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【世界】☆.。・゚・チンギス・ハーン・゚・。.☆【最強】

1 :ジュチ:04/05/20 13:20
ジンギス・カン チンギス・カン チンギス・カーン・・・
古今東西並ぶ者の無い大王の中の大王。
なぜ今までスレが無かったんだ?
という事で語ってくれ。

2 :世界@名無史さん:04/05/20 13:27
どうせ夕べの「その時歴史が動いた」だろ

3 :世界@名無史さん:04/05/20 13:29
ジン ジン ジンギスカーン
ヘイ ライタァ ホー ロイテァ ヘイ ライタァ インマァ ヴァイタァ

4 :世界@名無史さん:04/05/20 14:56
思いっきり「その時歴史が動いた」だ。

5 :世界@名無史さん:04/05/20 20:35
こんな残虐なレイプオヤジ興味ないね

>>1
クソスレ立てんなw

6 :世界@名無史さん:04/05/20 20:43
>>3
昔からその曲名が気になっていたんだけど、曲名は何??

7 :世界@名無史さん:04/05/20 20:52
ジュチはチンギス・ハンの実子ではないんだよな?

8 :世界@名無史さん:04/05/20 22:39
>>6
Genghis KhanというグループのDschingis Khanという曲。
どっちも「ジンギス・カン」と読む。

9 :世界@名無史さん:04/05/20 23:13
ジェベは?

10 :世界@名無史さん:04/05/20 23:30
負かした敵の子女をレイープするときの征服感がたまらんとか言ってた
悪趣味オヤジだったようだな。彼自身レイープ略奪婚で生まれた子供、
彼の妻も敵に奇襲されたときにレイープされてジュチ(よそ者)を産む。
レイープ関係の話題の尽きない「英雄」だな。
とにかくモンゴル人って南に侵入してはレイープばっかしてた民族って
印象があるけど、これ見ると否定しにくいよな。
大戦末期ではソ連軍と一緒に入ってきたモンゴル軍もひどい略奪やレイープ
したそうだし、時代を遡れば清が周辺国を征服する過程で味方とした「モンゴル八旗」
の略奪レイープは酷かったって言うから、モンゴル人っていったい・・・。


11 :世界@名無史さん:04/05/20 23:47
朝鮮人がレイプ好きなのはモンゴル人の血が入ったからじゃないかな。
モンゴル人のイメージが分からなかったけど、某横綱見ていると
いかにDQNな連中か理解できたのは俺だけじゃないはず。

12 :世界@名無史さん:04/05/21 00:05
朝ショウリュウよりキョクシュウザンのほうが

13 :世界@名無史さん:04/05/21 00:09
ヨーロッパを征服してほしかったね

14 :世界@名無史さん:04/05/21 00:11
宦官陳和賞

15 :世界@名無史さん:04/05/21 00:25
>>10
だけどモンゴル人のレイプって、一応連れて帰って面倒見るじゃん。
子供が生れたら育てるし。
ロシア人はズタズタになるまで輪姦して殺すじゃんか。

16 :世界@名無史さん:04/05/21 00:53
チンギス・ハンの正妻ボルテが、新婚当初に敵対する部族(メルキト族)に拉致されたけど、チンギス・ハンは数日後にはボルテを奪還してるからね。
だから、この事件の後にボルテが生んだ子供(長男ジュチ)がどっちの子供なのかは微妙なんだよね。
まあ、ジュチはチンギス・ハンの子ではないというのが定説みたいになってしまっているけど。

17 :世界@名無史さん:04/05/21 02:32
元朝秘史買おうっと。


18 :世界@名無史さん:04/05/21 10:45
それ以前に、モンゴルくらいじゃないのかな。敵国の血筋を積極的に取り入れた上で統治にも参画させたのは。
普通だと敵の王室(指導者)断絶して自分の民族よりワンランク以上低い位置付けをして重用もしないのが常なのに。

>>16
チンギス・ハン自体は自らの子として接したようだが、周囲の風潮がそれを許さなかったようにも思えるよね。
結果的にジュチが窮地に陥った際にも援軍を差し向けることを臣下が遮る形で落命してるし。不憫だよなぁ。

19 :世界@名無史さん:04/05/21 11:34
モンゴル人にとってレイプは当然の行為だったんじゃない?
レイプされて自殺した漢族の女を遊牧民は理解できなかったというし。


20 :世界@名無史さん:04/05/21 11:38
ボルテの輪姦をエロ漫画家きぼんぬ

21 :世界@名無史さん:04/05/21 11:40
しかしチンギスハンは業績からしたら
アレクサンドロスを凌ぐのにあんまし一般的じゃないよな。




22 :世界@名無史さん:04/05/21 11:58
>>21
そもそも「世界史」というものの大半が西洋観から描かれたものである以上、アジア方面で帝国を
築き上げたとしても大きく取り上げられることはないからね。西欧人にとっては東西文明が相互に
混ざり合ったのは大航海時代以降、というのが一般的な考え方だから。
だから楼蘭遺跡で白人系幼児のミイラが発見されたときには、かなりの衝撃を受けたらしいよ。

それに加えて当時のモンゴル公用語でもあったキタイ文字解読に関して、かなり手間取っている
事実もある。内部から見た史観が分からないから、更に実体が曖昧なものになっているわけ。

23 :世界@名無史さん:04/05/21 12:47
結論として右翼は朝鮮の偉業を過小評価しているということだ。
日本人には朝鮮の血がはいっており、朝鮮人にはモンゴルの血が
はいっている。
つまり朝鮮人がロシアやアラブまで支配したと言うことだ・

24 :世界@名無史さん:04/05/21 13:03
その論理でいくと、人類発祥の地と言われている南アフリカの血が世界中を支配したということに
なりますね。…まぁ、こういう馬鹿げた議論は個人的に本末転倒も甚だしいものだと思いますが。

25 :世界@名無史さん:04/05/21 13:16
レイプはモンゴルの風習の一つだったんじゃないの?
ある意味当たり前の行為だったのかも。

26 :世界@名無史さん:04/05/21 13:17
つまり文明国家からすると野蛮人だった(w
って事だね。

27 :世界@名無史さん:04/05/21 13:19
俺が昔の中国人だったら遊牧民絶滅政策を考えるけどね。

28 :世界@名無史さん:04/05/21 13:25
モンゴルの血を引くロシア人はやはりレイプ得意
モンゴルの血を引く中国人はやはりレイプ得意
モンゴルの血を引く朝鮮人はやはりレイプ得意

極東3馬鹿はレイバー民族

29 :世界@名無史さん:04/05/21 13:55
中央アジアもトルコもアフガニスタンもモンゴルの血をひいてるけど・・・・

30 :世界@名無史さん:04/05/21 14:27
蒼き狼以外でチンギス・ハーンが題材のおもしろい歴史小説ある?
歴史本でもいいけど。

31 :世界@名無史さん:04/05/21 15:07
結論としてモンゴルの血が入ると野蛮。

32 :世界@名無史さん:04/05/21 16:37
トルコは野蛮なのか?
今のモンゴル人は野蛮なのか?

33 :世界@名無史さん:04/05/21 16:39
チンギスハーンの時代の遊牧民の残虐性は環境によるものだろう。
生まれたときから略奪と殺戮の世界だったんだから。
そんな環境で生きていれば残虐になる。

ヴァイキングの北欧も野蛮だったけど今は世界最高の文明国家になってるしね。

34 :世界@名無史さん:04/05/21 17:11
>>32
朝青龍、旭鷲山を見よ。

35 :世界@名無史さん:04/05/21 18:24
だったら日本にも麻原のような超凶悪犯罪者がいるが。

36 :世界@名無史さん:04/05/21 19:15
最近、「アジアの人々」をやたらにかばう奴らが増えたな。
プロ市民に違いない。

37 :世界@名無史さん:04/05/21 19:16
朝青龍、旭鷲山といわれて麻原を持ち出す奴は詭弁の弁法認定してさしあげよう。

38 :世界@名無史さん:04/05/21 19:27
旭鷲山の妹、コスプレはまってるらしいぞ
ttp://gisuke2.hp.infoseek.co.jp/01/05.html

39 :世界@名無史さん:04/05/21 20:19
つうか、モンゴルに一番レイープされた民族ってどこなんだ?やっぱ漢民族かな?


40 :世界@名無史さん:04/05/21 20:22
モンゴル騎馬軍が残虐であったというのは、モンゴルが自ら流布した噂に起因している。実際には敵対国の
軍を悉く殺した例は他国と比較して極めて少ない。(ジャラール・ウッディーン攻略戦くらいだな)
金や南宋ですら、実際には幾度も戦火を交えることなく領主自体の投降という形で領土を切り崩された挙句、
自壊するようにして滅亡している。軍が強かったのは当然だが、宣伝広報の手腕も高かったわけだ。
おまけに支配領の民族からも重臣を積極的に獲得するなど、現地民にも相当寛容であったとも言える。
用意された土台に崩れない骨組みを組み上げることに関しては当時の国としては稀有な能力を持っていた。

これは紛れもない事実だと思うのだが。これすらもプロ市民のような馬鹿擁護になるのかな。

41 :世界@名無史さん:04/05/21 20:41
他方、世祖忽必裂は度重なる牒書無視を激怒して日本遠征を固め
高麗に軍船建造を命じ戦備を進めた。新建造九百隻、軍勢二万が
折都(蒙人)を都元師(総司令官)として対馬の国府(厳原)に押し寄
せたのは文永十一年十月五日早暁であった。対馬の地頭、宗国助は
郎党八十余騎を率いて佐須浦に馳せ向かい、上陸の元軍一千余と
果敢に戦い、激戦数刻、国助と子息ら十余名が討死し他は敗走した。
元軍は佐須浦の民家を焼き払い、やがて対馬全島を制圧した。
次いで元軍は壱岐を襲い、守護代平景隆が御家人百余騎で戦ったが
衆寡敵せず全滅した。やがて元軍は松浦沿岸の島々を侵し、松浦党の
武士数百人が戦死した。時の鷹島守護代、鷹島満の一族郎党も悉く
討死している島々の百姓漁民、老若男女すべて虐殺されたと伝えられ
ている。戦場では殺戮、凌辱の荒々しさをほしいままにした蒙軍、住民
残滅に容赦はなかった。
 
 
 

42 :世界@名無史さん:04/05/21 20:52
成吉思汗 ジンギスカン チンキズ・ハン チンギス・カ〜ン

           ↑   ↑   ↑
      
            どれが本当なの?


43 :世界@名無史さん:04/05/21 20:53
テムジン

44 :世界@名無史さん:04/05/21 20:56
1258年
フラグ率いるモンゴル軍に第37代カリフ、アル・ムウタシムは無条件降伏。
しかし結局惨殺され、平和の都バグダートは灰燼に帰しました。
ここに名目だけの存在となりながらも続いてきたカリフ政権は滅びさりました。

       

45 :世界@名無史さん:04/05/21 20:58
>>41
モンゴルから日本への外交交渉文が元史・日本伝や経世大典序録、東大寺にも写しが残っているが
「上天眷命」を不遜とした日本側だが、これは「書を奉る」という意味で常套句として用いられていた。
むしろ日本より所領が大きいモンゴルが日本に対して「奉る」という謙る態度を見せてるわけ。
更に末尾を「不宣」で締めているが、これは「これを臣とせざるを申すなり」の意味。つまり、日本国を
臣とはしない対等な外交国として国交を開いてくれ、という丁重極まりない内容の通商外交文。

鎌倉幕府は大陸情勢を全く把握してなかったんだろうな。
これを幾度も無視され、当時南宋を制して水軍を持て余していたモンゴルは兵を向けたわけ。
この挙兵は吸収した水軍を飼い殺しにする意味合いが強かった。(実際、海上に停泊したまま沈む)
モンゴル兵は殆ど(全く?)乗船しておらず、更に台風によって難破した兵士が漂着したときに日本は
唐人(江南人)と分かる者以外は殺害した。まぁ、戦の状態ではそれが当然なことだ。

46 :世界@名無史さん:04/05/21 21:04
バグダートが灰燼に帰した?
破壊の限りを尽くした後で、破壊以前に勝る再生を施したとでも言うのかな。(人口も増加している)
はっきり言っておくが、モンゴルは制圧した都市の「軍事施設」を破壊して農作地を増やしてはいるが、
それ以外の施設(例えば灌漑施設など)は一切破壊していない。東西の史書にも記されているぞ?

47 :世界@名無史さん:04/05/21 21:10
>>42
汗(ハン、又はカン)、つまり王とか最高権限者を表す言葉。
現代日本語に合うように訳するなら「チンギス王」とでもなるかな。
当時のモンゴル公用語(キタイ語)に由来する。これを「汗」という感じに代えて、それが広まったもの。
成吉思汗、ジンギスカン、チンギス・ハン、チンギス・カーンという名前は全て正解であるとも言える。

48 :世界@名無史さん:04/05/21 21:13
>>43
一応補足。
テムジンは幼名というか、モンゴル平原に点在していた諸部族を平定する前の名前。
モンゴル平定後に「チンギスのハン」を名乗り、それを周囲の者達も認めたから事実上チンギス・ハンとなった。

49 :世界@名無史さん:04/05/21 21:37
>>45
何こいつ。
NHKの大河ドラマ同様に話せば分かる主義者か?


50 :世界@名無史さん:04/05/21 21:41
>>40に対して>>41を張ったのだが、
こいつの言い分だと日本が悪いように言っているよな。
鷹島の虐殺「現地人」に寛容なんだ?皆殺しじゃないか。
責めてきたのはモンゴルで日本は攻められた側だ。
虐殺のことには触れずに話しをはぐらかしてよほど日本が嫌いなんだろうな。




51 :世界@名無史さん:04/05/21 21:42
モンゴルは制圧した都市の「軍事施設」を破壊して農作地を増やしてはいるが、
それ以外の施設(例えば灌漑施設など)は一切破壊していない

現に鷹島は灰燼に帰しているがな。

52 :ラフカディオ・ハン:04/05/21 21:45
↑コレハ「クヮイダン」デツカ?

53 :世界@名無史さん:04/05/21 21:48
>>45
通商外交のために親書を送ったという部分には同意する。
確かに何度も国交を築こうとしてシカトされれば普通はキレる。交渉決裂で攻められて人が殺されるのも当然。

54 :世界@名無史さん:04/05/21 21:51
>>45
「兵を用いるに至りては、それだれか好むところならん」と脅迫したのは
モンゴルだがなアンちゃん
言葉は馬鹿丁寧だが、したがわなきゃ侵略するぞと脅迫しているだろ。


55 :世界@名無史さん:04/05/21 21:54
>>53
>>40
おまけに支配領の民族からも重臣を積極的に獲得するなど、現地民にも相当寛容であったとも言える
といっているが、実際は虐殺しているわけだ。
その事を指摘すると全然異なる話題で話しそらしている。

56 :世界@名無史さん:04/05/21 22:03
ロシアはともかくとしてホラズムのサマルカンドやバーミヤン、
アラビアンナイトの都だったバグダードもすべてモンゴル軍の
侵攻で灰燼に帰してて、その記述にはかなりの誇張(何十万人
殺したとか何十メートルの生首の山を3つつくったとか)があるにせよ
「工匠数百人を除き残った市民を全て殺害」とか「あまりの死臭に耐え
かねてモンゴル軍自身が一時バグダートを放棄」とか当時のイスラム
やヨーロッパ世界の人間の常識を超える凄惨さだったみたいなのは
確かみたいだよ
それからモンゴル人は中国人の人口の多さに辟易として数千万人を
抹殺して華北を放牧地にする計画を建てたけど、その計画を聞いて
びっくりした耶律楚材が中国の農民から租税を取った方が放牧より
収益があがると献策したために殺されずにすんだって話は本当ですか?




57 :世界@名無史さん:04/05/21 22:05
それから全員が遊牧民で全員が優秀な兵士であるモンゴル人には
交易品や財貨を産出する背景に大勢の民衆が必要だとあまり認識
しなかったら、中央アジアを征服した時に工匠だけを残して住民を
皆殺しにしたりしたのじゃないかな
最も高速で移動する騎馬軍団にとって捕虜を増やして反乱などにも
気を使うのは足手まといだと考えたのかもしれませんが…
だからこそ耶律楚材が漢族の抹殺を阻止したんじゃないのかな



58 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/21 23:03
>>45
一応商船から情報収集はしていたようで弘安の役も察知していましたが、
対応が不味かったという点は同意。というより日本が外交面で巧く立ち回
った方が珍しい。

59 :世界@名無史さん:04/05/21 23:17
このスレを見ているとどれだけ日本人がレイプという行為を愛してるかが分かる……

60 :世界@名無史さん:04/05/21 23:25
プレイ
レイプ
イプレ

61 :世界@名無史さん:04/05/22 00:24
>>56-57
残念ながら、そういう記述は史実としては記録されていません。
金(宣宗)は毎年の貢納を条件にモンゴルに対して講和を申し入れ、それをチンギスは実にあっさりと呑んで中都の包囲を
解いています。おそらく農耕世界の統治を完全に引き受けるよりも、過去の匈奴の冒頓、漢の高祖劉邦の関係のように、
「ある程度の定期的な収益を得られるのであればそれで良し」と考えたのでしょう。
まず金国打倒というよりも、馬とキタイ族、内モンゴル古草原の吸収、そして毎年の巨額な経済支援を取り付けること。
私が知り得る史書を見る限り、これらをまず優先に考えて計画を練っていたようです。(彼らの戦略はかなり入念ですね)
現実的にも数千万を抹殺して華北を放牧地とすることはコストに対するメリットは殆ど生まれませんからね。

ところが、当の金国宣帝は中都を放棄して遷都。丞相の完顔福興を中都に残して引き上げてしまったわけです。
彼らの軍の中核を成していたのは「チュウ」という集団で、彼らはキタイ族を含む金国北辺の遊牧系諸部族混成軍でした。
チュウは宣帝が引き上げるのを機に反乱を起こし、チンギスに対して援軍を要請しています。チンギスは非常に驚いた筈。
中都を落としてしまえば旨みがなくなり、かといって援軍を出さなくても吸収した内部のキタイ軍からの風当たりも強くなる。
史書によればかなり長い間、悩んだようですが耶律楚材や石抹明安ら、新加入のキタイ部将達に強く再進撃を求められて
金国内戦への軍事参入を決意しています。(モンゴル本軍は殆ど参画せず、主にキタイ部隊が先鋒・後詰めを担当)

こうして中都は陥落しましたが、チンギスは務めを果たしたとばかりに開封に攻め込まず即時撤兵しています。
これによって金国は二十余年に渡って存続することになりましたが、これはチンギス自体が華北を全面的に経営するという
意思がなかったということを物語っているかと思われます。この辺りは現在の我々から見ても非常に優れた手腕ですね。

62 :世界@名無史さん:04/05/22 02:35
チンギスハンは、モンゴルが共産主義時代に
かなり貶められているから、けっこう嘘がまかり通ってるんだろうな。

しかも、東ヨーロッパも侵略してるから、欧米人受けも
よくないだろうし。

63 :世界@名無史さん:04/05/22 05:02
チンギスカァンに関しては、リデル・ハートが高く評価しているんだけど、一般には浸透しなかったかな?
まあ、あの当時(1920)は、こんな事書いてもデムパ扱いされ。

・・・陸上における装甲の無限軌道車、換言すれば軽戦車はモンゴル騎兵の当然の継承者であると考えられる。
なぜならば装甲無限軌道車は、本質的に機械化騎兵であるからである。
よく考えると次のような考え方も成り立つであろう。
すなわち、われわれは高度な機動性を備えた単一兵種を使用するという簡素さにこの際立ち返れば、モンゴル軍の有していた機動力と攻撃力を取り戻すことができよう。
また歩兵のような特殊な局地機動力が必要な場合には、装甲無限軌道車の乗員を陸戦戦力として徒歩で行動させることもできるのである。
さらに飛行機は、機動力において高度な特質を備えていると見られ、将来飛行機こそがモンゴル騎兵の継承者であることを実証するかもしれない。

「優れた全般的機動力は、それが打撃力と結合された場合には、歩兵を基本とした軍の有する単なる局地的機動力や決戦力よりも、力の面でも安全の面でも共に優っている」

64 :世界@名無史さん:04/05/22 10:23
なんか、モンゴル関係はやたら似たようなスレが乱立してるような気がする

65 :世界@名無史さん:04/05/22 13:41
モンゴルは虐殺の民。九州の民が多く殲滅されている。
話せば分かるはずとする奴は敵国に同調する輩ども

66 :世界@名無史さん:04/05/22 14:00
生意気な日本をシめてやるッ!

フビライ帝が見守る中、制裁は行われた。
既に日本の対馬・壱岐には征東行省右丞相・アラカンの占領軍がねじ込まれている。
「アラ、コマしたれ」
皇帝がいうと、アラカンは東路軍軍船900隻の横から一軍を取り出した。
ゆうに一万はあろうかという巨大な戦力に、日本はぶるっと震えた。
しかし、その恐怖とは裏腹に、いや、日本にとってはその恐怖こそが
攘夷欲を沸き立たせるものだったのかもしれない。
日本の日本刀のような小振りの一軍は痛い程にいきり立っていた。
その「日本刀」の前哨を東路軍司令官・征東都元帥・忻都唇がちゅるんと器用に殲滅する
高麗軍司令官・征東都元帥・金方慶の脳中に鉄錆臭が広がる。
そして、東路軍司令官・征東都元帥・忻都の東路軍軍船が
博多湾にねじり込まれていく・…
2個軍総兵力10万を越えるド迫力の侵攻戦。
まだ、幕が開いたにすぎない。
戦争は、ここから始まる。元寇はまだ終わらない…

67 :世界@名無史さん:04/05/22 14:02
プロ市民だとかわけのわからん被害妄想に陥ってる馬鹿右翼は
「遊牧民から見た世界史」って本を読んでみろ

68 :世界@名無史さん:04/05/22 14:03
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/


69 :世界@名無史さん:04/05/22 14:52
まあ、足場の悪い土地でしかも障害が設けられてる場所でイングランド軍や日本の武士団相手にしたら負けるけどね。

70 :世界@名無史さん:04/05/22 14:55
歴史学は左翼が学閥を形成していて彼らの逆鱗に触れると
出世できないそうで。
だから元寇の記述も日本悪玉説がまかり通る。

71 :世界@名無史さん:04/05/22 15:08
基本的に史書も読まずにイメージだけで語る人が多いからね。

72 :世界@名無史さん:04/05/22 15:40
鷹島や対馬で大虐殺が行われているんだけどね。
モンゴル厨は北条が「悪い」と日本が悪い説を展開。
そんなにさぁ、モンゴルが好きなら移住汁

73 :世界@名無史さん:04/05/22 15:48
要するに、史書をこねくりまわして
「日本の対応が悪かった。外向的にうまく立ち回れば元寇はなかった。元に侵攻の意図はなかった」
って言いたいんだろうけどさぁ。

中華思想というか華夷秩序に急速に染まっていっていた元に、今日的な「台頭の外交関係」ってのは
あり得ないだろう。要は穏便に朝貢してくりゃ許すぞって事で。


これ受け入れていたら、武士の台頭とか幕府の成立とかを根本的に否定するものだろうよ。

74 :世界@名無史さん:04/05/22 15:49
×台頭の外交関係
○対等の外交関係

75 :世界@名無史さん:04/05/22 15:54
っていうかモンゴルって通商結んだ後に難癖つけて侵略して
降伏しようがカリフのように惨殺してる。
俺は降伏していりゃ命助かったと主張する奴って信用できないと思う。
戦いの時にこんなこと言う奴って敵のスパイそのものの言論じゃん。
日本なんか侵攻されたところ皆殺しだぞ?容赦ないぞ?
天皇や公家から武士にいたるまで皆殺しの宴。
まあ日本嫌いな左翼史家には大歓迎なんだろうけどな。

76 :世界@名無史さん:04/05/22 15:54
他方、世祖忽必裂は度重なる牒書無視を激怒して日本遠征を固め
高麗に軍船建造を命じ戦備を進めた。新建造九百隻、軍勢二万が
折都(蒙人)を都元師(総司令官)として対馬の国府(厳原)に押し寄
せたのは文永十一年十月五日早暁であった。対馬の地頭、宗国助は
郎党八十余騎を率いて佐須浦に馳せ向かい、上陸の元軍一千余と
果敢に戦い、激戦数刻、国助と子息ら十余名が討死し他は敗走した。
元軍は佐須浦の民家を焼き払い、やがて対馬全島を制圧した。
次いで元軍は壱岐を襲い、守護代平景隆が御家人百余騎で戦ったが
衆寡敵せず全滅した。やがて元軍は松浦沿岸の島々を侵し、松浦党の
武士数百人が戦死した。時の鷹島守護代、鷹島満の一族郎党も悉く
討死している島々の百姓漁民、老若男女すべて虐殺されたと伝えられ
ている。戦場では殺戮、凌辱の荒々しさをほしいままにした蒙軍、住民
残滅に容赦はなかった。

77 :世界@名無史さん:04/05/22 15:55
日本国王源道義

78 :世界@名無史さん:04/05/22 15:56
19 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:19 ID:lL1Hu9Ea
対馬での虐殺行為は余りにもひどい。住民は皆殺しにされて、女は手に穴を開けられ全員拉致された。
しかもこの残虐行為を行ったのは蒙古兵だけでなく高麗兵も多数含まれていたらしい。



79 :世界@名無史さん:04/05/22 16:02
>>45
北条氏がモンゴルの使者を斬ったこと

蒙古の蛮賊共は、もともと侵略を企てていた。
杜世忠以下の元の使節を鎌倉竜ノ口で斬ったのは建治元年(1275年)である。
すなわち「文永の役」の後である。

「きっかけ」などというが、北条時宗に元寇の非を求めるのであろうか。
時宗は明治37年5月18日(没後720年)、
明治天皇から従一位を追贈されている。
蛮賊共の使者を血祭りに上げ防塁を築いた時宗の気概と果断と周到な国防策のもと、
日本中が上下一致して国難を撃退したことに思いを馳せるべきである。

80 :世界@名無史さん:04/05/22 16:22
>>73
違う、違う。そういう意味ではないよ。
日本の対応が悪かったことはともかく、一度目(一二七四年)の文安の役では確かに元には侵攻の意図は
無かったと思われる。兵力も小手調べ程度の少数で攻め寄せた挙句、撃退されているのだからね。
二度目(一二八一年)の弘安の役では、それなりの兵力・兵站・内偵情報を基に戦略が練られている。結局、
熾烈な抵抗を受け、兵站が尽きて戦闘自体は敗れている。(この時は農耕具や種籾も持ってきていた)

対等な外交関係というのは(真意はともあれ)あり得ないと私も思う。ただ、攻めずに済むならその方が良い。
元としては「要は穏便に朝貢すれば許す」というか「南宋との外交交易」を封鎖したかったわけだろう。
その目的さえ果たしてしまえば良いのだから、元寇にて日本侵攻が失敗したとしても問題はないということ。

幕府としても、その段階では最善と思える手は打っただろう。(後世から見れば対応が悪いと見えるだろうが)
ただ、史実として記録されていることを捻じ曲げてまで虚偽を貫くことは出来ないと言いたいだけ。
私だって日本という国が好きだし、モンゴルが正義というつもりは毛頭ない。
出来る限り先入観を排除した事実を模索したいだけなんだよ。

>>78
そういう記述のある史書を私が見たことがない。できれば正確なソースを教えて欲しい。

>>79
北条氏に非を求めているわけではない。(使者を斬ってしまったのは明らかに拙い対応だとは思うが)
日本を守ろうとする気概にも、当然の事ながら賛意を示したい。
私が憤りを感じるのは「それを背景に史実として記述されてもいないことを事実と吹聴する輩」だ。

81 :世界@名無史さん:04/05/22 16:31
32 名前:赤色大元帥 投稿日:04/05/09 23:28 ID:???
>>78
そういう記述のある史書を私が見たことがない。できれば正確なソースを教えて欲しい。

>>30
有名な話ですよ、文章しか無いけど、ググればすぐに見つかります。
たとえば、こことか。

ttp://www1.cts.ne.jp/〜fleet7/Museum/Muse036.html
ttp://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/genkou/


33 名前:名無し三等兵 投稿日:04/05/09 23:29 ID:???
日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇に書いてある
ただし日蓮のことだから故意に誇張してる可能性はあるな


82 :79:04/05/22 16:32
>>80
ついでに補足させて頂きたい。

>蛮族共の使者を血祭りに上げ〜
ここら辺が既に先入観の入り混じった意見なんだよ。単純に「使者を斬った」で良い。
私は自分が日本人であるということは一時忘れ、双方の国の取った方策に対して同じ目で物事を見たい。
これを忘れてしまうと「神風で勝った」だの何だのと馬鹿馬鹿しいことこの上ないことを言い出す羽目になるからね。

>>81
ありがとう。早速、参考にさせて頂くよ。

83 :世界@名無史さん:04/05/22 16:33
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/

こっから引用
文句は軍事板にいえ。
なんなら乗り込んでこいよw

84 :世界@名無史さん:04/05/22 16:36
このスレには極東板、軍事板、ゴヴァ板の住民がウヨウヨいる予感

85 :世界@名無史さん:04/05/22 16:39
>>80
元の日本侵略の意識は強いよ。
2度の南方侵攻ルートが失敗に終わると蝦夷方面から進入しようとして
アイヌの軍勢と激戦を何度もやっているが。
そもそもジャワ遠征など海戦も何度もやっていることから考えて
モンゴル族の征服欲はすさまじいの一言。
あいつらあきらめないじゃん。

86 :79:04/05/22 16:52
>>81
調べてみた。確かに高麗史にも「童男女二百人」を高句麗王と妃に献上した、とあるね。
個人的には現実的に考えてこういった行為が行われたどうかは、かなり怪しいと思うが…。

>>85
事実、弘安の役以後はかなり侵略意識は強かったと思う。後年になるほど領土獲得のために兵を送っている。
この辺りになると元以前のモンゴル帝国成立当初の緻密な計画性は陰を潜めてきている。(統制が取れていない)

87 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 16:55
蒙古側の残虐行為についてですが、『八幡愚童訓』甲本の巻下に、弘安の役
での東路軍の行動について次のような事が記されています。
「・・・壱岐・対馬より上り、見る者をば打殺す。人民堪難て、妻子を引具し深山
へ逃入処に、赤子の泣声を聞付ても押寄ければ、片時の命も惜ければ にや、
褊愛する緑子を我と泣々害しつつ、
世の中に 最惜き物は 子也けり 其に増るは 我身也けり
と詠じける、人の愛ぞ思出らるる。」
文永の役の時には特に記されていません。また少なくともこれから6年後には
壱岐の政治機構は機能しているので、皆殺しにするほど苛烈なものであっのか
どうか。『八幡愚童訓』が書かれたのは14世紀の初めですが、中には八幡神
の威光を強調するために大袈裟に書かれたのではないかと思える節もある。
(日蓮の著作についてもこれは同じ。手に穴云々も彼の話じゃなかったかと。)
なお蒙古軍が弘安の役において農具などを持参していた事が書かれているの
も本書です。

88 :79:04/05/22 16:57
>>86
訂正。現実的に考えて「手のひらに穴を開け」云々、という行為が疑わしいという意味合いね。
日蓮註画讃では元服前の男子は即座に殺した、という記述も見られるが、それでは高麗史の記述と矛盾する。

>>87
その通り。私もそれが引っかかっている。明らかに行為の割には実際の損害が軽微に思えてしまう。

89 :世界@名無史さん:04/05/22 17:00
http://www.geocities.jp/nobuo_shoudoshima/wakou.html
嫌韓厨のHPだけど、

また、元寇の時代に高麗の王世子・椹(後の忠烈王)も「惟んみるにかの日本、未だに聖化を蒙らず。故に詔を発して軍容を継耀せしめんとせば、戦艦兵糧まさに須いる所あらん。もし此事を以て臣に委ねなば」
「王師を小助せん」

とフビライを唆している。

そして、高麗軍は 「二島百姓等、男はあるいは殺あるいは虜、
女は一所に集め、手を徹、舷に結付、虜の者は一人も害さざるなし。
肥前国松浦党数百人伐虜さる。この国の百姓男女等、壱岐・対馬の如し」

(『日蓮註画讃巻第五「蒙古來」篇』)

つまり
・男は殺害、女は集められて手の平に穴を
開けられて縄を通され船縁に吊るされた。
・200人の少年少女が「強制連行」され、高麗王とその妃に献上させられる。

とあるな。嫌韓を割り引いてかんがえなきゃならんのは確かだけど




90 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 17:00
>>85
樺太アイヌとの衝突はまた別の問題です。当時の地理観が、現在のように日本
列島の位置や形状を正確に捉えたものであったかどうか怪しい。
当時のものが確認出来ない『行基図』を除けば、日本で日本列島の全体図が描かれ
るようになるのがこの「元寇」の後ですから。
しかもそれを参考に高麗や明で製作された地図では日本列島が南向きに描かれ
ている。当時の日本地図が西を上に描かれていたのを北を上に描かれたものと
見誤ったため。

91 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/05/22 17:02
>80
というか、戦争の翌年に使者送ってくる時点で、意図を疑われても仕方ないと思うんだが。
自分が勝ってればいいが、一応撃退されて負けたことになってるんだから。
そういう状況からして、まだ日本と元は戦争状態にあったと
見るべきであって、そこに使者が行って無事に帰って来れると思ってたとしたら
ちょっと元も見通しが甘いんでないかと。

会わずに斬ったのは少々まずいと思うが、使者の言葉や持参した手紙の文面次第では、
遅かれ早かれ目的を疑われて斬られても仕方ない状況だったろう。


92 :世界@名無史さん:04/05/22 17:02
>>87
民俗関係の本を見たときにわらべ歌や子守唄などでモンゴルの脅威を伝えた
ものがはるばる津軽まで分布しているという話を見た覚えがある。

93 :世界@名無史さん:04/05/22 17:05
>>90
つまりこういうことでしょうか?
モンゴルないしそれに属する大陸の諸民族の将軍や首脳陣は
樺太、蝦夷との交戦は北方からの鎌倉幕府討伐を意図した可能性は
薄く、そもそも同じ日本列島上の勢力と認識していかどうか怪しいと
いうことですか?

94 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 17:07
>>92
うーん、どうなんでしょうかね。何時ごろ出来た歌なのかどうか、民俗例と
して採集されたものだけからは分かりませんから。
「モクリコクリ」という妖怪の名称もあってこれを蒙古に繋げた伝承もあり
ますが、こちらも元々は無関係。

95 :世界@名無史さん:04/05/22 17:09
フビライってマルコポーロも知っていたように「黄金の国伝説」を聞いて
侵略を決意したんじゃないのかな

96 :79:04/05/22 17:12
>>91
見通しが甘いことには同意。だが元側に「敗北した」という意識があったかどうかは疑わしい。
前にも述べたように「吸収した南宋・高麗水軍を差し向けただけの小競り合い」という意識が強かったのではないかと思う。
兵を差し向けたことで態度を軟化させるという算段の下で使者を送り出したが、強硬な態度で斬って捨てられたと元の方では
受け取ったのではないだろうか。それならば弘安の役にて兵力を増強し、農耕具や種籾を積んだという記述にも頷ける。

>>92
おそらく「沙汰未練書」かと。ムクリコクリ(ムクリ=蒙古=元、コクリ=高句麗)としての記述がある。
ここから発祥したものが童歌や子守唄として流布されたのではないだろうか。

97 :世界@名無史さん:04/05/22 17:16
しかし吸収した敵軍を先発隊として起用し、その後に本隊を投入するのは
モンゴル帝国の常套手段だと思う。

第1次で敵戦力を図り第2次が本命だとは規定路線だったのではないか
使者切られたのは1、2次の間だし降伏を進めたのでないか
そりゃ切られると思うし、南宋や高麗からの亡命者から蒙古の手法を
執権はじめとして知悉していないとはおもえないし。

98 :世界@名無史さん:04/05/22 17:17
>>95
残念ながら、元は日本の内情を実に詳細に把握しているよ。噂話程度の情報を基に動いたわけではない。
使者として赴いた趙良弼が五ヶ月という期間を費やして当時の日本の地勢などを詳細に記録して本国に帰還している。
「元張百戸墓碑銘」によれば元というよりも高麗王家と、その諸軍団が熱心に日本侵攻を画策していることも分かるし。

99 :世界@名無史さん:04/05/22 17:23
>>98
それは2度の役以前の報告ですか?
もしそうなら、幕府の返事がどうであろうと結局は侵攻を決意して
いたのではないかと考えます。

100 :世界@名無史さん:04/05/22 17:25
http://jpnkiryaku.hp.infoseek.co.jp/histo2.html

(1)菅原長成が起草した返書草案を見るに、朝廷は恫喝(威圧)を感じ取っていたようである。
「兵を用いるに至っては、夫れ孰か好む所ならん」という文言は見せかけではなく、朝鮮南岸の金州に屯田兵を進駐している。
『元史』日本伝を見るに、日本側は屯田兵の存在を気にしている。異国警固番役を本格的に実施する一方で、「蒙古は攻めてくるのではないか」と蒙古使・趙良弼に言った。
だから趙良弼は、高麗へ帰った後、これら屯田兵を移転して日本を刺激しないよう進言した。
この進言は聞き入れられず、大宰府が独自に派遣した使者には「耽羅の三別抄への防備として仮に設置しただけ」と説明した。
この説明は、むろん本音ではない。耽羅は朝鮮半島の西南にあり、金州は半島の東南(つまり日本寄り)にある。三別抄の乱が鎮圧された後も、屯田兵は解散されなかった。

101 :山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/22 17:28
>>93
そういう事です。
>>98
二行目は『八幡愚童訓』にもある話ですね。なお文永の役の三年前、宮中の
女官たちのところへやたらと「唐人商人」たちが通っていたという記録
があります。
大食人(アラビア人)も来日していた可能性があるあの時代、深くとる
必要は無いかもしれませんが、不気味な話ではある。
もっとも既に述べさせて頂いた通り、日本側も商船から情報収集をして
いた様です。高麗に密偵を送っていたともいいますが、こちらは不確か
な話。

102 :世界@名無史さん:04/05/22 17:30
鎌倉竜ノ口で切られた使者の中に大食人がいたと思う。


103 :79:04/05/22 17:32
>>99
無論。正確には二度目の使者来訪の際。
態度をなかなか明らかにしない鎌倉幕府側に対し、高麗の者ではない使者(趙良弼)を立てて意向を窺っている。
そもそも、外交の使者を立てる時点で関心が向いているということなのだから、裏で兵を動かす算段を立てて動くのは
至極当然なことかと。ただし、幕府の返事がどうあろうとも侵攻を行う決意をしていた、というのは些か疑問だね。
その時点での元としては南宋との関係を断ち切らせることが目的なのだから。(侵攻そのものが目的ではない)

これの目的が封鎖から侵攻へと引っくり返るのが弘安の役以降。使者が斬られて面子を潰された元としては、余剰な
兵力を注ぎ込むだけの価値があると踏んだのだろう。主に高麗が算段を立て、二度目の元寇へと繋がった。

104 :世界@名無史さん:04/05/22 17:36
というか高麗はなんで日本侵攻をさかんに進めたのだろう。
兵を派遣させられるのは自分らなのに。

105 :79:04/05/22 17:44
>>104
私個人としての私見を言わせて頂けるなら、元国と日本の二面に兵を置く必要があったからではないかと。
更に日本を自領とすることで元支配からの脱却も狙えると目論んだのではないだろうか。後顧の憂いを絶つと同時に
功を立てることで、もしかしたら新たな内政基盤(侵略後の日本領)を譲り受けることが出来るかもしれない、とね。
無論、そんなことは元も承知済み。反乱の芽を生かさず殺さず放置するために本国から兵を動かさずに静観している。
つまり、支配からの脱却のために躍起になって計画を練る高麗、それを傍観している元という構図が成り立つ。

106 :世界@名無史さん:04/05/22 17:48
高麗の例のように服属国が積極的に他国に侵攻した例はあるんですか?
元だけでなく各ウルスで。

107 :ミリ屋哲 ◆4EZIX.r92I :04/05/22 22:07
そもそもみんなが口にしている「限定的侵攻」の定義自体が不明確。これをはっきりさせないと
議論がまとまらない。


軍事が政治の道具であるのは明らか、つまり軍事侵攻は政治的意図の下位に属する
のだから、限定的という言葉を使う場合にはそれが軍事分野なのか政治分野なのかを
明白にする必要がある。

軍事的な観点なら「限定的な目標に対する攻撃」といった方がより正確だろうね。その
軍事的成果をどのように運用するのか、すなわちそれにより「日本を完全に政治的に隷属
させる」のか「南宋との分断のみを目指すのか」という風に語るべき。


個人的には一回目は「限定的侵攻により政治的に隷属させる」のが目的であり、2回目は
「恒久的な実効支配により政治的に屈服させる」のが目的だと思っている。

108 :79:04/05/22 22:45
>>107
限定的侵攻、という言葉がスレ内で用いられたことはないが。

既に述べているように第一回目(文永の役)では当面の目的は「南宋との分断」だろうことは予想が付く。兵力的にも
本腰を入れていたとは思えず、実にアッサリと引き揚げている。(当時の日本の文献には「嵐」の文字すら出てこない)
おそらく南宋との分断が上位目的であり、その上で政治的隷属を呑ませること自体は下位目的だったのだろう。
もちろん、使者を立てて要求が呑まれれば日本・南宋分断は果たされ、無駄な兵力を費やす必要がない。断れば、
実際に脅迫の意味合いで派兵すれば良い。この辺りは実にドライでシステマティックな戦略観だと言える。

第二回目(弘安の役)では「実質的な恒久支配」が目的。ただし、元国自体は本腰は入れておらず、余剰分の高麗・
南宋兵力を主に注ぎ込んでいることから「攻め落とせれば上々、負けて元々」と考えたのではないだろうか。
元としては吸収したばかりの余剰兵力を高麗から削ぎ、反乱の機会を摘んでしまうことの方が重要なのだから。
遠海に位置する敵対勢力の兵力は、そのまま海上に封鎖する。傀儡の高麗と睨み合わせておけば良い。このような
戦略意図があったのではないかというのが、私の愚考だが如何だろうか。

何かおかしな部分があれば、是非ご指摘頂きたく。

109 :世界@名無史さん:04/05/22 23:24
しかし日本も情勢次第では、朝廷が幕府に対抗するためにモンゴルと結びつくみたいな
高麗と同じようなパターンになってたかも知れんな。

110 :ミリ屋哲 ◆4EZIX.r92I :04/05/22 23:29
>108
時間がないので手短に。

一点目
そのものズバリの言葉では使っていないが、内容的には明らかにその事を
指しているので{限定的侵攻」という言葉を使った。

二点目
戦争開始の意志決定において何が重要な要素だったかを推定だけで導き
出すのは危険。というか、推定すること自体はかまわないが、それを基に
下位構造を考察すると視野がゆがむ。

三点目
兵力的に本腰を入れていない、と考察した意図が不明。史実上・文献上で
元が侵攻に失敗したこと、1回目においては兵站上の問題が表面化した
ことはほぼ事実と考えられるが、それが「予定通り」なのか「予定が狂った」
のかを判断する材料は無い。

四点目
政治的な目標を達成するために、具体的には「どの程度の軍事的成果が必要」
だったのか、そこが抜けると話が大きく狂うもととなる。

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