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周王室・姫姓のその後・・・

1 :世界@名無史さん:04/04/28 21:58
現在の中国人の姓に「姫」という文字は全く見当たらないようですが
春秋戦国時代に大勢居たであろう周の国姓「姫」姓は、その後どうなったのですか?
秦漢以後、たえて見ないのはなぜですか?

虐殺されたのでなければ、憚って改姓でもしたのですか?
それも全員が?

2 :世界@名無史さん:04/04/28 21:59
2ゲトー

3 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/04/28 22:13
>>1
>秦漢以後、たえて見ないのはなぜですか?
いますよ。周子南君について調べてみて。

4 :世界@名無史さん:04/04/28 22:16
宮城谷昌光センセがこだわりそうなテーマですな。

5 :世界@名無史さん:04/04/28 22:19
秦の国姓「エイ」なんて、むちゃ難しい字だ。忘れたけど、商王室の
姓も、現代にはほとんど見られない姓だった気がする。

6 :世界@名無史さん:04/04/28 23:08
周さん魯さん鄭さん呉さん唐さん蔡さん燕さん衛さん

みんなもとは姫姓だろうな

7 :よろずこ:04/04/29 08:05
楚は、、、

かけない。
ビ姓だったかな。

8 :世界@名無史さん:04/04/29 08:44
8げっと

9 :世界@名無史さん:04/04/29 10:26
>>7
「ビ」姓、漢字はこうだよね。

 ―|||―
   |
 ――十――
   |
 ――十――
   |
   |     「羊+棒一本」で「羊が鳴き声を上げる」の意味からだそうな。

10 :世界@名無史さん:04/04/29 10:26
姓と氏の問題だよな。上代の姓のほうを称さなくなっちまった。
『三国志』によく出てくる公孫氏も姫姓だったと聞いたことあるんだが。

11 :世界@名無史さん:04/04/29 14:50
>>3
何それ?

12 :あやめ:04/04/29 18:10
>>10
「公孫氏」は文字どおり公の孫を呼ぶものですから、いろんな出自の公孫某がいる
わけです。
例の商鞅は衛の庶孫だったので衛国内にいた当時は公孫鞅と呼ばれていましたが、
秦に仕えた時点で秦の人からは出身国を冠して衛鞅と呼ばれることになりました。
彼は秦の改革で成果を挙げたので封邑として商という土地を貰ったことから商鞅と
呼ばれるようになったのです。
春秋時代の諸侯の宗族では公の子は「公子某」と名乗り、その子は「公孫某」と
名乗り、その子の代には祖父の字(あざな)から取って氏とするのが普通でした。

13 :世界@名無史さん:04/04/29 18:36
>>7
屈じゃなかったか?

14 :世界@名無史さん:04/04/29 20:05
NHKスペシャルで農民の「姫」さんが登場しているのを
見た記憶があります。たしかオルドスあたりで、村人の
多くが「姫」姓だったような。

15 :世界@名無史さん:04/04/29 20:29
元々周王室って殷の西の蛮族みたいなもんだったんだし遠い親戚とかなのかもね

16 :世界@名無史さん:04/04/29 21:13
>>15

当時の感覚から言って「中国人」だったかどうかは非常にあやしいですな。

17 :あやめ:04/04/29 22:43
「史記」の「周本紀」と「武帝本紀」や「漢書」の「武帝紀」によると漢の武帝が
泰山に封禅しようとした折に、河南で周の後裔を探索したところ、孽子(庶子)筋の
嘉という人物を発見しました。この血筋は衛君の一族らしく周王の嫡孫ではないと
思われます。そして衛が魏の附庸同然となってからは魏に仕え子南侯に封ぜられ、
嘉はその子孫と思われます。武帝は彼を子南君に封じ周の祭祀を奉じさせました。
彼の一族が周の「姓」の姫を氏として称するようになったのは、この元鼎四年から
始まったことです。「漢書」の「外戚恩澤侯表」には元封四年には姫置が子南君を
嗣ぎ、次いで昭帝の始元四年には姫當が嗣いだのですが、宣帝の地節三年には家丞を
殺したことから棄市の刑に処せられました。元康元年には當の弟で嘉の孫となる
姫延年が嗣ぎましたが、元帝の初元五年に周の承休侯に進封され位は諸侯王の次と
されました。承休は潁川郡に所在します。建昭三年には姫安が嗣ぎ成帝の陽朔二年に
姫世が嗣ぎました。永始二年には姫當が嗣ぎ綏和元年には進爵して承休公となり、
平帝の元始四年には鄭公に進みました。王莽の時代には章牟公に封ぜられました。
「漢書」の「王莽傳」には姫當を姫黨に章牟公を章平公に作っています。姫當は
既に出ていますので姫黨が正しいのでしょう。天鳳元年には姫常が嗣ぎ後漢の建武
二年には光武帝から元どおり周の承休侯に改封されます。同五年には姫武が嗣ぎ
同十三年には承休公に進爵します。これ以後の継襲は不明です。恐らく三國から
五胡の乱くらいまでには絶えてしまったのでしょう。

18 :世界@名無史さん:04/05/01 10:29
当時の姓というのはどの階層までもっていたのですか?
例えば諸侯クラスと庶民が同じ姓でも同族として
婚姻(この場合妾か)はタブーしされていたのでしょうか?

始皇帝の母親が趙姫っていうのは
趙国出身の娘くらいの意味ですよね,多分。
姓はなかったのかな。


19 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/05/01 10:57
>>17
その後の事ですが、後漢書光武帝紀と続漢書百官志によれば、
光武帝の建武13年2月に周承休公姫武が衛公に改められます。
(続漢書では名は常、漢書外戚恩沢侯表によれば武)
その後、衛公は晋の武帝泰始7年(晋書武帝紀)にも名が見え、おそらくその間は継続していたと思われます。
しかし晋書成帝紀、成康2年10月に成帝は衛公・山陽公が戦乱で絶えた事を述べて後継を探せと詔しているので、
あやめ氏の言うように西晋末の乱で一度は絶えたようです。

20 :世界@名無史さん:04/05/01 16:07
夏王朝や殷王朝の姓はなんですか?

21 :世界@名無史さん:04/05/01 16:24
檀君朝鮮(단군조선) BC2333-BC1122 桓姓(환성)解氏(해씨)
箕子朝鮮(기자조선) BC1122-BC194 子姓(자성)箕氏(기씨)
衞滿朝鮮(위만조선) BC194-BC108 姫姓(희성)衞氏(위씨)
樂浪郡(악랑군) BC108-313
新羅(신라) BC57-935 朴氏(박씨)→昔氏(석씨)→金氏(김씨)
高句麗(고구려)→高麗(고려) BC37-668 高氏(고씨)
百濟(백제) BC18-662 扶餘氏(부여씨)
渤海(발해) 698-926 大氏(대씨)
後百濟(후백제) 892-935 甄氏(견씨)
後高句麗(후고구려)→摩震(마진)→泰封(태봉) 894-918 金氏(김씨)
高麗(고려) 918-1392 王氏(왕씨)
朝鮮(조선) 1392-1897 李氏(이씨)
大韓帝國(대한제국) 1897-1910 李氏(이씨)


22 :世界@名無史さん:04/05/01 16:35
>20
殷は「子」氏。殷滅亡後も周朝のもとで宋として生き残り、その間「覇者」にもなった。
夏朝の諸侯として勃興し、夏朝滅亡後自らが天子となり、
天子の座を追われた後は再び諸侯として生き残り、子氏は1,000年以上繁栄したのか。

23 :世界@名無史さん:04/05/01 16:52
殷の「子」は、「氏」なの「姓」なの?

24 :世界@名無史さん:04/05/01 18:03
>23
姓だと思う。

25 :あやめ:04/05/01 21:19
怨霊さん有難うございました、「後漢書(+續漢書)」はこれから調べるつもりで、
書庫から持ってきてはいたんですが一手間省けました。

さて「晉書」ですが「劉聰載記」と「石勒載記」に姫澹という人物が出てきます。
また彼は「魏書」の「穆帝序紀」や「穆帝長子六脩傳」や「衛操傳」にも見えます。
ところが「晉書」でも「劉琨傳」では箕澹に作っていて、「資治通鑑」もこちらを
採用しています。しかし呉士鑑・劉承幹著の「晉書斠注」は敦煌石室本の「晉紀」も
姫澹に作っていると指摘していて、強ち箕澹が正しいとも決めかねるようです。
そこで姫澹の経歴ですが上記諸文献を綜合すると、晉の征北將軍の衛瓘(蜀が魏に
滅ぼされるところに出てきますね) の牙門將で代郡出身の衛操の同郷かつ同僚で、
拓跋氏の宗室の郷親であったそうで、どうも漢の承休公の縁戚ではなさそうです。
彼は衛操と共に代に帰国し拓跋猗他に仕え、勇績を著わして信義將軍を授けられ
樓煩侯に封ぜられました。

26 :あやめ:04/05/01 21:20
永嘉六年に晉の平北将軍・并州牧の劉琨は漢の劉聰を討とうとして逆に本拠の晉陽を
奪われてしまいます。劉琨は代公の猗盧に救援を要請し猗盧は子の六修と兄の子の
普根に將軍の衛雄・范班・姫澹を先鋒とし、自らも二十萬の衆を率いて晉陽に向かい
漢の中山王の劉曜を汾東と藍谷に破り、劉琨のために晉陽を奪還したうえ馬牛羊を
各千餘匹に車百乘を遣り、姫澹と段繁を留めて晉陽を戍もらせ帰国しました。
その数年後に代では六修が猗盧を弑し普根に誅される内乱が起こり、不安を感じた
姫澹は劉琨の子で代に人質となっていた劉遵を始めとし、晉人・烏丸三萬家と馬牛羊
十萬頭を率いて劉琨の下に投じました。琨は大いに喜び親しく平城に赴いてこれを
撫納しました。
建興四年に石勒から攻められた楽平を新附の晉人を率いて救援しようとした劉琨を、
姫澹は「この連中は長らく異域に暮らし明公の徳にまだ懐いていません、もう少し
時機を待ちましょう」と諫めましたが、琨は聴き入れず澹を先鋒として歩騎二萬を
率いて向かわせます。石勒は疑兵を山上に設け軽騎を出して迎撃し偽り敗走して
伏中に誘い込み、前後から姫澹を挟撃して大いにこれを破りました。劉琨は為す
術なく幽州に走り段匹テイ(石偏に單)に頼ります。姫澹は石勒の将の孔萇に追われ
桑乾で戦死しました。

27 :あやめ:04/05/01 21:26
>>23
子は「姓」です。序に言うと夏の「姓」は姒です。

28 :世界@名無史さん:04/05/01 21:36
>>13
「屈」は王族が封ぜられたできた家ですので氏ですね。

29 :あやめ:04/05/01 22:07
そうです。本家の楚王室は「姓」は羋ですが熊氏です。金文などでは酓氏と
なっています。

30 :世界@名無史さん:04/05/01 22:13
あやめまだ居たのか。

31 :あやめ:04/05/01 22:17
姫氏はこの後も時々著われます。明代くらいまでは史書に見かけます。

32 :世界@名無史さん:04/05/01 23:25
斉の場合は、「姜」が姓で、「呂」が氏ですか?

33 :あやめ:04/05/02 00:08
そのとおりです。但し実際に使用するシーンはなかったようです。
前すれにも書きましたが國君に対し天子が呼びかける場合は國名を名に
冠したもののようです。また齊の家臣が神様にお祈りする文句の中で
主君の靈公を「齊環」と呼んでいる例もあります。しかし呂某などと
名乗った事例は見当たりません。田齊や三晉の君主も自分の氏は当然
承知していたと思われますが、田某とか魏某とか呼称していたとする
記録は残っていません。
唯一の例外が楚で「史記」の「楚世家」を見れば判るように、熊麗を
始め歴代の君主が「熊某」と名乗っていたように記載されています。
金文でも酓章とか酓カン(干の下に心)とか書いています。酓は飲と
同じ字ですが恐らく熊と通仮して同音であったと考えられます。なぜ
楚だけがこのような風習だったのか不明です。

34 :世界@名無史さん:04/05/02 06:06
近現代はともかくとして、時代的には「姜子牙」よりも「呂尚」の方が正しい使い方なのでしょうか?>あやめ先生

35 :世界@名無史さん:04/05/02 07:49
田斉の姓って何?

36 :世界@名無史さん:04/05/02 07:51
漢以降の王朝には姓はないの?

37 :世界@名無史さん:04/05/02 08:52
>36
漢以降は氏素性の知れん香具師が王朝たててるからな。

38 :世界@名無史さん:04/05/02 12:04
田斉の祖は陳から亡命者だから[女爲]姓じゃないの

39 :あやめ:04/05/02 12:30
>>35
田齊の「姓」は嬀です。「史記」の「陳杞世家」と「田敬仲完世家」に
依ると、舜が堯の二女を娶って嬀汭というところに居たので嬀を「姓」と
定めたということです。周の武王が舜の後裔を探し出して陳に封じたのが
陳國の初代で、その子孫の詞の子の完は陳の内紛で身の危険を感じて
齊に逃亡したところ、重臣に取り立てられ以後も代々齊の政権中枢に在り
遂には齊を乗っ取ってしまったのです。陳完は齊に仕えるようになってから
田氏を称するようになりました。陳と田の音が近いからとか田という所に
采邑を貰ったからとか説明されてますが、どっちが正しいかは不明です。

40 :あやめ:04/05/02 14:23
>>34
太公望の名というのも結構やっかいな部分があります。「史記」の「齊太公世家」に
「索隱」に引かれた譙周の説では「姓は姜、名は牙、炎帝の裔にして伯夷の後なり、
四岳を掌りて功あり、之を呂に封ず、子孫は其の封に從て姓とす、尚は其の後なり」と
ありますが、「集解」は「文王は之を渭の濱に得て『吾が先君の太公は子を望むこと
久しかりし矣』と云へり、故に太公望と號す、蓋し牙は是れ字にして尚は是れ其の名なり、
後に武王は號して師尚父と爲せりし也 」とあって、一応は望は号で尚が名で牙が字と
理解できますが、普通は太公のような称号の次には名を付けるものだし、師尚父の尚は
「尊敬すべき」という形容詞で固有名詞というよりは尊称とも取れます。また尚父の父は
一般に字(あざな)の下に付けるものですので尚は字ではないかとも解釈できます。
概して春秋より前の人の名を呼称の性格によって切り分けるのには往々にして困難が伴う
場合があります。

41 :あやめ:04/05/02 15:01
>>36
戦国時代の紛乱で普通以下の家柄の人は正確な「姓」の伝承を失ってしまい、
また婚姻制度を支える家族集団の形態も頗る変化を来たしてしまいました。
諸侯や大夫などで春秋以前からの筋目を維持している家系以外は「姓」を
意識することは極めて稀だったでしょう。
漢の高祖は堯の後裔だと称していますので「姓」は祁です。そして晉の士會の
後裔とする系図がでっちあげられたようです。
当時の人の意識にあった劉氏は恐らく周の王家に仕えた重臣の家系であって、
「姓」は姫でした。
これ以後の王朝の始祖もきちんとした先祖からの伝承などなかったので、「姓」は
自家の家系に箔を付ける以上の意味はなくなってしまったのです。しかしどんな
時代にもルーツ探しの要望は絶えず偉い人との結び付きへの希求も尽きないもので、
後世の姓氏関係の書物には大抵「某氏は古代の聖帝誰それの子孫」と書いてあって、
「そうか、おいらは黄帝の子孫だったんだー!」と判るようになってます。

42 :あやめ:04/05/02 15:17
>>14 でオルドスのある村で村民が全て姫という苗字だったという報告は関心を
引かれます。代(山西省の最北部)の出身とされる姫澹の一族と関係があるかも。

43 :世界@名無史さん:04/05/02 16:04
始皇帝の秦には、「氏」はないの?

44 :あやめ:04/05/02 16:43
趙氏ということは「史記」の「秦始皇本紀」に明記されています。

45 :あやめ:04/05/02 16:45
たしか「淮南子」にも「趙政」とあったように記憶します。

46 :あやめ:04/05/02 16:58
「淮南子」に「人間訓」に「秦王趙政は天下を兼呑して而かも亡ぶ」
「泰族訓」には「趙政は晝は獄を決して夜は書を理む」とあります。
漢初には始皇帝が趙という苗字だったことは常識だったみたいです。

47 :世界@名無史さん:04/05/02 17:44
>>29
「び」って出るんだ!

48 :世界@名無史さん:04/05/02 19:09
>>44-46
有り難う。
ついでに「夏」「殷(商)」「周」や春秋戦国の諸侯の姓と氏もできる限り教えて下さい。


49 :世界@名無史さん:04/05/03 00:28
>>41
春秋時代から婚姻規制は崩れていたけどね。特に晋の公室は酷い。

50 :世界@名無史さん:04/05/03 01:16
怨霊発見!駆逐します!

51 :世界@名無史さん:04/05/03 15:38
>>50
ここはお前の来るところではない。
三戦板へカエレ!

52 :世界@名無史さん:04/05/03 19:53
>>21
>檀君朝鮮(단군조선) BC2333-BC1122 桓姓(환성)解氏(해씨)
>箕子朝鮮(기자조선) BC1122-BC194 子姓(자성)箕氏(기씨)
>衞滿朝鮮(위만조선) BC194-BC108 姫姓(희성)衞氏(위씨)

この辺の姓って本当なの?
なんか中国の殷周なんかと同じみたいだけど。

53 :世界@名無史さん:04/05/03 20:39
衛満は中国人だから本当でしょうが…

54 :世界@名無史さん:04/05/03 20:51
そういえば、朝鮮半島の「姜」って苗字は
どういう素性の連中?山東からの流れ者?

55 :世界@名無史さん:04/05/03 21:46
怨霊の臭いがするぞ

56 :世界@名無史さん:04/05/04 00:00
>>53
でもなんで姫姓なの?

57 :あやめ:04/05/04 00:11
衞滿は苗字から考えて衞國の公族の後裔であろう、そして衞國の先祖は
周の武王の周の武王の同母少弟だから当然に「姓」は姫であろう、という
推定からでしょう。

58 :あやめ:04/05/04 00:14
「周の武王の」がだぶっちゃった、何でだろう

59 :世界@名無史さん:04/05/04 02:41
鶴の恩返し

60 :世界@名無史さん:04/05/04 20:32
じゃあ仮に実在したとして、箕子が子姓なのは根拠あるの?

61 :あやめ:04/05/04 21:11
箕子が殷の紂王の親戚で周の武王によって朝鮮に封ぜられたことは「史記」の
「宋微子世家」に出ています。殷の王族だから「姓」は子なんです。

62 :世界@名無史さん:04/05/04 21:19
殷の姓が「子」だというのは古伝に「子○」と
いう人物が多いことから出た憶測説。
実はこの「子」は王族であることを表わす称号。

・・・という説があったと思うが、如何?


63 :あやめ:04/05/04 23:21
殷の「姓」が子というのは従来の古典解釈による説です。近来の甲骨文研究の
成果から殷の貴族は王子の子孫たちから構成される「多子」族が中核をなし、
彼等は「子某」と称されていたことから、殷は子姓と認識されるようになったと
思われます。

64 :よろずこ:04/05/05 02:10
>>63
白川静説

65 :世界@名無史さん:04/05/05 03:26
陳勝は単に、「陳の人間」というほどの意味だったと思われ

66 :世界@名無史さん:04/05/05 14:11
「王」姓の人間は、どっかの王族末裔ということですか?

67 :世界@名無史さん:04/05/05 18:32
相互リンク
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1081319977/


68 :あやめ:04/05/05 23:19
王氏はいろんな系統があってある本には数十の源緒があるとか書いてありました。
家柄がやかましかった六朝の時代に陽夏の謝氏と並んで第一級の名家と称された
瑯琊の王氏は、周の靈王の子の子晉が父から廃されて庶人となり山東に移住した
後に、土地の人民から周王の家族であるということから王家と尊崇されたので、
王を氏としたということです。周王の血統ですから「姓」は姫というわけです。
夏・殷・周・秦・漢と先祖調べをしてきましたので漢を奪った新の王氏についても
述べておきましょう。「漢書」の「元后傳」と「王莽傳」によると王莽は黄帝の
後裔と称していたようです。黄帝の「姓」は姚で八世の子孫が舜ということです。
舜の「姓」が嬀であることは前のレスに既に書きました。そしてその後裔が周で
陳公となり更に田齊の王となった経緯は>>39を参照してください。田齊は王建の
代に秦に滅ぼされてしまいました。建の孫の安は項羽から濟北王に封ぜられ
漢の世になって国を失ったのですが、齊の人たちから「王家」と呼ばれたので
王氏を称することにしました。安の孫の遂の子の賀は魏郡の元城に移住します。
賀の子の禁は法律を学んで廷尉の史つまり裁判所書記官となりました。宣帝の
本始三年に禁は政君という娘を儲けました。彼女こそ元帝の皇后となり元城の
王氏一門に栄華を齎した元后その人です。王莽はこの元后の弟の曼の子という
わけなのです。

69 :あやめ:04/05/05 23:54
王莽は即位すると姚・嬀・陳・田・王の五氏は同族であるから宗室であるとし、自分の
出自の元城の王氏とは相互に嫁つぎも娶とりもしてはならないと命じました。但し
王氏であっても元城を本貫としない者は除外されます。また陳崇という人物を封じ
統睦侯として春秋の陳國を継がせ、田豐を世睦侯に封じ田齊を継がせています。

70 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/05/05 23:58
王莽の妻は王氏なんですよね・・・
>王氏であっても元城を本貫としない者は除外
これに該当していることになっていたのでしょうけど。

71 :世界@名無史さん:04/05/06 00:35
貴族姓は唐滅亡⇒宋の頃、ほぼ消滅して中国は完全科挙社会に?
よって、その頃「姓」は完全消滅?

72 :世界@名無史さん:04/05/06 00:36
貴族制は唐滅亡⇒宋の頃、ほぼ消滅して中国は完全科挙社会に?
よって、その頃「姓」は完全消滅?

73 :あやめ:04/05/06 09:50
「姓」は漢代で完全消滅といってよいでしょう。「氏」と混同して溶解して終ったのです。
「氏」に寄生して保存されたと言うべきかもしれません。

74 :世界@名無史さん:04/05/06 14:52
日本と中国の、古代における「姓」「氏」の異同はいかなるものでしょうか?

中国の「姓」は氏族もしくは部族の名称。
「氏」はそのサブグループ(領地、官職名などを自称)。?

日本の「姓」は朝廷から地位を認められた豪族に与えられた称号。
「氏」は氏族の名称。
「苗字」は、「氏」のサブグループ(領地、官職名などを自称)。?

ということでしょうか?

75 :世界@名無史さん:04/05/06 14:55
高貴な女性のことを「姫」という漢字で表すのは、
もともと周王室の公主を指していてためですか?

「周囲」「周辺」という言葉は、
周が天下であったためですか?

76 :世界@名無史さん:04/05/06 15:53
耶律という姓の中国人は残っていないの?

77 :あやめ:04/05/06 17:34
>>74
大雑把に言えばそんなとこですが、歴史的な形成過程から説かないと誤解を
生ずる惧れもありますので、もう少しあとに纏めて書きます。
>>75
前段はそう解してよいでしょう。
後段は逆でしょう。たしか宮崎さんの書かれたものに周の国号について論じた
ものがあったと記憶します。見つかったら報告します。
>>76
いるかもしれませんよ。「趙銭孫李」(上海古籍出版社刊)という漢民族の姓氏
文化について書いた本の著者は何と完顔紹元という金王室の後裔かと思われる
名の人でした。もちろん現代人です。

78 :世界@名無史さん:04/05/06 17:39
二文字姓は必ず非漢民族末裔

79 :世界@名無史さん:04/05/06 17:48
安は全員、安息国=パルティアから来た人間の末裔。
馬はマホメットで、全員、渡来したイスラム教徒の末裔。


80 :世界@名無史さん:04/05/06 17:51
元を滅ぼした明が、
胡語、胡服、胡姓、胡人同士の婚姻(漢族との婚姻を強制)を禁じたらしい・・・

81 :あやめ:04/05/06 18:27
>>78
とも限りません。古代には複姓が多く見られます。
>>79
全員ということはないでしょう。

82 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/05/06 19:02
前漢に既に馬姓はいますよ。

学生時代に留学生に「淳于」姓の人がいたのを見て少しうれしかった。

83 :世界@名無史さん:04/05/06 19:11
中国の古代国家の「韓」と、朝鮮半島の国家・民族を表す「韓」とは、何かの関係が有るのですか?

84 :世界@名無史さん:04/05/06 19:15
古代中国では、
「士」(=古代都市国家ギリシャ・ローマでいう「市民」に当たる)
でない一般民衆には姓が無かったのですか?

85 :世界@名無史さん:04/05/06 20:10
> 二文字姓は必ず非漢民族末裔

司馬、欧陽、諸葛、公孫あたりを無視して
そんな軽率なこと言っちゃダメよ

86 :世界@名無史さん:04/05/06 21:41
そういえば、項羽の項氏って残ってるのかな?
楚だけの珍しい氏なのか?


87 :あやめ:04/05/06 23:22
ちょっと思い浮かんだのは墨林居士と号して書画に巧みだった明の項元忭
(たしかこういう字の名だったと記憶)くらいですね。でもたぶん今もいると
思いますよ。

88 :世界@名無史さん:04/05/06 23:30
姫鵬飛
って言う外務大臣がいたよ。
丁度日中国交正常化時の外務大臣で日本では田中角栄首相の時ね。
その後彼は中日友好協会の会長なんかをやってたはず

89 :あやめ:04/05/06 23:38
>>84
大分昔になりますが「古代の庶民には氏がなかった」「いや有った」という
論争がなされたように記憶します。詳細忘却。
南宋の鄭樵が著した「氏族略」に「(夏商周)三代以前には……氏は貴賎を別つ
所以なり、貴き者は氏有り、賎しき者は名有りて氏無し」と説明しています。
戦国時代くらいには庶民でも皆な氏を称していたのではないかと考えますが、
奴隷は無かったかもしれません。

90 :あやめ:04/05/06 23:50
>>83
特に関連性はないと思われます。

91 :世界@名無史さん:04/05/07 14:12
周王室は最後どうなったのですか?
象徴天皇みたいになっていって、最後に廃されたのですか?

92 :世界@名無史さん:04/05/07 23:12
>>91
秦に滅ぼされたんですが。
天皇というより、足利氏みたいな感じかな?


93 :世界@名無史さん:04/05/08 01:04
>>91
戦国時代の紀元前370年頃、後継者争いに三晋が介入したために
東西に分裂、(王号は西周のみが保持していたと思う)
その後もなんだかんだと土地を削られ続け、35代顕王のころまでは
一応の権威はあったが諸国が王号を名乗るようになるとそれも失われ、
周囲の国のご機嫌を伺って細々と生き延びるようになる。
で、37代タン王の時、秦にケンカを売って大敗、王は無条件降伏して
土地と人民を全て秦王(昭襄王)に献上する。(人民の多くは東周に逃げたとも言われる)
この時点で王朝としての周は滅亡したと言われる。

いわば亡命政権、あるいは残党とも言える東周はわずかその数年後に秦に滅ぼされる。
ここに周は完全に滅亡。(このときは荘襄王、呂不韋コンビの時代)
公族は皆殺しにはされなかったようだが、秦末の混乱期に
周が再建されなかったところをみると、もはや国としての力も命脈も完全に失ったようだ。


94 :世界@名無史さん:04/05/08 02:27
周という姓の人は周王室末裔ということ?

殷や商という姓の中国人は居ないの?

95 :世界@名無史さん:04/05/08 02:31
周富徳 真ん中の字だけなぜか訓読み

96 :世界@名無史さん:04/05/08 03:27

既に日本国民?

97 :世界@名無史さん:04/05/08 04:01
王貞治も下の2文字とも訓読みだからどうだっていいじゃないか

98 :世界@名無史さん:04/05/08 07:24
>ここに周は完全に滅亡。(このときは荘襄王、呂不韋コンビの時代)

始皇帝の親父(どちらが親父かはさておき)も結構武断的なんだな。
荘襄王は治世が短くあんまり治績が目立たないけど。

99 :世界@名無史さん:04/05/08 08:39

儒家はその不敬行為を糾弾したの?

100 :よろずこ:04/05/08 08:52
>>98

>始皇帝の親父(どちらが親父かはさておき)
いい表現だな。

101 :世界@名無史さん:04/05/09 13:19
東周恵公が秦に滅ぼされたのは、確かに秦の荘襄王の元年だが、
洛邑を併合した昭王の政策をそのまま引き継いだ感じがする。
前々王の引いたルートをなぞるだけなら武断的と言い難いかと。

秦の歴史を見ると、昭王とその曾孫の始皇帝の業績がデカク見えるよ。

102 :世界@名無史さん:04/05/09 19:27
>>93
周滅亡時に
九鼎を水に沈めたのは
周室自身ですか?
それとも秦軍ですか?

103 :世界@名無史さん:04/05/09 20:23
>101
昭王が超長生きで(在位60年を越してたな)、息子が1年、孫が3年の
在位では業績を残すのに時間が無さ過ぎる。

つーか秦の天下統一は昭王が引いた既定路線で、曾孫の始皇帝もそのルートをなぞっただけとも。
ただ、天下統一の形態が六国の王を臣下として秦王がその上に皇帝として君臨するわけでも
六国の王を廃して換わりに秦の皇族を王として配するわけでもなく、強力な中央集権制を敷いたのは
始皇帝の独自の発想とは思うが。

104 :世界@名無史さん:04/05/09 20:55
郡県制は、既に戦国七雄全ての国内で施行されていたのでは?

105 :世界@名無史さん:04/05/10 00:07
>104
そうだとすると戦国四君は
存在できなかったんじゃないだろうか?

106 :世界@名無史さん:04/05/10 01:23
業績について一言。在位期間が長い事も業績のひとつだと思うよ。
短命で終わったのは流石に運が悪かったとしか言いようがない。

郡県制はまだ一部の地方に実施されてた程度に過ぎない。
さすがに全ての国にはなかった。まばら状態で存在したと考えていい。
始皇帝の偉大な所は、一部にしか実施されてなかった郡県制に着目して
統一後に全国規模で採用した事かと。保守的な君主には無理だと思うよ。

107 :世界@名無史さん:04/05/10 02:39
始皇帝は国同士は大勢が決着してたからまあ普通だとしても国内を完璧に押さえ込んだ手腕が凄いと思う

108 :世界@名無史さん:04/05/10 03:07

「完璧」じゃないよ。
3代で滅んだ。
秦が存続して腐儒どもを完全アボンできていたら、中国は科学が発達していたのに

109 :世界@名無史さん:04/05/10 03:12
>>105
それって何?

110 :世界@名無史さん:04/05/10 03:32
始皇帝は押さえ込んだ
その後の後継者がヘボかっただけだろ

111 :世界@名無史さん:04/05/10 04:50
秦の王族は全員あぼーんされたの?

112 :世界@名無史さん:04/05/10 11:25
>111
あぼーんつーか、後継者争いのうちに全員あぼーんって感じだったなぁ。
宦官とタッグを組んだバカ息子が、兄弟姉妹全員殺しちゃったんだよね。
んで、そのあとバカ息子もあぼーんされちゃったから、目ぼしい王族は
いなくなっちゃった。

113 :世界@名無史さん:04/05/10 12:55
「楚」という姓は無いのですか?

114 :世界@名無史さん:04/05/10 14:55
皇子を各地の王に封建しておけば、
誰かが在地勢力に担がれて生き残ったかもね。
可能性は低そうですが。
それで再分裂、その方が東アジアのためには良かったも。
で今頃EUばりに統合を進めていたりして。

115 :世界@名無史さん:04/05/10 15:24
広大な内陸部に塩を流通させ、
東西に流れる大河を治水するためには中央集権が必要だったとか?

116 :世界@名無史さん:04/05/10 23:07
女ヘンの姫が姓と言うとことは、
古代中国では女系相続だった?

117 :世界@名無史さん:04/05/10 23:08
>>94
女子十二楽坊に殷イェンというお方が…


118 :世界@名無史さん:04/05/11 00:09
>>116
商の始祖の契(だったっけ?)や周の始祖の棄(后稷)の誕生は感精神話だから、
その可能性が高いと思われます。

119 :世界@名無史さん:04/05/11 01:59
ある音に「女」をつけて姓を表すことが多いだけでしょ。
嬀、娰、姞、嬴、姜などは姓号にしか使われない字。

女偏だけで女系相続と断定するのは無理だと思うけど。

姫姓は、周の始祖・后稷の名「棄」の音を取って姓号とし、
同音の「姫」で表した、とか、稷(きび)を意味する「臣(い)」
(実際の字形はちょっと違う)に女偏をくっつけて姓号とした、
という説があるがよくわかっていない。

120 :世界@名無史さん:04/05/11 02:07
めぼしい王族・・・嫡孫が居たじゃん。

121 :世界@名無史さん:04/05/11 02:12
さらに先祖にされてる黄帝が姫水(どこかわからない)で
育ったから「姫姓」を名乗った、というのは戦国時代に
できた話。

『大戴禮』の系図上では、
黄帝−少昊−虫喬極−帝嚳−帝摯・帝堯・契・后稷

122 :世界@名無史さん:04/05/11 02:53
姓も女偏ゆえ女系相続?

123 :世界@名無史さん:04/05/12 07:31
中国の姓は、もともと出身地の地域集団・血縁集団だったの?
古代中国の都市国家の城内には、1ないし数個の支配氏族が居て、
それが「姓」だったのですか?

124 :世界@名無史さん:04/05/12 14:37
現在も一つの姓だけで構成されてる村は珍しくないですよ。
太古からの伝統的な習慣ですね。妻を娶るときは族外婚になる訳だし。

地域集団=血縁集団が姓になります>古代中国
村の規模が大きくなって、他の地域の部族と連合しながら発展して
次第に邑ができます。後世周囲を城壁で囲むようになったのが国。
だから、邑や国は少数の豪族で寡占支配するパターンが多い。
日本の場合は地域集団が血縁集団に必ずしも繋がらない。

125 :世界@名無史さん:04/05/14 05:59
疑問

昔は漢字書ける人が少なかったのに、どーして漢字の姓名をつけることができたんでしゅか?

同じ発音だったら、別の漢字の姓名で書き表してしまうこともできたんではないですか?

126 :世界@名無史さん:04/05/14 12:54
>>125
どんな集落や邑内でも、文字を書ける者も読める者もいると思うけど?

127 :世界@名無史さん:04/05/14 17:44
>>125
だから秦と趙みたいなのがあると思うんだが

128 :世界@名無史さん:04/05/14 22:22
>>126
でも、当時の中国語は(漢字が多すぎて)ラテン語やギリシア語より難しかったわけだから
読み書きできる人は、(過半の時代では)数人に一人くらいしかいないわけです。
数人に一人の識者を連れてこなければ、同姓同名が判別できないなんて不便ですね。

129 :世界@名無史さん:04/05/14 22:27
>>127
でも、小声で言われたらよく判らなかったりで
やはり大層不便だったはずです。往時の人にとっても。

そういえば、魯迅は中国の後進性の原因を漢字にあるとし
毛沢東は、漢字よりもローマ字を中国の常用字にしようとしたそうですけど
実現しなかったとのことです。

130 :世界@名無史さん:04/05/14 22:30
日本でも六助と禄介、五平と吾兵のようなパターンがあったと思うが。

131 :世界@名無史さん:04/05/14 22:50
>130
そりゃ、漢字と漢語を導入したから起きた問題じゃないか。
問題の起源は中国発。

132 :世界@名無史さん:04/05/14 22:59
>秦と趙みたいなのがあると思うんだが

↑すいません。これってどういう意味ですか?

133 :世界@名無史さん:04/05/15 12:54
>>125
心配無用。漢字発生時に使われた太古の漢字は今よりはるかに少ない。
現在使われてるのは、王朝が生まれてから作られた物がほとんど。
同じ発音なら同じ字が当てられる。むしろ違う字で同じ発音になる方が珍しい。

128が言ってる「当時」は有史以後のことを指してると思われ。

134 :世界@名無史さん:04/05/15 17:57
>>133
>128が言ってる「当時」は有史以後のことを指してると思われ。
簡単な漢字を用いた初等中国語の読み書きは多くの人ができたでしょう。
しかし、あの複雑な膨大な漢字を8割から9割がた自在に操れるような方は
秦から清末に至るまで至って少なかったと思いますよ。

>むしろ違う字で同じ発音になる方が珍しい。
現地の人にも不便極まりなかったと思いますよ。
僅かな発音の違いから意味を分別しないといけないなんて。

135 :世界@名無史さん:04/05/15 18:01
異音同義、同音異義なんてこともあるから、○○&××の会話筆談説みたいなのができたんだと思う。

136 :世界@名無史さん:04/05/15 18:10
だから、中共は識字率を高めようと簡体字を作った。
どうにもならないくらい複雑な漢字が山のようにあり
それが、中国の文化の発展を妨げていた。
しかも、日本語などと違ってあちらでは全て表意文字だけで読み書きするから
漢字を書けないと著しく表現力が低下する。

137 :世界@名無史さん:04/05/16 01:06
せっかく注音字母を考案したのに最近はあまり使われていないな・・・

138 :世界@名無史さん:04/05/16 01:43
日本語には、表意文字と表音文字がある。
文章を作成するにあたって、漢字をド忘れすれば、平仮名・片仮名で代用できる。

中国人は、漢字忘れたらどうするんだ!!!???
教えてくれ!!


139 :世界@名無史さん:04/05/16 01:49
>>138
板違い。

140 :世界@名無史さん:04/05/16 03:49
>>133
そうだね。
中国語は声調言語だから、漢字が複雑化する以前の古代だと、声調も含めて発音が全く同じという漢字はあまりないはず。


141 :世界@名無史さん:04/05/16 03:50
むしろ、声調言語だから区別できていた漢字を、声調がないのに取り入れてしまった日本語や韓国語のほうが同音異義語に苦しむわけだが。

142 :世界@名無史さん:04/05/16 04:12
>138
必死で思い出すんだろう。

143 :世界@名無史さん:04/05/16 04:27
世界各地の華人のパスポート
ローマ字表記バラバラ

144 :世界@名無史さん:04/05/16 04:29
>138

ピンインか?

145 :世界@名無史さん:04/05/16 04:36
>138
知り合いの中国人(湖北省出身の技術研修生)がいうには、
漢字ど忘れしたらピンインで代用すると言ってた。
もちろん正式文書じゃなくて、メモ程度の走り書きの場合だけど。

146 :世界@名無史さん:04/05/16 05:44
台湾の場合は、あのへんな発音記号みたいなの使うのだろうか?

147 :世界@名無史さん:04/05/16 05:55
>>132
秦と趙は今では発音もちがう別の文字だけど
古くは発音が同じだった(先秦上古音)ってことだろ
ちなみに秦氏と趙氏はともに「贏」姓だけど、
秦・趙・贏の3文字はすべて古くは発音が同じか
少なくとも似ていた可能性が高い。

148 :世界@名無史さん:04/05/16 20:30
朱元璋も劉邦も貧家の親が、もとからそんな偉そうな名はつけられていなかったと思われ
農民の子は、ただ単に「三(3男)」とか「季(末っ子)」というような名前しかついていなかったらしい。

中国朝鮮女性には名前そのものが無かったというが本当だろうか?
「三娘(三女)」とでも呼んでいたのだろうか?
でもベッドの中ではどう呼んでいたのか?
「阿三」とでも呼んでいたのか?

149 :世界@名無史さん:04/05/16 20:49
劉邦は「劉あにぃ」とかいう意味じゃなかったか?

150 :世界@名無史さん:04/05/16 21:06
平安時代の日本より凄い

151 :世界@名無史さん:04/05/16 21:14
朱元璋の初名は朱重八。

152 :世界@名無史さん:04/05/16 21:16
>>151
十八番目の子?

153 :世界@名無史さん:04/05/16 21:26
父親は劉太公、父上ぐらいの意味、母はオウ(婆さん)
長兄は伯(長男)、次兄は仲(次男)、本人は季(末っ子)
なぜか弟だけ交と言うまともな名前。
普通こう言う場合四男が季で三男は叔なのが疑問。
邦は出世してからつけてもらった名前らしいです。
まあ庶民は男女問わずまともな名前がないこともあったのでしょう。

女性は確かに名前が泣く嫁入り先では姓で呼ばれたらしい。
で姫姓の高貴な女性が行くと姫と呼ばれ、いつしか高貴な女性を意味するようになった。
これはローマでもにたようなことがあって、同じ氏族の女性は叔母も姪も姉妹もみんな同じ名前。
ユリウス氏族の女性は全部ユリアとか。
いつ頃までそうだったかはよく知りません。

154 :世界@名無史さん:04/05/16 22:57
父 曰 太 公 ,母 曰 劉 媼

155 :世界@名無史さん:04/05/17 00:41
つーかそもそも名前なんて適当でいいわけだろ、
前近代では人間というのは近代的個人ではなく
共同体の一部にすぎないわけだから、名前なんかどうでも
どこの誰かは皆に自明の理として明解にわかられてるわけだから
警察の捜査にもたいして障害にならなかった。
江戸時代の日本だって庶民レベルじゃ似たような情況だよ。
「名のある人物」なんて表現がどんなに重いか現代人にはわからなく
なってるけど、名前が固定してるというのは社会的に高い地位に
ついてる人だけ。あとは有象無象でゴミみたいなもんだよ。

156 :世界@名無史さん:04/05/17 00:58
つかさ、世界的にみて、姓はもちろん
ファミリーネームを持っていない
人口ってのはどのくらいになるんだろうか?

東南アジアはファミリーネームがないから
それなりの数にはなるはずだ。

157 :世界@名無史さん:04/05/17 02:39
アラブ圏、イラン圏もファミリーネームはないよ。
イラン人なんか見栄っぱりだから「イランにも姓はある」と言い張るけど
詳しく話をきくと親父の名前をファミリーネームにしてるだけ。

158 :世界@名無史さん:04/05/17 04:55
ホメイニという姓は、ホメイン村に生まれたというのでつけただけだったか?
彼の父はインドからの流れ者ではなかったかと思う・・・

159 :世界@名無史さん:04/05/17 19:55
史記&漢書の張釈之列伝(文帝のころの人)を見ると字は季、兄は仲とあります。
この様子だと正式な名前がないのは劉邦一族だけでもなさそうな。

160 :世界@名無史さん:04/05/17 20:09
日本とか朝鮮、ケルト、ゲルマンなどは個人名があって後に家族名が生じたように思います。
特にゲルマン系などは同名の人と区分するために地名とか官職名ちかを名乗ったり、
あだ名がついたりして、それを子供が受けつだりしていつしか家族名になったような感が。
今家族名がないところは何らかの理由でそう言う動きが生じなかったんでしょう。
だれそれの息子だれそれが何時の間にか家族名になったところもありますね。
日本の姓は本来天皇家から与えられるもので官職的意味合いもあった。
○○臣とか××連△△首とか。
その後に出来た名字は名乗りで親子兄弟で違うことも多かったが、いつしか継承されるものとなった。
そしてそのうちにみんなごっちゃになって、苗字=家族名となったのでは?

それに対して中国やローマは氏族名がまずあって、
その中で個人を区別するために後で名前が出来たような気がします。

161 :世界@名無史さん:04/05/17 20:14
中国だって庶民は必ずしも姓氏がなかったし、名前はさらにいい加減。

162 :世界@名無史さん:04/05/17 21:09
古代中国においては、後世へ記録を残すことに大きな意義を持ってたから
姓名が生まれて複雑化したのかもしれんねぇ・・・。

163 :世界@名無史さん:04/05/18 00:53
そうじゃないだろ。
春秋以前の貴族層が姓氏をもったのは目前の必要(=宗族制)に
せまられてたから。
それが漢代になってから庶民にも普及したのは儒教を政府がバックアップしたから。

164 :世界@名無史さん:04/05/18 07:43
陳勝というのは、単に「陳の人であるショウさん」じゃなかったか?

165 :世界@名無史さん:04/05/18 15:19
陳に住んでる「渉」さんだよ。
「陳勝」ってのは偉くなってから自分でつけた。

166 :世界@名無史さん:04/05/18 19:32
「渉」と「勝」は全く同じ発音なのですか?


「陳」などの国名・地名である姓というのは、日本でいう「苗字」に近いものということですか?

「国家」という漢語について。
『論語』の書かれた時代には「邦家」という語だったが、
劉邦が皇帝になったので、以後は、
その名を畏れかしこみ、「国家」に替えたという説を聞いたことあります。


167 :世界@名無史さん:04/05/18 19:48
>「渉」と「勝」は全く同じ発音なのですか?
「渉」sheと「勝」sheng
少なくとも現代の普通話では違いますね。
古音についてはわかりません。
もしかすると同じなのかもしれない、そうでないかもしれない?


168 :世界@名無史さん:04/05/18 19:56
陽城って陳だっけ?

169 :世界@名無史さん:04/05/18 20:30
>>86 司馬遼太郎の「街道をいく ミンの道」に当時の福建省省長との会見がでてくるが、項なんとかっていったと思う

170 :世界@名無史さん:04/05/18 20:33
>>166-167
意味がわからん。なんで渉と勝の発音が同じでなきゃならんのだ?
偉くなったら名前かえるぐらい日本でもあるだろ。

中国人が自分の姓氏や名前を厳格に変えなくなったのは
武帝が儒教政策を広めてから。
それ以前は中国人も気軽に氏や名前を変えていた。

171 :世界@名無史さん:04/05/18 21:12
流民も多かったから、結構名前は変わったのでは?
水滸伝や金瓶梅見ても、不義密通や、元の郷里を追われ一家離散は
ザラだったようで。

172 :世界@名無史さん:04/05/18 22:03
名前を変えたとしたら自分でつける「字」のほうでしょう。
親に貰った「諱」を捨てるようなことをしたら孝道に悖り、先祖の加護が
得られなくなりますから、中国人はそういうことは滅多にしないと思います。

173 :世界@名無史さん:04/05/18 22:23
王子比干

174 :世界@名無史さん:04/05/18 22:41
>>170-172
近代以前の中国で読み書きのできる人なんて極々一部です。
陳渉なんて、読み書きもできない、当時の圧倒的多数の人間と考えるの自然です。
だから「渉」とか「勝」というのは、音に基づいた当て字の可能性が極めて高い。
これは後世の「農民反乱」等で一躍世に躍り出た指導者とかには、よくある例です。

例えば、漢の高祖劉邦の「邦」は名というよりは、当時の言葉で「あんちゃん」くらいの意味だったらしい。
要するに名前すらもハッキリしない様な下々の出だったわけなんだけど、
流石に偉大な漢王朝の始祖が名無しでは困るから、『史記』にも恰も立派な名前の様に記述しているのです。
尤も、これは司馬遷一流のイヤミだったという説がありますが・・・。

175 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/05/18 23:15
史記陳渉世家によると陳勝・呉広は「陳勝王たる」という帛書を作って魚の中に入れてます。
陳勝・呉広はある程度の読み書きができた、と司馬遷の頃には認識されていたことになります。

同じく史記高祖本紀でも、呂公との一件(「賀銭万」と謁に書いた)や、
そもそも亭長という下っ端とはいえ役人であったことなどから、
劉邦も十分な読み書き能力があったと見るべきです。
彼の実家についても、「生産作業」(史記高祖本紀)があったことが明記されていますし、
劉邦が家に食客を連れてきても一応は食事を振る舞えるだけの余裕はあったのです。
一家を養えるだけの土地や財産はあったのではないでしょうか。

劉邦については、むしろどのあたりに貧乏な家だという根拠があるのか知りたいです。

176 :世界@名無史さん:04/05/18 23:51
>貧乏な家だという根拠があるのか知りたいです。
貧乏だ何て一言いっとりゃせんがな。
ほんとの赤貧から皇帝になったのは朱元璋くらいのものです。

>そもそも亭長という下っ端とはいえ役人であったことなどから、
>十分な読み書き能力があったと見るべきです。
そもそも亭長なんていう下っ端役人は、ちんぴらごろつきの類とさして変わらず、
歴代王朝の吏といのは得てしてそういうものです。
劉邦が任侠無頼の輩であった事は、周知の通説です。
そもそも十分な読み書きというのは、まともな漢文を読み書きすることをいうのであって、
ちょっとした落書き程度の文書なら、たいして教養の無い人間にでも書けることです。


177 :世界@名無史さん:04/05/18 23:58
>劉邦については、むしろどのあたりに貧乏な家だという根拠
これは日本で豊臣秀吉が広めたデマ。
自分の出自の低さから大出世したことを誇るために持ち出したのが原因。
朱元璋も「劉邦は農民の出だが・・・」と語ってるが貧乏とは言及してない。

・・・このスレの175以外に劉邦が貧乏の家だったとは誰も書いてないようだが。
周王室のことを無視して脱線しないでくれ〜。

178 :世界@名無史さん:04/05/19 00:08
要するに名前すらもハッキリしない様な下々の出だったわけなんだけど

179 :怨霊 ◆NRtIkON8C2 :04/05/19 00:08
>>176,177
148あたりから劉邦の家=貧家と想定されているのかと思いましたが、これは早とちりでした。
脱線失礼しました。

180 :170:04/05/19 00:56
「渉」[dhiap]
「勝」[thieg]

上古音だとぜんぜん別の音だと思うけど。むろん推定音価だから
このとおりの保証はないけど、同音であった可能性は限り無く低いだろう。
170の繰り返しになるが、「陳勝」ってのは反乱にあたって
自分でつけた名前だろう。



181 :世界@名無史さん:04/05/19 01:01
要するに、亭長程度じゃ名前は分からんと。

182 :世界@名無史さん:04/05/19 02:40
周王朝は西方から来た異民族

183 :世界@名無史さん:04/05/20 10:56
王室スレです。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046673892/l50

184 :世界@名無史さん:04/05/20 11:18
中国は古代から同姓不婚だったのですか?
遊牧民は従姉妹との結婚がよくあるようですが・・・

185 :世界@名無史さん:04/05/20 13:20
怨霊発見!!

毎度毎度自作自演乙!
>>1=怨霊です!こいつは似たようなスレを立てた事がある気がする

186 :ぷらっと ◆77705aa9AA :04/05/20 23:31
>>85
遅レスだが、欧陽は異民族でいいのでは。

>>185
いい子だから。一緒に帰ってあげるから、な?

187 :世界@名無史さん:04/05/21 00:36
>>186
糞コテ二号を発見!
駆逐します!

188 :世界@名無史さん:04/05/21 00:54
>>184
姓が違えば、母方の従姉妹でも婚姻可能。同姓だけは絶対不可。
古代から氏族外婚が原則的だったが、時には緩くなったり反動で厳しくなったりと
絶えず揺れ動いてた模様。
遊牧民族はなぜか従兄妹間の婚姻が奨励されてる傾向がある。北アフリカや西アジアは
今でもそう。おそらく、資産の分散零細化防止が要因と思われ。

189 :世界@名無史さん:04/05/22 16:28
漢字の誤字が、そのまま姓として定着した例あありますか?
全は金の誤字?

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