混乱驚愕な豆とか・・

あのOP画像だけでここまで萠連想させるとは・・恐るべし、骨!


豆乳に溺れて逝ってきまつ・

265 :世界@名無史さん:04/01/20 19:13
>>264
どっ、どしたの?

266 :世界@名無史さん:04/01/20 19:14
>>264
そういう趣味が御ありでしたとは・・・・

267 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/20 19:16
トリップを御覧なさいな。

268 :世界@名無史さん:04/01/20 19:18
>>262
そうそう、>>234氏の言うこともありました。
でも、どちらにせよ、
軽装甲/非装甲部位を攻撃して戦闘力を奪うだけで十分であり、
あえて重装甲部位を攻撃して生命を奪う必要はない、との主張に変わりはありません。

269 :世界@名無史さん:04/01/20 19:20
>>267
そういう趣味が御ありでしたら言っていただければよかったのに。

270 :世界@名無史さん:04/01/20 19:20
>>264
誤爆?

271 :山野野衾 ◆wPAXOGmD7g :04/01/20 19:24
偽者出現ですか・・・・トリップに注意してくださいね。

272 :世界@名無史さん:04/01/20 19:29
>>271
うーむ、大変ですな。トリップを確認と。

273 :世界@名無史さん:04/01/20 19:43
>>271
まあ、偽者にめげずに頑張ってください。


274 :世界@名無史さん:04/01/20 19:51

        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        | 今だ! 100ゲットォォォォ!!
    \  \
          ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      \ ∧ ∧
        (゚Д゚∩
       ⊂/  ,ノ
 ̄  ̄   「 _  |〜 ト  ̄  ̄  ̄
       ∪ ヽ l   オ
       /  ∪  \
  /       :    オ
     /    || .   ォ  \
     /     | :   ォ  \
    /       .
           | .   ォ
           | | : .
           |:  .
           || .
            .
            |
           | | : .


275 :世界@名無史さん:04/01/20 19:52
>>274
誤爆?

276 :世界@名無史さん:04/01/20 19:52
倭国の侍は朝鮮武士のサウラビの劣化コピーです。
倭刀も同じで朝鮮刀の劣化コピーです。

そのようなまがい物が強いわけがないと思います。

277 :世界@名無史さん:04/01/20 19:53
なんか、アラシがいるな。

自分の意見が無視されたか、或いは反論されたからか?
史料だせとか言われたからかもしれんな。


278 :世界@名無史さん:04/01/20 20:03
>>277
誤爆?早く自分のスレに帰ったほうがいいよ?

279 :世界@名無史さん:04/01/20 20:04
>>277
ああ、間違えた>>277ではなく>>266ね。
失礼。

280 :世界@名無史さん:04/01/20 20:05
ああまたしても!>>266じゃなくて>>276って書こうとしたんだよ。

281 :世界@名無史さん:04/01/20 20:11
もちつけ。

282 :世界@名無史さん:04/01/20 20:11
朝鮮人は形質的に日本人と最もよく似た民族である。同じく黄色人種
(モンゴロイド)に属し、皮膚は黄色、毛および瞳(ひとみ)は暗色で、
特有な偏平な顔と、ひいでた頬(ほお)骨と、あまり高くない鼻の持主
で、蒙古皺襞(しゅうへき)のために、つり上がったような目を有する
ものが多い。身長は大部分が世界諸民族のうちでの中の下を示し、小部
分が中に入る。そこで大部分が中の下、小部分が小の身長の日本人より
も、大きいことになる。頭部は大部分が短頭、小部分が超短頭に属する。
日本人は大部分が短頭、小部分が中頭であるから、朝鮮人のほうが短頭
の程度が強いということになる。頭高は、世界中で最も高頭の部に入る。
頭が前後に短くて高いために、後頭部の円味をかき、横から見れば偏平
なのが多く、また他の周辺民族よりも頭の左右にゆがみのあるものの
出現率が高い。頭髪はモンゴロイド共通の性質として、かたく真直で
ある。朝鮮人の頭髪以外の体の発毛状態ことにあごひげと口ひげや陰毛
は、日本人と比較すれば一般にうすく、アポクリン腺の発達が不良なの
で、腋臭(わきが)は日本人よりも少ないとされる。


283 :世界@名無史さん:04/01/20 20:14
南北に長い朝鮮半島は、南と北、北はさらに山脈でへだてられて東の
日本海側と、西の黄海側とに分けることができるが、この地理的区分
にしたがって、住民の形質にも若干の差異が見られる。大ざっぱに
いって、朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で
著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭
のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の
中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。済州島は
最南にありながら、北方の咸鏡北道、咸鏡南道とともに満州人に近い。
同島が長期間、元の占領下にあった歴史的事実を考えれば興味が深い。
以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
むしろ縁が深い。


284 :世界@名無史さん:04/01/20 20:14
>276
サウラビ(アウルアビ?)は、1983年に漢陽大学数学教授の
金容雲が思いつきで言っただけの造語。
韓国語で戦うということ「サウ(サウル)」といい、
男を「ラビ(アビ)」というだけ。w
「戦う男」で、サウラビ。

向こうには刀と槍の区別も出来ない人が多いから、
溶かして固めて削った鉄の武器と、
錬鉄技術で作られた刀の違いも理解できないのだろう。
(世界史を少し勉強すれば、日本の優秀刀が大陸や半島に輸出されていたのが分る)

285 :世界@名無史さん:04/01/20 20:15
ABO式血液型の調査結果によれば、O型27.9%、A型32.3%、B型29.5%、
AB型10.3%を示し、日本人とくらべてA型が少なく、B型が多い。
民族指数(A+AB)/(B+AB)は、蒙古、満州、北朝鮮、中部朝鮮、
南朝鮮、九州と地理的に南下するにしたがい、それぞれ0.75、0.91、
0.99、1.05、1.25、1.62としだいに大きくなる。朝鮮人のMN式、Q式、
およびE式血液型はほとんど日本人に大差がない。生体測定で、特別の
地位を示す済州島資料はABO式血液型においても、また北朝鮮型を
呈する。指紋調査の結果では、各型の出現頻度(ひんど)が、日本人と
蒙古・満州人との中間を朝鮮人は示し、その北方は蒙古・満州人に、
南方は日本人に近似する傾向を示している。(世界大百科事典/平凡社)



286 :世界@名無史さん:04/01/20 20:16
>>284
ネタにマジレス(      )悪い。

287 :山野野衾 ◆uaJRLBXSmk :04/01/20 20:17
>>284
ちなみに、下らない、が、百済ない、であるから百済のものではないものには
価値が無いという意味で価値が無いという言葉になったと言ったのも彼ですね。

288 :山野野衾 ◆wPAXOGmD7g :04/01/20 20:21
ロミタンはぅあぁああぁぁあ!!
   =∧∧_∧=         :,∴・゜・゜・:,∴・゜・゜・
.  ≡<< ;`∀´>>≡=      :,∴・゜・・:,゜・∴~・:・∴・
  ≡ノ人 Y //=   ,.:∴~・:,゜・~・:,゜・ :,∴,゜・~・:,゜・・∴・゜゜・
 =≡(( ヽニニつ) ~~‘∴・゜゜・・∴~・:,゜・・∴・゜゜・∴~゜゜゜
.  =((_)_))=
ロミタンはぅあぁああぁぁあ!!


289 :山野野衾 ◆wPAXOGmD7g :04/01/20 20:29
押  迷  そ   .そ  押  危  危  ど  .こ
せ  わ  の  の   .し   .ぶ  ぶ  う   の
ば  ず  一  一  込  め  む  な  .F5
わ  押  打  打  め  ば  な  .る   .を
か  せ  が  が  ば  賠  か  も   押
る   .よ   .I   .自     .償   れ  の   .せ
さ      T   尊       は      か   .ば
        大  心      な
       国  .と      .し
       な  .な
       る   り

 ニダダ゙ダ゙ダッ   ___ ___
   ∧三○ 三○| |\   \ |::◎|
  <#`Д´>三○: | |  | ̄ ̄ |:::|: .|  ←『危ぶむ』様子、微塵もなし。
 ┌( 三○/ ̄ :::| |/  ̄ ̄/:::|=│
 | ヽ |二二二」二二二二二二二二」
   ̄]|__)  | ||        | ||
  / ̄\  / :||        ./ :||
  ◎  ◎ [____」l     [____」l


290 ::04/01/20 20:43
最近週末になると、国語力が皆無とも言うべき荒らしが出没する。
これは何故か。一つに、政府が行っている「ゆとり教育」に問題が
あると言えよう。地域のボランティア活動などに参加して欲しいと
政府はアピールしているが、子供たちは家に篭ってゲーム、パソ
コンで遊んでいるのが現状だ。当初の目的が達成されていない
のだから、政府は即刻「ゆとり教育」を廃止すべきである。二つ目
に、過去の歴史教育の問題が挙げられる。これまで徹底的に日本
の悪事を追求し、糾弾してきた日本の誇るべき輝かしい歴史教育
が、新しい歴史教科書を作る会などの右翼とも言える団体によって、
迫害されている。これでは、子供たちが過去の過ちを繰り返してし
まうだけでなく、一般生活においても「自分が悪い」という事を認め
なくなってしまう。今の子供たちが日本を背負う立場になった時、日
本はどうなっているのだろうか。右翼暴力主義のまかり通る、不安
な世の中になっていないだろうか。軍事力にモノを言わせて外交を
進める、軍国主義国家になっていないだろうか。今、大人たちが警
笛を鳴らす時である。


291 :世界@名無史さん:04/01/20 20:58
ゆとり教育と、歴史教育の内容は違うだろ。
事実を無視した自虐的な歴史教科書が輝かしいく見えるのは、非日本人だけだ。
現在、右翼暴力がまかり通っているのは、半島だろう。


292 :世界@名無史さん:04/01/20 21:01
非日本人が理解できない言葉、右翼
☆右翼の語源
 フランス革命以後、議会で議長席から見て右側の席を占めた保守派
 (当時の王党派など)
☆右翼の意味
 国粋主義、ファシズムなどを意味する。

○国粋主義
 自国の歴史、文化、政治を貫く民族性や団体の優秀性を主張し、
 民族固有の長所や美質とみなされるものの維持、顕揚をはかる風潮、運動。

○ファシズム
 (古代ローマの儀式用の棒束、転じて団結の意に由来)
 狭義では、イタリアのファシスト党
 広義では、イタリアのファシストの共通の本質を持つ傾向、運動、支配体制。

 全体主義的で、議会政治の否認、一党独裁、市民的・政治的自由の極度の抑圧、
 対外的には侵略政策をとることとを特色とし、合理的な思想体系を持たず、
 専ら感情に訴えて国粋主義的思想を宣伝する。

 国粋主義的右翼>>>>>>>>南半島及び、大陸
 ファシズム的右翼>>>>>>>北半島及び大陸、軍国主義時代の南半島

293 :世界@名無史さん:04/01/20 21:19
つか、誰が本物かわからんぞ。>山野
とりあえず、1人は偽物ってわかるが。

294 :世界@名無史さん:04/01/20 21:44
>山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM が本物。
某スレで嫌韓厨が発狂して山野氏の騙りをやってる。

295 :世界@名無史さん:04/01/20 21:51
へぇー
有名人も大変だなー

296 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/20 22:06
>>237
>あのー。絵画が抽象的、象徴的に作られている事はご存じですか?
は? それで? 誇張やら何やらは当然として、当時の絵画が実情を全く反映
してないと考えるのは、何とも不自然だね?

>それより、騎槍ってご存じですか?
で? ランスがどうしたって?

>>238,262
ループネタ禁止。

>>240
>もちろんウオ−ハンマ−やポ−ルア−ムもつかわれていて特にポ−ルアームはよく使われていたようです。
承知で言ってるんだと思うが、騎士がポールアームを使うようになったのは、重装騎士が馬から
下りて戦うメン・アット・アームズ戦術のためじゃぞ。

>どちらにしても西洋の剣は突くか殴り倒すかですね。
16世紀のスイスでハンガリー刀、サーベルが登場している。クマン人なんぞは以前からそれを
使用してたハズだ。

>>261
>またエリートである弓騎兵ですら、ついに対直射矢、対銃弾装甲を備えるに至りませんでした。
馬鎧なら日本にもあるし、西欧騎士も13世紀中葉まで馬鎧は付けてなかったぞ。

>>263
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1070370651/208
15世紀の武術教本
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/ahund/manual.htm

エリザベス時代に両手剣フェンシングの教本も書き残されている。
ついでに中国は無視? そーゆー世界地図から日本と西ヨーロッパ以外を抹消するのは勘弁。

297 ::04/01/20 22:07
どうでもいいが、290は政治板の有名なアラシコピペ。
そろいも揃って何引っ掛かっているんだか・・・・・・・

298 :世界@名無史さん:04/01/20 22:19
ガーン!またしても

299 :山野野衾 ◆wPAXOGmD7g :04/01/20 22:43
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm
>第一、倭寇が出陣する時、良く双刀を使う。
倭寇が二刀流を使っていたという報告もありますね。
長刀に気をつけていると短刀でやられたので、短刀を押さえつつ勝った、と。
両手刀は制圧範囲の広いのが売りですが、これを片手でふるい、
生じたスキを短刀でとどめをさすなど、たしかに異様な剣法であったでしょう。
今の剣道の二刀流とは違い、実戦において短刀は払いにだけ使うものではなかったようですね。
二刀流の端緒はきわめて現場的、実戦的、倭寇、海賊、悪党的な剣法であったのでしょう。

二刀流と言えば宮本武蔵ですが、彼は五輪書で
>太刀を両手にて持ちて悪しき事、馬上にてあしゝ、かけ走る時あしゝ。
>沼・ふけ・石原、さかしき道、人ごみにあしゝ。
>左に弓・鑓を持ち、其外いづれの道具を持ちても、みな片手にて太刀をつかふものなれば、
>両手にて太刀をかまゆる事、実の道にあらず。
>若し片手にて打ちころしがたき時は、両手にても打ちとむべし。
>手間の入る事にてもあるべからず。
>先づ片手にて太刀をふりならはせん為に、二刀として、太刀を片手にて振覚ゆる道也。
http://www1.ocn.ne.jp/~masaki-o/sotsuron.html
これなど、私が>>212で書いたような両手刀の片手運用にもつながる話ではないかと考えます。

300 :世界@名無史さん:04/01/20 22:45
刀は”切る”道具である。
ノコギリを想像すれば分かりやすいだろう。
瓦割りのようにして”叩け”ば、鎧も”割れる”かもしれないが、
刃こぼれてして使い物にならない。

301 :世界@名無史さん:04/01/20 22:49
>倭寇が二刀流を使っていたという報告もありますね。

倭寇が日本人だったのは初期だけです。
ここの↓
http://kyujanggak.snu.ac.kr/home/digital.htm
右側にある世宗荘憲史録の104巻。真ん中よりやや後半部分。
↓抜き出し。
http://nakai59.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img/173.jpg

「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」
翻訳
「倭人は全体の1、2割に過ぎずして、殆どは、本国(朝鮮)の民が、倭服を着て徒党を組み、混乱を作った」


302 :世界@名無史さん:04/01/20 22:57
>296
正しく描写されているような、騎士が馬上で剣で戦う絵があるなら、教えて下さい。

303 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/20 22:59
「倭人は一二に過ぎずして本国の民仮に倭服を著して党を成し乱を作る」
・・・でよろしいかな。ちなみに299は別の方です。
しかしリンク先はすごいですね。

304 :世界@名無史さん:04/01/20 23:01
>>299
坊や、名前消し忘れたのかい?

305 :世界@名無史さん:04/01/20 23:24
倭寇が今の地理感覚上の日本人だけではないというのは至極道理に適ってると思う。
ただ、嘉靖以降の倭寇にしても王直が九州に潜伏してたり
博多に屋敷構えてたりする以外にも『籌海図編』とか斜め読みしても
依然山東や福州なみに日本がらみの記事が出てくる。
当時の商業港としての博多あたりの発達規模や
商人の汎東アジア世界での経済力みたいな要素を考えても

>倭寇が日本人だったのは初期だけです。
というのは控えめに言っても穿ちすぎた認識だと思う。

日本、明、ポルトガル辺りの雑多な連中が
利益や権益に絡んで付いたり離れたりしてたなら、
例えば朝鮮襲撃するなら直前に現地付近の港辺りで人員増員するのは
補給や運搬経費のことを思うと理に適った行動ではないかなあ?
今みたいな国の構成員としての意識はあまりなかったろうし、
食い扶持になるなら顔も知らん自国民相手に襲撃もするだろ。

問題になってる日本刀の伝播や刀法にしても、
同船した真倭が使ってればポリトガル人だろうが中国人だろうが
気に入ったら双嶼とか平戸に寄港したとき買って
同僚に使い方を習うほどの事は普通にあったんじゃないかと思うがどうだろう?

306 :トトメスV世 ◆w79NaEZRPc :04/01/20 23:25
223・だから刀では鎧の上を滑ってしまうし、槍で突けば威しの間を突けるんだろ?
カッターナイフとキリで実験してみな。
新聞紙を重ねて、オタクの腿の上でやったら解るってもんだ。ww

ついでに欧州の騎士は組み討ちするときゃ盾を棄てたよ。
225・そのとおり。221・紐で下げた割り箸を出刃包丁で切ってみ。
ストローだって斬れるかどうか怪しいもんだ。ww
話しにならん。探偵ファイルはやらせって事理解してないね

307 :山野野衾 ◆wPAXOGmD7g :04/01/20 23:26
なるほど竹光とかでてきたのも江戸時代ですよね。
江戸時代はそんなには人斬りってなかったらしいですよね。
鬼平と江戸 図書館で読んだら泥棒も金よりも布団とか生活用品盗んでいた人のほうが多かったみたいですね。
十手ってかなり恐ろしい武器で長谷川平蔵は軽犯罪になるたけ十手を使わないように指示を出していたとか書かれていましたし。
長谷川平蔵とゆうう人物は鬼とゆうよりむしろ逆で軽犯罪者の人権に初めて取り組んだ人なんですね。
職業訓練所のようなものも建設したようですし。
だいぶ武士からずれてしまったかもしれませんが一応江戸時代はそんなに刃傷沙汰は多くなかったとゆう事で締めくくります。


308 :山野野衾 ◆wPAXOGmD7g :04/01/20 23:31
時代をある程度限定したほうが良い気がします。
幕末や江戸時代の武士と戦国中世の武士じゃ別物ですよ。
火力戦闘が本格化した後はもはや日本的な武士の戦いじゃないですよね。
250年も戦から遠ざかった武士と完全に国民国家の軍隊として組織された集団では比べるのがちょっと平等じゃない気がします。
後、他の方も言っていますが西洋の盾を使った剣術と日本の江戸時代の剣術じゃ目的が全然違うので比べるのはやはり変だと思います。
戦国の槍足軽と比べたほうがいいと思うんですが
盾は戦場の道具ですから一部古流のフェンシングにも使われたらしいんですがそのへんの資料は持っていません。それにしても小さな盾で3分の2を守るほど大きな物ではなかったはずです

309 :世界@名無史さん:04/01/20 23:33
956 名前:952 投稿日:04/01/20 19:38
>>953
そのスレ見ないで返答するけど、相手が知らないスレで自分だけで宣言したルール
で何の説明もなしに失礼な事をするっていうのは大人の態度とは思えませんよ?
社会人なのか学生なのか存じ上げませんが、そういう態度は世間では通らないと
思います。

老婆心ながら付け加えさせていただくと、有象無象はともかく、このスレで信州人さんが
書き込みされた内容は小生ハッとするところも無いではないので実の所山野氏がどう反論
するのかには興味があったのです。
嫌韓厨と書かれましたが、信州人さんは別にあなたに対して何ら侮辱的発言を行なった
訳でもありませんし、別に嫌韓的な発言をされたわけでもありません。
それなのにあなたが一方的に失礼を働くというのはちょっと世間での評価を落とされる
のではありませんか?


957 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:42
>>956
いや、性根が腐っているんだってW
誰も知らない自分ルールで誰もがひれ伏さなければならないと思っているんでしょ。
当の相手は何も知らないのにね。

常識があれば、まず相手に断ってから自分のルールを通すというものでしょう。
社会人としては通用しないよ、こんな馬鹿。


958 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:47
>>956
おいおい、953は偽者だって・・・・・そのスレ年末年始スレだよ。


310 :世界@名無史さん:04/01/20 23:33
、倭服を着て徒党を組み

ってあるが、わざわざ和服切る必要あったの?
海賊やるのに、朝鮮人ってばれちゃあまずいの?

311 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/20 23:37
>>310
申し訳程度に捜査を撹乱し、あわよくば役人を買収して「犯人は日本人」
ということにしようという思惑が働いていたのでは?
ボストン茶会事件ほかでインディアンや黒人に変装した様な勢いもあっ
たのかも。化粧・変装がやる気を起こす効果もあったとか。

312 :世界@名無史さん:04/01/20 23:41
>310
資料的裏づけはないんで俺の妄想だけど、
「犯人は倭寇、倭人です!」
ってことになると
「あ〜、じゃあ松浦さんや宗さんにも外交ルートで犯人引渡し勧告しとくけど
あんま期待しないでくださいね〜」
みたいなお役所の警察権みたいな問題があったんじゃないかと。
もっと単純に銀行強盗の目だし帽みたいな襲撃ルックとして定着してたとか
倭寇のイメージを利用した威嚇の意味合いとか。

313 :世界@名無史さん:04/01/20 23:51
956 名前:952 投稿日:04/01/20 19:38
>>953
そのスレ見ないで返答するけど、相手が知らないスレで自分だけで宣言したルール
で何の説明もなしに失礼な事をするっていうのは大人の態度とは思えませんよ?
社会人なのか学生なのか存じ上げませんが、そういう態度は世間では通らないと
思います。

老婆心ながら付け加えさせていただくと、有象無象はともかく、このスレで信州人さんが
書き込みされた内容は小生ハッとするところも無いではないので実の所山野氏がどう反論
するのかには興味があったのです。
嫌韓厨と書かれましたが、信州人さんは別にあなたに対して何ら侮辱的発言を行なった
訳でもありませんし、別に嫌韓的な発言をされたわけでもありません。
それなのにあなたが一方的に失礼を働くというのはちょっと世間での評価を落とされる
のではありませんか?


957 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:42
>>956
いや、性根が腐っているんだってW
誰も知らない自分ルールで誰もがひれ伏さなければならないと思っているんでしょ。
当の相手は何も知らないのにね。

常識があれば、まず相手に断ってから自分のルールを通すというものでしょう。
社会人としては通用しないよ、こんな馬鹿。


958 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:47
>>956
おいおい、953は偽者だって・・・・・そのスレ年末年始スレだよ。


314 :世界@名無史さん:04/01/21 01:38
いくらコピペしてもループしねえってw

315 :世界@名無史さん:04/01/21 01:45
◆wPAXOGmD7gは荒らし御用達トリップと

316 :世界@名無史さん:04/01/21 06:03
近代式皆兵制度以前の侍は、強かったで結論出ているんじゃないの?

317 :世界@名無史さん:04/01/21 06:42
ニアミスしてた。(×104 ○114巻) 修正します。m(_ _)m

右側にある世宗荘憲史録の114巻。真ん中よりやや後半部分。
http://japanese.joins.com/transboard/upfile/aaa.bmp
↓抜き出し。
http://nakai59.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/img/173.jpg

「倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱」

318 :世界@名無史さん:04/01/21 06:46
強かったって言うのは相対的な問題なんで
はっきり結論出すわけには行かないだろうけど、
概ね元寇から幕末まで「一目置かれてた」って感じなら
控えめに言っても正しい表現じゃないかと。

319 :見物人:04/01/21 09:01
170さん、失礼しました。
説明不足ですね。
基本的に中世後期−ルネッサンス初期のフルプレ−トの時代の話です。
場所は大体イングランド、フランス、ドイツぐらいですね。
一般的な中世の剣は突くか打撃とゆうことです。
僕は騎士階級に限定していません。
ビルとチェインメイルの上にジャックで身を固めた兵卒もふくめた話ですので。
ただフルプレ−トに斬撃はほぼ無効なことは確かですね。
ハルバ−ドや斧のような衝撃力を伴った斬撃は有効ですけど。
叩きつけるのと切るのは腕の操作、大体一緒ですから絵だとよくわかんないんですよね。
あと、自分の知識はだいたいヨーロッパ中世中心ですね。
中国の中世後期に詳しいのでしたら是非知識をお書き下さい。参考になります。
年代を1400-1550くらいまでにしていただけるとゴチャゴチャにならなくて助かります。
中国以上にイスラム諸国、特にオスマントルコには興味ありますが。そこまでの資料はまだ持ってないです。

320 :世界@名無史さん:04/01/21 09:35
956 名前:952 投稿日:04/01/20 19:38
>>953
そのスレ見ないで返答するけど、相手が知らないスレで自分だけで宣言したルール
で何の説明もなしに失礼な事をするっていうのは大人の態度とは思えませんよ?
社会人なのか学生なのか存じ上げませんが、そういう態度は世間では通らないと
思います。

老婆心ながら付け加えさせていただくと、有象無象はともかく、このスレで信州人さんが
書き込みされた内容は小生ハッとするところも無いではないので実の所山野氏がどう反論
するのかには興味があったのです。
嫌韓厨と書かれましたが、信州人さんは別にあなたに対して何ら侮辱的発言を行なった
訳でもありませんし、別に嫌韓的な発言をされたわけでもありません。
それなのにあなたが一方的に失礼を働くというのはちょっと世間での評価を落とされる
のではありませんか?


957 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:42
>>956
いや、性根が腐っているんだってW
誰も知らない自分ルールで誰もがひれ伏さなければならないと思っているんでしょ。
当の相手は何も知らないのにね。

常識があれば、まず相手に断ってから自分のルールを通すというものでしょう。
社会人としては通用しないよ、こんな馬鹿。


958 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/20 19:47
>>956
おいおい、953は偽者だって・・・・・そのスレ年末年始スレだよ。


321 :世界@名無史さん:04/01/21 11:36
決闘剣術に使用される武器としては江戸期の打刀は高性能だぞ
重量・刃渡りは片手剣の世界平均と一致する、だが最大の特徴は柄が両手持ちに対応していること
これにより強力で素早い攻撃が繰り出せるうえに受け捌き等防御面でも両手で使える利点が大きい
攻撃方法は打撃・突撃・斬撃それぞれバランス良くおこなえる作りで
両手打ち片手打ちどちらにも対応できる(現代剣道では原則片手打ちはしないけどね

よく攻撃に特化してるとか切れ味の鋭さを追求しているとかいわれるが
実際は取り回しの良さが打刀の設計思想の基本であった
ちなみに切れ味はかなり高い部類にはいるが斬る事に特化しいてる種類の刀剣類にはやや劣る

322 :見物人:04/01/21 13:22
結局このスレは大体いつ頃の上級軍人のタイマン勝負が前提なのか。
それとも足軽や兵卒、中国の下級兵士は何とゆうのか知りませんが、そうゆう民兵まで含めた戦争のスレなのか今一つはっきりしません。
100年ずれたらもう比べられないと思います。
特に鉄砲が整備された時代とそうでない時代は比べちゃいけないと思うんですが?どうでしょ


323 :世界@名無史さん:04/01/21 14:33
一つ思ったんだけど、鎌倉武士って流鏑馬や犬追物みたいな
馬上から弓矢を放つ訓練をしてた事は有名だけど、
戦国時代になるとあんましそういうの聞かないなあ。
武士って何時頃から馬上から弓を射るのを止めたんだろう?
もしくは漏れが知らないだけで、戦国時代もやってたのかな?
あと、戦国時代って実は弓矢でも槍でもなくて鉄砲が主流になるまでは
投石(武田信玄の石投げ部隊は有名だけど)による死者が一番多かったって聞いた事がある。

324 :見物人:04/01/21 16:29
僕はあまり日本の事は知りませんが。
ご参考までに。http://www.hi-net.zaq.ne.jp/osaru/kattyuu.htm#jyakuten
戦国初期の戦は投石から始まるみたいですね。
でも投石で有名な人っていませんね。
投石働きとはいいませんもんね。不思議だ。投石の達人っていないのかな?
流派とか知ってる人いませんか?

325 :世界@名無史さん:04/01/21 16:32
>>321
>実際は取り回しの良さが打刀の設計思想の基本であった
実に同意できる意見です。
その「両手持ちができる片手刀」の起源について
>>79
>>86-87
>>212-213
>>228
>>239
というふうな流れを考えてみたものですが、
この起源について>>321氏はどのようにお考えでしょうか。

326 :世界@名無史さん:04/01/21 16:42
>>324
法政大学出版局の中沢厚『つぶて』や網野善彦の『異形の王権』に
特にそうした関心が現れていますね。
礫は矢に比べて神性、無名性、群衆性の強い投射兵器であったことは注目すべきです。
今で言うと、より2ch的な兵器と言えばいいのかな。
安保デモや韓国の学生運動なども想起させる実に原初的な兵器だと思います。
(まあ私などその頃はまだ生まれていませんが。)

327 :U180041.ppp.dion.ne.jp:04/01/21 16:47
go

328 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/21 17:30
>>323
それまでは弓矢を使うか刀を使う戦い方であった(但し刀まで使うく
らい追い詰められていた場合はそのまま討ち死にした例が多い)のが
鎌倉末期から長刀、南北朝時代から槍も馬上で使用するようになって
重要性が失せたのでしょう。
犬追物(原形は牛追物とも)は応仁・文明の乱で一旦中絶し、元和年
間に島津家が再興したというのが公式な記録です。
流鏑馬も一旦中絶していたものが再興されたらしく、『鳥獣戯画』や
『男衾三郎絵詞』に描かれた頃には正面に射たといいます。
『平家物語』などの描写を見ても相手と向き合って正面に射たらしい。
つぶて(印地打ち)は長篠の合戦にも顔を出したそうですが起源は古
く(まあ単純な行動ですが)平安時代後期に描かれた『年中行事絵巻』
にも庶民が紐のようなものでぶん回した石を投げる姿が確認出来ます。
『平家物語』や『源平盛衰記』の記述からしても「いふかひなき辻冠者
原、乞食法師ども」の戦術であったらしい。
境界争いにも使用されたほか近世以降は専ら祭事として行われ、「意地
打ち」などの名称で近代まで残されました。
ただこれによる死者が一番多かったのかというと正直疑問ですが。


329 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/21 21:02
>>319
             L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、   〉
          /           ヽ\ /
        //  /  /      ヽヽ ヽ〈
        ヽ、レ! {  ム-t ハ li 、 i i  }ト、
         ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
         /ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
        ヽN、ハ l   ┌‐┐   ゙l ノl l
           ヽトjヽ、 ヽ_ノ   ノ//レ′
    r777777777tノ` ー r ´フ/′
   j´ニゝ        l|ヽ  _/`\
   〈 ‐ 知ってるが lト、 /   〃ゝ、
   〈、ネ..         .lF V=="/ イl.
   ト |お前の態度がとニヽ二/  l
   ヽ.|l.        〈ー-   ! `ヽ.
      |l気に入らない lトニ、_ノ    ヾ、
      |l__________l|   \    ソ

馴れ合いやりたいんなら速やかに消えろやボケ。

330 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/21 21:17
>>302
とりあえず図書館で確認できた限りで確かなものは

新紀元社「メン・アット・アームズ 戦場のスイス兵」45p
15世紀に描かれたブルゴーニュ戦争の絵の中央やや左上に、板金鎧(下半身は隠れて
確認できず)を身にまとった歩卒に斬りつけてる楯持兵があり。

柏書房「図説 西洋甲冑武器事典」276p
剣で板金鎧に身を固めた相手の喉を貫いてる騎士を描いた15世紀の版画あり。

肝心のオスプレイ「イングランドの中世騎士」や「百年戦争のフランス軍」が貸出中だターヨ。
15世紀に描かれた百年戦争の絵画が色々あったんだが。
つーかこの時代、メイス類の描写が見当たら無いのが気になるな。

331 :世界@名無史さん:04/01/21 21:55
例の170
自分より知識の無いものにはこれをひけらかし、
自分より知識の無いものには暴言で対抗するタイプと見た。

332 :世界@名無史さん:04/01/21 22:01
>>330
絵はあくまで絵だからなあ
メイスを描かなかったのは、絵描きさんが
「メイスはかっこ悪いから」と判断したからでは?

333 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/21 22:08
>>332
さてな、例えば先のブルゴーニュ戦争の絵でも斧や長鉾類が普通に描かれてるんだわ。
ただ、修道騎士なぞは専ら十字架の象徴としての剣を使ったそうなので、一筋縄ではいかない。
外国人の見聞記でもあれば話は早いんだが…。

334 :世界@名無史さん:04/01/21 22:14
>>329
>>329
>>329

335 :世界@名無史さん:04/01/21 22:23
>>329
オマエが気に入ってる奴って、山野ほか2-3人の固定以外にいるのか?

336 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/21 22:27
>334,335
>>319の見物人氏も却って気になさるでしょうから・・・。
>見物人氏
口は悪い方ですが、悪い方ではないのです。お気になさらずに。

337 :世界@名無史さん:04/01/21 23:32
ただのアラシだろ。
過剰に反応せず放置すれ。
ここ2,3日の間急に増えた。

338 :337:04/01/21 23:42
トリみたら本物だった・・
失礼しますた

339 :世界@名無史さん:04/01/21 23:51
チョトワロタ

340 :八幡船太郎ヤシ家:04/01/22 00:53
私は三日ぶりだが、あれかしらん?
真倭はゼロで、従倭や仮倭ばっかりなのかしらん?

まあ、私などは
ジャンクに跳び乗って、南無八幡大菩薩を掲げて
褌に日本刀をぶら下げて、丁髷結って、鳥銃ぶっ放せば
いっぱしの侍になれるものだから、
改めて、武士がどーだ、侍があーだ、倭寇がどーだ、武装がどーだ、
とかいわれても、困るだけなのだがなあ。


341 :世界@名無史さん:04/01/22 01:32
15世紀だと100年戦争末期くらいの装備だよね。
それだと、初期型のブリタガイン(鉄片鎧)や、布鎧系やら鎖帷子系も多いから
長剣で殴ってもダメージを与えられたのだと思う。
本格的なプレートアーマー(板金鎧)に、剣で挑んでいる絵画が知りたい。

342 :世界@名無史さん:04/01/22 01:49
>>329
オマエがあちこちのスレッドで馴れ合いやっているのを、うんざりするほど見ているんだが?

343 :海野破衾@nisemono:04/01/22 04:06
>見物人氏
頭は悪い方ですが、悪い方ではないのです。お気になさらずに。

344 :世界@名無史さん:04/01/22 04:52
>324

小山田信茂の部隊が投石で有名です。

345 :見物人:04/01/22 05:37
別に気にしていませんので。
ただこのスレの方針が、武士とゆううかなり広い範囲の議題なのでどこの何と比べてはっきりしないので時代をまとめてもらいたいのは確かなんですが。
170さんはかなり資料ももっているようですし参考になるのは確かです。
しかしこの方、プレ−トアーマーは切れるとゆうう信念を持ってらっしゃるようですのでそこが僕と大きくちがうとこでしょうね。
この前良い機会なのでアバロンのイベントを見て少し触らしてもらいました。
とても刀剣で切る事ができるとは思えないほど硬いです。試合を見る限りでは剣でも特に頭を殴りつければ軽いショック症状をおこらせる事はできそうです。
盾持った人に囲まれるとかなりキツイ印象も受けました。もちろんあの試合に使われていたのは安全性を確認された竹刀のような物なんですが。
勢いが凄いので本当に殴り倒す感じでしたね。
西洋剣術を研究してる団体さんがいるようなのでご参考までにhttp://thehaca.com/ ただ英語です。



346 :世界@名無史さん:04/01/22 12:05
楯持った人に限らず、武器持った人に囲まれたらつらいですよ。よっぽどの達人でも。
「数は力なり」「戦いは数だよ、兄貴」ですから。

洋の東西を問わず、歩兵が主体になってくると、高価な武具や騎射と言った能力の
重要性は落ちてくるんでしょうねえ。

「朝倉英林壁書」「朝倉孝景(敏景)17ヶ条」「孝景条々」などで知られる「朝倉家之拾七ヶ条」
にも次のような行がありますし。

一、名作の刀、さのみこのまれまじく候、其ゆへは、万匹の太刀を持ちたりとも、
百匹の槍百丁には勝たれまじく候、万匹をもつて百匹の槍を百丁求め、
百人にもたせ候はば、一方は防ぐべく候

347 :世界@名無史さん:04/01/22 12:38
ってか本当に粗悪品の素槍と名刀で100倍も価格差あったのかなあ?

348 :世界@名無史さん:04/01/22 12:42
>>347
たとえ話という可能性は考えないと。

349 :世界@名無史さん:04/01/22 15:32
>347
あるんじゃない。こういうのは半ばコレクターズアイテム化するから。
朝倉英林壁書も軍備のつもりでそっちの方向に走ってしまうことを戒めてるんだろう。

350 :世界@名無史さん:04/01/22 15:44
まあ、今でも車とかだったら新車中古問わずなら
3000万と30万ぐらいの価格差はあるよな。

351 :世界@名無史さん:04/01/22 16:12
90式とか89式(ボソ
い、いやなんでもないです。

352 :世界@名無史さん:04/01/22 16:29
>>347
今の、包丁だって、ダイソーの百円から、秋葉原の炉端でパフォーマンス販売してる3千円のから
三木の鍛冶屋さんが打った40万円の柳刃まで、あるじゃん。

353 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/22 21:23
マジ切れをマジ切れと見抜けないと(コテと)語るのは難しい。

>>345
お前なんで俺が切れたかちゃんと分かってるか? まぁいいやもう疲れた。

354 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/22 21:46
>>341
とりあえず、漏れが例に挙げたのは(記憶にあるのも)全部正しくプレートアーマーだったぞ。
コートオブプレートや鎖帷子は同じ絵や、同じ様式で描かれた同時代の絵でもちゃんと描きわけ
られてたし、画家がプレートアーマーを描いていたつもりだったのは間違いない。

>>346
あにはからんや、ギリシア・ローマ重装歩兵や中世後期イングランドの徒歩騎士などはその例から
明らかに外れている。特に後者は騎兵→歩兵への移り変わりの結果であるから重要だ。
もっとも、数を重要視するようになれば歩兵が主体になり、高価な武具や特別な技術の重要性は
落ちるだろうが。

355 :世界@名無史さん:04/01/22 22:46
戦いは数だけど、組織的戦闘力を発揮する100人と、烏合の衆の1000人では
おそらく100人が百戦して百勝するだろう。

個人の戦闘能力を総和したのものが全体の戦闘力になるわけではない。

356 :世界@名無史さん:04/01/23 00:48
>>353
なぜあなたが切れたのかとか、なぜあなたが未だに呼吸を止めないかといった事は
私たちにはなんの関係もないんですよ。
ここはチャットでもないし、馴れ合いもうざいですし、
あなたになんの価値も見いだせませんので、こういう発言は迷惑なだけなんです。
わかりますか?

357 :Vail:04/01/23 01:32
プレートアーマー相手に剣で打っ叩くとそう簡単には切れないと思います。
もっとも切れなくても中身はかなりダメージを喰らうでしょうけ。
実際に斧でプレートアーマーの腕部分に木を入れた状態でを打っ叩いてみたが、
凹みはしたけど中の木までは切れなかったよ。ただし木自体にダメージはありました。
実際なら腕自体は骨折くらいのダメージはあったと思われます。
斧を使った理由は実剣を持っていなかったので斧を使いました。
剣でプレートアーマーを切れない事はないかも知れないけどかなり難しいと思いますね。
もっとも西洋の剣は切れ味よりも重さでぶった切る剣ですからプレートアーマーを着ていても
もろに喰らえばかなりのダメージを食らいます。
そのため、もろに喰らわないように戦う事が重要になってきます。
相手の剣を自分の盾や剣で弾いてから自分に当たっても自分の剣で相手の剣を弾く事によって
相手の剣速を落し自分へのダメージを減らします。
相手の剣速が落ちた状態で自分に当たってもプレートアーマーに当たっても多少の衝撃は
あってもプレートアーマーの防御力のお陰で致命傷を追うことはありません。
ようするにその有り余る防御力を生かして闘えば良いわけです。
因みにチェーメールの腕部分に木を通して斧で打っ叩きましたがチェーメールは打ちきれませんでした。
もっとも木はかなりのダメージを受けました。もちろんプレートの時よりもはるかに大きい
ダメージを受けていました。実際なら腕は千切れかかっていたと思われます。
また同じような状態でナイフ(BuckMaster)で刺しましたが見事に貫通しました。
よって叩きに大してはそこそこの防御力はありますが突きに弱いと言えるでしょう。
もっともギャンベゾンを着ている状態だともう少し防御力は上がるでしょう。
とまぁスレ違いな話はここまでにして、武士、侍は充分に強いと言えるでしょう。
日本の武士、侍は同年代の他国の戦士階級の者に比べて教養が高く、士気統率力に
優れており、自分の主に対する忠誠心の高さも特筆すべきでしょう。

358 :世界@名無史さん:04/01/23 01:50
教養と忠誠心っていうのは新しいファクターかも。

359 :世界@名無史さん:04/01/23 02:57
>>358
んなこたーない

360 :世界@名無史さん:04/01/23 03:33
14世紀の絵だと、鎖帷子やブリガンタイン、ジャックだな。
でも、武器はハンマーや槍の方が多いみたいだ。

オスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ
百年戦争のフランス軍(1337−1453)
新紀元社
このシリーズ、時代別にイラストで武器や鎧を紹介している。
前半部分に多数の絵(当時の)が書いてある。

同シリーズ「ばら戦争 装甲騎士の時代」
のイラスト説明を見ると、
ビルやウォー・ハンマー、メイス(槌斧)を装備して書かれている。

361 :世界@名無史さん:04/01/23 10:46
>>355
烏合の衆の意味次第だと思う。
そりゃ群衆がいくら集まろうが勝てやしないでしょうけど…

現実に戦争(戦闘)を行なう集団で10倍差があればほとんどの場合において
少ない方が負ける。そしてそれは値が大きければ多いほど確実になる。

50人で500人を撃退した戦いはあっても5000人で5万人を撃退した戦いなど皆無に近い。


362 :世界@名無史さん:04/01/23 11:40
>>361
第一次京都攻防戦の細川定禅

363 :世界@名無史さん:04/01/23 12:06
>>361
有名どころで合肥の張遼

364 :世界@名無史さん:04/01/23 12:31
ランチェスターの法則を引くまでもなく、大原則は戦力の多い方が勝つということで。
局面局面で戦力を優越させるようにするのが具体的戦術な訳で。
分断、各個撃破などによって当面の戦力を優越させて対処するとか。

戦力を戦力たらしめるのは、戦略状況、指揮系統、訓練、士気、武装、補給、空間的余裕、物理状況など
多岐にわたるので、確かに兵の頭数だけではないと思うけれども。

365 :世界@名無史さん:04/01/23 12:55
>>362
あれ?その戦いって細川6万騎、宮方2万騎じゃなかった?
そもそも太平記は平気で「80万余騎」などと書くから信用できないが…

>>363
あの中国史の中でもネタの多い三国志を持ってくるのはどうかと…
合肥も張遼7000はだいたい共通してるけど孫権側が数万〜数十万と
ものによって数字が違いすぎるから…
そもそも中国の場合戦闘兵以外の割合がかなり大きいし。(まるで遊牧さながら)

まあ5倍以上は確定だろうから凄いっちゃ凄いけどそれでも例外だろうね。
(ちなみに漏れも>>355は戦闘兵同士との解釈です。)

366 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 13:34
軍記物の兵数なんてあてに出来ませんよ。以前某板で鵜呑みにしてらっし
ゃった方と遭遇した時には困りました。
「古今未曾有の大軍」とか書いてあっても一万人いたかどうかも疑わしい。

367 :世界@名無史さん:04/01/23 14:22
山野野衾は共有コテで、その数およそ80万。

368 :世界@名無史さん:04/01/23 14:29
ていうか人口そのものは中世の日本って多い方だったの?少ない方だったの?

369 :世界@名無史さん:04/01/23 15:17
>>368
世界的に見ると多いほうに入る
なぜなら穀物の中でも米は収穫率が高いため
単位面積あたりで養える人口が多いからです
米を主食にする民族は大体人口が多い

370 :あえなく返り討ち:04/01/23 15:29


489 名前:毒消し1 投稿日:04/01/22 09:22 ID:vCfDpyM5
928 :おもしろい信州人さん :04/01/20 08:07
ハン板的「議論」の真骨頂?>>702
 >・蓄積時間は300年程度。
>>695>>701によると町の存続期間が300年程度。
ごみ捨て穴は複数あり、池や溝にもごみが捨てられていたそうだが…、
当然年代によって別のごみ捨て穴が使われたという推測も成り立つ訳だが、
なぜ蓄積時間300年と断定?断定の根拠をどうぞ。

 >・犬の数は317匹
自爆?
 >こういう記述を見て、脊髄反射的に考えてしまう人が多いような気がする。
 >状況設定に対して自分なりの疑問を持たない人間は右といわれれば右、
 >左と言われれば左を向くだけだと思う。
 >だからこそ、常に自分なりの疑問を持つ様にするべきだと思うの。
さらに>>886
 >まさか遺跡のゴミ捨て場を発掘して貝殻が3つしかなかったから
 >ン百年間に食べられた貝は3つだけなんて結論にならないだろうなw


371 :あえなく返り討ち:04/01/23 15:29


495 名前:毒消し5 投稿日:04/01/22 09:48 ID:vCfDpyM5
大正5年ごろの東京では、大正食堂のメニューに犬料理が提供されていたことを示す事例。

【しかもこれほどの大金持になった白朗の日常生活は、相も変わらぬ超素寒貧で、爪に
【火をともすような耐乏生活であった。(中略)これが朝飯である。ひるは下級労働者
【相手の食堂に行って大量のゴハンが二銭、みそ汁一千五厘、さばの煮占め、肉の煮込
【みのようなごちそうで四銭、合計七銭五厘で"正餐"をとる。今日は一丁ふんばるかと
【いう日でさえ、「カメチャブ」と称する得体の知れぬ肉丼で、これ以上のぜいたくな
【料理は食べたことがない。そもそもカメチャブというのは、人夫のつかう隠語で、カ
【メは洋犬、チャブは飯。

東京の下町で犬丼が販売され、下層労働者の日々の糧となっていたことがわかる。

出典は、日本人馬賊・尚旭東(小白竜・小日向白朗)の半生を扱かったノンフ
ィクション、朽木寒三『馬賊戦記』(徳間文庫・1986)、上巻22ページより。



372 :あえなく返り討ち:04/01/23 15:30
500 名前:tenpura ◆9DUMAIu01k 投稿日:04/01/22 15:59 ID:kYqJPYhb
>>495

ふざけるな。
手元の「馬賊戦記」(番長書房版)から引用してやる。
絶版だから入手しにくいと思ったんだろうが、残念ながら
手元にあるんだ、しっかり読め。

そもそもカメチャブというのは、人夫のつかう隠語で、カ
メは洋犬、チャブは飯、なるほど肉は入っているが大方
その辺の野良犬でもしめ殺したやつだろうという陽気な冗談だが、
名を聞いただけで気色の悪くなるような貧乏人の食い物には違いない。

>東京の下町で犬丼が販売され、下層労働者の日々の糧となっていたことがわかる。
『なるほど肉は入っているが大方その辺の野良犬でもしめ殺したやつだろうという陽気な冗談』
が証拠になるたぁあきれたもんだ。

ま、小日向白郎は中国の国歌にも歌われている偉人だがな。日本人なのに(w



501 名前:  投稿日:04/01/22 16:09 ID:X30sTiF6
>>500
カコイイ (゚∀゚)ノシ バンバン


502 名前:  投稿日:04/01/22 16:10 ID:VsLko7CN
あっ

tenpuraタソが切れた。(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル



373 :あえなく返り討ち:04/01/23 15:30
504 名前:tenpura ◆9DUMAIu01k 投稿日:04/01/22 16:32 ID:kYqJPYhb
>>502
い、いかん。大好きな本のことだけに地が出てしまった。
番長書房版が手元にあるというだけでも、相当の好き者だと
思って見逃してほすぃ。。。


505 名前: 投稿日:04/01/22 16:57 ID:duJ3O5X1
しかし狩猟の習慣があるなら、タヌキとか山に住むイヌ科の動物を食べて
いてもおかしくないと思うが?

そういうのもひっくるめて、日本にも犬喰い文化があったと言い張りたいわけ?


506 名前:_ 投稿日:04/01/22 17:01 ID:PiudcXvO
カメチャブと言えば、今でも皆喜んで食べているじゃないですか。
牛丼の事ですよ。
牛丼屋で、店名を『かめちゃぶ』にしてる店も在るし。
さあ、今晩は吉野家でカメチャブディナーだな。



374 :あえなく返り討ち:04/01/23 15:32
507 名前:  投稿日:04/01/22 17:14 ID:X30sTiF6
こういう説もあるみたいね。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E4%B8%BC

明治時代、文明開化により牛肉を食べる習慣が広まり、
大衆向けに考案された牛めしが原型で、
牛鍋をどんぶり飯に掛けたものですき焼き丼なども同類。
牛鍋の残り物を飯にかけて、犬のエサとして食べさせたという由来から、
「カメチャブ」という俗称で呼ばれていた。
ちなみに犬のことを「カメ」と呼ぶのは、居留外国人が犬に"come( here)"と
呼ぶのを聞いたことによる。



味噌汁かけご飯をネコマンマと呼ぶみたいなもんか。
どっちにしても犬食ってるのとは違うわなぁ。



はい、御自分が馬鹿にしたハン板のソース主義とやらで速攻で返り討ちです。
頭が無いなら黙っていればいいのに、わざわざ恥を晒しに来る。

375 :世界@名無史さん:04/01/23 17:14
>5000人で5万人を撃退した
第二次世界大戦当初の日本軍がそんな感じだったな。


376 :世界@名無史さん:04/01/23 17:17
三国志だと、赤壁の戦い。
曹操軍が自称100万で、実数が22万ぐらい。

劉備の関羽仇討ちで呉と戦ったときの数が56万て書かれているけど、
実際は3万ぐらい。
当時の戸数を見ると、人口90万の益州で56万動員が不可能なのが分る。


377 :世界@名無史さん:04/01/23 18:18
近代的な国民軍以前の大軍は中国かさもなくば嘘っこと思われ

378 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 18:24
>>368
1600年時点で推定1800万ほど(1500万〜2000万まで諸説あり)。
フランス以外の西欧諸国のほとんどの人口は上回っていたと。
1200年時点で約1000万人、1700年で3000万人とも聞きました。

379 :世界@名無史さん:04/01/23 18:33
誰だよわざわざハングル板まで馬鹿晒しに行ったのは。

380 :世界@名無史さん:04/01/23 18:45
日本の槍の使い方ってどんなの?
よく大河ドラマとかで乱戦中こねこねやってるのは見るけど。
横列作って敵の突撃を防ぎ、後ろから銃で撃つ、みたいなことはやってたの?

381 :世界@名無史さん:04/01/23 18:50
>>379
きっと170・・・あいつしかいない。

382 :世界@名無史さん:04/01/23 19:06
>乱戦中こねこね
かわいいな

383 :世界@名無史さん:04/01/23 19:48
あーあ、又懲りずにハン板行ってる奴がいる・・・・・
速攻で既出だ!とかソース出せ!って苛められているW
知識が無いなら行くなよ・・・・・

384 :世界@名無史さん:04/01/23 19:56
>>380
大河ドラマの戦闘シーンは全く信用できない
乱戦しか無いのが致命的

385 :世界@名無史さん:04/01/23 20:02
ハン板初心者は次のようにいぢめられる(世界史板より転載)

383 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/01/23 19:48
あーあ、又懲りずにハン板行ってる奴がいる・・・・・
速攻で既出だ!とかソース出せ!って苛められているW
知識が無いなら行くなよ・・・・・

しかしこのジョークスレだけは違う。このように言われてしまうのである。

383 名前:ジョーク@事実さん 投稿日:04/01/23 19:48
あーあ、又懲りずにジョークスレ行ってる奴がいる・・・・・
速攻で事実だ!とかソースだ!って苛められているW
妄想ができないなら行くなよ・・・・・

386 :世界@名無史さん:04/01/23 20:04
ご・・・誤爆 _| ̄|○

どうも申し訳ありませんでした・・・  y=ー( ゚д゚)・∵. ターン

387 :世界@名無史さん:04/01/23 20:04
ずいぶん前、「毛利元就」で槍兵のゆっくりとした前進があったよ。
激しく地味で、恐らく視聴者ウケは最悪。

388 :世界@名無史さん:04/01/23 20:08
あれ、ファランクスかよっ!って思った。


389 :世界@名無史さん:04/01/23 20:31
569 名前:565 投稿日:04/01/23 19:55 ID:4mH81Atv
>>567
ごめんよ、おいらの勘違いでした。
しかし、えのころ飯が載っていた、蜀山人の『一話一言』補遺ってこんな話も載ってるみたいなんだが、
えのころ飯に信憑性あるのかな?
はるか地の果て薩摩じゃなく、近場の(馬で日帰りできる)伊豆の話なのに…。
おまけに、南畝は、大阪へ転勤したことがあるはずだから、伊豆の国も通ったと思うんだけどな。

http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/yamausag.htm
伊豆の国へ行った人が、こんな話をした。

 伊豆に新左衛門村というところがある。往時は河津氏の領地で、三千石の村である。今も当地に
河津の氏神を祭って、三社明神と呼んでいる。山谷の重なる土地なので、ウサギなどはとりわけ多い。
 ある時、村の老人が明神に参詣しての帰り道、山中を行くと、なにやら物音が聞こえてきた。挟み
箱を担いでいくときに、金具が箱に当たって鳴る音のようだ。
 辺りをうかがうと、ウサギが数十匹、大きな円陣をつくっているのが見えた。それが皆二足で立ち上
がり、両手で自分の腹を叩いている。一度に揃って腹鼓を打つので、その音が高く響くのである。
 老人は不思議な思いで眺めていたが、おり悪しく風邪を引いていたもので、ついこらえきれずに咳
き込んだ。
 その音に驚いて、ウサギたちは残らず林の中に逃げ込んでしまったそうだ。

http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/kitunebi.htm


390 :世界@名無史さん:04/01/23 20:31
573 名前:. 投稿日:04/01/23 20:23 ID:nuxvZZDp
>>569
>辺りをうかがうと、ウサギが数十匹、大きな円陣をつくっているのが見えた。それが皆二足で立ち上
>がり、両手で自分の腹を叩いている。一度に揃って腹鼓を打つので、その音が高く響くのである。


・・・・同じ本の内容がこれだと思うとかなり危ないよね。
日本昔話のノリだし、こういうのをまともな史料として扱っていいなら、日本の
ウサギはIQ200でした、という説も可能だシナ。

やれやれだよ、世界史板のソースっていうのも何だかだな。ガッカリ

391 :世界@名無史さん:04/01/23 20:32
265 名前:山犬 ◆R200HRTAe. 投稿日:03/09/06 18:40
>>Krtさん
>寺門静軒の「江戸繁盛記」を見ればわかるように、肉食はこの事件に
>先立つ天保年間以前から流行しており、準備時間さえあれば材料調達
>も可能だったと思われる。
江戸繁盛記に書かれた、天保期に流行した肉食というのは、イノシシ、シカ、
ウサギ、クマ、タヌキ、サルなどの野生動物を食べるもので、牛馬は家畜と
して非常に大切にされていましたので、その肉を食べる事には上記の野生
動物を食べるのと比べて、かなりの抵抗感があったと思われます。

将軍が薬食いと称して近江牛を食べていた事は有名な話ですが、これも
例外的なことで、わざわざ「赤牛の肉は食べても身が穢れない」と言い訳
しています。

また天保期に流行した薬食いと称した肉食自体も、駕篭かきや博労などの
ちょっとやくざな連中が、度胸試しに食べるといったような感じのものでした。
少なくとも獣肉自体が下賎な食べ物と思われていた事は確かで、八百善の
ような高級な店では、獣肉を使った料理を出す事などありえなかったでしょう。
鴨肉などの鳥の肉を使った料理はあったと思いますが。

まぁ、Krtさんが紹介していらっしゃるような高級料理よりも、牡丹鍋のほうが
ペリー一行には喜ばれたかもしれません。鴨肉などは西洋人の味覚にも適った
たかもしれませんが、ペリーが来た時期は夏でしたから、時期はずれですね


392 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 21:19
>>380
応仁・文明の乱の始まった頃から長槍で上から叩く集団戦が行われるように
なります。クレヨンしんちゃんの映画に出ていたような感じで。

393 :世界@名無史さん:04/01/23 21:30
>392
クレヨンしんちゃんの戦国時代のやつ、
NHK時代劇より、戦闘方法の描写が史実に従っていたな。
日本アニメ恐るべし。

394 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 21:42
>>393
焙烙と総石垣の安土城紛いの城ぐらいしか突っ込みどころがありませんでしたね。
槍もちゃんと槍持ちから受け取っていましたし。生首下げて戦場を歩いてくれて
いればなお良かったのですが(w

395 :世界@名無史さん:04/01/23 21:43
NHKはそれでも乱戦でいきなり組み討ちを放送するだろう
だって視聴者がそれを望むんだもん

396 :世界@名無史さん:04/01/23 21:44
>>394
遠くからの火縄銃射撃で盾に弾が当たり、ポロリと落ちるところがまた秀逸でした

397 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/23 22:03
>>360
あの時代は騎士・従卒・傭兵問わず馬から降りてるのが多いからな。


>>361
プラッシーの戦い。2400の英軍が5万のベンガル軍を破った。
ミール・ジャーファルが英に内通して日和った分を差し引いても対したモノだ。

他には、第四回十字軍で十字軍側が80で500を破った小競り合いと、500で5000を
打ち破った例(どちらの数も騎兵のみ、歩卒を含めれば4〜5倍に膨れあがる)が
ヴィアルドヴィアン「コンスタンティノープル征服記」で確認できた。

398 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/23 22:06
一応朝鮮出兵や日中戦争の際にも死ぬ気で日本軍が10倍以上の敵を相手に
戦ったら追い払えたなんて話がありますね。
島津が8000人で明軍34500人・朝鮮軍2200人を撃退した例も。
(よく言われる20万人はいくらなんでも誇張が過ぎるようです。)

399 :世界@名無史さん:04/01/23 22:22
犬肉食のコピペ貼り付けてる奴ウゼエよ。スレ違いだろボケ。

400 :世界@名無史さん:04/01/24 00:34



401 :世界@名無史さん:04/01/24 00:48
>368
日本の人口
江戸時代の人口増加率と経済成長
人口(万人) 耕地(千町) 実収石高(千石)
1600年 1,200 2,065 19,731
1650年 1,781 2、354 23,133
1700年 2,769 2,841 30,630
1720年 3,128 2,927 32,034
1730年 3,208 2,971 32,736
1750年 3,110 2,991 34,140
1800年 3,065 3,032 37,650
1850年 3,228 3,170 41,160
1872年 3,311 3,234 46,812
速水融・宮本又郎「概説17−18世紀」、44頁)
http://www.toushi-club.com/kansoku/i1111a.html

李朝鮮の人口(朝鮮史録の戸籍数から換算) 
1636年 152万1165人(秀吉の唐入による影響から回復できていない)
1666年 410万7156人 
1690年 695万2907人 
1753年 729万8735人
1837年 670万8529人 
1850年 750万人(別資料)

李朝鮮時代の食料生産を知る正確なデータ無し。
1920年 1270万石
(朝鮮総督府統計)

誰か、中国の人口統計の資料を教えて下さい。

402 :世界@名無史さん:04/01/24 00:51
401の捕捉。
李朝鮮の人口1636年に秀吉の唐入りと書きましたが、
他にも女真族の侵入を許し、同様の被害を被っています。


403 :またまた返り討ち:04/01/24 02:53
590 名前:世界史板より 投稿日:04/01/23 23:51 ID:AyqiBE8f
上記にアップした過去ログの議論編をご確認いだければおわかりのように、
信州人は、完璧に論破されつくしています。

このスレでも>>554>>557で恥ずかしげもなくコピペを繰り返している詭弁に
簡単にコメントすると、


たとえば京都の冷泉さんちの裏庭から、食べ物のカスをすてたふるいゴミ捨
て場が一つ見つかり、シジミの殻が三個見つかったとします。

このゴミを指して、

 【過去1000年間に京都に居住した全ての者が食べたシジミの総量は「三個」だ】

と主張したりするのは、ひたすらデンパなだけです。
さらには、過去千年間に京都に居住した者の、のべ人数を算出し、その数で
「三個」を割ると大変ひくい数値がでてきますが、その数値を挙げて

 京都人が一生の間に食べるシジミの数は0.000000000 (略) 00000017個で、
 したがって過去の京都人はほとんどシジミ食など行わなかったにひとしい。

などと主張することのバカバカしさは、簡単にご理解いただけると思います。

信濃人の検証モドキ(上記URLの702番)、
このスレの「通りすがり」氏の検証モドキ(>>554>>557
も、そんな類の論法であり、この数字あそびに対し、世界史板の方では「疑似
科学的手法」と、一刀両断にされています。

具体的には、議論スレのミラーにてご確認ください。


404 :またまた返り討ち:04/01/24 02:54
592 名前:   投稿日:04/01/24 00:10 ID:p+v2YWfH

 ※スレの後半部・全体
 http://nekomimi.ws/~asanagi/cgi-bin/ragnarok/source/20040123222754-.htm
 自称ハン板住人・信州人のファビョーン・自作自演・自問自答の荒らし

 アップローダー・ラグナロックの場所をお借りしています。





おい、いきなりやって来て何の証拠もなしにこんな事を言う奴が世界史板では
普通なのか?
世界史板で晒してやろうか?
お前には人と人の間の礼儀も何もあったもんじゃないわけだな。ハン板では
そういう奴は侮蔑を込めてこう呼ぶんだよ。

「この朝鮮人!」


証拠もなしに人を自作自演認定するなら、逆にお前の発言も自作自演だと
思われるんだぜ?
分かっているの君?


405 :またまた返り討ち:04/01/24 02:54
593 名前:   投稿日:04/01/24 00:17 ID:p+v2YWfH
>たとえば京都の冷泉さんちの裏庭から、食べ物のカスをすてたふるいゴミ捨
>て場が一つ見つかり、シジミの殻が三個見つかったとします。

>このゴミを指して、

> 【過去1000年間に京都に居住した全ての者が食べたシジミの総量は「三個」だ】

>と主張したりするのは、ひたすらデンパなだけです。
>さらには、過去千年間に京都に居住した者の、のべ人数を算出し、その数で
>「三個」を割ると大変ひくい数値がでてきますが、その数値を挙げて




誰がどう見てもお前が電波だよ。世界史板ではこれが論破っていうのか?
年代測定すれば一発だろうが、それに地層でも分かるんで無いの?
千軒遺跡はちゃんとその時代の地層から発掘されたわけだし、共同体のゴミ捨て
の遺構だって発掘者が保証しているじゃないの。
で、発掘者がちゃんと、

>552 名前:通りすがり 投稿日:04/01/23 14:57 ID:xLQOM7Ze
>どんな遺跡?

> 鎌倉時代から室町時代にかけて(今からおよそ750〜450年前)存在した、中世の
>町の遺跡です

って300年間の累積だって言っているじゃん。


406 :またまた返り討ち:04/01/24 02:54
598 名前:590 投稿日:04/01/24 00:37 ID:J/iBffqY
>>593
 ある都市の遺跡が300年間存続したかどうかと、
 その都市遺跡の一角にあるゴミ捨て場が300年間つかわれつづけていたかどうかと、
 そのゴミ捨て場にその都市の300年分のゴミの全てが捨てられていたかどうか

は、まったく別の問題。

 アホなのか、ディベートのギジュツのつもりでか、その点を混同している信
 州人の考証モドキは、だからしょせん「疑似科学的」。

 
>>594 いいえ。たんなる数字あそび。>>590を再読。


599 名前:   投稿日:04/01/24 00:42 ID:p+v2YWfH
>>598
何言ってるのお前?じゃあ発掘者は嘘言っているのか?ちゃんとリンク先で
ご丁寧に千軒遺跡のホームページになってるじゃん。
お前何見ているの?

お前が一番考証の意味を知らないんじゃないの?


407 :またまた返り討ち:04/01/24 02:55
600 名前:   投稿日:04/01/24 00:45 ID:p+v2YWfH
>その都市遺跡の一角にあるゴミ捨て場が300年間つかわれつづけていたかどうかと


こんな事言うなら、ちゃんと他のゴミ捨て場の遺構があった事を証明してよ。
発掘した中でこれしか無かったからわざわざゴミ捨ての遺構だって発掘者が
言っているんじゃん?
他にあるというのなら証明しろよ。


お前みたいな論法なら、宇宙人が居たっていう事でも証明できそうだな。
そんな証拠は無いって言ったら、まだ発掘されていない場所に証拠があるんです
って言いそう。

ちゃんと証明するものを出せ!無いなら妄言を吐くな!


601 名前:590 投稿日:04/01/24 00:48 ID:J/iBffqY
>>599
 > ある都市の遺跡が300年間存続したかどうかと、
 > その都市遺跡の一角にあるゴミ捨て場の一つが300年間つかわれつづけていたかどうかと、
 > そのゴミ捨て場にその都市の300年分のゴミの全てが捨てられていたかどうか

 > 発掘されたゴミが、その都市が存続していた期間に排出したゴミのうち
 > どの程度の比率を占めるのか

とは、まったく別の問題。


408 :またまた返り討ち:04/01/24 02:55


603 名前:   投稿日:04/01/24 00:52 ID:p+v2YWfH
>>601
違うというならちゃんと証拠だせってーの。
リンクみろや。

他にゴミ捨て場があるっていうのはお前の単なる妄想だろうが!
違うというなら証拠出せよ。

証拠も出さずに脳内ソースで言いというなら学問はいらないんだよ。
お前はここだけではないと言ったのだからちゃんとそれを証明しろよ

605 名前:590 投稿日:04/01/24 01:07 ID:J/iBffqY
>>602
「中世都市遺跡から発掘される食物ゴミで、平均的にみてもっとも目立つのは調理の痕跡のある犬骨」

>違うというなら証拠出せよ。

>>598を再読。
発掘者から、詳細な学術報告書も刊行されているし。


409 :またまた返り討ち:04/01/24 02:56
608 名前:   投稿日:04/01/24 01:18 ID:p+v2YWfH
>>605
発掘者から、詳細な学術報告書も刊行されているし。



知らんね、お前はわざわざ持ち出してきたんだから確証あるんだろ、早くソース出せよ。
その詳細な学術報告書からページ指定して引用できるよな?
それどころかスキャンしてアップしてくれるよな?

お前はしてもらったわけだよな?
早く引用して証拠を出してくれよ。

証拠も出せないのに何でお前はそんなに偉そうなの?
お前の脳内ソースは証拠にならないの。


609 名前:  投稿日:04/01/24 01:20 ID:CgC4gSfD
>>607
新スレ立てなくても↓
【伝統】美味しい犬肉料理レシピ【文化】
http://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1074313074/


610 名前:   投稿日:04/01/24 01:22 ID:p+v2YWfH
>>609
どうせ直ぐに終わるよW
証拠の一つも出せなくて脳内ソース一点張りなんだから。

何が毒消しなんだかW


410 :さらに返り討ち:04/01/24 02:57
611 名前: 投稿日:04/01/24 01:59 ID:SUF/pHzX
>>605
>発掘者から、詳細な学術報告書も刊行されているし。

証拠というなら
1)発掘者あるいは発表者の所属・身分・名前 2)該当刊行物、および掲載個所の指定
くらいは上げないと話にならないよ。論文書くときに「Referenceにはないけれど、そういうのがあるんだ」ってのは成立しない。
できれば、どこでそれが参照できるか、もっとできれば該当個所を抜き出して示して欲しいところですが。


619 名前:   投稿日:04/01/24 02:36 ID:hKRb8E8w
ちなみに詳細な学術報告書というのはあるに決まっているぞW
なにしろプロジェクト組んで大々的に予算組んで発掘しているのに報告書が
ないなんて馬鹿な話はないだろうに。

千軒遺跡で検索すればゴロゴロ出てくる。まあ、ほとんど目次だけだったけどねW
せしはPDFもあったと思ったけど面倒なのでやめちゃった。
590はとりあえずそれだけ見てハッタリかけたけど更に突っ込まれてアタフタしたと見た。
使えねー奴。

仮にPDFの報告書があったところで脳内妄想の補完にはならんけどな。
疑似科学にすらなりゃしない。
もっと自分の頭を使えと言いたい。こいつのやっている事は人の意見の鵜呑み。



411 :世界@名無史さん:04/01/24 03:08
レスアンカー貼ってくれれば充分、コピペうざいッスよ

412 :世界@名無史さん:04/01/24 03:31
少しでも朝鮮に不利な情報が流れると、在日達は荒らすのか?


413 :世界@名無史さん:04/01/24 03:47
スレタイとずれて人口問題、動員力の問題になっているが、
古代中国の数十万という兵が虚像であるのは明らか。

なぜなら、十万単位を統一した指揮のもとに動かせる
組織的メカニズムが考えられないから。

ビスマルクだったか(十九世紀西洋でさえ)
最大7万が軍隊を動かせる最大単位と言っていた(と思う)。

通信手段、組織構成(現在の兵制のような)、兵員の士気
を考えると、三国志、戦国策に出るような数はありえない。
10分の1以下と見るのが妥当。
近世日本の場合、封建制の成熟によって、
諸侯軍団の個別統制の元に集合した軍勢だから、
関が原などの10万単位の戦力は実体的戦力(戦う事のできる戦力)
として存在し得る。
この戦力の充実度は文禄慶長の役でも証明されている。
当時の明の動員力にも同じことが言える。
さらに日清戦争を見ても、人口だけでは軍隊の
強さは図れない事が分かる。

414 :387:04/01/24 04:50
>388
ファランクスとはかなり違ったと記憶してるよ。

数人の将がそれぞれ配下(恐らく映っていない人間も含めて500名ずつ程度)を
指揮して待機し、総大将の合図で一斉に前進するという予定建てていて。
兵の構成員はほとんど槍兵で、弓兵が補助し、指揮官と取り巻きが騎乗。

相手は近くの豪族、編成は似たようなもので、規模は小さいが一人の将が
全軍を率いていると描写されていた。
その敵将が杯を投げ捨てたのを合図に敵軍の前進が始まる…ここまで
毛利方はひたすら待ってる。

で、動き出した相手にしびれを切らした一人の将が勝手に前進をはじめる。
釣られて(というか放置はできないので)全軍であわただしく前進を始める。
弓が飛び交う中を前進し続け、両軍の槍兵が槍の距離に近づき、槍の叩き合いが…。
ここまで全て、徒歩、それも通常より遅い歩きで全部展開してる。
見てて、ダルー。

ファランクスだったら、ワイワイ騒いだ後、最後は全軍走って突撃なんじゃなかったっけ。

415 :世界@名無史さん:04/01/24 13:38
>>394
確かにあの焙烙にはちょっと笑いましたね。さすがに攻城塔はねえだろ!って。
でも、その他のシーンは本当によくできていて感動しました。
恐らく大河ドラマでは一度も出てきていない竹把も出てきたし。

416 :世界@名無史さん:04/01/24 14:47
>>412
貼ってるのおまえだろ
バレバレですよ

417 :世界@名無史さん:04/01/24 15:35
380です。
>>392
ありがとう。
上から叩くより穂先揃えて前進したほうがいいのに。
訓練がいるから面倒だったのかな。
じゃあ
>横列作って敵の突撃を防ぎ、後ろから銃で撃つ、みたいなこと
についてはどうですか。やってましたか?

418 :世界@名無史さん:04/01/24 17:15
>>417

横隊の後列が撃つくらいならできるだろうが
横隊の後方から撃つのは無理、味方に当たる

419 :380:04/01/24 19:07
ども。修正です。
「槍で横列作って、敵の突撃から銃隊を防ぐみたいなこと」でお願いします。

420 :世界@名無史さん:04/01/24 21:25
>417
そんなことしたら死ぬだけっしょ。
パイクもだけど、まず槍がムチャクチャ長いから穂先を揃えるってのも簡単じゃない。
んで、長いから叩かれると穂先がぶれて、捕まれたり踏まれたりする。
踏まれたらもうダメ。
踏まれないようにするには、振り上げて振り下ろすのが良いので、
お互いそれでたたき合うことになる、と。

銃については、幾ら種子島が多いと言っても近世のヨーロッパみたいに
銃が主力だったわけではないから、槍が銃を守る、ではなく、
槍に向かって攻撃する敵に対してまず銃撃することで、
槍兵が有利に戦えるように補助する感じ、、、
に見えるな。長篠合戦の絵巻(図)とか。

421 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/24 21:56
ただ長篠の合戦を描いたあれは江戸期の作品であったかと。
長槍のことですが、かなり重いものを揃えて突き出す方が振り下ろしたり上
げたりするよりも力がいりそうですね。

422 :世界@名無史さん:04/01/24 23:42
>長篠の合戦を描いたあれは江戸期の作品
そうでしたか。適当言ってしまってすまんです。

槍についての補足。
穂先をつきだした状態で前進したら、どうやって攻撃したら良いんだろう?
槍で突いて攻撃するには、右手を後ろに退いた状態で構えないといけない。
穂先を突きだして構えるのは防御、特に騎兵の前進を止める時かと。
マケドニアのアレも、槍は斜め前方に上げて前進してたらしいし。

423 :世界@名無史さん:04/01/25 06:56
槍を水平に構え続けると
腕がしびれるなあ

424 :380:04/01/25 13:47
>>420
なるほど、じゃあ歩兵相手の槍は踏まれると考えた方がいいんですね?
それも長いやつほど。
>>422-423
絵とかで見ると、マケドニアのは前部5列くらいは水平構えで
深〜く刃を揃えてませんでしたっけ。
槍を斜めに上げていくのはその後ろからだったような。

>穂先をつきだした状態で前進したら、どうやって攻撃したら良いんだろう?
手で突くんじゃなくて足で突くんじゃないでしょうか。
マジで鉄壁の方陣機動訓練要りそうだけど。

425 :世界@名無史さん:04/01/25 18:07
パイクの話が出たから長槍で説明するけど、
ごちゃごちゃでいいんだよ。(数が重要で、集団としての行動は単純)
騎馬が突っ込んでくるときは、密集して穂先を向ける。

対長槍同士の戦闘の場合は、
Aが上から振り落として、Bが突く。
Aに対応すればBに刺されて、Bに対応すると、Aに殴り倒される。


426 :世界@名無史さん:04/01/25 19:08
>424
パイク兵の構えの絵も見たことがあると思うけど、
ファランクスとかのああいう構え(槍を水平)は
> 騎馬が突っ込んでくるときは、密集して穂先を向ける。
これ。まぁ、騎馬以外を相手する時もやると思うけど。
ただ、馬は槍をたたき落として踏もうとしてきたりしないからね。

ファランクスのサリッサは、斜め上方に掲げて矢を絡め落としたという話も。
もちろん矢を狙って突いたとかじゃなくて、偶然あたって失速するのを期待して。

427 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/25 21:44
>>420
>んで、長いから叩かれると穂先がぶれて、捕まれたり踏まれたりする。
ありえない。パイクやマケドニアファランクスの槍襖は左右にも奥にもびっしりと穂先が並んでいる。
大体敵のパイクをわざわざ楯に突き刺させたハイランダー達の立場はどうなる。

>>422
>穂先をつきだした状態で前進したら、どうやって攻撃したら良いんだろう?
あぬな、パイクや長槍は馬鹿みたいに長いんだからわざわざ腕を突き出して構える必要なぞない
だろが。

>穂先を突きだして構えるのは防御、特に騎兵の前進を止める時かと。
対騎兵用の構えはこう。体を左半身にして、石突きを右足の土踏まずで押さえるように地面に突き
刺し、柄を左膝に当てるようにして45度角に構える。
パイクに限らず、槍を使うようになってからの帝政ローマ重装歩兵や中世アラブ歩兵などでも大体
同じようだ。
日本では『甲陽軍艦』だかなんだかに対騎兵用の陣構えの記述があったそうだが…。

>>424
>絵とかで見ると、マケドニアのは前部5列くらいは水平構えで
そう、ンな感じ。

428 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/25 23:05
NHKの『新日曜美術館』(の『平治物語絵巻』)、どなたか御覧になられましたか。

429 :世界@名無史さん:04/01/26 00:45
メイスの話でてたが、カール・マルテルの使用してた武器はメイスの類には
はいらんのですか?

430 :世界@名無史さん:04/01/26 01:11
> 大体敵のパイクをわざわざ楯に突き刺させたハイランダー達の立場はどうなる。
それが「捕まれたり」の部分だと思うけどな。
槍が縦深をとった陣形なら踏もうとするのは自殺行為だね。
イランダーは長槍兵ではなかったので、槍あわせでどのように
戦うかという話題にはちょっとあわないかな。


上の盾の場合は違うけど、捕まれないためには、突きだした槍をすぐに引く必要がある。
両手の槍は、左手を管のように使って右手で突くんだけど、短いものなら
突いてそのまま、あるいは次の行動に移りながら引けるけど、
長いものであれば、充分なストロークを持って突くと、右手と左手が接近しすぎて
重さで穂先が下がってしまい、そのまま引く形にすると地面をこすってしまうことに。
というか、短い槍でもしたからえぐり上げるように(意味伝わるかな)突くことが多いみたい。
本当は左右にも転回したいけど密集陣じゃ無理だから、上下と前後を組み合わせた
動きしか無いと思う。


で、突きも叩きつけもしない場合の長槍の集団用法だけど、
一つは、石突きを固定するもの、もう一つは腰だめに構えて体ごと前進「足で突く」もの。
固定するのは対騎兵用、「足で突く」のは槍の長さで優越してる時。
後継者戦争ではどんどんサリッサが長くなってるし。

つーことで、
> ファランクスとかのああいう構え(槍を水平)は
>> 騎馬が突っ込んでくるときは、密集して穂先を向ける。
> これ
これは間違いなので撤回。

431 :世界@名無史さん:04/01/26 11:09
>>427
浅薄な知識のうち、煽り文句で書ける書き込み見つけた時だけコテハン
使ってレス入れる、世の中の役に立たない自己満足君。乙。

432 :13 :04/01/26 12:40
お久しぶりです。
以前はご迷惑をおかけしました。
170さんが言っていた通り、良い議論をするスレになっているようで。

長槍は叩くか突くかでの議論になっているようですが…

西洋はどうか知りませんが日本では槍はぶっ叩く物のはずです。
短い槍が2メートルならば、振り回したり突いたりは簡単ですが、
3〜4メートルの槍となると突く、という動作は難しいです。
実際に3メートル半の長い鉄パイプを振り回して遊んだ事があるのですが…
突くよりも振るほうがまだ楽な気がしてならりませんでした。
とにかく長くて重いので、振るのも大変なのですけどね。

なので、上に振り上げて叩き降ろす、というのは正解な気がします。
そもそも日本の槍は刺すための武器じゃなくて叩く武器だそうですし。
実際槍の流派でも突くよりぶっ叩くとか耳に挟んだのですが、また自分の勘違いによる間違いかもしれませんけど。

ところで、話の流れがわからないのですが…西洋と日本の槍の使い方を比較しているのですか、
それとも日本の槍の使い方がこうだから西洋もこうだろう、なのですか?

もし後者だったら。
…だから、戦いの様式なんてそれぞれ気候や文化や地形やらによって求めるのが違うんだから、どっちが優劣なんて意味ないじゃないよ(ボソ

とりあえず、また変なレスつけてごめんなさい、と謝っておきます。

433 :420=430:04/01/26 17:23
170氏は口調はアレだけど議論になってるなら謝ることは無いかと。>432

槍の叩き合いだけど、相手の槍や兜を叩いたんだよね?
叩いた後、または叩いてスカった後、どういう風に戻してたんだろう。
突きと叩きを併用ではなく、ひたすら叩きのみ?
それはそれで、動きに無駄ができてしまうような。

鍬で土を耕すような動作になんのかな。
農民出身ならその動きはめちゃめちゃ慣れてるかな、とか。
長さが全然違うけど。

434 :世界@名無史さん:04/01/26 17:39
あかん、鍬の動きはあり得ない。
槍と手が反対だった。

435 :世界@名無史さん:04/01/26 17:44
ていうかおまえら、八王子百人組の武田流槍術くらい調べたのかよ?

436 :世界@名無史さん:04/01/26 18:12
>>433
確かに、槍と鍬では運動の目的が明らかに違う
鍬って、前方に刺して手前横に土を払う農具(手前、奥、中ごろの順番で耕起する)
しかも、正面向いて足を開いて、畑を「打つ」のがセオリー
戦場では普通、半身が基本ではなかろうか?

農民が戦場で重宝されるのは、足腰の強さとタフな精神力の二点においてであろう

437 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/26 19:06
余談めいた話ですが、鍬入れというのはあれで案外難しいもので、力があって
もコツをつかんでいないと地面をひっかくだけで耕せないんですよね。
餅つきも別な意味でコツがいるものでやっていると年寄りの重要性が再認識さ
れる。名人でもなければ槍の方も「習うより慣れろ」だったでしょうね。
>>415
遅レス。「井楼」という物見櫓のようなもの(『日葡辞書』にも出て来ますが
15世紀末にはあったようです)に車をとりつけたものの絵を以前見た覚えが
あります。実際に日本で使われていたかどうかは分かりませんが。
なお移動するものの起源は明にあったようです。

438 :世界@名無史さん:04/01/26 19:36
やっぱり納得行かないな…
最初の一撃を、合図に合わせて揃えてうち下ろすのはわかるけど、
それ以降は突いた方がよくないだろうか?
あんな長い物を振るのは大変だろ、N=r・Fのヤツで。

439 :世界@名無史さん:04/01/26 19:47
刃先みりゃわかるだろう
なーにが叩くだ!

440 :世界@名無史さん:04/01/26 19:52
槍は、突くからこそ怖いんだよ。
どんな広い戦場で戦ってるんだよ、振り回すとかいってる奴の脳内はよ。
しかも、味方を器用にかわして敵だけ打ち付けるほど器用に戦えるのかよ?

441 :世界@名無史さん:04/01/26 20:31
仲良くシル。
乱暴的な書き方、イクナイ


442 :世界@名無史さん:04/01/26 21:26
>>440
戦列くんで一斉に叩く
時代劇の乱戦をイメージするのは結構だが、そいつは間違いだ

443 :世界@名無史さん:04/01/26 21:37
長槍の基本
Aが上から振り落として、Bが突く。
相手がAに対応すればBに刺されて、Bに対応すると、Aに殴り倒される。
(司馬遼太郎の国盗り物語より参照)


444 :某研究者:04/01/26 22:28
パイク兵>長槍足軽かも知れぬが
矛槍兵<長槍足軽かも知れぬし
短槍兵<槍足軽かも知れぬだろうか
重装槍騎兵<弓を持った騎馬武者の可能性は有るだろうし
騎馬武者の槍は両手で振るわれるなら槍を持った騎馬武者にさえ
重装槍騎兵は勝てない可能性も有るだろうか

445 :某研究者:04/01/26 22:32
ロングボウ兵と弓足軽何れが強いのかだろうが
接近戦では後者の方が恐らく強いだろうか

446 :某研究者:04/01/26 22:36
同じコストのクロスボウ兵と弓足軽では何れが強いのかだろうし
近接戦闘では少なく共数の多いクロスボウ兵の方が強いだろうか
ロングボウ兵より弓足軽の方がコストが高いなら
同様の事が言えるのかも知れないが

447 :世界@名無史さん:04/01/26 22:51
>440
だからこそ、振り回すのではなく上から叩きつけるんだろう
ちゃんと嫁


でも、最初の揃え打ちの後は、持ち場を保ったまま各自奮戦
だよな?
それ以降も合図に合わせてうち下ろしてたら、まるで近世の戦列歩兵


>443既出

448 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/26 23:03
>>430
>イランダーは長槍兵ではなかったので、槍あわせでどのように
>戦うかという話題にはちょっとあわないかな。
はぁ、槍合わせの話だったんなら、どして掴むとかそういう話が出てくるのか本気で分から
ないんですけど。

449 :430:04/01/27 01:23
槍兵どうしの戦いについて、417の
> 上から叩くより穂先揃えて前進したほうがいいのに。
に対して、それやると相手に槍をたたき落とされてしまうんでないの?
そして掴まれたり踏まれてしまうんでないの?というのが 420。

「槍あわせについて」と言ったのは半分間違い。
槍足軽どうしの集団戦について、だったね。大河の毛利に出てたような。
あのドラマでは、刀もったおっさんを先頭にした一隊が切り込んで、
その隊列のほころびから色々なだれ込んで勝負ありと描かれてた記憶が。

まぁ、叩くのは相手の頭や体を狙ったもので槍を叩いたりしないっつーのなら
たたき落とすとか踏むとか掴むとかの説(?)は引っ込めるしかないけど。

450 :某研究者:04/01/27 01:25
パイク兵は長槍足軽より高いかも知れないが
槍足軽は矛槍兵や短槍兵より高いのかだろうが
(まあ鎧が重い物ならばどうなのかだろうが)

451 :世界@名無史さん:04/01/27 01:46
1 腰だめで長槍を水平に構え、方陣を組んでめりめりと前進する
2 振れる程度の長さの槍を一斉にうち下ろし、あとは乱戦

それぞれの得失は?

452 :世界@名無史さん:04/01/27 01:56
>>437
井楼ですか。初めて聞きました。知りませんでした。
今度一度調べてみます。
まあいずれにせよ、櫓に車付けて城を攻めてる形態ですから
中国が起源なんでしょうなあ。
確かああいう形態の兵器って春秋戦国時代からあったんでしたっけ?
映画の「始皇帝暗殺」で見た事あるような。。。

453 :430:04/01/27 02:18
騒ぎ起こしてる張本人っぽいので真っ先に書いてみる。>451

1,2両方の得:立ち止まって防御体勢を取れば騎兵などの突進を防げる…など色々

1の得:長い槍が相手でなければまず止められることはない(ピストルとかもナシね)
2の得:同程度の長さの槍をもった相手に対して、強力な第一撃を行える

1の失:もし本当に槍を水平に構えたままずっと動くのなら、疲れる。機動力が失われる
2の失:2度3度と繰り返し揃えてうち下ろすのは困難で、突進力は1の様には持続しない

両方の「失」は漏れの妄想ね。

454 :見物人:04/01/27 04:38
だいぶ時代がまとまってきてますね。
槍に関してなんですが、良く武田流槍術を引き合いにだされる方がいますが、戦国時代の大部分の足軽はそんな高度な軍事訓練受けられたとは思えないんですが。



455 :13:04/01/27 12:19
>454
訓練するよりも実戦で戦って生き残って経験つんだほうが役に立つ理論…は置いといて。

戦国時代は頻繁に戦争が起こっていたし、足軽と言っても素人が徴用されるばかりではなく、
一応下級の武士、領地も俸禄も無いので畑を耕して生活、なんて身分の人間がなっていることもあるわけで。
農民も農業と兵役が兼業だった事も多いので。
戦で功を上げてのし上がるぞ、という農民も多かったし。

場合によっては、農民足軽を普段から集めて仕事の合間に訓練、というのもやっていたし。
完全な職業軍人というのも少なかった時代だし。
あと、農民も嫌々徴兵されているだけでもなく、自分の畑とか家族とか故郷とか荒らされたくないから戦っているわけで。

…と自分は戦国期の足軽農民を認識しているのですが。

456 :世界@名無史さん:04/01/27 12:40
>>454
ご冗談を。
強兵で知られる各国、伊達・上杉・武田・北条・徳川・島津・長宗我部などは
よく調練された兵を持っていたからこそ、いざ合戦で将の思惑通りに
軍が動くわけです。
調練を積む事は、敗北の可能性を減らすだけでなく、戦死者を減らすためにも
必要な事です。
命がけで闘っているのですから、そんないい加減な事はやっていません。
いくらなんでもこんなたわけた話が出てくるとは恐れ入りました。

457 :世界@名無史さん:04/01/27 13:49
武術は、型の稽古とかに大人数での戦い方の名残があるかもね。

槍兵の訓練はまず、整列と行軍をみっちりやることだと思うけど、どうよ?
あとは体力作りかな。
それから、長い物に慣れるために、槍術の型を色々やってみる、と。

458 :世界@名無史さん:04/01/27 14:55
農村出身の足軽って、現在の予備役兵と考えた方が良いんじゃないかな
常備の職業軍人ほど戦闘に通暁しているわけではないが
農作業が一段落した季節には、軍事教練を行っているので、戦場に動員されても
指揮官の指示するように部隊運動が可能。

459 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/27 15:25
夫役は現在でいう納税のように普通にありましたからね。漁師は漁師
で水夫役として徴発されるといった具合で、苦ではあったでしょうが
悲壮感が漂っていたというほどでも無さそうです。
それに中世の人々はどの階層も大なり小なり荒っぽいもので、昨日は
襲われていた側が今日は襲う側という事もありました。
>自分の畑とか家族とか故郷とか荒らされたくないから戦っているわけで
これもあったでしょうが、いざとなれば領主のもとから駆落したり敵から
逃げたりと手段は色々。「家竈を捨てて」浪人化するのは死に繋がる危険
性がありましたが、当時の庶民は今のそれより数段したたかでした。
おそらく今のような国民負担を強いられたとしたら暴動を起こすか幽霊人
口を大量に発生させているでしょう(笑)。
>>456
>強兵で知られる各国、伊達・上杉・武田・北条・徳川・島津・長宗我部などは
よろしければこれらの大名家で行われていた軍事訓練について知ることの
出来る史料を教えていただけないでしょうか。興味がありますので。

460 :別の人:04/01/27 16:12
上杉は訓練より見、米が沢山あって飢えなかったから強かった気がする。
(謙信以来の制度があるのは知っているけど。江戸時代には小藩で分治したし)
島津も戦法を持っていたけど、独特な風紀(士卒教育)もあり、古来の気風を保っていた。
長宗我部は荒々しい土地柄と、大量の郷士(一領具足が有名)による大動員が可能だった。
北条は善政(税率4割など)による影響が大きい、最初に村組織を吸収した大動員戦闘は早雲。


461 :世界@名無史さん:04/01/27 16:54
>>459
武田については、甲州流軍学から派生した武田流、山鹿流の史料が
各所に残っているはず。
島津については、公私分かたず多くの史家が研究発表しているし、
研究団体の会報のようなものもあり、現代でも情報量は豊か。
長宗我部については、一領具足について言及されている史料をあされば
往事の風習がつかめるはず。
興味があるんだったら手当たり次第にお読みくださいな。

462 :見物人:04/01/27 18:12
なるほど、日本は全国的に統率のとれた運用が可能だったんですね。
足軽の訓練は個人的な技術よりも集団がまとまって単純な動作の繰り返しと組織としてまとめるための訓練が大半だったと思っていました。

463 :世界@名無史さん:04/01/27 18:14
確かにAOKのsamurai弱すぎ。

464 :突撃!!天狗党:04/01/27 19:43
AOKってなに?

465 :世界@名無史さん:04/01/27 19:46
ゲーム

466 :世界@名無史さん:04/01/27 19:48
安売り紳士服メーカーかと思ったわ

467 :世界@名無史さん:04/01/27 19:48
エイジ オブ コリアってゲーム

468 :突撃!!天狗党:04/01/27 19:56
>>455
近代戦じゃないから当時はそんな悲壮感溢れる戦争ではありませんよ
当時の百姓にとっては戦争での略奪は立派な収入の一つ、しかも無税
織田軍は略奪を禁じていたという話もありますが

469 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/01/27 22:17
>>450
ああなるほどなるほど、槍同士の迫り合いを嫌ったため、という事で。

>>455-456
中世後期イギリス自由農民の長弓兵に課せられた週末の訓練や、フランスの弓・弩以外の
スポーツを禁ずる法令などと比べてどうでしょ。訓練の逸話とかありませんか?

470 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/01/27 22:50
>>469
勝海舟の氷川清話に、海舟が西洋の軍事調練と八王子百人組の槍術調練について
比較しているエッセイがある。

---信玄が、ただの武将でなかったことは、ひとたび甲州に行けばすぐにわかる。
(中略)
その兵法のごときも、規律あり節制ある当今の西洋流と少しも違わない。
近頃まで八王子に、信玄当時の槍法が残っていて、毎年一度その槍法の
調練をする事になっていたが、その槍を使うのを見ると、近頃のように、
お面お胴というふうな、個人的の勝負ではなくって、大勢の人が、一様に槍先を
揃えて、「えいえいえい」と声をかけながら、初めは緩やかに、次第次第に
急になり、ようやく敵に近づくと、一斉に槍を揃えて敵陣に突貫するのだ。
ちょっと見たところでは、はなはだ迂闊のようだが、おれは後で西洋の操練を
習ったから、始めてこの法のすこぶる実用にかなっていることを知った。
また揃いの赤具足をその将士に着せて、敵の目を奪い、かねて味方の士気を
鼓舞したのなどは、大いに今日の西洋風にかなっているところがある。
これが実に信玄の遺法であって、後世井伊家の特色となったものだ。

(中公バックス:勝海舟 P108)

471 :世界@名無史さん:04/01/27 23:13
結局、行進の訓練が最重要ってことか。
つか、江戸末期にはそれが特殊な軍事訓練と見なされるまでに
なっていたのか…。

472 :世界@名無史さん:04/01/28 11:00
足軽の訓練項目に「走る」があったとする資料をどっかで見たな
現代人には理解しにくいが当時の農民は歩く、早足くらいしか出来なかったらしい
「走る」ことを教える師範が付いて、走ることや突撃について教練していたとのこと

槍に関しても「突き」の師範と「叩く・斬りつける」の師範が別々にいて
まず突きを修得させたあと叩くことを習っていたとある(もちろん集団戦法ね)

473 :世界@名無史さん:04/01/28 14:18
>472
ホント?
盗賊やクマに追いかけられても走れなかったの?

474 :世界@名無史さん:04/01/28 15:42
それは江戸末期の話やね
現代人が小学校で習うような、短距離走のスタートの仕方、
マラソンでの効率的な呼吸の仕方、ペース配分などなど、、
そういう知識や技術は一部にしかなかった、という話
又聞きなのであんまし突っ込まないでね

子供が走り回らないなんて考えられないから、
だれも走れないっつーのは違う…けど走る練習が必要なのは自衛官も同じ

475 :突撃!!天狗党:04/01/28 21:55
>>472-474
その話は前スレでもうさんざん論じられとるよ


476 :世界@名無史さん:04/01/29 07:35
軍事板のスレで見かけたことがあるが、昔の日本人は走ることが出来なかったわけではなく、
西洋式に腕を振って歩く、つまり前に出したほうの腕と逆の足を交互に出す走り方が出来なかった。

ではどのようにして走ったかというと、右肩を前に出したまま固定し、両手は着物の袷(あわせ)の箇所に置いて、
袷がズレないようにしていた。西洋式の腕と逆の足を交互に動かす走り方だと、腰が大きく振れるため
徐々に袷がズレていき、前がはだけてしまうのだ。また武士も左の腰に差した刀がブラブラ振れないように
刀に手を置いておく必要があったため、上記の走り方は都合が良かったそうだ。

おそらくこれがナンバ歩きというものではなかろうか?

477 :世界@名無史さん:04/01/29 07:44
いや、そもそも走る必要なかったし。

478 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/29 12:28
12世紀末に描かれた『伴大納言絵巻』には子供の喧嘩に親が出て相手の子供
を蹴り飛ばす場面が登場していますが、父親は右上半身をさらけ出して両手は
仁王のように構えていますね。振った絵は見た覚えがありません。
子供が走っている絵はいくつもありますが、竹馬に乗っていたり犬の紐を持っ
ていたりするので手の動きは不明。

479 :世界@名無史さん:04/01/29 14:23
鎧に袷はないし、ふんどしで戦ってる絵もあるし、
刀がぶらぶらしすぎないようになってるし、どうせ手に持って疾走するし、
長槍もってたら普通には走れないし、時代が違うし。
昔の日本人は、、、じゃなくて江戸に住んでたような人達は、、、って言ってくれ。

最大4,50kgの物をもって行軍する訓練、
30kg程度の装備を身につけて走る訓練、
必要性はやって見なきゃわかんない?

480 :世界@名無史さん:04/01/29 15:07
まあ昔の女の人の場合は下手に全力疾走したらオマンコが見えて大変だわな。

481 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/29 17:38
>>479
よく考えたら大坂夏の陣図屏風の絵では走って戦ったり逃げたりしてましたね。

482 :突撃!!天狗党:04/01/29 17:53
あと前スレで明治になるまで日本人は行進ができなかったという話があるが
織豊時代か江戸時代に書かれた武田軍は行進してるよ。しかも北朝鮮式でw
その絵では手と足はどうなってるかよく分からん
あと、合戦屏風に隊伍を組んで人を構えてる絵もあった

483 :世界@名無史さん:04/01/29 18:27
そらただ並んで歩くだけなら出来たろうが、西洋の場合足並みを揃えて歩くことを行進と言うんであって
当時の日本人がそうした意味での行進ができたかどうかは分からん罠。

484 :突撃!!天狗党:04/01/29 18:58
いや北朝鮮式だからちゃんと足並みはそろってた
手と足がどうなってたかは分からんと言うのは、ナンバかどうかということ
作者がめんどくさくて全員の足をさっさっと書いたのかもしれないけど

485 :見物人:04/01/29 19:07
もし訓練を定期的にしていたとすると。
誰かが一軒、一軒集めて回るんでしょうか?
それとも時期がくると分かるんでしょうか?
このあたりさっぱり分からなくて。
戦が近くなると募兵係のような者が集めて回るなら、まだ分かるんですが。

486 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

487 :世界@名無史さん:04/01/29 19:15
>>479
新井孝重『悪党の世紀』に、転んでチンコ丸出しの甲冑姿の者の絵が載ってますね。
これは『地蔵菩薩霊験記』のひとこまです。
(なお、この絵には柄も刃も妙に短い薙刀が出てきて興味深い。
 かがんだ人の背丈と同じくらいの柄;130cm程度か?と
 臍から首までの長さと同じくらいの刃:40cm程度か?の薙刀を片手に持ち、
 もう一方の手で戦利品を担いでいます。)

お祭りじゃあみんなもろ肌脱ぐし、島木譲二も脱ぐし、体育会系の飲みも脱ぐ。
ハレの衣装としてのハダカは武力の行使と切り離せないものだったのでしょう。
体育会系の飲みで思いだしましたが、「京大はすぐ脱ぐ」と言われるのを聞いたことがあります。

488 :世界@名無史さん:04/01/29 19:17
>>485
質問の意図がわかりません。
定期的に訓練をしたとしたのなら、定めた期日が来たら訓練するのでしょう?
定期的って言葉を辞書で引く事をお勧めしますよ。

489 :487:04/01/29 19:26
見返してみたら、薙刀の刃の全長は柄の半分くらいありました。

490 :世界@名無史さん:04/01/29 19:29
勝手に参集したか、
それとも募兵係がいたか
って話では?

491 :見物人:04/01/29 20:13
だいたい490さんの言っている通りです。
定期的って言葉は不適切だったかも知れません。
どうも高度な軍事訓練をどうやってしていたのか。いまいち分からないところが多くて。
特にその間の食料等はだれが準備するのか。
普段、農民やってる人達が数年に一回の訓練ではそんなに大した技術は身に付かないと思いまして。
しかし、普段は生産に従事している人達の集団訓練に費やせる時間はそんなに多くないと思いますし。
だいたい目的の場所まで集まるまでに時間がかかるでしょうし。
僕の知る範囲では、日本には戦争ビジネスを請け負う業者が歴史の中に出てこないんですよね。
鉄砲や武器を売る商人じゃなくて。西洋の傭兵隊長のような存在でしょうか。

492 :突撃!!天狗党:04/01/29 20:22
当時の水軍はみんな傭兵
〜党とかなのってあっちに着いたりこっちに着いたり
雑賀党もゆうめいな傭兵集団
水軍さんは普段は海賊やってメシ食ってる


493 :世界@名無史さん:04/01/29 20:31
>>491
だいたい法螺貝吹いたり太鼓たたいたりして参集する。
それは各家ごとに参集の決まり事があって、それに従っているわけ。
食料は手弁当が常識。3人扶持の将ならなら3人分の食料を、
100人持ちなら100人分を用意する。そのための俸禄。

>普段、農民やってる人達が数年に一回の訓練では
数年に乳度しか訓練しないという史料を求める。

>だいたい目的の場所まで集まるまでに時間がかかるでしょうし。
訓練でか?せいぜい半日で全参集するだろう?

>僕の知る範囲では、日本には戦争ビジネスを請け負う業者が歴史の中に出てこない
信長配下に傭兵が多いのだが、それを知らないのは君が無知無学だからか?

494 :見物人:04/01/29 22:34
日本は進んでいたんですね。
正直言って驚きました。
ご指摘のとおり中世日本の軍事システムについては無知無学です。それだけに疑問が多くて。
本屋行っても、武将の本ばかり多くて戦闘集団の生活や末端の兵士の目的が良く分からないんです。
傭兵にしても有名な傭兵隊長のような存在がわからないわけです。
士農工商の制度が出来る前の武士って呼べる人達は足軽や傭兵もふくめるんでしょうか?
どこか詳しいHPないでしょうか?

495 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/29 22:48
中世前期の例が中心ですが、高橋昌明先生が「武士(もののふ)の道」
と「兵(つわもの)の道」で論文を書いてらっしゃいますよ。
分かり易い題名の著書でしたから、古書サイトで検索をかければすぐ
に見つかるのではないかと。石井進先生の『鎌倉武士の実像』も良書。

496 :見物人:04/01/29 23:02
どうも
僕も今ちょっと調べたら日本の傭兵について詳しいのが見つかりました。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read007.htm
上杉謙信って人身売買でもけっこう有名なんですね。
日本でも奴隷商人はいたようですね。
なるほどこれならビジネスとしての戦争が見えてきます。
ランツクネヒトのように月給をもらっていたようでもないのに何で戦うのかが疑問でした。
しかし人狩りならそれが金になるわけです。
中世において、戦争と経済活動はかなり関係していると考えていましたんで。
日本におけるそれが何なのかがいまいち理解しずらいところがありまして。


497 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/29 23:04
「奴隷」という表現を使用すべきか否かという事については延々と議論され
ているのであまり使用されぬ方が・・・。

498 :世界@名無史さん:04/01/30 02:27
根来衆とか、雑賀衆は、戦国時代の傭兵だよね。
雑賀衆 雑賀孫一<鈴木孫市>は、資料や小説でも名前が良く出てくる。
ttp://www.m-network.com/sengoku/kisyu/
ttp://www.iris.dti.ne.jp/~min30-3/magoichi/suzukimagoichi.htm

499 :世界@名無史さん:04/01/30 02:28
他にも西洋人に傭兵として雇われ、西洋植民地で活躍していた連中の絵も残ってる。

500 :世界@名無史さん:04/01/30 02:32
忍者も

501 :世界@名無史さん:04/01/30 04:39
>>482
参勤交代の大名行列は、他藩に威勢を誇示するために、格好良く隊列を組んで
進んでいったそうだが……「行進」はしていなかったのかな?



502 :見物人:04/01/30 06:07
奴隷とゆう言葉はまずいですか。
値段つけて売買される人間に対する上手い表現が見つからないもので。
とりあえず「商品として取引される人間」って表現はどでしょう?長いですが。
奉公人と言ったほうがいいんでしょうか?でも違う意味のような気がするもので。
一つの書物だけ信用するのは危険ですが。武士と呼べる人はだいたい1割程度だったんですね。


503 :世界@名無史さん:04/01/30 07:37
>494
それは言えてる…。
こっちも素人で、世界史→日本史の順番で一般向け歴史本を漁ってきたけど、
同じ様な感想をもった。
日本史のこういう面について論文を書いている人は沢山いるんだろうけど、
イパーン人にむけてその成果を示して当時をイメージさせる文章の書き手が
少ないのかもしれない…。

504 :世界@名無史さん:04/01/30 10:11
>>501
奴は踊りながら歩いていたらしい。

505 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/30 11:51
>>498
信長と戦ったというイメージの強い根来衆・雑賀衆ですが元亀元年(1570)
には信長の加勢としても活躍していますね。
>>502
鎌倉時代の用語でいえば「下人・所従」ですね。二種類ありました。
・「重代相伝」型
代々特定の家に仕えて来た、最下層の従者。古代の奴婢とは異なって売買は
禁止され、『御成敗式目』では「奴婢・雑人」と呼ばれ、生れて来たのが男子
なら父親の主人、女子なら母親の主人が所有するものとされた。
(古代では男女ともに母親の主人のものとされた)
・「不重代」型
借金の未返済により貸した側に、或いは肩代わりしてくれた寺院などに仕える
ようになったもの。身代金返済により解放される事があった。

基本的に「重代相伝」の下人の場合は動産・不動産とともに相続されるもので
あって解放されるべきではないとした文書も残されていますが、これは建前で
あって実際には解放された例がいくつか発見されています。
そこで下人・所従であってもかなりの主体性を持っていたのであり、けして主
人に絶対服従ではなかったと考えられる訳です。
「奴隷」がいなかったと言われるのはこうした例が存在するためですね。但し
戦国期の例とは食い違う点もありそうです。
なお江戸時代になっても借金未払いと引き換えに奉公人になるという事があり
ました。
>>503
イメージ・リーディング叢書や平凡社ライブラリーやNHKブックスはどうで
す。戦国期なら宇田川武久・鈴木眞哉・谷口克広先生あたりは?

506 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/30 12:02
>>496
のリンク先についてですが、身代金を親族に払ってもらえば解放されたとい
う点からして、そのまま下人とされた者達にも解放の機会があったように思
われます。藤木先生ではなくあちらの文章を書いた人が先走っているような。
勿論東南アジアなどに売り飛ばされれば解放も何も無かったでしょうが。

507 :世界@名無史さん:04/01/30 12:07
>505
ローマでも解放奴隷や債務奴隷があったわけだが。

508 :世界@名無史さん:04/01/30 13:05
大西洋あたりで新しいタイプの奴隷が流行りはじめたころだし、
今「奴隷」というと前前世紀まで盛んだったアレを指すことが多いから、
特に用語の使い分けに敏感にならないといけないかも…。

にしても、その人身売買が戦争の動機、あるいは兵士に志願する動機に
なっていたかどうか、誰かオシエテクダサイ。

509 :世界@名無史さん:04/01/30 13:50
>大西洋あたりで新しいタイプの奴隷が流行りはじめたころだし

なんですかそれ?教えてクレクレ。

510 :世界@名無史さん:04/01/30 14:35
>501
大名行列は、隊列組んでますね。
「ひらーにー、ひらーにー」と踊りながら(?)
権威を象徴(もたもた)して歩く姿は、庶民にも迷惑だったでしょう。
102万石の前田藩の大名行列は、最大の2000人だったそうです。↓
http://www.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinsei/archive/daimyo.htm
通常で、1万石の大名で50−100人の人数で大名行列を行進したようです。
(幕末まで残った大名は260以上)
無理をしていたとは言え、経済力の高さが分ります。

511 :世界@名無史さん:04/01/30 16:23
>>509
「インディオは人間! 酷使して死なせたら可哀想だろ!」
というプロ市民の声に苦慮した極悪大企業が
「あ、こいつらケモノなんで。人間じゃないんで」と言って
どかどかアフリカ→ラス・アメリカスに輸入したタイプの奴隷のことと思われ

512 :509:04/01/30 17:32
>511
どうもです。
てっきり、最近新しい形態の奴隷が西洋に現れたのかと勘違いしてしまいました。よかった。

513 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/30 18:35
>>510
いちいち頭を下げさせたのは町中に入ってからの事で、それも御三家など特定
の家に限られていたような・・・?

514 :見物人:04/01/30 23:21
人身売買が目的とゆうより、人、物、食べもの、あらゆるものが資源だったんじゃないでしょうか?
戦とはそれを権力者から許可を得た半合法的に奪える手段。
道徳とかとは関係なく、海賊と私掠船のような違いしかなかったのかもしれません。
上杉謙信が悪いのでは決して無く。
それが中世の常識だったと思われます。

515 :世界@名無史さん:04/01/30 23:26
>>513
すると、普通の大名行列は突っ立って眺めていてよかったの?

516 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/30 23:30
>>515
「脇によれ、脇によれ」だったからそれでいいと思いますが。
大名行列ではありませんが、徳川和子の入内を描いたものでも沿道の
見物人はひれ伏していませんでしたね。和宮もそうだった気が。

517 :世界@名無史さん:04/01/30 23:35
>516
そうですたか。
学習漫画で、池田光政の行列に関所の役人も土下座させられていたシーンは間違いってことですな。

518 :世界@名無史さん:04/01/31 00:21
やや特殊な例だけど高杉晋作が
「いよっ、征夷大将軍っ!」
とかいってはやしたてたって逸話もあるな。

519 :世界@名無史さん:04/01/31 00:28
無視して農作業、これ最強

じゃなくて

ローマの道と同じで、基本的に軍隊が来たら軍優先な道だったんだろう
イラクで車列に割り込もうとした報道機関の車みたいに
軍隊の隊列に割り込もうとしたらそれはそれは嫌がられるよ
見物してるくらいならなにもいわれないだろう。相手するのマンドクセのはず

520 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/31 00:40
江戸時代でも人が斬られるというのは一大事で、下手に「切捨て御免」など
しようものなら召喚されて尋問を受け、納得してもらえなければ切腹もので
した。また一旦刀を抜いたのに逃げられた場合も同様。
またシュリーマンは幕末に来日した際に次のような事件を目撃したそうです。
大名行列の前を庶民がうっかり横切ってしまい、先を歩いていた侍に切り殺
された。それを見ていた別の侍がこれを咎めたところ彼も切り殺されたが、や
がて上司の侍が出て来て「気が狂っている」と判断して最初の侍を切り殺した。
日本に比較的良い印象を抱いた彼も、これには納得がいかなかったようです。

521 :世界@名無史さん:04/01/31 00:46
生麦事件なんてのもありましたな。
あれは乗馬したまま行列に乗り入れたんだっけ?
ぶっちゃけ斬られてもしゃあないような。戦争になったけど。

522 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/31 00:49
>生麦事件
>ぶっちゃけ斬られてもしゃあないような。
まあその通り。薩摩は犯人を差し出さず、賠償金は何故か幕府が払う
破目になりましたが。

523 :世界@名無史さん:04/01/31 02:25
オランダ軍に割り込もうとした報道関係車がそれになるところでしたな

524 :突撃!!天狗党:04/01/31 07:42
「スミマセンでした」
「気にするな、オマエがやらねければ俺がやっていた」
なんてハリウッドな会話を繰り広げていたのだろうか>>生麦事件

525 :世界@名無史さん:04/01/31 08:39
長州藩といい薩摩藩といい、超保守派の藩が単独で西洋に挑み、
豪快に負けることで、西洋式近代化の重要性を学習したわけだね。


526 :世界@名無史さん:04/01/31 08:45
話は少し逸れるが、
明治時代に入り、日本は西洋植民地支配の危険を李朝鮮に訴えるわけだが、
朱子学思想の李朝鮮人は、頑迷に西洋化を嫌い、西洋式近代化(憲法や技術など)を
した日本を軽蔑し、天皇からの親書さえ”皇”の文字が気に入らないと言って拒否するわけだ。
薩摩藩出身の西郷は、西洋近代化による負ける学習をさせようとするわけだが、失敗。
洗脳教育の韓国人は、未だに「征韓論」は朝鮮人差別が原因と騒ぐわけだ。

527 :世界@名無史さん:04/01/31 09:53
>>526
朝鮮ネタは勘弁。不必要に荒れる。

528 :世界@名無史さん:04/01/31 10:31
西郷は、自分が使者となって開国を促がしに朝鮮に行きたいと言っていた。
その内実は、殺される事も覚悟の上での事だった。
自分が殺されれば、要人殺害が外交問題化して、
朝鮮当局者が冷静に開国を検討するようになる、と考えての事。

戊辰戦争や征韓論での行動から、
西郷には自殺願望があったのではないかとする研究者も多い。

529 :世界@名無史さん:04/01/31 10:51
しかし最後の自殺の機会に自殺せず介錯されているのはなさけない

530 :世界@名無史さん:04/01/31 11:01
>>529
西郷が取り巻きと一緒にいた時、誰かが猟銃か何かを暴発させてしまった。
一同を驚かせてしまったその男は切腹して詫びようとした。
しかし、西郷はその男を「腹を切れば痛かろう・・・」といってたしなめた。

というエピソードが残っている。

つーか、西郷支持者を召喚するための釣りか?
やめとけ、世界史板だろ、ここは(w

531 :世界@名無史さん:04/01/31 11:05
一度、尊攘派の坊さんの護衛任務を果たせないとみて、坊さんと一緒に入水したものの
自分だけ息を吹き返してしまった経験があるからなぁ。
それ以来、自らの手で天命に逆らっちゃいかんという思想を持ったのでは。

532 :突撃!!天狗党:04/01/31 15:21
織田軍団や島津軍団毛利・徳川・北条これらの軍団はモンゴル軍や
ルートヴィヒ王の軍隊と相対したとき我先に逃げ出しそうな気がするが
《武田信玄と愉快な仲間達》は《武田信玄と愉快な仲間達》だけは
踏みとどまりて風林火山の御旗のもとに
神出鬼没の忍者を使いて敵情探り、天下無双の名に恥じぬ、奇想天外な作戦を練り
勇猛果敢な兵を率いて、疾風迅雷、戦場を駆けめぐるような気がしてならない
たとえ敵がアメリカ海兵隊でもSAS連隊だったとしても
コレはただのひいきに過ぎないのだろうか?↓

533 :世界@名無史さん:04/01/31 15:50
電波受信しすぎです

534 :世界@名無史さん:04/01/31 16:29
まあ西洋の軍隊と対峙したとして、最初は負けてもそのうち知識を吸収して対応してしまいそうな気もする。


535 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/31 23:08
1600年前後に日本軍が西欧の軍相手にまともに戦っても苦戦するでしょ
うが、あの頃であれば兵器の扱いや部隊編成はすぐに変えられたでしょうね。

536 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/02/01 09:30
>>522
あの時点で、江戸幕府という政府は列強に対し、
「あれは薩摩が勝手にやった事だから、薩摩から補償金とってください」
とはいえないわけです。
徳川幕府という政体は、対内的には幕藩体制という一種の「公国」の中のリーダーという
立場でしたが、海外列強から見れば、徳川家の将軍を以て「日本国王」というポジションで
折衝をしていましたので、
「薩摩からとれ、幕府は払わない」
といえば、薩摩の独自国交権を結果として認める事になり、一種の独立容認という事に
なるわけです。
ですから、国家としての賠償要求には、答えざるを得なかったわけです。

537 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/01 10:23
>>536
いやおおよそ分かってて言ったのですが・・・。
薩摩が独自に国の様な顔をして出品したのが万博でしたか。

538 :世界@名無史さん:04/02/01 12:26
西洋諸国全体の銃の数より、
戦国時代末期の日本の銃の方が多いとする意見はどう思いますか?

539 :世界@名無史さん:04/02/01 16:04
国友村は凄かった。

540 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/01 16:38
>>538
確かに仰る通り、数も種類も豊富でしたよ。現存する砲術秘伝書の流派は数
百に及んでおり(主に慶長以後のものですが)それぞれに工夫の跡も見られる。
かなり早く普及が進んだ事は足利義輝が天文22年(1554)に上野国の有
力豪族であった横瀬雅楽助成繁に鉄砲を贈ったという話からも窺えます。
また普及はしませんでしたが、火打式銃の存在もいくつか確認されています
(コストがかかるのと修理が面倒なことから普及はしませんでしたが)。
しかし大砲がほとんど使用されなかった事(>>161参照)や当時の欧州でテル
シオが普及する中でマスケット銃や歯輪式ピストルが開発されていた事を考
えると日本軍が世界有数といえるほど強かったという気はしません。
山がちな日本国内に攻められても撃退する実力はあったと思いますが。

541 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/02/01 21:17
>>538
とりあえず、日本と西洋以外の地域を世界地図から抹消するのはヤメロとだけ逝っておく。
確かにデータ集めづらいのは分かるが。

542 :世界@名無史さん:04/02/01 21:46
>541
知らんなら口出すなボケ

543 :見物人:04/02/01 23:48
確かに西洋と日本ばかり表にでてきてしまいますね。
僕の好きな範囲もだいたいイングランド、スコットランド、ドイツ、ブルゴ−ニュぐらいですね
フランス、スイス誓約同盟、イタリアのミラ−ノあたりはそれとの絡みぐらいな感じです。
中国やインド、オスマントルコ、南アフリカ、インカ帝国やアステカに知識のある方が少ないのかもしれません。
あとニュ−ギニアやフィリピン、これらの国の軍事システムは僕はさっぱり分かりません。
あとインドネシアやベトナム、ハワイはまだカメハメ大王が統一する前ですか?

544 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/02/01 23:58
>>542
とりあえず、そんな頓珍漢な噛み付き方では君が恥かくだけだからもうお良しなさいな。

545 :世界@名無史さん:04/02/02 00:28
まあその何だ。自身ではろくな情報を提供できないなら瑣末の差異を
いきなり責めるのは、あまり他の人はやらないようだね。

例の170にはとりあえず、ソースを開示する方向で回答しよう。
PCの傍らに置いてうちこむ種本の書誌名を確認できれば、知識も
共用できていいことだらけだしね。

もしかしたら、例の170持参の本よりもすごい本をもつ人も来るかもしれないしね
いいことだらけだよ。うん



546 :世界@名無史さん:04/02/02 02:44
トルコのほうが鉄砲装備率が高いと言いたいんだろ?
いちいち持って回った言い方すんじゃねえよ全く。

547 :546:04/02/02 02:48
↑は例の170宛てな。

548 :世界@名無史さん:04/02/02 04:28
>>13
>大昔は真剣で稽古をしていたため死傷者が絶えず、代わりに竹刀
大昔は木刀で稽古してたんでないのけ?ちゃうん?


549 :世界@名無史さん:04/02/02 05:30
大韓帝国の兵こそが世界最強にして最高

550 :世界@名無史さん:04/02/02 05:33
>>549
激しく同意

551 :世界@名無史さん:04/02/02 05:35
>>549
言わずもがなで、当然だよね

552 :世界@名無史さん:04/02/02 06:48
>549>550>551
自演煽り厨は、余所行ってくれ。面白くも何ともない。

553 :世界@名無史さん:04/02/02 11:20
>>552
でもある意味当たってるかも・・・。

554 :突撃!!天狗党:04/02/02 17:53
海外掲示板だと武士vs騎士が戦ったらどっちが勝つ?って話題で
6;4ぐらいでSAMURAIのが強いってのがあった

555 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/02 18:03
>>546
オスマン朝では1527年には7886人だったイェニチェリが1670年に
は約6倍の39470人にまで増えていますね。
15世紀末からアルケブス兵としての重要性が増したからだといいます。
もっともこれだけでは国家全体にどれほどの小銃があったのか分かりませんが。
軍務が終わるたびに国家管理のもとに回収されていた小銃が普及するようにな
ったのは1553年及び1559年の内乱がきっかけであったそうです。
なおイェニチェリの小銃の使用に対して組織的な教練がなされていた痕跡の無
い事や大砲の管理・製作が国家に独占されていた事が欧州に遅れをとる事にな
った原因だと考えられています(こればかりではありませんでしたが)。

556 :見物人:04/02/02 20:10
結局このスレ、どんな武士を対象に弱くないか検証するんでしょうか?
一応僕は戦国中心で考えてますけど。
江戸時代以降は戦士としてどんどん退化していく時期なので考えていません。
赤穂浪士とグスタフ・アドルフの歩兵、比べてもしょうがないし。
時代以外でも武士ってゆうう組織を考えるんでしょうか?それとも鎧武者個人の技量が外国の戦士に比べて強いか弱いか?
日本や西洋中心以上に、こちらのほうが僕としては気になります。

557 :世界@名無史さん:04/02/02 20:30
フェンサー対samuraiってどーよ。
フェンシングと剣道の選手でやってみれるよな。どーなのかなー。

558 :世界@名無史さん:04/02/02 20:31
組織・戦術・集団戦で良いと思われ。

559 :世界@名無史さん:04/02/02 20:33
>>557
武道板に専門スレがあるよ。世界史板なんだから組織と戦術中心で考えたほうが良さげ。

560 :世界@名無史さん:04/02/02 21:18
韓国人が最強だと思うな。


561 :世界@名無史さん:04/02/02 21:46
厨に聞いてやろう。
朝鮮人(韓国人)の何が、標準より強いんだ?

562 :見物人:04/02/02 21:54
個人戦では武道版のほうが良さそうなので
やはり雑兵まで入れた戦闘集団のほうが良さそうですね。
時代は源平、鎌倉、南北朝、戦国初期、末期のどの時代がいいですかね?
途中1−2個抜けてるかもしれません。

563 :世界@名無史さん:04/02/02 21:58
止めよう。
>549>550>551>553>560
の荒らしは、全員規格が同じだ。
(厨房か、在の大寝惚けかのどちらか)
常識的に強かった西洋、イスラム、日本で討論しよう。


564 :世界@名無史さん:04/02/02 22:01
>>563
>常識的に強かった西洋、イスラム、日本で討論しよう。

この時点で日本って凄いぞ!西洋もイスラムも国じゃねえ。

565 :世界@名無史さん:04/02/02 22:07
>564

書いている意味合いが分らないのか?(´・ω・`)

いちいち西洋の諸国の国名全部と、イスラムの国々の名前書かなくちゃ駄目なのか?


566 :見物人:04/02/02 22:21
とりあえず僕はもう少し日本の戦国について知らなすぎるので。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022597879/qid=1075726885/sr=1-7/ref=sr_1_8_7/249-9525189-8157114#product-details
これらを少しずつ読んでみたいと思います。
皆さんもできれば書籍などの情報を書いていただければ、議論だけするよりも良いと思うんですが。
一人で世界中の知識を集める事は無いと思いますので。
いろんな本の紹介もしていただければ中国やイスラムの歴史も表にでてくると思うんですが。
良くわからない事を書き込むようなことはできないので。
できれば日本や西洋ばかりだと批判される方には「こうゆう本もあるよ」と紹介していただきたい。
右も左もわからないのに話せといわれても困る人が多数だと思うんです。
それでもやっぱり好き嫌いはあるでしょうけど、気に入った人がでてくるかもしれませんしね。

567 :世界@名無史さん:04/02/03 08:40
>>565
地域,文化圏に1個の国が対しているから,凄いと言いたいんじゃないかと


568 :世界@名無史さん:04/02/03 11:16
>>557
そう言えばずっと前トリビアでやってたよな。
確かほんのちょっとの差でフェンシングが勝ったんだっけ?

569 :世界@名無史さん:04/02/03 14:41
フェンサーは電気コードを引っ張って戦っているので、
サメライはコード長の範囲外からねちねちと攻めればよろしい。

またフェンサーは長方形状のピストから出ると駄目なので、
サメライは長辺に垂直に攻めればフェンサーを常に背水の陣におくことができる。

またフェンサーは(略

570 :世界@名無史さん:04/02/04 02:59
そんなことより二刀流の話しようぜ。

571 :世界@名無史さん:04/02/04 11:05
>>570
武蔵は今日も行列が出来てたよ。

572 :突撃!!天狗党:04/02/04 15:51
花郎>>>>>>>>>>>武士とか
騎士>>>>>>>>>>>武士とか
バイキング>>>>>>>>武士とか言われると
いや、それはねってうんちく述べたくなるのに
メイドさん>>>>>>>>武士って言われると凄くうなずける

ってことでメイドさんが最強だと思う

573 :世界@名無史さん:04/02/04 16:08
冥土

574 :世界@名無史さん:04/02/04 18:06
ツヴァイハンダー持った徒歩兵士の猛烈なチャージを侍ならどうさばくか。

575 :突撃!!天狗党:04/02/04 18:13
弓馬の道に乗っ取り弓を射て離脱

576 :世界@名無史さん:04/02/04 19:43
退く強さもあれば向かう強さもあり、必ずしも勝敗とは

577 :世界@名無史さん:04/02/04 23:14
花郎とかいうと、花街の女郎みたいだな。

578 :世界@名無史さん:04/02/04 23:39
武士や騎士は、封建制度的な経済基盤を元に、
思想、美意識、風土、宗教、文化などが融合して誕生した精神。
中国や朝鮮を含めた中東には無い。

579 :世界@名無史さん:04/02/05 01:31
>>577
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1074166732/26-27

580 :世界@名無史さん:04/02/05 04:22
1600年当時の大砲の威力は極めて限定的なもの。
物理的には、あれで城は落とせない。

日本武士団の実力は文禄慶長の役で実証されている。
当時の明をポルトガル人が見て、
「南京の花火大会は一夜にしてヨーロッパの一年分の火薬を費やしている」
と感嘆せしめた。

当時の西欧の部分的な技術は優れていてもトータルパワーでは微弱だった。

その明と戦った武士団の戦績を見る事。


581 :世界@名無史さん:04/02/05 11:02
>明と戦った武士団の戦績を見る事。
文の役
明は祖承訓率いる5000の援軍を朝鮮へ派遣するが、
この部隊は平壌の小西行長の反撃を受け壊滅した。

明の提督李如松が4万の大軍を率いて朝鮮に入り,
朝鮮軍と合流して小西が制圧していた平壌を奪回し京城に迫ったが,
碧蹄館の戦いでは小早川隆景らの奮戦にあって大敗し,平壌に退いた。

補給や連携の問題があって止まったけど、戦闘においては優勢だろう。

一転して慶長の役は、目的意識が薄れて厭戦気分、補給の問題もあって消極的。
1597年12月22日明・朝鮮連合軍5万7000が加藤清正の守る蔚山倭城を急襲、
日本側の援軍1万3千が現れ撤退。
他にも「鬼石曼子」と呼ばれた島津義弘の活躍など、戦闘では日本側の優勢だと思う。

582 :世界@名無史さん:04/02/05 11:05
キー打ち間違えた。_| ̄|○
文禄の役ね。
あと、慶長の役の加藤清正は3000だった。

583 :世界@名無史さん:04/02/07 19:09
まぁ、イゼローン要塞攻略に新撰組がいれば役に立つのは確かだ

584 :世界@名無史さん:04/02/07 19:10
イゼローン要塞ってどこだ?
初めて聞くが・・

585 :世界@名無史さん:04/02/07 19:27
微妙にスレ違いでスマンのだが
槍(←短槍含む)騎兵とサーベル騎兵どっちが強いんだろう
後世まで残っている点からしてやっぱサーベル騎兵か?

586 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 19:39
とりあえず武士の例を
・馬上で使用された日本刀
古代の日本で使用された刀は直刀であったが、やがてエミシと戦ううちに彼ら
の蕨手刀が刀身が反り返っていて馬上から切り込み易いという事を知って現在
の日本刀の原形が生れた。
・馬上で使用された槍
南北朝時代から登場。普段は槍持ちに持たせ、戦う際に受け取って使用した。
但し馬の目を穂先で傷つけてしまったという例がいくつか確認されるうえ、
考証家が落馬しかけたという話もある事からあまり使い勝手はよく無かった
らしい。

ただ蹄鉄も無ければ去勢も無かった日本で「騎兵」というものが出て来るのは明治
以降ですから、このスレの主旨とはそぐわないかも。

587 :世界@名無史さん:04/02/07 19:57
日本刀博物館で実践で使ったたちがあったけど
刃こぼれしまくりで鍵状態だったぞ
どのくらい使ったかは知らんが、明らかによろいの上から斬りつけたっぽい

588 :世界@名無史さん:04/02/07 21:51
>>586
一応蹄鉄はあったはずだが。
江戸期では蹄鉄替わりに馬にワラジを履かせる事も・・
って知ってていってそうだな。

589 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/07 22:23
>>588
鎌倉末期に描かれた『春日権現験記絵』のものが馬用の草鞋の初見(但し前足のみ。
旅の様な長距離の移動に使用されたらしい。)ですね。
ルイス・フロイスの『日欧文化比較』には次のような記述が見られます。
・われわれの馬は、走っていてもぴたりと止まる。日本の馬はそのように慣
らされていない。
・われわれの馬は全て釘と蹄鉄で装鋲する。日本ではそういうことは一切し
ない。その代り、半レグアしかもたない藁の沓を履かせる。
同じような事は天正少年使節の面々も述べているところで、日本では享保年間
に斎藤安盛という人物がオランダ人から学んで個人的に使用したのが最初です。
彼は滑り道で役立ったと述べていますが、シーボルトは日本の山道では馬用の
藁沓の方が安全だと述べている。どちらが本当なのやら。
普及したのはやはり明治以降のようですよ。吾妻錦絵(いわゆる浮世絵)や古
写真にも馬草鞋が見られます。

590 :588:04/02/07 23:24
>>589
詳細な解説付きでどうもっす。
蹄鉄は江戸期からあったが、馬草鞋の方が普及してたって事ですね。


591 :世界@名無史さん:04/02/08 00:21
>>586
なるほど。確かに馬の頭が邪魔そうですね。
ガラスでアイマスク作れば解決するんだろうけど、当時の工芸力では・・・・

592 :世界@名無史さん:04/02/08 05:36
ぶっちゃけ、女戦士が最強でしょう。
魅惑の効果で、こっち動けなくなるし。


593 :世界@名無史さん:04/02/08 07:45
>>592
つまり、メイドさん最強伝説やね

594 :世界@名無史さん:04/02/08 09:12
>591
槍がガラスに当たって割れて馬の目あぼーん

595 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/08 10:55
>>591
『日欧文化比較』に
「われわれの間では馬で戦う。日本人は戦わなければならない時には、馬か
ら降りる。」とあるのも馬が小さく、乗りこなし難いなどの理由によるもの
だったのでしょう。
馬だけで編成された騎馬隊があった訳でもなし、乱戦にでもなれば降りた方
が楽そうです。

596 :世界@名無史さん:04/02/08 11:02
武田騎馬隊ってのはフィクションだったの?

597 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/08 11:32
>>596
『信長公記』に「三州長篠御合戦の事」として
「関東衆、馬上の功者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて」云々
とありますが、騎馬ばかりで構成されていたと考えるのは無理がありそうです。

598 :世界@名無史さん:04/02/08 14:33
>>595
義経のひよりごえ?とかも、実は馬じゃなくて歩いておりた?

599 :世界@名無史さん:04/02/08 14:43
騎馬戦術と言えば義経だったと思ってた。
詳細希望。

600 :世界@名無史さん:04/02/08 17:43
元々、日本には「騎馬隊」が活躍した例が少ない。源平・鎌倉時代の武士達は
騎馬戦に長けていたが、基本的には名乗りを挙げて行う個人と個人の一騎打ち形式
であった。「騎馬隊」という一つの集団として騎兵を用い、戦果を上げることが
できたのは、好古に言わせれば源義経だけである。その後、時代が移り変わると共に、
徒歩の足軽達による集団戦が中心になった。また、日本は山がちな国で、騎兵が
その本領を発揮するような平地は少ないという地形的な理由に加え、
さらに鉄砲が多量に使用されるようになると、騎兵はますます活躍の場を
失っていった。そして、江戸時代に入って平和な時代が訪れた。創設・維持に
莫大な費用がかかる騎馬隊は、経済的に苦しかった幕府も諸藩も抱えることは
不可能に近かった。また、抱える必要もなかった。
幕末になると、幕府はフランスをモデルとして軍隊の近代化を進めたが、
幕府の重臣達はフランス人顧問が言う「騎馬隊」というものがあまり理解できな
かったらしい。江戸時代の形骸化した軍制では、馬に乗る戦闘員は上級武士で
ある。「騎馬隊」とは上級武士の集団か?と聞き返したことがあるらしい

601 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/08 18:01
>>598
馬に乗った集団が降りたからといって「騎兵」とか「騎馬隊」とは言わない
でしょう。
『吾妻鏡』元暦元年二月七日条には
「源九郎主先引分殊勇士七十余騎。着于一谷後山。」とあってその次に熊谷
らが「偸廻于一谷之前路。自海道競襲于館際。為源氏先陣之由。高声名掲之
間。(中略)白旗赤旗交色。闘戦為躰。響山動地。」とあるのでまず攻撃を
しかけて敵の気をひいたらしい。
そしてその間に義経が三浦十郎義連以下の勇士らを引き連れてひよどり越え
(猪・鹿・兎・狐以外は通らないようなところ)を通って攻撃したと。
これが『平家物語』だと「老馬」から「坂落」にかけて馬で降りるという事
が強調されていますが・・・「馬だけ」だったのでしょうか。
ちなみに現在言われている「ひよどり越」は一の谷のうしろにはありません。

602 :世界@名無史さん:04/02/08 19:18
馬だけじゃなくて歩きのもいたってことか。


603 :世界@名無史さん:04/02/10 11:10
となると鵯越は通っただけという事か・・・。
今は鵯越と言ったら兵庫区(長田区だったっけ?)のほとんど北区に近い所にあって
須磨区の端の方にある一の谷とはかなり離れているけど
当時の鵯越はどの辺だったんだろう?
今の鵯越の辺りも結構キツイ坂が多いけど。

604 :世界@名無史さん:04/02/10 19:25
>>602
畠山重忠

605 :世界@名無史さん:04/02/10 22:11
誰すか?>畠山重忠

606 :世界@名無史さん:04/02/11 01:15
>>605
馬をオンブして”徒歩”で一ノ谷を逆落としした人。

607 :世界@名無史さん:04/02/11 20:10
上杉家、家訓16か条
心に物なき時は、心広く体泰なり
心に我侭なき時は、愛敬失はず
心に慾なき時は、義理を行ふ
心に私なき時は、疑ふことなし
心に驕なき時は、人を敬ふ
心に誤なき時は、人を畏れず
心に邪見なき時は、人を育つる
心に貪なき時は、人に諂ふことなし
心に怒なき時は、言葉和らかなり
心に堪忍ある時は、事を調ふ
心に曇なき時は、心静なり
心に勇ある時は、悔むことなし
心賤しからざる時は、願い好まず
心に孝行ある時は、忠節厚し
心に自慢なき時は、人の善を知り
心に迷なき時は、人を咎めず


608 :世界@名無史さん:04/02/11 20:11
一つ、国家は先祖より子孫に伝え候国家にして、われ私すべきものにはこれなく候。
一つ、人民は国家に属したる民にして、われ私すべきものにはこれなく候。
一つ、国家人民のために立てる君にて、君のために立てる国家人民にはこれなく候。

609 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/11 23:10
>>605
名馬「三日月」を背負ったといいますが、史実かというと怪しいようです。

610 :世界@名無史さん:04/02/12 02:48
>「関東衆、馬上の功者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて」云々

この文言から、

>とありますが、騎馬ばかりで構成されていたと考えるのは無理がありそうです。

と結論付ける理由を聞かせていただけないでしょうか。

>馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて

という文言が、
>騎馬ばかりで構成されていたと考えるのは無理

と解釈されるのは何故なんでしょう?

611 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/12 14:20
>>610
当時軍というものが、騎乗した者とそれに数倍する徒歩の兵で成立していた
というのは常識でしょう。この場合は騎乗した「武士」を重視した表現と考
えたほうがいい。

612 :世界@名無史さん:04/02/12 15:31
>>610
この場合馬上の巧者ってのは身分ある騎乗武士のことでしょ。
数に数えられていない徒歩の小者も大勢いたろうし、彼らの大部分が騎乗できたとは思えない。
騎乗は武士のステ−タスだったわけだし。

613 :世界@名無史さん:04/02/12 17:29
>>611
>>612
いや、
だから、あの文言を解題してほしいのですよ。

「馬入るべき行にて」
って、現代語訳にすると
どうなるのですか?

614 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/12 22:36
>>613
図書館へどうぞ。実はルビを振ると意味が通じるようになっています。

615 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/13 00:54
というのは流石に不親切すぎるか。こちらに少し書かれています。
ttp://www.interq.or.jp/pure/miyatate/wforum/wforum2001/2001.1.1.htm

616 :世界@名無史さん:04/02/13 01:18
「武士」そして「武士道」
というものが成立した事自体が、
その国の軍事力の総合力を高めたことは言えるだろう。

617 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/13 11:11
>616
過去レスお読みになった方が。

618 :突撃!!天狗党:04/02/13 12:37
>>616
むしろ武士が成立して日本の軍制は近代的な中国式から
原始的な盗賊式に退化したわけだが

619 :世界@名無史さん:04/02/13 13:04
>>618
意味不明。

620 :世界@名無史さん:04/02/13 13:12
>>617
そういう思わせぶりなことを言われてもねえ。・・・

621 :世界@名無史さん:04/02/13 13:43
っつーか鎌倉の武士道と江戸時代の武士道ってどう違うの?
江戸時代の武士道のほうが儒教的要素が強いのは知ってるけど。

622 :世界@名無史さん:04/02/13 16:08
鎌倉時代の武士を描いた絵巻には、
屋敷の門前で集団でウンコ座りする武士の姿が描かれている。

まるで、コンビニにたむろするヤンキーみたいだ。

623 :世界@名無史さん:04/02/13 16:11
>>621
江戸以前の武士道の方が現実的・打算的、と言えるとは思う
江戸武士道みたいな奇麗事ばかりじゃ生き残れないからな。
曹操なんかも言ってたが、儒教ってのは支配者の権威維持の方便って側面も強い。

戦国時代には赤穂浪士みたいな孝とか忠みたいのもあんまなかったし、例えばAに仕えてた部将が
出奔してBに仕え、また出戻りでAに士官と言う様な事すらあったようだ。
小大名では兄弟殺し主君殺し当たり前。ただし命を捨てて主君や兄弟を守った武士も結構多い。
戦国後期や桃山辺りの時代には、男伊達を見せ付けるために突飛な事をする武士も出てきたな。

624 :世界@名無史さん:04/02/13 16:18
>>622も言ってるけど、鎌倉辺りの武士は土豪とか親分集団(つまりヤッチン)的な
色合いも強かった。かなり形振り構わぬ事も平気でやってるし、まぁようするに
昔の武士は生き残るのに必死で形式的な洗練をする暇なんて無かったんだな。

ただし、日本の歴史全体をみると、儒教が本格的に入ってきたのが遅い時代だったのは
非常に幸運だったといえるだろう。空理空論で形式的、教条主義的な儒教思想の毒に
国家が毒されると、大抵は碌な事にならない。
日本は長い戦国時代で現実的な思考形式を獲得できたので、その後儒教が導入されても
国が丸々それに毒されるようなことはなかった。むしろdがり過ぎた戦国武士道に適度な
規律や道徳意識を与え、太平の世に相応しいものに変化させたという点は儒教の功績と
言えるだろう。

625 :世界@名無史さん:04/02/13 16:35
儒教が最初に伝わったのは4世紀末。
聖徳太子の「「十七条の憲法」にも儒教が取り入れられている(6世紀初頭)。
日本に伝わった仏教自体がすでに儒教の影響を受けたものだった。
儒教は律令制度にも大きな影響を与えている。

626 :突撃!!天狗党:04/02/13 17:09
>>619
訓練された兵士・下士官・将校(当時はこういう言い方はしなかっただろうが)というような
編成をもち、指揮官の号令で手足のように組織的・機動的に運用できる『軍隊』から
戦術どころか、組織的訓練すら行わず先駆けを競い合うだけの集団になったという意味です

627 :世界@名無史さん:04/02/13 17:22
>>626
それが「近代的」というのですね。

日本の封建武士団も同様な組織は持っていた。

その中国の「近代的」軍事組織というのはいつ頃までを念頭に
置いているんですか?

明国? 清国?

「近代的」軍隊というのは一般的に徴兵制以後、
国民意識に結集された高い戦意をもった組織であり、
あなたのいうような漠然とした組織構成があればいいというものではない。

628 :世界@名無史さん:04/02/13 17:27
日清戦争の有様を見たら分かるよ。

日本武士団は、それまでの旧態依然とした装備、兵制を
西洋式に転換し、短期日にうちに成長させた。

一方清国は日本よりも早く西洋的装備をしたにもかかわらず、
両者が激突した時、あっけなく崩壊した。

表面的な装備訓練だけではなく、戦意、士気というものが
重要なのであって、
江戸期ののんべんだらりとした儒教的形式的軍事組織であっても
「武士」という日本的な戦士のコードが基盤に合った。
そのことを軽視してはいけない。

629 :世界@名無史さん:04/02/13 17:44
>編成をもち、指揮官の号令で手足のように組織的・機動的に運用できる『軍隊』から
>戦術どころか、組織的訓練すら行わず先駆けを競い合うだけの集団になったという意味です

中世には西洋の軍隊においても
指揮官の号令で手足のように組織的・機動的に運用できる騎士の『軍隊』から
戦術どころか、組織的訓練すら行わず先駆けを競い合うだけの傭兵集団になりましたが何か?
そして日本も欧米も中世の後半では再び組織的機能が重視される『軍隊』へと変化しましたが何か?

630 :突撃!!天狗党:04/02/13 18:59
>>627
>>「近代的」軍隊というのは一般的に徴兵制以後、
国民意識に結集された高い戦意をもった組織であり、
あなたのいうような漠然とした組織構成があればいいというものではない。

コレは自分が間違い、あなたが正しい
組織的、集団的軍制って事ね俺が言おうとしたのは
>>628
日清戦争ではイギリスの観戦武官は清国軍の兵士達は士気・練度が高く
非常に優秀であるって書いとるし、軍事顧問も兵士の練度はヨーロッパと比べて
遜色がないと書いてるから、あそこまで負けまくったのはヘタレだったのは
将校のダメさ加減によるところが多いと思うよ?俺はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ
>>629
なにか?って言われても自分は鎌倉武士から戦国武士の変遷ぐらいは知ってるよ
ただし、明治になるまで
「回れえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇ
ぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ右!!」とか
「うりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」なんて言葉がなかったのも事実
まあ戦国時代がもっと続いてたらどうなってたかはわからんが
しましたが何か?なんていわれても、まいっちんぐ?

631 :突撃!!天狗党:04/02/13 19:13
少なくともトルコの足並み揃えて行う行進を
大信玄公や武田騎馬軍はできなかっただろうし


632 :世界@名無史さん:04/02/13 19:31
平地や海で大隊列を組んで戦う軍団と
湿地や山岳地帯でゲリラ的に戦う軍団を比較しても仕方ないだろ
>>631はアホなのか?

ちなみにオスマントルコを除けば西洋で>>631が言ってるみたいな軍隊が
完成し始めたのは17世紀前半から。それまでの西洋軍隊も隊列戦闘だったが
30年戦争後半辺りまでは一部の例外を除いてそれほど錬度や統制力が強いわけではなかった。
本当に確固たる集団的軍制が確立されてたら
テルシオユニットの四方に監督官なんて置かないっつーの。

日本は17世紀以降は平和になってしまったから軍制は戦国以上に発達せずにむしろ退化したが
これは仕方がないことだな。幕府の政策で城はぶっ壊され軍船の発展も阻害され、戦術は空理空論の
机上軍学がはびこる事となった。

633 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/02/13 22:45
>>626
いや、律令制に基づいた組織的な軍隊から封建的なバラバラ寄せ集めの集団に移行した、
って趣旨は分かるけど。
その内実は他の人に任せるとして、12〜13世紀にビザンツの組織的軍隊がフランク騎士達に
圧倒されたように、必ずしも組織性と戦闘力は比例するものではない。
むしろ指揮官の力量と作戦に左右されすぎるような軍隊はある意味不健全ともいえよう。

634 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/13 23:26
>>617
「武士道」なるものが各時代・各人ごとに異なった胡散臭いものであること
は散々言われた事でしょう。今イメージされているような「武士道」は近世
のものですから、それこそ軍事力の増強とは無関係なものです。

635 :世界@名無史さん:04/02/14 00:49
武士道と言うより寺子屋教育のおかげ、と言う気がする。
近代国家と言う当時新しい価値観を、文字によって広め、それを多くの人が読み
理解した、ついでに新しく入ってきた西洋文化に、多くの人がそれまでの文化では
敵わない点がある事を理解できる為の素地を作ったと思うし。

636 :世界@名無史さん:04/02/14 02:48
>>633
組織として高度に整備されたイギリスの精鋭派遣軍も
アメリカの寄せ集め義勇軍のゲリラ戦法に圧倒されたしな。

つーかたまにはいい事言うなアンタ。

637 :世界@名無史さん:04/02/14 04:02
>>634
あんたの言っている事は形式論なんだよ。

638 :うんこ:04/02/14 04:09

そいや、太刀とフェンシングが戦うと、




軽いフェンシングが勝つんだよな。。。。




639 :世界@名無史さん:04/02/14 04:22
武士と言う存在、
日本史において出現した、
「戦闘集団としてのプロ」
が、やがて社会的な発言力を持ち、
政治的な権力を掌握し、以後1000年。

時の王権内部の勢力が文治派であったか
武断派であったかという機会的な問題を超えて、
列島史のうねり中で出現した一種の奇跡というべきかもしれない。

「武士道」という言葉はあったらあったでいいという程度と
考えれば良いのであって、誰がどう解釈しようとかまわない。
新渡戸稲造でもいいし、葉隠でもいいし、今の歴史家でもいい。

要は、今は滅びてしまったが「いくさ事」を生きる規範とし、
そこから倫理、美意識、条理というものを
自然成長的に形成して来た歴史が重要なのだよ。
「武士道」「武士のなりわい」の個々の規定、事象を
あげつらっても玉虫色の解釈が生じるだけ。

それよりも「いくさ事」への係わりかたを視座に行動原理を
へと敷衍して行ったこの列島の志向を見るべきだろうね。
それが「軍事力」への少なからぬ貢献をしたことは疑えない。

19世紀末期のアジアで唯一、西洋軍事力を理解し血肉化できた理由。

640 :突撃!!天狗党:04/02/14 07:47
武士=律令軍人のエリートなんて説も最近あるよな・・・
>>639
アメリカの教科書には武士道の代表例として『鉢の木』の物語や『平家物語』
の一説が乗ってるそうですよ。うまやらしい

641 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/14 19:38
>>637
どうも仰ることがよく分からないのですが。「形式論」とは何ですか。

642 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/14 20:03
>>637
もしかして>>639にあるような事でしょうか。それなら「武士道」に限らず
あらゆる分野においてそれを軽視することなく商人でも職人でもそれぞれ
の「道」(志向や規範)が存在したことが近代化に有利に働いたという事
はあると思われます。

643 :世界@名無史さん:04/02/15 00:23
>>641
知識の披瀝に留まった主張だから。

本質に肉薄した主張でないから。

>>642
で、「武士道」の軍事的効能をあなたは認めるわけですね。
異論はありませんが。


644 :世界@名無史さん:04/02/15 05:51
>>643
良くわからんがもちつけ。


645 :世界@名無史さん:04/02/15 06:02
蹄鉄って中国から伝わらなかった?
っていうか、中国も蹄鉄なし?

646 :突撃!!天狗党:04/02/15 10:54
>>643
『SAS知的戦闘マニュアル』って本に20世紀まで戦争における精神力が
軽視されていて、ドイツ軍では精神衰弱者を何人も銃殺刑にしてたんだと
それで、ナム戦から世界の軍隊が心理学の先生を連れ回すようになったんだけど
世界でもサムライは例外的に必須修得科目?に精神修練を入れていたと
サムライの精神力は武士道によって培われたと評価してたよ

647 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/15 10:59
>>643
あまり言うと荒れるのでこれくらいにしておきますが、知識を軽視して語っても
主観的な電波にしかなりえませんよ。

648 :世界@名無史さん:04/02/16 04:44
>>647
まあ、あなたも電波で生きている人なんでしょうから。
お互い様です。

さようなら。

649 :世界@名無史さん:04/02/16 14:24
>>648
つーかお前低レベルな煽りレスばっかで何も言ってないな・・・・
何がしたいわけ?
『本質に肉薄した主張』まで求めるなら、まず自分から実のある意見を言うのが筋だろうが。

正直他人のレスに文句付けるだけの厨房なんざ2chには山程いるんですわ。
お呼びじゃない

650 :世界@名無史さん:04/02/16 16:19
まぁ、荒れるしこの辺で。


651 :突撃!!天狗党:04/02/16 18:57
>>647-649
もうみんな僕の魅力にメロメロのくせに
恥ずかしがらずに口に出していってごらん
僕のことを愛してしまったって

652 :世界@名無史さん:04/02/16 19:11
葉隠が死ぬことと見つけたから
以後武士は死にたがるようになりました。

653 :世界@名無史さん:04/02/16 19:54
>>649
厨。
オマエモナー

654 :世界@名無史さん:04/02/16 21:13
放置すれよ

655 :突撃!!天狗党:04/02/16 23:19
やめて〜
わたしのために争うなんてやめて!!

656 :世界@名無史さん:04/02/17 19:24
あのさ、日本刀の反りって中東→シナ(朝鮮)→日本の経由って
話をみたんだが、その辺はどうなんすか?

657 :突撃!!天狗党:04/02/17 20:07
何となく騎馬民族or騎乗戦闘するところは刀で
地上戦闘する場合は剣だと思ってたけど
モンゴルや匈奴なんかはどんな刃物を持ってたんだろう?
ググって見たらファンタジー系のサイトばかりで見つからん
教えて↓

658 :世界@名無史さん:04/02/17 20:40
武士スレかラストサムライスレか鎧スレか剣スレか弓スレのどれかで、
日中の刀剣交流史みたいなよさげな論文のリンクが貼られてたけど
どこ行ったかな…。
要旨は、日中が相互に刺激しあって、
「東アジアのものすごく切れる刀」ができたっつー話。

シナは「先進国」だったから、シナ→…→日本っつーのはわかるけど、
中東→シナってのはどうなんだろう?

659 :突撃!!天狗党:04/02/17 20:50
中東は日本なんかよりよっぽど先進国だぞ
中国と較べても対したもんだ、近代西洋科学技術を支えたのは
ギリシャとローマと中東の功績といっても過言ではないだろう
中華拳法だって今のトルコあたりが起源って説があるくらいだしな

660 :世界@名無史さん:04/02/17 22:17
ナニをどう以て先進だの後進だの言ってるのかわからないけど
江戸期の日本は天文・高等数学に於いては世界的に見ても
恐ろしく高度だったぞ。
哲学的にも。

661 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/17 22:32
>>656
日本史の方では蝦夷の使用していた蕨手刀の影響を受けてそれまでの直刀か
ら「日本刀」という反りのある刀が産まれたという説明が普通のものかと。
武士という物自体、軍事貴族とそれに従った狩猟・漁労民や囚人、服属した
蝦夷らの集団から産まれたといいますから。

662 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/02/17 22:51
>>656
とりあえず、中東で曲刀(シャムシール)が使われ始めたのは12世紀から。
トルコ系遊牧民はかなり早くから曲刀を使ってたようだから、その間違いと
思われ。どっちにしろ、定説からは外れてる罠。

>>657
…資料によって剣と言ったり刀と言ったり、ハッキリしないというより年代に
気を付ける必要があるようだ。

>>658
これかな?
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/syogen.htm

663 :656:04/02/17 23:27
レスしてくださった方々どうもっす。
資料的なものから見たわけではないのですが、
http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jphoto/read.php?id=enjoyjapan_13&nid=29441&work=list&st=&sw=&cp=1

ここで、それが論じられていたので、言われてみればその可能性は・・
と思い訊ねてみました。
どうも違うようですね。



664 :世界@名無史さん:04/02/18 00:33
>>660
和算は単なる問題の出しっこだろ。
何も産み出さないただのクイズにすぎん。
物理にも工業にも全く繋がらなかった和算など何の意味もない。

665 :世界@名無史さん:04/02/18 01:56
しかも、曲刀の起源とは何の関係もない>江戸の文化

666 :世界@名無史さん:04/02/18 02:58
>>664
幾何や微積分まで算盤で計算出来ていたんだけどな。当時は。
単なる問題の出し合いだという観点は学術としての数学の根幹だ。
その点は現代であっても変わらないという厳然たる事実を忘れた議論には、なんの価値もない。

667 :世界@名無史さん:04/02/18 04:56
>>664
は嫉妬してませんか?

668 :突撃!!天狗党:04/02/18 10:05
サムライの強さと曲刀と平和な江戸時代と愛国心と嫌韓はカンケーないだろ・・・

669 :世界@名無史さん:04/02/18 12:13
                     ____    、ミ川川川彡
                    /:::::::::::::::::::::::::""'''-ミ       彡
                   //, -‐―、:::::::::::::::::::::三  ギ  こ  三
            ___    巛/    \::::::::::::::::三.  ャ  こ  三
        _-=三三三ミミ、.//!       l、:::::::::::::三  グ  は  三
     ==三= ̄      《|ll|ニヽ l∠三,,`\\::三  で       三
        /              |||"''》 ''"└┴‐` `ヽ三   言  ひ  三
         !             | /          三   っ  ょ  三
       |‐-、:::、∠三"`    | ヽ=     U   三.  て   っ  三
       |"''》 ''"└┴`       | ゝ―-        三  る  と  三
       | /           ヽ ""        ,. 三   の   し  三
        | ヽ=   、    U    lヽ、___,,,...-‐''"  三   か  て  三
.        | ゝ―-'′          |  |::::::::::::_,,,...-‐'"三  !?    三
          ヽ ""        ,.    | | ̄ ̄ ̄      彡      ミ
        ヽ、___,,,...-‐''"  ,,..-'''~             彡川川川ミ
          厂|  厂‐'''~      〇
        | ̄\| /

670 :世界@名無史さん:04/02/18 22:33
数学だって元はフランスの貴族・学者達も問題の出しっこで競っていたことから始まっている
物理など科学の応用されるまで長い年月を必要としたが
それらに応用できることがわかってくると急速に数学として体系化されていった

数学に限らないが初めから体系化・洗練された概念なんて存在しない
渾然としていたモノが有用性を見出されてはじめて体系化されていくんだしね

671 :突撃!!天狗党:04/02/18 22:43
古代ギリシヤにはもうすでに学問兼宗教兼哲学として数学があるやん

672 :世界@名無史さん:04/02/18 23:43
そりゃそうなんだが和算が問題の出しあいっこなだけってあったから
近代数学も元はそうだって反論しただけね
スレ違いだしもう止めるべ


673 :世界@名無史さん:04/02/19 00:17
いつの世にも必死なものがおるものか。

674 :世界@名無史さん:04/02/21 21:23
太刀やシャムシールなどの反りは、騎兵が騎馬の突進力を生かして
打撃する際の衝撃を逃がすためでしょうか?

675 :世界@名無史さん:04/02/25 20:02
江戸後期の旗本は、素手ならそこらのやんきー兄ちゃんに負けると思う。
体格的にも喧嘩なれの点でも遠く及ばないでしょう。
もちろん例外はいるわけですが。
逆に戦国武士なら体格は負けても、気迫で圧勝でしょう。

676 :世界@名無史さん:04/02/25 20:14
そこらのヤンキーの兄ちゃんではいくらなんでも
修行している旗本御家人には勝てないよ。
修行しない享楽的な人間ばかりではないっていうのも、
喧嘩の強いヤンキーばかりじゃないってのも、
事情は一緒。

677 :世界@名無史さん:04/02/25 20:20
享楽的な御家人でも勝小吉みたいなのもいるしな。

678 :突撃!!天狗党:04/02/25 20:47
旗本は知らんけど一般的な藩士は一応、藩校で柔術やってるんだから
そこそこ頑張るでしょう

679 :世界@名無史さん:04/02/25 22:45
ていうか、ばっさり斬られて終わりだわ。

680 :世界@名無史さん:04/02/25 23:48
>>678
東北のどっかの藩の御留武術で
幕末近い頃に、普通に鎧を叩き割る猛者がいたそうだからな
そいつが技を調子に乗って披露しまくったせいで
その流派が御留武術になってしまったというオチだったが
藩を許可無く出ることが出来なくなってしまったそうだ

こういう話はそこら辺にいっぱいあるだろうけど
こういうトンでもな所から、合気道や柔道が生まれたわけだしな
決して江戸期の侍が惰弱とは限らんだろうて

681 :世界@名無史さん:04/02/26 02:38
ヨーロッパのやつとは体格が違う以上

682 :突撃!!天狗党:04/02/26 07:05
いや、江戸時代って言うか俺の爺ちゃん
俵三俵(つまり180キロ)背中に背負って倉から自宅まで一キロの急斜面を
平気で駆け足往復してるけど身長は158センチ体重50キロぐらいしかない

683 :世界@名無史さん:04/02/26 07:18
サイボーグみたいなお爺様ですね。

684 :世界@名無史さん:04/02/26 11:25
侍の中でも示現流は別格。侍が恐れる侍。

685 :世界@名無史さん:04/02/27 01:09
>>681
フランシスコ・ザビエルいわく。
「日本人はイタリア人と同じくらいの体格」
昔はみんな小さかった。

686 :世界@名無史さん:04/02/27 09:39
>>683
ちがうよ、おじいさんみたいなサイボーグなんだよ

687 :世界@名無史さん:04/02/27 13:22
サイボーグジィさんG!
燃料はメタンガスの巻き

688 :世界@名無史さん:04/02/27 13:50
第2次大戦時のドイツ軍の軍服も身長150〜160cmが平均サイズだったと思った

689 :突撃!!天狗党:04/02/28 12:47
それは違うと思う

690 :世界@名無史さん:04/02/28 14:43
加納じごろうが柔道を編み出した当時、
遠征してロシア?の巨人レスラーをさくさく投げ飛ばしまくった有名?な話しあるだろ。
ちなみに加納じごろうかなりのチビだったぞ。当時だとどうかしらんが。
柔道の前身柔術、つまり人を殺すとか動けなくする術を幼い頃から学んでいた侍の強さに関して
体格云々は実はあんまり問題じゃなかったんじゃぁないか?
刀で人を斬るのはおのずと限界があるし、敵方の武器を破壊するとか奪う術にもたけていたらしいし
つーか今でもそういう技あるみたいだし、そこまできたら当時としての肉弾戦にたけまくった侍に
勝てるものは中々いないと思うんだが。
最近までダントツ柔道最強といわれていたことがそれの証明にはならない?

691 :世界@名無史さん:04/02/29 01:54
>>688
ばーか。ヒトラー曰く、理想的なアーリア人の身長は180cm。(ヒトラーは172)
実際ドイツ人の平均って当時から172〜5ぐらいだったらしいしな。

692 :世界@名無史さん:04/02/29 23:39
>実際ドイツ人の平均って当時から172〜5ぐらいだったらしいしな。

へ?
伍長閣下が『175cm以上の長身・筋肉質・金髪碧眼・秀いた額に高い鼻』の
「平均的」アーリア人像を証明するために国勢調査を実施した所、実際には
『身長170cm前後・小太り・丸顔』のドイツ人が予想以上に大多数を占めるという
驚愕の事実に恐れおののいた、って話を聞いたことがあるんだけど・・・・

ただ150〜160は明らかに低過ぎだね。中〜北部欧州の人間は昔から背が比較的デカいから。
昔から日本人とあんま身長が変わらないのはフランスとかスペインあたりの人間。
南部欧州人、ラテン系人種はあんまり背が高くない。


693 :世界@名無史さん:04/02/29 23:41
あの時代、背が高すぎても戦争ではいい事あんま無いよね。
戦車にもヒコーキにも乗れないし。

スコルツェニーだって、たったの185cm程度でも戦闘機乗らせて貰えなかったんだもんな。
やはり180cm以上の人間は今よりもずっとマレだったんだろう。

694 :豪嵐:04/03/03 22:03
バカばっかだなここは。
長いので下まで見なかったが、13
きられたらそく死ぬ?ばかか?
剣道に防御の型がある?それは型ではなく受けという基本形だ、たこ。



695 :突撃!!天狗党:04/03/03 22:05
幕末に訪れた西洋人の覚え書きに見るサムライ

酒乱の毛があり猥談を好む
平気でうそをつき、病気を理由に平気で約束を反故する
物を言うとき自分の意見としてではなく上司の命令や組織上の都合であるという
精錬されており教育があり聡明である
頭に武器を付けている

696 :世界@名無史さん:04/03/03 22:08
>>695
誰のなんてメモ?

697 :世界@名無史さん:04/03/04 03:03
>頭に武器を付けている

ネタですか。

698 :突撃!!天狗党:04/03/04 11:11
最後のはペリーの水兵の噂
他にも日本女性のアソコは横に割れているってものあった
えっと残りはね
>>酒乱の毛があり猥談を好む
ハリスさんです。ヒュースケンの方だったような気もする
>>平気でうそをつき、病気を理由に平気で約束を反故する
コレもハリスさん。よく会談をすっぽかされたそうで
>>精錬されており教育があり聡明である
これはペリーの日本滞在記とスイス公使官の回想録に書いてあった
ただスイス公使官のほうは聡明と褒める一方、サムライにはヨーロッパ人の持つ
創造性が欠如しているって書いていた
>>物を言うとき自分の意見としてではなく上司の命令や組織上の都合であるという
コレはペリーとかハリスとかヒュースケンとかカッテンダイケとか

で『イギリス大使の見た幕末日本』、アーネストサトウのアレ、『スイス公使官の目から見た日本』
『完全版ペリー日本航海記』、『ハリス日本滞在記』、『ヒュースケンか居候』
などから(署名はうろ覚え)拾ってきました

699 :世界@名無史さん:04/03/06 17:58
これを言ってはおしまいかもしれんが、
西洋人の観察は当てにならんよ。
戦車と戦象のスレで、シーボルトが日本の武器として堂々と戦車を書いているのを見たし。

700 :突撃!!天狗党:04/03/06 20:08
まぁ、子ネタ集ですから

701 :突撃!!天狗党:04/03/15 07:01
あとはアーネスト・サトーさんが
「日本人はすぐ嘘をつくから信用できなかった。しかし私が決して
疑わなかった物が一つある。武士の騎士的勇敢さである」
って書いてあるのもあったなぁ

702 :世界@名無史さん:04/03/15 08:40
頭に付けてる武器ってのはなんだろ。
チョンマゲがウルトラセブンとか卍丸のアイスラッガーみたいになれば
かっこいいのにね。

703 :あやめ:04/03/15 09:24
亡くなったうちのお婆ちゃんの話でも「アメリカが浦賀に来たときに
サムライが頭にピストロを乗っけてるって驚いたんだよ。それから
相撲取りに兵隊のかっこさせて浜に並らばしといたら、こんな図体の
ヤツにはかなわなと言って攻めるのを止めたんだとさ」
力士を呼んで一種の示威にしたのは事実らしいです。なおピストロは
言うまでもなくピストルで、ちょんまげの形から発想したものでしょう。

704 :世界@名無史さん:04/03/15 16:01
高温多湿な日本で金属の鎧きてフルフェイスの兜かぶって盾持ってたたかったら
10分でスタミナ切れるんじゃないか?
武器自体も重さで叩き切るような武器とか重さで叩き割る鈍器とかそんなのばかりだし。

蒸れない軽い軽装装備→それにあわせて鋭い刃物
歩兵は槍装備で両手がふさがって盾が持てない。
騎馬は手綱を片手にもつので盾もてない。

ってことで風土にあった装備をした結果だとおもうから
日本の夏に合戦がおきれば侍はかなり優秀な兵力だとおもうよ。

705 :世界@名無史さん:04/03/15 20:43
なるほど中東では金属の鎧着て戦うと
命取りになるから
布をはためかせて目標をそらさせるような
服着て闘うとか聞いた。

706 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/03/15 22:43
>>704
ムガル重装騎兵の鎧なんか見るとそれはかなり疑問だな。
当世具足も見るからに暑苦しくてたまらん。

>>705
中東は重装騎兵の発祥地なんだが…。

707 :世界@名無史さん:04/03/15 23:06
日本は湿地や傾斜地が多いという意見はどうなったの?
ところで、中国は重装騎兵化し無かった理由は?

質問ばっかだな、スマソ

708 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/16 00:04
>>703
当時の吾妻錦絵に、米兵を圧倒した力士たちが俵をいくつもかついでいる姿
が描かれていますね。この頃アメリカの狐が日本に渡来して悪さをしている
という風説も立ったらしい。

709 :世界@名無史さん:04/03/16 01:59
>>707中国は,重騎兵化→軽騎兵化→重騎兵化何度か繰り返してなかった?

710 :世界@名無史さん:04/03/16 12:55
>>709
中国は北魏以降、重騎兵はあまり見られなくなったはずだが。

711 :世界@名無史さん:04/03/17 11:16
やっぱ周辺の異民族対策かな?

712 :世界@名無史さん:04/03/18 16:36
>>710
確か金になかったっけ。

713 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/19 23:53
連環馬でしたか。もっとも検索しても『水滸伝』しか出て来ませんが。

714 :710:04/03/20 00:13
金にあるんですか?

北魏以降(15貫くらいあったそうです)は、馬の機動力を重視したのか
重騎兵が無くなっていったと言う、記事を見たことがあるですが・・

出典は失念。みつかったら挙げておきます。

715 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/03/20 00:16
>>710,714
一応、南北朝時代からの重装騎兵ブームは随までは続いている。

>>712
うん、この辺欧州とは正反対で、五胡十六国とか遼やらの周辺の異民族王朝の
方が馬鎧まで身につけた重騎兵をさかんに運用している。

>>713
金の「拐子馬」やね。三騎の重騎兵を革で繋いだ戦術。
ちなみに、五胡十六国時代の352年廉台の戦いで前燕の武将慕容恪が本当に
重騎兵を鉄鎖で繋いでる。ただ、これは弓を扱う重騎兵に方陣を組ませて鎖で
固定し、動かさずに敵の猛攻に耐えさせた、という連環馬とは正反対の運用。

716 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/20 00:19
>>715
なるほど流石。有難う御座います。

717 :世界@名無史さん:04/03/20 05:40
鄭成功ネタの小説だったか史実だったかで、連環の重歩兵は読んだ事が。

718 :世界@名無史さん:04/03/20 08:16
隋の崩壊が619年だから、その時点で重騎兵のメリットが無くなっていれば、
武士の活躍する時代に重騎兵が登場しないのは当然ではないだろうか?

719 :突撃!!天狗党:04/03/22 23:29
沖田総司とダルタニアンが入れ替わっちゃう小説、夢枕獏辺りが書かないかなぁ
おもしろそうなのに・・・ちなみに沖田は小説だから美男子なw

720 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/03/23 00:32
ありゃりゃ、書き足りんところがあったか。

>>714,718
金は「鉄浮図」と呼ばれる馬甲まで装備した重装騎兵を擁しており、モンゴル帝国の
重騎兵も有名だが、これは全軍の1/10程度、多いと見るか寡いとみるべきか…。
西夏や後金の重装騎兵も名高い。
まぁとにかく、唐以降の漢人王朝では重騎兵はマイナーな扱いで軽装騎兵が騎兵の
主力だったが、異民族の王朝では相変わらず重騎兵が重んじられていた。

721 :世界@名無史さん:04/03/23 18:17
>720 レスthx. ためになります
漢人王朝で重装騎兵が主力にならなかった理由と
武士が重装騎兵化しなかった理由が同じなのか違
うのか、その理由は思想的なのか、地形的なのか、
産鉄量の関係なのか、など果てしなく疑問がありま
すねぇ。 はぁ、勉強不足だ、漏れ(w

722 :世界@名無史さん:04/03/24 08:10
日本の場合は馬格が小さかったことも重装化しなかった原因の一つではないでしょうか。
まあ逆に重装化しなかったから小さくてもかまわなかったのかもしれませんが。

723 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/24 12:18
一応戦国時代には馬鎧もありましたけどね。

724 :世界@名無史さん:04/03/24 15:13
>高温多湿な日本で金属の鎧きてフルフェイスの兜かぶって盾持ってたたかったら
>10分でスタミナ切れるんじゃないか?

すぐ錆びるんでは


725 :世界@名無史さん:04/03/24 15:17
>幕末に訪れた西洋人の覚え書きに見るサムライ

>酒乱の毛があり猥談を好む
>平気でうそをつき、病気を理由に平気で約束を反故する
>物を言うとき自分の意見としてではなく上司の命令や組織上の都合であるという
>精錬されており教育があり聡明である
>頭に武器を付けている

現代日本人の行動とほぼ一致しますね。


726 :世界@名無史さん:04/03/24 16:05
源平合戦図の馬に鎧が付いてた気がするが。

727 :世界@名無史さん:04/03/24 18:35
馬鎧と重装化はちょっと違うような。

728 :世界@名無史さん:04/03/24 18:36
ああ、日本で馬鎧が使用されていたのは知って折おる。


729 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/03/24 23:07
ちょっと確認してもらいたいことがある。
「重騎兵」「重装騎兵」という言葉には、二つの用法があるわけだ。

まず一つ目は、装備という点から見た「重装騎兵」という用法。
これは、頑丈な鎧兜で騎乗者、時には馬の全身をガッチリ固めた騎兵を指す。
具体的な例としては、東ローマのカタフラクトや中世西欧の騎士、クロムウェルの鉄騎隊や
オスマン朝のカピクル騎兵など。
この意味での「重装騎兵」だと、大鎧で身を固めた鎌倉武士や当世具足を身につけていた
戦国武者は明らかに重装騎兵に入るし、ゴートの槍騎兵やルイ14世時代の胸甲騎兵(前時代
の騎兵に比べて軽装だったため、同軍の騎兵の中で一番重装甲であったにもかかわらず「軽装騎兵」
という意味の言葉で呼ばれている)は軽騎兵のカテゴリになる。

もう一つは、運用の観点から定義した「重装騎兵」という語の使い方。
こちらは、敵と離れた位置から飛び道具で攻撃する軽騎兵に対し、敵に肉薄して直接殺し追い
散らす事を任務としている騎兵を指す。
この定義だと、弓矢と槍を併用しているカタフラクトやさっき挙げた前燕の連環馬(>>715再下段
の戦例は弓の撃ち合いだった)は怪しくなり、たいした鎧を着けていなかったゴート騎兵も
立派な重装騎兵となる。
この定義だと、鎌倉武士は重装騎兵じゃなくなるかな、と思うけど、鎌倉武士の弓での戦い
方は遊牧民に代表されるような、馬で移動し(時には動かなかったり)ほどよく離れたところから
敵を矢で射殺す軽装騎兵の戦い方とは違い、専ら敵に突撃しつつ弓の威力で敵を殺し追い散らすと
いう、まるっきり重装騎兵のようなものだったというではないか。つまり、この定義でも武士は
「(ほぼ)重装騎兵」となる。

730 :世界@名無史さん:04/03/24 23:12
そんな定義があったとは。
しらんかったす。どうも

731 :世界@名無史さん:04/03/25 01:00
中世の西洋、まぁフランスを例にあげると、
あれだけ大きな土地を持ちながら正規の兵士・従者合わせて3000に遠く及ばなかったらしいね。
武田や上杉の騎馬隊は万はいる。中世西洋の農業・生産はよくわからないが。
詳しく教えてください。
ところで、板違いだけど日本武士は弓騎兵がルーツだよね?
戦国期の騎馬隊は接近戦?それとも弓?両方?

732 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/25 09:42
>>731
武田の方は馬匹の割合は多かったようですが、「騎馬隊」は存在しなかったようです。
>ところで、板違いだけど日本武士は弓騎兵がルーツだよね?
まあ「弓馬の道」というくらいですから。起源は軍事貴族に従った狩猟・漁労民や俘
囚などであったといいますが、奈良時代には既に弓馬をよくする郡司・百姓の子弟が
徴用されている(なお首取りというのも狩猟時の祭祀行為と関連するとも)。
ただ弓騎兵というより騎乗弓兵と記される事が多いですが、厳密な違いは何なのか。
鎌倉時代までは接近時にも専ら弓矢を使用した(刀で反撃するようになったらもう不
味い)ようですが、鎌倉時代末期から馬上でも長刀が使用されるようになって南北朝
時代からはこれに槍が加わるようになります。
ただ戦国時代の侍がどう戦ったのかというと、長槍による集団戦が発達していたため
か専ら戦闘時には馬から下りる姿が目立ったらしい。
ルイス・フロイスは「欧州の騎士は馬に乗って戦うが、日本の武士は馬から下りて戦
う。」と書いており、柳成竜も「賊(日本軍)は全て歩兵であった。」と書いていま
すから、誇張はあったにせよ歩く姿が目立ったらしい。
ただ少なくとも日本に「騎馬隊」というものが出来たのは近代からのようです。
蹄鉄が無く蹄の損傷が激しかった事(馬用の草鞋が14世紀からあった)と去勢をし
ておらずよく暴れた(というよりも暴れ馬を乗りこなす方が珍重された)というのが
大きな理由でしょう。

733 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/25 12:07
>ただ弓騎兵というより騎乗弓兵と記される事が多いですが、厳密な違いは何なのか。
騎馬だけで構成された軍が存在しなかったために、単に馬に乗っただけで「騎乗」な
んでしょうかね、と自己レス。

734 :世界@名無史さん:04/03/25 13:04
15-6世紀の日本の武家社会の事を、見てきたように語れる人の神経が
ほほえましい。
実際のところ、なーんにもわかっていないのに等しいというのに。

735 :世界@名無史さん:04/03/25 13:35
>>734
じゃあ。15−6世紀の武家社会は何にもわかりません!
と言うべきなのかね?

736 :世界@名無史さん:04/03/25 15:47
>>735
科学者なら。

737 :世界@名無史さん:04/03/25 17:59
>>734
うーん、きみ役立たずだね

738 :世界@名無史さん:04/03/26 06:02
このスレッド板違いだろ?
例の170は板違いを盾に他のスレッドの削除依頼は出すのに、
自分のお気に入りのスレッドには文句言わないのか?
削除依頼は義務じゃないっていうんだったら、
義務じゃないんだから他のスレッドの削除依頼もやめろよ

739 :世界@名無史さん:04/03/26 10:08
>>732
首が外れて生きている人もいないし、顔は視覚的に本人の認定がしやすいし、
命令を出しているところへ「確実に敵の○○を殺害した」を知らせるには
顔のついた首を持っていくしか方法ないじゃん。

つい最近でも、イラク攻撃で、ウダイ氏、クサイ氏の首実検もやってるから
別に洋の東西は関係ない、地域とは関係ないから「狩猟時の祭祀行為」の説も
根拠薄弱。

740 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/26 16:16
>>739
「戦神に奉げる」などそれらしい表現が見受けられるんですよ。
『平家物語』・『男衾三郎絵詞』・『古事談』・『今昔物語集』ほか読んで
出直して来なさい。証拠というならその通りながら、それだけに留まっ
たものとは考え難い。

741 ::04/03/27 01:10
確かに、日本は12世紀に武士階級が成立した時期には軍事面で世界のレベルから
見れば大幅に見劣りしてんだよね、国内で大きな騒乱が無いんやから。
中国とか当時の先進国のように兵科が分離してないからエキスパートのいない時代
やったんやて。そやから逆に血のにじむような努力を重ねて、弓は弓兵、騎射は弓
騎兵、刀剣・槍は歩兵並に訓練に訓練を重ねて、必要に応じて各兵科を兼任できる
オールマイティな戦士になったんが侍なんだって。努力と根性!けなげやぁ

742 :世界@名無史さん:04/03/27 09:20
>>741
ソース

743 :世界@名無史さん:04/03/27 13:49
>>741
適当な関西弁使うな。
関西の人間バカにしてるのか?

744 :世界@名無史さん:04/03/27 14:19
ほんまや!
>>741氏ね

745 :世界@名無史さん:04/03/27 14:19
>>743
そんなだからばかにされる

746 ::04/03/27 16:44
うちはちょっと四国よりの北九州弁なんやけど☆
イントネーションの違いは文字じゃわからんちゃね。
それから、しねとか使ったらいけんよ。傷つく人もいるんやから

747 :世界@名無史さん:04/03/27 21:21
本当に関西人は恥ずかしいな

748 :世界@名無史さん:04/03/27 21:35
関西とか九州弁はどうでもいい。

それよりソースは?脳内史料かね?


749 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/03/28 21:55
ソースとか何とか以前に>>741には将門とか純友とか保元とか平治とか
源平合戦やらが存在してないので駄目だ。

750 ::04/03/29 01:14
うーん、ソースの意味やっと気付きました…。2ちゃんねるのスラングかと思って
わかりませんでした。ごめんなさい。

751 ::04/03/29 01:28
とりあえず、将門・純友の両名の台頭の背景は東国豪族の源氏・西国海賊の
平氏の先駆やけど…ここで問題にされてる武士階級の成立以前じゃない?
保元・平治の各乱で主役の平氏も過渡期的な存在で武家政権より公家政権、
農業本位より商業本位で特異な気が…

752 ::04/03/29 01:42
単純に兵科の未分化は歴史資料、男衾三郎絵詞、吾妻鏡、騎射秘抄、新猿楽記
、義経記、平家物語等の当時の武家の資料と、各国史等の資料を比較すれば簡
単に出てくる結論と思うっちゃけど…権威的な著者の出版物やなかったら納得
出来ないんなら学問板の意味は一体?

753 :世界@名無史さん:04/03/29 02:30
つーかお前は兵科の意義を完全に誤解しつつ脳内妄想を膨らましてるだけだ

754 ::04/03/29 12:13
内容がない感情論での批判は反論しようがないっす(-_-;)

755 :世界@名無史さん:04/03/29 20:19
>>752
男衾三郎絵詞、吾妻鏡、騎射秘抄、新猿楽記
義経記、平家物語 と随分目を通してるようですが、

これらの史料のどこの記述を見てそう思ったとかさ、
もちっと、史料羅列だけじゃなくて、具体的におながいします。



756 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/03/30 22:59
>>751
>>741
>日本は12世紀に武士階級が成立した時期には
などとぬかしておきながらよくもまぁ恥ずかしげもなく。

>>752
で、藻前様は自分の意見のどこら辺が批判されているか理解してるか?
出してない批判に対する反論なんざされても困るんだが。

757 ::04/03/31 00:45
過渡期、成立期、熟成期とかなくいきなり卵・鶏で出てくるとお考え?
歴史は成立過程を考証しながら実証して定義する学問なんですけど…おわかりでしょうか?
それから、自分の意見を挙げずに揚足取りに終始するのは簡単でしょうが…ねぇ。
あと、批判するなら具体例を挙げて下さいな。自分の考えを意見にしてまとめる能力は大切
ですよぉ☆

758 :世界@名無史さん:04/03/31 00:57
例の170 ◆vBOFA0jTOg という男がおってな。
毎晩、毎晩2ちゃんねるという村で「ねんちゃく」というものを
やらかしてな、村人を困らせておったそうな。
その「ねんちゃく」は村人には嫌われていたんじゃが
例の170 ◆vBOFA0jTOg はたいそう気にいっててな、村人に好かれたいと思って
「さくじょいらい」などという悪事までやらかして村人をさらに困らせたんじゃ。
そんな例の170 ◆vBOFA0jTOg についにあぼんの神様の天罰がくだってな
例の170 ◆vBOFA0jTOg は十三日の金曜日の日に殺人鬼にナイフで顔の皮を剥がれ、
斧で四肢を切断されてダルマ、挙句剣鉈で腹割かれて腸をズルズル引きずり出され、
その長い腸で首絞められて殺されたんじゃ。
昔、昔のお話だよ・・・。
                 ||    ::::::::::::::::::::::::::::::
                 ||       :::::::::::::::::::
   ∧_∧        ||   ∧ ∧   :::::::::::
   ( ´Д`)      i    (・д・)∧ ∧::::::::::
  /::: Y i     ,-C- 、( y  (゚Д゚ ) ::::::::
 /:::: >   |    /____ヽ (___、|_y∩∩ ::::
 |::::: "   ゝ   ヽ__ノ   (__(Д` ) ::
 \:::::__  )//    // っ⊂L∧ ∧
                   ∧ ∧ (  ;;;;;;)
こんな昔話は子供の教育に悪いのお・・・


759 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/01 22:56
>>757
>歴史は成立過程を考証しながら実証して定義する学問なんですけど…おわかりでしょうか?
ハァ? 馬鹿かお前。事実に基づかない実証ってのはよ、”妄想”ってんだ妄想。
プラスチックのダイヤはいくら磨いても本物のダイヤにはなりません。

>それから、自分の意見を挙げずに揚足取りに終始するのは簡単でしょうが…ねぇ。
論拠それ自体を批判されて”揚げ足取り”かよ。…お前は腕で歩き足で弓を引く謎のヒマラヤ人か?


で、貴様は>>741で何を主張したかったんだ?お前自分でも理解できてないだろう。
まぁいい、俺が代わりに整理してやろう。

760 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/01 22:56
>>741の発言の中で、資料の類から得られた「事実」と呼べそうなもの…
即ち論旨の根拠・前提条件としていると解釈して間違いなさそうな部分は、以下の部分のみだ。
a.>国内で大きな騒乱が無い

で、資料等の根拠から演繹等によって導き出した「論」らしきものは、
b.>日本は12世紀に武士階級が成立した時期には軍事面で世界のレベルから見れば大幅に見劣りしてんだよね、
c.>訓練に訓練を重ねて、必要に応じて各兵科を兼任できるオールマイティな戦士になったんが侍

だが、不明瞭な部分がある。
d.>中国とか当時の先進国のように兵科が分離してないからエキスパートのいない時代

「論」であるbおよびCの根拠を遡ろうと思うのだが、まず、明示されている中でbの論拠でありそうなものは
aであることは疑いようは無い。で、cの方だが、これは当然dがそれにかかる根拠でありそうなのだが、
このd自体が問題だ。このdは、発言者は資料や根拠を示すまでもなく「事実」と認めてくれそうな話として
書いたのか、それとも、aから得られたbの論をさらに発展・演繹した「論」なのか、どちらともとれる。
これが本当はどちらなのかは>>741からだけではいかんとも判断しがたい。
よって、前者(普通に事実)をAとし、後者の解釈(推論a→b→d→c)をBと呼ぼう。

761 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/01 22:58
で、>>741の批判である>>742,748,749に移るわけだが、742,748はソースを要求している。では、
741のどの部分のソースを求めているかと考えれば、4つ存在しうるだろう。つまりa〜dの四つの部分の
根拠である。そしてどれのソースなのか何とも言われてないので、4つまとめて要求されていると読むべきだろう。


そして俺の>>749だが、これは単純にa.の反証、否定だ。
つまりこれによって否定していることとなる「論」はb.であるのだが、だが、もう一つの「論」であるc.
も先のB解釈を採るなら、c.の前段階であるd.の根拠が結果否定されるので、b.とc.が同時否定となる。
つまり、d.の解釈次第で結果>>741の全否定にも半分だけ否定していることにもなりうる。

とりあえず置いておいて>>752まで進むとその結論が見えてくる。これは明らかにd.のソース提示であり、
A解釈を肯定している。もちろんA解釈とB解釈は両立しうるものだが、もし両立したならば>>749はc→dを
否定していることではなくなり、単純なa.批判であるところの749はa→bの論のみの否定となる。

戻って>>751だが、武士の成立以前だろうが公家政権だろうが商業重視だろうが、日本が軍事的に遅れてた
だとか争乱がなかっただとか、そんな話とは 何 の 関係も無いな。よって何を言ってるんだオマイはよ。


さて気を取り直して>>742,748で要求されたソースだが、a.は論外、b.c.は特に無いと>>752で明言(「論」
なのだからこれはいいとして)、そして残ったdのソースを752で明示。
だが、>>755で「これじゃダメ」だとよ。

762 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/01 22:58
全部ダメじゃねぇかお前。
大体な、自分で自分の言ったことを理解できてずに人に説明してもらうって、恥ずかしくないのか?
俺は国語の先生じゃねぇんだよアホ。知能的にそういうレベルであるばかりか、ろくすっぽ勉強せずに
書き込みしたり下らん妄想垂れ流したりして、お前迷惑なだけだよ。
少しでも恥とかそういう概念あるんなら、とっとと消えろ。二度と来るな。

763 :世界@名無史さん:04/04/02 00:31


どうでもいいし、武士・侍の話しようぜ。
喧嘩は終了

764 :世界@名無史さん:04/04/03 14:55
じゃあ次はポン刀の性能について語ってみる?
倭寇のポン刀が明軍の刀を切り落としたって話は有名だがアレは本当なのか?

765 :突撃!!天狗党:04/04/03 18:40
刀じゃなくて槍じゃなかったか>切り落としたの

日本刀神話の否定者の根拠
 ・・・日中戦争の時に青龍刀とやり合ってあっけなく日本刀をおられた
日本兵の記述・戦国武将の日本刀に対する低い評価

日本刀神話の肯定論者の言い分
 ・・・兜割・倭寇の中国兵に対する優越・江戸初期の剣豪一同
幕末の人斬りと西洋人の記録
何となくチンポを連想させてイヤら漢らしいところ

ってところか

766 :世界@名無史さん:04/04/03 18:52
〜2ちゃんねらの手記より〜
「例の170 ◆vBOFA0jTOg はもはや人間ではない。
日中は自室にえんえんと引き篭もり、一寸も外に出ない。
蛍光灯に照らし出された巨大な豚のようだ。
それは焼けつくようにムサく、異臭がして耐えられないので、
親でさえ部屋から飛び出し、必死で外にたどり着こうとした。
人間はこの地獄から逃げ出す。
どんなに硬い意思でも、いつまでも我慢していられない。
例の170 ◆vBOFA0jTOg だけが耐えるのだ。
神よ、なぜ例の170 ◆vBOFA0jTOg を見捨てたもうたのか。」


767 :世界@名無史さん:04/04/03 18:53
「目に入るものといえば見渡す限りのヒッキーヒッキー。
 あんなにたくさんのヒッキーを見るのは初めてだったわ。
 だけど例の170 ◆vBOFA0jTOg もそのヒッキーの一人だったのよね。
 どんどん気分が悪くなってくるの。
 まともな人間が減って、例の170 ◆vBOFA0jTOg と同じような人間が増えてくるんだもの」

「例の170 ◆vBOFA0jTOg は頭のてっぺんから足のつま先まで厨房だった。
 あそこは本当にびっくるするほどユートピアな空間だった。
 例の170 ◆vBOFA0jTOg たちは、ゲームやってるとか 引きこもりであるというだけで、
 人から嫌われたり軽蔑されたりしていた。
 だから、社会に引き出されたりすることのない
 どこまでも自由な環境にいられるということは、本当に気分が良かった」

                   ―――― 2ちゃんねる参加者の回想より


768 :世界@名無史さん:04/04/03 18:54

  \
:::::  \           例の170◆vBOFA0jTOgの両腕に冷たい鉄の輪がはめられた。
\:::::  \
 \::::: _ヽ __   _     外界との連絡を断ち切る契約の印だ。
  ヽ/,  /_ ヽ/、 ヽ_
   // /<  __) l -,|__) > 「刑事さん・・・、俺、どうして・・・
   || | <  __)_ゝJ_)_>    こんなスレ・・・たてちゃったのかな?」
\ ||.| <  ___)_(_)_ >
  \| |  <____ノ_(_)_ )   とめどなく大粒の涙がこぼれ落ち
   ヾヽニニ/ー--'/        震える彼の掌を濡らした。
    |_|_t_|_♀__|
      9   ∂        「その答えを見つけるのは、お前自身だ。」
       6  ∂
       (9_∂         例の170◆vBOFA0jTOgは声をあげて泣いた。


769 :世界@名無史さん:04/04/03 21:40
>>765
日本刀神話の否定者の根拠
 ・・・日中戦争の時に青龍刀とやり合ってあっけなく日本刀をおられた

マジーですか!?
ソースあれば教えてください。知りたいっす


770 :突撃!!天狗党:04/04/04 08:35
成瀬関次氏は日本刀の専門家で、著書に「日本刀譚」「戦う日本刀」
「実戦刀譚」等がある。日中戦争(支那事変)で軍属として従軍、将校の
帯刀修理に当たる。

↑確かこの人の本

771 ::04/04/05 13:09
ナチスドイツは日本刀でマシンガンを斬る実験を行ってたんよ。
腕さえあれば真ん中からバッサリ…ん〜五右衛門♪

772 :世界@名無史さん:04/04/05 14:23
>>771
マジですか?
ソースあれば教えてください。知りたいっす

773 ::04/04/05 14:50
は〜い!映像もあるそうなんで見つかったら報告しますね☆

774 :世界@名無史さん:04/04/05 16:16
さすがはカルト野郎ヒトラー率いるナチスドイツ


775 :世界@名無史さん:04/04/05 16:23
>>771

--------------------------------------------
「実はもろかった日本刀」 チャンバラ幻想 (朝日新聞 12/3 2002)

時代劇がブームなのだそうだ。・・・・・でも、ちょっと気になるのが劇中のチャンバラ。
主人公が敵の刀を受け流しつつ、ばさばさと切り倒していくのがお約束”だが、実は日本刀は
それほど堅牢な武器ではない。『刀と首取り』などの著書がある鈴木眞哉さんは「柄の部分
などに構造上の欠陥があるようだ」と指摘する。
 鈴木さんが依存するのが日中戦争当時、日本刀約2千振りを修理した成瀬関次さんの報告だ。
それによると刀の損傷のうち、刀自体にかかるものは3割ほどで、残りはすべて柄や鞘に
かかわるものだった。つまり(刀にもよるだろうが)、実践で太刀打ちをすると、日本刀は、
柄がおれたり、鍔元がぐらついたりする可能性が極めて高いのである。
 善玉の得意技「棟(峰)打ち」も現実には難しかったらしい。古武術には空中で180度回転
させて相手を打つ技があるというが、時代考証家の名和弓雄さんによると、刀は本来、みねの
部分で打つようにできていないため、場合によっては折れるおそれがあるという。・・・・・
----------------------------------------------

日本刀に何か幻想もってませんか

776 :世界@名無史さん:04/04/05 17:17
>>775
ナチ云々は聞いたことないが、実際外国の刀剣愛好家が機関銃の銃身や西洋刀を
日本刀で斬る実験を行い、両断に成功したことを記録に残していたと聞いたことがある。

777 :世界@名無史さん:04/04/05 18:24
>>776

カラテの瓦割りと一緒でしょ?
アピールするために最初っから切れ目を入れておけば
そりゃあ何でもできるよ

実戦力ない日本刀とカラテ(ww

778 :突撃!!天狗党:04/04/05 20:41
あらかじめ切れ目を入れたところにドンピシャで斬りつけられる腕があるなら
もっと出角演出するでしょう

779 :突撃!!天狗党:04/04/05 21:21
>>775
ところが中国で格闘術を教えて、なおかつ人も斬ってきた中村泰三郎先生は
成瀬関次氏とは全く正反対の事を言ってるんだよ
日本刀は刀剣としては世界最強といっても良いんだってさ
中村泰三郎氏は0,4秒の抜刀術の使い手ということで
中村6;成瀬4ぐらいの割合で信じてるけど

780 :世界@名無史さん:04/04/05 22:33
>>775
朝日じゃ根拠になりませぬ

781 :世界@名無史さん:04/04/06 00:05
要するに、素人が使えばすぐに折れるが熟練者が使えば強力な武器だと。

782 :世界@名無史さん:04/04/06 00:18
まぁ、映像もあるそうなんで、期待しましょう

783 :世界@名無史さん:04/04/06 00:18
この場合つっこむところは朝日じゃ根拠にならねえてのじゃなく
そんなん一般常識だろとかそういうことじゃないのか。

784 :世界@名無史さん:04/04/06 01:21
しかし柄の部分をあんな小さな木製の目釘で止めてるんだから、
強い力で硬いものをぶっ叩いたら、刀身ではなく柄とか鞘の部分が
おかしくなるのは当然のような気がするが。

785 :世界@名無史さん:04/04/06 10:16
日本刀なんて1人か2人切ったら使い物にならない実戦力のない武器
まぁ言ってみれば「飾り」だね
日本人の若者が粋がってやってる入れ墨のようなもんでただの脅しの道具

786 :突撃!!天狗党:04/04/06 17:59
しかし、みんなで仲良く人を斬ったことがあるように語っている光景は
なんとも不思議だな

787 :世界@名無史さん:04/04/06 18:20
>>784
おかしくなるんなら目釘金属製にするんじゃねーの?
しないって事はそれで十分だったんだと思う。

788 :世界@名無史さん:04/04/07 00:14
槍や薙刀も目釘1個のが結構あるんだよね。
刀よりも使用頻度高くて遠心力の問題からより大きな力が掛かるであろう槍ですらそうなんだから、
刀も目釘1個でそうそう壊れたりしなかったんじゃないかと思う。


789 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/07 02:02
>>775
>それによると刀の損傷のうち、刀自体にかかるものは3割ほどで、残りはすべて柄や鞘に
>かかわるものだった。
普通の人間なら、柄が折れるほどの過負荷に耐えられる日本刀の刀身の頑強さを
評価するところですが、流石鈴木先生は感性が独特でいらっしゃる。

>>784
目釘で柄を留める以前の刀剣である毛抜形太刀は柄と刀身が一体化していた。
この、柄と刀身の一体成形→目釘で柄を留める への移行を見る限り、目釘を使った
方がかえって好都合だったと考察できる。
ついでに、目釘は刀身の茎が柄からすっぽ抜けることを防ぐ機能しかなく、斬りつけた時の
負荷には関わらないぞ。

790 :世界@名無史さん:04/04/07 05:58
目釘を軸にして回転させるイメージで打撃できれば、
目釘そのものの強度は問題になりにくいよね


791 :世界@名無史さん:04/04/07 11:09
>>777
テ○ンドーよりはマシです(w

そう言えばやや話はそれるが
日本刀に関して岡崎正宗のこんなエピソードが残ってる。

ある人が何とか(名前忘れた)っていう人の小刀で正宗の刀を削ろうとしたら
意外にも簡単に削れたので驚いて「正宗の刀は切れ味がいいというが
大した事ないではないか」とその人が言うのを聞き正宗は
「小刀は削るものであり、刀は斬るもの。だからそんなに驚く事は無い」
といいその小刀と同じものを100本束にして一刀両断にし、
己の刀がいかに切れ味が良いかという事を証明したという。

792 :世界@名無史さん:04/04/07 13:54
いつのまにこのスレは非科学的なホラ話をする場になったのでつか?
あ、最初から?

793 :世界@名無史さん:04/04/07 15:12
非生産的なレスよりゃマシ

794 :世界@名無史さん:04/04/07 18:14
>>791
>テ○ンドーよりはマシです(w

これを見ても同じことが言えますか?

http://202.153.104.75:80/videoclub/umovie/mov2/UMovie.net_taikeando.wmv

美しい技のオンパレード!絶対感動します!

カラテとは一味違う技の切れ味と破壊力と魅了する力!

795 :突撃!!天狗党:04/04/07 22:18
カンケー無いけど特殊部隊(主にSAS)に関する本を読んでると
特殊部隊的最強武術は古流柔術だそうです
古流柔術・・・世界中の軍隊式格闘術・警察式捕縛術の元になってるそうで
       実戦性が高く最も信頼できる格闘技なんだとさ 
合気道・・・一対多人数との戦いの際の立ち回りは合気道が元になってるもの
      が多いんだって
柔道・・・警察で流行ってるけど軍隊では認められてないみたい
     今の軍服はそもそも掴むところがないそうで
忍術・・・元隊員が書いたSAS実戦格闘マニュアルって本に書いていた
     徹底した実戦主義に裏打ちされた技術だって
     あと雑誌『秘伝』にも戸隠流忍術修行者が体験談を書いている
空手・・・軍隊的には柔道以上柔術以下の微妙な立ち位置

ってことで、やっぱり戦国時代に起こった兵法が一番実戦向き(と少なくとも
多くの特殊部隊の人は言っている)何じゃないでしょうか? 

796 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/08 00:30
>>790
いやだから、鞘が壊れるか刀身が引っ張られない限り、目釘には何の負担も機能も掛からないって。

>>795
まぁ一番純粋な「戦場格闘技」だろうからな。 <柔術

797 ::04/04/11 00:00
一応、中間報告しマス。昭和8年以降製造の靖国鍛錬所製の陸軍鍛錬刀で幅15ミリの
軟鋼を斬る性能報告書まではなんとかたどり着きました!刀は資料が多すぎっ!
比較的近年出版された書籍に前述の引用があったと記憶してるんで、そっちの方から
気長に探してますのでもうちょいまってね☆

798 :世界@名無史さん:04/04/11 00:14
4/18のブラックホールで殺陣アバロンと闘ってもらいましょう。
そうすれば武士や侍が強いか弱いかが判るかもよ。

799 :突撃!!天狗党:04/04/14 17:18
律令体制から始まって封建制から国民国家までうま〜く立ち回った
武士階級の偉大さがわからんのか!
封建制から国民国家までうまくやった人々や
律令体制から国民国家までうまくやったヤツはたくさんいれども
律令体制から始まって封建制から国民国家までうま〜く立ち回った
階級はそうそういるまい

800 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/14 18:20
初期の武士は「芸能人」の一項目。管絃・陰陽・医方・明法・画工・舞人など
と並べられるような存在。

801 :世界@名無史さん:04/04/15 23:16
>>794
見事な足元の疎かさだな
テコンドーの選手が他競技の選手とやった時の動画がどっかにあるから見た方がいいぞ

802 :世界@名無史さん:04/04/17 13:09
>>801
ヤオイおめと言っておこう。
しかし>>794は数年前にテコンドーのチャンピオンが当時は無名だった須藤元気に
秒殺された事実や、ゴッドハンドのマス大山を知らないのかね?

803 :突撃!!天狗党:04/04/20 06:26
それどこにあるの?

804 :世界@名無史さん:04/04/20 12:04
age

805 :世界@名無史さん:04/04/20 16:21
>普通の人間なら、柄が折れるほどの過負荷に耐えられる日本刀の刀身の頑強さを
>評価するところですが、流石鈴木先生は感性が独特でいらっしゃる。

柄も日本刀の一部である以上、折れれば戦闘中無力になるわけで
頑強さを評価といわれても……
戦ふ日本刀では、あっけなく曲がったと評価されているが





806 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/04/21 00:40
>柄も日本刀の一部である以上、折れれば戦闘中無力になるわけで
意味不明。魔法とかかかってるわけでもあるまいし、そりゃ負荷がかかりすぎれば折れるだろ。

807 :世界@名無史さん:04/04/21 06:17
>>806
鎖のもっとの弱い部分が、その鎖の強度になるってことだろ
読解力無いの?あんた

808 :世界@名無史さん:04/04/21 08:49
>>800
医方って病気の治療とかする人?
陰陽ってのは現代人がタイムマシンでフィールドワークしたら呪術師と分類するようなことする人?
校舎はともかく、医者が芸能人ってのは

809 :世界@名無史さん:04/04/21 09:10
>>808
この場合の芸能人は「技術を持った人」のことじゃねーの。

810 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/21 10:11
>>808
「医方」は、そのまま医者の事です。この場合の「芸能」は技術のこと。
「陰陽」は陰陽師で、陰陽五行説や道教的思想に基づいて占い、難を避けさ
せた人々。10世紀に「陰陽道」が確立され、この頃から本来は神祇官の役
割であった「祓」も勤めるようになりました。
なお厭魅の類は民間の法師陰陽師と呼ばれる僧形の人々が請け負ったらしく、
『小右記』や『大鏡』には式神と呼ばれる精霊の飛ばされた話も出て来ます。
この二つは職能がともに治病に絡んでいた為に、「医陰の輩」として並び称
されたもので、病の時にも陰陽師が祓いを行いました。
勿論僧侶による加持も存在しましたが、仏教的な営みは神事の前には行えな
かったので、祭りの前に疫病にかかった時には祓いに頼りました。

811 :世界@名無史さん:04/04/21 10:56
>>810
括弧つきだから、現代と同じ意味かとオモた。

812 :世界@名無史さん:04/04/21 15:52
剣道と侍の剣術は違うぞ。

813 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/21 20:20
>>811
今と違う意味だから「」つきにしたんですよ。

814 :世界@名無史さん:04/04/26 13:55
>799-800の流れだと含む所がありそうに読める。
つーかどうでもいい事を偉そうに書くの上手だな。

815 :突撃!!天狗党:04/04/30 21:00
 日本の身分制は兵農工商で士はほとんどいない数少ない士も冷遇され
相応の地位を得るには兵になるほか無し〜(中略)〜日本の民衆は
背の低いモノが前列に並び背の高いモノが後ろに並び、その規律正しきこと
伝説に聞く古代中国の軍団がごときである。これは日本人が礼教をわきまえている
というわけではなく、軍制によって統治されていることに依る
             朝鮮通信士の誰か談
 日本滞在中、唯一疑わなかったのは武士階級の騎士的勇敢さである
            アーネストサトウ談
 サムライ、何が彼らをそこまで完璧な紳士にするのだろう
        名前忘れた日本女性に関する本を 
        書いたイギリス人女性の本の武家の女の項


816 :世界@名無史さん:04/05/01 02:03

■5月の始まりに最低のニュース

『東海』単独表記のサイトが全世界で30%に達する
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1083332208/l50

国連の勧告「東海併記に有利だ」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/04/30/20040430000019.html




日本の調査結果も水の泡。これだけの証拠があって何故…?
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/france/jf_gaiyo.html


817 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/01 18:09
>>814
いえいえ、どうでもいい事ではありませんよ。そもそもどういう存在なのか
を明らかにせず、イメージで語っていても仕方がありませんから。
勿論、各時代ごとの武士像がある以上、成立期の存在のみを語っても意
味はありませんが。


818 :世界@名無史さん:04/05/02 22:26
日本は弱い。日本の弓は合理的ではない。
織田信長の火縄銃の三段撃ちもスペインが同じような事を60年前にやっているし


819 :世界@名無史さん:04/05/02 22:30
>>818
 史実ではないらしいがな
>>織田の三段撃ち

820 :世界@名無史さん:04/05/02 22:34
1 轟音で三段撃ちの指揮なんて無理
2 鉄砲隊は各武将からの寄せ集めで統一指揮なんて不可能
3 射撃後戦列後方に一斉移動なんてむりだっつーの

というところらしい

821 :世界@名無史さん:04/05/02 22:40
嘘なら、どうしてそれが史実として出回ったんだろう?

822 :世界@名無史さん:04/05/02 22:45
大体信長の話なんてほとんど「信長記」からの引用なんでしょ
有名な桶狭間だって「信長記では奇襲戦になってるけど
「信長公記」だと桶狭間は正面衝突だし


823 :世界@名無史さん:04/05/02 22:50
>>821
 その方が絵になるから、為政者にとって都合が・・・ガフ

824 :世界@名無史さん:04/05/02 23:00
ちなみに「信長記」ってのは小瀬甫庵という江戸初期の作家が書いた小説です
この小説は江戸時代に大ベストセラーになったし、
この本をネタにして多くの類本がでたから影響力はものすごい
実は一作家の書いた一小説が今日の”史実”になっているなんて・・・・ゴフ

825 :世界@名無史さん:04/05/02 23:11
三段撃ちって、元ネタは中国の弩兵のそれらしい

826 :世界@名無史さん:04/05/02 23:23
実際は野戦築城と公算射撃だろ。

827 :世界@名無史さん:04/05/02 23:29
個々の技術発展の仕方は違えど戦争に関する技術は
結構高かったと思うけどね>>戦国時代

重装甲で重い西洋甲冑も良いが
西洋甲冑に比べれ軽い当世具足もいいねぇ。
中国やインドって当時はどんな感じだったんでしょ?
中国の文献は和訳されたのがあるけど印度のは文献見当たんないっす

828 :世界@名無史さん:04/05/02 23:30
>>824
現代でも司馬遼太郎の書いた本が”史実”……ZAPZAP!!

829 :世界@名無史さん:04/05/02 23:37
>>828
それは司馬遼太郎自身が否定してるし、違うだろ

830 :世界@名無史さん:04/05/02 23:52
>>829
財団や司馬の影響を受けた連中は違うだろうよ
彼らは司馬の著作を聖典化している

831 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/02 23:54
平安時代史の大家、角田文衛大先生に紙上で罵倒された有吉佐和子も不味かった。

832 :世界@名無史さん:04/05/02 23:54
>>830
財団は知らんが、読者は「司馬自身が否定してる」と言えばたいていは考え直す
考え直さないやつには、俺は今のところ幸運にも出会ってない
出会ったときはがんばれ超がんばれ

833 :世界@名無史さん:04/05/03 00:36
桶狭間って信長がわってものすごい大群だったって聞いた

834 :突撃!!天狗党:04/05/03 22:25
戦国時代に考えられた薬研堀は現代でも朝鮮戦争やアフガニスタン戦争
などに使われているぞ
あと隠遊もベトナム戦争でアメリカ軍か韓国軍がやってた

835 :突撃!!天狗党:04/05/03 22:27
>>833
そりゃ大兵力を動員しただろう
問題は今川税と較べてということで

836 :世界@名無史さん:04/05/04 00:57
コピ・ペ
230 : :04/05/03 14:56 ID:KYqXvGdy

今パレードの中継見てたんだけど、そこにかのすてきな国の団体様も出てました。
どーみても袴そっくりのお召し物で日本刀そっくりの刀を剣道の素振りそっくりに振ってました。
ぬかりないというか今更あわててアピールすんのかよというか・・・

http://www.hiroshima-ff.com/program/hana_parade.gif

ふるさとパレード第2部
14:42 韓国の伝統武術紹介 大邱ヘドン・クムド交流団


広島・・・

837 :世界@名無史さん:04/05/04 01:42
[Arrowhead] From the `Last Samurai'
http://times.hankooki.com/lpage/opinion/200401/kt2004010819194911320.htm

ラスト侍を見た韓国人のコラム
------
誰が『最初のサムライ』だ?そうだ百済の将軍 Kyebaek だ。(漢字名は不明)
新羅・唐連合軍との最後の戦闘に進軍する前に、自分の妻と子どもを殺して辱
めを受けずに名誉を守った。
最初のサムライは Kyebaek だ。彼が日本のサムライの手本となった。

百済が滅亡すると、百済人は日本に渡り、日本の政治や社会の中心勢力となった。
そして、日本の戦闘民族たちに模範を示したのだ。

(略)

そこへ百済人が日本に渡り、現在の京都の地に定住するようになった。
その間に、Kyebaek 将軍の精神・勇敢さ・献身さが日本の戦闘氏族に広まったのだ。

これらの名誉心・献身性が日本の近代化を支えたのだ。
そして、日本の文化史上、最高の作品、黒沢の『49人の侍』に結実したのだ。
------

コラム最後の言葉
  “ハリウッドもいつか近いうちに Kyebaek 将軍に興味を持つだろう”


838 :世界@名無史さん:04/05/04 02:19
>>837
Kyebaekは階伯のことだな。
まあ、彼の壮烈な戦死が日本で語り継がれたという証拠があるなら
「日本のサムライの手本となった」と言えるかも知れんけどね。

839 :世界@名無史さん:04/05/04 05:16
戦争とかが起きるようになったのは農業ができて
土地に価値が出来たのとその作物が貯蔵できるようになって
貧富の差が生まれたからだと思う。

特に日本は自然に恵まれてたから
その争いが激しかったのかも。

840 :世界@名無史さん:04/05/04 09:59
自然に恵まれていたから争いが少なかったというならともかく
自然に恵まれていたから争いが激しかったというのはおかしい。
食べるものがたくさんあるのにそれを理由に他者と喧嘩するか?
食べるものが少ないからそれを巡って他者と喧嘩するのでは?

841 :世界@名無史さん:04/05/04 21:49
話がずれるけどドイツは貧しいから戦争したんだろう。

842 :世界@名無史さん:04/05/04 21:49
>>841
非包囲妄想ってとこ

843 :世界@名無史さん:04/05/04 22:12
人の欲は果てしないです

844 :世界@名無史さん:04/05/05 01:49
>>837
雨の中、傘が無くて困ってる女性に黙って自分の傘を差出し、
何も言わずに足早に走り去るのが侍だろう。
レイプ世界一と誇る国に侍はいないね。


ってまぁ女の偏見。

845 :世界@名無史さん:04/05/05 12:09
>>844
相合い傘はだめなのけ?
ひたすら女に都合のいいのは、幻想の中の騎士道だと思われ

846 :世界@名無史さん:04/05/05 15:10
雨を避けて軒下をこそこそ歩くぐらいなら
ずぶ濡れになっても道ノ真ん中歩けよってのが侍、らしいですよ。
ご婦人が自分なんぞと相合傘しててあらぬ噂など立てられてはまずかろうと
立ち去るのはありじゃないですかね?

もっとも女性の側も今とは全く別の価値観、立場のなかで生きていたっぽいですが。

847 :世界@名無史さん:04/05/05 20:45
>>819
三段ではうまく機能しないことも明らかになっているね
実際5〜6人一組で鉄砲の高回転射撃みたいなことは行われていたみたいだが
信長が始めたわけではないし、結構ポピュラーだったみたい
それらは各々のユニットが勝手に打ちまくるスタイルで、統制の取れた三段撃ちはやはり存在が怪しい模様

848 :世界@名無史さん:04/05/05 20:52
統制射撃なんて不可能

1 長篠の鉄砲隊は寄せ集めだった
2 轟音の中、長い戦列で統制射撃なんて無理>無線や有線電話があって初めて可能
3 密集隊形なら可能かもしれないが、火打銃では間隔が必要なので無理

849 :突撃!!天狗党:04/05/05 21:41
ピストルに勝った!!!!

850 :世界@名無史さん:04/05/05 21:43
すごいねぇ。ちょっとマジで感心した。

851 :世界@名無史さん:04/05/06 10:56
>>848
歴史系の研究室とNHKなんかの歴史系のところと組めば、
実際に実験してみるだけの予算と人員と機材は揃えられるだろ?

本当に不可能かどうか、まず実験してやってみるようじゃないと、
口先だけじゃ信用出来ないよ。

852 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/06 15:17
釣りでしょうが・・・普通「実験」というのは出来るかどうかを確認する為
に行うものでは?

853 :世界@名無史さん:04/05/06 15:27
>>852
だから?

854 :世界@名無史さん:04/05/06 15:32
銃を撃ったことのある人間ならわかるが、音がひどく大きくて
統制射撃は難しい。
戦闘の混乱中に、1列目が射撃して2列目と交代し…
のような三段撃ちは、指揮系統が一元化され、練度が極めて高く
密集して指揮官の統制が効かなければ、非常に難しい。

考えればすぐわかると思うんだが。

855 :世界@名無史さん:04/05/06 15:35
俺が銃を撃ったときは非常に簡単で便利なものだと思ったが。
火縄銃とは勝手が違うだろうが、統制などは訓練次第だろ。

856 :世界@名無史さん:04/05/06 17:10
充分な数の鉄砲があって、それぞれが弾丸ごめできた時点で
撃ってりゃ、結果的に間断ない射撃になるだろ。
わざわざ三段と決めて統制する意味はないと思うのだが。

857 :世界@名無史さん:04/05/06 19:06
そんなことよりもな、確かその実験やったやついたよな?

858 :世界@名無史さん:04/05/06 20:21
NHKで見た気がする。

859 :名無史さんRX:04/05/07 01:08
>816 >836 >837
声の大きい人の意見が採り上げられるというなら我々も大きな声を出したっていいのかもしれないですね
一番いいのは、彼ら以上の声を出すことかもしれません犬は自分よりほえ声の大きなものには逆らわないといいますが
そろそろ、東海問題については、反対に運動を広げていった方が良いですね
 ここでは彼らを見下した文が多くありますが見下すのではなく、
そろそろきちんと敵として認識してみるのもいいかもしれません

さて、このスレの話題ですが
ttddさんとおっしゃる方はかなり腕が達者なようですね
西洋であれ問うようであれ、武道に熟達された方には尊敬を覚えます
が、しかし勝ち負けを論ずる前に果たして同程度の腕前の人間同士の対戦であったのかが疑問として残ります
 日本刀を持っていても、その腕はピンからキリまでなのですから、その会の内容をみますとどうも西洋の武術を好む人たちの方が
圧倒的に多いようですし、果たして剣道<と言うよりは古式も入れた剣術全般>の腕の立つ人が集まっている用には思いにくいのです
そういう方は、そういう場に集まるでしょうしあくまでも公正を期する意味でも、同程度の腕前の人間
しかも、ttddさんは剣道の経験もあり動きを心得られているようですから
立ち会う側にも西洋剣術の知識があること前提に選考して尋常な立ち会いをしない限りどちらが強いとはいえないでしょう
盾を持っていると弱くても勝てる式の極論もあるようですが
 探偵ファイルというHPに実験が収録されていました
極端な技量の差があると剣術に全身鎧と盾でも太刀打ちできなかったようです
それの逆なのではないかと思います。


860 :例の170 ◆vBOFA0jTOg :04/05/07 01:13
嫌韓厨でコテ粘着で長文厨か。救いようがないな。

861 :世界@名無史さん:04/05/07 01:43
陣地防御のような固定的な運用に限れば、3名の射手が交代で射撃するよりも、
1名が射撃に専念し、残り2名が装填作業をやるほうがはるかに合理的かつ効率的

そもそも交代射撃を行っても投射弾量の総計は変わらない
どうせ火縄銃の射撃は公算射撃なのだから、全員で斉射したほうがいい
無理に交代射撃を行っても隊列変換は混乱の要因にしかならない
三十年戦争当時、スウェーデン軍は交代射撃を慣用化していたが、
一方でフランス軍では下級指揮官は可能な限り隷下の銃兵全員で
斉射するべきだと考えられていた

862 :世界@名無史さん:04/05/07 05:38
>>849
あれはポン刀の切れ味もさる事ながら銃の精密さもあるんじゃないかな?
弾丸は1mm違わずに刃へ向かって飛んで行ったんだから。
もうちょいずれてたら結果は変わったかもな。
日本刀、ピストル双方の匠の技を感じたな。
>>847
そういえば雑賀衆がやってた4〜5人1組で連射するやり方を
信長が採用したという話を聞いたような・・・。
まあどっちにしても長篠は戦う前に決着ついてたわけだが。

863 :ヴァイル:04/05/07 06:57
>859
探偵ファイルに関しては甲冑着ている方は剣術にはうとく、しかも鎧は飾り用なので、
動きにくいし、動ける範囲が少ないので当然の結果かも知れません。
それに重たい鎧を着て闘うには、それ相応の体力と慣れが必要です。
私やttdd卿が戦っていたら別の結果になっていたかと思います。
(ソースは鎧を貸した本人かつアドバイザーだから)

素人に武器を持たせたければ東西関係無く槍系の武器が良い訳で、剣を扱うには
それ相応の訓練が必要で槍系に比べれば時間がかかります。
同じ訓練時間なら槍系が断然有利でしょう。
試しに剣道有段者と自衛隊新兵に木銃(銃剣道ね)を持たせて戦わせてみれば判ります。
素人に剣のみ、剣+盾を使わせて短時間訓練した場合は剣+盾の方が有利です。
何故なら攻撃は簡単に覚えられますが、防御に関しては盾を使用した方が簡単で、
剣のみで防御する事に比べれば盾で防御する方が簡単なのは想像しても判るかと思います。

しかし熟練者同士の闘いとなるとどちらが有利かはいかんともしがたいです。
実戦は別としてAvalonやSCAの規定に沿って闘う場合は盾を持っている場合の方が有利です。
実戦と違っていくら攻撃を受けても盾は壊れないですから、防御に徹していれば自ずと勝機が
見えてきます。

864 :世界@名無史さん:04/05/07 07:32
レッテル豚の方が、救いようがないな。

865 :世界@名無史さん:04/05/07 13:14
>>849-850
何の話なの?よく分からん。

866 :世界@名無史さん:04/05/07 23:06
>>865
 トリビアの泉という番組で
日本刀の刃に向けて拳銃弾(鉛弾)を発射したらどうなるか実験した結果
鉛玉が真っ二つに裂けて日本刀には刃毀れも無かったとの事(数回やっても結果は同じ)

867 :866:04/05/07 23:07
因みに距離は5mとの事でした

868 :世界@名無史さん:04/05/08 00:46
>>866
サンキュー!凄いな日本刀。

869 :名無史さんRX:04/05/08 09:43
>863
技量の違いで結果は変わるという例えだけのつもりでしたがきちんとお答えいただいて感激です
>>(ソースは鎧を貸した本人かつアドバイザーだから)
そうだったんですか、素晴らしいです
>>しかし熟練者同士の闘いとなるとどちらが有利かはいかんともしがたいです。
でも、熟練者同士の闘いは見てみたいですね
私も高校時代剣道をかじってまして6段の教官と立ち会ったところ
前に立っただけで足がすくむような状態で、
技量の違いを痛感したことがあるので、ずいぶん過去の話題
にもかかわらずレスしてしまったという訳なんです、
身贔屓で武士は弱くないと思いましたし(笑
>>AvalonやSCA
確か歴史再現団体さんですよね素晴らしいです、HPを見せていただいて
いつか機会が有れば見学させていただきたいと思っています

870 :名無史さんRX:04/05/08 09:45
>866
あれって正直、勝って嬉しかったが
単に鋼の板を研いだもので実験したらどうなるんだろと疑念が

871 :世界@名無史さん:04/05/08 10:26
>>870
そこは敢えて考えないのが幸せな人生を送る秘訣ですよ。

872 :世界@名無史さん:04/05/08 12:18
要するに鉛玉を日本刀で切れるかって話でしょ
そりゃ切れる罠

873 :世界@名無史さん:04/05/09 13:24
あれを青龍刀や朝鮮刀でやったらどうなるだろう?

874 :世界@名無史さん:04/05/09 21:24
>>873
斬れないが折れもしない、と思う

875 :世界@名無史さん:04/05/09 23:50
物理学的に考えるなら、鉄砲の弾と同じ厚さの鉛を
日本刀や青龍刀や朝鮮刀で切れるかってこととほぼ
同じだな。

876 :世界@名無史さん:04/05/10 02:28
あと、衝撃に耐えうるだけの強度があるか、ね。

877 :名無史さんRX:04/05/10 20:04
>873
青龍刀は鋳鉄だったと聞いたことが有るんですが
だとすれば刃がめくれたりするのでは
まぁ、本当だとすれば当時鋳鉄を作れた中国の技術力はすごいですが

あと朝鮮刀なんていう架空のものは考えないようにしています



878 :世界@名無史さん:04/05/10 22:10
>>877
宋代にコークス利用の鋳鉄を実用化してます
三国史で有名な武将の武器は、宋代の代物です。

879 :名無史さんRX:04/05/11 00:23
>878
あっやっぱり、確証がもてましたありがとう

880 :世界@名無史さん:04/05/11 00:36
そう言えばルパン3世で石川ゴエモンが結構切ってたな。
斬鉄剣でなくても切れるんだ。

881 :世界@名無史さん:04/05/11 00:55
確かに刀の切れ味は良くとも実際の勝負ではどうなるやら・・。集団で敵に向かう前に飛び道具を浴びせられて全滅かもしれないぞ。

882 :世界@名無史さん:04/05/11 00:59
>>881
日本刀は切れ味がすごいが、それだけでは勝てない
日本刀同士で斬り合えばこぼれるし

883 :世界@名無史さん:04/05/11 19:08
それになんだかんだ言っても所詮刀はサブウェポンだし。
戦場での主役は飛び道具か槍さ。

織田信長はメインウェポンにする為の馬鹿でかい刀特注したらしいけど。

884 :突撃!!天狗党:04/05/11 21:15
しかし、刀=サブウウェポンはもう常識のように語られているけど
太刀版七本槍みたいなの無かったっけ?

885 :名無史さんRX:04/05/11 23:07
>881
それは元寇で実証済みかと
「名乗りも挙げておらぬのに、撃ってくるとは卑怯なり」ってね

>884
ああ賤ヶ岳の七本槍と三振太刀だっけ

886 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/11 23:23
鎌倉時代の例ですが、公式な「(朝敵)征伐」の戦であれば、一騎討ちなど
に応じずにある程度卑怯ととられそうな真似も出来たようです。
なお当時の一騎討ちは、向かいあって馬を止めた状態で矢を放つか、組打ち
に持ち込んで刺殺するもの。『平家物語』の中で巴は組打ちを望んで来た敵
を眼にして矢を放たず、相手に応じて組み合って(刺殺して)います。
斎藤実盛は地上でやっていましたが、この場合は馬上で組み合ったらしい。
なお南北朝時代になると楠木正成・赤松円心以下の有象無象の輩が後醍醐政
権を支えて活躍するようになり、一騎討ちを所望して来た相手にも兵器で矢
を浴びせかけるような真似が行われるようになりました。
そうして行くうちにゲリラ戦や放火も行う下郎の歩兵の役割が増加し、長槍
による集団戦闘の発達した応仁・文明の乱以降にもなると騎乗していた者も
戦闘時には馬から下りて戦うようになっていたようです。
ルイス・フロイスや柳成竜も「歩兵ばかり」などと書いている。
元々日本の武士が戦闘時に弓矢を構えて敵陣に突っ込んだかどうかも怪しい
もので、馬を走らせながら射たのは追い討ちを仕掛ける時だけであったとも
いいます。通常戦闘による死者はどこから飛んで来たかも分からない矢によ
るものが多く、「矢が尽きたからもう駄目だ」と言った台詞も見られる程。

最後に、南北朝時代から約200年後の朝倉宗滴の名言をば。
「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ。勝つことが本にて候。」

887 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/11 23:26
>兵器で矢
平気で矢を、の間違い。

888 :世界@名無史さん:04/05/11 23:27
>「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ。勝つことが本にて候。」

当然ですな。
現代では名言にすらならない、常識


889 :名無史さんRX:04/05/11 23:29
>886
なるほど、勉強になります
そういえば熊谷と敦盛の戦いの場面も組み合ってから首を斯いてますね
それと、朝に弓引く者は天に刃向かう大罪人ですから
卑怯もくそもなかったのでしょうね


890 :名無史さんRX:04/05/12 09:41
>886
>最後に、南北朝時代から約200年後の朝倉宗滴の名言をば。
>「武士は犬ともいへ、畜生ともいへ。勝つことが本にて候。」

勝てば官軍ですからね

891 :世界@名無史さん:04/05/12 11:50
◆切り取り強盗武士の習い

人を殺して金品を奪い取ったり、強盗したりすることは武士には珍しくないことである。
流浪零落した武士が生計のために言った口実。
「切り取りするも侍の習い」ともいう。

892 :世界@名無史さん:04/05/12 12:33
元々、鎌倉時代の合戦では弓>刀という比重ではなかったのかな。(知識が曖昧なのはお許し頂きたい)
源義経は常に太刀と弓を腰に佩いて、合戦においては弓を主体に戦ったと聞くが。川での合戦の際に弓を流されて
「弱弓(引くのに力を要さない弓)だ」と敵方に拾われて嘲られるのを恐れて戻り、挙兵当初からの仲間を一人失った
という話はよく聞く。

単に「射掛けてから刀の間合いに詰める」という戦法が得意だったのかもしれんが、よく考えたら弓での射撃は馬上、
つまりある程度の高低差と、相手との速度差があるからこそ有効な攻撃手段なわけで。モンゴル騎馬も弓の腕前を
最も周辺諸国から恐れられたともされている。

893 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/12 12:55
>>892
刀で戦った、という描写は『平家物語』の中でも源行家が刺客相手に普段
着で切りあった場面ぐらいしか出て来ないのでは無いでしょうか。
武士の職能については『新猿楽記』に、
「中君夫天下第一武者也、合戦・夜討・馳射・侍射・照射・歩射・騎射・
笠懸・流鏑馬・八的・三々九・手挟等上手也、」
とあります。流鏑馬(当時は正面に射た)など文字通り「弓馬の道」に
関るものが多い。夜討も卑怯とはされていなかった様で、それを「珍し
く」正道でないとして保元の乱で敗れたのが藤原頼長。
一応の記述の後には「用太刀」とあるもののそれだけで、『梁塵秘抄』にも
武士の装備の一つとして出て来ますがあくまでも一角を占めるという
だけの扱いです。

894 :世界@名無史さん:04/05/12 13:59
>>886
>なお当時の一騎討ちは、向かいあって馬を止めた状態で矢を放つか

ふつう騎射っていうと、馬を疾駆させて敵を射るというのを想像しがちだけど、
必ずしもそうではないということですか・・・
そういえば、強弓で知られる為朝も馬を止めて射てましたね。

895 :892:04/05/12 14:01
>>893
なるほど。実に勉強になります。
では、私個人の誤っているかもしれない考察に関してご指摘頂ければ幸い。

日本はご存知のように西洋・アジア大陸と比較して面積が少なく、それに伴い燃料資源も不足していたために
鍛錬を要する「鉄武器」は非常に貴重な代物であったと思われる。欧州のように鉄装備を主体とすれば森林は
たちまち禿山と化していただろう。(事実、そのようにして禿山となった場所が欧州では少なくない)
従って一度に動かせる兵の数も自然に限定され、有限資源を活用する方向性として「質を高める」というように
鍛冶技術は発達したのではないかと考えている。当然ながら、叩き潰すというよりも斬り倒す、或いは射抜いて
仕留める方向に向かっていくだろう。そのような基本原理から成り立つ戦いでは甲冑鎧を纏うことよりも、即座に
動ける軽装防具の方向に視点が向くことも、また必然であるとも言える。

つまり、東西において戦の根本原理は全く異なる。一概に「どちらが強い」という問題では図れない。
豊富な資源を背景に防備に重きを置いた西洋と、限られた資源を如何に有効に活用するかに主眼を置く日本。
背景が違う時点で単純に比較することは難しく、故に双方とも「その環境では」洗練された質が高い兵でもある。

…このような考え方を、如何思われますでしょうか。無知を敢えて承知で述べさせて頂きましたが。

896 :世界@名無史さん:04/05/12 16:00
>>895
自然破壊史という講義で、欧州、特に南欧の森林がなくなったのは
9割以上が石造建築の工程で必要なためと教わりました。
そもそも、日本はかなり木材に恵まれた国ですよ。
最近のニュース等で聞かされる森林破壊の話題で
変な先入観を持ってるだけではないでしょうか。


897 :世界@名無史さん:04/05/12 16:51
>>896
いや、理由が「石造建築のため」というのでも結果的な事象は同じだろう?
その土地に住む人口に比例して必要な家屋・武具の生産工程で消費される資源量は増大するのだから。
別に資源を無計画に奪取して、それでも残っていたからこそ森林に恵まれている訳ではない。
森林そのものを「どのように残そうと考えたか」という結果が、豊かな森林を保有する今の日本を生んだわけで。

欧州では森林は「資源」でしかなく、農耕主体の日本では「資源であるのと同時に生活の基盤そのもの」であったからこそ
木材を無闇に切り出すことなく、伐採後は植林し、如何に効率の良い武器・防具を鍛錬するかに着目したのだろうと思う。
大勢の人間を戦場に動員するには飯だけではなく武具などの物資も必要になる。相手を叩き潰した後で、いざ治める際に
「先の合戦の折に乱伐されたので実は森林・農地はボロボロでした」では全く旨みも無くなるだろうからな。
如何に自領の資源を浪費せず、相手の領土を切り取るかという戦略に基づいた必然的な刀剣技術進歩だと思うが。

898 :世界@名無史さん:04/05/12 17:04
>>897
降雨量が多いし、森林の生育速度も速いはず
また、山岳地帯の木材資源は、高価な輸送コストを払ってまで
わざわざ伐採する必要がないから残ったのでは?

899 :895:04/05/12 17:09
>>896
なるほど。なかなか興味深い考察ですね。
とりあえず、質問があるのですが宜しいでしょうか。
木材資源以外の理由で、日本で鉄甲冑など重装備(重歩兵)の方向に鍛冶製造技術が発展しなかった理由は
何でしょうか? それとも、何も理由はなく自然に弓から刀の方向へと技術が発達していったということでしょうか?

それと、指摘されるまで森林破壊ニュース云々に関しては頭が回りませんでした。
少なくとも私は興味は全くありませんし、そもそもどうでも良い問題だとすら思っています。

900 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/12 17:14
>>892
>つまりある程度の高低差と、相手との速度差があるからこそ有効な攻撃手段なわけで。
ごもっとも。重装備の者の肉体疲労を軽減する効果の方が大きかったという人もいます。
中世のモンゴルや日本の馬だととても恵まれた高低差は望めませんでしたから。
>894
>そういえば、強弓で知られる為朝も馬を止めて射てましたね。
流石。実はそうした話もあって出て来た説です。
実際には馬というのは全力疾走は四分ぐらいしか出来ないそうで、ましてや重装備の人
を乗せていれば活発な動きは出来なかったものと思われます。
映画の撮影でも時間をおいて撮影しなおしたり、コマを繋いで長時間疾駆しているよう
に見せかけているとか。黒澤明監督が現実に愕然としたという話もあります。
欧州の騎士も、よくイメージされているような大会戦で槍を突き出して集団で突撃する
という行為はまず行っておらず、事実は日欧ともにもっとちまちまとしたものであった
ようです。
>>895
映画『もののけ姫』とは違い(あれを見た某研究者(コテハンでは無い方)が激怒)、実際
には鍛冶・踏鞴師は森林資源をよく考えて行動していました。鉄の方も砂鉄を始めとして
不足しない程度にはとれており、刀剣などの輸出も行っていましたから、自動車などの無
い時代に気にするほど不足していたものとも思われません。
(都市民が火事場で釘などを拾っている辺り、今より再利用の概念はマシな形で存在して
いたようですが。)
また資源から戦闘法が生じたとお考えのようですが、正直なところ考え難いことです。
我が国の史書には奈良時代から「弓馬の道」という表現が出て来ますが、これ主に狩猟か
ら発達したものでは無いかと思われます。
初期の「武士」とは特定の芸能の一つに長けた人々を指した言葉でしたが、彼らを表現す
る際には「狩猟などの『悪業』を積み・・・。」といった常套句がついて回っていました。
狩猟を能くした俘囚や漁業・狩猟民が軍事貴族に従属したところから集団としての「武士」
が生れたものと、現在では考えられています。
(欧州の研究家には欧州で弓騎兵が発達しなかった理由を狭い土地に求める人がいますが、
これだと日本で発達した理由が分かりません。)

901 :895:04/05/12 17:52
>>900
なるほど…。実に参考になる考察、ありがとうございます。
先程の>>898さんの理に適う考察に唸らされた時点で、資源と戦闘法(刀剣技術)の関連性は半ば放棄していました。
それでは、どのように弓から現在の刀剣技術に移行していったのかと疑問に感じた次第でしたが、確かにそのように
考えると狩猟(弓)から武士(土地・従属に根差した集団)へと発展していく過程が無理なく納得できますね。
そもそもが弓馬に由来する部分が大きいのであれば、重装(重歩兵)へと移行しなかったことにも大いに頷けます。

>>898,900
稚拙な考察に丁寧かつ的確なご指摘を頂き、ありがとうございました。
このスレは、自分の無知を露呈しても恥ずかしいどころか、とても勉強になる意見が多くて大変興味深いです。

902 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/12 18:45
>土地・従属に根差した集団
鎌倉時代になると、根付いた「名」(荘園・国衙領の基礎単位。徴税の単位で
もあったが、近世に東国で庄屋のことを名主と称したのもこれに因んだもの。)
の名を取って「名字」を名乗ることが行われるようになります。
主に先祖の開発地や移動先の根本所領の名が取られたものでしたが、その名は
土地を領有していたからこそ意味のあるものでした。
御家人大友氏の未亡人は、夫亡き後資産を管理する内に子供らに対して「名字
もなき下賎の輩に惑わされて仲違いをするな」と訓戒を下しています。
また謡曲『鉢の木』に登場する武士のように、所領を失ってしまった武士はもう名
字をもてなくなっていた訳で、名字は現実的な収入と誇りを表したようです。
やがて時代が下ると血脈の方を意味する「苗字」表記が増えて行く訳ですが・・・本筋と
は関係ないものの、とりあえず御説明を。
(しかし土地や相続への執着を書いていると中世欧州を思い出してしまう。)

903 :世界@名無史さん:04/05/12 21:48
俺も知識が無いのに一言いわせてもらうと、馬を止めたのは
そもそも当時「鐙」がなかったからなのでは?


904 :世界@名無史さん:04/05/12 22:08
>>903
鐙があっても無くても射撃はできるぞ
鐙が必要なのは、騎槍を脇に抱える突撃形式

905 :世界@名無史さん:04/05/12 22:15
>>903
鐙はあるよ。ほんとに知識ないんだなあ。

906 :世界@名無史さん:04/05/13 01:02
洋の東西を問わず馬から下りて戦うのが多いね。
騎兵が集団で突撃かましたりできるようになるのはいつぐらいから?

907 :世界@名無史さん:04/05/13 01:12
こう考えるとアメリカインディアンの一部の部族がわずか数世代で
遊牧民化したっていうのはすごいよな。ネペルセのアパル−サとか。

908 :世界@名無史さん:04/05/13 07:27
>>907
ヨーロッパから持ち込まれた病気で
人口激減、ある程度の人数を必要とする農耕が不可能になったからとか
 
人間食うためには何でもやるさ

909 :世界@名無史さん:04/05/13 22:59
>904 とすると、馬を停止させて射撃した理由はなんでしょう?

>905 げっ、恥ずかしい。いつ頃からあったんですか?


910 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/13 23:14
>>909
>>904 とすると、馬を停止させて射撃した理由はなんでしょう?
もう書いたのに・・・。
>>905 げっ、恥ずかしい。いつ頃からあったんですか?
正史『三國史』には邪馬台国には牛馬などがいないと書かれていますが、実際
にはこの頃少数ながら牛馬が飼われるようになっていたようです。
古墳からの出土品に鐙が含まれていて、日本史の資料集にも載っていますよ。

911 :名無史さんRX:04/05/13 23:37
そういえば何処かで、ある二人の武士の事を書いている文に
剛力で重く頑丈な甲冑を着用していた武士が戦場でよく負傷するのに、
力が弱く軽い甲冑を着ている武士は傷を負った事がなかった
というような記述が有りました
何に書いてあったのか資料調べてきます

912 :名無史さんRX:04/05/13 23:42
>902
そういえば昔、家の過去帳を見ていると
先祖の名字と今の名字が違うので不審に思い聞いてみたら
江戸時代は地名を名字にしていたが
明治の時にそれより古い時代に使っていた名字に戻したらしいとか
説明された

913 :世界@名無史さん:04/05/13 23:44
でもアレキサンダーの騎兵もランスチャージしてたんだよ

914 :世界@名無史さん:04/05/14 00:17
>>913
ビザンチンのカタフラクト方式でのランスチャージは無理
槍の重さを利用して突き刺し、腕の動きで反動を逃がす方法ならできるかも。
打撃力は低いがね

915 :世界@名無史さん:04/05/14 00:20
カタフラクトはランスチャージしませんよ
やるのはクリバノフォロス

916 :世界@名無史さん:04/05/14 00:21
鐙は確かに騎兵にとって大きな発明だけど
だからといって戦術や運用を変えたとは思えない

917 :895:04/05/14 04:51
>>916
一度、鞍と手綱だけ付けた馬に乗ってみて下さい。鐙が無いと上半身を起こした態勢は保てませんよ。
戦術や運用を変えるだけの効果があるからこそ普及したと言っても過言ではないかと思います。

主に馬上で何らかの動作を行う場合、両腿で鞍を挟みながら鐙を蹴るような態勢となる必要があります。
これは騎射においても同様であり、上半身をブレさせずに騎乗するには鐙が必要不可欠となるのです。
私は幸運にも北海道の酪農地域で何度も馬に乗る機会に恵まれたために、鞍と手綱だけを付けた馬に
騎乗し続け、尚且つ制御するのは非常に難しい芸当だということを知っています。
鐙が無いだけで、鐙がある場合と比較して長時間の移動に耐え得る耐久力と精神力を要求されるのです。

918 :突撃!!天狗党:04/05/14 06:16
>>917
馬なんか飼ってねぇよ、バカヤロウ

919 :世界@名無史さん:04/05/14 06:36
>>917

>戦術や運用を変えるだけの効果があるからこそ普及したと言っても過言ではないかと思います。

具体的にどう変わったの?

920 :895:04/05/14 07:05
>>919
まずは移動距離と機動力でしょうね。
戦略を立てる際にも日程移動距離の算出は重要になるでしょうし、戦術的にも騎射における命中精度の向上など
有利に働いたことでしょう。重い装備をつけた状態で移動する場合にも鐙は騎乗者の疲労軽減という実に重要な
役割を果たすことも明らかです。騎乗状態で戦う場合も、上体バランスを保つためにも有利に働いてくれるでしょう。
鐙が無ければ長時間の移動は腿が張った状態を生み出し、おまけに騎馬の制御という精神的にも疲弊した状態で
敵とやりあう羽目になるという大きなデメリットを負うことになる筈です。(それどころか落馬の危険性も高くなります)

日常的な移動目的ならともかく、軍事目的で馬に跨って移動することが実用化された背景には鐙の発明というものが
大きく関わっていると私は思いますが。(そうでなければ鐙無しで馬を使役していたでしょうからね)

921 :八幡太郎 ◆HachiWePRs :04/05/14 09:21
>>918
同意します。

922 :世界@名無史さん:04/05/14 22:50
>>920
それは、馬具の改良や改善といった次元の話であって
戦術や運用に変化をもたらしたとは言わない

923 :世界@名無史さん:04/05/14 23:48
>>922
何を言いたいのかよくわからないんだけど。
鐙の発明によって戦術や運用に変化をもたらしたのは間違ってないと思いますが。

924 :世界@名無史さん:04/05/15 00:08
だから具体的にどう戦術や運用が変化したのかな?
鐙のおかげで「乗りやすくなった」、「長距離を楽に移動できるようになった」等の
技術的な進歩は認めるが、それは単に兵器としての騎兵の性能向上を意味しているに過ぎず、
戦術や運用を変化させるようなものではない
鐙の登場は新しい騎兵戦術も騎兵兵科も誕生させてはいない

925 :世界@名無史さん:04/05/15 00:35
>>924

例えば、古来は洋の東西を問わず騎馬隊は騎馬(遊牧)民族によって構成されていました。
その後貴族階級による職業的戦闘集団が生まれると、乗馬は幼少期から訓練をしてきた
貴族としての証のひとつになります。(貴族=司令官=馬上の人間)

つまり、鐙のない馬を乗りこなすには長い経験と訓練が必要で、一部の限られた人のものでしかなかったのです。
しかし鐙の発明で乗馬に習熟するのに長期的な訓練を要さず、また限られた騎馬民族と契約する必要も無く、
騎馬隊の組織的育成・運用が可能になりました。

と書けばわかってくれるか?

926 :世界@名無史さん:04/05/15 00:37
移動距離と機動力が伸びたと言うのは充分に運用の変化と言えると思うのですが。
というかこの場合は技術的な進歩が運用の変化とイコールで結ばれると思いますが。
それまでは歩兵に比べて高い機動力を有するだけだった騎兵が戦闘の際の主戦力足りうるようになりましたし。
迂回攻撃や包囲から衝撃力を生かした使い方が出来るようになってますし。
戦術、運用の変化と言うには充分だと思うんですが。

927 :世界@名無史さん:04/05/15 00:40
>例えば、古来は洋の東西を問わず騎馬隊は騎馬(遊牧)民族によって構成されていました。

嘘言っちゃいけない
ローマ帝国に大量の騎兵を供給していたガリアやゲルマンの諸部族は農耕民族
フン族の騎兵もいるにはいたが少数派

928 :世界@名無史さん:04/05/15 00:44
過去レス読んで、日本刀の運用に関して一言。

戦国時代のサムライも、鎧ごと切り裂くなどということはしなかった。
狙う部分は基本的に5箇所で、顔、喉、脇、股、右手の親指。
流派によっては刀の先端以外は刃を丸めてしまい、刀身が折れるのを防ぎ
攻撃は先端部分で突くのみという手法を取るものもあった。

例外は示現流で、九州の戦場跡からは額に刀の峰がめり込んだ頭蓋骨がよく見られるとか。
(刀を振り上げて受けた相手のガードごと頭を叩き割っているということ)
なお、次元流の型は基本的にトンボと逆トンボの二種類しかない。(袈裟懸けと逆袈裟の2つ)

929 :世界@名無史さん:04/05/15 00:46
>それまでは歩兵に比べて高い機動力を有するだけだった騎兵が戦闘の際の主戦力足りうるようになりましたし。
>迂回攻撃や包囲から衝撃力を生かした使い方が出来るようになってますし。

鐙の登場以前においても騎兵は戦場における戦術遂行に重要な役割を担っている
端的に言えば、鐙が登場する前も後も騎兵の戦術的役割は変化していない

930 :世界@名無史さん:04/05/15 00:52
重要な役割って?

931 :世界@名無史さん:04/05/15 00:53
鐙が西ヨーロッパに入ったのは7世紀末から8世紀初頭とされているが、
この時期のフランク王国の騎兵は封臣や陪臣が中核をなしている
この状況は、鐙の導入後も変化していない
騎兵がいわゆる騎士身分の専売特許でなくなるのは13世紀頃以降
時間的隔差が大きすぎて、とても鐙のおかげだったとは言い難い

932 :世界@名無史さん:04/05/15 00:56
>重要な役割って?

アレキサンダーの騎兵やローマの騎兵について調べることをお勧めしよう

933 :世界@名無史さん:04/05/15 01:59
遅レスでつが
>911
本多忠勝と井伊直政についての挿話と思われ

934 :世界@名無史さん:04/05/15 02:24
まぁ、「鐙が戦術・運用に影響を及ぼさない」とか頑固に言い張ってる奴が指揮官だと確実に実戦においては
敗北するな。影響を及ぼすからこそ、様々な奴らが採用したことで普及していったってのも分からんのかね。

自転車に置き換えて考えてみれば分かるだろうが、鐙が無いってのはペダルが付いてない状態と一緒。
漕げるが疲れる。バランス悪いから転倒する危険性も増す。(更には馬だと勝手に動くんだからな)
仮にペダルが付いてる奴と戦えば分が悪いのは阿呆でも分かるだろうに。立ち回れずにこけて殺されるのが
オチ。突発的な事態に馬が驚いて上体を起こしたら、どうやって対処するつもりなんだろうな?

935 :世界@名無史さん:04/05/15 06:48
>突発的な事態に馬が驚いて上体を起こしたら、どうやって対処するつもりなんだろうな?

こ れ の ど こ が 戦 術 や 運 用 な ん だ ?


936 :世界@名無史さん:04/05/15 17:23
>>935
鐙が無い状態では、鐙がある状態と比較して戦術も運用もへったくれも無いってことだろうが。
そ れ く ら い 分 か れ よ 。

937 :世界@名無史さん:04/05/15 17:33
つか、鐙がないと馬上では踏ん張れないぞ

938 :世界@名無史さん:04/05/15 18:33
>戦術も運用もへったくれも無いってことだろうが。

嘘言っちゃいけない
ペルシア、マケドニア、ローマ、中国等々
鐙が発明される以前にも、戦場で戦術遂行の基幹兵科を担った
騎兵は枚挙に暇がないのだが何か?

939 :世界@名無史さん:04/05/15 18:52
>>938
「ある状態と無い状態を比較して」という一文が見えないのか?
無くても騎兵運用は可能だろうさ。ただ、鐙が発明されたことは戦術・運用に影響を及ぼさなかったとは
言えないだろうが。(元々、そういう趣旨の議論だろう?)

940 :世界@名無史さん:04/05/15 18:56
騎兵と言っても車輪を付けた戦車。戦車が何で廃れたかを考えてみろよ。

941 :世界@名無史さん:04/05/15 19:09
>>938
鐙が発明される前は、打撃力を騎兵に持たせるのが非常に困難だったわけだが。

942 :世界@名無史さん:04/05/15 19:14
>戦術・運用に影響を及ぼさなかったとは

だから具体的のどういった影響を及ぼしたのかはっきり言ってもらわねば困るな
鐙の登場前の騎兵戦術や運用が「へったくれも無いってことだろうが」と言い切れるようなヤツを頼む

>>941
鐙が開発される前の騎兵も機動打撃を当たり前に担っていたが何か?

943 :世界@名無史さん:04/05/15 19:15
ああ、ここで言う機動打撃を担う騎兵というのは重騎兵のことね
為念

944 :世界@名無史さん:04/05/15 19:17
>>940
戦車の衰退原因と鐙には何の因果関係もないな
時間的隔差が大きすぎる

945 :世界@名無史さん:04/05/15 19:20
>>942
打撃力の定義次第だな
アレキサンダー大王の時代にも打撃力を持つ「重騎兵」はいたが
その重騎兵は軽騎兵よりも相対的に打撃力があっただけで
絶対的な打撃力については、鐙以降の重騎兵とは別物

打撃戦力の骨幹となり、強力に防護された歩兵戦列を敗走させることができる重騎兵と
比較的重装備な重騎兵では大きな違いがあると思う。

946 :世界@名無史さん:04/05/15 19:24
まあ上のほうでも書いたが、鐙は拍車や鞍なんかと同じでとても便利な発明だが、
それは騎兵の戦術や運用に決定的な変化を促すようなエポックメイキングな
ものなんかではないな
技術的には優れた発明品である鐙はわずかな期間で急速に普及したが、
それに比べて騎兵の戦術や運用にはほとんど何の影響も及ぼしていない
ハードウエアの進歩がソフトウエアをドラマチックに変容させることは少なくないし、
そういった話は嫌いじゃないが、全部が全部そうだってわけじゃあない

947 :世界@名無史さん:04/05/15 19:27
>>945
歩兵隊列を正面から撃破できる装甲槍騎兵の登場は10世紀以降
これが一応完成の域に達するのは13世紀頃
鐙の登場とは時間的隔差が大きすぎる

948 :世界@名無史さん:04/05/15 19:30
>>946
騎兵の質の底上げには貢献している

実際に乗馬をしてみるとわかるが
鐙があると無いでは、落馬の可能性が全然違う
初心者が鐙無し、鞍は粗末な物で乗馬訓練すれば落馬しまくりである

かなり熟練しない限り、上半身を不用意に動かせば落馬
駆足で急な方向転換しても落馬、なにしても落馬
古代や中世の医療技術では、訓練中に死亡したり不具になる訓練生はかなりの
数にのぼっただろう。

949 :世界@名無史さん:04/05/15 19:31
>>947
一〇世紀には、鐙がサラセンからヨーロッパに伝わっているはずだが?


950 :世界@名無史さん:04/05/15 19:32
>騎兵の質の底上げには貢献している

それは同意するが戦術や運用とは別次元だ

951 :世界@名無史さん:04/05/15 19:34
>>949
大嘘こいちゃいけない
西欧に鐙が導入されたのは7世紀末から8世紀初頭

952 :世界@名無史さん:04/05/15 19:37
>>951
それは地域によるはず
ウイリァム征服王のヘイスティングスの戦い(1066)年では、ノルマン騎兵は鐙無しで戦った


953 :世界@名無史さん:04/05/15 19:39
>>950
動員数や訓練期間の短縮により
安価に騎兵適格者が育成でき、騎兵に頼る割合が上昇する
これは当然戦術や運用に関係するわけだが。

954 :世界@名無史さん:04/05/15 19:39
鐙無しの不安定な態勢で騎射しても高い命中精度を誇る奴がいたら、お目にかかりたいものだな。

955 :世界@名無史さん:04/05/15 19:42
>それは地域によるはず
>ウイリァム征服王のヘイスティングスの戦い(1066)年では、ノルマン騎兵は鐙無しで戦った

当時のタペストリーでは鐙が描かれているが?

956 :世界@名無史さん:04/05/15 19:42
>>954
熟練者が停止して射撃するのならば、命中率は変わらないと思われ
鞍の形状にもよるが。

鐙無しでも、内股の筋肉が発達している騎乗熟練者は
かなり安定した姿勢を取れる。
これは騎馬に乗る年数次第だが。

957 :世界@名無史さん:04/05/15 19:44
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/bayeux17.html

>>955
鐙有りと無しがあるね

958 :世界@名無史さん:04/05/15 19:44
>動員数や訓練期間の短縮により
>安価に騎兵適格者が育成でき、騎兵に頼る割合が上昇する

鐙の導入前からフランク王国軍の騎兵の比率は上昇傾向にあった
鐙は比率上昇の決定的要因とはなりえない

959 :世界@名無史さん:04/05/15 19:47
>>958
騎兵の要求が高ければ、鐙とは関係なく比率が上昇するだろう

>鐙は比率上昇の決定的要因とはなりえない
あたりまえ

960 :世界@名無史さん:04/05/15 19:49
>>954みたいなのがいるからもう一度言っておくが、
鐙は騎乗者の安定性を向上させ、素早い動きを可能にした
訓練期間短縮等の効用もあっただろう
ただし、戦術や運用を変化させるほどの発明品ではない

961 :世界@名無史さん:04/05/15 19:51
>>959
だから自分はごく当たり前のことを言ってるだけなのだが(苦笑

962 :世界@名無史さん:04/05/15 19:51
>>956
鐙有りだと騎兵熟練者でなくても安定した態勢を取れるだろ?
単純に考えて、鐙無しより鐙有りの方が「優位な条件」に立てることは間違いないと思うんだが。

963 :世界@名無史さん:04/05/15 19:52
個々の兵士の装備の優劣による「優位な条件」と戦術運用は別次元だぞ


964 :世界@名無史さん:04/05/15 19:55
そもそも「鐙は戦術運用に変化を齎さない派」が定義する「戦術運用」ってのは何だ?

965 :世界@名無史さん:04/05/15 20:15
それでは簡単な思考実験

片方は鐙無しの1000騎
片方は鐙有りの1000騎
装備は、火器以外の何でも良いとする。
乗馬戦闘の訓練期間は1年、兵の素質も同じとする。

どっちを選ぶ?
俺なら鐙有りだな

966 :世界@名無史さん:04/05/15 21:17
>>964
私もそれが聞いてみたい。
行軍距離が伸びると言う一点だけでも充分に運用が変化したと言えると思うのだが。

967 :世界@名無史さん:04/05/15 21:52
>「戦術運用」ってのは何だ?

騎兵戦術の基本は機動打撃による敵軍の撃破
運用は戦場においては歩兵隊列の展開支援、側背掩護、攻撃促進
で、何度も聞いてるんだが、鐙のおかげで具体的のどう変化したんだ?

>それでは簡単な思考実験

どこが戦術や運用の比較になってるんだ?

>行軍距離が伸びる

騎兵が鐙を導入しても歩兵や荷車の行軍距離は伸びない
従って、騎兵が鐙を装備するようになっても部隊の行軍距離は
ほとんど左右しない

968 :世界@名無史さん:04/05/15 22:03
>>967
戦闘能力や行軍能力は、運用見積もりに大きな影響を与えるぞ?
打撃力の強化は、突破戦力の見積もり
行軍力は集結地〜攻撃開始線の距離の増大、その他諸々

969 :世界@名無史さん:04/05/15 22:12
>打撃力の強化は、突破戦力の見積もり

それは単なる性能向上を意味しているに過ぎない
戦術や運用は変化しない
戦闘力と戦術を混同しているようだな

>行軍力は集結地〜攻撃開始線の距離の増大

何度も言うが騎兵が鐙を装備したとしても部隊の行軍距離はほとんど伸びない
そもそもどれくらい行軍距離は伸びると思ってるんだ?

970 :世界@名無史さん:04/05/15 22:19
>>969
騎兵は戦闘前哨や前衛スクリーンを張る
部隊の行軍力とは、別物なんだな
つまり、主力部隊を援護する前衛騎兵網の援護範囲が鐙により増大する
荷車を含む段列とは全く別の話。

>それは単なる性能向上を意味しているに過ぎない
>戦術や運用は変化しない
>戦闘力と戦術を混同しているようだな

お話にならないな、兵科の戦闘力が変化した場合
指揮官が戦術で取り得る選択肢も増大する。

たとえば、旧軍の97式中戦車の火力は、アメリカ戦車に対して
正面からの攻撃を不可能としたほど無力だった。
そのため、ダックインしての伏撃、それも後方・側面からしか選択肢はなかった

それが正面から撃破できる火力を持っていたらどうだ?
正攻法の攻撃、逆襲、遠距離からの狙撃
いくらでも選択肢は増大する。
これは戦術運用の変化ではないのかな?


971 :世界@名無史さん:04/05/15 22:26
>騎兵は戦闘前哨や前衛スクリーンを張る
>部隊の行軍力とは、別物なんだな
>つまり、主力部隊を援護する前衛騎兵網の援護範囲が鐙により増大する

行動範囲が広くなっただけでやることは全然変わってないのだが
そもそも鐙で騎兵の行動範囲が拡大したと言うなら、どれくらい拡大したんだ?

>お話にならないな、兵科の戦闘力が変化した場合
>指揮官が戦術で取り得る選択肢も増大する。

だから、具体的にどういう選択肢が増えたか具体的に言ってもらわないと
こちらもお話にならないんだが(苦笑
戦車のお話なんかどうでもいいからw

972 :世界@名無史さん:04/05/15 22:29
>>971
>行動範囲が広くなっただけでやることは全然変わってないのだが
>そもそも鐙で騎兵の行動範囲が拡大したと言うなら、どれくらい拡大したんだ?

つまり戦術運用が変化するってことには同意するんだな

973 :世界@名無史さん:04/05/15 22:30
そもそも戦闘前哨とか前衛スクリーンとかいうが、
主力との離隔距離を決めるのは騎兵の行軍距離の長短よりも
むしろ地形や敵情、指揮連絡の容易性のほうが大きい
鐙による利点は認めるが、それが戦術や運用を変化させたとは到底言い難い

974 :世界@名無史さん:04/05/15 22:32
>>972
ワラタ
揚げ足取りに必死だな


975 :世界@名無史さん:04/05/15 22:33
そうそう、忘れてた
同意しないよ、為念

976 :世界@名無史さん:04/05/15 22:36
それより具体的にどれくらい行軍距離が伸びたかさっさと教えてくれ
500倍くらい伸びるのならこっちも見解を改める用意があるぞ

977 :世界@名無史さん:04/05/15 22:38
なるほど、他人に何かを理解させることって不可能なんだね。

978 :世界@名無史さん:04/05/15 22:42
兵器厨は兵器さえ新しくなれば全て変わると信じてるからね。

979 :世界@名無史さん:04/05/15 22:43
どうせ乗馬したこと無い人にはわかんないよ>あぶみ

980 :世界@名無史さん:04/05/15 22:49
ところでさっさと>>971の質問に答えてくれないかな?

981 :世界@名無史さん:04/05/15 23:10
やっぱり鐙がないと脚が疲れるでしょ。
無理して乗ってると、騎手生命も短くなりそう。

982 :世界@名無史さん:04/05/15 23:21
鐙無いと鬱血しやすいよ。

983 :世界@名無史さん:04/05/15 23:21
>>938の>ペルシア・マケドニア・ローマ・古代中国等
どれも歩兵主体の軍隊じゃね。

基幹兵科の一部を担う騎兵はいるが、騎兵は歩兵の移動量に合わせる必要あるので
行軍速度は古代から近代まで変わらないよ。
初期のモンゴル軍みたいに100%騎兵で構成するなら驚異的な移動は可能だが、
そこまで人材を揃えられる国は滅多にない。
騎兵の主力武器は馬体の重量に任せて歩兵を蹴散らすこと。騎射できるのは少数の
精鋭だけ。ほとんどの馬は大したことない騒音に驚いて逃げ出すほど臆病。
前線に出て戦えるほどの絶対数が足りないからどうしても兵力の主体になりえない。
けっきょく鐙があろうとなかろうと、戦術運用の革命には至らない。
騎兵に幻想を抱くと戦場でものすごく幻滅するのがオチかと。

984 :世界@名無史さん:04/05/15 23:24
>>983
戦略機動と、戦場機動を混同しているだろ。
軍事板の装輪車両厨に似たようなのがいたな。

985 :世界@名無史さん:04/05/15 23:30
戦略機動は、歩兵の速度に合わせる限り
補給倉庫や海上輸送などの手段を使わない限りあまり変わらない。

しかし、騎兵の戦場機動は鐙の有り無しで結構変わってくるんじゃないかな
これは疲労度の問題なので、個人能力にもよるし
数字で定量化することは無理だと思うが。

戦場での疲労度は、数字化することは無理だが
士気などと同様、戦場での勝敗を左右することは当然の常識だと思われる。

986 :世界@名無史さん:04/05/15 23:35
とりあえず、戦術に変化を与えていない派は、どういうものなら戦術に変化があったことになるのか例をあげてみてくれよ。

987 :世界@名無史さん:04/05/15 23:38
>>986
http://www31.ocn.ne.jp/~tactic/4.html


988 :世界@名無史さん:04/05/15 23:45
戦場での機動距離ならば鐙があろうとなかろうとたいして変わらないのでは

989 :世界@名無史さん:04/05/15 23:45
>>986
言ってることが無茶苦茶だなw
自分が何を言ってるのか理解してる?

990 :世界@名無史さん:04/05/15 23:46
>>988
>>965

991 :世界@名無史さん:04/05/15 23:47
「鐙があったほうが有利」と「鐙のせいで戦術が変わった」とは全く別
軍事板の兵器厨に似たようなのがいたな

992 :世界@名無史さん:04/05/15 23:49
>>990
>>965のトホホな思考実験で何がわかるの?

993 :世界@名無史さん:04/05/15 23:49
>>991
それじゃあ鐙無しで乗馬して槍を巻藁に突き刺してみろ
鐙無しで反動を受けたら後方に落馬するぞ。

994 :世界@名無史さん:04/05/15 23:50
>>992
君の無能

995 :世界@名無史さん:04/05/15 23:50
>>993
ランスチャージする騎兵の登場は鐙よりもずっと後になってから

996 :世界@名無史さん:04/05/15 23:52
>>989
日本語の理解能力に欠けているようなのでもっとわかりやすく書き直してあげよう。

そもそもこの議論は、「戦術の変化とは何か」という認識の一致からはじめなければ意味がない。
だから「鐙の登場は騎兵の戦術に変化を与えていない」と主張する人は、たとえば
「航空機の登場はこれこれという変化を与えた。これは戦術の変化に相当する」とか
「内燃機関の発明はこれこれという変化をもたらした。これは戦術を変化させたといえる」とか
例をあげてみろと言ってるの。

997 :世界@名無史さん:04/05/15 23:52
>>995
後なら問題ないじゃん
それまで鐙装備でランスチャージしなかっただけだろ?

それがなにか

998 :世界@名無史さん:04/05/15 23:52
>>996
騎兵がランスチャージできるようになった。

999 :世界@名無史さん:04/05/15 23:52
ところで>>965の思考実験wにどんな意味があるんだ?
兵器厨の妄想実験だろ?

1000 :世界@名無史さん:04/05/15 23:53
>>999
レッテル貼りか?
敗北宣言だな

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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