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   民明書房に学ぶ、世界史の虚像と実像   

1 :世界@名無史さん:04/04/16 11:14
『新素麗(しんすれい)』

一般的に2chのスレは1000レスを越えれば書き込むことが不可能になるが
それをさらに続けることができる方法がある。
新しく続きのスレとしてスレを立てるのである。
しかし新スレを立てることは困難で、幾十もの2chのセキュリティーチェックを
突破しなければならなく、新スレを立てられずに脱落し大怪我をする者も大勢いる。
ちなみに新スレの名前の由来は初めて新スレを立てた人、新素麗(しんすれい)から
来ていることは有名である。

(民明書房刊「2ちゃんねる−そのシステムの神秘−」より)


2 :世界@名無史さん:04/04/16 11:17
お約束だが…

『煮解賭 ( にげと ) 』

明朝末期、中國北東部の男達の間で、素麗建(すれたて)なる遊びが流行っていた。
先端に旗をくくりつけた棒を地面に立て、合図と共に棒に駆け寄りに旗を奪い合
うという、己の機敏さを誇示する遊びであった。
やがてこの遊びに飽きた者達が、毒草を煮込んだ煮汁を飲み、その解毒剤を旗代
わりにして奪い合うという遊びに発展させた。
命を落とす者が続出したが、戦いに勝利したものは英雄として賞賛され、朝廷に
仕える者を輩出するほどであった。
この毒草の煮汁の解毒剤を賭けた闘いは「煮解賭」と呼ばれ、時代を左右する勝
負の場でも競われてきた。
己の肉体を誇示する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「2ゲット」と形を変えて、現代人が機敏さを争っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )


3 :世界@名無史さん:04/04/16 11:18
『酸下吐(さんげと)』

「煮解賭(にげと)」により、毒にやられて命を落とす者が続出したのは前述の通りだが、
全国的に流行するにつれて、これは深刻な問題となっていった。
そこで、時の皇帝である崇禎帝は、新しい規範を作り出した。
煮解賭に失敗した人間でも、その毒素を完全に吐き出すことができれば
煮解賭の勝利者に準ずる豪傑という評価を与えるというものである。
肉体を酷使して、大量の胃酸とともに吐き出すことから
庶民の間で、酸下吐(さんげと)と呼ばれるようになった。
酸下吐の登場により、煮解賭に参加できない文民の中には、
これを専門とする者も現れ始めた。
彼らの策謀能力を、朝廷が重宝したことは言うまでもない。
己の戦略を進言する機会の少なくなった現代社会においては、インターネットで
の「3ゲット」と形を変えて、現代人が狡猾さを競っているのである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )



以下はよろぴこ

4 :世界@名無史さん:04/04/16 11:25
『かけそば』

我々が親しんでいる「かけそば」は、古代中国の修行者達が座して食べる暇を惜しみ
器をもって「駆け」ながら食べたそばがその名の由来である。

民明書房刊『あなたにも出来る!中国拳法修行百科』


5 :世界@名無史さん:04/04/16 11:30
『スパイダー(蜘蛛)の語源』

天釐蜘巣(てんりんちそう)…
中国拳法には猛獣・昆虫・爬虫類などを飼育・教育して独特の技として完成させたものが多々あるが
この奥義もそのひとつである。
ちなみに 英語で蜘蛛のことを「SPIDER」(スパイダー)というが
これは、この奥義を極めんと蜘蛛の調教に挑んだ西洋の武道家達がことごとく
失敗に終わり その時発した言葉「失敗だ〜」が「スッパイダ〜」→「スパイダー」
と変化したものでないのはいうまでもない。

民明書房刊「日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談」


6 :世界@名無史さん:04/04/19 11:21
『藁(わら)』

明朝末期、中国四川省の南部にて、姦通の罪を犯した男女への、特殊な陵遅刑があった。
藁の束を姦夫姦婦の尻にくくりつけ、火をつけて狂い飛び回る姿を衆人に公開すると
いう過酷な処刑なものである。
この刑を受ける者の悲惨だが滑稽なさまに、衆人みなその姿を指さしてあざ笑った。
あげく、処刑方法をより滑稽なものにしようと工夫するものが現れ、藁束を、罪人
アベックの片足をくくりつけ、二人三脚…あたかもアルファベットのWの形にして、
罪人の男女をつなげてみたり、あるいは、それぞれの頭にカツラのように藁束をか
ぶせて火をつけ、頭髪をことごとく焼いて「禿藁」などとあざ笑ったりした。

もとより現在の中国では、そのような刑罰は完全に禁止されている。しかし今なお
インターネットの世界では愚かな相手をあざ笑う際に「藁」の一字を語尾に付けて
おり、その名残が現代社会に残っているのがうかがえる。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )



7 :世界@名無史さん:04/04/28 11:06
『費奇蝙蝠(ひきこもり)』


宋朝初期、費奇(ひき)という禅宗の修行僧が、悟りを開くべく洞窟のなかに
篭っていた。かれは単なる座禅では苦行にならぬとばかり、わざわざ逆さづり
の格好で天井からぶらさがっていた。しかも逆さづりのかたちで固定してくれ
た協力者には「修行の邪魔をしないよう、自分を吊ったらただちに洞窟を去れ。
自分は決して泣き言はいわぬ」と大見得を切ったが、そんな苦しい格好では、
悟りなど開くどころではないのは理の当然で、あえなく他界してしまった。

死ぬ直前になって悶絶し、固まった血液がたまって黒ずんだ手を、怪鳥のように
じたばたと広げた、「翼を広げた蝙蝠のような費奇の姿のおぞましさが有名にな
り、人々は悟りも開けぬ癖に洞窟にこもろうとする不信心な惰弱坊主を嘲るとき、
「費奇蝙蝠」と呼ぶようになった。

いまでは宗教的な修行にまつわる費奇蝙蝠はいなくなったが、飽食とサブカルチャー
全盛時代の日本国の若者が、それにはあき足らずに自己鍛錬のためにあえて生ゴミの
あふれる室内でアニメとゲームだけを相手に己を見据えるメンタルトレーニングを
おこなってしばしば社会不適応性に陥る結果をみているのは、まさに現代版の費奇
蝙蝠ということから、「引きこもり」という言葉が発生している。ヒッキ-なる略語
が費奇をおしゃれにカタカナで洋風に読んでみせたものでることは、中国の児童心理学者
にとって常識であり、とうぜん中国の言語学者の発見によるものである。

( 民明書房刊 「DNAに刻まれた中國 現代人の行動のルーツを探る」 より )

8 :世界@名無史さん:04/05/10 07:59
濃安岳和我血 (ノアだけはガチ)

古代中国に存在した封建民族「斬日凡」が民族内闘争により分裂した。
その後、民族の一部が濃安岳(現在の三澤山)へ移住したときに
その緑の映える木々の美しさに感動し
「濃安岳和我血(濃安岳は争いで怒りくるった我が血を和ませてくれる、の意)」
と叫んだという。その後、争いにより焼け爛れ禿山となった
武道山に残った残りの「斬日凡」民族が濃安岳の緑の木々を羨み何度も攻撃を仕掛けたり、
「異乃騎薪日凡」民族が濃安岳を侵略しようとしてきた。
そのたびに「濃安岳和我血」と叫びながら闘い、他民族を撃破したことにより
他民族の攻撃は次第になくなっていったといわれている。
また濃安岳の民族は鎖国的だとも言われていたが、他民族の太香弥真や猪宇埜らとも交流を
もち、発展に至った。

民明書房刊『濃安岳の歴史〜緑を守れ』より


9 :世界@名無史さん:04/05/11 12:48
>>8
禿山ワロタ

10 :世界@名無史さん:04/05/11 14:36
『濡流報(ぬるぽ)』

殷の時代、中国では、しばしば日照りが発生し、 そのたびに人々は甲骨を用いた占いで天候の行方を占ったといわれている。
この占いの結果、出された雨の知らせが、濡流報であった。
濡流報は、日照りで苦しむ農民達に歓迎され、農民達は、祝福の意味を込めて、「賀(が)」と言って、濡流報を伝える者をもてはやしたという。
「濡流報」「賀」のやり取りは、初めは言葉だけのやり取りであったが、やがて杖や棒を用いて、相手の頭をなでる行為が加わり慣習化した。後の三国時代には、連弩の技術を応用した自動式の賀装置も作られている。

なお、現代の「ぬるぽ」「ガッ」のやり取りは、いうまでもなく、濡流報が元になっており、棒のようなもので相手を殴るという、一見粗暴な行為に変化しつつも、祝福と感謝、五穀豊穣の願いが込められていることを我々は忘れてはならないだろう。

民明書房刊『知られざる甲骨文字発祥の歴史』より

11 :世界@名無史さん:04/05/15 19:23
治幕帝賂(じばくてろ)

古代中国において、帝の権力は絶対のものであった。
秦の始皇帝の例を見る限りでもそれは明らかであろう。
それ故、帝へ如何に取り入るかというのが当時の官職についていた者達の最大の関心事であった。

隋の時代、宮内の二大派閥であった至阿派(しあは)と寸爾派(すんには)の間では、権力闘争が激化していた。
互いに帝に取り入るために金銀、調度品、時には女性を帝にあてがう事で帝の威光を得ようとしていたが、
煬帝(604年-618年在位)が即位して間もなく、寸爾派の高官であり、強硬派であった瓶羅傳(びんらでん)は
「帝賂即治幕(帝に献上するものは政治を治めるものでなくてはならない)」
とし、王朝に仇なす者を葬り去ることが煬帝への至上の献上品であるとした。

当時隋朝を脅かす一団に、雄獲枢家(ゆうえすえ)なる武力集団がおり、瓶羅傳はその討伐に努めていた。
しかし、奇術「烈火有嵐(れっかうらん)」を用いた戦術に手をこまねいていた瓶羅傳は、とある決断をする。
それは間者を放ち、当時最新兵器であった火薬を用い、雄獲枢家を内部から崩壊させようとするものであった。
だが、この戦略には危険が伴い、命を落とす間者も少なくなかった。
しかし、この戦略で命を落とした間者は、「英雄」として奉られたという。
この故事から転じ、自らの国、信条のために命を落とすことも厭わないことを「治幕帝賂(じばくてろ)」と呼ぶようになった。

なお、「自爆テロ」がこの「治幕帝賂(じばくてろ)」に由来している事は賢明な読者にはもうお分かりだろうが、
一転して無差別に罪の無い一般の方まで犠牲になっているということには怒りを禁じえない。

民明書房刊 『歪められた美徳』より


12 :世界@名無史さん:04/05/15 19:46
みんなうまいね
面白いよ

13 :世界@名無史さん:04/05/15 20:17
覇州留(はっする)

古代中国、清王朝時代。当時の皇帝は乱れていた国政を1つにまとめ上げようと政策を打ち立てた。
もちろん広い国土の清であったのでまとめる事は困難を極めた。そこで当時の国防長であった
御賀倭(オ・ガワ)が仕切り、州全体を1つに留め、世界を制するとの意味から覇州留と名づけられた。
他国にも覇州留を広めようとした御賀倭は、両手をグーの形にして腰に当て、「覇州留!覇州留!」と叫び
PRした。そして見事に成功し、1つになり、他国にも真似をするところも出てきた。
我が日本にも広まり、挙仁藩の長でもある基世胎(きよはら)も真似をするまでに浸透した。

民明書房刊『中国の政策〜覇州留』より


14 :世界@名無史さん:04/05/15 22:36
慢努癖(まんどくせ)

かの孔子が、人間が憎むべきものとして呈示したのが、この慢努癖である。
慢努癖とは、「努力するのを怠る癖」という意味で、孔子はこれを、学問をする者が一番してはならぬ事と位置付け、弟子達を戒めた。
荀子は更にこれを発展させ、「慢努癖というものが人間にある以上、それを規制する法律が必要なのは明らかである」と、自説の正当性を訴える材料としている。
一方、無為自然の立場に立つ老子は、孔子の説を批判し、「慢努癖こそが、人間が生来持っているものなのだ。それを無理に矯正する事は本来すべき事ではない」とした。
やがて時代は流れると、乱世になる度に、領民達は年貢を渋り、「慢努癖」と連呼したという。この時、慢努癖とは、単純に努力云々ではなく、物事全てに於いて実行を渋る意味を持つ様になった。
それは現代にも「マンドクセ」または('A`)マンドクセという形で、インターネット上に受け継がれている。



15 :14:04/05/15 22:39
忘れていた。
民明書房『民俗で見る中国史』

16 :世界@名無史さん:04/05/16 13:39
癒喜子(ユキコ)

古代中国には華余(カヨ)という女性がいた。華余はたいへんに可愛らしい女性であり、
「星短情(スターたんじょう)」(日本でいう俳句大会)で優勝するや、みるみる内に中国本土に
容姿、知性ある女性という事が知れ渡り男性はしかり女性の憧れの的となった。
皇帝は華余を見るや心が癒され嬉しくなる女性との意味から癒喜子の名を授けた。
美人であった為、プロポーズの言葉も多数受けた。うらやましい限りではあるが、
癒喜子は本命の男性と一途に恋をしたいとの気持ちが強く、多数の人からのプロポーズは本意ではなかった。
現に本命の男性からはもてすぎる為に高嶺の花だと思われ両思いになる事はできなかった。
それが原因で癒喜子は傷心してしまい、自ら命を絶ってしまったのである。
それにより多数の人がショックを受け続けて命を絶ち、混乱を招いた。
混乱を抑えるために皇帝は、癒喜子の話をした者に処罰を科した。そして癒喜子は封印された。

現在世界3大美女と呼ばれている1人に中国の楊貴妃がいるが、癒喜子が命を絶たなければ楊貴妃ではなく、
癒喜子になっていたかもしれない。

 民明書房刊「中国の美女〜悲劇のヒロイン」より


17 :世界@名無史さん:04/05/19 14:16
『象怒(ぞぬ)』・前編

かの蜀漢の軍師孔明が、南蛮征服戦争の戦死者をとむらうため、まんじゅうこと
肉入りの中華パン(饅頭)を創始した人物であることは、世に広く知られている
史実である。
ところがこの饅頭を食した一部の兵卒のあいだで、奇妙なうわさが立った。
「饅頭の食材には、蜀軍が倒した木鹿大王の呪いを封印するため、
大王が手足のごとく使っていた珍獣の肉が使われていたというのである。

ご存知のとおり、南蛮の八納洞の主である木鹿大王(ぼくろくだいおう)は象に乗り、
虎や豹、毒蛇などの猛獣を操って孔明軍に挑戦した南蛮の猛者である。
その恐怖の記憶が、あるいはそういう噂を生んだのだろうか?

「たぶん、木鹿大王が乗っていた象の肉だと疑ったに違いない」
孔明は、そうあたりをつけた。あとは、口を濁す兵士たちを計略にかけて、
真実を確かめるだけである。
一計を案じたかれは、或る日の演習において、陣営にたまたま異国出身の司厨兵が
いることを知り、かれに特に命じて異国の伝統的肉料理を作らせた。

(後編につづく)

18 :世界@名無史さん:04/05/19 14:17
(『象怒』後編)

演習がすんで空腹になった兵士たちに異国料理をふるまった孔明は、兵士たちが
堪能したのを見計らい、「じつはおまえらが今食べたのは、象の肉なのじゃよ」と
偽った。それまで司厨兵の出自から「●●肉料理」だと思っていた兵士たち
は、いっせいに顔をみあわせた。だが、ちっとも狼狽した様子ではなかった。
当てが外れた孔明はすかさず「残念でした、じつは蛇肉だよ」とか「虎肉じゃ」
とか言ってみたが、だれもが平気な顔である。
最初の確信だった「象」が外れたあと、すべてのあてが外れた孔明は、ついには
怒り出し、「おまいら俺様を馬鹿にしてるのか!」と、ついかれらしくもなく、
突破的に数人の兵士を斬首して憂さ晴らししてしまった。

この孔明の人生最大の汚点となった事件から、「象怒」という言葉がうまれた。
はじめは賢者でもたまには愚行をおかすことがある、という意味だったが、やがて
「賢者をも疑心暗鬼に追いやる、珍獣という形をとった」根も葉もない噂、という
意味になった。
現在の、永楽帝が新大陸を発見したとする西欧人の学者には、このとき蜀漢の兵士
たちが恐れた珍獣というのはアフリカのヌーのことであり、「ヌーにゾッとする」
ということから「象怒」ではなく「ゾッ・ヌー」であると主張するものもいる。

なお当の「異国の司厨兵」が何を作ったのかは記録がない。一般には楽浪郡出身者で、
●●湯を作ったという説が有力である。

民明書房刊「孔明異聞」より

19 :世界@名無史さん:04/05/22 12:23
アフガン航空相撲

11世紀ゴール朝の頃、時の国王の命により
アフガニスタン各地より集められた武術、格闘技に精通した者を中心に
編成された近衛兵の間での力比べが起源と言われる。
最初は地面の上だけでの競技であったが、やがて高いところからの攻撃や
空中に飛び上がっての闘い等時を経る毎に技が高度化し
現在のアフガン航空相撲の形が完成した。
後の元による侵攻の際もアフガン航空相撲力士は圧倒的多数を誇る元軍の攻撃を
得意の航空技により簡単に粉砕したと伝えられる。
その際元軍が航空相撲を研究し、アフガンに対抗するためにモンゴル式相撲を
完成させたが、空中戦ができなかったため実戦に使用されなかったということは
あまりよく知られていない。

「民明書房刊 『フビライ怒りのモンゴル相撲』より」


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